はじめに:戦争と平和について考える日
こんにちは、おあです。 今日は8月6日ということで、81年前に広島に原爆が投下された日です。
というわけで今日はね、ちょっと太平洋戦争にまつわる、私の祖父にまつわるお話をしていきたいと思います。
決して楽しい内容ではありませんし、かなり重い話になるかと思いますので、そういうね、ちょっと重いお話が今聞ける状態じゃないという方は、無理せずスキップしてください。
毎年ね、8月になると私も、やっぱり戦争に関する話題が増えますので、どうしても感傷的になりがちなんですね。
昨年が戦後80年の節目ということでね、テレビなんかでも様々な特集が組まれていましたよね。
黒川開拓団と戦争被害の現実
その中で黒川開拓団の女性たちを描いたドキュメンタリー映画、黒川の女たちというのが上映されて話題になっていました。
私もね、見なきゃいけないなと思いつつ、内容が内容だけに、ちょっとね、結局気が重くて、まだ見れてないんですね。
この黒川の女たちっていうのは、終戦直後の満州で、長野県の黒川開拓団の若い女性たちが開拓団を守るためという名目で、ソ連兵への正接待を強いられていたということなんですね。
なんとか無事に帰国したとしても、その後今度は偏見や差別が酷くて、ずっと70年以上の間、沈黙を続けてきたというわけです。
その上とはまた別に、藤岡道夫さんという女性が数年前ぐらいからあちこちの媒体で、福音兵だったお父様から壮絶な虐待を受けて育ったという経験を語られていらっしゃるんですね。
藤岡さんは9歳か10歳ごろからは激しい性暴力も受けていたということで、お父様自身は自殺されているそうなんですが、その後もトラウマに苦しんで、今も家を見ることさえできないとおっしゃっているんですね。
その藤岡さんが、後年福音兵たちが精神病や戦争神経症というのを発症すると知って、自分と同じように福音兵だった父親からの暴力に苦しんできた人たちがいたということで、そういう人たちと出会ったということで、藤岡さんも自分だけじゃなかったんだと。
この暴力は戦争PTSDによるものだったんだと気づいたということなんですね。
自分の家庭内だけの個人的な問題ではなくて、戦争を体験してきた世代以降の多くの人が抱えている根っこが同じ問題だったと気づかされたということで。
祖父の戦争体験と帰還後の苦悩
私はこの藤岡さんのインタビュー記事を読んで、私の祖父も戦争PTSDに当たるんじゃないかと思うようになったんです。
私の父方の祖父なんですけれども、大戦争10年、1921年生まれです。
男ばかりの5人兄弟の農家の長男ということで、田舎が嫌で嫌で、無理やり東京に出てきて就職して、結婚して、長女が生まれた直後に赤髪が届いたそうなんですね。
20代前半で徴兵されて、私の父方の祖父はシンガポールに送られたそうです。
その後の詳しいことはちょっとよく分かってないというか、伝遍的な情報しか聞いてないんですけれども、
戦争末期には日本軍からの補給が完全に途絶えてしまっていたので、祖父たちは現地で食べ物を自力で見つけて生き延びなければならなかったそうなんですね。
蛇やカエルやトカゲまで食べて何とか生き抜いたと言っていたそうです。
1945年に終戦を迎えた時に、祖父たちはアメリカ軍の捕虜になるか、それともこのままジャングルに逃げ込むかという二者作一を迫られたそうです。
当時、祖父を含めた日本兵たちは捕虜になれば殺されると教え込まれていたので、仲間の中にはジャングルに逃げ込んだ人たちも多くいたそうです。
ただ、祖父はもう疲れ切っていたそうで、もう殺されてもいいから早く日本に帰りたいと捕虜になる道を選んだということです。
幸運にも祖父はアメリカ軍の福音戦で割合早い時期に日本に帰ることができたそうなんです。
ただ同じシンガポールにいた仲間の中には、その後何年も抑留された仲間もいたそうなので、全ては運だったということなんですね。
