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なぜ彼は幸せだったのか?自閉症第一症例の人生
2026-06-19 32:55

なぜ彼は幸せだったのか?自閉症第一症例の人生

銀行員として働き、世界40カ国以上を旅し、89歳まで自立した人生を送った自閉症者がいました。 今回は、1943年にレオ・カナーが自閉症の「症例1」として報告したドナルド・トリプレットの生涯をたどります。施設ではなく家庭で育てる決断をした両親、特性を受け入れた地域社会、そして本人の強みを活かせる環境――。なぜ彼は「幸福な自閉症者」と呼ばれたのか。その人生から、現代の支援や共生のあり方を考えます。

 

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サマリー

このエピソードでは、自閉症の第一症例として報告されたドナルド・トリプレット氏の生涯を振り返ります。彼は銀行員として働き、世界40カ国以上を一人で旅し、89歳まで自立した生活を送りました。彼の人生は、両親の理解と愛情、地域社会の受容、そして本人の特性を活かせる環境がどのように「幸福な自閉症者」という彼のあり方を支えたのかを示唆しています。 ドナルド氏は、幼少期から対人関係の乏しさや反響言語といった自閉症の特性を示しましたが、数字の暗記やカレンダー記憶といった得意な能力も持っていました。両親は彼を施設ではなく家庭で育て、無理強いせず、彼の興味を尊重する教育を行いました。また、父親は彼を社会から隠さず、地域社会との交流を促しました。学校では、教師たちは彼の特性を理解し、席替えをしない、一人で歩くことを許容するなど、柔軟な対応をしました。これらの環境が、彼が社会の中で自立し、充実した人生を送るための基盤となりました。

ドナルド・トリプレット氏の紹介と自閉症の診断
旅行に行くんですか? 旅行ですね。40カ国以上一人で海外旅行に行ったみたいですよ。
海外旅行に行くの? それはすごい。
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のタピクスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で、現在、海業員のマリモと。
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、先日、長野県の松本市まで、サッカーのJ3のクラブ、松本山賀FCのスタジアムへサッカー運営の様子を見に行ってきた、桜がお送りします。
ちなみに、松本山賀の山賀って、喫茶店の名前だったんです。
山賀。 あ、そうそう。
最初の自閉症と報告された、ドナルド・トリプレットの人生の話です。
はい、ありがとうございます。
お願いします。
今回はですね、レオ・カナーが自閉症を発表した文があるんですけれども、
その中で11人の子供を報告していますが、そのナンバーワンの症例ですね、
残っているので、ドナルド・トリプレットさんをですね、ちょっと見ていきたいなと思います。
ドナルド・トリプレットさんって、その11人の中の1人なのね。
そうです、そうです。
ああ、なるほど。
そういうのが一番初めに出てくる方なんですよ。
なるほど。
で、割と有名人なので、カナーが報告したドナルドさんですね。
このドナルドさんっていうのは、カナーが自閉症って言ったので、自閉症なんですよ。
はいはい。
今から見てもその通りで。
はい。
反響言語とかね、この前勉強したような言葉を繰り返すわけですよ。
ミルク欲しい、ミルク欲しいっていうような人とか。
はいはい。
対人関係の乏しさとかがあるような、典型的な自閉症の症状があったりして。
はい。
あとプラス、この車のナンバーの暗記がすごかったりとかね、数字とか。
数字が。
そうそう、得意っていう能力もある方でした。
はいはい。
人生の後半ではですね、銀行で勤務したりとか、ゴルフ好きだったりとか、町で親しまれたりとかして。
自立したら一人暮らしを遅れるんですよ。
でも対人関係が難しいんでしょう?
