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2023-02-16 24:31

焚火をながめながらベーシックインカムのある世界を妄想する

日曜日の午後、子供が焼き芋食べたいをいうので焚火をしました。焚火の日って暖かいし、眺めてるとなんか落ち着きますよね。

芋以外にもマシュマロを焼いて食べました。

どちらもおいしかった。


今週は、舌にできてた口内炎もよくなったので、妄想大百科やニュートンのリンゴのコーナーもやってます。

ぜひ、最後まで聞いてください。


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00:08
こんにちは、マコトです。
先週っていうんですかね、今週になるのかな?日曜日ってどうなんですかね?
週のスタートになるのか、週の一番最後の日になるのかによって、
先週、今週っていうね、使い方が変わってくるのかななんて思うんですけど、
先週ということにさせてもらいます。月曜日スタートということでね、1週間が。
先週のね、日曜日にですね、僕、焚火をしたんですよ。
子供が芋が食べたい、焼き芋が食べたいっていう風に言ったので、
焚火でもして、焼き芋焼いて食べようかっていうことになってね、焚火したんですよね。
久しぶりに焚火したんですけど、焚火の日ってね、やっぱりなんかぼーっと眺めてると、
時間が経つのを忘れてすごくリラックスするんですよ。
なんでですかね?
なんかね、YouTubeだったかでもね、一時期暖炉の日が燃え続ける動画っていうのがね、
なんか結構バズったというかね、人気があったみたいなこと聞いたことあるんですけど、
本能的なんですかね?ああいうふうになんかぼーっとこう見続けられて、しかも、
なんていうんですかね、同じ形が出てくるわけではない、形が無限に変わるようなものっていうのは、
心が落ち着くんですかね、眺めてるとね。
焚火をしててね、それを感じました。
焼き芋ね、時間かかるんですよね。
焚火で焼くとしてもね、そこそこ時間かかっちゃうので、待つ間に何かしようということで、
マシュマロを買って行って、そのマシュマロを焼いて食べようっていうことにしたんですよ。
マシュマロって人にもよると思うんですけど、
そのまま食べてもね、あんまり美味しいものじゃないかなっていうふうに僕は思ってまして、
でもね、焼くとすごく変わるんですよね。
その味というか食感というかがね、ガラッと変わってですね、すごく美味しく感じられるんですよ。
例えるならですね、高校まで地味だった女の子が大学に入ってね、化粧してガラッと変わるって、
なんか変な例えになっちゃったんですけど、それぐらいなんか激変するんですよね。
ちょっとね、表面が焦げてパリッとしたところに中がトロッと、
で、まだね、ちょっと焼けてないところがモチっとした感じっていう、そのね、なんか3つの食感がうまく合わさってね、すごく美味しく感じて、
キャンプでね、マシュマロを焼いて食べるっていうのがすごく人気があったりするじゃないですか。
それのね、理由というか、それがね、よくわかりました。
いやー、それは人気出るよっていうふうにね、思いました。
あとね、焚き火で焼いて美味しいものってね、意外なものっていうと、
みかんがあるんですよ。焼きみかんってすごく美味しいですよ。
そのままね、みかん食べてももちろん美味しいんですけど、やっぱりね、ちょっと酸味があったりするじゃないですか。
