夏ですね。 近所の森に来ております。今日が2026年の8月9日、日曜日の朝ですね。
北海道もやっとセミが元気になくようになりました。 ただこれ鳴いてるのは多分、エゾゼミとか。
僕の出身の九州とか、あるいは東京で幅を大きかせている、 あのやかましいクマゼミとかとは全然違う。
まあまあ、 うるさいってなるほどではないなーっていう感じの北海道らしい、ちょっとだけ涼やかな鳴き方しているセミが出てはいるんですが。
いやーやっと夏になりました。 で今日なんだけれども、
制作の回ということで、ホームページを作ったんですよ。 ちょっとこの話をしたくって。
ホームページって言葉がまず死語なんですけどね。 相当な死語。インターネット古代語。
ウェブサイトとかっていうのが一般的でしょう。 あるいは、何かしらSNSプラットフォーム上のアカウントですね。
あえてあのホームページって言葉が好きで、ちょっと使ってみてるんですよ。
で、
このホームページ見てもらった方が早いんですけど、 ポッドキャストをやってる人、いわゆるポッドキャスターの
サイトとしては、ミニマルなデザインなんですけど、めちゃくちゃ凝ったものになってます。 すごいオールリオサムシ。
キラキラのオールリオサムシが歩いてます。
カタツムリを食べるんですよね。カタツムリの殻に頭を突っ込んでっていう肉食の虫なんですけど、 見た目がすごいキラキラしてるのでファンの多い虫ですね。
オサムシ歩いてました。 えーと、なんだっけ、そう、ミニマルなデザインにすごいこだわりながら、
でも裏側で回ってるシステムとか使い勝手っていうところはめちゃくちゃ凝ってるみたいな。 だから一時僕はその全く買う予定もない機械式の腕時計について、
なんでこんなに高いんだということが気になって調べていたんですけど、なんかそこで得た学びというか、そこで得た個人的な納得
ですとか、 まあ最近見たもの、いろいろそこから影響を受けたものっていうエッセンスをいろいろ詰め込んで今の
ウェブサイトになっているわけなんですけど、結構すごいんですよ。 まあ機能はいろいろあるんですが、
ちょっと開いてみようかな。 まずめっちゃ表示早いです。こここだわりましたね。全ての表示をサクサク、
どんな wi-fi 環境だろうとサクサクになるようにはめちゃ頑張ってチューニングはしてます。
僕が関与しているポッドキャストで掲げてもいいよっていうものが、お仕事の実績とかとして掲げてもいいよっていうのが
公開しているし、なんなら今日の日記、今日今まさに書いているものについては、
ホームページからリアルタイムで反映されている内容で見ることができる。
これ完全にリアルタイムで同期しているので、僕の考え事をデスクに書いた瞬間、
それがリアルタイムで見られるようになってしまっているっていうね。
そういったプライバシーとか大丈夫なんかみたいな、そういう仕組みを導入してます。
このプライバシー大丈夫なんか議論なんですけど、それを言ってしまったら全てのSNSはもう成り立ってないわけですよね。
いろんな人が見るということを意識せずに書くっていう鍵屋感もありますけど、
基本的にはいろんな人が見る、いろんな人が読むということを意識して、
みんながもう日常的に発信するっていうことをやっている今の環境、ネット環境においては、
このデスクで僕も見られるということを意識しながらもでも、ただ漏れはさせていくっていうぐらいのバランスを取りながら発信することは、
そんなに新しいことでもないなという結論に至って、このデスクっていう読むポッドキャストっていうものを追加してみたりとかしてますね。
これやってみたら結構面白くて、ここ2ヶ月弱かな、このサイト開発し始めてから2ヶ月弱の間、
僕毎日日記書いてることになるんですよね。結構な分量で。これがね面白いんですよ。
とか、インスタで上げるほどではない写真をアップする場所ができたりとか。
そうそう、僕こんなに日記続いたことないんですよね。
やっぱりその日記っていうのを意識しようとすると、日記として読めるものにしなきゃっていう意識が働いて、
それが面倒臭さに繋がってやめるっていうね。
