京都の思い出で、僕が一番記憶に残っているのは、木曜研究会っていうのがあったんですよ。
そこに参加していた話っていうのをちょっと言ってみたいなと思っていて、
藤沢明先生っていう日本の精神医学の有名な方なんですけれども、
その先生が京都大学の先生なんですけれども、やってた勉強会なんですね。
木曜研究会。
木曜日にしていたので木曜研究会です。
なるほど。
僕が参加していたのは1995年から2001年くらいで、
藤沢先生がたとえば67歳から73歳くらいの頃だったのかなと思うんですけどね。
藤沢先生自体は京都大学の教授先生だったりとか、
国立精神神経センターの所長さんとかを現役の時はしてたんですけれど、
それも67歳だから退官されてて、
退官して、高難女子大の教授だったりとか、
近隣の病院とかで精神科診療もしてるっていうですね。
退官した先生って、教授先生とかで偉い先生とかは、
そうじゃない先生も女子大の教授になったりすることって結構あったんですよ。
藤沢先生もそういう感じで、
高難女子大学の教授をされてる頃に研究会も。
実はこの研究会自体は若い頃から藤沢先生ずっとされてて、
現役の兄弟の教授の頃からもされてたと思うんですけれど、
それを退官してから、高難女子大学の教授になっている頃も継続されてて、
その頃は目標研究会って言ってたんですよね。
目標にしてたからっていうことなんですけど。
僕は京都大学の精神医学教育の中心の先生方がもちろんやってるんですけどね。
僕がなぜそこに参加できたかというと、
僕は研修先の師匠の先生がそこの研究会にずっと長年継続されてて、
じゃあお前も参加してみればって声をかけていただき、
行き始めたということなんですね。
だいたい4,5年ぐらい僕は行けるときは行ってました。
行ってないときもあるんですけどね。
仕事あるしね。
でもね、木曜日って割と行けるときも多くて、
割と休んで行ってたかな。
午後休とかとって行けた時期があったので。
なるほど。
京都で僕半年間ぐらいしてる頃に、
僕の京都の師匠に誘われて行って、
そこからその後、国境の県に帰っては来るんですけど、
そこから週に1回ぐらい割と京都に通ってた時期があって、
そこのお話ちょっとしましょうかねと思うんですけど、
この木曜研究会っていうのは、
月に1回してたんですよ。
週に1回じゃなくて月に1回。
で、巨大開館というとこでやってて、
もう今は閉館してるんですけど、
京都大学っていろいろでっかい建物がたくさんあるじゃないですか。
たくさんあります。
そこの敷地の外にあるんですけどね。
住宅地周辺あるじゃないですか。
そこのところに巨大開館っていう、
3階建てぐらいの割と大きめの建物があって、
そこの会議室でいつも行われてましたね。
ところがね、そこの開館っていうのは2010年に閉館してしまっても、
今はないというか使われてないんですけどね。
そうなんですね。
いつもその巨大開館の地下の会議室で木曜研究会をしてて、
藤野良先生をはじめ、
京都大学中心の先生方が数名参加されてて、
例えば僕とか、
それ以外にも京都大学とちょっと関係があるような先生も呼ばれてね、
主に若手の先生が参加してたっていう感じかな。
そこで何をしてたかっていうと、
若手というか、そこで参加する先生が、
若手の精神科医が症例を提示するんですよ。
こういう症例で、こうこうで、みたいなね。
主に藤野良先生のご専門は精神病理学って言って、
精神病理っていうのは何かっていうのは難しいんやけど、
いわゆる病理学っていうのは、
顕微鏡でこの病気の細胞とかいろんなものを見つけて、
検討するというのが病理学なんですけれども、
それに精神がついてて、精神病理学っていうのは何かっていうと、
もちろん顕微鏡なんてなくて、
患者さんの症状とか気持ちの動きっていうのを細かく見るという学問なんですよね。
主にその病気の人の気持ちの動きとか、
この症状のこととかを解き明かすという学問なんですけど、
妄想とか幻聴とかね、例えば。
どういう妄想がどういう病気になって、
どういう幻覚がどうなって、みたいなことを、
主に解明していく学問なんですけど、
それの専門家だったんですよ、藤野良先生っていうのは。
だから若手が持っているちょっと難しめの症例をお出しして、
この症例についていろいろ検討するという感じなのかな。
