新しいアイデアのひらめき
ハロー、MARIKOの何を言ってるかわからねぇと思うが、感じたことをありのまま話すぜ。
今さっきね、降りてきた、湧いてきた、アイディアのことを
ちょっと自分でもまとめるためにお話をさせてください。
えっとね、ちょっととある、とあるというか、ちょっとアイディアがバーンて湧いてきて
それ何よって感じなんですけど、今こんなにもうAIがね、
もういろんなことサポートしてくれるじゃないですか。それでパッと思いついたのが、
もうこう、バカでもわかる、教養のない、おバカでもわかる、
おバカでもわかるように、難しいね、抽象的な概念とか哲学とか、
そういうのを、
そのおバカな方でもわかるようにする、
っていうそういう記事とか音声作っていけたらめっちゃ面白いなって思ったんですよ。
アイデアの背景と自己理解
これバカでもわかる、バカでもわかるってね、めっちゃ上からですけど、自分用ですよね。
自分用に
うん、こう、自分の学びを深めるために、そういう記事とかね、コンテンツを作って、
で、それを発信していくの面白そうとか思っちゃってね。
自分のためなんやったら、発信、公開しなくてもいいじゃんって話なんですけど、
この公開をするっていうことが、自分の喜びでもあるわけなんですよね。
誰かに届くかもしれないとか、あとなんかやっぱね、自分だけのメモにしとくのと、公開をするっていうのとでは、
なんかちょっとね、自分の理解度みたいなのも変わるんですよね、不思議とね。
自分だけのね、公開しない日記っていうか、そういう文章とかも
書いたりする時あるんですけど、なんかやっぱりそれってなんかちょっとこうね、下書きっぽい感じで、
なんか公開することによって自分の中により入ってくるっていう
メカニズムっていうか、私の、私はなんかそういうタイプなんですよね。
おそらく自分だけで淡々とこう書いたり、マインドマップとか、そういう日記とかね、
昔の人なんかみんな日記、自分用じゃないですか。
そうすることで、自分に落とし込むっていうか、自分の考えを整理したりとか、
学んだことを深めたりっていうのは、押すできる人も結構いらっしゃるんでしょうけど、
私はこう出すっていう、この出すっていうとこまでセットでやって、
こう自分の中で落とし込めるな、みたいなのがあるんですよね。
日記しかなかった時代っていうか、皆さんね、
どうしてあったんでしょうね、こういう人に見せて初めて学びが深まるみたいなタイプの人は。
そこはわかんないんですけど。
AIを活用した具体例:唯識
いやこれ、ついさっきね、本当思いついて、
仏教のね、仏教哲学の、結構かなりベースとなるっていうか、
特に密教では、ここちゃんと押さえとかないと次の話に行けないよ、みたいな
優位識っていう、考え方?考え方っていうのかな、なんていうのかな、優位識っていうのがあるんですよね。
唯一の優位に、識、見識とかの識ですよね。
それをAIに、Google AIモードっていう、Google検索する時に出てくる、
AIに聞けるモードがあって、裏側ではなんかジェミニが動いてるらしいんですけど、
それに、ねえねえって、教養のないバカでもわかるように優位識のことを説明してって言ったら、
ものすごいこう、わかりやすく、説明が出てきて、
めっちゃこれ、この私の主観っていうものを向きにしても、これだけでもめっちゃすごいやんってやっぱなって、
そんな私の主観が乗らないんだったら、他の人が検索するのと一緒なんで、
別にそれをわざわざコンテンツ化とかする必要ないんだけど、
でもその、わざわざそのGoogleのAIの検索モードに、このキーワードで検索する人っていうのが、
なんていうのかな、そんないっぱいいないと思うから、
私がこういうふうに質問したっていうので出力されたっていうこと自体が、
私を通しての一つの記事になる、コンテンツになるんじゃないかとか思って、
それも面白いし、
うーん、なんていうのかな、
もうそれ、それだけで、
私はまあ、なんていうの、自分が驚いたっていうか、
