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018.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.3~コレラ菌との闘いとドイツ留学
2025-04-14 27:52

018.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.3~コレラ菌との闘いとドイツ留学

前回に引き続き、日本の細菌学の父・北里柴三郎をご紹介していきます。

今回のエピソードでは、北里が長崎で集団発生した原因不明の伝染病の調査を行い、いち早くコレラであることを発見します。この北里の早急な分析のお陰で長崎でパンデミックとなったコレラは他の地域に広まることなく終息できました。そして北里のドイツ留学挑戦が始まります!

シーズン2
「ノーベル賞に最も近づいた最初の日本人、北里柴三郎」
の参考図書は

ドンネルの男・北里柴三郎
山崎光夫
東洋経済新報者

北里柴三郎 感染症と戦い続けた男
上山明博
青土社

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生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
MCの金澤秀明です。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今回はいろいろと、細菌学の話をちょっとまとめてお話したいという。
はい。北里がですね、さっきというか前回ですね、ニワトリコレラ菌ですね。
アヒルが集団死してしまった原因がニワトリコレラ菌なんですけれども。
これはですね、パスツールというですね、偉大な科学者、細菌学者がですね、発見した菌ですよっていう話をしましたけれども。
ちょっとパスツールについてご紹介をしておきます。
何せですね、ここから先の物語はパスツールとコッホが非常に基礎知識として重要になりますので、ちょっと紹介しますと。
ルイ・パスツールですね。1822年から1895年に生きたフランスの方になります。
微生物学者で科学者。
そしてですね、細菌学や免疫学の基礎を築いた非常に重要な人物になります。
彼の研究はですね、食品衛生とか農業とか醸造とか非常に多岐にわたりまして、人類の健康と生活に多大な貢献をした科学者になります。
まずですね、彼が見つけたものというのはですね、発酵の仕組みを解明するということですね。
お酒がなんでできるのかとか、そういったところを発酵はですね、微生物が行っているんだよということを証明します。
発酵がですね、化学反応ではないんだと。生物学的な過程を経たですね、生物起源説というのを確立します。
これによってですね、ワインとかビールの醸造技術というのが向上します。
あと、食品の品質化が向上するということがあります。
あとですね、低温殺菌法ですね。カスチャライゼーション法の発明をします。
ワインとか牛乳はですね、適度な温度で加熱して殺菌する方法を開発したということになるんですけれども、これによってですね、有害な微生物の繁殖を抑えて食品の不快をすることができるようになりました。
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乳製品とか殺菌類ですね、あんまり暑い温度で加熱しちゃうと味変わりますし、アルコール飛んじゃいますし、なんですけれども、低温で殺菌できるという方法を見つけたということですね。
あとですね、再建の自然発生説の否定というような形で、当時ですね、生命は自然に発生するという自然発生説というのがありました。
パスツールはですね、無菌状態のフラスコに細菌が発生しないということを実験で証明して、これを否定します。
パスツールのS字口フラスコかな、口がS字になっているフラスコですね、あの中に栄養たっぷりの培養液を入れて煮沸して、空気は外と中とで通通になっているけれども菌は発生しない、ずっと腐らないというのを証明したんですけれども、そういったことをやりました。
で、細菌は勝手に湧いてこないと、必ず元があって増えてくるんだということを見つけます。
あとですね、ワクチンの開発ですね、パスツールはですね、病原菌を弱毒化させてワクチンを作るという、そういう方法も開発しました。
それで開発されたワクチンがですね、炭素菌ワクチンですね、これは牛とか羊とかを守るためのワクチンとして活躍します。