03:06
今はね、普通に食べてもすごく糖度が高くて甘いみかんっていうのがたくさんあるんですけど、
僕がちっちゃい頃ね、スーパーとかで売られてたみかんってね、意外に酸っぱいものが多かった気がしてて、
そういうね、酸っぱいみかんとかでもね、焼くとね、甘さが強くなって美味しく食べられるんですよ。
で、それをね、発見したのが、僕が住んでた地域、竹原はね、
トンドの仲間にはなるんですけど、2月の上旬にね、新明さんっていうね、トンドに似た飾り付けたトンドっていうのかな、
それをね、焼く習慣がありまして、習慣?習慣じゃないな、風習か、風習がありまして、
そのトンドじゃない、新明さんにね、みかんが飾られてたりするんですよ。
その飾られてるみかんもね、一緒に焼かれるんですけど、焼いてる途中でそのみかんをね、取り出してきて、
それをね、食べると1年間無料即席でいられるっていうことで、縁起物としてね、食べられたりしてたんです。
で、うちのね、祖父とかが、お前もね、元気になれるから食べろ、みたいな感じで持ってきてくれてて、
最初ね、食べた時は正直ね、そんなに美味しいと思わなかったんですよね。
なんか生温かい、甘みの強いみかんっていう感じで、なんかね、やっぱ子供の舌には合わなかったんですけど、
年々年を取るごとにね、その焼きみかんの味っていうのが分かってきて、これがね、美味しく食べられるようになってきました。
年を取るごとにね、なんか舌も年を取っていって、味覚が変わっていくっていうのをね、実感できる、そんな食べ物でしたね、焼きみかん。
今回焚き火ではね、焼きみかんしなかったんですけど、次にね、焚き火する時はちょっとみかんを買ってね、焼いて食べたいなっていうふうに思います。
普通に食べてね、すごく甘いみかんはね、技で焼かなくてもいいので、ちょっとね、安くてもいいので、酸味が強いかな、みたいなみかんをね、買って焼いて食べれたらなぁ、なんていうふうに思ったりしています。
それでは、日曜日の焚き火の話が一段落したところで、今週の窓の外をスタートさせていただきます。
まずはね、今週はお便りのコーナーからスタートさせていただきます。
先週ね、紹介したススムさんのね、ポッドキャスト番組、ススムアートの方からね、お便りが今週も届きまして、
僕がね、先週、ポッドキャストでススムアートのことを色々と紹介させていただいたんですけど、それのお礼がね、届きました。
なんかね、紹介して、それのお礼が届いて、僕もそれに返事させてもらってね、ススムアートの最新観をお聞かせしてもらった感想などを返事に書かせていただいたんですけど、
06:08
そうやってメッセージのやり取りをしていると、ポッドキャストを使った文通みたいな感じがしてですね、嬉しい感じすごくしています。
こんなね、これからちょっとずつでも広がっていったらいいなって思いますし、
これ広げていくためにはやっぱりね、この前も言ったんですけど、自分からメッセージ出す点も大事なのかなっていうふうに思ってますので、
もしかするとね、僕がフォローしているポッドキャスターさんのとこにいきなり僕がメッセージを送ることあるかもしれないので、
その時はぜひ優しく返事とか返していただけると嬉しいなと思ってます。よろしくお願いします。
それでは久しぶりに妄想大百科のコーナーをやっていこうと思います。
今週の妄想は、AIが進歩して機械が働く時代になったら人間はどうするんだろう?
