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055.免疫学者『坂口志文』Part6~タブーとなったサプレッサーT細胞
2025-12-29 26:00

055.免疫学者『坂口志文』Part6~タブーとなったサプレッサーT細胞

世界中で否定された「幻の細胞」を追い、退路を断って渡米した坂口志文。 資金ゼロ、理解者不在。そんな彼の運命を変えたのは、一人の大富豪夫人が遺した「莫大な遺産」でした。 絶体絶命の淵から、免疫の常識を変える「制御性T細胞(Treg)」を発見するまでの道のり。執念と幸運が織りなす、生命科学の真髄に迫る冒険譚。

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生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
プレゼンターのあきです。
アシスタントのとみーです。
この番組では、生命科学における画期的なブレイクスルーを成し遂げた偉大な研究者の人生と、その背後にあるドラマをお届けします。
この番組に関しまして、Xやスレ図を始めましたので、生命科学の冒険者で検索してみてください。
感想や励ましの言葉をいただけると嬉しいです。
またノートでメンバーシップを始めました。
ぜひですね、このポッドキャスト、そこそこお金がかかっちゃってるんで、ぜひご支援いただけると嬉しく思います。
ではですね、前回の振り返りからですね、お話をさせていただきたいと思うんですけれども、
前回はですね、京都大学に戻られた坂口先生が、モノクロナル抗体を使ってCD4ポジティブで、
CD5が高いレベルで発現しているというですね、
リンパ球、まずそういうリンパ球を集めてきまして、
免疫の暴走がですね、抑えることができるかというところを、
暴走を抑えることができましたよということをですね、突き止めましたというところになります。
ただそれはですね、CD4ポジティブという、今だとキラーT細胞というふうにものだということが分かっているんですけれども、
このCD4ポジティブの中で、CD5がハイのものっていうのがですね、
全体の80%っていうですね、キラーT細胞の中の80%もの大きな割合を占めているということで、
まだまだ追い詰めきれてないなというような状態でした。
こういった成果はですね、もちろん論文で発表するわけですけれども、
やっぱりその論文を読んだ人たちからもですね、
そんなある分格の80%ものをなくしてしまったら、
それはもちろん何か他にもおかしなことが起こって、
免疫疾患起こるでしょうというようなツッコミなんかも入ったというようなところで、
それをですね、さらに追い詰めたいというのが坂口先生の目的となっておりました。
前回ですね、ちょっとご紹介させてもらいましたけれども、
一つ言い忘れてたことがありまして、モノクローナル抗体の発明者のですね、
今回ですね、CD4ポジティブとかですね、それからCD5のポジティブというようなですね、
細胞を探すために使うですね、マーカーって言うんですけれども、
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マーカーになる抗体、モノクローナル抗体ですね、
これを発明したジョルジュ・ケイラーとですね、シーザー・ミルスタインですね、
彼らもうちょっと尊敬というか、すごいなとしか思えないんですけれども、
彼らはこの技術をですね、発明した後に、
あまりにもこれは科学界全体にとって重要であるなというふうに考えられまして、
特許を取られませんでした。
そのおかげでですね、世界中の研究者がこの技術を自由に使えるということになりまして、
この時代にですね、一気にですね、
このモノクローナル抗体を使ったいろいろな実験がですね、可能になりましたし、
今ではですね、この技術を使って、
抗体を使ったですね、
抗がん剤として、オプチーボとか、
ハーセプチンなどのですね、がんの治療薬が作られたりとかですね、
あとサイトカインストームをですね、抑えるようなアクテムラとかですね、
トランプ大統領がコロナになった時にですね、
コロナの対抗するための薬としてですね、
使われたですね、ロナプリーブというような薬ですね、
これらは全部モノクローナル抗体から作られていますので、
こういったものも彼らが特許を取得しなかったというところから、
一気にここまで来ているのかなということになります。
もうなんか、もし特許を取得されていたとしたら、
多分とてつもなく大富豪になっていられたのかなと思うんですけれども、
特許を取ったら取ったでですね、もちろん彼らにお金を払って、
それでいろいろな実験ができたりとか、薬ができたりとかもしたんでしょうけども、
それを早めるためというか、
科学界の発展のために取らなかったというのはですね、
すごいなとしか言いようがないなというところで、
そういったモノクローナル抗体の発明者に対しても、
こういった人たちもいたんだよということを覚えておいていただければなと思って、
一つエピソードとしてお話しさせていただきました。
はい。
坂口先生、免疫を止める細胞がいそうだということを見つけたわけですけれども、
これはですね、この時代はですね、結構流行りの終わってしまった研究だったんですね。
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ちょっとその時代背景についてお話をさせていただきたいと思います。
この時代ですね、すごく流行ってですね、
それから坂口先生がこの事実を突き詰めた頃にはですね、
終焉を迎えてしまっていたサプレッサーT細胞という細胞についてお話をさせていただきたいと思います。
これはですね、まずですね、免疫の防止を止めるですね、
ブレーキをする細胞がいるんじゃないか。
これは坂口先生もその考えで一生懸命実験されて証明してきているわけですけれども、
この免疫の防止を止めるブレーキ役の細胞ということで、
免疫はですね、ウイルスや細菌などの敵を攻撃するものですけれども、
自分自身を攻撃してしまうものもいると。