わあすごいって思っただけなんで、人からしたら、こんな検索した終わりやって感じかもしれないけど、
私はなんか、これだけで一個公開するだけで、面白いなって思ったんですよ。
複雑な概念の理解と説明の難しさ
自分用にね、
有意識っていうものを、ちょっと有意識の説明はもうあえてしんときますね、今回。
仏教のものすごく抽象度の高い概念なんですけど、
それを私は結構こう、学んでた時期があるんですよね。
で、めちゃめちゃ傲慢な言い方しますけど、私結構抽象的な概念の話とか、
結構ね、自分の中では感覚、直感というか、そういう部分ではね、理解ができるタイプなんですよ。
こういうことを言ってはるんだなって言って、
なんかこう、その後そういう講話とかお話し会とかが終わって質問する時とかも、
これまた傲慢で自分がそう思ってるだけかもしれないけど、
あんまずずれた理解の質問とかすること多分少なくて、
その後その関係者の人たちとね、
お話をされてた本人たちとかと、ちょっとその後、
何て言うんですかね、
素の瞬間を見せてくれられるような場とかに呼んでもらった時とかも、
まあそのよく理解ができている方というか、よく理解してくださってますみたいな風に言ってもらったりとかもあって、
なんていうのかな、こういう精神世界のお話とか心の話とか、
スピリチュアルなこととかって、
ちょっと解釈が、話し手の人が言っていることと全然違う風に、
めちゃくちゃ自分都合の解釈する人がいて、
それこそまさに有意識の世界なんですけど、
ずれた質問してはるなぁとかね、やっぱりあるんですよね。
そういうのが、私は自分でちょっと本当に何回も傲慢という言葉を使うけど、
多分少なくて、
自分の内側では理解というかこういうことを話してはるんだなっていうのは分かっているんだけども、
それをね、私は人に説明するっていうのがやっぱり難しい時があって、
自分の分野じゃないことですね、特に。
こういう風にAIを使って、
紙砕いた説明っていうのを出力してもらって、
それをまた自分が発信することによって、
私は人に説明をするっていう時の言語を自分の中に取り入れるっていうかね、
そういうプロセスになるかなとか思ってね。
AIとの協働と今後の展望
AIから出たことを、さも私は知ってましたみたいに書くんじゃなくて、
これはAIから出力されたテキストですっていう感じで、正直に書いちゃってね。
それをノートブックLMに読み込ませて、
AIの対談のコンテンツとかにしたらめっちゃ面白いんちゃうかとか思って、
またもうファッションのスタイリストのこといつやんねんっていう感じですけどね、
また面白いこと思いついちゃって。
本当ね、自分一人じゃ足りない。足りないけど、AIが現れてくれたんだから。
現れてくれなかったら、一人じゃ足りないどころじゃなかったから。
強力なサポートがついてるんだからね。
興味あることをね、ちゃんと取り掛かっていきたいなみたいな思いましたね。
自身の教養と学びへの姿勢
これはでもちょっと面白いかもしれないな。
私が面白いと思ってるだけで、人からしたら全然面白くないかもなけど。
私自身が教養があるというか、教養というものを育むような環境で育ってこなかった人間なので、
最初に言った、教養のないバカでもわかるっていうのは自分のことですよね。
本当にソクラテスの無知の地的な感じ。
さっき言ったように、抽象的なことを捉える、理解する感性とか、
理解力みたいなのはない方ではないっていう、そういう辞任ではあるんですけども。
それでも当たり前ですけど、わかってないことの方が多いし、
まずそうやって人に説明できないっていうことがめちゃくちゃ多いし、
そこを鍛えるトレーニング的な、遊びながらね、自分が学んで遊びながら、
そういうトレーニングとかになって、うっかり誰かが、
あ、この考え方へーみたいになったら面白いしなーとか思ったりしましたね。
「分かりやすさ」への葛藤と愛
教養、教養ね、そういう過程じゃなかったんだね。
なかったんでね。
