📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
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◇ 論旨の要約(by ChatGPT)
1. 「普通」や「一般的」は、本来は人為的な抽象概念
人間社会ではIQなども含め、複数の要素を単純化して「平均」や「普通」を設定しているだけで、厳密には個々の違いがある。
2. 抽象化や一般化がなければ、社会は成り立たない
すべてを「唯一無二」として扱うと、共通言語や基準を失い、コミュニケーションが不可能になる。
3. 多様性の時代に「普通」を否定しすぎると矛盾が生じる
「普通」や「一般的」を全否定すると、言葉や概念そのものが使えなくなる。社会的合意も崩壊する。
4. 結論:社会の便宜上「普通」という概念は必要
完全に正しいものではないが、抽象化を認めないと会話や社会システムが立ち行かない。
「普通はない」と言いつつ、社会で通用する最低限の抽象化として利用せざるを得ない。
---
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◇ 論旨の要約(by ChatGPT)
1. 「普通」や「一般的」は、本来は人為的な抽象概念
人間社会ではIQなども含め、複数の要素を単純化して「平均」や「普通」を設定しているだけで、厳密には個々の違いがある。
2. 抽象化や一般化がなければ、社会は成り立たない
すべてを「唯一無二」として扱うと、共通言語や基準を失い、コミュニケーションが不可能になる。
3. 多様性の時代に「普通」を否定しすぎると矛盾が生じる
「普通」や「一般的」を全否定すると、言葉や概念そのものが使えなくなる。社会的合意も崩壊する。
4. 結論:社会の便宜上「普通」という概念は必要
完全に正しいものではないが、抽象化を認めないと会話や社会システムが立ち行かない。
「普通はない」と言いつつ、社会で通用する最低限の抽象化として利用せざるを得ない。
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サマリー
このエピソードでは、「普通」や「一般的」という言葉が多様性を重視する現代社会においてどのように受け取られているかが考察されている。特に、抽象化や一般化の過程が示され、社会的な共通点を持つことの重要性とその限界について語られている。また、一般化と多様性のジレンマに関する議論では、普遍的な概念と社会の成立に必要な抽象化の重要性が取り上げられている。さらに、言葉を通じてのコミュニケーションと個々の認識の違いが、「普通」や「一般的」という概念の存在をどう支えているかが考察されている。
配信の開始と背景
はい、おはようございまーす。バスエの精神科リブラでございます。
本当はですね、3月12日の夜に配信するつもりだったんですけど、
もういろいろスカンクさんとの収録とかもあったし、もういっぱい上がっているんで、
遅くなっちゃったんで、もう上げずに3月13日の朝に配信上げておりますので、
内容的には中ではね、12日の夜に上げましたみたいなノリで言ってますけど、
まあそういうことで、いろいろ収録があったり、いろいろあったんで、
13日の朝になりました。
今日も元気にやって参りましょう。
それでは、ここから始まり始まり。
はい、どうもこんばんは。バスエの精神科リブラです。
今日も思ったことをしゃべっていきましょう。
今日はね、朝、上げられませんでしたからね、配信がね。
それはもうね、昨日上げまくりましたからね。
なんか配信する内容ないなと思って、なんか適当にやっとこうと思ったら、
えー、
この世界は遠く、
ちょ、なんだっけ。
あー、この世界は、なんだっけ。
小都合に未完成、なんか音の高さが違うな。
この世界は遠く、
違う違う。
小都合に未完成、だったかな。
こんなくらい高かったかな。
そんな気がする。
とかね、歌ったりとかね。
あのー、なんだっけ。
一人Pライン上げたつもりが結局本当のPラインになっちゃった。
2時間のね、前半まゆみさん、後半スカンクさんの変速Pラインをね、上げたりですね。
なんやらかんやらしてたらね、めっちゃ上げちゃって、
昨日は録音する気力失って、やっぱ2時間以上喋るとね、
自分の配信を撮ろうという気力はだいぶ失せますからね。
えー、ということで昨日は撮れなかったんで、
まあ、今日はね、配信上がってません、朝はね。
で、夜になりましたけど、
で、その前ちょっと思うことを話そうと思ってね、
まあ、ぱっと思いましたんでね。
思ったことを話すシリーズね。
全てがそのシリーズでございます。
思ったことを話すシリーズですべてやっております。
よろしくお願いします。
