#03「生産者」ではない“引け目”と「生産者」への“尊敬”_久松達夫『農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ』
2026-04-15 29:32

#03「生産者」ではない“引け目”と「生産者」への“尊敬”_久松達夫『農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ』

spotify

▼取り上げた本

『農家はもっと減っていい 農業の「常識」はウソだらけ』(著者:久松達夫、出版社:光文社)

▼出版社HP

⁠https://www.kobunsha.com/⁠

▼購入はこちら

⁠https://books.kobunsha.com/book/b10125121.html

▼今回の内容

実家の農地を継がぬ弱さ/俯瞰して選ぶニッチ戦略/後付けの差別化への自省/茹でたての麺と畑のネギ/食卓が職場にある幸福感/丁寧さには高い機械が必要/資本主義と規模のジレンマ/農を演出に使うことへの毒/生産せぬ後ろめたさと尊敬/負けないための惨めな範囲

▼番組概要

 一冊の本を入り口に、ビジネス成功の裏に隠された「仕組み」を解き明かし、同時に私自身の経営体験から「こだわり」や「執着」を内省的に探っていきます。ただ単に本の要約をお伝えする番組ではありません。地方でビジネスに取り組む一人の経営者が、その本から何を感じ、自らの歩みとどう照らし合わせたのか。「なぜあの時あんなに泥臭くこだわったのか?」「 私を突き動かしている執念の正体は何なのか?」 成功のロジックを理論的に読み解きながら、自分自身の経営体験を振り返ります。

