みやけんさんがイラストとアートの話ししてるのどの配信か見つけられず。
チャーケンか??
📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
https://stand.fm/channels/6161e521afa93b18fcd77817
ヒーロースカンクさんのスタエフ
https://stand.fm/channels/664b1a48316143a771f4d710
リブラ X(Twitter)
https://x.com/okawari
#健康 #子育て
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd
チャーケンか??
📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
https://stand.fm/channels/6161e521afa93b18fcd77817
ヒーロースカンクさんのスタエフ
https://stand.fm/channels/664b1a48316143a771f4d710
リブラ X(Twitter)
https://x.com/okawari
#健康 #子育て
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd
サマリー
宮剣さんのイラストとアートの違いについて、自由な発想には一定の制限が必要であるという観点から語られています。型を覚えることで自由な表現が可能になりつつも、一定のルールがあることで逆に発想が制限されることも示唆されています。自由な発想を生み出すためには適切な制限が必要であると考えられています。アートや言葉の創造において、制限がどのように自由な表現を促進するかが議論されています。
自由な発想のための制限
おはようございます。
罵声の精神科リブラでございます。
今は朝ですね。
本当のリアルな朝に撮っております。
しかし、チャージグループゴンギツネしつこいな。
いやー、ゴンギツネの話がしつこい。
もうやめましょうね、さすがにね。
もう言うところがない。
今日も行きや。
いや、もうゴンギツネは行きませんけど、直接にはね。
まあ、ちょっと思ったことを話しましょうね。
ゴンギツネの流れで、
どうしてもチャージグループの話に引っ張られますけども、
言いたいことをね、今思いついたからしゃべろうと思って撮り始めたんですが、
緊張するとね、ちょっとやっぱりパッと浮かばないよね。
リラックスしてしゃべっているといいんだけど、
収録ボタンを押すと若干緊張しますよね。
で、もう一回思い出しますけども、
宮剣さんが言った話なんだよな、どこかで。
今日の配信ではなくて、
読み方の型を教えると、
自由な発想ができなくなるかどうかみたいなね。
それは自分の絵の話ですよね。
イラストとアートの違いみたいなので、
アートは自由に発想するけれども、
イラストは伝えるものなので、
ある程度の型があると。
型を覚えることによって、
描けるようになると。
その型を覚えないもんだから、
自分は描けないと思ってしまって、
その自由な発想も出てこなくなってしまうということで、
自由な発想するためには型が必要だという話ですね。
みたいな話だと思うんですけど、
非常に最もその通りだと思うんですよね。
表現の限界
一方、宮剣さんはその部分にはものすごくその通りだと思う一方を、
もちろんいいんだけど、
型を覚えたところで、
自由な発想に制限は加わらないというふうに思うと、
型を破る人っていうのは、
どうせ型を破るから、
どんな制限をしたって破るから、
強要したって大谷調平になるというような話ですけど、
それも半ばその通りだと思うんだけど、
それはもう半ばその通りですね。
ほぼその通りなんですが、
少し違うなと加えると、
そこまで細かく言及していらっしゃらないから、
そこを一つ僕の意見を付け加えると、
そういうふうに宮剣さんも言っているのかも分かりませんが、
基本的には人というのは、
ここからが僕の話ですけど、
人というのは、
何か情報があれば、
そこに対して影響を受けないということはない。
良い影響があれば必ず、
悪いと良いというのは、
反対向きも必ずあって、
悪いと良いというのは、
評価軸による何か意見なので、
価値判断なので、
本当は良いと悪いというのは最初からはなくて、
良いと悪いというのは、
