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この時間は、松尾潔氏のCatch Upです。
さあ、松尾さん、今日は北山治虫さんの話題。
そうなんですよ。北山治虫さんも、知っている方、ある世代以上の方、
世代以上だと思う。
超有名人なんで、説明の必要もないかと思うんですが、
意外とね、僕だから、若い世代のミュージシャンとかと話しても、
お名前も存在さえも知らないっていう人がいて、
それは僕ぐらいの世代の人間が、当たりついていかなきゃいけないなあと思っているんですね。
さっき話しましたけど、北山さんは、
今、バックで流れてるソウク・クルセイダーズの入ってきて払いの仕掛け人であり、
メンバーでもあるってことで、
僕は有名になったわけですけど、日本で初めてのフィルムセラーですからね。
この曲知ってました、ゆうさん?
聞いたことあります。
さすがにこのインパクトがある。
これって、僕すごい不思議だなと思うんだけど、
絵に描いたような、一発屋で終わりそうな曲じゃないですか。
コミックソング的な。
そうなんですよね。
音楽用語的には、ベルティーソングって、
火を照らしたような曲で、
途中でこの後、神様の語りっていうのが出てくるんですけど、
いいタイミングで入りましたね。
これ、1967年のクリスマスにリリースされまして、
個人的なことを話すと、僕が生まれる10日前に出たばっかりの曲なので、
これは大ヒットしてる頃、僕赤ちゃんだったんですけど、
文字通りコモディターのようにして聴いてきたわけなんですが、
今の50代、60代以上の方は、
何しろロングヒットだったのをみんな知ってる感じなのかな。
このフォーククルスステイダーズという人たちはどんな人だったかというと、
後にサディスティックミカバンドの中心人物だった加藤和彦さんが、
リスになってやっていたグループでありまして、
あとこの北山治さんですとか橋田則彦さん、
再結成された後には坂崎幸之助さんが、ある程度立ち上がったこともありましたね。
日本のフォークスステイダーズというのは、別の地域を築いたタイオニア的なグループだったんですが、
この、さっきもお話ししましたように、
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ワンヒット、ワンダー、一発で終わりそうなぐらいの曲で出てきた人たちが、
それぞれその後の人生で違った形の成功を手にしていくんですよね。
なんといっても、この人がいなければYMOとかも出てなかったかもしれないというふうに、
細かい説明が端折りますよ。
今回の主役の北山治さん。
この人は、さっきの甘えもやまへんでって言ってたときに、
京都の偉大生だったんですよね。
京都フリティカル大学の偉大生になりまして。
その後、学業もきちっと作れて、医学博士になりました。
急に77歳、現時点で今何をやりなってるか。
都知事現の八王大学の学長を務めていらっしゃるんですが、
福岡との関係で言いますと、1990年代に、
九大の教育学部で教鞭を取るようになって、
結構あれですよね、10年ぐらい前までいらっしゃいましたよね。
2010年までいらっしゃったので。
福岡さん、大学に行きたい。
私からすると、北山先生という感じですね。
同じ文系キャンパスだったもんですから。
先生は教育学部で、僕は経済学部だったので、
直接ゼミに行ったことはなかったですけれども。
やっぱり名物の人ですね。
そういう方。
今でこそ多様性の時代なんていって、
一人の人がいろんな面を持っている。
もしくはいろんな顔を持っている人たちがいろんなことをやってるじゃないかっていう、
ダイバーシティの時代になってますが。
当時はダイバーシティとか多様性という言い方よりも、
劣況性という言葉をよく使ってたかと思うんですが、
先生は軽やかに、医学の世界であるとか、
特に彼の場合は専門の精神学ですよね。
音楽、ポップミュージック、
音楽業界、放送メディア、
いろんなところで軽やかに活動されてきた方で、
彼の御著書とかを調べたりしても、
同じ人が書いたのかなっていうぐらい、
精神医学に関しての専門書もあれば、
そういったことをベースに噛み砕いた哲学書であるとか、
あともちろん音楽についての本もたくさん書いてらっしゃるし、
一人の人生でこんなにいろんな表現ができる。
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改めて、僕は面識ないんですけども、
北山さんという方のタイムマネジメントってどうなってるんだろうって思ってるんですよ。
僕は北山さんの活動にすごく共感するのは、
晩年のエイル・クスケさんが北山さんのことを大変信頼して、
エイル・クスケさんの番組によく北山さんが監督になったんで、
それを僕も好きで聞いてお二人の会話をやっていったんですが、
一言で言うと、難しいことを平易な言葉で話す、本当に賭けた方なんですよね。
やっぱり難しきことを優しき言葉で。
これってやっぱり本当に頭のいい方にしかできないなっていうのを重ねると実感しますけれども、
さっきのジャニーズの成果会の問題とかにしても、
どうしても話してるうちに固い言葉で説明したくなっている自分とかっていうのは、
話すたびに反省しちゃうんですけれども、
専門用語とかを使わずに取説のいらないような表現で語ってみんなに伝えることができたら、
どんなにかいいだろうって思うことが、
何かと思いますけど、
北山治さんの多岐にあたる活動を全部抑えることは本当に僕も不可能だと思うんですけど、
彼が作詞を手掛けた曲、
例えば今日聞いていただいている曲なんか、
僕分かりやすいんですが、
帰ってきた酔っぱらい、戦争を知らない子どもたち、
花嫁、風、さらば恋人、
タイトルの付け方自体が胸を締め付けられるぐらいにシュイてたんですが、
それぞれ、例えば、日本に押し寄せてきた交通事故という社会問題であったり、
戦争を知らない子どもたちなんかで言うと、それこそ戦争の記憶が風化していくことに対しての危惧であったり、
花嫁って言葉自体が賞味期限が早いですけれども、
違う環境で育った2人が、いつも新しい家庭を作ることに対しての恨悪であったり、ときめきであったりだとか、
さらば恋人っていうのは、愛し合った2人の別離にとって幸せな別れってあるんだろうかとか、
常に人間が生きていく上での、誰もが向き合う普遍的な問題っていうのが織り込まれて、
それがやっぱりポップソングに昇華しているっていうのは、これは誰にでもできることじゃないなと。
本当に作り手の一人としては、北山さんの手際とかお仕事の深刻とかに打ちのめされそうになりながらも、常に会ってみてるって感じですね。
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その中でも僕が一番好きな曲を最後に聴いていただいてます。
名優の加藤和彦さんと北山さんの2人名義で出演された、あの素晴らしい愛をもう一度聴いてみましょう。
これね、僕、1971年の曲、50年以上前の曲ですよ。
当時、年間ランキングでも49位とかって大ヒットではなかったんだけど、ずっと際立って愛されてきたんだなと思うのは、
愛って見つめ合うというよりも同じものを見ることが愛だなんてことを言いますけど、
まさにこれ同じ花を見て美しいと言った2人、あとは夕焼けを追いかけていった2人っていうふうに、
そういう体験っていうのが喜びを増すけれども、別れるときに悲しみの理由にもなるという。
幸せと悲しみの理由は同じものだっていうような、普遍の心理みたいなのを、
若き北山青年が描ききっているときにね、本当に共感を感じますね、僕はね。
ただただ教授だったんですが、北山治虫さんという人が、そんな方がまだ77歳ということで、
本当、まだまだ前向いて歩いていかなきゃなというふうに言い渡れてくれる存在です。
北山治虫さんの記事をお祝いさせていただきました。
はい、今日がその77歳の誕生日ということで、
今日は北山治虫さんについて語っていただきました、音楽プロデューサーの松尾清さんでした。
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