牧場経営されている当時の人たちは、土壌からですね、牛とか羊が足怪我していると、そこに炭素菌ワクチンが入ってしまうと死んでしまうので、それを何とか止めたかったんですけれども、それを守るワクチンを開発したと。
あと、巨犬病ワクチンですね、こちらは世界初のウイルスワクチンになりますけれども、犬にたまれた少年に防御して成功するということになります。
こういったことをやった偉大な科学者ですね。
あと、病気の病原菌説というのも確立しています。
パスツールはですね、特定の病気はですね、特定の微生物によって引き起こされるということを証明します。
これはですね、後にロベルト・コッホがですね、コッホの原則として確立する理論のですね、基礎となる原理ですね。
パスツールなくしてコッホはなかったというふうに言えるのかなと思うんですけれども、近代医学の発展、それから感染症のですね、原因解明と対策の確立ということをいたします。
あとですね、パスツール研究所の設立というような形で、1887年にですね、パリにパスツール研究所を設立します。
ここにはですね、感染症や免疫の研究を行うですね、世界的な研究機関になりまして、
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当時ですね、コッホ研究所と並んでですね、いろんな研究者がもうここで勉強したいというふうな形で、憧れた研究所になります。
このおかげでですね、便腺病研究の発展とか近代医療の基盤を構築するという形になります。
これがパスツールがですね、行った業績というところですね。
本当にこの人のおかげでですね、我々の健康はだいぶ守られてるんだなと思いますし、
あと美味しいお酒が飲めるのもこの人のおかげだと思います。
でも面白いですよね、多分その発酵菌、発酵の仕組みを解明してても、
多分日本人その前から多分発酵食品を取ってたと思うんで、
そうですね。
分からないまま食べてたと思う。
分からないままに、何か美味しくなるよねとか、何か物が保存できるよねって言って使ってたものを、
科学的にどういう原理で発酵が進んでるんだというのを解明したっていうのは面白いですよね。
面白いですね。
身近なものがまさか工房の仕事だとですね、解明したっていうところですね。
次ですね、アヒルはパスツールが見つけた、
ミワトリコレラが原因だということで、ちょっとパスツールの紹介させてもらいましたけれども、
次北里がですね、手がけた仕事がですね、
同年9月にですね、長崎で集団発生した原因不明のですね、伝染病の調査に行ったんですね。
この時ですね、長崎では4300人がですね、罹患してですね、そのうちの半数以上が死亡してしまったみたいなんですね。
北里はですね、内務省から調査を命じられて直ちに長崎に向かって、
隔離病棟に収容された数十人の患者の便からですね、病原菌を採取して純粋培養して顕微鏡で観察します。
で、顕微鏡の中に見えたのはですね、コンマ型の肝菌で、
グラム染色というのをしてですね、グラム陰性菌だということを見つけて、
北里はですね、これを1883年にコッホが発見したコレラ菌であるというふうに結論付けます。
長崎で発生していた謎の伝染病はですね、コレラということですね。
このコレラを発見したのがコッホですので、ちょっとついでにここでコッホの業績を紹介したいと思います。
ロベルトコッホはですね、1843年から1910年にかけてですね、活躍したドイツの細菌学者になります。
で、病原菌説のですね、確率とか感染研究に大きく貢献したというような形で、
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近代細菌学の父と言ってもいいような方になるかなと思います。
コッホはですね、ファスツールが唱えたですね、病原菌ですね、病気は特定の細菌によって引き起こされるとするですね、
病原菌説をですね、さらに証明するということになるんですけれども、それまではですね、小規制というのがですね、
主流だったんですね。汚い淀んだ空気のようなものが病気を引き起こすというような、そういう説があって、
それではなくて、細菌が感染して病気になるんだよということを証明した人になります。
本当にいろんな病原菌をですね、発見していくんですけれども、1876年には炭素菌を発見します。
炭素菌を発見してですね、純水培養をするということに成功して、これで細菌が病気を引き起こすということを証明していくという形ですね。
