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004.科学者『カタリン・カリコ』:Part.4~大学時代
2025-01-06 33:22

004.科学者『カタリン・カリコ』:Part.4~大学時代

今回も、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.4”では、彼女の大学時代を中心にお話していきます。

狭き門を突破した受験秘話、大学での寮生活や研究の初体験、科学者としての視野を広げる転機や、奨学金をめぐる挫折と成功の裏にあった背景や、当時のハンガリー社会と共に、若きカリコの奮闘と成長をお届けします。

シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は

世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書

ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社

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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。MCの
金澤秀明ことあきです。
そして、アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それではですね、早速、カリコ先生が、 セゲト大学を受験するところから、話をスタートしたいと思うんですけれども。
はい、そうですね。前回、高校の話とかの話がありましたもんね。
そうですね。はい。いよいよ受験ができるようになるというところで。
日本の大学受験を思い浮かべるとですね、教室の中にたくさんの人間がいて、カリカリカリカリ筆記試験を受けるというようなイメージかと思うんですけれども。
筆記試験ではですね、200人以上はいるような感じだったんですが、トータルで受験生が何人いるのかっていうのは、正直よく分からなかったみたいです。
筆記試験以外にもですね、報道試験っていうのもあって。
で、これ、報道試験が二次試験なのか三次試験なのか四次試験なのかよく分からないですけど、そこで3、40人ぐらいに絞られてたみたいですね。
へー、だいぶ絞られるね。
そうですね。で、そこを通過して、15人から20人ぐらい。何人合格するっていうのは正確に決まってるわけではないみたいなんですけれども。
優秀な子が多いときには人数が多くなるでしょうし、少ないときには少なくなると思うんですけど。
すごい、10分の1だ。
10分の1、そうですね。
筆記試験のときに200人以上いたっていうのは、多分一箇所に200人以上なので、もしかしたら何箇所も分けてやってるかもしれないので、本当に狭きもんですね。
本当ですね。こんな少ない数しか。
へー。
ですが、見事にカリコ先生が合格してですね、そのときにロシア語の邪魔した先生のことを思い出したみたいです。
タマロコ氏のときのね。
そうですね、彼のほんの些細な嫌がらせで、彼女の人生をダメにしようとしたわけですけれども。
そのとき、その先生のことを考えて、みんなが応援してくれるわけではないんだなと。
中には私を憎む人だっているけども、それは仕方がないことだっていうふうに、そのときに思ったっていうことを書かれてました。
03:05
あーすごい。少し悟りを得たんですね。
そうですね、悟りを得たって感じですね。
なるほど。
僕も大学の後の人生で思ったことがあって、みんなと仲良くできるわけじゃないんだなっていうのは。
うんうん。ありますよねって思うときがね。
絶対馬の合わない人っているもんだなっていうのは思いましたけど。
カリコもこのときにそんなの思ったみたいですね。
でも早いですよね。私は社会人になってそういうの知ったので。
そうですね、非常に早いときに、それを大学入学のときに思ったっていうことですね。
まあ入学というか試験合格したときにですね。
ハンガリーの大学ですね、5年生みたいなんですけれども、最初は講義が多くてですね、研究室でも実験とかをやるんですかね。
学年が進むとですね、研究室での実験っていうのがどんどん重要になっていくということですね。
