皆さん、こんばんは。あした使える聴くネタ帳 | マーケターの真夜中ラジオの時間です。
この番組は、アラフォーマーケター2人が最近気になるトピックを取り上げ、それぞれのマーケ感で掘り下げていきます。
スタートアップの思いを文化に変える戦略マーケターチーム、株式会社エールコネクト代表の宮本です。よろしくお願いします。
淡路市までコピーライターがやってます。ジンボーです。よろしくお願いします。
さて、今日のテーマは、推し消費のキャンバスとなる商品戦略。
自分探しの終着点は推しへの没入の先にありです。このテーマ、取り上げた理由は何なんでしょう。
最近の回でもちょっと話した通り、日本は過大先進国と言われていまして、世界一の長寿国でGDPは世界4位にも関わらず、
日本人の幸福度は、OECD36カ国中21位。
いまいち感が拭えないというか、めちゃくちゃ不幸社会なわけですけど。
民族的なものもあるので、主観的な幸福度だから、そもそも苦労症なマインドを持っているし、ネガティブバイアスが強めなんですよね。
だから基本的に心配症なんですよ、みたいな話なので、そういうところはあります。
あとは同調圧力がエグいから、ちょっとでもちょっと浮ついたようなことを言ったり、やったりすると引き戻されるみたいなこともあります。
なかなか幸せになりにくい国ではありますね、というところですね。
そこへ来て、個性だ、ワークライフバランスだと、一見良さそうなんだけど、実現不可能な無理芸を押し付けられてきて、
理想がタイトすればするほど反比例するように幸福度が低下する、みたいなデータを以前、八甲堂生活研究所のデータでも見たと思いますけど、
そういう構造になっているということですよね。
なので、個性だ、ワークライフバランスだを実現できれば一定の幸福度は上がるかもしれないけど、みたいなところですよね。
ワークライフバランスは、そもそも1日の24時間のうちの10時間とか12時間働いている中で、そもそも無理芸でしょって話があるので、
ここは一旦置いておいて、個性ですよね。解決しがたい、手こずっているところは。
なので、その個性を探すプロセス、自分探しってやつですよね。
30年、25年くらい前からみなさんやってますけどね。
これがみなさんも手こずっているので、ここを押し勝つでなんとか解決できないかな、みたいな発想、アプローチを今回は考えている感じですかね。
自分探しとかっていうのが本格的に言われ始めて、中田氏が海外に行って、未だに中田氏も自分を探していない気もしますが、みたいな、2000年代前半ですね。
自分探しブームの時、スマップとマキアラの売り行きがね、個性っていうのはナンバーワンではなくオンリーワンであるという歌を歌いましたね。
世界に一つだけの花でしたっけ。
一世風靡しました。あれ2003年なんですけど、あれは個性の一個を見事な概念的整理だなと思ったんですよね。ナンバーワンじゃなくてオンリーワンなんだよっていうのはね。
しかし何も起こらなかった状態、今となっては。
オンリーワンも難しいからね。
そうなんだよね。
ある意味で言うと全ての人がオンリーワンではある。それぞれ違うからね。オンリーワンであるけど。
でもこのオンリーワンってただ違うだけじゃなくて、歌の中ではオンリーワンでいいって言ってるけど、違うけど他の自分は自分でいいのであるっていう自己肯定感がこれには裏打ちされてるからね。
そうなんだよね。
そのメッセージを発してる人たちは、かとり君だったり、きむら君だったり、稲垣君だったりしたわけじゃん。それはオンリーワンですよね。
オンリーワンだよね。それはオンリーワンだよ。
たしかにナンバーワンではないかもしれない。
たしかにきむらたくやがいるからナンバーワンではないかもしれないけど、彼らはオンリーワンですよ間違いなくね。
いざ感動してテレビをオフにして自分の顔を見てどういうことだったんだっけ。
オンリーワンかなこれみたいな。
個性ってなんだっけみたいな。
そう思っちゃうよね。
そういう感じになったんでしょうね。
土地狂って自分を探すためにみんなだいたいインドに行ったじゃないですか。
あれなんなんでしょうね。インドに行くと。
僕も初海外でインドに行ったんですけど。
初海外で行ったの?
