前回に引き続き、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.3”では、彼女の高校時代を中心にお話していきます。
学問への情熱の不屈の精神で数々の壁を乗り越え、科学者の礎を築いていきます。
彼女が影響を受けたものもお伝えしていきます。
シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は
世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書
ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社
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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。MCのあきさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。金沢秀明こと、MCのあきです。
そして、アシスタントを務めます、山崎愛子です。
前回まで、カリン・カリコ教授の小学校時代だとか、おじいちゃんおばあちゃんの戦争の話だとか、ちょっと暗いような話が続いた後なんですけども、
ここから、カリン・カリコ先生の才能が発揮するような話になっていくんですかね?
そうですね、あの、カタリン・カリコ先生ですね。カリン・カリコ、じゃなくて、
私、何て言いました?
カリンコ・カリコ先生って言ってます。カタリン・カリコ先生です。
カタリン・カリコ先生。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日は、あれですかね、高校生からですかね。
はい、そうですね、高校生になりましてですね、生物学クラブに入りまして、ここでですね、本当に素晴らしい先生と出会うんですね、
トート・アルベルト先生っていう先生になります。で、これ前回もお話ししたかもしれないんですけど、トート・アルベルト先生はまだご健在でですね、
で、カリコ先生とはずっとやり取りをされてたみたいです。
この方は女性と男性どっちなんでしょうか。
男性ですね、男性の先生になります。
この先生がですね、ノーベル賞を取った後ですね、カリコ先生ももうだいぶご高齢ですけれども、その時とかもきちんとお会いしに行ったみたいですね。
先生と生徒のすごいいい関係なんだろうなというのをちょっと。
いいですね、高校の時の先生と、私は全然続いてないですけども。
僕も全然続いてないですね。
それぐらいの影響を受けたってことですね。
そうですね、はい、になります。
これも前ちょっと言ったような覚えもあるんですけど、いつもですね、アルベル先生は何か疑問があった時というかですね、問題に対してどう思うカリコって聞いてくれたらしいんですね。
日本の教育だと、問題が出た時に解き方とか正解を教えちゃうと思うんですけれども。
どう思うのかっていうのを訪ねてくれるという、そういう先生だったみたいです。
03:03
これもしかしたらハンガリーとか海外ではわりと当たり前の教育方法なのかもしれないですけど、ちょっと僕にとっては新しい感じでした。
そうですね、なかなか学校はね、今の日本は正解を教えるっていう、それを覚えるっていう教育ですもんね。
そうですね、なのでこういう子どもの育て方っていいなと思いました。
ある時ですね、セント・ジュルジ・アルベルトという先生、博士ですね。
こちらハンガリー出身の科学者になりますけれども、この先生のことを教えてくれたみたいなんですね。
カリコはですね、この博士に非常に感銘を受けたみたいなんですけれども、
この博士ですね、アルベルト博士ですけれども、何を発見したかというとですね、まず初めてビタミンCを管理したみたいなんですね。
ビタミンCを発見したっていうんですかね。
当時はちょっと酸っぱい物質っていうことなんですけれども、それをですね、確かですね、ちょっと別の本で見たんですけれども、