▼こんな人に聴いてほしい

自分の強みを探している人

東京じゃなくてもいいのではと思っている人

小さな会社を経営している人

野球が好きな人

▼株式会社地元カンパニー

ホームページ:⁠⁠地元カンパニー⁠⁠

公式note:⁠⁠地元カンパニー|note⁠⁠

公式X:⁠⁠株式会社地元カンパニー (@jimotocompany) / Posts / X⁠⁠

▼番組パーソナリティー:児玉光史

個人Facebook:⁠⁠児玉 光史 (@mitsushi324) • Facebook⁠⁠

個人X:⁠⁠児玉光史@地元カンパニー (@mitsushi324) / Posts / X⁠

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
地方経営者独白 儲けの数式と己の執着
この番組は、新州上田で流通革命に取り組む個人保証1億の男、児玉光史が、毎回一冊の本をもとに、気になるビジネスに秘められた仕組みを分析しながら、自分自身のこだわりをさらけ出していく番組です。
さて、今日はどんな本を読んだのでしょうか。
はい、みなさんこんにちは。地元カンパニーの児玉でございます。
今日はですね、こちらの本、一冊読んでみました。
農家はもっと減っていい、著者は久松さんですね。久松辰夫さん、辰夫さんですかね。
私は久松さんに直接お会いしたことはないんですが、名前はもちろん存じ上げておりますし、茨城で農業をやっているということも知っております。
この本は発売がいつですかね、コロナ禍に発売されたんじゃないですかね。
2022年に第一版が発行されて、今2026年ですから、4年弱経ってるのかな。
最初から文庫ってことはないと思うんですけど、最初から文庫だったのかな。
この本ですね、もともと僕自身で事業を始めた一つのきっかけは、実家が農家だったというところもあるので、
その意味でこの本、前から読んでみたいなと思ったので、今回選ばせていただいた。
この本を読んで、自分の至らなさというか弱さを痛感する本でしたね。
弱さというか、目の前のものから逃げてきたわけじゃないですけど、本当に向き合ってきたのかなというのを改めて考えさせてもらうような一冊でしたね。
実家が農家っていうこともありましたし、そんなに大きな農家でもないし、実家が持ってる農地っていったら鷹が知れてるので、そこを継いだからどうにかなるってもんでもなかったんですけど、
そういう道を選ばず今の事業やってるわけで、でもそっちの実家の事業を継ぐっていう選択肢もあったんだろうなというのがあったというか、
そういうのを読みながらかみしめたという本で、そこらへんの話もしたいなというふうに思っています。
それでは本編いきましょう。
まず最初は、この本でいうと83ページですね。日地戦略の話ですね。
日地戦略とは目の前にある隙間をなんとなく狙うことではありません。隙間を狙うものほど全体をよく観察し、マスの構造を理解した上で振る舞いを決めなければいけません。
03:07
ということで、うちの事業も日地戦略というかね、今まで他の会社さんがやってないようなことをやってたという意味では日地戦略を取ってるんだと思うんですけど、
その選び方がやっぱりそんなにここまで久松さんが言うほど何も考えずに選んでる、選んでたなということを変えりましたね。
久松さんの本を読んでいくとですね、ここらへんもしっかりと理解して今の在り方を定義しているというか、自信を持って進めているというのがよくわかりますね。
大規模農業と、久松さんはご自身では小さい経営というか小さい農業だというふうに謳ってますが、それに対するものとして大規模農業はあるんですが、
大規模農業ができること、小さい古農というふうに呼んでますけど、小さい農家だからこそできることっていうのを俯瞰的に把握しながら、
その上で自分はこっちを選ぼうということで今のやり方をとっているというのがよくわかるんですけど、
自分がね、私自身が創業した時はですね、もうそんなことを考えずに、これなんかまだ手つけられてないからやってみようかなみたいな感じでやり始めたことを思い出しましたね。
この一節を当時、2012年に創業しましたけど、2012年とかその前あたりに読んでたらもしかしたら書典、最初の授業は違うものになってたかもしれないですけど、
なかなかね、自分の性格とか考えるとあんまりこう、書籍に書いてあることを自分よりそっちを信じるかみたいなことはあんまりタイプとしてはなかったような気がするんで、
これを読んだところで選択が変わらなかったような気もしますけど、やっぱり俯瞰的に物事を見て、選ぶものじゃないもの、全体的に見た上で何かを選ぶっていうのはとても大事だなというふうに改めて思いますね。
カタロンギフト、2012年くらいからカタロンギフトとか作り始めましたけど、その頃はカタロンギフトって雑貨が並んでいることがほとんどで、
