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2026-03-13 27:01

ローゼンハン実験の余波:DSM革命と精神医学の科学化

伝説の心理学実験は、本当に事実だったのか。
1973年に発表された「ローゼンハン実験」は、精神科医療の信頼性に疑問を投げかけ、精神医学を大きく動かしました。本エピソードでは、この事件が引き起こしたDSMによる操作的診断基準の誕生、患者の自己決定権の拡大、脱施設化政策の背景を解説します。さらに2019年に浮上した実験データの信憑性をめぐる議論にも触れ、現代の精神科医がどのように誤診と向き合いながら診療しているのかを語ります。歴史的論争から、現代臨床のリアルを読み解きます。

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サマリー

1973年のローゼンハン実験は、精神医学の診断の信頼性に疑問を投げかけ、社会全体に大きな影響を与えました。この実験を受けて、精神医学は診断基準の操作化を進め、DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の改訂につながりました。これにより、研究や臨床における診断の客観性が向上しましたが、一方で患者の自己決定権の拡大や脱施設化政策の背景ともなりました。 しかし、2019年にはローゼンハン実験のデータの信憑性自体に疑問が呈され、実験の倫理的な問題や正確性についても議論がなされています。現代の精神科医療では、誤診は避けられない現実として認識しつつも、患者との信頼関係を築きながら、より正確な診断と治療を目指す努力が続けられています。精神科医は、患者の人生や特性を包括的に理解し、時間をかけて丁寧に関わっていくことが求められています。

ローゼンハン実験の影響:DSM革命と診断基準の操作化
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。精神科専門医30年、医学博士で現在開業医のマリモ等。
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業を承継していて、もう一つ、社会人サッカークラブの運営もしている桜がお送りします。
ローゼンハン実験。精神科偽患者実験の話です。
これ、すごく気になる。
ありがとうございます。
業界的には、わりと有名というか、なんとなく伝説になっているような話なんですけど、
はい。
まあ、それちょっと今回、紐解いてみようかなって思います。
はい。
前回の続きからお送りします。
ローゼンハン実験が与えた影響というのを見ていきたいと思います。
はい。
精神医学科医だけではなくて、医学科医全般とか社会にも影響を与えています。
精神医学の診断の信頼性っていうのはですね、やっぱり一般の方に分かる形で表したんですよね。
そうですね。
これは医者の主観で診断してるんじゃねえかっていう圧力をですね、社会から受けることになるわけですよ。
はい。
実際、この典型的な症例かどうかの判断っていうのが、
はい。
医者の経験だったりとか、主観だったりに頼らざる応援のところも実際あったので、
はい。
それも含めてちょっと問題かなって言われることがあって、
1980年代に起こるDSM革命って言われるような、打ち返すにはどうすればいいんだろうっていうので、
この操作的診断基準っていうのができたのが一つと言われています。
なるほど。
ただね、この老前半の臨床的な話だけじゃなくて、
はい。
研究の問題もあったみたいですね。
おお。
精神医学を何とか測定して判断したいって、精神医学者とか科学者は常々思ってたわけですよ。
つまり精神疾患を何とか科学に載せれないか。
それには測らないといけないっていうことで、
例えば脳の画像だったりとか血液だったりとか、いろんなところで測定はしていくんですよ。
はい。
その中で大きな問題が出てきて、
うん。
それはつまり診断が一斉編っていうことなんですよ。
うん。
同じ病気、例えば統合症症の人の脳の画像を集めてきましたっていうことで、
それを100例、200例、1000例、1万例集めてくるんですけど、
その診断が実は違うんちゃうかって言われたら、
おかしい話になってきてね、そもそも。
そうでしょうね。
この診断自体がどうも精神科医の診断っていうのが
当てにならないのが違うかっていうことになって、
これをどないか統一しないといけないねっていうことにもなって、
この操作的診断基準っていうのも出てきました。
だから症状がいくつあって、どのくらいの期間があって、
これとこれとこれとこれを満たせばこの診断にするっていうふうに決めちゃうんですよね。
はいはい。
それが本当の統合指標症であろうとなかろうと、
とりあえずDSMで決めた診断基準によるとこうですよっていうふうに言うと、
一応そうだなっていうことで研究が進むということになったと言われてますね。
はい。スケールができたんですね。
