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019.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.4~ドイツでの細菌学への挑戦
2025-04-21 26:16

019.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.4~ドイツでの細菌学への挑戦

前回に引き続き、日本の細菌学の父・北里柴三郎をご紹介していきます。

今回のエピソードでは、北里柴三郎がドイツに渡り、細菌学の巨匠ローベルト・コッホの元で学んだ日々をお届けします。
彼は誰の手も借りず、その勤勉さと几帳面さから、ドイツ人研究者たちをも驚かせ、コッホの信頼をすぐに獲得することになります!

シーズン2
「ノーベル賞に最も近づいた最初の日本人、北里柴三郎」
の参考図書は

ドンネルの男・北里柴三郎
山崎光夫
東洋経済新報者

北里柴三郎 感染症と戦い続けた男
上山明博
青土社

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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ
MCの金澤秀明です。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
はい、いよいよ北里柴三郎がドイツへ渡ったところからスタートですね。
ドイツに渡りまして、無事、コッホの研究室に迎え入れられたというところにいます。
北だとはですね、旅の疲れもそこそこにですね、コッホ先生に挨拶をした翌日からですね、実験課題に取り組み始めます。
早速。早速ですね。
で、北里はですね、与えられた実験課題に対してですね、実験課題を立てて、実験に必要な器具を準備する。
そしてですね、実験器具は自らの手で徹底的に洗うという形で、非常にですね、綿密にあの実験計画を立てて、
誰の手も借りずにですね、誰の手も信じずに、実験を進めていくというようなことをしていたようです。
特にこの策略はですね、黎明期のこの頃にですね、殺菌のやり方とか除菌の方法っていうのはまだ定まってませんでした。
なので、正確な実験結果を得るためにですね、シャーレとか実験器具とかに雑菌が入ることをですね、北里は極力排除しようとしたわけですね。
今だとシャーレとかもプラスチックの使い捨てのやつがありますけども、この当時は本当全部ガラス製で使い回しもしてたでしょうから。
大変なんです、洗うの。大変ですよね、本当に。
私も実験の時に洗うことからするんですけど、
水の膜ができないままスーッと落ちる状態になるまで何回も洗い直しするっていう。
なかなかできないもんです。
できないですよね、本当大変ですよね。
僕もまだ泡が残ってるとか何とか、
1回洗った後に異温交換水かけて、その後蒸留水にかけるんだとか、
03:06
とにかく水道水だと塩素が混ざってるからさらに綺麗な水をかけてとかっていうのをやらされて、
まあ嫌いでしたね、この洗うのは。
でもこれが岸田さんのいいところなんでしょうね。
そうですね、とにかく人に表せないで全部自分で用意したみたいですね。
ここら辺には同僚のドイツ人とか、他留学してた研究者たちとも共談したみたいですね。
正確で勤勉を美徳とするドイツ人たちが、これは俺はできないって思ったそうです。
この北方の素晴らしい実験姿勢が、レフラーを通じて国庫に報告されてですね、
北方はすぐ国庫の信頼を獲得します。
どれくらい国庫が北里を信頼したかというとですね、
1887年の4月ですね、森林太郎ですね、作家としても有名な森鴎外ですけれども、
またここでスターが出てくるんですけど、
出てくる。
北里を訪ねてきてですね、
俺もちょっと国庫のもとで学びたいんだけどちょっと口聞いてくれないかっていう風に言ってきたらしいんですけれども、
森をですね、国庫に北里が取り継いで、
そしたらですね、国庫はですね、北里君が面倒見るならいいでしょうっていう感じで森は半年間ですね、入門を許されています。
すごい。
いきなり来た人をOK出せるっていう。
そうですね。
それぐらい信用されたみたいですね。
北里はですね、研究テーマとしてこれらの研究がしたいっていう風に希望したそうなんですね。
国庫はテーマを与えます。
これら君における乾燥及び温熱に対する抵抗力についてっていう形で、
これらをですね、温めたり冷たくしたり、乾燥させたりとかっていうような色んな条件で培養してみて、
どういう風になるのかっていうのを
研究させます。
ここら辺が、もしかしたら治療のヒントになるかもしれないなっていう風に国庫は思ったのかもしれないですね。
キッタードラップはですね、いろいろな環境にですね、これら君を置いてその挙動を観察するっていうことをするんですけれども、