初海外でインドに行ったんですよ。アイセック君の時に。
インドって常識が通じない国なんですよね。
こんなことあるみたいな。電車が普通に8時間遅れたりするとか。
全然普通にあるし。
普通に旅行してるだけでタージマハルで財布されたりとかさ。
そういうことが普通にある道端で寝てる人もめちゃくちゃたくさんいるし。
そういうあまりにも日本と違うことを見てこんな日本人の私でもいいんだって思うからなのか。
インドに行くっていうのは確かに自分探しの一つのツール的な感じはあるっちゃいますね。
インドが極端な国なので自分を相対的に見つける可能性が他の単なるリゾート的な海外旅行に比べるとあるし。
若い頃はああいうところに行ったら何かしら感じるものもあるかもしれないねっていうところかと思いますけど。
現実行くと激しい下痢で自分探しどころじゃないみたいな日常も日本人は結構あったりすると。
僕の友達も帰ってきて2週間ぐらい入院してましたね。何かに当たったのか。
そうだよね。インドに行っても自分探してた人に会ったことはないですなーっていう。
確かにインドに行って自分見つけてきましたって人に会ったことはないね。
ないよね。見つかったら帰ってこないかもしれないね。
ああそういうこと。それはそれで心配やね。
インドブームは聞こえたんですけど、その頃ブログとかSNSも生まれたので、
そういうのを世界に発信したりとか。
今でいうとジャーナリング的な感じで自分の考えていることとかを綴ったりとか発信したりしてもやっぱり何も見つからなかったわけですよね。
やっぱり遠い外とか世界とかネット空間とかに何かを求めてもやっぱり何も見つからないわけですよね。
ということを多分Twitterの青い鳥、昔シンボルは青い鳥だったんですけど。
懐かしいね。知らない人もたくさんいると思うけど。
いるのかな。
全然いるでしょう。システムダウンするときは鯨が出てきてね、とかあったけど。
あれはずるいよね。あれは許せちゃうもんね。
2013年、2010年ぐらいの時ですね。
鳥がさ、鯨を釣って飛んでんだよ。そりゃ重いよね。
そりゃ重いよ。
あの青い鳥は探し物はそういう世界とかインドとかネット空間とかにはないんだよって。
自分の中にあるよっていう真実を示唆してくれていたのかもしれないなと今となって思いますよね。
知らんけど。
ただ一個当たり前の話なんですけど、世界を歩き回っても探してる自分っていうのはやっぱり自分の中にもともとあるわけですよね。
スマップももともと特別なオリバントを断言しちゃうように中にあるんですよ。
だからそれをどう引き出すかって話で、インドっていう職場をして引き出すか。
何かしら他のことで引き出すかみたいなところはあるかなと思うんですよね。
でもその中でやっぱり難しいのって、自分は何だろう、自分は何だろう、俺は何だろうって自分自分を見てても多分本当の自分って見えづらいと思うんですよ。
なので一個視点を外して他者を見るとかね、世界を見るとか、一個視点外しをすることと外したけじゃなくてそこに行って没入をする。
でしばらく自分を忘れてみるみたいなことが結果的に自分が見えてくるきっかけになることかもしれないなと思っていて。
っていう意味で僕の最近シリーズでもあるんですけど、推し勝つの話をしてるんですけど、他者としての推しの没入ですね。
これがこれまで日本人ができなかった自分探しの解決策の一個になるんじゃないかみたいな仮説的なことで考えてみたんですよね。
その中ではやっぱり推し勝つというのは多分に宗教的な行為でもあるし、多分に社会学的な法説的なところでのアイデンティティ確立とかそのあたりの話もあるし、
あとは前回も話した自己表現的な話もあるので、結構全て包括されているので意外とこの推し勝つを通じて、
これまでできてなかった自分探しの結論みたいな、自分を探すみたいなところもできるのではないかみたいなところを今回は考察をしたいなという感じで、
そこに紐づけたマーケティングとかそのあたりのアイデア、今流行っているところも受けているところも含めてご紹介をしたいなと思ってますという感じですね。
本編先に収録していますが宮本さん的に今回の内容はどのあたりで明日使える聞くネタになりそうですか?