一応それができたということになります。
だから主に初めはこの研究の場面でDSMを使ってたんですけど、
でも徐々にそれが臨床の場面でもやっぱりしっかり使った方がいいのと違うかということで、
臨床の場面でもこの操作的診断基準っていうのを使っていくことになります。
精神科病院の改善と医学全体への波及
で、診断だけじゃなくてやっぱり精神科病院でもやっぱり問題でしたよねっていうことになって、
しっかり精神科病院で観察記録っていうのを書かないといけないし、
それが書くようなスタッフの教育も必要だし、
で、退院するっていうプロセスですね。
どんな風になったら退院させようかっていうようなことを決めましょうという、
精神科病院の中の議論というのも高まったと言われています。
はい。
ということで良い反面があったんですけれども、逆にですね、
医学っていうのはちょっと権威的なところがあるので、
外の人から言われたことに関してなんやそれはおかしいみたいなことで反発する動きもあったとも言われてるんですけども、
でも長い目で見ると一応そういう改善する方向にも進んだんかなって言われてますね。
で、医学全体としてはどういうことか、どういうことに影響があったかっていうと、
精神医学の診断が社会的な文脈で左右されるよっていうことは、
他の医療分野でもあるんと違うかって言われてて、
それを結構言われることが出てきたんですよ。
はい。
例えば、今はあんまりないけど、例えば妊娠症とかね、
慢性糖通とか、心因性とされるような、
そういう病気って、ちょっと気持ち的なものが入ってるよね、精神的なものが入ってるよねって考えられたら、
精神医学以外の医学の中ではね、
ちょっと違うように考えられてたというか、
純粋に体の医学を見るんじゃなくて、
この患者さんは精神的にこんな風に言ってるだけっていうことに関して言うと、
正しくそういうものとして扱わない。
医療的にきっちり入院させたりとか治療したりとかっていうことを控える傾向があるんと違うか、
実際そういうのがあったんと違うかっていうような意見というかもあったと言われてます。
実際あるしね。
そうでしょうね。
全てですね、見てる先生方の偏見が全てだとは思わないんです。
実際それを委託に至った理由っていうのも、実際の先生方にはあると思うんでね。
患者さんのそういった気持ちに沿おうとしたけれども、そのおかげで偉い目にあったっていうお医者さんもたくさんいてるから、
こういう病名がある患者さんについてのやり方っていうのが、
ちょっとそういうのがない患者さんに比べて違うっていうことはわかるんですけれども、
それも含めて、医療としては正しくしないといけないよねっていうことになるかなと思うんですけどね。
でもね、お医者さんも人間なんで難しいですよね。
そこも含めて進歩しないといけないなと思うんですけどね。
心因性の発作ってよくあるんですけどね。
気持ちのせいで体の病気みたいな症状が出るっていうことがあるんですよ。
これ、心因性の発作ってよく言われるんですけど、
この心因性の発作っていうのも、患者さん自身がしんどいのは事実だし、
体に原因がないとしても気持ちに原因があって発作が起こっているわけなので、
それは心因性の発作として対応するのが正しいって、もちろんそうなんですけどね。
でも一時ですね、この心因性の発作を見た身体科の先生がですね、
これを偽発作っていうこととかってあったんですよ。
つまり偽りの発作ってね。
嘘ですよという扱いをしてた時期っていうのがあるんですね。
偽りっていうのは、つまり身体的な原因がないっていう意味なんですけど、
身体的な原因はなくても精神的な原因があるので、
医学的には偽発作っていうのはちょっと間違いなんですけれど、
っていうような言葉もあったりして、
例えばそういったことっていうのが一般医学の中でもあったから、
そういう社会的な文脈っていうのをやっぱり正しい方向にしましょうみたいなことになったかもしれないね。
患者の権利拡大と脱施設化政策
でもこれ、本当に偽発作っていうか、偽ですよみたいなことはないんですか?現場で。
現場ではないことはないとは思うんですよ。
つまりこの病気であろうとすることで、その方が利益を得る。
例えば逮捕されたときに、そこから逃れるために発作のようなことになってしまうっていうことに関して言うと、
そういうのは作業と言われるもので、明確な意図があってすることっていうのは嘘の行為ですよね。
そういうものはあり得ますよね。
ただ、多くの場合はそうではなくて、
無意識にそんなことが起こってしまうっていうのが気持ちの場合で起こっているっていうのは多いかな。
子どもにも現れている、朝あなた起きられないってやつですよね。
それですよね。
その気持ちのメッセージとして、体の症状として出てくるっていうことはあることかな。よくあることですよね。
でもこれは、体の症状として現れたけれども、気持ちの症状としてのいうことなので、
偽発作というのはちょっと事実と違うかなっていうことですよね。
