サマリー
このエピソードでは、SNSやコンテンツ制作を通じて自分のストーリーブランディングの重要性が語られています。特に、自己の人生における悩みや変化をストーリーとして紡ぎ、それを発信することで深みを持たせる方法が探求されています。また、東京での新生活に感じた疲労とギャップ、さらには個人で商品を作る楽しみについても語られています。著者は自身のストーリーを振り返りながら、ショート動画のアイデアを模索し、その過程でコンテンツ作りの重要性を認識しています。
ストーリーブランディングの重要性
はい、こんにちは、マナミです。3人の子供たちを育てながら、SNS発信やコンテンツ制作を中心にお仕事をしているママフリーランスです。
今日はですね、ショート動画をちょっとしばらく続けている中で、やっぱり自分の中のストーリーブランディングっていうかな、ストーリーっていうのを持って発信していくのって大事なんだなっていうふうに思ったので、なんかちょっとそんな話をしてみようというふうに思います。
最近、プロフリーランス講座を受けたときに、ストーリーブランディングの課題が出たので、ちょうどね、昨日提出だったので、自分の中のストーリーっていうのを結構考えたんですね。
ストーリーブランディングっていう言葉がありまして、主人公っていうのがいて、主人公が抱えている問題っていうのをどういうふうに解決していくか、そこに導き手が登場したりっていういくつかの要素があって、
そこに自分を当てはめていくと、王道のストーリーが出来上がると。ハリーポッターとか、いろんな名作の映画とかね、大ヒットしているような本とかっていうのは、大体このパターンに当てはまるっていう、
そういうストーリーがありまして。ちょっとうまく説明できてないんですけどね。そういうのがありまして、私はこの場合、自分っていうのを当てはめたら、このストーリーブランディングの話で言うと、何がどう当てはまるのかなっていうのを考えるっていうのを最近やったわけですね。
私ってフリーランスになるにあたって、そんなに人生をうよ曲折ありまして、なんとかたどり着けたのがフリーランスですみたいなエピソードもないし、
習平さんは例えば借金があったりとかして、自分の島に帰ることになってっていう話があったりとか、私のまあ身近なフリーランスの人とかでも、適応障害になって仕事ができなくなってとかだったりとか、
自分なりのストーリーみたいなのを持ってる人が結構いたりして、そういうストーリーがあると、結構自分の発信の中に深みを持たせられるみたいなところがあるから、変な言い方ですけどいいなって羨ましいなって私思ってたんですね。
私なんかそういうエピソードあんまないなっていうふうに自分は思っていて、なんかそのストーリーブランディングの今回課題が出たことで、自分の中に何かそういう物語っていうのがあったかなって、自分の中に何かこう悩みがあって、それに対して導き手となる人が現れたりとか、
そこで何か私が行動するきっかけになったとか、なんかそういうストーリーってあったかなっていろいろ考えた時に、やっぱり自分が発信をどうして始めることになったかっていうそのきっかけの部分とか、発信を始める前の私と始めた後の私っていうのの変化みたいなところで、ストーリーっていうのは作れるかなっていうふうに思ったんですね。
最近やっぱショート動画を毎日やっていて、やっぱりね、なんかそのストーリーを持ってる人、自分の中に物語があったりとか、そこに自分の価値観とか思想とかを乗せて発信してる人はやっぱり強いなっていうふうにすごく感じるんですよね。
東京での経験と課題
なんか、有益な話をしますっていうのとか、今から言うのを保存してくださいっていう、なんか有益系ノウハウ系っていうよりも、なんか自分はもともとこういう人間で、こういうことがあって、こういうきっかけがあって買われたんですよねっていうことをなんかシェアしてくれるような、そういうコンテンツとかがやっぱり感情が動くなというふうに思うし、
なんかその人の言ってることだったら、なんとなく信頼したくなるみたいな感じで、その人の勧めるものだったら買いたいとかね、その人が言ってることだったら、なんか自分もやってみたいとか、そういうふうにすごくその次のこちらの行動にも移るっていうことがあって、やっぱりなんかストーリーブランディングとかストーリーを持ってるってことはすごく大事なんだなっていうふうに、ショート動画作ってて特に思うんですよね。
そうで、自分の中のストーリーっていうのを発信する前と後っていうことで、ストーリーを考えて今回ストーリーブランディングの課題のテストをしたんですけども、やっぱり私は東京に出てきた時の自分の人生こんなはずじゃなかったかっていうのがやっぱり自分の中で一番大変だった時だったかなっていうふうに思うんですよね。