はい、難しいです。
すごい。
これはもう生涯難しいんですけれども、一人暮らしも遅れるっていうですね。
幸福な自閉症者として知られてるというですね。
そうですね。
最も良好な天気を辿ったというふうに言われていますね。
はい。
もちろん当然お亡くなりになってるんですけれども、現状やったらこの後期の自閉症みたいな診断つくんかなと思うんですけどね。
その方のちょっと人生見ていきたいなと思います。
はい。
はい。
両親の愛情と教育方針
ドナルド・グレイ・トリプレットはですね、1933年9月3日にアメリカのミシシッピ州のフォレストっていうちっちゃな町で生まれました。
はい。
はい。
お父さんはですね、ビーマン・トリプレットさんって言って、弁護士さんで銀行の関係もしてるような地元の有力者です。
はい。
お母さんがマリー・トリプレットさんで、この方は主婦なんですけれども、教育熱心で非常に献身的だったと言われています。
はい。
お兄さんがもう一人いてて、この方は定型発達、つまり普通の方だったと言われてますね。
はい。
ドナルド・トリプレットが生まれて6ヶ月ぐらいから異変があると。
6ヶ月の時にお母さんの記録として、抱っこを嫌がるとか、目を合わせない、名前に反応しない。
その後、言葉の遅れも目立ってきて、回転するものに執着したりとか、数字を暗記したりとかするのは得意だけれども、いわゆる反響言語を言われる言葉を繰り返すようなことが目立ってくると。
2歳ごろにはドーンとドーンとばっかり繰り返すとかね。そんなことがあったみたいです。
1935年、ドナルド・トリプレットが5歳の時に両親が、お母さんがですね、カナーに手紙を送ります。
うちのドナルド・トリプレットは自分の世界に住んでいるみたいですよ。どうか診察していただけませんか?みたいなお手紙を送るんですけど。
はい。
これはね、結構有名なお手紙なんですよ。ちょっと要約だけ残ってるんですけど、ちょっとこれさくらさんに読んでいただこうかなとかって思ったりするんですけど。
わかりました。
はい。
じゃあ私がお母さんのお手紙を台読させていただきます。
お願いします。
私や父親に対しても、抱きついたり甘えたりすることがほとんどありません。他の子供たちと遊ぶこともありません。むしろ一人でいることを好むようです。
彼はまるで自分の世界に住んでいるように見えます。言葉を覚えるのは早かったのですが、会話として使いません。
質問されると、質問の言葉をそのまま繰り返します。
私が、「ミルクが欲しいの?」と言うと、ドナルドは、「ミルクが欲しいの?」と答えます。
代名詞の使い方も奇妙です。
自分のことをあなたと言います。
彼は特定のものに強い興味を持ちます。
それは数字、文字、回転するもの、また物の順序が変わると非常に動揺します。
家具の配置が変わると怒ります。
同じ行動を繰り返します。
感情表現が乏しく、呼びかけても反応がないことが多いのです。
しかし、記憶力は非常に優れています。
歌や詩、数字の暗記です。
彼は知的に遅れているとは思えません。
むしろ特別な能力があるようにも見えます。
しかし、人との関係がうまく作れません。
私は、彼がどのような状態なのか理解できません。
彼はこの世界に属していないように見えることがあります。
私たちは彼を助けたいのです。どうか診察していただけないでしょうか。
もちろんそうです。
対人関係の障害、反共言語、代名詞の反転、こだわり、変化への抵抗、
感覚特性、記憶特性などを書いています。
この手紙をカナンに受け取って、すぐに診察を行いました。
自衛省という診断を付けるわけです。
お母さんのことを見ると、マリー・グレイ・トリプレットです。
ミシシッピ州、アメリカの南部の州のメーカーの出身らしいです。
お父さんはそれなりの方ですもんね。
地元の有力者のBマン・トリプレットと結婚して、南部の上流家庭の専業主婦だった。