この研究がですね、河峡に差し掛かった頃ですね、陸軍の石黒ですね、
陸軍の軍医をしてた石黒がですね、1889年9月ですね、
彼が尽力してくれたおかげで北里は予算をつけてドイツに留学できるようになったわけですけれども、
06:08
その1889年9月にウィーンで開催されるですね、第6回バンコク衛星会議、国際会議ですね、
日本政府を代表してですね、出席するということで、その前にドイツに視察に訪れています。
そしてですね、北里に命令します。
3年間の留学の最後の1年はですね、ミュウヘン大学に行って衛星学を学ぶようにっていう風に命令をしてきたらしいんですね。
石黒はですね、日本が先進国と肩を並べるためにですね、広く世界水準の知識を北里に学ばせたいというふうに思ってですね、
いろんなところに行かせようとしたんですね。
だけど北里はせっかく入れた国宝先生のもとなんで、それは絶対嫌だと思ってですね、断ります。
そしたらですね、石黒が言うんですね、これは官名だと、お前上官の命令に従うんかって言って怒ったわけですね。
北里は反論します。
最近学は最新の学問で、今はその例明期ですと。
2年程度で学び終わるものではないことは、機関もお分かりでしょう。
石黒も医者なんで、それはわかるでしょって言ったんですよね。
この時ですね、同席してた森林太郎、森鴎外はですね、起点を聞かせてですね、
ちょっと北里、ちょっとちょっとちょっとという感じで北里を外に連れ出してですね、2人を引き離したそうなんですね。
で、その上で、上官の官名に反抗するっていうのはどういうつもりなんだっていうふうにですね、北里に詰め寄りますけれども、
北里はですね、自分の牙が受け入れられないのであれば、俺はもう衛生局を辞めるというふうに返答したみたいなんですね。
森はですね、君はすぐこれだからいかんっていうふうにですね。
もうわかってる。
またですね、森は石黒のところに行ってですね、債権額の実情を説明してですね、説得をしてくれたみたいなんですね。
すごいサポートしてくれたんですね。
サポートしてくれたんですね。
で、石黒がですね、ベルリンに立ち寄ったのにはですね、もう一つ理由があったんですね。
日本で、さっき長崎で留めることができたコレラの話をしましたけれども、
たびたびコレラが流行していってですね、その予防策に苦慮してたので、
国保と会ってですね、その件を相談したかったようです。
で、ちょっとこの当時のですね、データをお示ししますと、1886年、明治19年ですね、
日本でコレラが大流行してですね、患者数は15万5923人。
09:04
で、それに対してですね、死者は10万8405人。
すごい人数だ。
すごい人数ですね。
もうあの、コロナで騒いでた頃どころの。
どころじゃないですね。
どころじゃないって感じですよね。
本当、短い期間でこんだけ死んでますので。
感染者の数はですね、70%が死亡した。
感染したらもう70%死んでしまうと。
それぐらいもう大変な病気だったみたいですね。
で、ちなみになんですけれども、この当時のですね、感染症のですね、死亡者数というのがデータとして残ってまして、
1位がコレラですね。
この年、10万8405人が亡くなっています。
これがコレラですね。
で、2位がですね、天然痘で、1万8678人ですね。
桁が1つ減りますけれど、それでも1万8000人亡くなっています。
3位が超致死で、これが1万3807人亡くなっています。
で、4位が咳でですね、6839人亡くなっているという形ですね。
とにかく感染症で亡くなる方が多いという実情で、
平均寿命はですね、男性が44歳、女性が48歳と。
もう今の約2分の1ですね。
そうですね。僕は特に死んでますね。
特に死んでる。
すごいね、100年前の日本でこんな状態だったんですね。
こんな状態だったんですね。
そりゃ16歳で嫁入りしないとね。
確かに。
もうとっとと子供作っていかないと、本当に次に繋げられないんで。
そうですね。
そういう状態だったというところで、
国保となんとか石黒は面談したかったわけですね。
そしてこの面談の時にですね、国保はですね、
世界地図を出してきたそうなんですけれども、
この世界地図はですね、日本の部分にはですね、
何年にこれらが流行して、その患者数が何名だったかっていうのが
詳細に書き込んであったそうです。
これはですね、その他の国でも同様の書き込みがあったみたいなんですね。
要は年ごとにですね、どの地域でこれらが発生したのかということが
一目でわかるような、そういうものを作ってたそうですね。
石黒はですね、日本では訓練を肥料として使っている。
それこそ声溜めで溜めた声をですね、肥料として使ってましたんで、
そこに患者の訓練が混ざってしまうと。
なるほど。
これがこれらを広げてるんじゃないかっていう風に見ていて、