他の人の借金があったとか、うつになったとか、病気で退職したとか、もしかしたら離婚とか、そういう話、エピソードほどは強くないかもしれない。強さとか弱さじゃないんですけど、そういうほどじゃないかもしれないんですけど、私の中では結構思い描いてたのとちょっと違ったっていうのは結構ショックだった出来事だったなというふうに思うんですよね。
というのも私は幼稚園の先生を6年間くらいやっていて、その頃に夫が牧師になるための実習で金沢に来て、その時に知り合って、金沢と東京でしばらく遠距離恋愛をしていたわけですね。
私は自分の母が東京出身ということもあって、東京には時々遊びに行っていたし、大人のデートでも何回か東京に行ったりして、すごく私みたいな円溜めとかね、そういうのが好きな人間にとって、買い物とかもそうだけど、東京ってやっぱりすっごい魅力的な場所だったんですよ、私にとってね。
東京住みたいなって思ったし、幼稚園の先生をやりながらも東京に住みたすぎて、ディズニーランドのキャストになる時に住宅の手当てみたいな制度があって、そういう制度を利用してディズニーのキャストになりながらも東京住んじゃおうかなと思ったぐらい。
それぐらいね、考えてたこともあるぐらい。東京っていう場所にすごい憧れがあったんですね。で、結婚して、結婚式じゃないか、上京して東京に行ったのが私、その仕事辞めて4月、2019年の4月なんですけど、2019年の5月に結婚式があったので、1ヶ月で、それまでも結婚式の準備してましたけど、現地でできる結婚式の準備ガーってやって、さらに同時に大学院にも入学して教育学専攻で入ったりとかしたから、
東京行って、いろんな自分の夢に向かってとか、自分の楽しいこと今からやるんだ、セカンドステージ来たみたいな感じだったんですよ、最初ね。で、結婚式が終わって、そうねとか言って、結婚したわけだし、彼と一緒に住めるようになったみたいなところとか、仕事も辞めて、自由な時間がいっぱいあった。
自分としていろいろなくちゃいけないことあったけど、自由な時間もいっぱいあって、で、YouTubeとかもずっと見てダラダラしてて、なんかすっごい時間があって楽しいなみたいな。で、自炊とかも初めてだったけど、なんか、うんと、うんと、いろいろね、レシピ調べてやってみたりとか。
当時から私、ミニマリスト志向ではあったので、ミニマリストとしてのなんか、もの選びの楽しさとかね、無印で新生活用品揃えたりとか、そういうのもすごい楽しかったんです。最初のね、1、2ヶ月ぐらい楽しかったんだけども、そこからね、激しく東京で消耗するようになったっていうのがあったんですよね。なんかこんなはずじゃなかったっていう。で、特にその中で深刻だったのが、やっぱりお金のことだったんですよ。
そうでね、えっと、まあその大学院生で、えっと、やっぱり社会人から大学院生になるってマジで並大抵のことじゃないなっていうのがあって、まずなんかお金、金銭的な補助みたいなことって基本受けられないんですよね。別に自己都合で普通に退職して、で、大学院生になるってことはそれは金あるんだよねっていうことですよね。
で、何かそこで学生だからって言って何か補助させても、なんか学生料金が適用になったりとかするかもしれないですけど、本当にそんな飲食店ではね、ご飯の大盛りが無料になるぐらいの話なんですよ。本当にそれぐらいのレベルで、なんか結局、なんだろう、家賃、学費のところで何かしら、何か補助みたいなのが受けられるわけでもなくって、お金あるから勉強したくって大学院行ったんでしょみたいな扱いですよ。
で、実際その大学院の生活、勉強しなくちゃいけないからアルバイトとかもそんなに入れられるわけじゃなくて、で、やっと見つけたバイトが知り合いの先生に紹介してもらった小学校の学習支援のアルバイトだったんですね。でもそれも体調が悪かったりすると出勤できない。出勤できないとお金入らないっていう普通に自給で働くことの厳しさ。
それまでもね、サーティンまで働いたことあるからアルバイトの経験はあったんですけど、そうだったらバイトって欠勤すると普通にお金もらえないんだってことを思い出したっていうね。
何回か休んでも月収でね、月の単位でお金もらってたら、そんな1、2回休んだだけで給料めっちゃ減るってことないじゃないですか。でもアルバイトになった途端にそれを思い出して、なんかお金ないなみたいな。
そしてやっぱり前の年まで、この前の管理職として働いてますから税金が半端なかったんですよね。税金取られるっていう。それでもね、家賃6万5千円で、当時向川岡遊園の私近くでした。小田急線のね。そこが最寄りでしたね。
東京での新生活の疲れ
あたりに住んでて、固定費はね、結構下げたのかもしれないけど、やっぱり電車のお金とかもかかるし、あと何か、やっぱりめっちゃ疲れてましたね。いっぱい歩くから東京って。地方の人って分かると思うんですけど、車乗っちゃうとあんま歩かないんですよ。
