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024.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.9~日本初の伝染病研究所
2025-05-26 26:28

024.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.9~日本初の伝染病研究所

前回に引き続き、日本の細菌学の父・北里柴三郎をご紹介していきます。

今回のエピソードでは、日本に帰国後、福沢諭吉の支援で設立された伝染病研究所。
その誕生秘話を探ります。北里と福沢が築いた伝染病研究所のはじまりの物語です。

シーズン2
「ノーベル賞に最も近づいた最初の日本人、北里柴三郎」
の参考図書は

ドンネルの男・北里柴三郎
山崎光夫
東洋経済新報者

北里柴三郎 感染症と戦い続けた男
上山明博
青土社

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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者へ
MCの金澤秀明です。
アシスタントの山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回、やっと日本に帰ってきて、北里先生が小さな研究所を福田佑吉のおかげで建てれたってところまででしたよね。
そうですね、はい。そこまでになってですね、これからどう大きくしていくのかというところなんですけれどもですね、
ちょっと今までですね、ずっと間違えたことがありまして、それを提出させてほしいんですけれども、
スクリプトというかですね、台本の方にですね、生命科学の冒険者たちへっていうふうに僕書いてて、愛子さんに最初にそれを読んでもらってたんですけれども、
それがですね、自分でつけたタイトルなんですが、正確にすっかり忘れててですね、生命科学の冒険者たちじゃなくて生命科学の冒険者でしたので、
すいません、今後たちをなくしていただくというところで訂正をさせてくださいというのが、まず一つ目になります。すいませんでした。
こちらこそ。
もう一つですね、これ前回お伝えしたところでですね、2人外務大臣が登場してたんですけれども、
彼らの業績とかですね、経歴がですね、僕の頭の中でちょっとごっちゃになってましたので、改めてそこを訂正させていただきたいと思います。
一人目でですね、出てきた榎本武明なんですけれども、
彼はですね、江戸幕府の海軍の将校でですね、外国語に非常に堪能でした。
そこでですね、江戸幕府から非常に外国語に堪能ということで、外国関係のですね交渉とかをやってたんですけれども、
江戸幕府の政府の一員というところでですね、明治政府ですね、新しく立った新政府に最後まで抵抗しまして、箱立てにこもります。
ひじかたとしぞうなんかのチームとともにですね、箱立てにこもって戦うんですが、
新政府軍に最終的には負けてしまいまして、彼自身死罪となります。
ですがですね、これほどの人物を殺すのは惜しいということでですね、
敵塾で一緒に学んでいた福沢由吉がかなり短眼して回ったみたいなんですね。
そのおかげでですね、新政府内部で働き始めるということになります。
03:00
死罪からですね、新政府の役人となると。
福沢さんここでもまた発揮中ですね。
そうですね、もうこの時の福沢由吉がいなかったら、
日本政府というか、日本ってまた全然違った動きになっちゃってたんだろうなっていうのは思いますね。
片澤先生もそうですけど。
もう本当にありがたい。
発揮できずに。
彼はですね、その後政府の中でですね、外交官として活躍していくようになりまして、
駐路公使ですね。
現在の大使のような役割かと思うんですけれども、駐路公使。
ロシアの公使となってですね、1875年ですね、
サンクトペテルブルグ条約というものを集結することに成功いたします。
これはですね、ロシアと日本の領土ですね。
国境戦っていうのが千島列島とカラフ島がですね、
どちらのものとも正直ちゃんと決まってないような状態でした。
いわゆる無種の地っていうふうに言うんですけれども、そういうような状態で、
例えばカラフ島でですね、人殺しが起こったとしても、