これをどうすればいいだろうっていうので、
広報に相談したんですけれども、広報はですね、
12:03
訓練の消毒にはですね、石灰を用いるのがいいよという風に教えてくれます。
この後からですね、日本では訓練消毒に石灰を用いるようになります。
広報はですね、この会談の時にですね、石黒に依頼します。
信頼する学弟のですね、北里を他にやらないでほしいと。
石黒はですね、広報からこれだけの厚い信頼を北里が受けているんだということで、
感じてですね、北里をよそにやりませんという風に約束してくれました。
結果的には石黒さんもちゃんと評価するようになったんですね。
そうですね、広報にここまで言わせる北里はすごいなっていう風に石黒も認めたんですかね。
さて、この頃ですね、この後だと思うんですけれども、
閣議論争っていうのがですね、起こります。
閣議ですね、江戸時代からですね、明治にかけて、
閣議っていうのは日本でかなり猛威を振るって多くの方が亡くなっているんですけれども、
これがですね、オランダの病理学者のですね、ペーケル・ハーリングという研究者がですね、
閣議は最近が起こすという風に唱えます。
日本ではですね、柴森郎の同級生で、その後先輩で助手として勤めた尾形ですね。
尾形もやはり閣議は最近説っていうのを発表してます。
これはちょっと柴森郎はですね、その論文、彼自身も柴森郎自身も、
閣議は菌かもしれないなと、感染症かもしれないなっていうふうに疑ってたみたいなんですけれども、
彼らはですね、ちょっと論文を非常によく読み込んだわけですね。
そうすると、これはどうもこのデータはおかしいんじゃないかと。
これは菌であるということを証明できてないんじゃないかというふうに感じたわけですね。
で、このことをですね、候補のお弟子、一番弟子のレフラーに相談します。
そうするとですね、レフラーは言います。
北里、学問の世界で何が一番大切だろうか。それは真実だよと。
尾形は恩人ですので。だけど、そういうところに史上挟むのは不徳だと。
15:03
私がもしも候補先生に間違いがあると思ったら、迷わずそれを指摘すると。
先生は怒るだろうかと。
おそらく非を認めてむしろ感謝すると思うよというふうに言います。
そこでですね、柴桜はペーケル・ハーリングの実験の不備をついた論文を、
ドイツの最近学中央雑誌に発表します。
そして尾形の実験を批判する論文も書きます。
この北里の指摘というのは、この間言った国保の4原則に従って行われています。
患者の病相部分から病原菌を取ってきて、それを純粋培養する。
そしてその純粋培養したものを動物に打って、
それで動物が同じ病気になるかどうかを確認する。
その病気になった動物からまた同じ菌が取れる。
純粋培養できるというこの流れができないと、
その病気の原因菌とは言えないというところなんですけれども、
これをですね、この法則にちゃんと従った実験をしてないんじゃないかということを、
ペーケル・ハーリングとそれから尾形に対して指摘して反論した論文を書きます。
ちなみにですね、この国保の4原則はどういうふうに発見されたのかというのを
ちょっと説明しておきたいと思うんですけれども、
そもそもですね、国保はですね、ドイツの片田舎の医者でした。
まだ全然有名じゃない頃ですね。
その頃にですね、炭素菌の分離培養に成功します。
この菌を動物に摂取してですね、そして炭素に感染させます。
それからその病相からですね、再び炭素菌を分離培養できるということを実証します。
この同じ手法を使って1882年に血核菌を発見し、
さらにですね、1883年にこれら菌を発見しています。
そして国保の4原則を作ったと、提唱したということになります。
これをですね、フェイケル・ハーリングの実験でも
この4原則に当てはまってないよねというふうに指摘するとですね、
このハーリングはですね、北里の論評に非常に激怒してですね、
オランダから反論の手紙を国保にあてて送ってきます。
国保先生がですね、北里どうするっていうふうに聞かれて、
18:01
じゃあフェイケル・ハーリングが純粋培養したというふうに主張する核菌を送ってくださいと、
僕は推ししますよというふうに言ったんですね。
そしたらフェイケル・ハーリングはですね、すぐに血核を北里のもとに送ってきたそうです。
北里は推ししたんですけれども、実験動物に打っても病気にもならないし、
顕微鏡で見たらですね、これはどこにでもいるブドウ吸菌だなと思って見抜いてですね、
そのように報告します。
フェイケル・ハーリングはですね、1年後にその自らの日を認めてですね、
広告の空上を訪れて柴田ブドウに感謝の意を伝えた。
レフラーが言った通りになったわけですね。
やっぱり学者は真実を追求すると。間違ってたら非を認めるということで、
非常になんか男らしい、当たり前の行動があったかなということです。