食品自体が並んでいるカタロンギフトって、僕の記憶だとあんまりなかった、調べきれてなかったかもしれないですけどあんまりなくてですね、
そういう意味では食品並べたものとか、長野県の括りとかですね、県単位とか地域単位の括りっていうのは非常に新しかったんですけど、
新しいっていうのはね、誰もやってないってことですけど、やった結果辞めてる人がいたかもしれないですし、
やろうと思った人がいるけど経済的にそこまで合理性がないものとして諦めた人もいるかもしれないってことなんで、
やってないからニッチということではなかったですよね、よくよく考えるとね。
それでもやり始めちゃったので、何とかなったとか何とかしたとは思うんですけど、ここら辺を改めて感じた一説ですね。
06:05
久松さんはここのプロフィールにも書いてありますけど、慶応出身で定人という大企業に勤めた後に農家になったということで、
こういうプロセスというかこういうキャリアの中で今みたいな視点を持ち合わせながら農家を始めたのかなというふうにも感じますね。
非常に聡明というかね、こういう感じで農業を始める人が増えるといいんだろうなというふうに読みながら思いましたけど、
最初の一説がそこですね。
続いてはですね、ちょっとすごい面白い一説があって、これがすごい好きなんですけど、これは159ページに書いてありますが、
昼の昼食時、うどんが茹で上がってから畑に葉ネギを取りに走ります。
これいいなと思ったところですね。だからうどんが茹で上がってから取りに行くんですよね、畑にね。
素晴らしい。それをネギを取った後、うどんにぶち込む、ぶっかけて食らうという表現が書いてありますけど、
この表現の細かな書き方もね、時と場合によってちょっと乱暴な書き方をしているあたりも好きですけど、
そもそも茹で上がってから畑に取りに行くっていうのもいいですよね。
大体ネギ準備しておきますけど、切ったり刻んだりして。
でも畑が近くにあると、うどんが茹で上がってから取りに行くと。
これを仕事中のランチの時間にできるっていうのは幸せな職場ですよね。
都内で僕も働いてたことがありますけど、新卒の会社で。
ちょっとやっぱり昼食時はランチは少し物足りないっていう言い方はあれですけど、
なんかそこまで居酒屋さんがやってるランチのお米が美味しかった記憶もなくてですね。
なんか弁当持ってくればよかったんですけど、
栄養だったんで、あんまり弁当持ち歩くっていうことも難しくてですね。
なんかせっかくだから実家の米でも食いたいよなーみたいに思ってたことはありますね。
それがね、うどん茹で上がってからネギ取りに行くのかみたいな。
どうしてもこの久松さんが、うどんを茹で上がった後に畑にダッシュしに行く情景が思い浮かびますよね。
ちょっとその時が金髪かわかんないですけど。
こういう昼飯を職場で提供できたらね、
満足度、従業員の満足度上がるよね。
上がるかな。
本当にランチとしては最高なんだろうなというふうに思いますね。
ただ、ただと言ったら変ですけど、
もちろんこの全体の仕事の中での一瞬なんで、
こういう感覚で農業すんなよみたいな感じはいろんなところで
表現されてますけど、
その一部を切り取っていいな、
じゃあ農的な暮らしをしようとか、
09:00
農業を始めようみたいなのは全然違うっていうことだと思うんですけど、
この情景が浮かぶのはね、
非常に文章を書く力もあるのかもしれないですし、
あるのかもしれないですし、文章の力かもしれないですし、
その前後の、ちょっと硬い話もあるんですけど、
硬い話の中でこういう部分を切り取って表現してくれているので、
非常に読んでて、ほっとしたというか、
少し箸休めというかね、肩の力が抜けて楽しい感じを味わえた一節でもあるので、
よかったですね。
うちの会社も昔みんなでさつまいもを作ったことがあって、
さつまいもというか干し芋を作るために、
その専用のさつまいもを作ったことがあって、
みんなで苗を植えたり収穫したり、
冬、ふかして細くというか薄く切って干して食べましたね。
ストーブで12月ぐらいに干すんですけど、
1月か2月にはなんとなく食べれるようになってて、
それをストーブで炙って食べたりしましたけど、
非常に美味しかったし楽しかったですね。
もう1年で大変すぎて1年で辞めましたけど、不評で。
でもこういうシーンが会社の中であると、
社内のコミュニケーションは活発になるというか、
楽しく会話が始みますし、
お酒を使って夜にやるコミュニケーションとはまた違うので、
非常にいい思い出になってたなという記憶もあります。
そんなところまで思い出させていただいた一節ですね。
うどん茹で上がってからネギとりいきたいなと、
そんなふうに思いました。
続いては171ページから始まるところなんですけど、
ここも結構象徴的というかね、
小さいから丁寧なものづくりができるわけではないという説ですね。
もうちょっと読んでいくとですね、
私は若い頃からカウンターだけのお寿司屋さんのように、
一人一人に寄り添って、