まあ私は大学から始めてっていうところで、このあたりは日本にも似てるのかなと思います。
で、5年の課程を修了するとですね、ハンガリーでは制度上生物学者っていう、
彼女の場合は生物学を専攻しているので、生物学者という肩書きを得ることができるというところですね。
で、その先5年後からですね、博士課程が始まるというところで、この1973年ですね。
私はまだ生まれてませんけれども、彼女はですね、登りきれない山のように大きな、長い長い先のように感じてたみたいですね。
ですが、どんどん、でも早くそこに行きたいとは思ってたみたいです。
で、大学に行くためですね、瀬戸は旧イサラー市からだいぶ離れてますので、瀬戸に住むために荷物をまとめて家を出たんですけれども、
その時にですね、子供の時にお父さんと一緒にですね、泥をこねこねして何ヶ月もかけて作ったその家ですね。
そこを踏み出すというところで感慨深かったそうです。
いやー、そうだよね。あれ第2回からご覧のときに、家作るんかと思って聞いてました。
いやー、そうですよね。本当に家作るんだと思いますよね。
でもそこを言ったら、大学の上がるまでずっとそこの作った家に住んでたっていうのがすごいですね。
すごいですね、本当に。
結構な頑丈な家だったんだな。
06:02
ちゃんとね、そんな手作業とはいえ、ちゃんとした家を作ったんだなお父さんという感じですごいですね。
いよいよ大学時代ですね。
そうですね、はい。いよいよ大学時代に入っていきます。
1973年の秋ですね、瀬戸大学に入学いたします。
生物学科はですね、18人いたそうですね。
何をするのも一緒っていう形で、もちろん常生活になるので、ほとんどの人間は寮にいるんですね。
時間割っていうのは、大学って選択で授業を取ると思うんですけれども、
そうですね。
そういったのは全くなくて、全く同じ時間割で18人一緒に同じものを学ぶと。
昼休みはもうみんなで食事をする。
ほとんどの生徒が同じ寮に住んでるっていう形ですね。
なのでもう本当兄弟姉妹のような、ずっと一緒ですね。
感じで生活してたみたいです。
クラスにはですね、留学生もいたみたいで、
ヨーロッパなんでですね、ユゴスラビアの方にもハンガリー系の人間っていうのがいたらしいんですけれども、
ユゴスラビアの方もですね、東欧になりますので、そこから2人留学生がいてたらしいです。
アジアにもですね、社会主義国がありますけれども、ベトナムですね。
ベトナムの方から2人の女子も来てたみたいですね。
学生さんたちのですね、半分はですね、名前の横にFですね。
労働者階級の娘という形の印がついてたみたいですね。
割とそのFの分類にされた人にも、頭がいい人が多かったってことですかね。
そうですね。だから労働者階級の娘さん、息子さんたちでもちゃんと平等にチャンスがあって、
頭が良ければちゃんと大学に入れたんだなっていうことがありますね。
ありがたいですね、そういうのも。
そうですね。
生物学っていうとですね、今分子生物学が前世というか、
それ以外の生物学っていうのはなかなか難しいというか、
なかなかいい論文とかも出にくい時代になってますけれども、
この当時はですね、かりこ自体は植物好きだったので、植物を研究したいっていう形で思ってたんですね。
植物だったんだ。
植物を専攻したいと思ってたみたいです。
09:00
ただしですね、ちょうどここから1950年代ですね、衝撃的な発見がありまして、
ワトソンとクリックっていうですね、2人、この方もノベル賞を取られてますけれども、
DNAの二重螺旋構造っていうですね、構造を見つけたんですね。
この構造を見つけたおかげで、DNAっていうのがどういうふうなもので、どういうふうに遺伝子をコピーして、
それをここに伝えていってるのかっていうところが、どんどんどんどんこの後から分かってくるようになったわけですけれども、
これを見つけられて20年あった後だったので、やっぱり拡散DNAの研究が飛躍的に進んでまして、
1973年ですね、そのあたりのことをいっぱい学んだと。
なるほど。
で、その後、カリコがずっとですね、研究することになるメッセンジャーRNAっていうのも、この時代にはもうすでに発見されてたということですね。
なので、カリコ自身も、どうぞどうぞ。