そこで一つの症例を詳しく掘り下げて、
いろんな先生がいろんなことを言っていくと。
わりとザックバランな感じですか。
ザックバランですね。すっげーザックバランでした。
じゃあいいですよね。間違っても全然いいっていう感じ。
間違ってももちろん全然いいんですけれども、
参加しているメンバーというのは、
当然ですけれども京都大学の精神科医の先生方が中心なんですよ。
だから京都大学の医学部に入学している先生が多いんですよ。
全員じゃないけどね。
そもそも字頭のレベルがそもそも違うし。
確かに。
僕たちもそれは劣等生というわけじゃなかったけど、
京都大学の医学部に行く先生方とは全然違うわけですよ。
字頭的には当然ですけれども。
あの頃は京都医師寺とかでしたけどね。そこの点数も違いますもんね。
全然違うような先生方が中心となっている勉強会なわけで。
だからやっぱりすっげー頭切れる先生方の議論だったりするので。
勉強になるね。
勉強というかもうただただ、はーそうなんやーっていうか、
知識も実際違かったし。
多くの先生方はね、例えばヨーロッパとかドイツとかフランスとかに留学された後、
京都大学に戻ってきて勉強している先生とかが多くてね。
世界の一流の話とか聞けて、とっても勉強になったなーっていうこともあり、
逆にね、でもね、だからといって困るのは僕らと一緒やなーみたいなこともあって。
あ、そうなんや。
だからどんなに頭が良くてって言い方はあれですけれども、
困るところっていうのはもちろん一緒だし、悩むところも一緒だし、
医療っていうのはいつも成功するわけじゃないので、
失敗するとこも一緒だなーっていうことも感じたもので、
だからそういうところを勉強させてもらったなーって。
一流の先生っていうのはこういうことなんやーっていうことを、
僕はそこで勉強させてもらったなーっていうのがあってね。
なるほど。
あとまあそれだけじゃなくて、
先生方の噂話とか、
ここだけの話とかっていうのも先生方よくザックバラにするんですよ。
いいですね。おふれ子の話はね、参考になります。
もちろんその仕事の話が中心やけど、
先生方の噂話とか、精神科の医療の裏側とかね、
そんなんとかもいろいろ聞けたりとか。
伝説となっている先生方のいろんな噂話とかですね。
そんなんもいろいろ聞けて楽しかったなーっていう気がして。
例えばそういうザックバラのいろんな話とかも、
藤沢先生っていうのは、
要するにその時期って僕まだ20代30代だったんですけど、
主にそこで議論される先生っていうのは、
30,40代から50代の先生方もいらっしゃるんですけど、
わーっていろんなことを言って、
藤沢先生は60代70代ぐらいで、うんうんとみんなの話を聞いて、
最後締めくくりにいろんなコメントを言っていただいたりとか、
それでみんなを見守ってくれてるみたいな感じの先生でしたね。
そういう目標研究会っていうのがあったなっていうのがですね。
えーすごい。
ありました。
例えばね、覚えてることで言うと、
妄想についての議論があったんですよ。
妄想ってあるじゃないですか。統合視聴賞を中心として。
はい、ありますね。
この当時ね、この妄想についての議論でいろいろ議論になったところで、
その当時ね、オウム心理教の
洗脳教育とかっていうのもちょっと話題になった時期なんですよ。
その時期ですね。
ちょうどね、90年代ですかね。
オウム心理教のそういう事件があって、
世界でも注目されてて。
で、洗脳っていうのがオウム心理教ではされてて、
小部屋に閉じ込められてね、同じビデオを見続けして、
その教義とかを教え込むというか、
教祖が言ってることは正しいんだっていうことを洗脳していく
みたいなことをされてたみたいなことがね、あったと思うんですけど。
で、この洗脳っていうのはどういうことなのかみたいなことが議論になって、
妄想とどう違うんだみたいなことを言ったんですけど。
そこで話が出たんですけど、
人の認知っていうのは結構揺らぎやすいと。
それがね、正常やって言うんですよね。
つまりこの洗脳みたいなことをされた時に、
人間の認知っていうのは歪むんですよと。
だからそういうのを受けるというのが、
人間の認知で正しい認知なんだと言ってて。
ただ妄想っていうのはそうじゃないと。
