精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。
この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと――
そのアネで、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、
もう一つ経営している、社会人サッカークラブのホームゲームに――
私、あえて宣伝しなかったんですが――
50名以上のサポーターの方々が応援に来てくれて――
とても嬉しい思いをしたさくらがお送りします。
くれしゅうぞうと、明治大正の精神科医療の話です。
ありがとうございます。
クレイ先生の最も今に残っている有名な行跡の一つだと思うんですけれども――
この精神描写した復刊誌、いわゆる雑誌記録というものですよね。
報告書を出されているんですよ。
前回の続きからお送りします。
ざっくり全体像を見とくとですね――
実際、先生が見に行ったのは115名なんですけど――
統計を取ったのは364名あるんですけど――
これは何かというと、警察署で判事室というのは管理しているわけですよ。
届出とかね。見に行ったりとかっていうのが警官の役割なので――
だから警官のそういう警察の資料とかを見せてもらってですね――
たぶん300人増えたんやろうなと思うんですけど――
そこで一応いろんな記載があるということで抜き出してやってるんかなと思うんですけれど――
そのうちですね、364のうち男性が80%って言われてますね。
女性が19%ね。
患者の年齢は24歳から40歳が全体の68%ということで――
若い男性が多いんですよね。
これって、いわゆる統合症症の発症年齢っていうのが比較的――
そういうことなのかなとも思ったり――
やっぱり男性って力も強いし暴力行為があることが多いので――
そういうことか、そうですね。
そういうこともあるんかなと。
その時の患者さん、家庭の資産ですけれども芸が50%ということで。
上中芸に分けた時の芸が50%だと。
本人とか家族の職業は農業が64%。
商業が20%とうとうって言われて。
やっぱり農業の人が半数以上かな。
日本中が農業多いですもんね。
そうそう、この当時は100年前ですからね。
まだ大正期、明治から大正になった頃ですもんね。
看護義務者っていうのがお父さんが17%、妻が14%、お母さんが8%、兄が8%になっててね。
お父さんとか妻っていう感じがあるんですね。
なかなか辛いですね。
そうですね。つまりこの当時って結構結婚って、恋愛結婚とかじゃないから早く結婚する人多いんでしょうね。
10代とかでも結婚する人、普通にあったんかな。
普通とちゃいますか、この頃は。
20歳だったら遅いぐらいじゃない?女の子だったら。
やったかもしれんね。
だから妻っていうのが多いかもしれんね。
感知のあった理由なんですけれども、
互い行為が28%、家族への暴力が25%、家族への暴力迷彩が23%で、
いか放火とか、殺人奇遂とか、殺人未遂とか、
わりと重篤な行為があって、当然感知に至るんですけどね。
これでも確かにそういったことで感知にはいたるんだと思うんですけれど、
普通精神症状ってずっとある人もあるんですけど、
大概はそうじゃないこともあってね。
果たしてずっと隔離が必要、この感知が必要なのかっていう問題は多分あるんかなと思うんですけど、
その時はあったには大きな間違いはないんやろうなと思うんですけれども、
それ以降どうなんだろうっていうことも。
感知期間ですけれども、5年以下が68%、16年以上が2%とかって書いてますけどね。
16年以上もあるんですね。すごいね。
これどうなんだろうね。
まあまあね、こんな長いのもあったりして、
なんかね、だらだら長く感知し続けてるっていうようなこともあったりとか、
あるいは症例によったらね、ずっと感知してるばっかりじゃなくて、
調子いい時には出てきたりとかっていう症例もありましたけどね。
家族が良かったりとか、本人も理解して一緒に出てくるっていう時もあったみたいですね。
不必要にずっと閉じ込められてるというみたいな症例もあったと言われてますね。