この先生が発見したのは、最初、豚の水蔵かなんかにですね、どうもそういう物質が多いっていうのを発見して、
これが何やってるんだろうっていうふうに調べたときに、柑橘系の植物、果物にも多いぞっていうのを発見して、
さらにパプリカに大量に入ってるっていうのがわかった。
パプリカ。
研究のために豚の臓器ですね、わずかしか取れなかったものが、大量にパプリカから発見でき、見つけられるっていうことを見つけてですね、
非常に希少なものだったので、研究にお金がかかるっていうところが、集めてくるのが非常に簡単になったっていうような話も出ておりました。
あとですね、細胞呼吸ですね。細胞がどうやって酸素を取り込んでるのか、それがどうエネルギーとして利用されてるのかっていうですね、
基礎的なところになる、不塩酸回路っていうところのですね、解明をしたっていうのも、この先生の成果となっておりまして。
そうなんだ、すごい発見だね。
そうですね、本当に生物学の基礎の基礎が、エネルギーをどう作ってるのか、酸素をどう利用してるのかっていうところを解明した、素晴らしいハンガリー出身の先生ですね。
この方、1937年にノーベル生理学賞を受賞しております。
トート先生はですね、このセント・シュルジー・アルベルト先生のですね、言葉を持ってですね、カリコ先生に質問したらしいんですけれども、
06:06
生命は研究するときにどんどん高いレベルへ探求を進めていくと、その過程で生命は次第にぼやけていき、最後には手の中には何も残らないっていうふうなことを言ってらったらしいんですね。
高いですね、この言葉。
高いですね、本当に。
なんて言うんですかね、これ僕ちょっと学問の世界に置き換えて考えたときに、よく多項ツボ化するって言うんですけれども、
研究をどんどん進めていく、例えば医学の研究を進めていくと、それぞれの臓器の研究になっていきますよね。
俺は肝臓の専門家だ、俺は肺の専門家だ、みたいな感じになってきまして、さらに今度、肝臓なら肝臓の何々細胞、肝臓の中にあるこの種類の細胞の俺は研究家だ、みたいな感じになってですね。
で、それがさらにまた、その現象、細胞の中に起こっている、その細胞の中で起こっている、例えば何ですかね、
肝臓の中でホシ細胞っていう細胞がありますけれども、ホシ細胞の中に起こっているこの現象についての専門家だ、みたいな感じになっていって、
どんどんどんどん細分化していくんですよね。
そうなると、全体の命を見てるはずなのに、ものすごい細かいところの世界だけを見てる。
全体が見えていかなくなるってことですよね。
そうですね。歴史学者なんかでもよく言われてますけど、どの時代の、どの地域の、ここのについてはめちゃめちゃ詳しいみたいな。
だけど、歴史としてのその時代の他のことは何も知らない、みたいな。
こんな感じになっているっていうのと、なんか似てるのかな。タコツボ化って言うんですけど、
っていうことになっちゃうよっていうことを示唆している言葉なのかなって思うんですね。
なるほど。あまりにも深掘りしすぎない方がというか。
そうですね。深掘りするのはしないといけないけど、やっぱり全体も見ないといけないということで、
行きつ戻りつしながらやるというところで、タコツボ化しないようにっていうようなところを、
カリコ先生にどう思うっていうふうに聞いてくれたみたいです。
それに対してどういうふうにカリコ先生が答えたのかちょっと書いてなかったんでわかるんですけれども。
この素晴らしい先生は、その後アメリカに行ってしまってるんですよね。
なので、ぜひこの先生たちにみんなで手紙を書こうっていうことになったみたいなんですね。
生物クラブのみんなでですね。これが面白くてですね。
09:03
アメリカのどこにその先生がいるかわからないけど、有名人だから行けるだろうということで、
郵便局員に相談して、住所がわからないけど、アメリカ合衆国セント・ジュルジ・アルベルト様っていうふうに書いて、
住所はアメリカ合衆国のみで送ったらしいです。