観察力が非常に高くて、教育熱心で、知的で理性的、過度に感情的にならないという特性もありました。
一方で柔軟で現実的で、子供への需要的な態度もあって、
カナンはこのお母さんのことを知的で慎重なお母さんというふうに表現しています。
一方、お父さんの方ですね。有力者と呼ばれる弁護士さんですけれども、Bマン・トリプレットの方ですけれども、
お父さんの方もなかなかドナルドにはありがたい存在でした。
ドナルドは社会参加を後押しする立場になります。
有名な弁護士さん、その街ではなんですけれども、ドナルドを社会から隠しませんでした。
街に一緒に連れて歩いたりとか、銀行にも連れて行ったりとか、友達にも紹介したりして、
こうしたことが、後々ドナルドがこの地域で受け入れられる素児になると言われています。
おそらくプラス、ドナルド自身の自尊心向上にも役立っただろうと言われています。
そういうお父さんとお母さんの下で生まれました。
5歳の時にカナンにお手紙をお母さんは書くんですけど、
通常とは違う発達を持っている子供さんというのは、この当時、
素敵障害の施設に入れるというのが一般的だったみたい。
実際、5歳の時に、このドナルドをご両親は、就立の施設に入所させることになりました。
ただ、やっぱりみんなと違うと、みんなと違うというか、この施設に入る必要じゃないと、ドナルドはというふうに両親は考えて、
1年でその施設を退所させて、家庭の養育に戻ります。
この当時はあんまりこういうことはせえへん人が多かったようなんですけれども、
マリー・トリプレットはそうするんですね。
すごいですね。流されないんですね。
ドナルドというのは違うだけなので、施設に入れる必要はないというふうに考えます。
カナンはですね、ドナルドを見て自衛省と診断して、
自衛省の中でも最も知的能力が高い症例の一つだなというふうに評価します。
この自衛省の特徴を持つ方っていうのの中に、この知的な発達が高い人から知的障害も含まれるというですね、ここにグラデーションがあるんですよね。
自衛省という障害はあるにしても、そこにプラス知的な発達の濃淡があるというパターンがあるんですね。
このドナルド・トリプレットっていうのは知的な障害はないパターンの以上に自衛省の傾向が強い方というふうにカナンは信頼したということですね。
じゃあドナルドはどんなことができたかというと、数字の暗記とかカレンダーの記憶ですね。この方のカレンダーすごいんですよ。
反共言語と独語があったりします。対人関係はほぼ取ることができない。ただ一方で知的な能力は高いというふうに。
家庭内ではこういったドナルドに対して何をしたかというと、語りかけは続けたみたいですね。ご両親から。
ただ強制はしないし、趣味に合わせるし、安心できる環境だったということですね。
強制しない教育というのをしたみたいです。無理に身を合わせたりしないし、無理に会話させたりしないし、彼の興味を尊重したと。
いわゆる構造化。彼の教育というか環境を構造化させて、彼を受け入れるような環境を作ったと言われてて。
これは現代の発達支援には近い形と言われてますね。
あと、社会参加を促進させました。お父さんは社会経験を重視して、店に連れて行ったりとか、挨拶をしてたりとか、仕事を見せたりとか、ゴルフ場へ同行させたりとか。
社会参加にも後押ししたということですね。
学校生活と周囲の理解
学校に入れるんですよ。この当時は養護学校みたいなものはなくて、学校に入るか施設に入るかだけなんですけれども、学校に入ることができるんですね。
ただ、やっぱり学校に入っても、友人はほとんどいないし、実はいじめられることもあったし、孤立してたと言われてますね。
勉強がめちゃめちゃできるわけじゃなくて、計算とか記憶するのは得意なんですけど、勉強ってそれだけじゃなくて、文脈を読んだりとか、抽象的なことっていうのも理解しないといけないんですけど、そういうのは彼は苦手なんですよね。