感知室の光ですね、環境で言うと、やっぱり光とか風の通しが悪いっていうのが51%あったりとか、
あるいは面積で言うと、平均が2.7×2.7ぐらいが最多って言われてて、
決して広いわけじゃないけどね、2畳ぐらいのイメージかな。
感知室の場所は思えないが24%、
ナヤとか物置が24%、住宅の増築部分が20%でした。
木の柵だったりとか、格子とか板張りが多かったりとか、
感知室には便所を室内に使ってたりとか、寝具はむしろのみもあった。
衛生状態は不潔だったり、悪臭という記載が多かったりとか、
患者の状態で、栄養状態の不良が55%ってなったりとかね。
あんまり環境は良くないよねっていうのが、この報告書のまとめですよ。
クレーの結論としては、以下の3点、4点あるんですけれど、
試作感知っていうのは、医学治療ではなくて、患者を放置する制度である。
感知室は患者を隔離することだけを目的としていて、
医師の診察とか看護とか治療とかリハビリテーションがほとんどないっていうことが問題ですよということを述べています。
また、感知室そのものが非人道的で、
暗かったりとか、換気が悪かったりとか、狭かったりとか、湿気が多いとか、不潔とかっていう感知室が多数あって、
これは患者の健康を害するし、病気をさらに悪化させるっていう指摘もあります。
あと、この指摘感知っていうのは、貧困によって選ばれている。
感知された患者の多くは、比較的貧困層で、つまり病院がないことないんですけれども、入院させる費用が払えないっていう方が多いので、
やむを得ず、試作感知が行われていることがあるということなので、
これは個人の責任というよりは、社会が担わないといけない。社会の責任ですよっていうような議席があります。
感知っていうのは、社会防衛になっていると。
つまり、家族への暴力とか互い行為とか、放課とかね、徘徊、家で殺人等があるんですけれども、
これに対する社会防衛にはなるんだけれども、医療ではないよっていうことをやっていて、
それだけのことで、狭い感知室に何年も閉じ込められるっていうのは、やっぱり問題ですよねっていうことをクレは書いています。
クレ先生は、どういう解決があるかというと、精神病院の設置こそ解決策であると。
試作感知を家族だけの責任とは考えなくて、国が率先をして精神科病院を作るべきですよ、整備すべきですよっていうように書いています。
この当時はこういう考え方っていうのは確かになっていうところだと思うんですけれども。
っていう報告書を出しました。
明治大正にかけての時代に、これだけ症例をとって、エビデンスをちゃんととってくるっていうのは素晴らしいですよね。
すごいですよね、やっぱりね。実行するのがね。
やっぱりこれ、思いが強かったんやと思いますよ。
クレ先生、どないかせえなあかんと思ったのと違うかな。
そうやろうね。
学問も学問で、あるいは東京帝国大学の中での精神科病等がないとかね。
いろいろ学術的とか自分の身の前のことのいろんな問題は多かったやろうとクレ先生は思ってたと思うんやけれども。
それだけじゃなくて、最も大切なのは我が国の重症の精神疾患を持っている方の処遇をどないかせえなあかんということをやっぱり強く考えたんかなと思うんですけどね。
そのためには、実態調査をして国を動かすのが大切だろうというように考えて、多くの人員を割いてこれを調査したっていうことでね。
ちなみにね、この報告書に出てくる言葉があってね。
この我が国何十万人の精神病者は、実にこの病を受けたる不幸のほかに、この国に生まれたる不幸を重ねるべしという言葉があったと思うんですけど。
これ、この報告書に出てくるんですよね。
精神病になったっていう不幸はあるし、プラスこの施策に感知されているっていうことはより不幸ですよねって。
クレ先生が見てきたヨーロッパの各国では、これが精神科病院の保護室とかって言われるお部屋になってたので、
それだったらここまで悪いことにもならんかったんと違うやろうかっていう思いがきっとあったんちゃうかなと思うんですよね。
なるほどです。
大正の日本のすごいところだと思うんですけど、この報告書が出た翌年にですね、精神病院法ができるんですよ。1919年。もう翌年ですよ。
早くないですか。影響があったってこと?