丁寧にいいものを作る農業がしたいと考えていました。
ちょっと進んでですね、
大きい農業は荒っぽく、小さい農業の方が丁寧だと勝手に思っていた私は、
小さい手作業なら作業の精度が高いと根拠なく考えていましたという説ですね。
これどういう状況かというと、
久松さんが人参の作り方にちょっと悩んでた時期があったと。
千葉県に人参の名人がいるということで、
その方に教えをこうということで畑に来てもらって、
いろいろ見てもらったらしいんですね。
その時にどうやら種の巻き方に指摘があって、
久松さんに何センチで巻いてますか?
久松さんは1から2センチですと答えたんですけど、
12:03
名人は私は7ミリで揃えていますと言われた。
種の巻き方は手で指さして巻くというパターンも普通にあるんですけど、
機械で種を巻いていくと。
手押しの種巻き機でやってたのかな、久松さんは。
手作業だったら丁寧だというのは、
こうやって指で穴を開けて種を巻くみたいなことだと思うんですけど、
いろいろ話を聞くとですね、
高い設備、高い種巻き機を買うと7ミリで揃えられるということが、
分かったというか知ってたらしいんですけど、
これもね、商売の難しさというか、
資本主義の残酷なところというかね、
結局お寿司屋さんのカウンターのように、
一人一人に丁寧にいいものを作ろうとしようとすればするほど、
高い機械が必要になるということなんですよね。
そうですよね。
それはそうだなって聞けば分かるんですけど、
もちろんね、手でやるには精度も限界があるし、
そもそも種を巻く量も限界があるし、
手で丁寧にやりすぎると多くの人に人参を届けられないし、
そうなると全体の売り上げも下がるみたいな話なんですけど、
丁寧に作ろうとすればするほど、
精度の高い設備が必要で、
それには大きなお金がかかると。
大きなお金がかかると、
もちろんそれを回収するために面積を広げるか、
1年のうちに何回も活用するかみたいなことで、
どうしたって規模が大きくなっていくと。
規模が大きくなると、
お寿司屋さんのカウンターみたいな商売じゃなくてですね、
雑な言い方をすると、
いっぱい人参を作ってスーパーに下ろすみたいな、
最初に目指していたことと目指していたこととは
全く違う商売になってしまう可能性があるわけで、
最終的にこの本だと、
久松さんがちょっと高めの種まき級に投資したのかどうか、
そこまでは書いてないんですけど、
非常に難しいところですよね。
うちの会社もカタルンギフトを
日本全国都道府県で作ってますけど、
最初は長野県のカタルンギフトだけしかなかったんですよね。
長野県のカタルンギフトだけ作って、
これ売れるといいなみたいな、
今思うと全然、
それで商売に成り立たないくらいの規模なんですけど、
それだけで売れるといいなと思ってやり始めましたけど、
例えば長野県の人と他の県の人が結婚するときに、
例えば久松さん茨城なんで、
茨城県と長野県の人が結婚するときに、
茨城県の産品は扱ってないんですか?とかいうことを
ちょこちょこ聞かれたわけですよ。
そうなると、
確かにその方がいろんな人に使ってもらえるし、
喜んでもらえるなみたいなことで、
他の県のやつもどんどん作っていこうみたいになるんですね。
15:03
そうなると商品を集める人も必要だし、
その商品を集める人に対してもちろん人件費も支払いするので、
そういうお金を売り上げがない中で
年数しなきゃいけないっていうことから融資を受けて、
商品探しに行ってもらったりするわけですけど、
そうなると融資の返済とか継続的な給与の支払いのために、
作ったカタルンギフトをいっぱい売らなきゃいけないということになって、
結果的に規模がどんどん拡大していくモードになるんですよね。
規模を拡大していくのが別に、僕は好きなタイプなんで、
全然嫌な気持ちにはならないんですけど、
もちろんいろんな事業者さんが掲載されることになるので、
1社あたりのコミュニケーションの時間とかがどうしても減ってしまうと。
1社あたりにいっぱい時間かけてたら、
そもそも経済的に成り立たないことにもなってしまうので、
それが別に悪いわけでもないんですけど、
どうしたって規模が大きくなる、
適正なところで留めることが非常に難しいなと。
お客さんに対しては満足度を高めたいという思いが根本的にはあるので、
いろんな要望をいただいたらそれに応えようとするというモード、性質でもあるので、
なかなかいろんな本で読んでそうだよなと思いますけど、
断れないとか断れないというか、
どんどん拡張しちゃう、膨張しちゃうというのはあるなと思いますね。
それを農業、久松さんがやっている農業の世界でも、
精度を作るために高い設備投資が必要で、
仮にその種まき機器を導入したとしたら、
その稼働率とかも考えなきゃいけないし、
結果的に最初に狙っていたような規模には、
なれないのかもしれないなというようなものを感じたと。
久松さんはこういうことを踏まえながらも、
