00:00
毎週月曜日のこの時間は、松尾潔のブラッシュアップです。さあ、今日は。
はい、あの今日は先週不法が届きました谷村真嗣さんの功績を振り返りたいと思って、この番組のスタッフにもその旨をお伝えしていたんですが、
昨日の真夜中に、文太吉典さん。そうですよね、不法がまた入ってきましたね。
まず文太さんのお話からさせていただきたいと思いますが、文太さん、1980年代の音楽シーンを語る上では、本当に欠かせない方で、
今バックで流れておりますDancing All Nightという1980年に出た曲ですが、80年代を通じて本当に愛されて、
本当に論より、1980年代の10年間を通じて最も売れた曲だそうですよ。
すごいですよね。
ちなみに2位が龍徹也さんの奥平墓場。3位が寺脇屋さんのルビーのリュアってことですから、
そういった曲、スーパーヒットよりももっと売れていた曲ってことだと思います。
まだ本当はCDなんかが登場以前に160万台のヒットだったというふうに言っております。
このマント・ヨシナリさん、大動脈痒りという病気で、72歳で亡くなりました。
ご本人のヒット以外にも、西条秀樹さんに提供したギャランドゥーですとか、
大橋潤子さんとのパワフルな男女デュエット、夏女ソニアとかね、
1980年代前半に集中して代表作をお出しになったというイメージだったんですが、
そのモンスターさんと同時代に、やはり関西から存在感を示したのが、
谷村真嗣さんですね。
谷村さんは一線で活躍された時期が長いので、
より認知度の高い存在だったんじゃないかと思います。
谷村さん、74歳でお亡くなりになりました。
まずは、谷村さんのバイオグラフィー的なことを振り返りたいと思います。
1948年、昭和23年の12月に大阪で生まれていらっしゃいます。
03:02
そして、いわゆる関西フォークというムーブメントに乗って、
大変早熟な方で、高校生の時にロックキャンディーズという、
男性2人、女性1人という、いわゆるピーター・ポール・アンド・マリーという、
フォークの代表的なグループですが、その形式でまず世に出て、
60年代にも10代で世に出てから、
ただそんなにいきなり全国的な人気になったわけではなくて、
その後、アリスというグループの結成に至るわけですね。
1970年の大阪の万博が行われた時に、
そこで出会った人たち、スタッフであるとか、
同世代のミュージシャンたちとの交流が、今の谷川真司さんを作り上げていったと言われております。
谷川さんは1971年に堀木坂夫さんと一緒にアリスを結成して、
翌年にドラムの金ちゃんと言われた矢沢さんという方が加入して、
結構3人組という形になるんですね。
72年デビューですね。
しばらく中澤とバズの時期が続いて、
今ばっかり流れております。今はもう誰もっていう、
これ75年にやっとヒットが出るんですが、
それまではね、もう本当にとにかくライブをやり続けた。
どれくらいライブやったかっていうと、
僕一回90年代にある雑誌の対談で谷川さんとその時のことを
お話しさせていただいたことあるんですが、
一番多い年、1年間303本ライブやったそうですよ。
ほぼ毎日。
計算が合わないくらいね。
すごいですね。
なんでそんなにやるようになったかっていうと、
ヤングジャパンっていう、彼ら青中心とする事務所があって、
細川さんっていう業界の名物社長がいらっしゃるんですけども、
事務所もアリスもうまくいかないもんだから、
ちょっと規則を考えて、
ソウルミュージックの世界の大物、大統領とも帝王とも言われている、
ジェームズ・ブラウンっていう、僕も大変影響を受けた人ですが、
ジェームズ・ブラウンの初来日コンサートっていうのを
70年代の頭に企画してやるんですが、
大阪のフェスティバルホールっていう、
今新しくなりましたけども、
昔から名門ホールとしてしてられてた、
06:03
3000人弱ぐらい入る会場にお客様が、
谷村さんによれば150人しか入らなかったっていう。
事務所の給与の一策で、
社運をかけてやったライブが大借金、雪だるま式に増えて、
僕らはもうライブやるしかなかったんよね、みたいなことをおっしゃってましたけど、
それが最強のライブバンドっていう定評を作っていって、
今はもう誰もっていう75年にヒットが出た時には、
もう日本中の音楽好きですとか、
ラジオ業界とかにシンパがたくさんいて、
その後は、今はもう誰もっていうのはカバーヒットだったんですけども、
その後はもう冬の稲妻とか、
ジョニーの子守唄、チャンピオン、
こういった曲がもう次々にヒットして、
78年には日本武道館、三日間公演とか、
今でも語り草になってますが、
もちろんソウルドアウトのライブ成功させて、
こういった当時のニューミュージックって言われてたシーンの頂点に立つんですね。
ただここでもうキャリアを極めたと言ってもいいアリスなんですが、
ここから谷村さんのアーティスト生命はさらに花開いていくんですね。
これはソロ活動の充実ぶりなんですよね。
作家としても、
あとじっくり話しますけども、
山口守唄さんにいい旅立ちを提供するっていうことで知られたように、
彼は作品力が高い。
特に言葉の力を持った方で、
アリス時代も作曲もされる、チャンピオンなんか作曲もされてますけど、
作詞谷村真嗣、作曲堀内隆夫っていうこのゴールデンコンビがやっぱり、
彼らの肝になってたかなというところで、
それをより体現するために、
ソロっていう形式が大変向いていたようなところがありまして、
よりパーソナルな度合いの高い思いを綴った歌詞である、
スクバルっていう曲が、
確証高い1980年の曲ですよ。
これがね、
まあ本当に、
くしくもダンシング・オールナイトと同じ年に出た曲ですが、
曲の寿命とか愛され度合い、タイムレスな輝きってことを考えると、
09:00
ちょっと、
格別のステージに駆け上がっていくことになるんですね。
教科書に載りましたからね。
そうですよね。
愛されて歌われているっていうのは、
よく聞くことですけどね。
これ作って歌った時の谷村さん、
31歳って考えると、
驚くべき、
早熟な才能というか、
成熟したアートを生み出した人だったんだなあということ。
まあね、今の31歳とはちょっと違う。
若くしてたっかんしてる感じですよね。
そうですね。
僕よく言うんですけども、
タイムリーでありながらタイムレスなところにも手が届くという、
本当に軽な曲かと思いますね。
ちょっと谷村さんのことは、
話し尽くせませんので、
この後キャッチアップでまたお話しさせてください。
そうですね。様々なアーティストに楽曲も提供している一面も持っている谷村真嗣さんですので、
その話はまたキャッチアップの方で詳しく伺いたいと思います。
RKBラジオでお送りしているガールズパンツ
×少女隊の×ラジオ隊はポッドキャストでもお楽しみいただけます。
ラジコ、スポティファイ、アップルポッドキャスト、
Amazonミュージック、YouTubeミュージックで
×ラジオ隊と検索してフォローお願いします。