影響があったってことだと思いますね。
というか、これをやりつつ多分政治的というか政府というかへの働きかけも当然、クレ先生というか考える方っていうのは同調する方がたくさんいてたんやろうね。
そりゃそうですよね。東京大学ですからね。
それもあって、これがようやく出して、やっぱりそうしましょうっていうことになったってことだと思うんですけど。
でもね、精神病院法っていうのはどんな法律であったかっていうと、精神科病院を作りましょうっていう法律なんですけど、これどんなふうに作りましょうっていうと、この都道府県ですね。
昔は都がないから、道府県か。
道府県が精神科病院を作りなさいっていう法律なんですよ。
各県ごとに?
各県ごとに、各県が精神病院を作りなさいねという法律で、その建設費は国が補助しますので、がんばって県とかは作ってくださいねっていう法律だったんですよ。
当然、この前にあった精神病者看護法っていう雑誌記録を容認してた法律も並列します。
雑誌記録がありつつの、精神科病院も作りましょうっていう法律を作るんですけれど。
実際どうなったかっていうと、精神科病院っていうのは、昭和の初期、大正の終わりから昭和の初期っていうのは5000床やったんですけれども、
昭和のですね、67年になってきたら、1931年ぐらいだったら、5000床やったのが、15000までは増えるっちゃ増えるんですよ。
おお、3倍に。
一応3倍には増えた。
増えたが、施策勘知の数は減ってないって言われてるんですよね。
追いつかないですよね。
そうなんですよ。つまり、もっと広報なんていうか、施策勘知もそうだし、今まで施策勘知に行かなかったような人たちっていうのがたくさんいてたってことなんですよね。
で、精神科病院は増えたけれども、まだまだ実は足らんよっていう状態だったと思うんですよ。
ただ実はそれがピークとして、昭和の精神科病院っていうのは、戦後までずっと減り続けます。
あ、そうなんや。
うん、以降減ってくるんですよね。
なんで減るかっていうと、戦争が始まっちゃってですね、つまり精神科病院を作るっていうのは、やっぱりお金がいるわけじゃないですか。
そりゃそうですね。
国はですね、もうこれ以上金出せなくなるんですよね。
なるほど。
金がないから病院はできないので、減ってはくるし、しかもですね、これはまた別の話なんですけど、戦争してる間にどんどん減るんですよ、精神科病院で入院してる人の数が。
うん。
これなんで減ったかっていうのが、よく不明って書いてるので、よくわかんないところも多いんですけど、これなかなかつらいことが起こってたんちゃうかなとも言われてて。
つまりね、食料なんですよね。
はいはい。
つまり精神科病院とかに、十分な栄養が行き渡らないっていう事態があったようで、中に入ってる方々がですね、いろんな病気になって、亡くなる方が増えたって言われてる。
えー、そうなんや。
例えばドイツとかナチスはさ、精神科の方々を虐殺したとかってね、悪名高く言われてたりするんですけど、日本も別に積極的にそんなことは、戦中はなかったけれども、
食料というか、そういう設備はあんまり入れなかった、お金はあんまりかけなかったっていうのも事実なので、実際不幸な将軍に送られたってことがあるみたいね。
だから精神科病院も一旦昭和にかけては増えるんやけれども、その後、戦争にかけてまた減ってきますっていう状態かな。
なるほど。
あとこの時期に、同じように施策関係者も減ってくるんですけどね。
あ、そうなんですか。
施策関係者の数も減ってきて、これはなんなんやろうね。つまり施策関係者するような余裕もなくなるのかな。
でもそうかもですね。いろんな戦争中のドラマとか見てると結構大変ですもんね。
ここまでいろんな住民も含めて、精神病者に対することなどなどに、あんまり影響しないことになったのかな。関わらなくなってきたのかなっていう感じです。
戦争の時は特殊ではあるんやけれども、大正から昭和にかけては一旦精神病院が増える時期はあるけれども、施策関係者は減らずという感じでした。