妄想っていうのは、
例えば洗脳教育みたいなのを受けたとしても、
妄想は揺らがないというのが妄想なんだって聞いて。
だから普通の僕たちが認識している認知っていうのと、
妄想の認知っていうのは違うんですよっていうことですね。
違うんですね。なるほど。
もうちょっと具体的な例を出すと、
例えばここに鉛筆があったとすると、
鉛筆があるよねって僕が認識してるという認知は、
洗脳を受けると褒美屋に閉じ込められて、
いろんなビデオとかを見させられてて、
その後この鉛筆って見える?って聞かれたときに
見えないって言っちゃうことがあり得るんですよね。
なるほど。
それぐらいの認知なんです。
そっちが洗脳ね。
それがあり得ることなんですけど、
でも妄想っていうのはそういうことにはならんと。
妄想っていうのは洗脳を受けても揺らがないっていうことらしいわ。
確かに。
これは藤沢先生が言われた記憶であるんですけど、
人の認知にはここに本があるっていう認知と、
もうちょっと深くなってくると、
お腹が痛いっていう認知もあるじゃないですか。
それには結構差があって、
お腹が痛いっていう本の認知っていうのは
なかなか揺らがないんですよね。
だからこっちの方に妄想っていうのは近いんですよね。
僕たちがふんわり認識しているっていうのは、
もうちょっと軽い認識なんですよね。
認知のレベルっていうのは結構違いますよねっていうことも教えてもらって、
なるほどなと思った記憶がありましたね。
すごいな。
でもこれを言語で議論するって結構大変ですよね。
イメージしながらですもんね。
だからそういうことを真剣にいつも考えてらっしゃる先生方の議論なので、
めちゃくちゃ面白かったなとかって思いますね。
なるほど、なるほどです。
そこで記憶に残っているのは、
今の京都大学の教授先生も、
実は僕とほぼ同じ年代なんですよ。
今?
今の先生?
今の現役の京都大学の精神科教授先生がいてて、
その先生が京都大学の大学院に入学した当時、
木曜研究会にもちょっと参加されていた時期があって、
じゃあ顔見知りなんですね。
ちょっと顔見知りです。
その頃その先生もすごかった記憶があってね。
すっげえ頭切れた。この人どんだけ賢いねって思った記憶があるんです。
いずれその先生は京都大学の教授先生になられるんですけどね。
この記憶がありますね。
その頃この言語学ということと妄想とかについて、
この先生は勉強されていてね。
ほとんど話が分からなかったんですけども、
勉強しようと思ってその先生がご紹介いただいた本も読んだりとかして、
でもなかなか難しいなと思った記憶がありますね。
名前を言うということと認識するということは、
どのくらい乖離があってどうなんやみたいな議論があってね。
楽しかったですね。
特別な妄想があるんですよ。カプグラ症候群とかって言うてね。
例えばお母さんの顔をしているけれども、お母さんではないと。
お前はお母さんじゃなくて、お母さんの顔をかぶった偽物だって思うような妄想があるんですけどね。
そういうのがカプグラ症候群というのがあるんですけど、
それと似てちょっと違うのがあって、フレゴリーの錯覚というのもあって、
お母さんがお母さんの顔をかぶって出てきたと。
お母さんがお母さんの顔もしてるし、
隣の人の顔もしてて出てきてるというのがフレゴリーの錯覚という妄想があるんですけど、
カプグラ症候群というのとフレゴリーの錯覚というのがどんなふうに違うとかね。
それと似たような妄想がいろいろあるんですけど、
それを人間の頭の中でどんなふうに認識してるんだろうとか、どんな病気だったら出てくるんだろうみたいなね。
そんな議論をした記憶がありますね。
今となってはだいぶマニアックな話だなというところなんですけど、
例えばそういうマニアックな話から、人間の妄想だったりとか、
精神疾患の糸口として役立つよみたいなことになってくるんですね。
その当時そんなことを勉強してたなという記憶が目標研究会にもありました。
ただ現在は精神病理学というのはあまり流行らない学問にはなっているので、
メジャーにはなってないんですけれど、
精神科医は精神病理学というのは大切かなと思っている先生も多いのでね。
こういった議論が学会の中では繰り広げられることも時々ありますけどね。目標研究会。