そこの区別ですね。したいところからということですね。
患者の権利っていうのを拡大していきましょうっていうことの動きは出てきました。
医療の中で患者さんの自己決定ですよね。
こういうのをしっかり確認するということとか、
そのためにはインフォームドコンセントって言ってしっかり説明して、
同意を得て治療していきましょうっていうこととか。
あるいは強制治療というのが精神学を代表として、
患者さんの意味に反してやるという治療があるんですけれども、
これは最低限にしないといけないよねっていうふうになってきた。
これが1970年代以降、それが拡大してきたかなと思うんですけどね。
これも老前派の実験も一つになったと思うんですよ。
その権威の方をあまり権威に信じたらダメですよっていうこともあったのでね。
あと医療だけじゃなくて、もっと社会的にもこの実験って大きな影響があったって言われてるんですけど、
これあんまりプラスじゃないんですけどね。
この精神科病院、昔は精神病院と言ってましたけども、
この精神病院というのは危険な場所だっていうような社会的なイメージですね。
これを固定したりとか、
あるいは精神科っていうのは誤診するし、人間を見ないし、入ったら出れないよっていうイメージがですね、
割と拡大していったっていうことになったんかなっていうところもあるんですけどね。
確かにありましたよね。私小さい時そんなイメージあった。
ありましたよね。あまり身近じゃないしね。
こういったちょっと否定的な話が入ってくると、どうしても増幅されてきますかね。
そうですね。わからんことやからね。
あともう一個ですね、この頃ちょうど流行ってた話が、この反精神医学っていうやつで、
この精神病っていうのは存在しなくて、
社会的な制度が精神病を作ったのと違うかっていう考え方の一般の方々がいてて、
これは違うと思うんですけれども、
社会的な風潮とか流れとかに治療が流されるっていうことはあったにしても、
病気自体はあるんですけれども、
それでも病気自体がそうじゃなくて制度でできてるのと違うかっていう考え方、
反精神医学っていうのができた動きがあるんですけど、
それの一つの科学的な象徴になったみたいですわ。
この老前半実験っていうのがね。
とはいえ、この反精神医学っていうのはこの10年ぐらいの大きな流れだっただけで、
それ以降はついでてはくるんですけれど、
大きな流れにどんどんつながるわけではないんですけど、
精神医学のアンチテーゼであったに違いない時期がありました。
それほど精神医学っていうのはその当時ちょっと大きな権威を持ちすぎてたのかもしれんけどね。
一般的でないだけにね。
ちょっとそういうのがあったかもしれないね。
なるほどです。
あとアメリカの話なんですけど、
アメリカはその当時ですね、50年代60年代っていうのは、
精神疾患の方を病院に隔離しようっていう動きが強まってたんですけれど、
脱施設化をしましょうっていうふうな動きに変わってきました。
ちょうどケネディ大統領が登場した頃にそんな風になったらしいんですけれど。
そうなんだ。
これね、いろんな考え方があるんですけど、
でも実はメインのところはお金の問題だったかなって言われてます。
そうなんや。
結構金かかったんですよね。
そうですよね。
その施設を抱え込むとね。
プラスこのいい薬ができたっていうせいもあるし、
あんまりずっと入院してるのはどうなんだろうっていうことで、
脱施設化をしましょうということで精神科病院をどんどん少なくしていくんですよ。
アメリカはね。
脱施設化をするための一つの象徴として、老前半実験が使われたんじゃないかなという意見もありました。
これが良かったか悪かったか問題はあるんですけどね。
そうなんですね。
その代わりに刑務所に行く人が増えたのと違うかとか、
ホームレスの人が増えたのと違うかとかっていうふうな、
クセを強かったのと違うか、アメリカの場合はね、っていうことがあったり。
でもヨーロッパはそこまでは行かなくて、
うまく地域医療に移行できたっていう意見もあったりとか、
そこは様々ではありますけどね。
日本はでもこれから進むかもしれないんですけれども。
一番遅れてる感じですね。
一番遅れてますね。
ずっと進んではきてるけれども、まだまだっていうところではあるんです。
そんな気がします。
ローゼンハン実験の信憑性への疑問と現代の臨床
あとまたこの老前半実験というのは、
社会文化の心理学とか社会学の古典として有名な実験となりました。
学術的にそれなりに意義があることなので、
影響を与えることができるよという、一つの古典みたいなことで使われることになるんですけど。
でも2019年になってからなんですけど、
老前半実験の信憑性に疑問不可つきます。
もう老前半さんは亡くなられた後なんですけどね。
でも一つの老前半実験というのは伝説になった感じで、
精神医学も変わり、社会も変わりということで、
進展はしていく中での話なんですけれど、
老前半実験って本当だったの?という信憑性に疑問がつくんですよ。
そもそも論ですか?