僕は基本的にやっぱポッドキャストの編集が例外の方をやって、かなりの面倒臭がりなので、
こうでもしないと日記続かないし、逆に言うとこういうツールを作ったことで、
僕日記続けられるようになったなっていう、そういった収穫があったりする。
このサイトを作ろうと思ったところの動機として、すごい重要キーワードとして個人的にめっちゃ意識してるのが
エンシティフィケーションという言葉で、メタクソ化ですね。
メタクソ化、エンシティフィケーションはもうこの一人しゃべりの中でも何回か出てきた気はするんですが、
おっと、車が。
全ての物事を進めようとすると、やはり同じようにメタクソ化の中に飲み込まれていくんだろうなって思っているんですよね。
だから例えばオープンAIとアンソロピックの緊張関係がすごい大事。
ちゃんと競争してもらっていること、お互いがお互いに牽制しちゃっていて、
完全な独占を果たしているわけではないという状況がめっちゃ大事だったりするというところはあるんだが、
この場合は今のうちにメタクソ化が完了してしまう前の、今のうちに
そのAIツールを使って、自分専用のプラットフォームみたいなものを作っていった方が、
僕には良さそうだなと思ったというところがあるんですよ。
僕にとって良さそうだなと思ったところがあります。
というのは、メタクソ化の議論から一旦離れますが、
僕の場合、好きな物事が抽象的すぎるので、それを具体の方に展開していったときに、
多種多様なものに渡っちゃってしまうんですよね。
イベントもやるし、ポッドキャストもやるし、文章書くのも好きだし、写真も撮るし、森にも行くし、
でも人工物もめっちゃ好きだし、みたいな。
具体から入った人からすると、幅が広すぎて、何の人なのかいつまで経ってもよくわからんぞみたいな。
ただ、僕の側からすると抽象的な意味合いとしての、
編集ってものが好きですとか、観点ってものが好きですとか、
価値の揺らぎみたいなものが好きですみたいな、
人が何かしらに価値を感じるというときは、
どのような瞬間なのかみたいなのを考えたり観察したりするのが好きですっていう、
そういったお話になってくるんですけど、
わかるわけがない。
わかるわけがないし、
SNSプラットフォーム上で活動しようとすると、
どれかの具体に絞り込んで集中的にやるべきなんですよね。間違いなく。
自分一人の時間も体力もお金も、要はリソースってものは限られているし、
それを写真や文章やポッドキャストやイベントやっていう感じで、
いろいろなものに展開していくのは、あんまり合理的な選択、賢いとは言えなくて、
やるべきは何か一つにめちゃくちゃ集中してリソースを注ぐ。
写真なのかもしれない、ポッドキャストなのかもしれない。
何か一点突破で集中的にリソースを注いで、
人角のものとして認められて、これを足掛かりとして横展開していくみたいな。
お笑い芸人として成功したら文章を書いてもいいし、写真撮ってもいいし、
映画撮ってもいいじゃないかみたいな、そういう話。
だから何かしらのプラットフォームに最適化していくっていうことを、
積極的にやってたほうがいい環境だと思うんですよね。
今はまだ。
そういった個人が自分のリソースを一点集中で注ぎ込む先のプラットフォームとして、
YouTubeがあったりDONTがあったり、ちょっと前までだったらインスタがあったり、
最近だったらTikTokがあったりっていうことだと思うんですよ。
ただね、これが僕にすごい合わないわけですね。全然合わない。
だって他のやりたいしみたいな。
何かやってる僕の目線からしたら、やってることはすべて同じことなんだけれども、
見ている人、具体の方を見てくれている人からすると、
なんかバラバラなことをやってるように見えてしまうっていう、このチグハグ感っていうこと。
もう一つの解決策として、僕がタレントになりゃいいじゃないかと。
マルチタレント的な動き方?僕が前面に出るみたいなことをすればいいじゃないかっていうことももちろんあるんだけれども、
僕それもそれで好きじゃない。
厄介でしょ。厄介なんですよ。厄介だからもう毎日必死に考えざるを得ないんですけど、