このあたりの実験手法とかはまた後ほどご紹介したいと思います。1882年に血核菌を発見いたします。
血核の原因が血核菌であることを発見するということですね。血核も当時はですね、遺伝病だと考えられてたんですね。
何か過激的になる病気だというふうに思われてたんですけれども、これが細菌感染症ですよということを証明します。
遺伝病と考えられてもしょうがないかなと思うのは、やっぱり1人家族がかかるとですね、その周りがかかるんですよね。
なので、映っちゃってるんですけど、あの家族は血核の遺伝を持ってるみたいな、そんな感じになっちゃってたんですね、昔は。
1883年ですね、コレラ菌を発見します。コレラの原因がですね、コレラですよということ、それからコレラの感染経路が水を介しているということを証明いたします。
そのおかげでですね、飲料水の消毒とか衛生管理の重要性が認識されて公衆衛生の向上に貢献することになります。
で、コッホの原則ってやつですね、ちょっとこれを説明しておきたいんですけれども、コッホはある病原体が病気の原因であることを証明するための基準を確立するんですね。
これがコッホの4原則と言われるということです。で、病気のですね、患者さんからですね、常に同じ微生物が見つかることっていうのがまず1つ、感染症で重要なところになります。
で、その次にですね、その微生物をですね、患者さんから取ってきて分離して純粋培養できることっていうのが重要になります。
12:03
で、さらにその微生物をですね、健康な個体、実験動物が主に使われて、マウスがよく使われているんですけれども、マウスに感染させるとですね、マウスが同じ病気を発症することですね。
で、そのマウスですね、感染した個体からですね、再び同じ微生物を分離できることというような形で、これでこの病気の原因がこの細菌だということが証明できるよというふうなこの原理原則を発見したというか、決めたというような形になります。
で、ここはですね、細菌を観察、研究するためにですね、寒天媒体とかですね、シャーレというような培養技術を開発します。
これはですね、本当に重要な技術になりまして、液体の栄養がいっぱいある液体の中に菌を入れて培養してもですね、それは1匹から増えてきているものなのかどうなのかっていうところで、よくわかんないんですよね。
なので純粋培養にはならない。いろんな菌が混ざっちゃったら、もちろんその液体の中でいろんな菌が増えちゃうので、1種類の菌を増やすということもできないというところでですね、液体培養ってなかなか純粋培養するためには無理なんですけれども、
それをですね、その液体を寒天とかゼラチンとかで固めてやってプルプルの状態にしてですね、シャーレに巻いてやるというふうにします。そこにですね、非常に薄い濃度で細菌がいるであろう溶液をですね、巻いてやったりとか広げてやるということをすると、
1匹だけになった細菌は、その場所で閉じ込められるというか動けないので、そこからコロニーって言ってですね、そこから増えていくと目で見える大きさのコロニーっていうのを作るんですけども、チョンっていう感じで剣ができるんですよね。
で、それはもう1匹から増えた菌だっていうことになるので、これで純粋培養っていうのができるようになっていくんですね。で、それを顕微鏡とかで見てやることによって、他の菌が混ざってないというところも簡単にわかりますし、純粋培養、それを液体培地の方に戻してやると、1匹の菌から増えた菌が液体の中でいっぱい増えるということで、
1匹1種類の菌を綺麗に培養できるというようなことになります。この観点培地ですね、車輌を使った観点培地っていうのをコウホーが発明しました。
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今じゃ何かね、当たり前のようにやってますけどね。
そうですね、当たり前のようにやってることがこの時代に初めてできるようになった。
確かに、あれはわかりやすいと思いながら。
これをよくぞ発明してくれたなっていう感じですよね。
ね、本当ですね。
当たり前すぎることが当時はなかったですからね。
あとですね、彼の業績としては感染症対策の発展ですね。
コウホーの研究でですね、多くの感染症の原因が特定されて、ワクチン開発とか消毒、公衆衛生の向上につながるということですね。
あと、ノーベルセーリー医学賞を受賞します。
これが1905年ですね。
血核菌の発見と血核研究の功績によりですね、ノーベルセーリー医学賞を受賞します。
