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2026-02-27 27:55

2026/01/12 まちほくラボの八枚おろし(あんじー)

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まちほくラボの八枚おろし
この番組は、自然豊かな高原エリアで、「つながる」が合言葉。
政治・自然環境・福祉・文化芸術・子どもの育成など、それぞれの分野の人たちが、
集代わりで登場し、自由に未来語りをします。
この番組は、小渕沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りします。
小渕沢もまだまだ玄関中ながら、新しい春を迎えることができました。
この番組、まちほくラボの八枚おろしも、2度目のお正月年越しとなりまして、
本年も誠に地味ながら、毎月第2週目には森の中から、
安寺安藤佳樹が地域自然環境のお話をさせていただきます。
どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いを申し上げます。
私、安寺は、学生時代は社会工学系といいますか、政治系の学部に在籍しておりまして、
個人的な興味としては、文化人類学とか歴史学に関心がある若い頃。
すなわちどちらかといえば、理科系、自然科学系ではなくて、人文科学系にウェイトがあったのでした。
だから、民主主義であるとか、憲法論とか、統治論とか、それから戦争とか平和な社会とか、
地域の在り方、または人々を豊かに幸せに導く、形成・催眠としての経済、
まあ、稼ぎ方とか、新しいビジネスのことを主に考えていたと思っております。
ここ小淵沢の地に繋がりを持つようになって、かれこれ40年となりましたが、
やはり地方・田舎社会とか、産村経済とか、山での暮らし方や林業経営などに関心がありまして、この地に着いたのであります。
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おかげさまで、以来この地で3人の子育てをなし、みんな健やかに成人をしてくれて今があるのです。
そして、成り割としての仕事は、といえば林業経営の業界からスタートして、小淵沢の県の植物園の運営もう10年ほどさせていただき、
今は森と樹木、大地と生態系のことが私の頭の中ではかなり支配的となっているのです。
そう、つまり人文科学系からいつの間にか自然科学系へと思考のウェイトが変わってきているのであります。
特に地球大地の歴史、生態学的環境にあっての植物のことは、まあ面白くてやめられないのであります。
私たちが暮らす山梨というね、この幸福盆地を取り巻く大地というのは、またこれが地質学的に極めて面白く興味深い。
右を見ても左を見てもみんな違う成り立ちの山があるというね、そういう環境におりますので、
この辺地球の歴史、大地の壮大なロマンというのは、私にとっては本当にワクワクさせられる世界であります。
大きな木々は私にとっての人生の友のような存在でもあります。
見上げても良し、対話しても良し、そう木と話をするんですよ。
それから花をめでたり、新緑の季節または紅葉の季節も楽しませてくれ、果実の収穫もいろいろにいただくことができます。
葉っぱを利用することもできますよね。
悠久の時の流れや物言わぬ我慢強さなども木々から学ぶことしきりであります。
大きな木でありながら、その生態とか生き様、自然科学的な仕組みを細やかに紐解けば紐解くほど、
実はですね、ミクロの世界とか科学方程式の解明、または最近では量子力学とかジーバなどにも通じる世界であることが次々と判明してきておりまして、
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昨今は菌類とか草類、それから苔とかチイ類、さらにバクテリアの世界にまで見つめるようになってきております。
人類や日本人がこれまで成してこなかったタイプの新しい森作り、その新しい手法、
生物の多様性とか環境や生態系の多様性、遺伝子の多様性なども紐解くという時、
その複雑な連環の繋がり、またはより具体的多岐に目の前の大きな樹木個体の健全性とか保育というのを考える時、
やはり土壌、つまり土の中の複雑な世界、土壌微生物や水や無機物の流動の探求なども尽きることのない重要なテーマが次々と私の目の前に現れてくるのであります。
昨年代、世の中は物価の高騰、あらゆる増税、平成から令和へとこの国の経済の長期低迷で私たち庶民の財布は極めて軽くなってしまいましたね。心は重くなっていきますね。
人では若者もいないので足りない。それなのに労働が搾取されていて、なかなか真面目な労苦は報われていない。やたら忙しく、なぜか心のストレスだけはどんどん増幅し、不公平感が否めない世の中となっていますね。
そんな中で自然に深く感じたり、生き物たちのことなどにじっくりと考えたり思いやったりしている余裕などない人の声が聞こえてまいりますね。
実は壮大で悠久の奇跡の惑星でもあるこの地球の、しかも寒氷期という最も恵まれた気温と地質の時代にこの生をいただいている現代人類、私たちは、どれほど恵まれた幸せを本来感じるべき存在なのかということ。
多くの人たちの心からすっかり忘却の彼方、忘れ去っていること、感じはとてももったいないと残念に思うのであります。
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人間社会での経済的な浮遊と貧困、地位や名誉ある存在としての成功者と自分、これらをただ比べて悲苦痛になってみたり、諦めたり絶望したり不満を感じたり、