実際施策関係者が廃止されるのは1950年ですね。昭和の25年。
戦後ですね。
日本が負けてGHQが廃止させます。精神衛生法っていうのが設立して、精神病者看護法が廃止されて、施策関係者は違法なものとされます。
なんかどうもですね、ただ沖縄とかは施策関係者っていうのは残ったようですよ。
そうですか。
なぜかちょっとこの影響があんまり届かなかったみたいな。
沖縄県ってさ、GHQはもちろん管理してたけど、その後独立が沖縄だけちょっと違うところになるじゃないですか。遅れるでしょ。
そういうこともあってたと思うんですけれども、施策関係者っていうのが割と遅くまで残ったみたいってことが書いてますね。
ただ精神科病院ができた解決ではもちろんなくて、その上で精神科病院の中での長期入院だったりとか、
精神科病院での不適切な治療っていうのは昭和の時代、あるいは平成の時代、令和もたまに出てきますもんね。
それは未だにある問題なので、なくなったわけではないんですけれども、この問題っていうのは。
まとめとしては、この施策関係者っていうのはこの100年でなくなりましたよ、確かに。精神科医療は進歩したし、社会状況も豊かになったのは間違いないと思うんですけれども、
ただでも、重症の精神障害で苦しむ方とか、その家族の苦悩っていうのは、これは変わらずあるかなと思うんですよね。
医療が進歩しても、やっぱりどうしてもなくならないっていうところはあるのでね。
この施策関係者の報告書を読んでて、僕も見た患者さん、こんなんやったわって思うことがやっぱりあったもんね。
もちろん環境は違うんやけれども、こういった方っていうのは今もあるかなと思うので。
プラス、やっぱりこの病院の環境とか、精神科医療の問題とか、あるいは社会の環境の問題っていうのもゼロになってないしね。
精神科医療の環境を良くしないといけないし、人権を配慮した治療を頑張らないといけないし、
社会の側でいうと精神失敗の偏見もあるので、どないかしないという思いっていうのは努めたいし、できる範囲なことにしたいなと思うんですけどね。
なかなか想像力を使いながら、今のでも知識の中で正確に想像できてるかって言ったら、ちょっと怪しいかなと思うんですよ。
もっと想像よりもひどかったんだろうな。
今でもね、マリモ先生おっしゃったみたいに、ご自宅がえらい状況になっててっていう患者さんっていらっしゃるでしょ。
私たちも福祉してるとそういうのは多くはないけど、やっぱり全然そんなん知らんわっていう感じではなくて、
やっぱり一定数あるからご家族みんなでお困りだなっていうのはあるんでね。
今この現代になってもそうやから。
そこを少しでも良くする働きかけっていうのが大切だし、その上でどうしようもないっていうこともあるので、
そこを諦めずに続けないといけないなっていうところかな。
環境はすごく病状に影響はしてくるから、ここは本当に精神科病院の環境だったり、また社会が出てきたときの受け皿になる家庭とか社会とかっていう環境も良くせなあかんし、ですよね。
ひどい状況とかを見るにつけて、やはり大きな進歩っていうのは感じるので、やっぱり今のこの状況も腐れてるというか、
精神科病院とかにも結構多いんだと思うんですけれども、そこに目をつぶらずに見ていかないといけないなと思うんですよ。
ここで改善することで、また100年後ですね、僕たちの子孫が100年前は大変やったよねとかって思って言ってくれるかもしれへんしさ、進歩する余地っていうのはあると思うんですよね、今の時代はね。
だからそのためには、例えばクレイ先生がやったように、あんまり見たくないところに目をつむるっていうのはダメかなと思うんですよ。
やっぱり悪いところも避けずにですね、見れる人は見る必要もあるかなと、全員がとは思わないんだけれど、それができる人はしないとダメだし、医者とか医療に関わってるものっていうのはそこに関わる義務があるかなと思うので。