いや、そっかと思って、二重螺旋もあんまりそんな昔の話じゃないんだなと思って聞いて。
そうですね、そんなに昔の話ではないですね。
ワトソンもクリックも、少なくともつい最近までご存知でしたし、どちらか亡くなったとかってニュースも聞いた気はするんですけれども。
そっか、その時の研究は割とこれがメジャーな研究課題だったんだろうな。
そうですね。なので、ザガクの中でこの遺伝学とか遺伝子についてですね、カリコ自身も勉強していく中で、植物じゃなくてとにかく遺伝学、DNAとかですね、そういったところが今こそ取り組むべき問題、学問なんだなっていうふうに考えが変わったっていうふうな形ですね。
で、ちょっと寮生活の話をしたいんですけれども、日本にはですね、およそ300人、結構な大勢だと思うんですけども。
学部も結構あったってことですね。
そうですね、いろんな学部、いろんな学年があるんだと思うんですけれども、学生が生活してたみたいです。
で、東側、諸国、東のほうなんで、西側の文化とかってあんまり入ってきてなかったのかなって僕勝手に思ってたんですけども、大学内ではですね、ビートルズとかローリングストーンズとか、そんなのが結構みんな聞いてたみたいですね。
12:00
一番流行ったんだろうな。
そうですね、流行ってた時代ですよね。
で、セゲト自体がですね、当時ユーゴスラビアですね、今セルビアっていう国になってますけれども、そちらまでですね、16キロの距離にあるような国境の街だったみたいなんですね。
で、ユーゴスラビアから向こうは西側っていうことで、ユーゴスラビアはですね、ハンガリーよりも移動の制約が少なくて、西側の商品が結構手に入ったらしいんですね。
で、カリコもですね、友達にお願いして、ユーゴスラビアに行ってくる友達ですね、お土産にジーンズ買ってきてって言って、ジーンズがまだハンガリーにはなかったみたいなんですけれども。
へー、そうなんだ。
それを買ってきてもらったらしいですね。で、それでジーンズを履いてですね、なんか最先端のオシャレを私してるのよって、そんな気分だったっていうことですね。
そっか、ジーンズが最先端のオシャレだったんだ。
いやー、なんか面白いですね。
面白いですね。
うちの母親もなんかそんなこと言ってた気がします。なんかジーンズなんかちょっと不良が着るもんやったみたいなことを言ってた気がしますね。
でも確かに親世代あんま着てるイメージないな。
で、やっぱ国防の街っていうことでですね、セゲト自体はですね、ハンガリーから逃げたい亡命者にとってもですね、亡命者が集まってくる街っていうんですかね。
で、好きあれば国境を越えてやろうっていうようなので、亡命者たちが狙ってる街っていうところでもあったので、そういった人を取り締まるためのですね、秘密警察もすごい多かったみたいです。
で、秘密警察たちはですね、かくぱったヘアスタイルをしてて、ふがりなんですかね。それですぐにわかったみたいですね。
それって秘密じゃないよね。
全然秘密じゃないなって感じですけどね。
あと学生仲間の中にも秘密警察に情報提供してるっていう人がいるんじゃないかって。
あいつは結構秘密警察とつるんでるぞみたいな、そういう噂とかもあったみたいですけれども。
それでもですね、時代がだんだん緩んできたのか、子供の頃よりもですね、そういった空気は緩くなったっていうような形ですね。
戦争時代と比べたらね、秘密警察ぐらいっていうところもあるかもしれないですね。
で、彼女たちですね、ハンガリーの人たちは、ハンガリーっていうのは共産権の中では最も幸せなバラックだなって言って、自虐的に言ってたらしいです。
そこそこ自由もあって、そんなに締め付けが厳しくなくて、というところで、政治の話ももちろんできるしっていうところでですね、そんな感じだったみたいなんですけれども。
15:06
当時、留学生で来てたベトナム人の同級生は一切政治の話はしなかったらしいですね。
やっぱそこら辺はお国柄の。
お国柄というか、やっぱりタブーなんでしょうね、この当時の。
今のベトナムからは考えられない厳しさがあったと思います。
で、授業ですね。授業になりますと、やっぱりハンガリー中から天才が集まってきているので、クラスメイトはですね、どんどん理解するんですけれども、カリコはですね、これについていくためにかなり必死に努力したらしいですね。
カリコ先生でもやっぱり大変だったんですね。
