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五輪書と井上🆚中谷と夫に思うこと
2026-05-03 30:26

五輪書と井上🆚中谷と夫に思うこと


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00:05
みなさんこんばんは。五輪の書を非常にサボりましたが、
ちょっと今日は真剣に読んでいきたいと思います。
これね、風の巻きですね。
風の巻きの第3弾のところに入っていくんですけれども、
他流に短き太刀を用うること、という部分です。
原文を読んでまいりますが、
短き太刀ばかりにて刀と思うところ、まことの道にあらず、
昔より太刀といいて、長きと短きということを表しおくなり、
世の中に強力なる者は大きなる太刀を軽々と振るなれば、
無理に短きを好むところにあらず、
その家は長きを用いて、やり薙刀をもつ者なり。
ちょっとなごうございますので、ここら辺で一旦切りましてね。
刀の長い短いのお話なんですよね。
これはね、現代においてもですね、
やっぱりね、三尺七寸以下ぐらいから始まって、
中学生で、私三尺七寸だったんでしょうかね。
八寸だったんでしょうか。ちょっと記憶にないんですけれども。
で、高校生になって三尺八寸を使い、
大学生になって三尺九寸を使い、
社会人になっても三尺九寸をずっと使ってたんですけれどもね。
最近になって三尺八寸に戻したんですよ。
これどちらがいいかっていうのがね、はっきりわからないんですよね。
03:03
束の長さもそうですし、
昨日の井上直哉の試合でもね、
やっぱりね、身長差とかリーチの差ってございますでしょう。
身長が高ければ有利のように見えますが、
バレンタインさんがおっしゃってましたけれどもね、
長身から振り落とすというか打つ場合に、
余計なリーチが必要になる。
確かにね、円を描いたら、振り下ろす時の円を描いたら、
確かにそうですよね。
リーチが短くても身長が低ければ、
また足も腕もスピードがあればすぐ打ち間に入ってしまうから、
どちらがどれだけ有利かなんて簡単に言えるお話ではないというふうなことをおっしゃってましたけどね。
当日の試合の解説でね、
私はね、ライブで見てないんですよ。
ペーパービューが結構高かった。
でもね、やっぱりライブで見るべきなんでしょうかね。
ライブで見るっていうのは、
ハラハラドキドキが必ずつきまといますよね。
で、その後にまたストーンと、
気持ちの精神的な楽さっていうのがありますでしょう。
安心感って言うんですか。
ハラハラドキドキから安心の世界に戻るって言うんですか。
それってある一定の刺激だと思うんですね。
ライブコンサートとか、
スポーツの試合観戦であったり、
それこそ自分が相手と試合をするみたいな時もそうなんですけどね。
その気持ちの楽さによって、
その高揚してパーンと、
06:03
何にもない白紙の状態、
井上チャンピオンがおっしゃってましたけど、
白紙の状態になる、
その何となく安定感というんでしょうかね。
それを求めていくのかなと思うんですよね。
だから別段そういう風な刺激がなくても、
安心感とか幸せとかを感じられるようになれば、
別段、
ボクシングは好きだから、
ボクシングは生で見たいんですけれども、
別段、コンサートとかライブに行きたいとかね、
誰かのおっかけをしたいとかね、
そういう刺激を求めてとか、
高揚感を求めてっていうのはないですよね。
若い時はあったんですけどね。
それが老化なのかどうなのか、
よくわからないですけれども、
幸せの在りかっていうのが、
日常のほのぼのとした、
今の時間だっていうことをね、
分かってしまえば、体験してしまえば、
別にね、
もう必死になってサッカー応援したり、
横浜国際まで出かけたり、
そういったことで、
あんまり必要としないっていうんでしょうかね。
何の話をしてるんでしょう。
昨日の井上直哉の伝説になるっておっしゃってましたけど、
私はね、ずっと昔に、
信護トレーナーが、
直哉は最高の時に引退させるっておっしゃってたんですよ。
だから、昨日が実質引退になるんじゃないかって、
一瞬思ったりしましたね。
でもまあ、ライブを見てないからね。
あまり詳しいことは申し上げられないんですが、
武蔵はね、
09:02
リーチですよね。私たちの立ちの長さって言ったら、
リーチの長さですよね。
もちろん、その短い立ちばかりで、
価値を得ようとするのは、兵法の本意ではないと。
それはまあ、そうですよね。
どこら、どうなんでしょうね。
長い立ちは、
薙刀。
昔、徳永千代という名人の薙刀の選手がね、
戦前からの方ですけれども、武道専門学校にいらして、