そしたら多分アメリカの郵便局の人が一生懸命探してくれたんだと思うんですよね。
どこにいらっしゃるか調べてくれたんだと思うんですけども。
それで数ヶ月後に返信が返ってきたみたいなんですね。
奇襲異サラーシュの熱意あふれる科学研究者たちへっていう形で、
カリコ先生たちクラブの子供たちを仲間、科学研究者たちへというふうに表してお手紙を送っていただいたという形ですね。
この手紙の科学研究者たちへというタイトルを見て、カリコ先生は確信したらしいですね。
この偉大な科学者が私に語りかけてくれたんだと。
科学研究者という言葉がすごい心に響いたみたいで、これになるんだと思ったみたいですね。
なるほど、すごいエピソードですね。
手紙が届いたこともすごいし、返ってきたことも。
返ってきて、ここからずっと結構交流してたみたいです。
しょっちゅう手紙のやり取りをしてたらしくて、
トート先生はですね、この手紙全部大事に残してらっしゃるみたいです。
もう一人ですね、紹介してくれた先生が、カリコ先生がですね、
トート先生に紹介してもらってすごい感銘を受けたのが、
やはりハンガリーの学者さんで、ハンス・セリエという方ですね。
こちら女性の博士なんですけれども、
この先生がですね、何を発見したのかっていうところなんですが、
発見したというかですね、考え方を作ったっていうところなんですけれども、
ストレスですね、ストレスという概念。
これはですね、生物学の中でというか医学の中でっていうんですかね、
ストレスというものは、それまでは存在が定義されてなかったんですね。
なるほど。
なのでこれまで、ここまでの時代ですね、
1925年にですね、セリエはいろいろな病気になったんですけれども、
いろいろな病気が起こってるけれども、
12:05
例えば下痢になるっていうふうな時に、
これは感染症でなってるのか、
それか、例えばガンとかでなってるのか、
それかストレスでなってるのかっていうところ。
同じ下痢という症状であっても、原因は違うんだよっていうことが分からなかったんですね。
以前はあんまり分からなかったというか、あまり考えられてなかったんですね。
面白い。
それをですね、体系的に一個一個形を作っていったんですけれども、
この中でストレスというものも原因の一つになるんだということが分かって、
そもそもこの先生ですね、ストレスっていう言葉をですね、どこから持ってきたかというと、
これ物理学的な言葉らしいんですね、もともとは。
金属がグッと押されてですね、
押される、押す方の物質をストレスと言って押される方がストレスという形に、
なんか形が変化するとか、そういうことがストレスっていう、そういう言葉のもともとは意味だったらしいんですけれども、
これを医学の方にも持ってきて、で、我々がですね、今現在いろいろな形でストレスを受けたとかですね、
あわはらを受けてストレスになったとかですね、そういうのを使いますけど、
これ以前は概念すらなかった。
概念がなかったんだ、100年前なのに。
はい、ですね。
今はもうほとんどがストレスで出来上がってますけどね。
そうですね、何もかもストレスですね。
何もかもストレスですね、ストレスというのは細分化の名前もいっぱいできてますもんね。
ですね、なんですけど、それができてなかったのを作ったというところですね。
これ、こういったところにですね、非常に感銘を受けたという形です。
で、ハンガリーですね、第二次世界大戦後、共産国家になってしまったっていうお話をさせていただきましたけれども、
彼女がですね、非常に好きな番組っていうのがありまして、これは後々科学の世界で生きていくのにもですね、
非常に勉強になったみたいなんですけれども、
ケイジ・コロンボがですね、ハンガリーではテレビドラマで、アメリカの番組でやってたらしいんですね。
これ、唯一やってたアメリカの番組だったらしいです。
で、あやこさん若いんで知らないかもしれないですけど、
うちの母親がですね、よくケイジ・コロンボ見てたんで、僕子供の時一緒になってよく見てたんですけど。