それはそれで好きじゃないんですよね。
あまりこの人っていうものをベースにやっていくっていうことにそんなに魅力を感じなくって、
やっぱりその最終的に出てきたアウトプットの方にもっとみんな眼差しを向けてほしいと思うところがある。
僕は何かしらそういう見方をするのが好きですしね。文章は文章で見たい。
その人とは別のものとして、一旦その文章単体で独立したものとしてちゃんと味わいたいなっていう。
ちゃんとって言ったら語弊があるか。味わいたいなっていうところが、僕の場合は強烈にあったりするんですよ。
めっちゃ長々喋ってきましたけど、要は相性が悪いわけです。
僕にとってこのWeb 2.0的な世界観での活動っていうものが。
だから多分ポッドキャストもハマったんでしょうしね。
ポッドキャストまだなんやかんや言ってWeb 1.0的ですし。
で、ブロックチェーン界隈ではもう何年も前何年ぐらいだろうね。
からそのWeb 3.0っていう言葉がめっちゃ言われています。
分散型のインターネットっていうものを作ろうじゃないかと。
このブロックチェーン技術とかを活用して、この暗号技術を使って。
めっちゃでっかいキノコある。
でかすぎるので写真撮ります。
Web 3.0っていうのもあるんですけど、
僕はそんなにまだWeb 3.0が来るっていう感触を持てていないし。
Web 3.0は来るのかもしれないんだけれども、
Web 3.0をやっぱり管理するものとして、
強いプラットフォームとかあるいは国家っていうものに依存せざるを得ない感が。
やっぱり僕の場合は拭えないなっていうか。
で、問題は僕がそうかどうかが常に大事で、
僕の場合はやっぱり聞いてほしいっていうね、
ある意味で音声っていうものに、音声っていうメディアの形式に固執しているっていう批判はできちゃうんですけど、
僕の場合はそのポッドキャストが面白いからやっているのであって、
別に効率的な情報発信とか効率的に消費されるということに関心があるわけではないわけなので、
そのみんながどうなのかは一旦置いといて、
僕の場合は文字起こし、僕にとって必要かなどうなんでしょうねっていうことをやっぱ考えちゃっているっていうことが今はあります。
これ答えが出てないですまだ。
これ難しいんですよね。
そうなんですよ。難しいっていうのはまさに今しゃべった通り、
みんなはそうした方がいいっていう場合全然あるのだけれども、
一旦それは置いといて、僕にとってはどうかっていう話なんですよね。
だから言い換えると、僕はビジネスパーソナルとしてポッドキャストと向き合っている場合、
100%ピュアなビジネスパーソナルとして向き合っている場合だったら、
文字起こしを活用した方が絶対いいじゃんみたいな結論に、
おそらくなあると思うんですけど、
それを100%ピュアなビジネスパーソナルとして、
僕はポッドキャストに向き合っているわけではないっていうことだと思うんですよね。
もっと何かしら作家的なもの、作家的な存在みたいなノリで、
ポッドキャストというものに向き合っているっていうものだと思うんですよ、おそらくね。
だから例えば彫刻家の人が、おそらく彫刻というものをやっていくのだろうし、
彫刻から外れたものを作ろうとしても、
それは彫刻という概念を拡張させながらやっていくみたいなノリがあったりとかする。
これは想像しやすいと思うんですけど、
そのような感覚でポッドキャストに向き合っているという感覚があるわけなんですよね。
こうやった方が売れるから、一旦彫刻やめますみたいなことは、
あんまりそういう方もいるし、
それがいい判断という場合ももちろんあるとは思うんですけど、
あんまり想像しがたいじゃないですか。
そんなノリ?そんなノリですね。今の僕はですね、そんなノリです。
ポッドキャストって何年も何十年も残っていくものなので、
要は10年後の僕が今日の僕のおしゃべりを聞き返すということも可能だし、
10年後のリスナーさんが今まさに聞いてくださっているということも全然あり得る話なんですよ。
10年後ね。10年後といえば僕41歳になっているわけですけど、どう思っているんでしょうね。