昭和の剣道十段の方。
今はもう十段、九段なんですけれどもね。
その当時の日本一の方たちですよね。
その方たちに、次々と買っているんですよ。
関西の方ですけれどもね、徳永千代とおっしゃる方。
戦後、武道がGHQによって弾圧された時も、
南海の地下の道場で、
武専の卒業生が集まって稽古される時に、
一緒に稽古されていたらしいですね。
伝説の方ですね。
そのね、薙刀は剣道よりも強いとはいえですよ。
でも、地下間に入った場合にね、
薙刀をどうするかということですよね。
刀は常に脇にさしてますよね。
日本建築の和室で、
鴨居が必ずありますよね。
例えば、隣同士に座っている武士同士で、
突然、鍔に手をかけるという人がいた場合にね、
薙刀の選手は、廊下かどこかに飾ってある薙刀を、
玄関まで走って行って、薙刀を取らなければならないでしょう。
であればね、
女性が帯に差し込んでいる貝剣ですよね。
12:02
貝剣はきちっとした立派な布で作った貝剣袋に入れて、
綺麗なふさ付きの紐というか、
太い紐でぐるぐる巻きにして、
綺麗なふさがかかっているわけなんですが、
それをバッと右手で、
ふさの飾り結びのところをバッと引っ張ったら、
バラッと取れると思うんですよ。
それで、どうするんでしょうね。
左手でバッと取って、右手でバッと抜くんでしょうかね。
まず、短い貝剣の方が一番有利ですよね。
それよりも鞘に納めている木立の方が有利ですよね。
一発で抜けるんですからね。
ですので、競技としての薙刀は、
剣道に対して強いかも分かりませんが、
実戦においてはね、
街中を薙刀を持って歩く人はいないですよね。
そういうことなんですよね。
ここでは、無理に短い鉢を好むことはない、
というふうに書かれてますね。
ですのでね、
偏ってこだわるのは良くないと、
短いのがいいということでね、
そういうふうに武蔵は述べてますね。
短き鉢を持って人の振る鉢の隙間を切らん。
飛び込むらん、捕まえむ、などと思う心、
偏ってて悪し。
また、隙間を狙うところ、万事五手に見えて、
15:03
もつるるという心あり。
切らうことなり。
五手に見えるんでしょうかね。
隙間を狙うところ。
もし短きものにて敵へ入り込まん、
取らんとすること、
大敵の中にて役に立たざる心なり、
短きにて死へたるものは、
大勢をも切り払わん、
自由に飛びてくるわんと、
思うとも、
ちょっと待ってくださいね。
申し訳ございません。
虫が出ましたので、
夫に退治していただきました。
中断してしまって申し訳ございません。
もし短きものにて敵へ入り込まん、
取らんとすること、
大敵の中にて役に立たざる心なり、
短きにて死へたるものは、
大勢をも切り払わん、
自由に飛びてくるわんと、
思うとも、
皆受け立ちというにありて、
取り紛るる心ありて、
確かなる道にて泣きことなり、
同じくは我が身は強く、
すぐにして人を追い回し、
人に飛び跳ねさせ、
人の潤めくように仕掛けて、
確かに勝つところを汚染とする道なり、
確かにそうですよね。
敵を自由に操るっていうんでしょうか、
追い回し、
敵に飛び跳ねさせ、
敵の潤めくように仕掛けて、
人のっていうところは全部敵だと思うんですね。
そういう形になりますよね、
どんな場合もね。
また昨日の井上中田先生に戻っちゃうんですけれども、
初めてでしたね、
王者の王者がお顔に負傷して
試合後のインタビューに答えたのは初めてだったと思うんですけれどもね。
あれほど細かい傷を負って
18:01
会見に臨んだのは初めてだったように思いますね。
大分の兵法においても合戦のことですね。その理あり。同じくは、人数高きをもって敵を谷庭に仕押し、即時に攻めつぶす心、兵法の戦なり。
大人数で一気に攻めつぶすというのが兵法のもっぱらの道であるとおっしゃっています。
世の中の人のものをしならうこと、へぜも受けつつ、かわいつ身をひるがえして避けることなんですって。
抜けつくぐ、くぐつつ、これくぐるという字ですね。
先生からの線、くぐつつしならえば、心、道にひかされて、人にまわされる心あり。兵法の道すぐに正しきところなれば、正しき理をもって人を追い回し、人を従いゆる心寛容なり、よくよく義味あるべし。
他人数の合戦においても同様のかつ理がある。同じことならば、優勢な軍勢によって敵を立ちどころに圧倒し即座に攻めつぶすありようこそ、合戦における主要なありようである。
世間の人は兵法を修練する際に、へぜから受け身になったり、かわしたり抜けたり、
これ何でしたっけ、えっと、台本の兵法、よし、ごめんなさいね、行ったり来たり。
えっと、くぐつつ、くぐったりですね、どう言うんでしょうか、飛び跳ねたり、体勢を低くしたりということですよね。