これはロシアの法律で裁くのか、日本の法律で裁くのかっていうのがないような状態ですね。
になってましたので、これを千島列島とですね、カラフ島を交換するというような、
千島カラフ島交換条約とも言いますけれども、千島列島は日本のもので、
カラフ島はロシアのものというような形での国境確定をするということに成功した人物になります。
非常に小国江戸からですね、立ち上がったばかりの小国日本がですね、
当時の大国ロシアと対等に渡り合ってですね、戦争もなしに外国交渉で土地を確定したというところで、
非常に評価ができるですね、外務大臣になります。
すごいですね、江戸本さん。
江戸本さん、ぜひ覚えておいてほしい人物の一人となります。
はい。
もう一人ですね、室室光ですね。
彼はですね、奇襲班師ですね。
奇襲班、和歌山県になりますけれども、そこからですね、坂本龍馬率いる開演隊に入ります。
その後ですね、新政府の中でのし上がっていってですね、明治政府で外交官となりまして、
それから政治家という形になっていきます。
そしてですね、彼も外務大臣となるわけですね。
彼はですね、外務大臣時代に行ったものとしては、江戸幕府がですね、
アメリカと開国する際にですね、不平等条約というのを結ばされてますけれども、
これは当時、日本はですね、例えば資材の場合にも引き増しの上、極門張り付けとかですね、
06:12
ただの資材ではなくて、資材にもいろんな種類があったりとかですね、
あと首切りされるとかっていうのもあったりとかするので、
日本国内の法律でですね、外人が裁かれちゃたまらんっていうところもあって、
そういう条約を結ばされたわけですけれども、
その中には例えば関税の自主権とかもなかったんですね。
なのでこの不平等条約をですね、改正したいというのが、
江戸時代から引き継いでしまったその条約を改正するっていうのが非常に日本の悲願だったわけですけれども、
それを改正することに成功します。
また日清戦争のときの外交交渉も担当しています。
というようなところでですね、彼も非常に成果を残したですね、
一人の外務大臣というところなんですけど、この二人のですね、成果とか名前がですね、
ちょっと僕ごっちゃになってしまって逆に説明してましたので、
ちょっと訂正をさせてくださいというところになります。
ありがとうございます。今の日本もこれだけ優秀な外務大臣が欲しいですね。
欲しいですね。本当に欲しいですね。
本当に翻弄されておりますね。
翻弄されてますね。もうトランプさんのいいようにされてしまってますけれども。
ありがとうございます。
ではですね、前回の要約続きとなりますけれども、
福沢雄吉がですね、の助けを借りてですね、
やっと北里はですね、小さな研究所を設立することができました。
長尾先生がですね、この小さな研究所ですね、
研究資金が乏しいというところですね、
これを潤沢にするために何とかできないかというふうなところで働いてくれます。
長尾がですね、副会頭を務めるですね、
大日本私立衛生会というですね、団体がありまして、
これをですね、伝染病研究所の運営部隊とすることに尽力をいたします。
そのためにですね、
福沢が資材を投げ打って作ってくれたこの伝染病研究所なんですけれども、
これはですね、
私立衛生会っていうのは国の外閣団体のような、
私立ではありますが国の外閣団体で、
税金が入っているというところで、
その税金のうちの一部をですね、伝染病研究所に渡すっていうふうになると、
これが福沢の資材である伝染病研究所だとですね、
ちょっと都合が悪いというところで、
福沢にですね、これをですね、
大日本衛生会のものという形に何とかしてくれないかというふうに相談を持ちかけたらですね、
09:04
福沢はですね、2つ返事で、これを無償で貸してやるよという形でですね。
かっこいいですね。
本当に素晴らしいですね。
で、貸してくれることになります。
それでですね、さらにですね、長尾先生は予算をですね、
予算の一部を伝染病研究所に割り当てるために、
私立衛生会のですね、運営会議が開かれたときにこれを議題にかけてくれます。
で、この議題にですね、伝染病研究所の創立という形で演説を行ってくれるわけなんですけれども、
この演説がちょっとかっこいいので紹介させてほしいんですが、
はい、お願いします。