ちなみに祖父にはすぐ下に弟さんがいるわけなんですが、その弟さんは航空隊に入って20歳前後で太平洋の空で亡くなっています。
祖父は何十年経っても弟さんを亡くした悲しみをずっと抱いていまして、弟さんの名前が出るたびに泣いて泣いて全く何も語れなくなってしまっていたそうなんですね。
戦争から帰ってきた祖父は合計4人の子供を育てあげました。
ところがどの程度だったのかはわからないんですが、どうやらお酒を飲んでは暴れていたということで。
そういうことがあったからだと思うんですけれども、父方の親族はあまりおじいちゃんの話をしてくれなかったんですね。
どちらかというと煙たがっていた感じだったんですよね。
祖父の晩年と感情のコントロール
孫の私は別に直接暴力を振るわれた記憶もありませんし、お酒を飲むと泣いていたような記憶なんですよ。
私が高校生の時におばあちゃんが亡くなりまして、祖父はそれから一人になりました。
一人といっても二世帯住宅でおじい家族と住んでいたので、本来ならそこまで孤独にはならないはずだったんですが、
もうその頃には外に出ればスーパーの店員さんなど役所の人なんかに絡んで揉めてトラブルを起こして本当に大変だったみたいなんですよ。
スポーツジムだのね、老人会だの、どこ行ってもトラブルばっかりなので、もうあちこち出入り禁止になっていたそうなんです。
その度におじ夫婦が呼び出されて平謝りしながらね、何とか眺め透かせて家に連れ戻すということが度重なっていたということです。
祖父はそんな感じでね、もう感情のコントロールが効かなくなっているんだけれども、でも認知症ではないということで施設に入れることもできなかったそうなんですね。
そういう話を聞いていたので、私は祖父はね、自分が家族にしてきたこれまでの行いがそのままね、自分に返ってきちゃってるんじゃないかなとかね、
かわいそうだけど自業自得なんじゃないかな、みたいにどこかで冷たく思ってきたんですよね。
戦争PTSDの症状と影響
戦争PTSDっていうのは、そういう感情の抑制が効かなくなるとか、夜になると悪夢にうなされるとか、体が震えて止まらなくなるとか、
戦争から帰ってきて何十年も経つのにずっと苦しみ続けている人たちがいるという、アルコール依存症に陥るケースもありますし、家族に激しい暴力を振るってしまう機関兵も大勢いたそうなんですね。
戦争を経験した方の中には、いまだに花火の音が無理という方結構いるそうなんですよね。花火の音が焼夷弾とか空襲を思い起こさせるということで、70年80年たった今でも花火が怖いとおっしゃる高齢の方が結構いると聞いたことがあります。
戦争というと私たちはどうしても広島とか長崎への原爆、沖縄戦、もしくは特攻隊なんかを真っ先に思い浮かべるんですけれども、やっぱりそれだけじゃないですよね。私の祖父みたいに機関兵のその後の人生ですとか、
父親から受ける暴力、家族が抱えた苦悩とか葛藤とか、戦争が残す傷跡というのも今も綿々と続いているわけなんですね。私の祖父もアルコール依存症とまではいかなかったかもしれませんが、本当に感情のコントロールは効かなくなっていたんだと思うんですよ。
私もね、自業自得じゃないかみたいに思ってましたが、やっぱり戦争PTSDだったんだろうなと思うと、祖父も苦しかったんだろうなとようやく今理解できるような段階なんですよね。
戦争が残す傷跡と祖父への理解
祖父はね、総理大臣の名前が書かれた症状のようなものを大事にしてたんですよ。おそらく戦地から帰還した元兵士に贈られた慰労状のようなものだったんだと思うんですけれども、それをすごく大事にしてて、私はね、やっぱりね、それもよくわからなかったんですよ、その気持ちが。
だってね、戦争で実の弟を亡くしていて、自分自身も戦地で大変な思いをして、ね、やっと帰ってこれたと。