前回もちょっと話していたメリハリ消費みたいな形で、僕らの消費行動って安ければ何でもいいけど、
でもないと困るインフラとか電気とかガスとかもそうだけど、別にそこに質は求めないけど必要だから買っているものっていうものと、
自分が好きだからこだわりを持って買っている、それは世帯年収とかに関係なく好きだったら世帯年収が低くてもそれにお金を投資するみたいな、
そういう消費の2つがあると思っていて、やっぱり一つ目指すべきものとしては、そういう好きなものになってくれるとたくさん消費をしてくれるので、
すごくマーケティング的には良いだろうなと思った時に、推し活ってその代表例だと思うんですよね。
別に例えばアイドルの推しであった時に推し活しなくても別に全然良いというか、そのアイドルの音楽は聴けるし、
ライブに行くぐらいだったら別にそこまであれだけれども、例えば内輪を買うとか、今回の例で出した推し団を作るとか、
推しのために服を買うとかって、ある意味途中から不必要な動作じゃないですか。
普通にアイドルの音楽を聴き、ライブに行くだけでいいのに、どんどんグッズを買いSNSに発信をしみたいな、
そういうアクションまで作り出しているって、すごいパワーを持っていると思うんですよね。
なぜ推し活はそれができるのかっていうところを、今回推しというものを、
例えば宗教的なものとかでいろいろ分解をして考えていったことで、
こういう構造によって人がハマることができるんだってことを考えるきっかけになったのが良かったかなと思いましたね。
宗教的なものでいくと人間本質的なところですよね。
日本人は宗教的なものは基本的に多くの人に満たされていなかったので、
仏教とか9割くらいですけど、ほぼ葬式仏教だから、日常には仏教根付いていなかったわけで、
そこの宗教的な支えがほぼない社会の中で、うつ病とか多かったわけだよね。
アイデンティティも少ないし、だからこそ同調圧力とかに負けちゃうわけだよね。
私はこれなんだっていうのがないから、ちょっと個がないとか、プレッシャーに弱かったりとかね。
自分自身が弱かったわけですよね。
それが最近は徐々に解消されているというか、私はこれなんだっていうのが持てるようになってきている。
逆に外国人よりプレッシャーに強い選手多いよね、大谷翔平とかも含めて。
そういう感じもしてきているけど、徐々に変わってきている。
その一つの処方箋になったのは、推しとか自分の好きな世界とか、自分の好きな尊敬するものとか、これなんだみたいな。
そこに準拠した時に自分はこうなんだみたいなポリシーが立つみたいなのはあると思うんですよね。
その辺りが結構現代の処方箋であり、日本人の対する処方箋であったような気はするかなと思いますよね。
確かに。これまでと違う視点で消費生活者の視点とか推し勝つとかを見れるのは面白いですね。
推し勝つ消費は強いんだけど、メリハリやっぱり効いてるらしくて、別社を推し勝つに投下する人もいるけど、
推し勝つする人が増えてるから、人口の6割7割がやってるから、一般的には推し勝つがメジャーになった割には推し勝つ消費は増えてないらしいんだよね。
だいたい1ヶ月3000以内とかの人が多くて、だから過処分所得ではなく過処分精神とか過処分意識とか、そっちを投下する方が多いみたいですね。
なるほどね。サンリオの時に取り上げた寄り添い時間ですね。
そうそう。寄り添い時間。
没入時間じゃなくてね。
それはそうかも。
みたいなこともあるみたいですね。
この辺りはマーケティングとか消費文脈的に掘り下げていくと面白いテーマかなと思ってます。
それでは本編ぜひ聞いてみてください。
はい。本編は約40分あります。
途中で聞けなくなった時のためにもここでポッドキャストをフォローしておくと便利です。
それでは行ってみましょう。
さて、じんもさんの今週のピックアップ。テーマはこちら。
推し消費のキャンバスとなる商品戦略。
自分探しの終着点は推しへの没入の先にありです。
さあどんな内容なんでしょう。
オープニングでもお話した通り、今回は推し勝つを通して自分探しの終着点に至りましょうみたいなことなんですけど。
自分探しの矛盾点というか、みんなが自分探せなかった理由は探した人もいるかもしれないんだけど。
やっぱりマジ勝ちで自分を探すと自分が見つからないという問題があったかなと思うんですね。
普通に仕事をやっててアイデアを考える時とかもそうだと思うんですけど。
机の上でうんうんめっちゃ唸ってても全然出てこなかったみたいな回が。
明日にしようとかって諦めて外出たり買い物行ったりしてる時にパッと出てくるみたいなことが結構あると思うんですよね。
なんかそんな感じかなと思って。
何かを見つけるためにはマジ勝ちでそこをずっと凝視するんじゃなくて、一旦そこから視点を離してみるっていうことが大事で。
これって僕は神様は裏技大好きだと思うから、これも一個の人間に敷われている裏技の一個だと思うんだけど、
悩ましくも面白い人間ならではの特性かなと思うんだよね。
だからマジ勝ちで追求しすぎないことの重要性というか、視点を他に振った時に本当に見たかったものが急に見えるみたいなことってあると思うんですよね。
これ自分探しについても同じで、多くの人は多分若い頃だいたい自分探しをすると思うんですけど、その間は見つからなくてですね。
でもそうこうしているうちに子供が生まれたりして自然と自分自分じゃなくて息子とか娘とかに視点が外れていくわけですよね。
何かしら自分に似た他者を、子供を見つめる中で、ふとした瞬間とかにあの頃探し求めていた自分らしさの断片が見つかるみたいな、そんなもんかなと思うんですよね。
山本さんもそんなことはありますか?