はい、伝染病研究所の創立は、
国庫のツベルクリン発表にさかのぼる。そのツベルクリン研究を学んだ北里が帰国し、
その呼びかけに応じて長谷川大議員が県議を帝国議会にかけたが、
知事として進まず予算取りには少なくともあと3年かかりそうだと。
そこで福沢が立ち上がり、土地を提供。森村が建設費を寄付してくれた。
しかし、大日本衛生会は北里の留学資金延長を念出のために、
放出から学資金を得るまで努力をしたにもかかわらず、
福沢や森村の支援をただ黙って見過ごすことはできない。
本会からも年間3600円の支出をすることにしたいと。
至ってささやかな研究所ではあるが、
所長に国宏文化の始天皇の一人として公明な北里博士を冠することは、
世界第二の研究所となる。
ここに資金を出すことは、本会の名誉のみならず日本の名誉である。
このような演説をしてくれたんですね。
すごいありがたいですね。
ありがたいですね。
それによって予算が認められまして、
初年度ですね、運営資金3600円ですね。
だいたい3600万円ぐらいの研究費ということになりますけども。
すごい大きいですね。
大きいですね。
ただ大きいとは言ってもですね、
北里はもしアメリカのケンシルベニア大学に行ってたらですね、
そこでは40万円出すよと、40億円ぐらい出すよと言われてたわけなんで。
すごいですね。桁が違うな。
桁が違いますね。
ただこれが日本ができる精一杯というか、
だったというところですけれども、
とにかく場所ができたというところですね。
ちょっとまとめますと、土地は福沢諭吉が提供してくれまして、
建設費用は森村一財門が出してくれて、
運営資金は永代先生が用意してくれたという形になります。
すごい、いろんな方のご協力で。
そうですね。
12:00
本当にみんな力を合わせて北里を盛り上げてくれたというところになります。
1892年、明治25年10月にですね、
福沢は資金が集まってない状態の時からですね、
とにかく建設を急げという形で、
自ら大工とも打ち合わせをして、
市費で工事をスタートしてくれてます。
で、金は後から訓練すれば良いという形でですね、
頑張ってくれたんですね。
福沢も永代もですね、とにかく北里が浪人してるような状態でですね、
腐って海外に行ってしまうということを恐れました。
なるほど。必要な人材がね。
そうですね。40億出すと言ってくれてるところもあるわけなんでですね。
そうですよね。
で、特勧工事でですね、2階建て6部屋の研究所が誕生いたします。
そして、この年の11月30日に伝染病研究所がスタートいたします。
はい。
研究所の開設にあたりまして、ここをですね、
まず3巻日と称してですね、開放いたします。
1日目はですね、研究所の開設に関わったですね、
関係者とか新聞記者に開放しまして、
2日目、貴族院と衆議院議員の国会議員ですね。
3日目は陸海軍の軍医と、それから東大の教授たちに開放をいたします。
このときにですね、参観者に向けて操作された紹介文の文面をちょっと紹介させていただきたいんですけれども。
はい。
第2本衛生会は、公室の恩恵を受けて北里の最終留学資金をいただき、彼を支援しました。
ですので、本会としてもこの恩を国家に返す責任があります。
ゆえに今後、国費での整備が整うまで、本会において伝染病研究所を設立しました。
もとより万全ではありませんが、ぜひご一覧においでください。
伝染病研究所所長、医学博士、北里柴桜。
第2本私立衛生会副会長、長尾先生というような形ですね。
ちょっとここで、国がなかなか金出してくれないからという嫌味も入れてですね。
紹介状を衆議院議員とか東大の教授たちに送っているというところが嫌味が効いているなという感じなんですけれども。
さすが、それぐらいしないとね。
そうですね。研究所の設備ですね。
入り口には墨書きの木の看板で伝染病研究所という感じでですね。
なんか空手の道場とか柔道の道場みたいな感じで書いてくれてます。
1階にはですね患者用の和室と事務室があって、
2階には診察室と研究室。
研究室にはですね、実験台の上に顕微鏡、細菌培養器、フランキ、ロカキ、カメノコシャーレですね。
15:01
それから消毒品などが置かれておりました。
また実験動物室もあってですね、その部屋の中央には暖炉が設けられていて、見学者たちは動物に対する配慮に大変驚いたそうです。