最近よくね、AIが進歩したら仕事がなくなるとかね、そんなことを言われたりするんですけど、
絶対にそんなことはないだろうっていうふうに思ってはいるんですけど、
もしね、これからどんどんどんどんAIが進歩していって賢くなっていってね、
しかも機械がね、そのAIの命令というか、AIを使った機械が自動でいろんなものを作ってくれたりするようになって、
人間の生産活動っていうのはね、機械に頼るようになって、
ある意味ね、人間がそんなにまで仕事しなくても良くなったら、
僕たちはどんな生活するんだろうなーっていうことをね、想像してみたりした話をね、したいと思います。
AIが作ったものであっても、僕たちは結局それをね、お金で買わないといけないだろうというふうに思ってます。
ただでね、それが人々にね、提供されるってことは絶対ないだろうなーっていうふうに思ってまして、
ただ、機械とかがね、作るので、人件費っていうのはかなり減ってくるだろうから、
そのね、商品の価格っていうのは下がるかもしれないし、
機械のメンテナンス代とかがね、人件費の代わりに必要になるから、結局値段が変わらないかもしれないんですけど、
そういう機械が作ったもので得た収入の何割かが税金として国が徴収して、
それをね、ベーシックインカムみたいな形で国民に分けていくっていう時代が来るかもしれないです。
ベーシックインカムとかね、できてしまうと、働かなくなる人たちがね、たくさんいるんじゃないかーみたいなこともね、言われたりするんですけど、
09:07
ベーシックインカムだけじゃね、絶対生活できないと思うので、
それプラス自分がしたい仕事っていうのをね、する人たちが増えてくるとは思うんですよ。
今だとね、仕事に追われて結局したいことができてない人っていうのが、
ベーシックインカムがあることで自分のね、したいことができるようになってくるっていうことはね、あるんじゃないかっていうふうに思っているんですけど、
一方で、まあそういうふうにね、できない人、まあいろんな理由があると思うんですけど、そういうね、なんかできないかったりとか、
もう何もやる気がなくてベーシックインカムだけで何とか生活していきたいみたいな人たちはね、
まあそれで生活ができる場所みたいなのができてくるんじゃないかなっていうふうに思ってます。
そうやってね、ベーシックインカムで生活保障みたいなのは最低限あったりはするけど、
それでもそこからプラスアルファできる人とできない人っていうので格差みたいなのも開いていくかもしれないし、
そこにね、もしかしたら差別、新しい差別みたいなのもできてくるのかもしれないですし、
そのね、ベーシックインカムを搾取するじゃないんですけど、
そのベーシックインカムの中だけでやりくりできるよみたいなアパートね、
食事がついて寝るとこがついてみたいなね、アパートというか、
僕がね、仕事しているとこでいうとグループホームみたいなものがね、
もしかしたらできて一般の人もそこに入ってね、生活するっていう人もね、
出てくる可能性みたいなのがあるんじゃないかなーなんていうことをね、
ぼやーっと今週考えたりしました。
皆さんどう思います?このベーシックインカムってね、
いいような悪いようなそんな気がしますよね。
またね、なんかそのベーシックインカムとかに関するご意見あれば教えていただきたいですし、
僕ね、全然これ喋りながらベーシックインカムの勉強とかをして喋ってるわけじゃないので、
そんな全然間違ってるよっていう言われることがあるかなと思うんですけど、
その辺はね、ご了承いただけたらなというふうに思います。
それではね、こちらのコーナーも久しぶりになります。ニュートンのリンゴです。
前回のニュートンのリンゴではね、
日本の近代的な社会福祉活動としてどんなものが行われたかっていうのをちょっと喋らせていただいて、
12:00
その中でね、事前活動家の一人、
富岡浩介さんについての話をしていたんですけど、
じゃあね、今週はね、日本のソーシャルワークの源流ってどんなものがあったのかなっていう話をしたいと思います。
でね、この社会福祉活動というかね、社会福祉の歴史に関してはね、
今、コテンラジオさんの方がですね、めちゃくちゃ詳しくやってくれてて、
すごくそっちの方がわかりやすくて、
僕も聞いてるんですけどね、
なんかね、これ僕やる意味あるのかって聞きながら一人で思ったりしたんですけど、
なんかね、ちょっと僕が何となく本読んだ内容こんな感じでしたよっていうのもね、
喋りたいなと思うので、喋らせてください。
でね、僕の放送でもね、聞いてちょっとね、深く知りたいなとか思ったら、