自分で狙っている規模、適正な規模に収められるように、
いろいろ支配していると思うんですけど、
そこら辺の難しさを感じる一節でしたね。
ここはね、資本主義に取り込まれるという表現がいいかわからないですけど、
大きな駆動装置の中に、
自分が入り込まざるを得ないことを想像しますよね。
だからといって、入り込んだからといって、
自分が失われることもなくて、
そこで思い通りに歩けたり走れたりする、
自律というか、自分をコントロールできるようになっていれば、
もちろんいいと思うんですけど、
完全に自分を見失ってというか、
失って、大きな駆動装置の中で、
18:03
カラカラカラーみたいな、巻き込まれている状態だと、
結構いろいろ大変なんだろうなという感じはしますね。
自分が今、巻き込まれてカラカラしている可能性もあるんで、
久松さんはそんなことないと思うんですけど、
気をつけなきゃなということもありますし、
そういう世界の、
そういう大きな駆動装置の中で、
自分たちはやりくりしているんだなというのを、
久松さんの方にもいろんなところで表現してくれていますけど、
気をつけて認識しないといけないなと思ったというところでございます。
続いては、これが一番、
自分にカウンターとして殴られた感じがあるですね。
ちょっと一瞬読み上げますが、
新規収納はデザインできるのかという説で、
いろいろ書いてあるんですけど、
物だけでは個性を打ち出せないことを知っている文化資本の持ち主たちは、
能的暮らし全体をデザインすることで、
趣味・趣向の領域までも売りにしようとします。
いろいろあって、最後も書いてありますね。
中身のない安易な参入や周辺ビジネスが浅いコンセプトで、
農業を製品で善なる演出として使い尽くした結果、
すでに農業ネタの陳腐化が進んでいるように見えます。
これはなかなか強い言葉というかね、
非常にシニカルでもないですけど、
通列にカウンターを与えているみたいなふうに思いますが、
僕もこの節が結構あったのかなというふうに思いますね。
やっぱり最初、親が作ったアスパラ農家なんですけど、
親が作ったアスパラを都内で販売する、手売りするというところから
自分の事業が始まっていてですね、
その時に農家のせがれですよと、農家の息子ですよと、
まだついでないですけど都内で会社員やりながらやってますみたいな、
自分の在り方を売りにマルシェとかに出展してたんですよね。
もちろん最初はそれしか売りがないわけで、
自分でも野菜作ってないですし、
八百屋を構えているわけでもないので、
自分の売りにできるものとしてはそれしかなかったから、
最初の一手としては別にやむを得ないというかね、
考えた結果頑張っている感はあるんですけど、
やっぱりそれが本丸にはならないみたいな、
その行為とかその切り口とかそのコンセプトは、
面白くて悪くはないけど、
決して本流にはならないなみたいなのは多分なんとなくあってですね、
21:01
だからその切り口だけで事業は成り立つわけでもないので、
今の在り方に変化していくわけなんですけど、
その時にどうしてもね、
自分で物を作ってないとか、
店舗を物理的に持ってない、
物理的はあまり関係ないかもしれないけど、
フルベッドしてないみたいな、
その後ろめたさとかもありましたよね。
結局自分で農産物とかを作ることなく、
そこをきっかけに流通をメインというかね、
生業にしていくような状況になっていて、
それはそれで別にいいと思っているし、
楽しくやれているんでいいんですけど、
その時にその生産の方とかね、
流通って言っても店舗を持ってないんで、
八百屋さんっていう業態に行かなかったこととかは、
非常に後悔はしているわけではないんですけど、
それをやっている人たちを見ると、
やっぱり眩しく見えるっていうのがあるんですよね。
本当に何が本流かって難しいですけど、
野菜とか果物を生産する、
店舗を構えて販売する、
すごいシンプルじゃないですか。
そういうところに突っ込まずにですね、
ちょっと社に構えた感じでというか、
傍らから涼しいところにいて仕事をしているみたいな、
そういう後ろめたさというかね、
居場所が所在ない感じみたいなのは、
昔からあったのかなっていうのをこれを見て、
これを読んで改めて痛感したというかね。
だからといって今やっていることが、
全然変なこととか悪いこととか、
恥ずかしいことなんていうことは1ミリも思ってないんですけど、
果物を作るとか、店舗を構えて売る、
八百屋さんをやるみたいなところに乗り込んでいけなかったっていうのは、
ちょっと引っかかりとしてはありますが、
結果的にね、その選択をしなかったことによって、
今いるメンバーと一緒に楽しく仕事ができているっていうことは事実としてあって、
そういう意味でも全然後悔はしていないですし、
今の事業は事業で全然いいと思っていますということですね。
久松さんとか八百屋さんを事業なり合えてやっている友人というか知り合いますけど、
