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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔のBrushUpです。
松尾さん、今日はどんな話題、ニュースでしょう?
はい、今日は、お好きな方も多いと思います。
ブラジル音楽で、ボサノバというのがありますね。
ボサノバの代表的なアーティスト、代表的なシンガーだった女性、
アストラド・ジルベルトさんが、先頃亡くなりになりましたという話でございます。
6月5日といいますから、つい最近、今月の話なんですが、
週間前ですよね。
83歳で亡くなりました。
この方、ブラジルのご出身でございまして、
バイア州のサルバドールに出身なんですが、
人生の大半をアメリカで過ごしたという人でもあります。
この人はね、ブラジルっていうのは移民国家ですから、
非常にそれ自体が多様性の
街、多様性の国ということの理由にもなるんですが、
彼女は、お母様がブラジルの方で、お父さんがドイツの方ですね。
1940年に日本で言うところの、
昭和15年ですかね。
最近、日本で言うところのって、僕よく使いますけど、
昭和15年とかっていうと、
うちの母親と一緒ぐらいだ、なんて方もいらっしゃるかもしれませんけど、
ジルベルト生を名乗ってますが、
結婚してジルベルトという名字になったわけでありまして、
なんという方と結婚したかというと、ジョアン・ジルベルトっていうミュージシャンなんですね。
このジョアン・ジルベルトっていう夫となったギタリスト兼歌手、
ちょっと早くて1931年の生まれですから、昭和6年ということになりますが、
戦前、日本で言うと戦前生まれのこれぐらいの人たちが、
ボッサノバというものを作ったというふうに考えてください。
このジョアン・ジルベルトっていう人の音楽的な名優とされているのが、
アントニオ・カルロス・ジョビンという方ですね。
この人、坂本隆一さんが大変リスペクトして、
彼に捧げるアルバムを作っていることなんかでも知られている、
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ミュージシャンでもピアノに寄った人なんですが、
アントニオ・カルロス・ジョビンという人は1927年生まれ、昭和2年生まれですから、
やはり戦前の人なんですが、この話を整理しますと、
ジルベルト夫妻、そしてアントニオ・カルロス・ジョビン、
この3人でコラボレーションしたのが、さっきお聞きいただいた、
ボッサノバといえばこの曲、イタネマの娘ですね。
これは、やっぱりこういう音楽の常として、
ブラジルからいきなり世界中に広まったというわけではなくて、
さっきも話しましたけれども、
ジルベルトという人は、アメリカで大半を過ごしたわけなんですが、
ジョン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルト夫妻が、
1960年代の前半にアメリカに移住しまして、
ジャズサックスプレイヤーで、スタン・ゲッツというアメリカの白人サックスプレイヤーがいたんですが、
この人とコラボレーションアルバムを作るんですね。
これ、ゲッツ・ジルベルトという名番と言われていますが、
この話、こういう名刺が多くてごめんなさいね。
スタン・ゲッツという人とジョン・ジルベルトという人のコラボレーションアルバムに、
ジョン・ジルベルトの当時の妻であるアストラッド・ジルベルトが参加して、
歌ったのが、いっぱい姉マンの娘の、さっき聴いていただいたバージョンなんですね。
そこにはさっきもお話ししました、アントニオ・カルロス・ジョビンという、
もう一人のブラジルの英雄的な名にしても参加しているということです。
早い話が、ブラジルの才能あるアーティストたちが、
アメリカのスタン・ゲッツという有名なサックスプレイヤーとコラボレーションすることによって、
アメリカ経由で世界規模のムーブメントを達成したということなんですね。
わかります?
人物多いんですが。
このアストラッド・ジルベルトさんは、今でこそ歌手として有名なんですが、
当時はジョアン・ジルベルトの妻。
それ以上でも以下でもない感じなんです。
プログラムの歌手としてのキャリアはなかったんですよ。
ただ彼女のクールな歌声、ビブラートとか拳とかを使わない平坦な歌い方、
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クールな表情に新しさを感じた音楽プロデューサー、クリード・テイラーという大変有名なジャズプロデューサーがいるんですが、
クリード・テイラーが、ジョアン・ジルベルトの当時のお連れ合いのアストラッド・ジルベルトに歌うことを勧めて、
それで一般音楽の娘をレコーディングした。これが大ヒットしたんですね。
ボサノバはボサノバって言いますけれども、
ボサノバにアメリカの当時はいけてる音楽の最先端であったジャズという化学反応を起こしたってことですね。
ボサノバはボサノバって言いますけど、ボサノバってどういう意味かっていうと、
ブラジルですからポルトガル語を使うわけですが、かつての蘇州国であるポルトガル語を使うんですが、
ボサノバっていうのは新しい魅力とかそういう意味ですね、新感覚のことだから、
それ自体がもう新しい音楽だった、若い世代のニューウェーブの音楽だったんだなということなんですが、
ボサノバっていうのは日本人の感性によく合うなんて言われますね。
どういうところがそう思わせるんでしょうね。
よく言われるのが、ブラジル音楽に備わっている恐怖症感。
何だか懐かしい感じがしますよね。
そうですね。初めて聞いてもちょっと懐かしい、切ないような心情。
この切なさっていうのは日本人に特有のものだとよく言われるけど、
世界中のいろんなフィーリングの中で日本の切ないっていう感覚に一番近いのが、
このブラジルのこういうフィールじゃないかって言われてますね。
サウダージって言葉がよく言われることがあります。
あなたがここにいて、今私は寂しく思うという感覚であったり、
かつて人生の一時期を過ごした場所のことを思って胸が締め付けられそうになるとか、
そういった心情っていうのが日本人とブラジル人に相通じるところがあるんじゃないかとか、
小説あるんですが、そういったともすれば濡れ濡れの心情、
濡れ濡れのウェットな感じになりそうなところ、
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この大変女質の効いたアストラドのボーカルがうまく中和しているという風な、
これは僕の見立てなんですけどね。
ちょっとだからユーミンさんとか、ユーミンさんのあの日に帰りたいとか。
荒井由美時代ですよね、特にね。
そうですね。ユーミンもね、割と声に過剰な情緒を込めずに平坦に歌ったり、
ビブラートをかけないっていうところで新しさを醸し出してた人かと思うんですが、
そういったのもやっぱりボサノバの発球というふうに捉えて良いんじゃないかと思いますし、
日本ですと、ある山恵子さんという人のどうぞこのままっていう曲とか、
ボサノバ歌謡っていうのを、
ネットなんかで日本ボサノバ歌謡なんて調べるとたくさん出てくると思いますが、
日本語との相性も良くて、理由があって日本で愛されてるんだなと思います。
これちょっと余談になるんですけども、日本で今ボサノバ好きなんですよとかっていうと、
なんかオシャレさんっていうイメージがあるかもしれませんけど、
ブラジルの若い人はあんまりボサノバ聴いてないっていうのはよくネタとして言われることで、
普通にヒップホップとか、
打ち込みのダンスミュージックとか好きだって言われたりもするんですが、
とはいえこの感覚というのは世代を超えてずっと愛されて続けているという気がしますし、
そういった世界の中でも大きな音楽潮流の源流にいたのが、
このアストラド・ジルベルトさんだったということをお伝えしておきたいと思います。
さらに余談ですけども、ジョアン・ジルベルトさんとはこのHITからほどなくして離婚されています。
ですから晩年は別々のパートナーと生活されていたわけなんですけども、
とはいえジルベルトという名字は本当にボサノバのサラブレットとして語り継がれていくんじゃないかなと思います。
ここまで松尾教師のブラッシュアップをお送りしました。
数学教師芸人の高田先生だよーん。
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