なのに、何十年経っていまだにね、天皇陛下だの、総理大臣だのって言ったね、国の偉い人からのね、そんなね、感謝状みたいなもの。そんな嬉しいって、そんなありがたがるものって。
うーん、ちょっとよくわからなかったんですが、今思えばですね、祖父はずっとご苦労様でしたって言ってもらいたかったんじゃないかなって。
そういう総理大臣とか、権威ある方からね、直接ではないにしろ、言葉をもらえたことで、きっと救われたことがあったんじゃないかなって。
うーん、自分の人生をねぎらってもらえたっていう感じだったんじゃないかなと思うんですね。
母方の祖父の戦争体験(未経験)
ちょっとついでなので、もう一人の祖父ですね、母方の祖父の話もちょろっとしておきたいなと思うんですが、私の母方の祖父の方は戦争には行っていないんですね。
徴兵された時、たまたま怪我をしていたっていうような話で、乗る予定だった船から降ろされたというふうに聞いてます。
で、その乗る予定だった船は、その後すぐに撃沈されてまして、壊滅したということなんですね。
なので母は、運が良かったねって、本当にあの時船に乗らなくて済んで良かったよねって言ってたんですけれども、
私はですね、なんか、もしかするとですよ、何かしらの大きな力でこっそり船から降ろしてもらったんじゃないかなって感ぐってるところがありまして。
というのは、母方の祖父はそれなりの家からのお坊ちゃんだったそうなんでね。
しかも、今思っても不自然なほど、母方の祖父は、戦争のことを一切語ってくれなかったんですよ。
まるで記憶が完全に取っちゃってるのか、それとも、後悔するなと言われているのかと思うほど。
本当に無口で、いつも穏やかで優しくての仏様のような祖父だったんでね、真相は今となっては分からないんですが。
ただね、もし本当に何らかの力で船に乗らずに生き残ったんだとしたら、祖父はずっと後ろめたさを抱えて生きていたんじゃないかなと思うわけですね。
仲間たちはみんな海に沈んだのに、自分だけが生き残ってしまった。
自分は卑怯な人間だって、そういう罪悪感みたいなのを抱えていた可能性があるんじゃないかなって。
分かりませんけれども、私の勘ぐりすぎかもしれませんが。
まあね、私の母方の祖父は本当に無口な人でね、戦争を語ることができなかったのかもしれませんが。
夫の祖父と特攻隊員の現実
祖父のようにね、最後まで何も語ることなくこの世を去っていった人っていうのがおそらく大勢いるんじゃないかなと思うわけですね。
あともう一人ですね。これは私の祖父ではなく、私の夫の祖父の話。
ついこの前まで、一昨年まで存命だったので、ちょっと触れておきたいと思うんですが。
私の夫の母方の祖父はですね、15歳で入隊したんだかなんだかで、特攻隊になるということだったらしいんですよ。
特攻に行く準備みたいな、毎日訓練みたいなことを重ねていたそうなんですね。
で、いよいよ特攻に行くという。夜先に終戦を迎えて、たまたま助かったというふうに聞いています。
この特攻隊についてはですね、私も高校時代に聞け渡積の声っていうのを読んでまして、
この本でね、天皇陛下万歳とかね、祖国のために喜んで散っていったばかりではなくて、
本心では死にたくないとかね、でももう逃げられないとかね、
人間は国家の得なのかみたいな疑問を抱きながら死んでいった学生さんがいるということを知りまして、
日本がアメリカなんかに勝てるわけがないと分けることをね、分かりながら出撃していったという学生さんもいたということを知って、
しかもね、出撃前の兵士に日本軍はヒロポンっていうね、覚醒剤を投与していたということも知りまして、
まあ本当にもう正気の沙汰ではない、想像絶する時代だったわけですよね。
戦争の傷跡と語り手の後悔
やっぱり戦争が恐ろしいっていうのは、こんな70年80年経っても言えないっていうことじゃないですか。