15:03
あ、そうなんですね。
コロンボはですね、ロサンゼルス市警の殺人家のケイジなんですよね。
もうすっごいボロボロの格好、みすぼらしボサボサのですね、寝癖ヘアでですね、
ヨレヨレのトレンチコートを着ててですね、なんかそんなおじさんなんですよ。
で、いつもこのケイジ・コロンボって番組の最初にいきなり殺人するところからスティングがスタートするんですね。
だから番組の中の視聴者は一緒に推理を楽しむんではなくて、コロンボがどう推理をしていくのかっていうのを楽しむっていう、そういう感じの番組になるんですけれども。
で、だいたい犯人はですね、裕福で頭が良くてですね、すごい自信があるタイプの方がだいたい犯人なんですけれども、
これをですね、コロンボがどう追い詰めていくのかっていうところですね。
で、いつもコロンボはですね、この犯人と思わしき人物のところに行ってですね、
なんかいろいろ質問したりとかするんですけれども、その時になんていうんですかね、自分がバカなフリをするんですよね。
犯人が例えば、提供してくれたお酒なんかをですね、ガブガブ飲んだりとかしてですね、
なんか何にも知らないフリして、それはすごいですねとか驚いて見せたりとかするんですけれども、
そうするとですね、犯人もだんだんこいつ間抜けてるやつだなっていうことで、こいつ騙しきれるぞっていう感じになるんですけれども、
それでですね、いつもなんかこの中でちょっとやっぱキーとなるところをちょこちょこ聞いてるんですよね。
で、最後ありがとうございますって言って、必ず言うのが最後振り返ってですね、帰る振り返る手前にあと一つだけって言って、
ちょっとこれを聞かせてくださいって言って、結構そこでグッと押し込むようなクエスチョンするんですよね。
はい、なるほど。もう原点ですよね、刑事物のね。
これがですね、やっぱりかりこさん将来科学者になっていく中で、いつも何かこう決め手となるところに、
手がかかりそうになるたびにあと一つだけ、あと一つだけって思って実験を組み立ててきたということですね。
なるほど。
で、ちょっと探究の原点になったのかなってことですね。
で、ちょっとこう一般的な話をさせていただくとですね、高校時代の男女ですね。
高校時代は女性がですね、男子の2倍いたらしいんですね。
女子が。
そうですね、女子の方が多かったみたいです。
で、ただ女子はですね、2年経つうちにどんどんどんどん中退していっちゃうみたいなんですね。
18:04
最初はですね、男女別のクラス編成らしいんですけれども、女子が2クラスあって男子が1クラスあったのが、
2年後にはですね、女子が1クラス、男子が1クラスっていう形で半分に減っちゃったっていうことですね。
そんなにやめるんだ。
そんなにやめちゃうみたいですね。
その当時は学力があまり評価されてなくて、結婚したらとか、家事ができないっていうところもあるんでしょうね。
うん、あったんだと思います。
女の子はみんなですね、髪型とオシャレばっかり気にしてたみたいで、これいつの世も変わんないなって思うんですけれども。
で、キシュウイサラー州ですね、田舎町なので、地元の服屋はですね、だいたいダサい服しかなかったみたいなんですね。
で、じゃあ女の子たちどうしてたのかって言ったら、服を自分で縫って作ってたらしいです。
へー、すごい。
うん、なんかちょっと当時の女子の、なんて言うんですかね。
女子力。
女子力、当たり前としてみんなが持ってた能力だったの、芸能だったのかなと思うんですね。
へー、じゃあ服が作れたんだみんな。
そうですね。
作れなかったらもうダサい服しか着れないってことですね。
ただ、カタリンはですね、全然オシャレに興味がなかったみたいで、あと男の子にもなんか興味がなかったみたいですね。
で、勉強ばっかりしてたみたいです。
勉強好きだったんだろうな。
とにかくなんか勉強が本当好きだったみたいですね。
で、クラスの中でですね、数学でカタリンのライバルになる女の子がいたみたいで、その子、マリっていう名前だったらしいんですけれども、