そんな呪縛に多くの現代人たちが囚われのみになっていることは、深く残念に憂うのであります。
そんな分別と言いますか、差別と言いますか、対比と言いますか、比べて落ち込んだり、比べて安心してみたり、実はそれらが全く必要のないことなのであって、
私たちの生命の尊厳とか、生きていることとか、生かされていることの意味からすれば、全くどうでもいいことなのであるということ。
全て生き物である以上、必ずや死というものは等しく訪れるのであって、しかもそれはいつ訪れることは誰にもわからない。今かもしれない。
明日かもし、この世に精ある限り、懸命に生き抜くのであります。
生きるということは、苦しみも悲しみもあるのです。逆境も折々に訪れるし、時として安寧も幸福感も満たされる気持ちも得られるのです。
それが生きるということであり、今できることを精一杯なすということであるんだと、私安寧は常日頃思っております。
生き物というのは、決して一人では生きられず、あらゆる他者、あらゆる環境との関係を伴って生きているのです。
だから、特に精ある存在に対しては、自分と同様に慈しみや思いやり、つまりこれが慈愛の心と言いますか、そして感謝もする心が必要であります。
これらのことは、私的に言えば森という生態系をよく見つめていると、そのお手本、教え、原理原則としての説理なるものがリアルに森にはたくさん見られるのであります。
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自然の営み、そして生き物たちの生き様をつぶさに見れば見るほど、私たち人間の生きる姿とも重なってきて、私たちが選ぶべき生き方や成すべきことというものがよく見えてくるのである。
どんなに意気がって思い上がっても、私たちは所詮、地球という奇跡の星の小さな一種族に過ぎないのであって、一種のことなんですね、私たちが生きているということ。
永遠などというものはそもそも存在にしていない。持続可能などということも元来ないのであります。私たちの成すことは全て何らかの影響を他にもたらしているのであって、私たちの存在は良い影響と悪しき影響。
言い換えれば、他への恩恵と他への迷惑も、本源的には両者が存在していて、その釣り合いは取れていなくてはならないのではないかと思うのであります。本源的に釣り合いが取れている、なかなか難しいことですけれども、自ずとそうなるということができないものでしょうか。
すなわち、東洋哲学の世界でも、古い仏教の仏教なるものに、三千草木四階成仏という教えがありますね。
山や川、草や木、すべて生きとし生けるものはすべてが平等で、平立に価値があって尊いのだとされているのであります。
人間こそが、人間だけが最も賢い存在であると、もし言うのであれば、最も慈しみと感謝の慈愛の心が深くなくてはならないのです。
お正月のお節料理、グルメ、パーティー料理、こんな宝飾の時代に、エネルギーもたくさん使って、電気もたくさん使って、冬は暖かく、夏は涼しく快適に暮らしたいというのであるものであれば、
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その売るものと同様に、あるいはそれを上回って私たちが他者に与えるものがなくてはならないのではないかと私はそう思っております。
それではここで曲に参りましょう。
縦にも横にも繋がるという曲でございます。
ご家族と地域と皆様はいろいろな方とどのように繋がりを持っていらっしゃるでしょうか。
森の中の小さな生き物たちも日々を賢明に生きています。
寒い時もある、大雨の時もある、土砂が流される時もある、
明日はどうなるかわからないけれども、それでもこの生の今、この瞬間を賢明に生きているのが野生の生き物たちだ。
あんじももはや私自身の自己実現とかね、夢を叶えるんだとかというステージからはもうかなり卒業でございます。
じゃあといえば次の世代、孫や子、子子、孫孫へと何を繋げていくのだろうか。
そして次世代の教育なるものはどのように伝達、伝播、そして本質の継承というものを成しておくべきか。
こんなことを念頭に置いております。
うまく伝わらないことの方が不当的に多いのであります。
それでも今は伝わらずとも理解はしていただけなくても、やはり丁寧に心を込めて伝え続け、仕込み続け、
何らかの記憶や痕跡だけでも残しておいたならば、いつの日か、あああの時代はそんなだったなぁとか、
かつて親父たちはそんなことを言っていたなぁと、後から原理原則は蘇ってついてくるのだろうと思うのです。
これは時代や社会や技術なるものがどんなに変わっても、生命としての本質、繋がりというのは変わらない。
これぞ宇宙の真理なのだと確信もするのであります。
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さてさて、お正月はやや哲学論、抽象的なお話になってしまいましたが、少しリアルなこともお話をいたしましょう。
我が家にもいずれも成人したながら若き三人の子らがありまして、昨年は孫も生まれ、もう歩き出しもしています。
それから仕事の領域でも若い世代に新しい時代にふさわしい野良仕事、樹木の語り手となってもらうべく人材育成、プロの人材育成ということをする立場にもあり、
昭和から平成、令和と半世紀を越えて生きてまいりました私の経験と、それから最新の自然科学的知見なども融合させた教育、教えの始塾なるものも展開をしています。
そんな中、この正月1月4日の日曜日には、東京の上野国立科学博物館というところに行ってまいりました。そう、通称科博と呼ばれる博物館であります。