だから勉強は中等度だったと。友達はほとんどいてない。ただ、問題行動っていうのはなかったみたいです、学校でも。
例えばその頃に残ってることなんですけど、ロナルドは一人で校庭を歩き続けてるみたいなことが有名だったみたいですね。
なるほどね。
同じルートを歩いてたと。同じ順路、同じ時間、同じ速度で歩いてた。集団遊びには参加しませんでした。ただ、それを教師は問題にしなかったんですよね。
素晴らしい。
これもなかなかね、やっぱり従わせそうな気もするけれど、アメリカの文化もあるのかもわからないですけど、そういうことかなっていうふうにしてたみたいですね。
日付が得意っていうのがあったじゃないですか。
はいはい。
授業中にですね、先生がドナルドに聞くんですね。2040年の4月4日は何曜日?とかね。
はい。
だからドナルドが即答できるっていうね。
すごいな。
テニスの時もありましたけれどね、例えばこういうカレンダーを頭に入れてる子っていうのは時々いるんですよね。
います、います。
そういうのがクラスが驚かせて、この子ってこんなのができるんやってね、集団の中でもわかってくれたりとか。
はい。
あと、変わることが結構苦手だったりするんですよね、ドナルドがね。
同じ席にこだわったりしました。
教室で席替えがあった時に、ドナルドは動揺して不安で落ち着かないっていう状態になったので、教師は同じ席に戻しました。
その後安定することになって、教師は彼には同じ席が必要だなと理解して、いつも同じ席に座らしてたみたいですね。
先生素晴らしいですね。
はい。本当にいい先生に巡り会ったんやなっていうところですけどね。
会話も独特と言われてて、同級生が話しかけて、週末何したって聞いたら、ドナルドは昨日は雨だった、湿度は?みたいなね、会話がずれたりして。
まあでも同級生は変わった子だなあみたいなことで、一応受け入れてたっていうこともあったんですね。
あと、昼ご飯って今、給食ではないんですけどね、アメリカのこの当時って。
みんなで教室でご飯を食べるんですけれども、多くの子は友人と一緒に食べたりするんですけど、ドナルドは一人で食べると。
ただ全く孤立してるわけではなくて、同級生の近くに座って、彼は一人で食べるというのをいつも続けてて、
まあ同級生もそういうもんか、みたいな感じでしてたみたいですね。
うち多いはこういう子。
一人で食べるってやつ?
同じ部屋にはいるんだけど、本当に一人、みんな。
それぞれね。そうか、一人で食べるな、なるほどな。
僕も一人で食べるな。
そうな。
もちろん今はね、今は一人の職場やからあれですけど、
部屋でいてる頃も、みんな仲間うちでというか、大きなところで食べることもあったけど、
僕は割と自分の机で食べてたな。
えー、そうな。
いやいやいや、そうじゃない時もあったけどね。
それのほうが楽な時もあったな。
ああ、そうなんや。
マジマリモ先生ってどんな先生だった?ってまた先生方に聞いてみたいです。
まあまあ、僕ら自衛省ではないですけどね。
ドナルドに戻りましたら、それ以内にも教科書とか机の上に並べるものを順序出せてたみたいですね。
それが崩れ落ちたりするとパニックになるので触らないように注意してたりとか。
あと体育に関して言うたら、集団競技とか球技はとても苦手だったみたい。
ただ歩いたり投げたりすることは得意だったみたい。
個人競技は可能だったみたいな感じですね。
そんな方なので、同級生の中ではいじめる人もあったんですけれども、
ただドナルド自体の反応は薄かったりとか、彼から攻撃するようなことはなかったので、いじめには発展しなかったみたい。
なるほど。
いじられるっていう程度で終わったみたいですね。
学校の中では比較的その授業の内容を正確に覚えたりとかすることなどで注目される部分もあったみたいですね。
ただでも授業中も小声で単語を繰り返して言うみたいな、ちょっと違うようなことがあったりしたみたい。