もちろんね、コテンラジオさんを聞いていただいてもいいですし、
自分で本買ってね、調べてみてもらってもいいですし、
そういう知るためのきっかけに、僕のニュートンのリンゴがなればなというふうに思います。
ではね、日本のソーシャルワークの源流に行こうと思うんですけど、
前回お話しした、
富岡さんのようなね、事前事業家の方と、
あと地域におけるね、給品事業に関わった一般の人たちの活動によって、
ソーシャルワーク作られていったというふうに書かれていました。
ここで地域におけるね、給品事業っていうのがどんなものがあったのかというと、
1874年に10給規則というのができています。
1929年には給護法っていうのがあって、
第二次世界大戦後にはなるんですけど、生活保護法というのができてきました。
こういった流れを経て、今の制度が出来上がっているというふうになっています。
それではね、10給規則って何なのかっていうのをね、少しお話ししたいなと思います。
10給規則っていうのは、社会福祉国家成立以前の政府による給品制度のことを言います。
社会福祉国家成立以前の政府っていうことなので、
日本で言うと江戸時代とか、そういうふうな時代にできていた給品制度ということになりますね。
イギリスの給品法っていうのがあったじゃないですか、
あれと比べて日本の10給規則っていうのは極めて制限的で、
対象の範囲とかね、受給者の数っていうのもかなり少なかったみたいです。
10給規則の前文にも、なんでその対象者が限定的で少なかったかっていうのが書かれているんですけど、
その内容っていうのがですね、生活困窮者の問題っていうのは、
第一に地域の相互援助、具体的には血縁であったり、
遅延であったり、食縁であったり、そういった指摘不要によって担われるんだっていうことが書かれていたんだそうです。
15:05
これらが受けられない場合にのみ公的に救済していきますよというふうに言われていたので、
公的に何か援助する前に、まずは身の回りの人がその人を助けなさいっていうのがこの10給規則の前文に書かれている内容で、
この考え方っていうのは、法勤時代の自強的救済思想っていうものに由来するんだっていうふうに言われています。
自強的救済思想っていうのがどんなものなのかっていうとですね、
江戸時代の受学者、山賀祖公っていう方がいらっしゃったんですけど、
この人が言っているものには、身寄りのない老人とか小敷とか、そういったことを救済することは君主の大徳であるっていうふうに言ってるんですけど、
その救済にあたってはまずは親族がこれを救済して、それがいない場合は5人組という地域の組織に救済っていうのを付与させて、
それができないっていう場合のみ、両氏がそれを付与するのがいいんだっていうふうに述べているということで、
やっぱり地域がまずは面倒見なさいっていうのが、この自強的な救済思想の中にあったっていうふうに思いますね。
5人組っていうのは、社会とかで歴史の時間に習ったかなと思うんですけど、
保険制の下で、納税などの連帯責任を負うとともに、総合扶助組織の一つとしての役割も担わされていたというもので、
今でも根強く残っているこの連帯責任っていうのは、この辺に由来してるんじゃないかなって僕は勝手に思ったりしてるんですけど、どうなんでしょうね。
この自強的な救済思想っていうのも、また日本にはすごく根強く残っているんじゃないかなというふうに思います。
それがやっぱりね、自分の母親だから介護、自分の家でしていかないといけないとか、
自分の子供が障害を持っていたりした場合でも、自分が産んだ子供だから家族だから、
家で何とかしていかないといけないっていうね、他にあまり頼れないっていうところは、この辺り、自強的な思想に由来している部分なのかなというふうに思ったりします。
最近はそれが少しは少なくなってきているのかもしれないんですけど、江戸時代から続いているこの考えっていうのは、
やっぱり一回、民族的というか国というかそういったところに根付いた考え方っていうのは、なかなか抜けていかないものなんだなっていうふうに本を読みながら勝手に思ったところなんですけど、
この辺りについても多分ね、聞いてくださっている皆さんにはそれぞれ思いっていうのはあるかなと思うので、
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その辺もね、もし聞かせていただけると嬉しいなっていうふうに思います。
この救済法が行われている中で、セルツメントとホームエインという2つのソーシャルワーク実践が、都市の貧困地域を対象に登場してくることになります。