で、まあ今日思ったこと。
昨日の配信中に、
僕が一般的にはみたいな言葉を使ったんだよ。
そしたら、えっと、
どなたかね、ちょっとね、覚えて、
ちゃんと見てなかったんだよね。
僕がバーッと喋ってたからね。
だけど、普段いらっしゃってる人じゃない、
チャージ界隈の方じゃないと思うのに
名前がちょっと、もしかしたらチャージ界隈の
どなたかだったかも分かりませんけど、
みやけんさんとか、
銀さんじゃなかったんだよね。
アイコンが違った。
なんかちょっと青っぽいアイコンの方が
一般的っていう言葉にちょっとパッと反応されてね、
何かコメントして。
で、その時にまゆみさんもね、
一般的っていう言葉ちょっとなんか
いやそうにされたんだよね。
で、それ、力さんがコメントで
一般的に対して、
まゆみさんも何かちょっといやそうでしたねと。
あるいは何だかな、
ちょっと怒りを込めた言葉だったみたいな。
とにかく、
僕がそれに対してまた怒りを込めたような、
いや、恐らないよみたいな話でねじ伏せるみたいに
喋ってるシーンがあるんですけど。
その話をしたいんだけど、
抽象化と社会の役割
一般的とか普通っていう言葉って
最近人気が悪いよね。
それはさ、多様性を重んじる、
今そういうノリっていうかな、
SDGsな文化が今ね、
流行っているっていうかね、
そういうのが価値が高いというふうに
最近は言われておりますね。
なので、
普通はこうだよとか一般的にはこうだよ
っていうのは非常に人気が悪いんですよね。
僕なんかも、
各優僕も普通とか一般的というものが
あまり好きじゃないというか、
普通であるのが嫌だし、
自分が普通でありたくないと思っているし、
一般的といったってそんなの多様でね、
全てが全ての人からのポジショントークでね、
だから一般とか普通なんてことはないんだというね、
そんな本当はないんだという立場には立っているんですね。
だけど一般的とか普通とか、
僕は普通はさとか普通に考えてとか
使うんですよ実際はね。
普通とか一般的があるかないかっていうことなんですけど、
それはだからあるというかないというかっていうか、
あるとないっていう、
そもそもの物事のあるとないっていうね、
青リンゴってあるのかないのかとかと同じで、
そもそもあるとないっていうものをどう定義するか
ということによるわけですけど、
ざっくり言うと僕はだからあるという、
ない、本当はないと思うけど、
あるという体で物事を進めるべきだというふうに
思っているわけですね。
それはね、一般的っていうのはだからつまり、
例えば正規分布みたいな、
例えばIQみたいなもののときに、
普通の知能ってどんなものって、
普通の知能なんてあるんですかみたいなことでね、
普通の知能っていうものは厳密に言うと
ないと思うんですけど、
一応知能というものがあるという体で、
点数化しまして、
各種ベクトルのものを、
いろんなベクトルをスカラリオンにしてね、
それでまとめてIQいくつというふうにね、
そういうふうにゴチャゴチャっと混ぜて、
一つの数字化するベクトルっていうのは、
いろんな方向に本当はあるものを、
スカラリオンっていうのは一つの軸で大きい小さいっていうね、
50よりも51のほうが大きい、
51よりも55のほうが大きい、
55より54が小さい、あるいは低いっていうね、
スカラリオンっていうのは一つの方向の、
1ベクトルに全部集約する、
全部同じ方向性にしてしまったのをスカラリオンっていうね、
数学的には自乗して、
いろんな方向のものの大きさを自乗して、
ルートつけたりしてね、
足したりするとスカラリオンになりますけど、
みたいな全部を一色体に混ぜちゃうっていう、
一つの尺度にするっていうようなことをするわけでしょ、
その数字をして、数字に全部変えてしまって、
それを集めるとベルカーブみたいになると、
ベルカーブみたいになる、
正規分布と言われるような形になるように、
テストを組んでるわけですけど、
そういうふうにして、
ある種のところからある種のところにだいたい線を引いて、
この辺が真ん中辺だよねとか言って、
ここからここまでを正常としましょうみたいな、
人為的に作ってね、
そこを普通と名乗るわけよね、
普通っていうのは人工的な概念ではあると思うんですけど、
普通と思うのはそれぞれね、
みんな何を普通と思うかはもちろん違う、
一般的というのは集団ごとに一般というのは、
それぞれが作るものなので、
100人いれば100通りの一般的、100通りの普通がある、
一応あるはあるんですよ、
もちろんだから、
みんなに共通の一般的とか、
みんなに共通の普通というものは一応ないはないですよ、
もちろんね、厳密に言えばね、
しかし、
一般的とか普通というものを全否定してしまうということは、
全てのものは別、
