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はい、みなさんおはようございます。このラジオでは、私、まっちゃんが自分の選択を信じて日常豊かに面白くおテーマに、片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分ゆるーくお話をしていきます。
掃除や片付け、朝活のお供にぜひ聞いてみてください。
はい、では今日の小話はですね、私は最近ね、ちょっとペットボトルがね、開けれないんですよ。ペットボトル開けたりとか、割り箸割ったりとか、温かいお茶碗持ったりとかが、ちょっと難しいんですね。今、皮膚が薄いので痛いんですよ。
でも私は今おじいちゃんと暮らしているので、おじいちゃんにペットボトル開けてもらったりするのを頼るのもどうかなと思いながら、必死でバスタオルかぶせてやってたんですけど、なんかちょっとめんどくさくなっちゃって、
昨日はね、あのじいやにペットボトル開けてくれないって言ったら、なんかめちゃくちゃ嬉しそうにね、やったるわーみたいな、普通のね、普通のちっちゃいペットボトルですよ。やったるわーって開けてドヤ顔ではいって渡してくれたんですよ。
そこで私は思ったんです、あの、頼るって相手に結構やっぱ喜びを与えるんだなって。
なんか私はこう、あんまり頼っちゃいけないと思って、目の前に人がいるのに、なんか意地になってね、バスタオルでこう無理矢理自分でペットボトルを開けてたんですけど、もっと早く頼ればよかったなと思って。
うん、今日はね、ちょっとそのお話をしようかなと思います。はい、では本題へどうぞ。
はい、では今日のテーマはですね、自分を認めて初めて人を認められるという話です。
今日の小話とちょっとつながっているんですけれども、あの人に嫉妬をする時とか、人に怒りを覚える時って、いろいろ種類はあると思うんですけど、
あのその中の一つに、自分に許可をしてないこと、自分に認めていないことを人が目の前でやったりとか、それを見せつけられるとイラッとするんですよ。
怒りを伴うんですよっていうお話です。
例えば私は結構時間に忙しい、違う間違えた、時間に厳しかった方なんですよ。
5分前集合というかも10分前集合ぐらいの人間で、クソ真面目なんですよね。
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宿題をやらなきゃいけないし、ルールを守らなきゃいけないし、いろんな自分の中でこうでなければいけないみたいなものは、子供の頃からね、親に仕付けられてとか生活する上でたくさんあるんですよ。
お寿司屋では寿司屋を頼まなきゃいけないとか、牛丼屋では牛丼を頼まなきゃいけないみたいなミニルールがたくさんあるんですね。
ただそれを破っている人が目の前にいると、自分は我慢しているのに相手はそれを堂々と破っているので、やっぱり怒りを生じるんですよ。
でもすごく理不尽ですよね。別に牛丼屋で何食べてもいいのに、牛丼屋でカレーを食べている人を見ると、私は昔は怒りを生じてたんです。
なんで牛丼屋でカレー食べるねみたいな。
今はないですよ。今はないですし、今は別に時間にもそんな結構ルーズになりましたけど、
それって自分に認めてないことを人がやってるから怒りを生じるんですよ。
だから自分にやってもいいんだよって許可を出してあげると、その相手に対するイライラとか怒りみたいなものは生じなくなるんですよね。
これに気づいたのは、あの確か嫌われる勇気を読んでた時だったと思うんですよね。
なんかそのアドラシー二学って結構有名で読んでいらっしゃる方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、
あの岸道郎さんの、岸道郎さんでしたっけ?の編集された本の中で書いてあったのが、
人間の悩みはすべて対人関係の悩みであるってアドラーが言ったって書いてあって、この文章って結構有名だと思うんですけど、
人間の皆さんが持っている悩みとか、私が持っている悩みはすべて人間と人間の間の悩みであるんですよということなんですけど、
アドランシー二学は、人の喜びとか幸せっていうのもやっぱり人と人との間に生まれるって書いてある、書いてるんですよね。
そう、だから悩みも人間同士だし、喜びもやっぱり人間同士の中で生まれると。
だから、傷つきたくなくて人から避けることもできるけど、でもやっぱり喜びも人の中に、人と人とのね、そのグループの中にやっぱりあるわけだから、
人の中に飛び込む勇気が我々には必要だと、私はその本から読み取ったわけですけれども、
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そう、それでね、人が幸せを実感できるとか喜びを実感できるっていうのは、人の役に立っていると感じているときなんですよね。