そうですね、私高卒ですしね、学歴云々じゃないかもですけど、
教養っていうのは必ずしもそこには結びつかないけど、
ほんとね、ほんとアホやったんで、
なんかこうね、人生、折り返しっていうのには早いのかも。
でも40代ってもう折り返しですよね。
そこからこうね、学びを深めていくみたいなね、
もっと早く知りたかったってことばっかりですけど、
それをね、分かりやすくて、
分かりやすくって言葉も好きじゃないんですけど、
分かりやすいものしか咀嚼しようとしない、
口に入れようとさえしない人がやっぱ多いし、
そういう人をさらに量産するようなことに
加担はしたくないんだけども、
けどもなんか別の視点から言うと、
やっぱり最初にイメージが湧いて理解ができるっていうことで、
そこから興味が深まるっていうこともいっぱいあるし、
あとやっぱ自分が人に説明できるようになると面白いなって思うんでね。
分かりやすいものばっかり食おうとすんなよっていう、
自分の中の、世の中のショートコンテンツとか、
何でも要約とか分かりやすくっていうものへの
怒りっていうものも私はものすごいあって、
でもその別の視点からは、
まずはこれぐらい分かるようにっていうか、
分かるようにとかめっちゃ上からですけどね、
結局自分用なんで、
こうやってAIが、
AIにバカでも分かるように教えてって言って出力されたものを見て、
私はやっぱりほうほうほうってなったわけなんで、
そういう行為への怒りと、
そういう行為によって出力されたものへの感動みたいなものが、
今すごく合わさってるっていうか、
どっちも携えながらって感じですよね。
そんなものばっかりで分かった気になんなよ、おいっていう、
そういう自分と、
それによってきっかけはまずそれで、
そこから世界を学び直すというか、
とれい直していこうよみたいな、
そういう感じ。
難しいことを分かりやすく伝えるっていうのは、
相手の理解力を見くびっているということにもなるけれども、
でも本当の最初の一滴っていうか、
最初のきっかけっていうのを誰かのために、
誰かのためって言うとまた語弊あるけど、
もしかしたら誰かのきっかけになるかもしれないみたいな思いで、
分かりやすくっていうのは、
愛の行為でもあると思うんですよね。
だからこれエネルギーレベルで言うとですね、
デビッド・R・ホーキング博士のパワー・カフォースカーのエネルギーレベルで言うと、
怒りっていうのはエネルギーレベル120とかだったかな。
フォース側ですよね。
だからこの何でも分かりやすいものばっかり取り入れようとしてんじゃねえよみたいな、
このフォースの怒りと中立とか愛とか、
エネルギーレベルで言うといくつだったっけ、
250とか500とかパワーの領域ですよね。
パワーとフォースと同じ事柄に対して、
何かを分かりやすく説明するっていうことに対して、
どっちのエネルギーも携えながら、
私は進んでいく。
進んでいくのが、
現時点の自分では、
すごく自分との乖離っていうか、
そういうのが生まれにくい気がしてます。
いつかは完全にパワーの世界、パワーの領域に私は入りたいんですけど、
でもこの怒りみたいなものがやっぱり、
エネルギー源でもあるんですよね。
それは多くのパワーの人たちもそうな気がするんですよ。
怒りっていうものを変換して、
愛とか中立とか平和とか勇気とかそういうものに変えていく。
どっちのエネルギーも持ちながらっていうのが、
ちょっと赤字しますね。
どっちのエネルギーも持ちながらっていうのがいいかな、私にはね。
というわけでめっちゃ脱線したけど、
まとめと今後の意気込み
そういうのやっていきたいな、行こうかな。
ノートも毎日バーンって書きたいし、
本当は時間足りないんですけど、
とりあえずこの音声はそういうこと思いついちゃったよっていう、
自分の発想と思考のメモ代わりに収録しました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回の配信でお会いしましょう。またね。