皆さんももう一度ぐらいは足を運ばれたことがあるのではと思います。近年はかなり展示の内容が変わってきています。当然ですね、自然科学どんどんと新しい知見ができてきますからね。
当然のこととは言いながら、昭和の頃とはかなり雰囲気が違っています。かといってですね、映像とかビジュアルにありがちな過度に行き過ぎていて、演出に過ぎるということもない、リアルな真面目さが感じられる国の展示教育施設となっていると感じると思います。
ここでね、この冬の特別展として実は、大するところ大絶滅展なるものが開催されているのであります。大絶滅展であります。地球という星の第一の歴史は約46億年とも言われております。
そして39億年ほど前に生命の起源なるものが生まれ、以後数億年単位でこの地球の生命はその進化と継承の営みをかなりドラマチックに続けてきているのであります。
植物なるものは約5億年ほど前に遡って、うよ曲折を経て今に至っているということを皆様はご存知でしょうか。そう、植物なくしてこの地上に動物も生えてくれもないんですよね。
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しかし地球の生物史の中で実は最低でも大きく5回の大絶滅の事件があったということがわかっています。
宇宙からの隕石の衝突などもあり、かつて繁栄を極めた恐竜たちが突如絶滅してしまったことくらいは皆様もご存知ではないでしょうか。これらの大絶滅の特別展、大学生の次男とともに見に出かけたのでありました。
常設の展示とは別の特別展であります。ここでまず一つの驚きがありました。それは何かというと、まあお正月でしたから、ある程度の人では予測をしていたのですが、生理犬配って入所制限のにぎわいなのであります。いやいやこんなに混雑しているとは。
しかも昨今はどんなイベントに行っても多く目立つ昭和世代の年配者年長者の姿が少ないのであります。子育て世代とか若いカップルとかですね、それから子供たちも親子連れでそれなりにいらっしゃる、そういう感じの来場者なんですね。
それから学びになるものを楽しみつつ、しかも真面目そうに展示の数々を静かにご覧になっているわけです。近年ね、どこに出かけてもだいたい年配者高齢者が大半という場面が多かったので、とても意外でありました。
なにせ生物がね、絶滅するという、しかも大絶滅がテーマですから余計に意外なのであります。地球を憂う人たちが若者たちの中に増えているからなのでしょうか。そうでもね、地球の未来はこれならきっと大丈夫だとの安堵感も感じたのでした。
それから残念なこともありましたね。受付でまずチケットを購入するのですが、その際、学生は割引がありますと言われ、割引対象の学校の一覧がこちらですと見せられたんですよ。大学生である我が時代は当然に対象になるなと思って大学の名を見出したのであります。
ところが、学部に指定があったんですね。我が息子彼は文系学部でありまして、同じ大学の名前があるのですが、理工系学部生のみが割引の対象となっていたのでした。
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まあ仕方ないなと思いつつですね、日本社会のここに後進性というものを会話を見た気持ちとなりました。実はご存知のように日本はですね、高等学校の頃に高校の時にほぼ理科系と文科系どちらに進むかみたいな、理系と文系に振り分けられてしまうんですね。
その後の大人になってからも相互に乗り入れするということがほぼ閉ざされがちじゃないでしょうかね。理系は文系の常識に誠に疎いし、文系の人は数学や科学の基礎知識がほぼ遠いこととなってしまいます。
これは欧米西欧社会に行きますと、実は真のエリートたちというのはね、文系理系の専門性をバランスよく習得されていることが多いですね。分け隔てなどしていない成人人材が少なくないとよく言われています。政治家でも理系の人は結構いますよね。
まさにその観点からしまして日本はやはりちょっとセクト的で縦割り的、硬直的な社会なのかなぁと感じたのであります。これからの時代はいよいよ文系とか理系とか得意分野はあっていいと思いますけれども、分け隔てすることは現人に増しめていかなくてはと思った次第です。
すべての世界はつながっているのであって、すべてが大切な領域なのです。
アンジーもどちらかといえば文化系を得意とする若き頃。そして大人になって仕事とライフワークを通じて自然科学系の生物系の専門へと。
そして今、生命の神秘とか倫理だとか自然の真理を紐解くという風になってきますので、これまた今度は東洋哲学の古い古の教えとか前的な修行とか先人たちの知恵の大切さへとまた戻ってきているんですね。
そこにはもはや文系も理系もないのであります。いずれも重要なのであります。
北斗の地、小淵沢にアンジーは、ネイチャーとヒストリー、生命倫理や地域のこと、大自然のことを情報発信する施設をリアル開設したいと密かに構想もしています。
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多くの地元の人たちにも関わりを持っていただく地域の近未来安寧、大地と自然のことなど大切に見守り伝える施設にしていきたいなと思っています。
それではまた来月2月節分の頃にお耳にかかりましょう。小淵沢の森からアンジーでした。
この番組は、小淵沢のマチホクラボ株式会社の提供でお送りしました。
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