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皆さん、こんばんは。今日もお疲れ様でした。
先ほどね、ピアノの間違えたら即退場ライブをやったんですけど、ダメでしたね。
もうやっぱり、完璧に弾ける曲が1曲もないってね。
アマチュアだから、良いのかなとか思っちゃうんですけどね。
今日は久しぶりに山奥の稽古会に参加してきまして、
普段10人前後しか集まらないんですが、今日は20人以上集まってましてね。
それで、最近回数が多くなった朝稽古の方がホームグラウンドみたいになって、
それで、今までホームだったところがアウェイみたいな感じになっていることに気づきましてね。
やっぱり、顔を合わせたり、会話をしたり、稽古をしたりする回数って、やっぱり大事だなと思いましたですね。
そこでね、久しぶりにお会いした年下の女性の方に、立ち姿がとっても美しくなってたわね、なりましたねっていう風に申し上げたら、非常に喜んでくださいましてね。
いやあんなに喜んでるお姿を見たら、もっと褒めてあげたらよかったとかね、思いましたね。
今まで彼女を褒めてあげるなんていうことは一回もしなかったんですけどね。
やっぱり、10個褒めて1個指摘しなさいって言った先生の言葉は正解でしたね。
本当に喜んでくれました。
なんておっしゃったのかな、お盆とお正月とクリスマスが一度に来たみたい、みたいなことを叫んでました。
本当にね。
今日は5年配の先生が足を悪くされて見学をされていたんですが、その先生と一緒にちょっとだけ見取り稽古をしたんですね。
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その時に、やっぱりお互いにトップクラスの先生同士の稽古を批評するわけなんですよ。
こっちの先生はここがいいですね、あ、でも向こうの先生、ちょっとあそこが力抜けたらもっといいんですけどねとかね、
偉そうなことをその5年配の先生と一緒に、誰にも聞かれないから喋っておりましたが、
自分はできないのによくまあこれだけ言えるわねとか言ってね、お互いに笑って帰ってまいりました。
県道は他世代が入り混じってやってますのでね、そういう点では他の場面で気づけないような年齢差の方と出会えて心が通じ合うというふうなことがございます。
例えば最高齢者でしたら、ただいま91歳の先生が私のホームグラウンドにいらっしゃいまして、そこで幼稚園児も稽古しております。
ですのですごいですよね、その年齢差を考えれば。80何歳ぐらいの年齢差を超えて、本当にその点ではありがたかったなって、
小さい頃から同級生の女の子たちにはない人間関係が築かれたなっていうふうに思っていますね。
それと男の子と交わって稽古してますので、その違和感が全くないんですね。
女の子だけの部活ってありますでしょ、新体操であるとか、男女で分かれているバレーボールとかね、そういう女の子だけのコミュニティで育った友人たちはね、
私が何かミーティングがあるときでも男の子とカッと集まって、そこでワイワイガヤガヤ、男女の個別なくそういうふうに接していることが当時ではなんだか羨ましかったんでしょうかね。
何で本当にこの子と平気でしゃべれるの、みたいなことを言われたことがありましたね。
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でも本当は父は私に柔道をしてほしかったのだと思うんですね。
和室の座敷机でございますでしょ、大きな、あれを横にずらしましてね、畳のお部屋で父が帰ってきたらいつも柔道の基本稽古をしてましたね。
でもクラブ紹介の柔道部見に行ったときにはこれは無理と思いましたね。
だから小さい頃の記憶というんでしょうか、特に親と子の交われる時間というのはね、本当に限られてますよね。
自分の産んだ子供は預かり物だって言いますけれども本当にその通りで、預かって大きくなってお返しするみたいな、本当に一番楽しい時間っていうのはあっという間に過ぎていくものです。
ですので、その時間があるにもかかわらず離れて住まなければいけなかったりですね、それとか、自ら離れて住むことを選択する場合もあると思うんですね、お仕事の関係で。
それはやっぱり非常にもったいないことだと思ってしまうんですよ。
特に私が女性だからそれはそう思うのかもわかりませんですけれども、本当にどう言ったらいいんでしょうか。
子育ての最中にはわからない、本当に主力の時間であったなというふうに思いますね、子育てって。
またね、お子様のいらっしゃらないご家庭はそれなりにまたお二人がずっと恋人同士みたいでね、非常に羨ましい思いをしたこともございましたですね。
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家族の形っていろんな形があって、それこそ独身貴族の方もいらっしゃれば、大家族で大変でわいわいガヤガヤ言ってらっしゃるご家族もいらっしゃる。
そういったことを考えますと、本当に時間の移り変わりによって、その時々に目の前にいてくれる人っていうのは、第1幕、第2幕、第3幕みたいにして変わっていくものなんですよね、登場人物が。
でも、それは第1幕が泥沼で、第2幕が平穏で、第3幕がラブラブとかいろんな場合があるとは思うんですが、
今、静かに冷静に第1幕とか第2幕を思い返してみたら、最中は悲劇だと思っていたけれども、それは私自身の卑屈な気持ちだけだったんだわとか、
そういうふうに思えるようになりました。
だから、過去は変えられないとか申しますでしょう。
絶対にそうは思わないんですね、私の最近の考えなんですが。
最近そういう考えに至ったのですが、あまりにも時間が経ちすぎたら、前世の出来事のように感じるわけなんです。
そうしましたら、その時の自分の弱さというか、見えない相手の長所であったり、環境の長所であったりを見る余裕がなかったんだなというふうにつくづく思いますね。
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去年、ご近所のご住職に言われた、常に無条件の愛情が降り注いでいることに気づいてくださいと言われましたが、本当に気づいていない時が多いです。
分かってはいますが、これは本当に無条件の愛情で、ご先祖様の無条件の愛情が降り注いで、
こうして今、この時を過ごしているんだなと思う時は、あるんですよ、落ち着いて考えれば。
でも時に忘れてしまって、人からスマッシュを決められたりしたら、それをしなやかにリターンで返すというのがなかなかできないですね。
それをユーモアを交えて、昔の人の和歌に対する変化みたいに、ああいうふうに返せたら最高だなと思うんですよね。
これからも私の目がいいところを、自分の環境も、今の自分の状況も、他者の姿も、全部良いところを見ていけるように、できたら最高です。
そういう時に幸せな人生がきっと送られるんでしょうね、と思いますね。
理想ばっかりを話してしまいましたが、では、良い週末をお過ごしくださいませ。ごきげんよう。