一方、日本なんですけれども、日本でカッケ細菌説を唱えている尾形はですね、
その不備をつかれてですね、非常に怒ります。
怒っちゃうんだ、やっぱり。
尾形の論文はですね、尾形が見つけたとするカッケ菌がですね、
グラム染色によって見つけたというふうに主張しているけど、
やっぱりこれ有り触れた菌の可能性があるよねっていうのを指摘しています。
動物実験でですね、この菌に感染させた動物はカッケになったというふうに主張していますけれども、
対象実験としてですね、患者の血液を動物に摂取してどうなるかの反応は見てないと。
そういう片手落ちの実験もしていると。
北里はですね、尾形の実験方法の不備を指摘したわけで、細菌説を否定したわけではないんですけれども、
そういうような論文、彼のやり方おかしいじゃないかというところを論文で発表します。
でですね、これに対してですね、尾形だけではなくてですね、森林太郎、森鴎外ですね、
もう何てことを言うんだというふうに非難を行います。
東大総理、東大の今で言う総長ですね、の加藤はですね、
死刑の道をですね、外れるものだというふうにですね、非常に怒ります。
もう田里は、人非道の者なりみたいな、そんな感じですよね。
21:08
日本は師匠の間違ったことは、弟子が訂正するっていうのは許されないっていう、
そういう感じなんですよね。
まあそしてですね、柴田博は反東大の人間としてですね、劣等が剥がれることになっちゃいますね。
まあもう今となっては分かっている話なんですけども、
各家のですね、病院というのはビタミン不足ということなんですけれども、
当時は様々な説があってですね、日本では栄養説というのと細菌説に分かれてですね、
海軍と陸軍が争っているような状態ですね。
もうこれに、これを解説しだすとですね、長くなるんで。
ここでかなり僕は沼に陥ったんですけれども。
なるほど、結構沼化した争いになったんですね。
争いになりましたね。
この森林太郎はですね、その後陸軍の軍医として一番トップに行くんですけれども、
細菌説に固執してですね、栄養説を取らなかったんですね。
海軍の方は栄養説を取ってたので、
よかった。
海軍はですね、ご飯に白米を食うんじゃなくて麦飯を食うようにしたんですよね。
麦を混ぜたご飯を食べるようになって。
それで海軍ではカッケがなくなったんですけれども。
よかった。特に海軍なりやすいですもんね。
そうですね。海にずっといてビタミン不足になりますんで。
それに対してですね、陸軍はずっと白米で飯を作って食わせてたんですね。
なので陸軍ではカッケが出まくります。
かなりの陸軍の兵隊がですね、森を害が固執したことによってですね、
なくなるっていうそういう悲劇があるんですよね。
難しいな。
こんな病気の世界でも海軍と陸軍が争ってたんだなっていうことが分かってですね、
なんかあちゃっては思ったんですけど。
時代背景とも相まってない。
この時代からかって思いましたね。
この時代からか。本当ですね。
本当に力を合わせて日清戦争、日露戦争と勝ち抜いたにもかかわらず、
海軍罰と陸軍罰は医学ででもですね、争って。
24:00
森鴎外はですね、そこで間違った説で頑張ってしまったために、
陸軍の兵隊さんをたくさん殺してしまうという、そういうちょっとなかなかな状態になってました。
こんなところでですね、とりあえず今回は終了させていただいて、
また杉ですね、の話に進んでいきたいと思います。
はい、ありがとうございます。
なんか面白いですね、そういう時代背景を見ながらも。
やっぱり木鷹と柴田はちゃんと認められつつも、
やっぱり反論するっていうのは、こういう論文論争っていうのは本当に難しいなと思いながら。
そうですね、ただデータをきちんと示して、科学的に反証をしているのであれば、
それは学問の世界では正しいと思うんですけど、
なぜかこの時代の日本は、今の時代ももしかしたらあるかもしれないですけど、
この時代の日本は特にですね、師匠の論を追い隠すっていうのは、
データ的に正しくても許されなかったんでしょうね。
そういうことでしょうね。
そこの日本の情勢を垣間見るような話です。
悲しくなっちゃいますけれども。
悲しいですね。これだから進まないんだよって突っ込みたいとなりますけど。
今でもそんなところいっぱいいますけれども。
ありますね。
次はまたどんどん金の培養とかっていう話になっていくんでしょうかね。
そうですね。北里がどんな神業的な実験をしていたのかというのをご紹介したいなと思います。
わかりました。今日はここまでということで、また次回もお楽しみにしていただければと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
26:16

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