大変だったみたいですね。
今までは常にトップを走っているイメージでしたけれども。
そうですね。
トップを走るために努力をしないと。
優秀な人だけが。
優秀な人だけが来る。
なんか結構ね、優秀だ優秀だって言われてる子が、なんかすごい優秀な高校とか大学に行っちゃった後で落ちこぼれて、なんかすごいダメになっちゃうって話も聞くんですけども、彼女はそうはならずに頑張ったみたいですね。
食らいついていったんですね。
食らいついていった感じですね。
ちょっとこれ、授業の一端でですね、すごい面白いなって思ったんですけれども、分析科学という実験があったらしいんですけれども、その時にですね、教授がですね、透明な液体を生徒たちに渡すらしいんです。
で、この液体は何かを当てなさいと。
で、匂い嗅いでみたりとかいろいろするんだと思うんですけれども、例えばですね、火の中に一滴垂らしてみると。
で、オレンジ色の光が出たらですね、あ、これはナトリウム含まれてるなとか、青色の光が出たら銅が含まれてるなとか。
あとリトマス試験紙を使って。
炎色反応か。
そうですね、炎色反応を見るってやつですね。
あとリトマス試験紙使って酸性とかアルカリ性とか見てみるとか。
なんかいろいろなこう実験書法を使って、その液体が何なのかっていうのを推測していくと。
その時にあの心に思ってたのがケージコロンボだったらしいですね。
あと一つだけっつって。
あと一つだけ。
繰り返して繰り返してどんどん犯人を、その液体が何なのかを追い詰めていくと。
なるほど、すごい謎解き楽しかったんだろうな。
楽しかったんだと思いますね。
で、カリコがすごい苦労したのがですね、英語だったらしいです。
18:06
もうすべてのテキストは基本英語で書かれているので、英語がわからないとどうにもならないというところで、
ただ高校時代に英語の授業というのはなかったらしいんですね。
うん?
なんですけれども、高校の時にロシア語の授業はあったらしいんです。
さすが東側諸国だなと思うんですけれども。
ほんとですね、英語はなかったんだ。
うん、英語はなくロシア語だったらしいですね。
で、カリコ自体はもうロシア語は完璧にマスターしてたので、大学ではですね、ロシア語の授業はパスすることができたらしいんですね。
で、そのためにその時間を全部ですね、英語に費やしたということで、
もうほんと大学3年生のときですね、夏休みはもう英語だけをやり続けたみたいで、英語をマスターしたということですね。
すごい、1年で。
そうですね、もう1年というか夏休みの期間、もちろんそれまでもコツコツやってたんだと思うんですけれども、
その意味もとにかく頑張って試験をパスしたと。
とにかくあれが授業がついていけないということになるので、もう英語はほんとに必死だったみたいです。
ただカリコ自身ですね、これYouTubeで結構カリコ先生がですね、インタビューを受けたりとか、
あと記者会見なんかの動画っていうのが出てるので、ぜひ見てもらうといいかなと思うんですけれども、
結構僕からするとすごいわかりやすい英語ですね。
アメリカ人とかイギリス人が喋ってる英語って早すぎてよくわかんないですけど、
そんな感じですごいわかりやすい英語を喋ってくれてるんですけど、逆に言うとカリコ自身は未だに英語が私は下手だって言ってまして、
ハンガリーの文法の癖なんだと思うんですけど、
例えば彼はジャンプしなかったっていうのをhe didn't jumpって言いますけれども、
これなんかですね、he didn't jumpedって言って、
ダブル過去形。
EDつけちゃうみたいな、ダブル過去形になっちゃうみたいな。
こういうことは未だによくやっちゃうって言ってましたね。
へー。
相変わらず大学でもとにかく努力の人ですね。
宿題がとにかくいっぱい出るらしいんですけれども、
もうこれをやっていかないってことは彼女には考えられなかったみたいで、
課題がどんなに難しくてもですね、毎日2時3時まで勉強してたみたいですね。
21:00
すごい。寝てたの?
いや、ほんと寝てたのって感じですね。
で、食事もですね、いつもカフェテリアでとって、
自炊なんかしたことなかったと。
もう自炊してる時間がもったいなくて、とにかく勉強してたと。
これは寮生活動してた同僚も全員そうだったのか?それともカリコ先生だっけ?