で、なんか買い物の荷物とかもどんどんどんどん車の後ろに積んじゃうし、着替えも車の中でしちゃうしみたいなね。車の再共設みたいなとこあって、東京に行ったらなんだろう。
一日中持ち歩いて、午後も歩くんだみたいな感じのことを普通に思ったし、歩く距離が長いみたいな。いつも疲れてましたね。新生活の疲れっていうのもあったと思うんですけど、私の中では東京ってこんな感じだったっけみたいな、その感じがあったので、そのギャップみたいなものが一番しんどかったなって思うんですよね。
その後、youtubeだらだら見てたら、自分の商品作れっていうサムネが目に入ってきて、それが生駒さんだったわけですよね。その数年後、生駒さんにコメディに迎えに来てもらったりとかするわけですけど、私。
そうそうそう。迎えに来てもらってね、生駒さんに実際にお会いしてっていうことになるわけですよ。そんな時はね、まだそんなこと知らなくて。個人で稼ぐって何?みたいな。企業家でもなんでもないのに、個人で稼ぐとか商品作るって何?みたいなふうに思って。でもそれですごい興味を持って見て。
で、それからSNSで発信っていうものがあるんだっていうものを知って、最初に作ったyoutubeの動画がモバイルバッテリーの動画だったんですね。それもなんかめちゃくちゃ思いつきで、なんかその日家に届いたモバイルバッテリーを開封しようと思った時にピタッと手が止まって、なんか開封動画とかってyoutubeに上げてる人いるよなって思いついて。
三脚もないから体育座りして膝の間にスマホ置いて、その体育座りしてる膝と膝の間、床ですね。床のところにモバイルバッテリーを置いて、そんな中で撮影したのがyoutubeの動画の一本目だったんですよね。
で、その後コロナがあったり、夫の最初の認知になったのが高知だったことから、東京から高知に引っ越したりとかっていうことがいろいろあって、それでいろいろぶっ飛びますが、今に至るわけですね。
そう考えると、いろんなところ、私はその自分の中の壮大なストーリー一つっていうふうに考えることができるけど、ショート動画だったら、それこそ自分のストーリーの中からいくつか切り抜いてショート動画にして。
切り抜きのショート動画っていう発想ありますけど、長尺の動画からね。私のストーリーの大きな枠の中から切り取ったら結構いろんなショート動画できるのかもしれないなって、その時思ったんですね。初めてね。
だから、自分には何か語れるエピソードなんてないし、アップダウンがあるような劇的なドラマチックな展開があるわけでもないっていうふうに思ったけど、自分の人生の中から切り抜いたら、ここの部分ショート動画になるかも。
ここの部分って一つ何かストーリーになるかも。ここの部分で何か伝えられることがあるかもなっていうふうに見れる部分あるなっていうふうに思ったんですよね。
そこから生まれたのが昨日のショート動画で、娘を初めて保育園に預ける時の私の中の葛藤みたいなものを描いたというか、そういうショート動画です。
こんな小さいのに預けるの?っていうふうに自分の中で自問自答して、自分は子供を家で見れるしっていうふうに思ってたところから、子供を預けて働くしかない。子供を預けるしかないっていうふうになった。
第2子の2番目の子を妊娠したタイミングで、これは預けざるを得ないっていうふうになって、決して私はSNSの発祥を本気でやっていくために保育園に入れようと思ったわけじゃなかったんですよね。
そんな時のことを思い出しながら、自分の人生の一部を切り抜くイメージで作ってみました。
ただ、こんなふうにショート動画のネタ結構困ったりするし、これショート動画に限らずですね、その人のストーリーっていうのがやっぱりコンテンツの中から見えるっていうのが、特にAI時代はやっぱり必要だなというふうに思っていて、
自分の人生の中のここの部分切り取れるかもな、みたいな感じの発想を持ってコンテンツを作っていくと、やっぱり他の人との差別化ができて、自分にしかないオリジナリティ溢れるようなそういうコンテンツにつながるのかなっていうふうに最近思ってます。
なので、今自分の人生をすごい振り返ってることが多くて、この部分切り取れるかなっていうところを探しながらショート動画にしていますね。
また日々の更新を楽しみに待っていてくださると嬉しいです。
はい、というわけで、まあ、祝日明けということで、はい、水木金ですね。
あと平日は3日間というわけで、私もちょいちょい休憩しながら、コツコツの日々のコンテンツをいろいろと更新していきたいなというふうに思っています。
皆さんも今日も一日また一緒に頑張っていきましょう。ありがとうございました。
13:53
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