後から人が思うことですけど、
例えば、
イラストの書き方を覚えることによって、
さっき宮剣さんがおっしゃったように、
自由な発想を出しやすくなるという、
良い面ももちろんいっぱいあると思いますが、
一方で、
イラストの書き方を覚えることで、
ある種の自由な発想を制約するというのは、
これは間違いないことなんですよね。
これは、
仕方がないですね。
例えば、
僕らが自由な発想で、
詩なり、
ポエムなり、
ポエム詩と一緒か、
俳句なり千流なり、
言葉で自由な発想で、
いろんな表現をするとしましょうかね。
論文なんかは、
事実を伝えるような、
ロジカルなもので、
詩とかポエムとか一緒だよね。
詩とポエムは一緒か、
千流とか俳句とか、
こういったものは、
感情を伝える、
自由な表現、アートみたいなものだとしましょうかね。
だけど、
僕らは言葉という手段を学んで、
言葉のルールを学んで、
論理のルールを学ぶことによって、
もちろん、
詩やら、
ポエムやら、
だから一緒だってば、
千流だとか俳句だとか、
みたいなものを、
表現することができるようになるんですけど、
これだから、
言葉の制約に囚われるんですよね。
言葉のルールを知らなければ、
もっと自由に、
使い方を知らなければ、
もっと自由に表現ができると思います。
だから、そうすると、
共有できないからね、概念が。
めちゃくちゃだよね。
それだってある種の表現だと思うし、
それは言葉を使ってないから、
もっと自由だけど、
なかなか伝わりにくいとか、
伝わったりもするかもわかりませんけども、
なのでですね、
まさに、
イラストの手法を学べば、
アートの自由さも出せるというのが、
もちろんものすごくその通りであると同時に、
イラストの手法を学ぶことによって、
アートの枠は制限されるというのも、
ある程度間違いがないことだなと思いますね。
記憶と制約の関係
ただ僕らは、
自由に表現するという目的が、
アートも含めてだけど、
アートの一部は、
誰かに伝えるつもりで、
アートの一部は、
誰かに伝えるつもりで、
アートの一部は、
アートの一部は、
誰かに伝えるつもりがない場合もあるかもわかりませんが、
誰かに伝えるという意味においては、
誰にも伝わらないアートで、
誰にも伝わらずに消えているものって、
たぶんいっぱいあるでしょうね。
なので、
そういうのもあると思いますけど、
そういう意味で、
ある程度の手段を覚えれば制約がつくんですよね。
人間の記憶、
例えばちょっと別の話ですけど、
記憶っていうのの中には、
言葉の記憶、
ノンバーバルの記憶が大きくあって、
ノンバーバルの記憶には、
ノンバーバルの記憶には、
意味記憶とかエピソード記憶があってね、
例えば、
昨日何があったとかね、
チャージグループで今こんなことが話題になっているとかね、
これはエピソード記憶ね。
これはエピソード記憶ね。
例えば、
だからそうだな、
意味記憶っていうのは、
例えば、
ルールだとかね、
何でもいいんだけど、
今は、
令和という言語がついている、
これが意味記憶ですね。
7年前に令和に変わったわ、
これはエピソード記憶ですね。
まあいいんですけど、
いやいや違うな、
まあいいか、
何月何日に何がありましたみたいな、
時間軸がついているとエピソード記憶ですけど、
そういうね、
時間軸のないものは意味記憶、ルールだったね。
で、ノンバーバルの方に、
これいつも忘れちゃうんだよね、
作業じゃなくて、
意味じゃなくて、
自分でいつもね、
講義して授業をやっているのに忘れちゃうんだよね。
なんだっけ、
要は野球のやり方を覚えるみたいなね、
体、やり方っていうか、
体が覚える、自転車に乗れるとかね、
それも記憶の一部。
っていうのの一個に、
まあそれはいいんですよ、今回関係ない。
で、それの一個に、
プライミング効果っていうのがあって、
プライマーっていうね、
事前情報。
事前情報っていうのが僕らに、
何らかの制約を与えるんですよ。
例えばですね、
まあいつも言うようなことだけど、
りんご、みかん、
いちご、バナナ、
ちょっとりんご出さない方がよかったら、
りんご出さない方がよかったら、
自由のための制限
りんご出さない方がよかったら、
もう一回いきますよ、バナナ、みかん、
メロン、
マンゴー、
と言っている時に、
まあこういう今みたいな話をした時に、
赤くて丸いって、
言うとさ、
自然に、さっきりんご言わない方がよかったね、