そうですね。動物に対してもしっかりと断を取ってあげるっていう。
そうですね、本当に健康な動物じゃないといい血清が作れないとか、いい動物実験ができないっていう。
まあ動物実験されるということは殺されちゃうわけなんですけども。
まあでも非常にそこは気を使ったみたいですね。
スタートすぐですね、一番弟子を取るということになります。
北里の4歳年下で熊本医学校でですね、マンスフェルトの下で医学を学んだ石上徹ですね。
彼はですね、その後海軍の軍医隊としてですね、ヨーロッパ視察を行って、ベルリンで北里にあって刺激を受けて帰国をしております。
そして北里がですね、研究所を立ち上げるというふうに聞くとですね、一番に駆けつけて助手をお願いでて入門を許されます。
長岩はですね、この研究所を立ち上がったばっかりなんですけれども、
ここの解消式とか研究所を見て回ったりとかしてですね、思ったんですね。
ここは北里が活躍するにはちょっと狭すぎるだろうと。
存分に働いてもらうためにはもっと広い研究所と、あと血核患者を見るための併設の病院ですね。
そういったものが必要だろうということで、またさらに動き出してくれます。
内務所のですね、東京医術開業試験所っていうところにですね、525坪の空き地があることを知りまして、
ここに研究所付属の病院を作る計画を、内務省と東京府に提出して、翌年にその許可を取ります。
ちなみに時代を感じるんですけど東京都ではなくて東京府になりますね。
衆議院議員の長谷川大都もですね、それに呼応してですね、国会で動いてくれまして、
伝染病研究所の国庫補助を求める権利を衆議院に提出してくれます。
これがですね、万丈一致で可決されて、建設費として2万円、年間1万5千円の運営費が出ることになります。
またですね、運営にあたってですね、国から横槍が入らないようにということでですね、
伝染病研究所事業は北里の指揮に任せるというふうな一文も入れてくれます。
大事な一文ですね。
これ本当に大事な一文ですね。
18:00
それによってですね、長谷の公認で衛生局長になった後藤新平がですね、これは配慮してくれたということですね。
すごい、大きな敷地にどんどん出来上がっていきますね。
出来上がっていきますね。
で、新研究所がですね、予算がついてようやく立ち上がるとなるんですけれども、
この時にとんでもない問題が起こります。
はい。
研究所設立のですね、反対の住民運動が始まってしまうというわけのわからないことが起こるんですね。
で、阿多湖町界隈の住民ですね、阿多湖町というところに立てるという形になったんですけれども、
ここへの移転反対というふうにですね、住民たちが大声を出しながらですね、
芝公園の伝染病研究所ですね、あの小さな伝研に押し寄せたそうなんですね。
で、伝染病の人間がですね、自分の町に来て入院する事態となったらですね、
周りに病気が広まるっていうことでですね、そんな病院を作るなっていう形で、
抗議が起こって、この小さな伝染病研究所にはですね、
無数の石が投げ込まれたりとかして窓ガラスが割れたりもしたそうです。
激しい。
激しいですね。
福沢諭吉とかですね、北里の指定ですね、
家にですね、殺害を予告する戒文書が投げ込まれたりもしたみたいです。
相当な反発を。
そうですね、相当な反発があります。
でですね、どうもですね、この動きはですね、帝国大学初代総長のですね、
渡辺博本とかですね、東京日日新聞記者でですね、そこから衆議院議員になった松本県長、
それからですね、大道新聞記者から衆議院議員となった末広徹長、
さらにですね、貴族院議員の林博爵などですね、
なんか結構有名な人間が関わっている様子だったんですね。
なかなか黒い背景を感じますね。
黒い背景感じますね。
彼らはですね、芝公園でですね、連日演説会を開いてですね、
反対運動をしていたみたいなんですね。
ただその読売新聞はですね、この反対運動を丹念に取材して回ってですね、
どうもこの反対運動は黒い影、まさに愛子さんが言ってくれた通り、黒い影を感じたみたいでですね、
かなりいろいろ取材をして、どうも内閣の意向があるんじゃないかと。
で、帝国大学の教授陣がですね、北里に批判的でですね、
内閣に働きかけてるんではないかというところを掴んでくれております。
そういった内容をですね、匂わせるような記事が現在でも残っております。