数学の問題が出るとですね、マリとカタリンはいつも違う方法で解いて、答えは同じっていう状態だったらしいんですね。
その時に、どっちの解き方の方が正しいのかっていうのを、マリとカタリンはすごい授業中に熱い議論をしたらしいんです。
すごいな。
先生は先生で、それをすごい面白がってくれたらしいですね。
ただ、同級生たちはですね、2人が戦いだすと、ちょうど休憩の時間だなって感じでですね、その間にですね、手紙を回し合ったりとかしてたらしいですね。
すごい、どちらも女子同士っていうのも面白いですね。
そうですね。クラスの中は女子、男女別の。
そういうことか、男女別のクラスだからな。
なるほど。
なんか、ハンガリーの女子たちも手紙回し合ったりするんだなと思って、中学時代とか女子がよく手紙、授業中に投げてるのを見てたんで、懐かしいなって思いました。
21:07
いつの時代も一緒ですね。
一緒ですね。いつの時代でも、どこの場所でも同じなんだなって。
同じですね。
なんか女の子たち、あれですね、暗号でなんか手紙書いたりしてましたね。
あー、してたしてた。暗号作ってました。別に呼ばれてもどうでもいい。
どうでもいいような内容なんだろうけど、暗号でやりとりしてる。
暗号でなんか作りたいって。
なんかそれは思い出しました。
で、高校ですね、この時学生名簿みたいなの作るんですけれども、共産国なんでですね、そういったのはきちんとやってたんだと思います。
で、ちょっと面白いなと思ったのが、ハリコ・カタリンですね、という名簿の横にはFって書かれてたんですね。
で、このFがですね、はい、どういう意味かというと、これはフィジカルのFですね。
で、肉体労働者の娘っていうような意味があったみたいです。
へー、肉体労働者。
はい。お父さんが豚の解体業をやられてたというところで、おそらくお父さんの職業からFっていう形になったんだと思いますね。
で、共産国なんでですね、労働者階級は引き上げないといけないっていう、そういう社会的な意識があったみたいなんですね。
で、今、日本でも結構騒がれてますけれども、エリート階級に偏りがちなですね、高等教育をちゃんと労働者階級でもチャンスを上げようということがあったみたいで、
カリコはですね、これによってですね、肉体労働者の娘ということで、ちょっと有利な雰囲気はあったということですね。
へー、なるほど。
なので、書類審査とかの場合には注目されやすかったみたいです。
で、高校の時にですね、大学の夏季講習に参加するチャンスをそのおかげでもらえたんじゃないかなっていうふうに彼女は推測してます。
あまり教育を受けさせようということは、それまであまり教育を受けられなかったということですね。
そうです。
西側諸国だと裕福な人間じゃないと大学に行けないみたいなのがあったと思うんですけども、逆にハンガリーは社会主義国なので、そういう裕福でない家庭の人間でも頭が良ければ引き上げてやろうっていう、そういう力が働いたみたいです。
そういう意味ではちょっとラッキーだったんですね。
そうですね、ちょっとラッキーだったのかなというところですね。もちろん本人の頭の良さもあったんだとは思います。
24:07
1970年代ですね、ハンガリーで大学に行くというのは非常に難しかったみたいですね。
そもそも大学の数も少ないというところがあったんですけれども、そこの夏季講習に参加できるっていうのはですね、
高校生にとっては大学に行けるチャンスが出てくるということで、彼女はとにかく先ほどのトート先生の影響もあってですね、生物学を勉強したいということで、この夏季講習をすごい楽しみというかですね、すごい頑張ったみたいですね。
1972年ですね、17歳のカリコはですね、その夏季講習に参加するためにですね、町を出てですね、セゲト市っていうもうちょっと大きな町にあるセゲト大学ですね、ここに行ったみたいです。
この大学がですね、セント・ジュルジ・アルベルトがですね、ビタミンCを発見した大学になります。
たまたまこれは夏季講習でその大学だったってことですか?
