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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔のBrush Upです。さあ、松尾さん、今日の話題、テーマは何でしょうか?
はい、先週の大橋潤子さんに続いて、今週も悲しいお知らせをしなきゃいけませんね。
皆さんも、特に福岡の皆さんは、お聞きかけの方が多いかと思いますが、KAN さん、シンガーソングライターのKAN さんが、12日、61歳の若さで、お亡くなりになりました。
いやー、辛かったですでしたね。 キングでしたね。
問題ですよね。KAN さんだって、地元も地元の方ですからね。 そうなんですよね。福岡出身で。
ご存じの方が多いと思いますけれども、福岡市ご出身で、何しろお父様はRKBの社員でいらっしゃったと。
大先輩でいらっしゃったんですよね。我々は接点がなかったんですけども。
彼は、ご存じの方が多いと思いますけれども、ざっとバイオグラフィーをご紹介しますと、
1962年、昭和37年の生まれで、福岡の、今、笹岡小学校って言ってるとこは、昔、田島小学校に通われて、
僕が今話してること、ウィキペディアなんかにどこにも載ってるような話なんですけど、
地元の地名、バンバン出しますよ。東尋町の先生にピアノを教わって、
天神の山派でレッスンをしてたっていう話ですよね。
優先中学に行って、その辺りから、ビートルズのコピーとか本格的に。
子供の時はずっとクラシックを趣向されて、音題の方に進もうかなって考えられたこともあるみたいですけど。
その辺がお父様の影響もあったんでしょうね。お父様も音楽に精通された方だったってね。
そうなんです。お父様は地元で、あくまでもRKBの社員という顔をお持ちなんですが、
音楽活動でもほぼ、話聞いてるとプロ的な活動をしてた方なんですよね。
それから城南高校に行って、城南高校時代は水泳部だったそうですが、
昔はできたバタフライって彼の曲の中で出てきますけれども。
1981年に法政大学に入学のために上級されるんですが、
ご本人はいろんなところで語ってらっしゃいますけど、まだ学生運動の名残が法政大学に若干残ってて、
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学校に行っても門が閉まって、レポートを出すだけだったりしたからというのもあって、
学業よりもどんどん音楽の方にのめり込んだということで。
ご自身で歌ったりもしていたんだけど、ご存知のように鍵盤達者な方なんで、
地元の城南高校の水泳部の先輩たちと一緒にフュージョン系のバンドで、
テクニックを披露するようなピアノプレイとかでも知られたりしていたようですが、
大学を卒業してからはプロのミュージシャンとしての道を歩みまして、
87年ですから25歳の時に正式にデビューされます。
24歳の時か、お誕生日前だったのかな。
割と大卒のミュージシャンとしては、そんなにご苦労された時間は長くないのかなという気もしますね。
いきなりすぐヒットに恵まれたわけではなくて、
冒頭で今日お聞きいただいた愛は勝つっていうのは、
俺はもう5枚目のアルバムの収録曲だったわけですから、
しかもこの曲っていうのは野球選手の夢だったってアルバムが1990年に出てすぐヒットしたわけじゃなくて、
翌年に山田邦子さんが司会を務められた、
邦ちゃんの山田勝手ないテレビっていう当時の人気番組がございます。
これのエンディングテーマに、
91年の1月から使われても年間通しての大ヒットになるんですね。
テレビとJ-POPの日月時代といいますか、
だってこれ200万枚超えるセールスになったんですよ。
200万枚。
それに日本レコード大賞も受賞されました。
小学生でもモーツァルトのコスプレをして出た。
そうですよね。
生誕万周年とかだし、モーツァルトがね。
確かそうでしたよね。
200周年だった。
そういうチャメッケというかね、ありましたよね。
そうなんですよね。
彼のことを語る人はみんな彼のユーモアのセンスと、
人柄の良さっていうのをみなさんおっしゃいますね。
やっぱり若いミュージシャンにも大変慕われてまして、
僕の近いところで言うと平井健さんなんかが元ファンさんに浸水して、
プロデュースが多いってこともありますし、
あとはミスチルの桜井さんがね、
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よくコラボされたり、
そうですね、共演したり。
羽田さんとかもそうですよね。