やっぱりカリコは誰よりも勉強してたみたいですね。
みんなある程度青春も楽しんでたらしいんですけど、カリコはとにかく勉強してたみたいです。
で、寝たくないから寝ないように窓を開けて散歩して勉強してたらしいんですね。
えー!あれ言っちゃうよ。
すごいなー。ストイックですよね、ほんとに。
いやー、ほんとストイックですね。この後もストイック話しか出てこないっていうぐらいストイックですね。
たまにストレス解消でディスコに出かけたりとかしたらしいですね。
そういうのあったんですかね。
そうですね。
この当時、ハンガリーの若者の間でハンガリーの民謡みたいな昔の音楽が再評価されてたらしくて、
大学のクラスメイトの民謡サークルみたいなのがあったみたいなんですけれども、民謡武道サークルですね。
こういったのの発表会を見に行ったりもしたみたいですね。
で、バスケットボールもたまにしたっていう形ですね。
わりと幅広いですね。
幅広いですけど、ほとんどの時間は勉強だったんだろうなと思います。
そんな感じですね。
それだけやりながら、私ってなんて幸せなんだろうなって思ってたらしいです。
勉強できる実感が本当に幸せだったんでしょうね。
すごいですね。
僕なんか酒飲んでるときより幸せって感じなんで。
寮生活なんかしたらたぶん毎日とかしらレコードするんでは飲んでたんじゃないかななんて思っちゃいますけど。
周りにそんな若者だらけで、友達も間近にいて、男女もいっぱいいたら恋に走ったり、友達と遊んだりってそうなもんですけど、本当勉強勉強勉強みたいな感じですね。
なるほど。
すごい。
ただ大学に入ってもですね、高校とか中学・小学校と同じでですね、収穫作業を手伝わされることがまあまああったみたいなんですね。
ただ収穫作業に一つだけ変わったことがあって、早く作業を終わらせるために賞金を出してくれたらしいんですよ。
24:03
一番早く終わったチームには賞金出すよっていうような形ですね。
生物学科のチームはですね、賞金を取りたい狩り子の説得でですね、みんな工夫して頑張って一番になるように続けてですね、それで賞金を獲得して、
それを旅行費用にしてですね、そのお金を使って週末にクラスメイトの家を旅行するっていうことをたまにやってたみたいですね。
すごい。狩り子先生、それ説得したっていうのがすごいね。
そうですね。
絶対取るぞっていう。
絶対取るぞって。
強い意志を感じる。
チームビルディング力がありますよね。
本当ですね。巻き込んでいきますね。
巻き込んでいきますね。
あとやっぱり労働者の友達が多かったんで、得意な人たち多かったのかもしれないですね。
そうですね。なるほど。
クラスメイトの家に行くわけですけど、自分の実家にもみんなを連れて行ったときがあったらしくて、
その時にはですね、お母さんがすごい張り切ってくれて、朝食用にですね、鳥小屋の中の鳥を追っかけまわして、卵30個も集めてきてオムレツを作ってくれたりとかですね。
お父さんもめちゃめちゃ張り切ってですね、マトンシチューを作ってくれたりとか、
あとガチョウの足のケーキですね。お母さんがガチョウの足のケーキってどんなケーキだろうと思うんですけど。
ガチョウの足のケーキ?なんだろう。
ガチョウの足だけでもなんかわかんないのに、それのケーキっていうのはちょっとわかんないんですけど。
なんかそれをくるまってあげたらしいですね。
すごい。じゃあ、お父さんお母さんにとってもね、やっぱり自慢の娘というか。
そうですね、自慢の娘だし、あと多分ちょこちょこ電話されてたんだと思うんですけど、
お父さんお母さんはやっぱり娘から名前だけ聞いてるこのクラスメイトに初めて会えたのがすごい嬉しかったみたいですね。
なるほど。
いろんなクラスメイトの家に行くわけですけど、ベトナム人の留学生の子たちはですね、さすがに実家に行けないので、
ベトナム料理をですね、作ってくれて、それをクラスメイトに振る舞ってくれたっていうのも書いてましたね。
この当時は多分踏み入れられない場所だった。
そうですね。1977年になりましてですね、やっぱりこの時収穫やってたらしいんですけれども、
ブドウ畑で収穫してる時に、同級生の矢農主、この矢農主っていうのは後々もいろいろ関わることになる人なんですけれども、
27:10
その人がですね、ボイジャー計画っていうのについて聞いてきたらしいんですね。
ボイジャー計画って聞かれたことあります?