そうですね、なんですけど、たぶんハンガリーの中で東大みたいなとこだったんじゃないかなと思いますね。
なるほど。
はい。
で、大学自体もたぶんすごい数も少なかったので、自ずとそこに行ったのかなという気がします。
で、夏季講習。
でもね、グループ圏にもそういうところに行けたってことですね、学ぶ場が。
そうですね、はい。なので自分が尊敬する博士が出た場所、重大な発見をした場所ですね、ビタミンCを発見し、あとティシエ回路を発見した場所ですね。
クエンサン回路。
クエンサン回路ですね、こちらを発見した重要な場所に行けたということですね。
で、夏季講習のですね、内容が結構すごくてですね、朝5時に起床をして、で、それから朝5時、まず起きるのは無理ですけど、僕が高校時代、朝5時なんかもう無理ですね。
無理ですね。
で、朝5時起床で課題に取り込んで、朝から夕方までは授業に出て、夕方からも課題、ここら辺宿題なんですかね、取り込んでた後。
で、ちょっとだけ寝て、また朝5時に起床っていう感じ。
もう本当、勉強、毎日毎日、ちょっとだけ寝て、もうあとはひたすら勉強って感じですね。
すごいな、夏季講習だから期間限定とはいえ、結構過酷な。
うん、過酷ですね。
講習ですね。
高校生の時なんか俺何してたかなと思うんですけど。
27:05
で、本人はですね、もう大学で学べるものは全部頭の中に入れたかったらしいんですね。
高校のうちに。
はい。
っていうか、その夏季講習の間にってことですかね、教えてくれることはもう漏れなく頭の中に入れたかったってことで、もうこの生活は全然酷じゃないというかむしろ楽しかったんだということです。
すごい、やっぱ違うな。
違いますね、全然違いますね。
で、今度夏季講習終わって高校に戻ったらですね、なんかここで急にガラッと変わって、トウモロコシが工作だったらしいんですけど、トウモロコシの収穫の手伝いに行くことになったらしいんですね。
で、ちょっとこの時また人生に対してですね、勉強になるというか、そういうちょっとトラブルが一つ発生したんですけれども。
トラブル。
カルコ自治体はですね、小さい時からトウモロコシ収穫、家でもトウモロコシ作ってたので、学校から割り当てられたですね、場所をすぐにこなしてしまったみたいなんですね。
で、それで友達と一緒に休憩してたらしいんです。
もう自分たちの分は終わったので。
で、その時にですね、ロシア語の先生が近づいてきてですね、お前ら何触ってんだと。畑にすぐに戻れというふうに言われたんですけど、語り結構頑固者だったので、
ここで私たちの分はやったよと。私はもう、だからもう作業には戻りませんというふうに言ったらしいんですね。
結構強気で言っちゃったんだ。
強気で言っちゃったみたいですね。
いや違うと。先生からすると反抗してきたのがムカついたんでしょうね。
他の奴らの分手伝えよお前みたいな感じで言ってたらしいんですけど。
いや私たちはもうなんかすごいこう、自分たちの分はやったんだから、もう大丈夫でしょって言って反抗、言ったと。
で、これがですね、学校内でちょっと問題になるというか、ロシア語の先生がこれを騒ぎ出したみたいなんですね。
やだな、もうそんな。
いや本当ちょっと小っちゃい男だなと思うんですけど、これが反抗っていうふうな形でですね、その先生は学校内で騒いで、
大学の進学をしたいというですね、カリコに対して書類状とかいろんな手を使ってですね、それを妨害しようとしてきたらしいですね。
じゃあ先生はカリンコ教授というか、大学進学するのを阻止したかったってことですか?
30:00
そうですね、もう自分に反抗したカタリンのようなこういうやつを、もう人生を潰してやりたかったっていうか、やりたいことをやらせないようにしてやろうっていう。
怖い。
なんかそういうので、大学内で他の先生とかにも訴えて、彼女は反抗的だから、低学にしようとかなんかそういうのをいろいろやったみたいです。
ただ他の先生たちは、いやそんな子じゃないでしょって言って、思わずにですね、この先生の試みは失敗したよと。
良かった。
良かったですね。ここで成功しちゃってたら、世界を救ったカタリン・カリコは生まれなかったでしょうね。
なるほど、すごい今、高校からの話をしてきましたが、ちょうどちょっと時間にもなってきたので、今日はこの辺でというところなんですけども。
カリンコ教授と出会った人たちの名前が何名か出てきましたね。
カリンコじゃなくて、カタリン・カリコですね。
カリン島となんか混ざっちゃってる。
すみません、冒頭からカタリン・カリコ教授が出会った方々の話が今日は色々聞けましたので、これから先、また大学の進学との話が続いていこうと思います。
今日はこの辺でまた次回聞いていただきますので、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
失礼いたします。
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