そもそも論が出ちゃうんですね。
なんでかっていうと、
今はこういう実験をするときって、ちゃんとしたデータを残すのが一般的なんですよね。
当然ですけども。
誰がどうなってどうなったっていうようなことをちゃんと残さないといけないんですけれども、
この老前半の時代ではこれを残すっていうのがそんなに一般的ではなかったのか、
意図があったのかどうかわかんないんですけど、
一時資料が残ってないんですよね。
もっと言うと、この8人全員が誰やったかっていうのがわかんないんですよ。
8人って書いてたし、いろいろ書いてたけど、
誰やったんやっていうのが特定しようとしてもわからないっていうことで、
確認できる人もいてるんですよ。老前半含めてね。
数名の人は確認はできるんですけど、数名の人が全く確認できない。
本当にいたのか?っていうことはあって。
つまりこの数値が老前半でいろいろ出してたんですけれども、
何日から何日までみたいなこととかって、これって正しかったのか?っていうのが
どうやっても確認はできないし、
いろんなお薬を捨てたのが2100錠だったっていうのも全く裏取れないよね。
病院の資料にも残ってないしねっていうことだって。
ちょっとどうだったんだろうねっていうことに疑問がつきます。
なるほど。
今の倫理的な感じで言うと、病院も含めて、参加者も含めて、
やっぱり記録に残してないといけないですよね。
同意してないといけないことなんだけれども、
それがやっぱりできてなかったので、倫理的に問題がある実験かなって言われているようになりました。
なるほど。
実験についても若干不正確だったんじゃないかなって言われてて、
入院をしようと言ったかどうかっていうことを書いてないっていうこともそうなんですし、
お薬を飲んだふりして捨ててたっていうことも、
いや、欺いてたことになるので、
その当時の精神科病院の事情からすると、かなりちょっと特殊な行動をしてたことになるから、
その行為をした上で精神科病院の能力を測るっていうことは、ちょっとフェアじゃないよねっていうことも言われたりして。
なるほど。
ちょっと老前半のこの実験っていうのは、そのまま受け取っていいのか問題っていうのが、
ここ最近2019年ですけどもね、言われるようになったと言われていました。
あるあるですね。
だからちょっとおかしな問題で、つまりこの老前半の実験とかっていうのは、
この社会を一つ前に進めるっていう意味では大きな意味があったと思うんですけど、
どんどん社会が進んだ結果、自分自身も倫理的に問題ですよって言われるようになってしまったっていうことになるんだと思うんですよね。
あるあるですね。いろんなとこでね。
そうですね。
でもね、その当時の倫理観としては正しかったような気もするし、
でも今の倫理観ですると、
進化するからね。
そういうことだと思うんですけどね。
ということに、最近は言われてはいます。
だからちょっと象徴的な話で、あんまり科学的として最近言い過ぎるのは問題かなとかって言われてますけどね。
ということでまとめると、老前半実験というのは、精神医学を一部否定してそこから立ち直ろうとしたもので、
説明責任ができるような学問に押し上げたとも言える。
そうですね。
ただ社会的には精神科病院というのを恐怖の対象にしたっていうね。
そういうマイナスの面もあったかなと思うんですけど、精神科から見てね。
そうですね。
そういった実験でした。
この話って、僕は精神科になって、なんとなく前説で伺うんですけれども、あんまり直接は聞いてはなかったんです。
やっぱり思うのは、誤診はするんですよね。日々ありますよ。
あるんですよね。
ありますね。
でも厳しいけど、医者は誤診をしてはならんみたいな感じっていうのが一般の人には強いじゃない?