これはですね、細菌学者として初めてのノーベル賞受賞ということになります。
いや、違うかな。
この前にですね、実はコウホーのお弟子さんがノーベル賞を取ってるんで。
細菌学者だと思うんで。細菌学者として初めてじゃないな。
ちょっと、すみません、ここ説明間違ってますね。
とにかく、ノーベルセーリー医学賞を1905年に受賞しております。
そのような形でですね、コウホーの影響というところで、
病原菌説の確立によってですね、感染症の診断とか治療、予防が科学的にできるようになりました。
そして、ワクチンとか抗生物質とか、抗生衛生の発展に貢献しています。
彼の研究がですね、現代の細菌学とか医学の基盤となっているという形になります。
ちょっと、パスツールとコウホーと、二大巨頭ですね。
今時代の二大巨頭をご紹介させていただきました。
パスツールのほうがですね、ちょっとというかだいぶ年上な感じにはなります。
ちなみにですね、コレラ菌ですね、コウホーが発見したというふうにですね、
長らく信じられてたんですけれども、ちょっと脇道に挟んだ説明になりますけれども、
本当はですね、イタリア人の医師フィリッポパチーニというのがですね、
という方が、コウホーよりも30年前のですね、1854年にですね、コレラ菌を発表しています。
ただですね、この時イタリアではですね、小規節、小規ですね、腐敗した空気が病気になるというのが広く信じられてたので、
彼の発表は全然注目されなかったんですね。
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ちょっと余談になりますけれども。
なので今ではコレラ菌発見者はコウホーではなくてパチーニ医師だと修正されています。
えー修正されたんだ。
北里の仕事に戻りますけれども、長崎でですね、採取した菌株をですね、東京に持ち帰って水死してですね、
コウホーの4原則に従って動物実験をして、動物がコレラにかかることを確認して、またそこから純粋培養できるというところを見たという形になりまして、
それを確実にコレラってあるというふうに確かめて報告書にまとめて提出をします。
この北里のですね、早急な分析のおかげでですね、
長崎で外部にですね、コレラを輸出することなくですね、長崎内で止めておいて、他の地域に広めることなく収束することができたみたいです。
長崎ってのは元々その貿易で言ったらコレラが海外から来たっていう体ですよね。
そうですね、やっぱり長崎港だったんで、やっぱり海外から色んな病気が来やすかったんだと思うんですよね。
それは江戸時代から貿易港で、この当時もそのまま続いてたと思いますので。
そういう意味では長崎に至って、ある意味ラッキーというか、そういう。
長崎で変な病気が流行ってるから、お前ちょっと調べてこいっていうふうな形で、北里は派遣されて、素早くそれがコレラであるということを突き詰めたわけですね。
なので、本当、最近学のですね、まだ駆け出しの頃から、実験の腕が非常に良かったんだと思います。
そうですね。買われてたが長崎に派遣されてますもんね。
そうですね。この迅速な報告を受けて、研究所局長の長岩は北里を非常に高く評価して、彼をドイツ留学させてあげたいというところで、内務省に申し入れをしてくれます。
ただですね、この時ですね、すでに内務省はですね、東大学部を卒業した中浜東一郎を留学させることに決めてたんですね。
ちなみに彼はですね、ジョン・マンジローの息子です。
また有名人が出てくる。
また有名人が出てきた。
長岩はですね、そうは言ってもなんとか北里をドイツに留学させてやりたいと思ってですね、今度は陸軍軍医の石黒忠盛に相談します。
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もう2人行かせてやれないかということで、将棋に賭けてもらうことにするんですね。
ただ予算の都合でですね、1名しかダメだというふうに断られちゃいます。
今度はですね、この陸軍軍医の石黒が動いてくれて、石黒の公委の中であったですね、山形有朋内務卿ですね。
に直接申し入れを行ってですね、もう1名の留学予算を確保してくれというふうに頼みました。
1885年明治18年の11月4日にですね、北里は内務省よりですね、ドイツ留学の事例を受け取ることになります。
留学資金はですね、年600円、今の600万円ぐらいですね、を受給して3年間ドイツ留学ができるということになります。
いやー本当これいろんな方が動いてくれたおかげで。
いよいよあの憧れのですね、ドイツ留学。