それは当たり前、それはそうなんだけど、
全てのものは別ですから、
全ての人は別の人だし、
3足す3は6ということも、
リンゴを普通のリンゴというふうに解釈してるわけだけど、
個別のリンゴは全部別だから、
3個のリンゴと3個のリンゴを足して、
6個のリンゴということ自体がね、
あるいは3個のミカンを足して、
6個の果物ということ自体がね、
非常に乱暴ではあるんだよね、
乱暴だけど、
そういうに乱暴化して一般化して自称化して、
スカラリオンに変えて比べるみたいな、
こういうことをすることによって、
多様なものを一つのものとみなすことによって、
処理できるようにしている部分もあるわけよね。
普通とか一般という概念を使わなければ、
つまりこれは抽象化なんだよね、ある種のね。
だから正しくないと言われれば正しくないんだけど、
それを言ったら抽象化は全て正しくないわけだよね。
何かを抽象的に扱ったら全て正しくないということになるけど、
抽象的というのは正しさじゃなくて、
勘弁さんのほうに寄せたものなんだよね。
そもそも抽象化というのはそういうこと。
あるいは言語化というのは全てそういうもの。
言葉にしたら全部元の形を失うからね。
ある種の単純化ですからね、言語化というのは。
したら抽象化、言語化というのは抽象化だからある種。
そうしたら普通とか一般的にっていうのも全部抽象化だから、
そうしたら抽象化が全て正しくないってことになりますよ。
確かに抽象化は正しくないんだよ。
正しくないんだけど、抽象化せずにどうやって考えますか。
すべてのものが全部別々であるならばね、
だったらそれはもうカオスなんだよ。
それも配信でも言ったけどね。
そこには共通点みたいなものとか、
共通点ってのはある種の嘘じゃないか。
だけど共通点を捉えて、
ある種の簡単な状態にすることによって、
僕らは物事をとりあえず違うんだけど、
同じようなものとして、同じものと仮定して、
試行錯誤に進めるというのが抽象化の役割であってね。
だから抽象化を使ったある種のベルカーブみたいな、
抽象化したスカラーリオンにして、
真ん中に膨らみがあって隅っこが下がっていくということをして、
真ん中の膨らんでいるところを見て、
僕らは普通だというふうな評価をする。
膨らみ方とか集め方がそれぞれ、
みんなによって多少個人個人違うから、
どうしたって普通はずれるけども、
ただずれるんだけども、
それはめちゃくちゃにずれる場合は、
これはもう成立しないけど、
ある程度重なりがあるんであれば、
そこは同じものとして、
普通という概念が通るということにして、
という体で物事を進めるというのが、
これが社会だ。
だから共通点を、概念を共有させているのが社会だ。
なんだけど共有というけど、
本当のところを共有はしてないんだ。
一般化の必要性
だって僕の思考とあなたの思考は必ず重なる。
だって別人なんだから、脳は別だから、
人類補完計画じゃないから、
人類は補完してないから、
エヴァンゲリオンの世界では一つになるかもしれないけど、
現実世界では僕らの思想は統一できないわけですから、
だから同じリンゴを定義することは僕らにはできないし、
言葉で定義することはできるけど、
ルールでやることはできるけど、
それは僕らの感覚というか、
僕らの頭にあるリンゴとはまた別の話ですから、
だから感覚としてのリンゴとか、
感覚としての普通みたいなものは、
共有できないわけ。
僕らはお互いに共有できない。
だけど全てのものは共有できないよ。
僕の脳とあなたの脳は違います。
僕の心とあなたの脳は重なってないから、
それはできないんだけど、
でもそれはある種できているという体で、
共有できているという体で、
あなたのリンゴと僕のリンゴは同じリンゴという体で、
僕らは会話が成立しているわけ。
この今日の配信だってそうですよ。
この内容は分かったり分からなかったり、
僕の言ってることが難しいという人もいるでしょ。
分かったりなんとなく分かったような、
分かったと思う人も分かってないのよ。
僕らはお互い分かり合うことは基本的にはできないんですよ。
ララとアムロみたいに分かり合うことはできないんですよ。
あれはフィクションですからね。
あれは分かり合ってませんからね。
僕らは分かり合った感があるかどうかだから、
全ては納得感が10割。
全ては納得感。
納得感が10割なんですよ。
司官君さんが言う通りだと僕は思いますけど、
ということで、
僕らは概念を共有することは本当はできないし、
なので普通というものを共有することは本当はできない。
社会の中の多様性
本当はできないけど、そこをできる体にしなければ、
そもそも社会は成立しないんですよね。
全てがカオスになるからね。
ということで、
僕らは抽象化みたいなものを認めざるを得ない社会を、