暴れられると思うであろうが、自在にね、飛び跳ね、暴れられると思うであろうが、みんな受け立ちであって、受け立ちということは、受け身ということでしょうね。
21:24
5の線ではなくて、ただ単なる5になるということなんでしょうね。受け立ちであって、入り混じるようにほかならず、確実な兵法の道ではない。
なんだかこの訳文自体が難しいですね。同じことのように仕掛けて、確実に勝つことをしような道とすべきである。
あ、ごめんなさいね、ちょっと前後しちゃいました。ごめんなさい。
世間の人は兵法を修練する際に、平然から受け身になったり、かわしたり抜けたり、くぐったりして習うので、そうしたありように心が引きずられて敵に振り回されることになる。
兵法の道は、まっすぐで正しい道であるから、正しく勝つ理によって敵を追い回し、敵を従えるありようが大切である。よくよく考え尽くすべきである。
これは今の剣道では、このことは守られていますね。必要以上に守られているところはあると思います。肩にはまっちゃってるというんでしょうかね。自由度が非常に少なくなっています。
特にコロナ以降、いろんな規制をかけたばかりに、それを引きずっている部分が剣道にはございまして、力まで技を出さずに剣道をしない人から見れば、何やってんのって言われたことがありましたが、そういう状態でコロナを引きずっています。
どうなっていくんでしょうね。
昨日の中谷隼人選手と井上直弥選手のライブでは見てないんですけど、解説動画を何本か続けてみました。
24:09
やっぱりチャンピオンの顔の負傷というのがすべてを物語っているなって、中谷隼人の力量というのは、あれで証明されたなと思ったんですよね。
だから、時は流れていくんだわっていうふうに昨日思いましたね。
我が身に振り返って思ってみますと、どこまで稽古やスポーツを続けるんだろうって思っちゃうんですよ。
その時に自分の本心と私自身がきちっと向き合えれば、答えはパッと出るんでしょうけれども、
悲しいから、自分が何をしたいかがかなり大人になるまでわからなかったんですね。
それは小さい頃から、勉強したら褒めてもらえる、勉強すれば親は喜ぶ、みたいなところがございましたので、
親の顔色をうかがいながら大きくなる過程で、非常に窮屈な幼少期を過ごしたんだということを知ったのは、夫の生き方を見てからなんですよね。
夫は小学校4年生の頃でしたか、自転車に工具をくくりつけて、近所のおじちゃんのピットまで遊びに行ってたらしいんですね。
だから自分のしたいことっていうのははっきりわかっているんです。
今この年になっても同じことを繰り返してやってるんですね。
嫌いなことは一切しないんですね。
一方、私、自由な時間ができてから、今まで子育ての長い間、本当にしたかったのは、ピアノ、茶道、歌道、書道、剣道。
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剣道はずっと続けていましたけれどもね。
生学とか古文書とか、画学とか入れましたら、8つも同時にやっちゃう。
しかもね、心の底からそれがしたいのかどうかもわからない。
突然、数学の勉強を始めたり、っていうのをね、夫にね、ひょっとして受験勉強後遺症なんじゃないかって指摘されたことがあるんですよ。
ドキッとしましたですね。
受験勉強で挫折している後遺症を未だ引きずって、過去の中に生きてるんですね。
夫は常に現在なんですよ。今やりたいことをする。今釣りに行きたいから、今日は釣りに行くみたいな。
いや、お休みだから釣りに行かせてね、みたいな。
急動をやりたい時は急動をやる。でも、仕事と趣味の境目がわからないぐらい。
それぐらい徹底して、好きなことをずっと続けてきているんですけれどもね。
それはやっぱり、親から与えられた自由なんじゃないかなって思うんですよね。
自分の本音とか本心っていうのが、すぐに分かる、瞬間的に分かるっていうのがね、本当にね、私は最初、非常に羨ましかったですね。
そこの部分をね、どうにか、たとえばね、赤ちゃんの時から気遣ってたのかどうかは知りませんが、泣きたい時に泣く、笑いたい時に笑うみたいなね。
で、そういうふうな、せめてね、せめて自分自身の本音には答えてあげなければね、無駄な時間を過ごしてしまうんじゃないかというふうにね、ふと思った、この頃でございました。
30:01
何だか、五輪の書と井上直哉、中谷隼人さんと、まあ夫の話とぐちゃぐちゃ入れ混じりになりましたが、では皆様30分もお付き合いくださいました。ありがとうございました。ではごきげんよう。
30:26

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