あれも不思議ですよね。必死で考えている時にはそのまま出てこなくて、ふと一歩下がると、アイデアもそうだし、特に自分探しもそうですよね。
自分探しってゴールとしては自分がワクワクしたりとか、これめっちゃやりたいと思うものに出会うってことだと思うんですけど、
でもそれって自分の内側から湧き出すものであって、作れるものじゃないっていうか出会うもの?エンカウントするものみたいな感覚があって、
そうするとやっぱり自分で考えて自分の発想の中にあるものからは生まれなくて、何かの瞬間にふと出会って、そういえばみたいなものな気がしますね。
僕も社交ダンス最近よく話題に出しますが、3年前ぐらいにふと思い出してやってハマったぐらいだから、もっと早く思いついといてもおかしくないし、
でもあの瞬間にふと思い出してやったらハマったみたいな感じだから、不思議なもんではありますね。
そうね、何かのきっかけを元にパーンと吹き出すものなんだよね。ただ吹き出すのは自分の中から吹き出すものだから、もともと自分の中にはずっとあるものなんだよね。
だからいかに吹き出せるかみたいな話だと思うんだけど、それはやっぱり自分自分自分を放ってもしょうがなくてみたいな話かなと思いますよね。
そうですね、確かに。
っていうところで、一定その自分探しをするためには、成功するためには、一旦自分から視点を離さないといけないっていうところが大事かなと思って。
話すって言ってもその簡単には話せることができないので、そこの一個の処方箋というか、現代における手軽な方法としては、教えの没入点一個あるかなと思ってるんですね。
なるほど。
この推しに没入できるということは、それが自分のアイデンティティーになっていく。
そうですね、アイデンティティーになるきっかけをつかむぐらいの感じかなっていうところかと思います。
子育てで子どもがいなければできないものでもなくて、子どもがいなくても推し活はできるわけなので、
だから自分ではなく自分以外の没入できる他者に視点を移すことで、しばし自分を忘れるっていう体験が結構必要で、
例えばアイドルとかアーティストとかであれば、自分大好きな曲とかビートとかパフォーマンスとか表情とか全部ある中に浸っていけるので、
そのライブを見ている間は純粋に人間の真善美の世界に触れることができるんですよね。
なのでそこで一旦自分から理想、ある意味自分の理想を投射した存在に没入していくと。
で、ライブが終わりふとスポットライトが落ちますよね。
その時に何かの自分が取り残されるわけですね。
その残っている自分が割と純粋な自分が残っていることに気づくというか、
あーじゃこうじゃ考えたりとか、自分ってなんだろう、俺は俺はっていう、
俺モードから解放された何かしら気持ちのいい自分が残っているみたいな。
あの頃の。
何の頃の?