ただそこもあんまり教師も注意しなかったし、クラスも慣れたりしたことがあったみたいですね。
恵まれてますよね。
そうそう。ということで無事に学生生活を過ごすことができました。
銀行員としての活躍と社会生活
ハイスクルーにも入ることができて、友達はほとんどいなかったらしいんですけれども、学業は中程度、規則的な生活が送ることができて、
ハイスクルーも行って、一応大学にも進学して学士号は取ったという記載がありました。
すごい。
実はあんまり規則記録には残ってないんですけど、青年期にかけて徐々に社会性は改善してきたと言われてて、会話は可能になったりとか、一定のグループには入ることができるようになったみたいですね。
多分中高のあたりで、いろいろ経験を積むことができたんでしょうね。
そういうこともあって、大学を卒業した後、地方の銀行に就職することができました。
すごいですね。
銀行員になるんですね。
お父さん銀行の関係者って書いてましたね。
銀行の関係者っていうのもあったしね。
実際彼はですね、この水筒係で記録とかがとっても正確だったりとか、数字の処理が非常に早いっていうですね、間違いがないということで、同僚が最後のチェックをドナルドに任せるみたいなことがあったみたいですよ。
比較的強化が高かったみたいです。
適材適所ですね。
ただやっぱり、自ら雑談はほとんどしないし、必要な業務、会話のみだし。
そういった方で、ドナルドっていうのはそういう人だなっていうふうに周囲からは理解されてて、別に不愛想と見慣れてたわけでもないということですね。
家族との関係はどうだったか問題があるんですけど、両親は彼を受け入れてたわけですよね。
ただでもさ、だんだん年がいってきたら、両親も年がいってくるわけじゃないですか。
そうですそうです。
そうしたら、やっぱり兄弟との関係っていうのも大切にはなってくるんですけど、
この定期発達をしていたお兄さんもいてたので、
お兄さんとの関係っていうのは、彼はどうやったかっていうと、
子供の頃は結構気薄だったみたいですね。
あ、そうなんや。
あんまりそういう仲良く遊ぶようなことはなかったみたい。
ただ、思春期になってから、中高生になってから、ちょっといい関係も取れるようになってみたくて。
お兄さんが大人になってきたのかな。
それもあるかもしれないね。
お兄さんからも別に彼に干渉はしないし、もちろんドナルドお兄さんには干渉はしないんだけれども、
お互いの距離感っていうのが取れて、それなりに仲良くなったみたいね。
お兄さんの証言として残っているのは、
ドナルドは変わってるけれども問題ではないよっていう家族の一員なんだ、みたいな言葉が残っててね。
ドナルドの個性も含めて自然に理解できてて。
ご両親が亡くなるんですけど、後年ね。
ドナルドはお兄さん家族と近くには住んでた。ずっと一人暮らしをしてたみたいですね。
お兄さん家族はいてて、何かの時にはドナルドも読んでみたいなことをしてたみたいですね。
そういう家庭環境になったみたいです。
一番理想ですよね。
理想ですね。
ドナルドの社会人としての生活っていうのはどうだかというと、
同じ行動を繰り返すわけです。当然学生の頃からそうなんですけど、
一人で朝食をとって銀行に出勤してゴルフに行くと。
ゴルフっていうのが結構彼のキーワードでね。毎日ゴルフに行ったらしいですわ。
ゴルフ場の常連だって、スコアも正確に記録して、他人のスコアも記録できるということみたいです。
レストランでは同じ店に行って、同じ席で同じ注文をしてっていうことをしていたので、
店員はそのうち何も聞かずに同じものを準備してたみたいなね。
地域の中でドナルドはドナルドとして認められるようになったみたいね。
もう一個特徴的だったのが、ドナルドは一人での旅行も好きだったみたい。
すごい。旅行に行くんですか?
旅行ですね。40カ国以上一人で海外旅行に行ったみたいですよ。
海外旅行に行くの?