社会という点ではね。
厳密に言えばそれは別ですよ。
だけど今どきさ、普通さとか一般的なんていうのはないよね、
擦り倒されていてつまらなくないですか、その話。
それはもともと普通というのがあって、
多様化の時代があって、
多様性とかの観点から、
普通とか一般的ってないよねっていう話はありますよね。
そういうのはあるし、
僕も昔よく言ったけどそういうことね。
でもよく考えてみたらさ、
それってさ、抽象化を否定してることになりませんかって話なんだよね。
普通とかを否定する、
普通という概念を否定するということは、
ひいて言えば抽象化のすべてを否定することに、
結局はつながるのかなと僕なんかは思っていて、
ということは抽象化をすべて否定するとなると、
僕らの社会の構造すべてを根本をね、
社会の構造の根本を否定することになるんじゃないかなと、
いうふうに思うんです。
だからやっぱ、
だからそれは人によって多様というのは、
一般的とか普通というのは違うという本当のところは、
心の中に残しつつね、
その大前提は残しつつね、
しかしね、普通とか一般的という言葉をね、
やっぱりある程度使うのは正しいというかな、
社会の中でね、
そういう言葉が出てくるのはある種当たり前というか、
正しいというかね、
それを普通という言葉を使わずに、
社会というものをやること自体がナンセンスだと思うんだよね。
それはね、
それは実はごまかしだよ。
普通とか一般的というのは本当はある。
だからなくてもいけるというのもごまかしだし、
一般的とか普通というのがあるというのも実はごまかしなんだけど、
このごまかしが必要であって、
このごまかしを使わずにやれるというのがまたごまかしなんだよね。
嘘は必要なんだよね。
嘘はいらないというの自体が嘘なんだよね。
だからある種の嘘というのはいるというのが本当だと思います。
ちょっと話ややこしいことを言いましたけど、
まとめますと、
一般的とか普通とかという概念というのは、
本当のことを言うと、
カチッと成立はしないし、
立場によるし、
100人いれば100通りの普通とか一般的があるとは、
本当のところを言うと思うけども、
その100通りは全部は無理だけども、
70通りぐらいは同じものとして扱う必要があって、
そうしなければ、
普通とか一般的というものがあるという体にしなければ、
社会というもの自体が成立しないし、
コミュニティとか人間の社会、
そもそも言葉というものが、
会話が成立しない、
言葉でのやり取りというものは中小化の上に成り立っている。
つまり言葉自体がそもそも中小化だからね。
なので言葉を認めなければ、
言葉のやり取りができないし、
それを認めないのであれば、
それは認めないということは、
中小化を認めないということになると思う。
逆か、中小化を認めないということは、
言葉を認めないということになるし、
言葉を認めない、
逆だな。
普通を認めないということは、
中小化を認めないということだし、
中小化を認めないということは、
言葉を認めないということにつながるし、
そうすると、
そもそも社会というものの成立を、
が 社会の成立というものが
なんとかな
不可能になると思うので
僕らが社会というものを作って
その中でコミュニケーションという手段を取っていて
言葉というものを使っている以上
抽象化を認めていることになるし
その中には一般的とか普通という言葉というのは
必ず存在するんだと思うので
これは一つ だからこれが完全に
そもそもあるというふうに思っていたら
それは間違いなので
これは実は相対的なもので
それぞれの人がそれぞれの一般的
それぞれの普通というのがあるというのが
本当の本当は本当なんですね
だけどそのことをあまりこわだかに主張して
普通と一般的というのが
それぞれそんなものはないんだというふうに
知ってしまうと
それは論理的には正しいかもしれない
基本的には正しいでしょうが
それを推し進めると
基本的には正しいんだけど
正しいことを推し進めると
僕らの社会が嘘で成り立っているために
そこの嘘を認めないとなると
これはもう崩れますよということで
僕らが社会的な存在であって
そこに言葉をという
抽象を使ったコミュニケーションスタイルを
取っている以上
普通とか一般的というのはある程度認めざるを得ない
というかそれがなければ
概念は成立しないのかなと
そんなふうに思いました
この話は後でGPTが上手にまとめてもらうかな
そうすると意外とめっちゃ短い
単純な話になる可能性があるかな
と思っております
それでは今日も
明日も元気にやっていきましょう
それでは皆さんさようなら
16:33
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