そうでしょうね。近い人は少しずつ少しずつやっぱり問題定義を、まずはうちうちでいいから声を上げないとね。福祉も福祉で声を、福祉の中だけでいいからまずは声を上げて、医療は医療で声を上げて、それがまた一つの声になれば外へ出していけるし。
そうなんですよね。やっぱりそういう社会的なというか、実際患者さんを良くするにはどうすべきかみたいな議論ってね、されてることもあるけど、どうしてもね細かいところに目を行ってしまってっていうようなことになるので、そういう大きな視点も必要やね。
たまにね、たまにそういうのは、そういう会があってもいいなとは思いますね。
割と僕とさくらさんみたいに福祉の人とかは関わりがあると思うので、一般の方で全くないよねっていう方もいらっしゃるよねとかっていう気もしつつあって。
友達にいれば、なんか友達から悩み聞くけどみたいな感じで、全く触れられてない方って世の中すごく多い気はします。かつての私もそうやったし。
むしろね、現在はそれの方が一般的かもしれんし、そういうところから次続きでこういう非常に重症精神病っていうのがあるということですね。
っていうこともやっぱり精神科医療に関わってたらそこも大切かなと思うんですよ。そんなに数はないんですけどね。数はないけどあるには間違いないので。
そうした方をということの視点っていうのはちょっと伝えれれば伝えたいなと思ってね。
本当そうですよね。歴史からまた精神科ラジオでも取り上げたどうすればよかったかとかね。結構その重症になっていらっしゃる方のドキュメンタリーが映像で見れたりとか、それがまた本になったりとか。
目にしようと思えばできる機会って増えてきたし、具体的に見れる機会は増えてきてるから、そういうのに、例えば私たちのこのポッドキャスト聞いて興味持ってもらって実際映像を見るとかってなると、ちょっとでも一人でも理解していただける方が増えていくんじゃないかなと思うんですけどね。
ほんまですね。
そうなんですよね。
まずはね、ソフトなところから興味を持ってもらって。
確かにそうですよね。確かにそうかもしれんわ。
対岸の火事とかいうよりは、本当に横に座って横並びになってるみたいな感覚で物事を見れるようになると、まずはソフトなところから。
いや怖いとか嫌だとかっていうのではなくて、知らなかったそれっていうところから入ってもらえば、ちょっとずつちょっとずつ重症の精神障害とは何ぞやっていうのも理解していただけるのかなと思ったり。
そうやね、確かに。
精神障害って特に良くなったり悪くなったりって私たち当たり前のようにこのポッドキャストでも言ってるんですけど、その良くなったり悪くなったりっていうのが、全然精神疾患とかに触れてない方には想像つきにくいのかなと思ったりした。
精神障害の方が身近にいないと難しいのかなって、分からない知らない縁がないんですっていう方にもソフトな感じの入り口っていうのは、情報があれば提供していただけたらいいですね。
確かにそうかもね。
どうしてもね、マニモ先生とか精神科医でも30年でしょ?専門医になって30年でしょ?だからもうどっぷりそこの世界に入ってるし、私も福祉の世界に入って10年やから、そろそろ10年になることし10年目なんですね。
本当に最初の私の入り口だった頃の感覚っていうのがやっぱり薄れつつあるんですよね。仕事だし毎日暮れるし勉強するしで。
でもこのポッドキャストって、本当に初めにポッドキャストが好きで入ってきてくださる方も聞いてくれてるわけで、そういう方にね、えーってこうくらい重い感じではなくて、ソフトな話題で興味持ってもらうっていうのも必要なんかなってちょっと思ったり。
いやいやいや、その通りやね。今日はちょっと重かったね。
いやでもこれ歴史だから、日本もいろんな歴史をたどってるのは今があるので、これからの本当に何だろう、垣根なく一人の人間同士で精神疾患の方も一緒に付き合っていこうと思ったら、これは歴史は知っておかないといけないんですけど。