なんとなくです。言葉でしかないですけど。
僕がですね、子供の時に結構、ボイジャー2号がもうすぐ海洋船に到着するとかですね、天皇船に到着するっていうのでニュースになったことがあったんですけれども、
あの、惑星直列って言って、惑星がですね、この軌道上で一本の線みたいな形で並ぶ時期っていうのが何十年かに1回、50年に1回とかだったかな、あるんですけれども、
惑星直列が起こるっていうですね、最初の直列がスタートするぞっていう年にですね、今なら人工衛星を打ち上げたら、そのまんま地球の次、火星ですね。
火星行って、木星行って、土星行って、海洋星行って、天皇星行って、海洋星が行ってっていう形でずらーっと1台の衛星でずっと観測し続けていけるっていうのがあって、
ボイジャー1号とボイジャー2号っていうですね、2つの衛星が打ち上げられるんですけれども、
天皇星と海洋星の時に僕は小学生だったんですけど、すごいニュースになってたのを覚えてるんですけど、この計画について矢野雄主がですね、これ打ち上げの時だったと思うんですけど、打ち上げ計画なのか、矢野雄主に聞かれたらしいんですね。
で、カリコ自体はそんな計画全然知らなかったみたいで、知らないわよみたいな感じで言ったら、矢野雄主にですね、君は科学者になるんだろうと、仲間の科学者たちがどんな仕事をしてるかぐらいは、っておいて自分の意見を持つべきだよって言って、怒られたらしくて。
で、カリコは悔しくてですね、図書館に入ってボイジャー計画について調べまくったみたいです。
すごいな。
負けず嫌いというか、何なのか。
何なのかですね。
さすがですね、本当に。
いろんなことに本当に興味を持って、その時その時の場面で感じたことに関してもどんどん深掘りしているというか。
はい、そうですね。
探究心がすごいですね。
それとですね、西に勉強したおかげでですね、1年生、2年生でですね、最高得点を取ってですね。
30:03
3年生になった時にはですね、ハンガリー人民共和国奨学金っていうのに推薦されたらしいんですね。
で、教授たちがですね、推薦した15名がですね、国に、その推薦者の生徒たちの名簿が国に提出されたらしいんですけれども。
何でかわかんないですけど、彼女の名前が途中で消えちゃったらしいんですね。
で、やっぱりハンガリー共産国なので、彼女、生徒たち全員をすごく調べたんだと思うんですけれども。
その結果、カリコが推測するにはですね、なぜ消えたかっていうのはもちろん全然闇となってわかんないんですけど、
彼女の予想ではですね、お父さんがハンガリー・ドーラの時に逮捕履歴があったんで、それでダメだということで消されたんじゃないかなと。
ただ、大学側がですね、攻撃をしてくれたみたいで、カリコは奨学金を受け取ってたらしいです。
よかった。
よかったんですけど、これが何で判明したのかっていうとですね、カリコ自身がノベル賞を取った後にですね、マスコミが彼女の過去をいろいろと探るわけですよね。
で、ハンガリーっていうのは元共産国だったので、いろいろな書類が残ってるんですよ。
とにかくいろんな人について調べてたのが残ってるんですよね。
で、カリコの経歴とかをいろいろ調べて、カリコ自身がですね、大学には奨学金で行ったんですとかっていうのをインタビューの中で答えてたけど、
あなた名簿に名前残ってないから本当にお金もらってたの?みたいな感じでマスコミから聞かれたらしくて。
で、カリコ自身もその後調べてですね、あ、どうも本当に私って名簿に載ってなかったんだ。
じゃああのお金って何だったんだろう?っていうので判明したらしいんですけれども。
そういったことがあるんだ。結局そこは謎というか。
謎。謎は謎なんですが、お金はもらえてたらしいです。
まあ良かったのは良かったんですけどね。
じゃあここ、夜聞いてきましたが、そろそろまた時間というところが来てしまったんですが。
でも本当にカリコ先生のお人柄というか、こんな感じで学生時代を過ごしたんだなっていうのを垣間見れるエピソードがたくさんあって面白いですね。
そうですね。とにかく真面目だけど、その中でもちょこちょこ面白いエピソードがあるもんだなと思いました。
ありがとうございます。ここまで聞いてくださった方もありがとうございます。また次回もお楽しみにしてください。ありがとうございました。
33:02
ありがとうございました。失礼いたします。
失礼します。
33:22

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