はい。
それはすごい。
一人で飛行機に乗ってホテルを利用するっていうのが好きだったみたくて。
一人で旅行に行く理由も観光とかではなくて、カバーセレートに強い関心を持てたらしいです。
空港の高度とか距離とかっていうのをそれぞれ正確に記録して、記憶して、それを達成していくみたいなね。
そういう彼なりの海外旅行のやり方っていうのは好きだったみたい。
数字ですね、やっぱり。
あと、ドライブも好きで、一人で長距離のドライブをしてたという記録も残っています。
とても自分なりにいい生活を送ってた方ですよね。
僕らから見てもね。
それをうまく社会に表現してるなっていう形ですよね。
趣味と晩年の生活
80歳代でも自分の銀行管理を管理してたりとかして。
すごい。
この頃にはちょっとした有名人になっていたので、多くの研究者が彼を訪問してきて。
2010年代なので、彼が80代の頃ですけれども、治療歴史の象徴となってですね。
彼に関するドキュメンタリー番組もアメリカでは制作されたりしたみたいです。
そうなんや、すごいですね。
割と有名な方みたいですね。
という、カナーが記録した自衛省の省令の中では、ナンバーワンに挙げられてるんですけれども。
その後の計画も含めていうと、非常に成功した省令なんだなと思うんですけどね。
これはでも、最もエリート記録ですけれどもね。
こういう人生を送れる方っていうのは、またほんの一部なんだろうなと思うんですけど。
いろんな条件がすごく揃ってて、本当に周りの大人の接し方とか環境が良すぎて、なかなかみんながみんなこうはいかないですよね。
いかないですよね。もちろんそうで。
実際このカナーが記録した、一番目がドナルドですけれども、二番目から十番目の方っていうのは、実は知的障害とか重い知的障害を持っている方とかが多くて。
障害施設で暮らしているっていう方の方が多いんですけどね。
中にはこういった方もいてたってことでね。
外から見ると自衛省の中では成功したっていうふうに見られる可能性があるドナルドですけれども。
実際このドナルド側からしたらどうだったかなっていうことを考えたらですね。
ドナルドはどういうことを考えて人生を送ったか。そんな余計なお世話なんですけれども。
これを外から見たとしたときにどう考えられるかっていうと、自分の特性を保ったまま社会の中で機能したなと思うんですよ。
なぜこれが成功できたかっていうと、もちろん外の家庭の環境と社会環境っていうのが恵まれてたっていうのもあるし。
たぶんアメリカのですね、60年代70年代っていうアメリカでも恵まれた時代だったと思うので、そういったこともあったと思うし。
あと彼の中としてはさ、やっぱり自分の得意領域で役割を果たしたんよね。
結構頑張ったと思うんですよ、彼なりに。自分の能力を発展させて、社会のルールにはでもやっぱり最低限に従ったんですよ。
僕らよりも結構力を入れたと思うんですけれども、周囲に合わすっていうことを彼は彼なりにきっと頑張ったと思う。
だからきっと上手いこと言ったと思うし、でもその中で無理に合わせようとはしなかった。
彼なりのペースは守った上で、社会のルールには守って、自分の世界を広げていったっていうね。そこが上手いこと言ったんかなと思うんですけど。
本当にそう思いますね。幼少期のご家族の関わり方っていうのが良かったじゃないですか。
無理にこんなさせないとか、無理にさせてないし、でもずっと語りかけ続けられてるから、自尊心はちゃんとできるしね。
対等な扱いをしながら、いいところを伸ばそうっていうところやからね。
そう、非常に親御さんも上手いこと言ったんですよね。
ここは結構大きいんじゃないかな。あと学校の先生とかもね。
いろんな環境が良かったっていうこともあるしね。
これはすごく大きいなって思いますね。
きっと彼はちょっと頑張ったら評価されてたと思うんですよ。大人から。いいねいいねっていう感じで。
嬉しいとか分からんかもしれんけど、これでいいんだっていうのは入るじゃない。
機能的には高い方なので、この積み重ねってやっぱり大きいやろうなって思いますね。