自然にりんごが浮かびませんか、
と同時に、
赤くて丸いってのは、
例えばね、
例えば何ですかね、
けん玉だったかもね、
はご板、
はご板、
すごろく、
おはじき、
はご板、
はご板ってお正月に来ちゃうね、
すごろく、おはじき、
まあ分からないけど、
そういう日本のおもちゃみたいなね、
昔のおもちゃみたいな、
イメージが弱気されるようなことを言った後に、
赤くて、
赤く丸い、
みたいなことを言うと、
けん玉が浮かびやすいとかね、
同時に、けん玉が浮かびやすく、
刺激が入ると同時に、
何かがしやすくなるということは、
それ以外がしにくくなるということなので、
プライマーによって、
脳の発想が、
次の発想が、
促進的にっていうのは、
物理的に動くものやら、
抑制的に働く部分があるんです。
抑制的ってのは思い出しにくくなるんですよ。
安いとにくいは相対的なので、
何かが安くなれば何かがにくくなるわけですね。
何か以外はね。
例えば、
果物の話をしていると、
脳の中の発火の順番が、
脳の発火の傾斜が、
果物の話をしていると、
リンゴの近くの、
近い方につながりやすくなるので、
リンゴだとか、
苺だとか、赤い、
赤いといえば苺、リンゴみたいなのが、
思い浮かびやすくなり、
一方で、そちらに傾斜がかかるということは、
相対的に、
けん玉は思い浮かびにくくなるしね。
一方では、
昔のおもちゃとか、日本のおもちゃとか、
そういう文脈での言葉がパパパと並ぶと、
そっち側の脳が、
パパパと活性化されるので、
逆側に、
活性が弱くなった果物分野は、
思い浮かびにくくなり、
苺、リンゴは相対的に、
思い浮かびにくくなる。
思い浮かびやすくなるとか、
思い浮かびにくくなるという、
こういうのも、
ある種の前の言葉によって、
息づられているという意味では、
前の言葉の記憶の影響、
それを覚えている脳が、
どこかで覚えているから、
どこかに記憶が影響している。
これもある種の記憶。
これをプライミング効果と言います。
これはエピソード記憶とか、
作業記憶とか、
意味記憶とか、
手続き記憶、
自転車に乗れる、
そういったものとは別に、
別の記憶でプライミング効果。
プライマーによる、
プライマーという事前の言葉による、
それの後にプライミングでの
効果が後ろに現れる、
という事があるわけです。
全てそういう風に、
ある種の刺激によって、
アートと制限の関係
プライミング効果によって、
弱気されたり弱気されにくかったり、
思い出しやすい、
にくいみたいな、
発想が動きますからね。
それだけ考えておくんです。
ある種の能力を身に付ければ、
ある種の能力は動きにくくなる、
ですよね。
だから、
結果として良い効果、
悪い効果というのは、
それは良いとか悪いとかは、
別の人というか、
それは人間が人為的に評価している事なので、
それはどっちか知らんけど、
影響は必ず出るんです。
なので、
イラストの描き方を覚えれば、
その後にその人が出してくる、
アートに影響を及ぼして、
それは良い悪いは別で、
自由な発想みたいなものも、
それは制限が加わります。
自由な発想を制限しながら、
ある種の制限を加えて、
僕らの脳の動きに、
制限を加えながら出していくものが、
そもそもアートであり、
そもそも論理の言葉であり、
そもそも言葉というものが、
ある種の制限を加えて出しているものなので、
制限を加えて形にしていくものが、
ある種のアートなんじゃないのかなと、
そんな風に思いましたということで、
イラストを覚えたって自由な発想は、
止まらないという事はなくて、
ある種の自由な発想を制限する事になると、
思いますよね。
イラストの書き方を覚えれば。
ところが、
ある種の制限をかける事こそが、
そもそものアートのありようで、
制限の書き方の違いで、
アートだったりもっと違う、
例えばアートとしての絵画だったり、
イラストとしての絵だったり、
みたいなのが違ってくるんだけど、
それは多分制限の書き方の量と種類の違いなんじゃないかなと、
僕は思いました。
聞いててね。
だから絶対に何らかの制限は加わると思う。
でも人間というのは、
そういうものだから。
社会的な存在としての人間というのは、
そういうものなので、
そもそも制限がなければ、
うまく表現みたいなものは、
できないんじゃないのかな、
という風に思いました。
それでは皆さん、さようなら。
13:52
コメント
スクロール