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おはようございます。バースデーの精神科リブラでございます。
僕はこの界隈では占いだとか、スピリチュアルだとか、好きじゃないというか、嫌いなのかなみたいな風で知られているというかね。
そんな風によく言っておりますけどね。
医者の人たちはわりとそんな人が多くて、心理師も含めてですけど、僕の周りの人たちはスピリチュアルとかそういう風になっちゃうんでね。
嫌いというか信じられないというか。
やっぱり鳥居さんも言っていたけど、癒された人でなければ、何か傷ついて癒された人がそういうところにいらっしゃるんじゃないかということでね。
鳥居博姫さんも言っていらっしゃったので、その辺でいろいろ考えて考察をしているわけです。
何を考えているかというと、
今日もバックヤードで、昨日か、バックヤードでね、うちの心理師の面々と話をしていたんですけどね。
うちの心理師も占いとかスピリチュアルとかこんな態度になるわけですけど。
ただね、僕もそうなるんだが、子供の時はおみくじとか好きだったんですよね。
子供の時は占いも好きだったはずなのね。
やっぱり嫌なこと言われるとガッカリしたり、いいこと言われると嬉しくなったりしてたんですよ。
おみくじなんかもね、同じなんだよね。
おみくじなんか、うちの妹子の女の子なんか、悪いのが出ると泣き出して、小学校の低学年ですけど。
いいのが出る、大吉が出るまで引き続けるみたいなことしますけどね。
まあ無駄じゃん。
なんだけどさ、それを一生懸命やっているわけよね。
僕もおみくじ引きたかったしさ、子供の時ね。
嫌なのが出たらガッカリしたんだよね。
だから信じてたわけだよね。
大好きだったんですよね。
雑誌の占いのところとかも好きだったんだよね。
それはこの前ね、患者さんがどうしても占いしたくなって結構課金してしまいますという話をされていてね。
課金でお金を巻き上げられる人もいるしね。
何百万か巻き上げられた人もいますしね、患者さんでね。
そういうのもあるから、あまり良くないなと思って、それ嫌いなわけですけども。
まあしかしですね、僕も好きだったわけね。
じゃあね、なんで今はね、そういうのを信じなくなったりとか、もういいよって気持ちになるのかっていうのを考えてみたんだけどですね。
えーとね、まずね、やっぱね、一つはね、例えばおみくじなんかだと、おみくじが神聖なものに見えなくなってきちゃってるんですよね。
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やっぱり経験とともに年とともにだと思うんですけどね、年をとっていろいろ知ってしまってるから。
僕はおみくじを見ると、おみくじを作ってる、一生懸命作ってるおばあさんたちとかね、パートのおばあちゃんとか想像してるんだよね。
龍圭司だろ、龍圭司のやつは、今日入れちゃダメなんだって。
今日入らない、今日は入れないんだよ。代経も入れないよ、龍圭司のやつはやめといてよ、とかさ。
あれだろ、AB神社だろ、AB神社は大吉おめだよ、大吉倍入れてる、AB神社は倍入れるんだよ、みたいなね、例えばね。
みたいなさ、裏でさ、やってる人たち、人間が見えちゃうわけね。
ああ、ああ、バカバカしいと思っちゃうわけですよね。
そういうことなのかなと思ってね。
一つはね、いろいろ知ってしまったがゆえに予測が、裏がわかってしまったら盛り上がれないよね。
いいこと言われても、やったーって思えないんだよね。
まあ、そんなことはあるまいってね。
こんないいことがありますって言われても、まあそんなことはあるまい。
逆も同じで、こんな悪いことが起こるよって言われても、まあそんなことはあるまい。
自分で予測がある程度つくようになってしまってですね、占いで言われたことをうまく信じられない、信じようとも思わなくなっちゃったんだよね、たぶんね。
一つはね、やっぱり占いってのは未来を予測するものでしょう。
だから、それによりかかって安心感をもらったりとかね、希望をもらったりとかすることができると思うんだけど、
だから、経験が浅い人生の若い人の方が信じるような気がするんだよな、占いって。