その傷が、生き残った人たちの傷がね、その家族に向けられて、さらにその孫の代にまでね、影を落としていくっていう、
戦争の傷跡っていうね、亡霊みたいなのがいろいろな形を変えながらずっと残り続けて、
私たちの今、この時代にも残り続けているっていうことじゃないですか。
私の父方の祖父もお酒を飲まなければね、まともに生きていけないほど恐らく苦しんでたんじゃないかなと思いますし、
今思えばね、もうちょっといろいろ話を聞いてあげればよかったなと、後悔はあるわけですね、私もね。
おじいちゃん大変だったねって、もう一言、誰かね、やっぱり握ってあげたらよかったんじゃないかなって、悔やまれますね。
戦争PTSDへの理解と情報提供
もしですね、こちらの放送を聞いていらっしゃる方の中で、ご家族からの暴力に苦しんできたっていう方がいらっしゃいましたら、
一度ね、戦争PTSDっていう言葉をね、調べてみてもいいんじゃないかなと思うんです。
いくつか参考になるリンクを貼っておきますので、そういう番組や書籍や記事を読んだりして、何かヒントを得ていただけたらいいなと思います。
つまり、あなたの家庭で起きていた暴力は、もしかすると、あの81年前の戦争からずっと実続きである可能性があるかもしれないということなんですよ。
もちろんね、戦争体験があるからといって、家族への暴力が許されるわけではないんですが、
それでもね、戦争PTSDってちゃんと名付けられることで、自分たちを苦しめてきたものが何だったのかっていうのが、理解できるだけでも救われることがあるかもしれないなと思うんですね。
平和教育と絵本「チロヌップのきつね」
わが家は毎年この8月、この時期は意識的に図書館なんかでも、戦争とか平和に関する絵本を借りてきて、子どもたちと一緒に読むようにしています。
中でも私が毎年読みたいなと思って読んでいる絵本がありまして、チロヌップの狐という絵本なんですね。
高橋ひろゆきさんが書かれた1972年に金の保守者から出版されている絵本なんですけど、私はおそらく4歳か5歳ぐらい、小学校に上がる前に初めて読み聞かせてもらった記憶がありまして。
幼な心に平和という概念は言葉としては知っていないとは思うんですが、いわゆる言葉にすれば平和っていうようなものを深いところで感じた絵本なんですね。
もし読んだことがないという方がいらっしゃったら、一度手に取ってこの時期に読んでいただきたいなと思います。
平和への感謝と警鐘
皆さんにとっても大事な戦争とか平和にまつわる絵本があれば、ぜひ教えていただきたいなと思います。
私自身は平和な時代を生きてこられたなと感謝しかないんですけれども、今なんとなくその雲行きが怪しくなってきていませんかね。
私たちも平和ボケしちゃってるところがありますからね。平和っていうのは決して当たり前ではないわけですからね。
年に1回この時期だけでも戦争のこと、かなり悲惨な映像ですとか、つらいお話とかいっぱいありますけれども、
そういうのを耳を塞がずに目を伏せずに、うちの子たちにも怖い怖いって言って嫌がるんですけど、ちょっと見てもらわないとなって思うわけですよね。
戦争体験者への問いかけと最後のメッセージ
ちょっとしんみりした話になってしまいましたが、もし皆さんのおじいちゃんおばあちゃんなんかで戦争体験をした方が、まだご存命の方が身近にいらっしゃいましたら、ぜひ思い切って戦争のことを聞いてみていただきたいんですよね。
私も当時10代20代やっぱりそういうことを直接おじいちゃんおばあちゃんからもっと聞けばよかったなってちょっと後悔がありますので、もう本当に最後の世代だと思いますので、この夏休み、お子さんなんかをうまく使って聞いてもらって一緒に考えてもらえたらいいなと思います。
お聞きくださりありがとうございました。失礼いたします。