何か純粋な何かが感じるってことはあると思うんですよね。
そういう体験なのかなと思うということですね。
なるほどね。
子育てで言うと、子育てって強制的に忙しくさせられるというか、
一定子供が小さい頃って、子供を放っておいて自分休憩するみたいなのが一定許されない時期とかあるから、
子育てというものに時間も取られて忙しいけれども、
それをやっていくことによって自分探しとか言ってられなくもなるし、
一定自分と距離を置けるというか、忙しくなるからね。
お飾ろうえなくなるとか。
そうだね。
親にとっての子供はアイドルだからね。
まあそうだね。
没入をするわけですよね。
そうだね。圧倒的な。
俺別に子供が生まれるまで子供、世の中一般の子供に対して可愛いとか思ったことなかったけど、
自分の子が生まれると可愛いと思うもんね。
そうだろうね。
不思議な感覚だね。
前も話したと思うけど、動物園なんて行っても面白くなかったけど、
子供と一緒に行くとさ、子供がキリン見て反応するのを見て自分が楽しいからね。
そうだね。そういう意味では、再起的に動物園の楽しみ方を学んでるわけだね。
そうそう、学んでる。
そこでびっくりするんだとか、
この間も美術館に行ったけど、
どの絵が一番好きだったって聞いたら、アスパラガスの絵が好きだったりするわけよね。
ちょっと大人の感覚じゃないけど、
アスパラガスの絵、これどこが良かったと思ったみたいなのを聞くのとかもね、それだけでも面白いから。
やっぱり自分にない発想の存在が近くにいるっていうのは、それだけで面白いよね。
だから、宇宙人みたいなもんじゃない?子供って。
まあまあ、そうそうそうだね。
子供は割と真っさらな状態で地球を学習していくから、
やっぱりそうか、世界は自分のバイアスが取り払われていく感覚があるんだろうなって思う。
映画とかドラマとかでも、AIとかロボットがさ、スタートレックでいうスポックとかデータとか、
ああいう万能なAIが出てくるんだけど、
ああいう人たちの視点を通して人間とは何かとかを、改めて人間が学んでいくみたいなことって結構あると思うんだよね。
だからああいう純粋な視点というか、自分とは違う視点を多分学べるのが、
まあ小空でも結構そういうところがあるんだろうなって想像はしてますよね。
確かに。
だからまあ、推し勝つによってそういうね、自分自分自分ではない視点に自然にずれるっていうのは一個いいのと、
あともう一個いいのが、割と日本人とか特になかなか巡り会えない体験ですけど、
宗教的な体験でもあるかなと思ってて、ライブとかね。
アイドルって偶像っていう意味なんで、別に歌って踊ってるだけで歌作ってるのは別の人だったりもするしみたいなところもあるからね。
だからアイドル自体に何かすごいものがあるわけでもないんだけども、
まあそういうものをファンだよね、同志と一緒に熱狂的に、統制的に推すっていう行為自体がめちゃくちゃ宗教的なんですよね。
なので、推し勝つって不教・お布施・財系・巡礼・祭壇みたいな宗教用語が割と直流的に当てはめることが多いんですよね。
えー、財系とかもあるんだ。
財系はそうそうそう、だから僕のビッシュみたいなもんで、家で推すってことだよね。
あーなるほど、ライブ会場に行くのではなく。
ライブ会場に行くのではなく、通信教育で空手をマスターするみたいな感じのやつ。
財系って言うんだ、そうなんだ。
ちゃんと現地に行く人は出家とか言われて、ビッシュで言うと清掃員って、ビッシュってブランニュアイドルシットなんで、
はき散らかすわけね、汚いものね。
それを清掃員って言われるのよ、ファンは。
だからきれいに清める人たちの片付け屋さんが行くんだけど、僕は清掃員の資格はないんですよね、一度も行ってもないからね。
へー、そうなんだ。
財系、巡礼はだから各地のライブに回るってことだよね。
祭壇はだから自分の家にお仕方グッズを飾るっていうことね。
確かにそうだね、職業がハマってるね。
めちゃめちゃ職業的にハマってるんだよね。何のひねりもない、職業でハマるみたいな。
あらゆる構造で対象する言葉があるみたいなところも結構、だから似てるんだろうねっていう感じはするよね。
だから人間の原理原則に多分今のアイドル押し勝つのハマってるから必要とされてるというかブーストしてると思うんだよね。
なので現代において押し勝つっていうのは日本人にはこれまでかけていた宗教行為をカジュアルダウンしたもの。
それを宗教で得られていたものがカジュアルに享受できるものとしてなんか来てるんじゃないかなと思うんですよね。
だからここに宗教もある意味、現世の何かしら欠落の埋め合わせなので、
押し勝つも何かしら現世の埋め合わせとして使えるのではないか。
アイドルとか何かしらの倒水をきっかけにして、
自分自分自分では至れなかったところに意外と簡単に至れたりもするのかもしれないみたいなところがあるのかなと思ってる感じですね。
まあでも没入できるものが一個あるだけで日々の時間の過ごし方が変わってきますもんね。
そうですよね。
なんかねついついたらだらだらとyoutube見たりとかソーシャルゲームやってるのに比べたら
子供アイドルが好きで次のライブ楽しみだなっていうのがあるだけでも人生の豊かさは高い気がするけどな。
あとは何かしらちょっとネガなモードを選んだときにこの曲を聴いたら絶対にリセットできるみたいなものがあれば
まあなんか切り替えというかポジテンがしやすくなるっていうのもあると思うんだよね。
だからまあ今はyoutubeとか何でもあるしDVDでもあるけど気軽にそういうのがしやすいので
テレビの画面も大きくなってるのでね。
非常に良いのではないかなと思いますよね。
もしかつはまあそういう意味で言うとだから自分と違う他社に没入していく良さもあるんですが
もう一個いいのはアイドルと自分と一対一の関係だけではなくて仲間ですよね。
同じ宗派を信じる仲間がいっぱいいるわけですよ。
ファンね。
僕で行くと昔は電波組とかのライブとかにもよく行ってましたけど
電波組のファンとかってめちゃくちゃ公務員とか多いんですよね。
ああそうなんだ。
すごいちゃんとしてるわけ。真面目に。
電波組のファンだなって思うと安心感がすごいあるというか信頼感があるというか
だから電波組もステージからどんどん降りてくるわけね。
本当に目の前までバンバン来るんだけど
結構デカい幕張メッセとかでも普通に来るんだけど
それぐらい信頼関係もあるし
ファンも俺たちは変なことしないっていう
プライドとお互いに対する信頼があるっていう
そこの絶妙な中あるわけですよ。脳も保たれてるわけ。
手伸ばして触ったりする人とかいない?