もちろん、年をとってもこれといった経験を積んでない人とかは信じるとは思いますけども、
基本、若い人の方が信じるんじゃないかなというね、
下が悪く言うとちょっと知能の低い人とかも多分信じがちだと思うんだけど、
とか若い子ね、だから子供ね、だから意外にやっぱりそういうところが逆になるのかなと思って、
おじいちゃんとかおばあちゃんとか占いやらないよね、未来もあんまりないしね、おじいちゃんにはね。
そういう希望みたいなものとリンクしてるような気がするわけですね。
だからね、占いを信じなくなったりおみくじを喜ばなくなった僕なんかはですね、
やっぱり未来に対する希望みたいなものも失ってるんじゃないかなってちょっと思うわけです。
まあ希望はあるつもりなんだけど、若い時はもっとあったんじゃないかな、やっぱ未来は素晴らしいみたいなね。
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何があるかわからないみたいなね。
もうなんか僕なんかは何があるかなんか見えちゃってるのかなというね。
まあそんな気がね、そういうふうにちょっと今日はね、新西とね、僕とそんな話を。
我々ってもう年取っちゃって、夢と希望、占いに騙されるってことは夢と希望があるってことなんじゃないかっていうね。
僕ら占いに騙されなくなっちゃって、もう夢と希望がないとだめなのこりゃと。
まあそんなことにね、今日はね気づきましたというかね、気づいたというかそういう納得感で僕ら、
僕ら夢と希望がないんだねーつって、だから占いに引っかからないわこりゃーつってね。
というようなね、あのふうに思いますよ。
だからまあ占いを信じてるね、一生懸命やってる皆さんはまあ僕からするとくだらないですけど、
まあ夢と希望があるんだよまだ、僕よりずっと若いってことですよ。
若いっていうのは純粋な年齢のことだけじゃないわけよ。
心が若いんだよ。そしてね、若いっていうのはいいことばっかりじゃないんだよ。
僕からすると愚かですよ。
若者は愚かなんだよ。若者は愚かで、そして夢と未来が、希望と夢と希望と未来があるんだよ。
で、歳をとっていくと僕らは賢くなってしまうわけですよ。
僕らは賢いわけ。僕と心理師は賢いわけ。
そして愚かではないわけ。そして夢と希望がなくてつまらない人間になっているわけですよ。
まあそんなふうに思うんでね、愚かだとは思いますし若いし未熟だと思うしね、馬鹿だなと思いますけどね。
まあ夢と希望を持っているわけですからね、占いを信じてる人はね、まあ頑張っていってくださいよ。
そして20年たったらね、僕のところに来ますよ。
ああ、あの若い人たちは愚かだなあ、でも夢と希望があっていいなあというふうにね、
その時に思い出してくださいね。
ということで今日は僕がおみくじとか占いを信じなくなったのはどうしてだろう。
昔は好きだったのになあということと、自分が歳をとったことと経験を重ねたことと、
夢と希望、未来みたいなものを信じる力と占いを信じる力というのがリンクしているのではないかということに関する
考察をしてみましたね。
やっぱり若いということは未熟であり、愚かであるけども、夢と希望を持っていて美しいと。
僕は愚かではなくなりつつあり、占いやらおみくじやらに騙されなくなって、
だからね、騙されるのはね、おみくじだけじゃないよ。
あの、なんていうかな、あなたに100万円当たりましたみたいなやつもね、子供騙されるでしょ。
だんだん騙されなくなるでしょ。僕はああいうのも騙されなくなってるんだよね。
もうダメだね。ああいうのはやっぱり騙されるぐらい、愚かじゃないとね。
人生はね、夢と希望がないからダメだなと、そんなことを思いました。
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面白いね、いろいろね。いいとか悪いとかじゃないんだよね。
枯れてしまってるんだよね。見えてしまってるんだよね。
これはとてもつまらないことですよね。
まあまあいいよね。どっちがいいとか悪いとかじゃないんだなと思います。
それではね、またね、皆さんね、いろいろ思いついたことまた喋りますので、また議論しましょう。
それではみなさん、さよなら。