尊敬の念がありますよね。
これもだから、自分のおじいちゃんとかが農業をやっていて、
うちの親父は兼業農家だったのでサラリーマンをやりながら手伝っていたんですけど、
やっぱり小さい頃から見る大人の働く姿っていうのが、
僕の中ではね、おじいちゃんとかお母さんとかおばあちゃんしか見れなかったので、
お父さんは会社員ですから見れなかったので、
そういうところも多分に作用しているのかもしれないですし、
24:03
やっぱり田んぼでお米を作るとお腹空いても何とかなるみたいな話もあるので、
そこら辺のリスペクトとか、自分がそれをまだできていないという、
あざとさ?あざとさでもないけど、
そういうのを無駄に感じちゃってるかもしれないなというふうに思います。
うちの会社も2025年に食品メーカーさんの譲り受けをさせてもらって、
流通だけじゃなくて食品メーカーとしても事業を展開しているわけなんですけど、
やっとね、自分で一からやってたわけじゃないですけど、
会社の中にその生産機能というかね、メーカー機能を持てたというか、
譲り受けさせてもらったことで、
だんだんここら辺にある自分ができていないことの、
できていなかったことを埋めているわけじゃないですけど、
そういうのも少しあるのかなというふうに思いますね。
そのうちね、僕も経営が仕事なのかというのはありますけど、
今やっている仕事もだんだん変わってくるわけで、
畑に出たりね、キッチンに立ったりね、
そういうことが求められてくるし、
自分でもそうありたいのかなという感じはちょっとしてますね。
是非ね、この久松さんのこの一説、
そもそもここの記載はですね、
農業へ参入する人たちに対するメッセージの部分なんですよね。
新規参入とか。
農業に携わったのに生産していない人をディスっていることではないので、
別に僕をディスっている一説でも全然ないんですけど、
久松さんが思うところを書いてあって、
本当ここは読んでよかったなと思いましたね。
もちろん他にもいっぱいあるんですよ。
現在の農業の状況とか、
ビジネスとして農業ってどんなんだろうみたいなのがあるんですけど、
風始っぽいというかね、
社会に対するひとことあるよみたいなところは
読めてよかったなというふうに思います。
最後ですね、
儲けの数式とも言っているので、
久松さん、何でうまく事業をやっているんだろうというところで、
象徴的な一説があったのでそこをお伝えしますと、
惨めな範囲を逸脱しない。
他と競争をせず自分のファンに対してだけ売る。
そう聞くと所詮はスケールアップしないビジネスじゃないかと思う方も多いでしょう。
その通りです。
小さくて強い農業は好きなことを続けるために負けない戦略であって、
経営規模を拡大するための戦略ではありません。
まあいろいろあって、
コツコツ自分で広げていける商売のフィールドを
私は惨めな範囲と呼んでいます。
27:02
ということで、これが儲けの数式というかね、
負けないからくりかなというふうに思いますね。
今回もちょこちょこ言ってますけど、
小さい農業というかね、
規模の拡大を狙わない、
そういうことはこの本で随所に見られるんですけど、
それが端的にまとまっている部分かなというふうに思います。
特に象徴的なのは惨めな範囲ということです。
自分のやっている事業規模や事業領域を、
惨めな範囲って言い切れるっていうのはなかなかですよね。
ここら辺の力強さをやっぱり感じますね。
なかなか僕もね、自分がやっているのは惨めな範囲なんでとかは言えないですよね。
言えないし、僕の場合は結構規模は拡大していきたいなというモードがあるんですけど、
そこら辺、非常に気持ちの強さというかね、
自分が何をやるべきかというのが非常に分かっているということをこれで感じましたね。
規模が大きくしない分、多種多様な品種を、
自分が食べたいものをどんどん作っていくというモードでやっているようで、
それに対して多くのファンがいて、
そのファンの方々がみんな買ってくれていると。
このファンを増やしたり規模を増やしたりすると、
だんだん長尻が合わなくなってくるので、
今5000万規模って書いてありますけど、本人も。
その規模をずっと守っているというのが、
久松さんの儲けの数式なのかなというふうに思いました。
はい、ということで、
今日の地方経営者独白以上になります。
自分のね、後悔じゃないんですけど、
やれてなかったところを久松さんがやってくれてて、
突きつけられた感じはありますね。
今の事業は今の事業で続けつつ、
心のしこりというか、
引っかかりを自分なりにどうやって今後解消していって、
それをエネルギーにして、
事業に向けていくことが大事だなというふうに思いました。
ということで、皆さんもぜひ読んでください。
農家はもっと減っていいと。
結構盛りだくさんですね。
分厚い本です、内容量的にも。
ということで、以上になります。失礼します。
29:32

コメント

スクロール