そう、あの私の小話に出てきたジーヤがまさにそうなんですけど、
あのジーヤはね、私、孫に役に立っているって思ったから、ペットボトルのフタを開けることによって、ジーヤはすごく幸せを実感してたような顔をしてたんですよ。
そう、で、それはなんだ、じゃあそれって人に依存するじゃんとか承認欲求が必要になってこないという話になるんですけど、
あのアドラさんが言ってたのは、相手がそう思うのではなくて、自分でそう感じることで人は喜びを感じるそうなんですよ。
わかりますか、あの自己満なんですよね、そう。
あの私が何か相手にして、相手があのすごく感謝したりとか、
あのなんだ、まっちゃんすごくあのやってくれてありがとうみたいななんか感謝をしたりとかすることで私が幸せを感じるのではなくて、
相手がどんな反応しようとも私が相手のために役に立っているって感じること、もう自己満ですよね、完全に自分の中で終わる話なんですけど、
それで人は幸せを実感できるそうなんですね、そう。
だからあの本の中にも書いてあったんですけど、他者は自分の期待を満たすために生きているわけではないので、
私が何かやって、相手が喜ぶことで私が幸せを得るわけじゃないんですよ。
その人は私の喜びを満たすために存在しているわけではないし、喜びを満たすために喜んでいるわけじゃないので、
相手がどう反応するかは、私は選べないしどうしようもないんですけど、ただ私が相手の役に立っているって、
勝手に思うんですよ、自分で、私なんか相手のために超役に立ってんじゃんみたいな、
もし相手がそう思ってなくてもですよ、そう。
その自己満で人は幸せを感じるって書いてあって、
ああ、なんか面白いなって思ったわけです。
これが今日のタイトルにもつながっているんですけど、
自分を認めて初めて人を認められるって話が、何でこれとつながっているかっていうことなんですけど、
自分の中でたくさんルールがあったりとか、自分の中で例えば当たり前だと思ってたり、
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自分が求めているレベルが高かったりすると、自分に許可を出せないんですよね。
これだけやっててすごい自分とか、相手のために役に立っているとか、
そういった自分への許可が出せないと、やっぱり幸せが実感しにくいなって思うし、
相手とか前の人に対してどっちかというと劣等感とか怒りとか、
何でそんなことをするのみたいな気持ちになることの方が多い気がするんですよね。
だから自分をまず認めてあげるのが大事なのかなって、
今日の小話の話で言ったら、私はまず自分にペットボトルを開けていいんだよって人に頼っていいんだぞと、
まず認めてあげて、それで人に頼るっていう行動ができますし、
私がねそのペットボトルを開けることすら人に頼ってはいけないんだっていう謎ルールを持ってたら、
例えば誰かがね私にこのペットボトルの蓋開けてくれないって頼った時に、
何でこんなことも自分でできるのって思っちゃうじゃないですか。
自分に認めてないから相手がその行為をした時にイラッとするんですよね。
ペットボトルの蓋ぐらい自分で開けろよみたいな感じで思うので、
やっぱり自分を認めてあげて、自分に許可をしてあげて、
初めて人を認められたりとか、人の行動を許可してあげるって言い方おかしいですけど、
許可してあげれるんじゃないかなと思いました。
それでその上でやっぱり人の役に立っているって感じることで、
人間は幸せを感じるんじゃないかなと思います。
全然大きなことじゃなくてもね、
なんかそのペットボトルの蓋を開けることだけで、
客観的に見て幸せそうだなっていう顔を私の爺はしてたから、
本当にそんなちっちゃなことでも人ってやっぱり喜びを得られるんですよね。
これがすごい行き着くとこまで行き着くと、やっぱり人間は生きているだけで、
存在しているだけで、人に幸せを与えられているんですよ。
もちろん一人きりで生きてたら与えられないんですけど、
グループに所属してたりとか、他の人と関わりを持っている人であれば、
やはり存在しているだけで、人に喜びを与えることができるので、
やっぱり人間は生きているだけでも価値があるし、
生きているだけでも幸せを実感することができるんだなと思います。
というわけで、今日のテーマはですね、
自分を認めて初めて人を認められるというタイトルでした。
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今日は片付けというよりかは、私の日々の学びについてお話をしました。
ではここまで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ではでは、良い一日をお過ごしください。