そうですね、羽田くん。
一緒にユニットやってましたね。
あいこさんもそうですね。
あいこさんもそうですよね。
僕はね、かんさんと同じ福岡出身ながら、
一度もご一緒することは結局なかったんですね。
それは意外ですね。
ね、キューツの知人とかこんなにたくさんいるんだけどな。
いつかがっつりとご一緒すると思ったらこういう風になってしまったんで、
今大変な開墾の気持ちがあるんですが、
ただ同じ場所に合わせたことはもちろん何度かございまして、
これどこにでも話してないこと、
大変詩的なお話なんですが、
2000年か2001年ぐらいの話だったと思います。
東京に自由が丘っていう街があって、
当時僕はその近くに住んでいて、
かんさんもどのあたりにお住まいだったのかどうかそこまで知りませんが、
あ、かんさんだと思ったんです、街中で。
お連れ合いの方と女性と一緒に歩いてらっしゃるんですが、
英国紳士のような出立ちで歩いてらっしゃったんで、
かんさんの普段のイメージ通りでよくそういう格好されてるのを知ってましたから、
そしたらね、自由が丘っていうところに石畳の街並みがあるんですが、
そこでね、ちょっとお年を召した女性の方が転倒されたんですよ。
そしたらね、僕なんかもあっと思ったんですが、
僕より遠くにいらしたかんさんがダダダーッと走って駆けつけて、
大丈夫ですかって言って、
そのお年を召した方は助けてくださった紳士がかんさんってことを知る余地もないと思うんですが、
ことなきを得て、かんさんずっと見送っていらっしゃったんですけども、
本当僕一瞬を切り取ってお話してるだけなんですが、
その瞬間に業界の中で聞いてるかんさんはすごい人格者だとか、
ほほ笑みを絶やさないとか、いつもユーマは忘れないとかっていうのが、
全部ここに凝縮されてるシーンみたいな気がして、
そしたらね、必ず最後に愛は勝つっていう歌詞とか、
ちょっとなんて言うんでしょう、曲が立ち上がってくる感じっていうのかな。
リアリティを得て。
急に泣ける曲になっちゃったっていうところがあったんですね。
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今回かんさんの不法に接して、まずこの話を僕は思い出しましたね。
かんさんの、何て言うんでしょうね、独特の音楽センスもそうですけど、
ユーマのセンスっていうのは、いろんな人が語ってて、
僕が好きなのは、シングラーキー・トーキングの佐藤直善さんがゴルフ仲間だったそうなんですけど、
かんさんは時々びっくりするぐらいな、それを聞いて、
それこそ、英国新種風の伝統的な衣装で、
コスプレっていう感じで、ゴルフクラブにお見えになるそうなんですが、
使ってるゴルフのクラブとか、全部レンタルだったっていうね。
そこはこだわりないんかいっていう。
なんかそういう、それこそ余地をいつも残していらっしゃるような。
そういうとこはね、やっぱりね、後輩ミュージシャンたちにも威圧感を与えずに、
あれだけのヒットを持って、あれだけの名曲を作ってきた人なんですが、
あとやっぱり福岡出身としては、彼のいろんな曲の中で、
チラッと話したリーグレッツっていう曲ですとか、あとウエストホームタウンっていうね、
歌詞の終わりで、木さん対岸にしとけよっていう歌詞がある。
歌詞っていうかセリフがあるような曲ですが、
あとは僕が、R&B好きの僕としてはブラッケットっていう曲とかもたまんない曲ですし、
このタイミングでもいいんで、今までかんさん愛が勝つぐらいしか知らなかったなっていう方ももちろんいらっしゃるでしょうから、
彼の作品群にもう一度触れてみるといい機会じゃないかと思います。音楽は永遠です。
そうですね。
欅通りとか国道202を歌にした曲もありますので、ぜひ。
地名とか固有名詞がやたら多いですよね。
それってでも福岡の地名を歌にする方ってそういなかったので、すごくそれが嬉しいし誇らしいですよね。
僕の中でやっぱり在地さんとか井上泉さんとかの伝統なのかなっていう気もしますけども、
やっぱりこの世代ではかんさんを突出して多いですよね。
そうですね。
ぜひ歌を聴いて忍んでいただけたらなと思います。
数々の名曲を残してくれて本当にありがとうございますという気持ちとともに、
かんさんを忍んでブラッシュアップをお送りしました。松尾さんありがとうございました。
ありがとうございました。
Snowfi Amazonラジコなど各種音声プラットフォームで配信中。
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