病気をまず知るっていうところも大事やしね。蚕だったからまたどこかで軽い蚕をマリモ先生作りましょうよ。
軽い蚕。いや基本軽くないかな。
基本軽いよね。
確かにね。
確かに今回のこのね、確かに。そっか、確かにな。
したく感じの症例っていうのは一番重い症例が集まって出している症例なのでね。
最も精神科医としてはここをどないかしたいという思いが強いので。
まあ僕は言ってるんですけどね。
まあまあでもとはいえ確かに理解を深めるという意味で言うとね、これから入るといろんな問題があるわな。
初めて今日は聞きましたっていう方は過去回に戻って軽い蚕を。
いや過去回もでも結構なこと言ってるよねとかってそう思うと。
結構ね、ヨーロッパの歴史も最初の頃は結構ハードな感じでしたもんね。
そうそうついつい僕ハードなこと言っちゃうよねそういう意味で言うと。
っていうかね、そこがあっての今がどんどん良くなってますよっていう説明やからね。
そうなんですよね。
これも知った上での現代を見ていかなきゃいけないんだけど。
本当本当。
いやーでもこれはなんとなくしたく感じっていう言葉も私今回初めて勉強したんですけど。
そう遠くない日本で行われてたことやからこれは知っておくべきですよね。
そうだと思いますね。
あとねこれってさ、これ日本の100年前の話を言ってるんやけれど。
これさ世界でもうちょっと広げた時ね。
もしかしてさこの発展途上国とかさ、現代も同じようなところってもしかしたらない?とかって思ったりもせんでもないんやけどね。
実際そのトイレのない国もあるでしょ。
まあまあ水泉トイレがねこんなに日本みたいな大きな国はたくさんあると思うし。
精神科病院もない国もないというかね少ない国も多いかもしれんしね、この発展しつつある国の中ではね。
そうやと思います。やっぱりこうスラムっていうところ場所がある国はいっぱいあるでしょ。
ありますよね。
そういうところにはやっぱり貧困と精神疾患とか精神病院っていうのは切っても切り離せないから。
そういうところでは割と今日聞いた話に近い状態ってあるんじゃないかなとは思うね。
本当やね。まあ想像やけどねあくまでね。
決してでもね昔の話じゃない可能性もあるもんねこういうのってね。
ある。別の国ではね。
でさ日本もさ今は本当に平和でどんどん良くなってるけど、これ今世界がいろんな喧嘩始めて戦争とかっていう話が出てくると
また戦争が始まった国ではこういうことにならざるを得ないでしょ。
そうですよね。どうしてもさ弱いとこからこうなんかね。
さえ舐めていくよねやっぱりこういうのって。
そうなんです。これはもうどう理論上説明してもこれ仕方ないことなので
だから何とか自立しようみたいな感じで今の福祉は動くし
国によっていろんな課題がいろいろ時代とともに変わってくるから
今もずっと日本の国内でも先進化とか福祉とかっていうのは成長し続けなあかんやろうし。
そうですよね。
いや本当に今ね、戦争のニュースが多いじゃない。世界中の何箇所かで起こってるわけで同時に。
このニュース見てるとね、いつもやっぱり気になります。
先進疾患の方それらの国で必ずいらっしゃるから。
それはあるよね。
そういう方こそ国外退避って多分要請から残ってるでしょ。
それはできないよね。
本当にね。どうされてるんだろうって感じよね。
ニュース見るとちょっとね私も重いなって思う時があります。
僕らができることをその中で考えてきたらどこやね。
そうですそうです。問題定義は常にしながらできることをやっていきたいですね。
本当にできることをやっていくっていうことが大切かもしれないね。
はい。
いろいろ話ができてよかったです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
また番組を聞いた感想やご意見を募集しています。
概要欄のメッセージフォームからあなたの感想を送ってください。
お待ちしています。
お待ちしてます。