そうですね。うまく転がっていった先にということだと思うんですけど。
強く大きく否定されてるっていうのがなさそうな気がする。
そうね。記録にはあまり残ってないけれども、内心には何があったかどうかっていうことはあると思うんやけど。
でもあまりなかったですよね。
すごいな。でも80歳代で銀行口座管理したってなかなか定期発達の人は難しいですからね。
そう、僕らでもできない可能性も十分あるかなと思うんですけど。
彼自身の恵まれた能力だったかなと思うんですけどね。
でもどうかな、幼少期のいろんな恵まれた環境とかって、もちろんこのロナルドは自分の特性が定型の人とは違ったから、少し困ったこともあったけど、
でもこれって人類、社会に生きる人みんなに共通するとこかなという気もするんですけどね。
個性はそれぞれ違うんですけど、周囲のいうのを確認して、
自分の能力を広げていくっていうところは、自衛省であろうとなかろうと同じなのかなと思いますね。
自分の社会というか人生とかを広げていくというやり方が一つのですね。
それができれば非常に幸運なと思うんですけど、幸運の一つなんかなと思いますね。
一つの例ですよね。
20世紀の一つの成功した人間の歩み方の一例なんかなと思うんですけどね。
そうですね。
もちろんみんながみんなそうはいかないし、いけない人も多いし、やけれども一つの例としては感じれるなと思いますね。
そうですよね。
ドナルド氏の人生から学ぶこと
人間って生きるの大変からな。
そうよ。ずっと幸せなんていう人はきっといないので、いろんなことがありつつなんですけど、
でも多分トータル良かったなって思って追われる人が大半なんじゃないかなと思って。
贅沢言えばキリがないですよ。
だけどみんなやりたいこときっとやってると思うんですよ。
人間って基本的に欲があるので、それに基づいて多分動いてるから、
欲が強いとあれもしたかったこれもしたかった、不幸だみたいに思うかもしれないけど、
でもやれたこととか手に入れたこともあったんじゃないのって言ったらあるじゃないですか。
みんなそれなりやと思うんやけどね。
どう最近私は思ってるんです。
人生ですよね。それぞれね。
そうなんです。本当に光の当て方にもよるし、
ただこの方に多くの研究者が訪問したりとか、彼に関するドキュメンタリーが制作されたりとか、
これってやっぱりみんながフォーカスする何かがやっぱりあったんやろうね。
やっぱりちょっと自衛省ってやっぱり社会的には注目されたっていうこともあるし、
やっぱりうまいこと言ったっていうことも一つの違うかなと思う。
これを一つの成功例として残したいと思った人がやっぱり多かったんだろうなと思う。
そこから何か引き出せるというか、自分の参考にできる自分たちの社会とかね、
プラスにできることがないかなっていうようなことも考えたのかもしれないね。
そこで言ってたのは、やっぱりこの町も大切やったみたくて。
ちっちゃい町なんですって。
このお父さんとかもわりと影響力がある感じの、そういう町なもので、
そういうのも良かったかもって、大都会じゃなかったっていうのも良かったのかもねって書いてましたね。
そうですよね。お父さんの息がかかった人が結構たくさんいるから、大事にはしてくれてるしね。
お父さん常に連れ歩いてたしね。
アメリカの南部の地域的な文化っていうのも、いわゆる田舎らしいんですよ。
アメリカの文化で言うと、ニューヨークとかロサンゼルスとかとは違うような、
そういう古き良きという時代とかも良かったんじゃないか、みたいなことも書いてたのかな。
でも第一章例がこれやからね、なかなか良かったなって思うんですけどね。
本当です。
実はこの裏にはね、辛い思いをしている方がたくさんもちろんいてるんですけれども。
でしょうね。
だからこそ、ドナルドみたいに良かったねっていう人も輝けるというか注目されるということなんですけど、
そうじゃないたくさんの人もいらっしゃったっていうのも事実やろうね。
終わりましょうかね。
ありがとうございました。
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