マンスフェルト先生がですね、東大に行けと。
その後できればヨーロッパに留学しなさいって言ったのが、ついに叶うことになります。
北里はですね、ドイツに立つ前にですね、同級生で先輩となった尾形からですね、ベルリン大学の恩師レフラーですね。
尾形は一度ドイツに留学して、国保のお弟子さんのですねレフラーからですね、手ほどきを受けてます。
それでですね、恩師のレフラーにあててですね、紹介状を書いてくれます。
北里君は、あなたのご尽力によりロベルト国保先生のご指導を賜いたいと希望しております。
という形で、口聞きをして国保先生にぜひ繋いでくださいと。
というふうな手紙をですね、北里に持たせて。
それでその北里はですね、紹介状を持って横浜港からですね、フランス帰省のメンザーレゴに乗ってですね、
留学の枠を争った中浜東一郎と一緒に乗り込んだそうです。
すごい、もう推薦の強さが引き寄せたっていうの。
強い推薦が600万円を引き寄せたって感じですね。
すごいですね。
ただ当時ね、結婚したてのトラちゃん、トラさんは置いていっちゃうわけなんですけれども、
ここから3年間のですね、命令でドイツに旅立ちます。
1885年明治19年ですね、ドイツのベロリンに着いた北里はですね、
ベロリン大学のロベルト国保主催の衛生研究所を訪ねます。
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早速ですね、国保皇帝のですね、フリードリヒレフラーにですね、
小型の紹介状を差し出して、ぜひ国保先生のもとで学ばせてくださいというふうに申し出ます。
その日はですね、国保は不在でですね、その次の日に来なさいということで、
次の日に国保と面会ができます。
国保はですね、後に北里との初対面での印象を聞かれてですね、
北里が非常に上手にドイツ語を話すなというところで驚いたそうなんですけれども、
そしてですね、世界各国から国保のもとで学びたいというふうな多くの志願者がいる中でですね、
北里を入門することを許してくれたそうです。
ただちょっとこれですね、本によっては書き方が違ってて、
国保はドイツ語を上手に話す東洋人が来たなぐらいしか思ってなかったよっていうそういう話もあるし、
上手に話すのを驚いて感動したっていう話もあるし、いろんな説があります。
ここばっかりはちょっとね、もう国保もいないですし、北里もいないですし、リフラーもいないので、
想像の世界ですけれども、私は驚いてくれたのかなというふうに、いいように解釈したいなと思ってます。
そしていよいよドイツでの日々が始まりますけれども、それは次回からのお楽しみということで。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
すごい、もろもろのね、パスツールさんと、
そうですね、ルイ・パスツールと、
あと、コホですね。
フランスとドイツのですね、2大巨島の最近、音楽というか、そのあたりの大化になりますけれども。
そうですね。
ちょっとここではヨーロッパの話じゃないですけども、それこそコレラ金でもバタバタ倒れてた時だと思うので。
そうですね。
もうなのでコレラが治せるようになるとかですね、コレラを早く見つけるっていうのはもう本当、非常に重要な課題だというところですね。
その意味では一番そういう生物学、細菌学が発展した時に、ちょうど留学もできてっていうところですよね、きっと。
そうですね、世界がちょうどこのパスツールの発見からですね、病気は細菌が起こすっていうことが分かって、
で、いよいよですね、このコホを始めとしてですね、いろんな研究者たちがですね、病気の原因となる細菌をですね、ハンティングしていくような、見つけていくという、
そういう時代の中に、ちょうど北里も一流の研究室に入ったというところで、この時代はまだまだいろんな病気がですね、細菌が原因かもしれないし、そうじゃないかもしれないけども、いろんな論争が巻き起こってたりとか、いろんな研究が進んでいるような、そういう状態ですね。
27:17
次回も楽しみですね。
そうですね、もう細菌学が発展していく、そういった熱いドラマをお届けできればと思います。
はい、聞いてくださった皆様もありがとうございます。ぜひ次回もお聞きください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
27:52

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