セルツメントっていうのは、1回目だったかな、2回目だったかにと話をしたんですけど、
要は、貧困地域に建物を建てて、そこに支援する人が支援される方と一緒に住みながら、いろんなことを教えていく。
学問であったり、レクリエーションの方法であったり、そういったことを一緒に教えていくっていうものなんですけど、
詳しくは2回目だったかな、聞いていただけたらなというふうに思っています。
このセルツメントとホームエインの2つのソーシャルワークが導入された背景っていうのは、
近代化によって引き起こされた社会問題を何とかしようとする傾向が、知識人とか官僚の間で広まったことが要因になっているというふうに言われています。
特にセルツメントの日本への移入っていうのは、近代化で弱体した隣補祖父、近所の人であったりが手助けしていきましょうみたいな習慣を、
近代的に再構築しようとして取り入れられたものだろうというふうに本には書かれていました。
こういう形で、日本の近代化における貧困問題を捉える新しい視点と対処法が得られたことによって、
日本でも大学とか宗教団体による民間のセルツメント活動が盛んになっていきます。
また、東京とか大阪などの大都市では公的なセルツメント、リンポカンですよね。これも建設されていきました。
1951年にはリンポカンというのは社会福祉事業法の中でリンポ事業として制度化されていって、戦後も実践が継続されていくわけなんですけど、
1969年以降は同和対策事業としての側面がかなり強くなってきまして、その他の社会福祉事業とはちょっと別の道を歩んでいくことになっていくわけです。
ここで同和対策事業ってじゃあ何なんだっていうふうに思われる方もいらっしゃるかなと思うんですけど、
この同和対策事業というのは日本の人権問題解決のため、非差別部落、同和地区というふうに言われたりするんですけど、
この環境改善と差別解消を目的として行われた一連の事業のことなんですよね。
同和という用語、これがどこから来ている言葉なのかというと、同法優和という言葉から作られてきてまして、
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その同法優和の同と優和の和をとって同和というふうに言われています。
ブラック差別の起源というのは諸説あるみたいなんですけど、僕が中学校とか高校で話を聞いた中では、
江戸時代とかで爆反体制の強化とか維持の目的として、当時の社会の中にあった偏見を利用しての、
政治的・人為的に作られた身分制度に由来した差別だっていうふうに言われていました。
江戸時代なんで貼り付けとかあったわけじゃないですか、処刑の方法としてね。
その貼り付けで罪人を刺すであったり、その首を切り落とすであったりっていう仕事をしてた人たちが住んでた地域。
あそこの人は悪いことをしたからああいう仕事を今でさせられてるんだみたいな感じで言われて、
その同和地区にそれがなっていったみたいなこととかね、授業で聞いたように覚えてるんですけども、
やはりこれね30年ぐらい前に聞いた話なのでちょっと正確性はないかもしれないんですけど、
そんな感じでね、人為的に作られた身分制度に由来した差別っていうのを知っておいていただけたらなと思います。
セルツメントと同時に日本に輸入してきたソーシャルワーク実践としてね、もう一つ法明院っていうのがあったんですけど、
この法明院っていうのは何かっていうと、現在の民生委員に当たるもんだと思っていただけたらと思います。
20世紀初頭から現在まで地域の困窮者の相談援助活動を行って、
長期にわたる公的扶助制度のケースワーカーの役割を担ってきたのがこの法明院なんですね。
この法明院が取り入れられたのが1918年、大阪が一番最初にこの法明院を導入したわけで、
そこから全国に定着していったということで、だから大阪って福祉活動が盛んなイメージが僕の中ですごくありまして、
この法明院を一番最初に取り入れたっていうのが一つになっているのかな、
福祉が盛んっていうところの一つになっているのかななんてことを思ったりしています。
それでは今週はこのあたりで失礼します。
エピソードの概要欄にGoogleフォームのリンクとTwitterのリンク貼っていますので、そちらからお便りをいただけると嬉しいです。
24:07
リスナーの皆さんとのつながりがポッドキャストを続けていく原動力になりますので、どうぞよろしくお願いします。
それでは皆さん次回もお楽しみに。
パーソナリティは誠でした。
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