中にはいるかもしれないけど
基本的にはすごい少ないと思う。いないと思う。
そういう感じなんだ。
だから仲間の前ではダサいことしたくないみたいなのもあるじゃないですか。
そういうのもあると思うけどね。
やっぱり推してる人同士も仲間なんで
マナーというかね。そういうのはあるよねっていう感じがするね。
だからその仲間と思える人たちと一緒に
だからアイドルっていうのは
今の色分けされているアイドルの衣装とか見るとわかるけど
美子さんの衣装をちょっと派手にした感じなんですよね。
なんでなんか宗教的な感じがするんだよね。
美子が待ってる感じに見えるんですよ。
なるほど。
何かしらの御本尊の前で美子が待ってるような
神道的な感じに見えるわけ。
仲間と一緒にサイリウムって名付けられた
あれってライトセイバーの短いやつだと思うんだけど
見た目は確かにそうだね。
ライトセイバーでした。どう見てもね。
ちょっとちっちゃい気がするけどね。
肩かわいいにはしづらいそうだけど。
そうそうそう。
みたいな感じのものをぶん回して
多分曲中は闇なんで
みんなで一緒に何かを打ち破ってる感じのメタファーなんですけど
そんな体験を一緒にするっていうのがいいから
やっぱり誰かにボットにするのはもちろんだけど
仲間と一緒に何かをやるみたいな
そういう共通体験みたいなのを同時に得られるのが
推し活の熱いところなんじゃないかなと思うんですよね。
なるほどね。
これやっぱりSNSの普及と推し活の発展も
影響があるのかな。
推し活って別にSNS普及前
嵐とかV6とかそういう頃からあるにはあったけど
でも当時はそこまで市民権を得てないというか
好きな人いるよね、私は違うけどみたいな感じだったけど
今最近はより受け入れられてる気がして
それはSNSの影響でそういう人がたくさんいることがわかるし
この仲間同士のこと
例えば昔だったらDVDとかを見て
嵐とかV6を見ることはできたけれども
ファンの投稿を見ることはできなかったけれども
今SNSの普及とかでファンの反応とかを見ることで
ファンと一緒に楽しむみたいな時間を
常に作ることができるっていう
この宗派を信じる仲間とのコミュニケーションができるのが
昔よりよりSNSによって
推し活が普及しているっていう部分もある気がしますね
そうだね
好きな理由をお互い言い交わすことで
やっぱり好きな理由は増えていくんだと思うんだよね
確信が高まる
自分は自分でこうだっていうと
発信している自分自身の行為自体がフィードバックして
自分の確信にまた戻ってくると思うんだよね
なのでそういう装置にもなってるんだろうね
推し活SNSの中でやりやすいというか
例えば歴史好きとかでSNSで発信するよりも
アイドル好きでSNSで発信した方が絶対いいねつくもん
自己肯定が上がりそう
映像的なものとか反復的なビートとかあった方が
やっぱり盛り上がりやすいんだろうね
宗教とか必ずね
仏教だと黙業だし
ビート結構大事だねとか
クリスチャンもサンビーカーとか歌うしね
確かにアイドルって歌うね
アイドルはそうね
曲で繋がるよねやっぱね
そうかダンスだけっていうアイドルもあんまりいないし