うんうん。
絶対的な専門家っていう意識があって、私たちにはわからないことを知っている方々だから、そこの思いっていうのは厳しいものがあるよねって。
どうかなって実はわからんけれども、でもえいやってここで言わないと、それこそ治療が前に進まないしね。
そうそう。
っていうところも実際あるので、多分99%こうだろうっていうことでやれる時もあるし、そこはやっぱり様々ですね。
そうですよね。
最近はというか、僕が医者になってからはそうですけれども、できるだけ正しいことをきっちり言いましょうということにはなってますよね。
そうですよね。
つまりこの症状とこの症状が出てて、病気としてはこれとこれの病気は考えられると。
多分でもこれやろうと思うけれども、この可能性もあるかもわかれへんと。
現状としてはこの病気だと考えてこの治療を僕は進めるよっていうような言い方をできるようには最近はなっていると思う。
そうなんです。先生本当にそうなんです。今一つには陽気面の矢っていうのを本当に正直に話してくださる先生が多くなってて。
そうそう。最近はそこはきっちり言った方がいいかなっていう流れですね。
でもやっぱり人は見ないといけなくて、あんまりその事実をガシガシ言うと混乱する人とか。
そうなんです。
それのせいで治療自体を受けなくなったりとか、いろんな信頼性が損なわれるという時もあるので。
そうなんですよね。いろんなこれかもしれないけどこういう可能性もあるっていうのが複数出てくるでしょ。
そしたら自分に入りやすい言葉だったり、自分がこうだって患者さん自身が思い込む癖が強い方とかは、やっぱりそうだってその言葉だけにフォーカスして受け取ってしまって帰ってくることとかも結構あって。
うちの事業所の中に来ても、こういう病名が出たんですってすごいおっしゃるんですけど、ん?おや?って思うことがあって。
で、投稿してくださってた支援員さんとかに確認すると、そうじゃないんです先生はこうかもしれないけどこういう症状があるからこういう可能性もゼロではないです。
でも最初に言ったこれですよっていうことで説明してましたよっていうことですね。
だけど可能性としてはゼロじゃないですって言ったこの可能性の少ない方を患者さんはやっぱり持って帰ってきたりするんですよね。
なるほどね。ちょっとその誤解がね生じることはありますよね。
あります。でも患者さんにはやっぱり共有をすべきことなので、これは起こり得ることなんだけど、言葉は不適切かもしれんけどちゃんと裏は取らなあかんなと思ってます。
そうそう。でね、こういうことで大切なのはやっぱりね、繰り返すというか経過が大切なんですよね。
だから説明も1回だけじゃ正しく伝わらないことはやっぱり複数回言わないといけないし、何回か見ていく中でやっぱりこっちの方が可能性が高いよねっていうのがわかってくることもあるので、そういったことも伝えていかないといけないなと思ってますね。
時間かけてお付き合いがいる分野ですよね。
そうですね。臨床の精神科の場合はそういうことになりますよね。実際症状も一発でなること少ないので、お付き合いしながら治療と診断とどうだこうだと言いながらやっていくっていうことが実際は多いかもしれないね。
そうですね。毎回違う言葉を持って帰ってくる人もいますしね。大変だ。きっと違うぞって思うんですけど。
それも含めてその方の特性として理解して、正しくやっていくっていうことが必要なんですね。
だから病名を伝えて終わりっていうことにはやっぱりならなくて、その方の人生とかいろんな特性を含めて対処していくっていうのが臨床では大切かな。
やりたかった実験を聞けたので、今回すごい面白かったです。
そうです。やりたかったの。
嘘を言ったときに、先生ってどんなふうに判断されるんだろうって。
心臓不正のときとかって、結構それ勘違いされたりするでしょ。
本当に心臓いいんかな、これ嘘言ってんのかなって思うときって本当にあるから。
これ実際嘘言って、本当に私現状聞こえるんですとかって言ったら、診断してくれるのかなとかっていろいろ想像して北朝鮮に出たときがあるんです、私。
そこっていろんな事情がある人があるので、僕ら的には確かに騙されてるかもって思うことはゼロではないんですけれど、それも含めて一旦騙されてみるっていうのは医者としてはそんなに悪くないって言われてるわ。
僕たちの付き合いってそれで終わることはないので、その後その患者さんと付き合っていく中で、そうやったんかって気づくこととか、その人がそういうことを言わなあかんかった理由ということも含めて治療していくっていうのが精神医学的かなとも言われてるんでね。
そんなふうには臨床医としては思いますね。ただそこは言ってられないのが鑑定の場合ですよ。精神鑑定の場合は一発勝負になるので、一発勝負っていうのはもちろんあれなんやけど、最初結論を出すときにはこの人はどうだっていうことを結論出すというのが仕事なので、また違った技術が必要になるんですけれど。
僕はあんまり経験はないんですけれども、あれもまた大変な仕事かなと思いますね。
そうですよね、本当に。
それはまた別の話ですけどね。
まとめと今後の展望
じゃあ今回はこれで終わりましょうかね。
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