21:01
まあなんかほんと嫉妬心ってもうしょうもないなと思うんですけど。
やっぱなんかね、なんか新しいことをするっていうのは、少なからず反発はできますけど。
いいのね。
いいの課題かなと思いますね。
ちなみにこういう、やっぱり伝染病研究所ですね。
今日本でもP4をですね、非常に厳格な最近ウイルスがですね、
外に出ないようにっていうような、そういう研究施設がですね、
感染病研究所とですね、それから国立感染研か、
国立感染研、東京にありますけれども、そこには日本で唯一のP4研究所があるんですけれども、
これは周りの住民の反対運動があってですね、施設があっても使えない状態になっているみたいですね。
大事な研究なんですけどね。
そうですね。気持ちはわかるんですけどね。
その研究ができないと、その病気が日本にもし万が一来たときに、
何もできる人がいないっていうことになってしまうんでね。
そういうのはちょっと何とか勘弁してほしいなと思います。
あと、そこで研究ができないからというところで、
長崎大学のですね、あの伝染病研究所っていうところがまた別にあるんですけど、
熱帯病研究所かなっていうところがあるんですけれども、
そこにP4を作ろうとしたらですね、やっぱりこれもかなり反対にあっているということで、
ちょっと悲しい事態ではありますね。
わからなくはないんですけどね、やっぱり。
そうですね。わからなくはないんですけど。
こういった反対運動に対して福沢諭吉が対抗します。
自ら創刊した時事新報っていう雑誌に論説記事を掲載します。
その内容っていうのがですね、北里博士がですね、
突然私立衛生会に対して授表を提出したというような内容でですね、
副回答の長谷先生にあてて手紙を書きましたと。
その手紙の内容を入手したので掲載しますよということになっておりまして、
その内容っていうのがですね、
私は私利私欲で伝染病の研究とその治療に当たっているわけではないが、
激しい反対運動にあってしまったと。
せっかく多くの支援を受けて設立した伝染病研究所ではあるが、
このままでは研究も治療もできない。
それを私の与えられた任務に背くことになるので辞任しますと。
期待に応えられず申し訳ないというような内容だったんですね。
さらに国会に対して研究所を設立の補助金は国会の決議であったにもかかわらず、
反対運動の仲裁をするような行動を全くしてくれないし、
24:01
悔しいといった内容も記載してあったそうなんですね。
こういった筒座が論説を載せてくれて、
この北札の心情を国民に見せたことによってですね、
国民の道場を買いまして、反対運動は沈静化していくことになります。
でもこれは。
でもこれはなんですね。
実はこの手紙はですね、別に北札と書いてなくて、
福沢雄吉が創作したということがわかっております。
すごいなー。思い切った内容ですよね。
もう陰謀には陰謀で対抗したっていう感じですかね。
でも結果的に沈静化していくことに成功したわけですもんね。
そうですね。で、無事、研究所が立ち上がっていくことになります。
いやー、筒座雄吉の頭の良さというか。
そうですね。頭いいですね。
本当によく考えつくなっていう感じなんですけれども。
誰かを別に傷つけたわけでもなく。
そうですね。傷つけたわけでもなく。
ただ陰謀でこの反対運動を盛り上げた人たちは悔しかっただろうなと思いますけれども。
よくやったって感じですよね。
本当ですね。
我々は今北里側から見てますので本当によくやったって思います。
ということで今回は終わりにしたいと思います。
はい。ありがとうございます。
で、いよいよ伝染病研究所の創立から国の予算も借りてってところで進み出したところ、反対も筒座雄吉のおかげで跳ねのけていけるところまで。
はい。そうですね。
そして次ですね、大きな研究所が立ち上がっていきますよというところをお話ししていきたいと思います。
はい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。また次回もぜひ聞いてください。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。失礼します。
26:28

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