これを止めるためのブレーキ役としてサプレッサーT細胞というものがいるはずだということで、
アメリカのですね、とある研究者がですね、
これがいるんだということを言い出し始めます。
その証拠を見つかったよというような形でですね、
これ世界中で大ブームとなりまして、
その細胞が何なのかというのを細胞を探しですね、
サプレッサーT細胞を探すというようなことが世界中で大ブームになったというのが1970年代になります。
ここの時代にはですね、ちょっとそれを突き止めるまでの実験技術がまだ開発されてなかったというところもあって、
間違ったものをですね、一生懸命みんな追っかけちゃったんですね。
今では坂口先生はここの段階ではCD4ポジティブでCD5ポジティブの中にそういった細胞がいるんじゃないかというので追っかけてたんですけれども、
今となっては分かってるんですけど、このサプレッサーT細胞っていうのがいるだろうと言われてたのはCD8というですね、
CD8ポジティブな細胞の中にそいつがいるんだろうというふうな形で、
いないところに何かが免疫を抑えるものがいるんじゃないかっていうのをこの時代の人たちは一生懸命熱狂して探して、
それらしいような結果が出たのがどんどん論文に投稿されるっていうことが起こってて、
みんなが間違ったものを探そうとして、間違った実験結果をどんどん投稿しちゃってたというような時代があってですね、
それが1970年代で1980年代に対して、どうもその分子がどういったものなのかと、
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その細胞の目印は何なのかっていうのが結局分かんないねということになって、
もう完全にそういったものはもういないんだと、サプレッサーT細胞はいないんだということで、
考えとしては別に間違ってなかったんですけど後から考えれば、
ただ追っかけてたものが間違ってたところを追っかけてたので、それでブームが一気に引いてしまってですね、
そもそもそういう考えのものなんかいないんだっていうような形で、
学会からも免疫学の中から完全に否定されたような感じになってしまったんですね。
なので、坂口先生は日本でこのまま、坂口先生自体は別のところCD8ではなくて、別のCD5の方を追っかけてたわけですけれども、
考え自体が否定されるような世の中になってしまってたので、日本でこのままちょっといてられないなというような、
いてられないというか、日本で研究職としてなかなか咳を見つけるのが難しい。
この熱狂とかは世界レベルの話ですね。
世界レベルの話ですね。
でもそれがなかった、それは存在しないって、サプレッサーT細胞は存在しないっていう話に世間がなったときに、
日本ではもうそこの研究にお金を出してくれないみたいなことですか?
そうですね。特にそのサプレッサーT細胞の遺伝子を捉えたっていうような話は日本の研究者が言い出しまして、
なのでそこで捉えられればすごい良かったんでしょうけど、
大発見だったけど、そこは結局全然違ったねっていう結論になっちゃったんですね、最終的には。
なので日本の中では特にっていうところもあったのかもしれないです。
そういったところで、サプレッサーT細胞のようなものを未だに探しているのかというようなところは、
研究者としての席がないというようなところで、
テーマを変えて日本で残ればいいんじゃないかと思うかもしれないんですけど、
坂口先生はこれをどうしてもやりたかったんだと思うんですね。
それで日本じゃダメだけど、アメリカだったら席があるかもしれないということで、
アメリカに活路を求めることにします。
そして留学をするということで、当時32歳、1983年ですね、もう32歳になられまして、
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共同研究者で奥様になられていた野里子様を伴って、
ジョン・ホプキンス大学医学部の客員研究員として職を得て留学をいたします。
京都大学の時代に見つけた内容なんかも新たに研究を続けつつ、
留学中に京都大学でCD5陽性のT細胞が免疫を抑えるようというような論文も1985年に投稿されたということになります。
ただこの論文はほとんど注目されずに、アメリカでも全然認めてもらえなかったそうで、
坂口先生はやはりこれがなかなか認めてもらえなかったのはサプレッサT細胞の影響だろうなというふうにおっしゃられております。
留学期間が2年間なんですけれども、その間に次の職を求めるべく一生懸命いろいろな奨学金なんかに応募されていたんですけれども、
そこでですね、これはもうすごいアメリカらしいなと思うんですけれども、素晴らしい奨学金に合格、認めることができたということで、
その奨学金についてご紹介したいと思います。
この奨学金はですね、ルシールPマーキー奨学金というものでですね、
そういったお名前の大富豪のご夫人がいらっしゃったらしいんですけれども、
この方競争馬のサラブレットのですね牧場のオーナーで競争馬のオーナーでもあったらしいんですね。
彼女は莫大な遺産を築かれたんですけれども、
亡くなるときにですね、その数百億円のですね遺産をですね、すべて医学研究のために15年で使い切ってくれというですね、遺言を残されます。
もしね、大富豪とかになったら是非そういった遺言残したいなって思いますけどね。
そうですね。
この遺言をもとにですね、スタンホード大学とかですね、その他の大学なんかにですね、
いろいろ研究のためのビルが建てられたそうなんですけれども、それでもまだまだ余裕があったそうで、
そこでですね、全米からお医者さん8人とそれから生物系の研究者8人をですね、
トータル16人を毎年選んで1人の研究者につき8年間給料と研究費を支給するというようなことが始まったんですね。
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はい。
で、坂口先生はそこに応募されます。
で、研究テーマとしてはですね、TリンパQの亜集団ですね、CD4ポジティブでCD5肺炎のですね、
この亜集団がどういったものなのかを突き止めたいというような研究テーマで応募されたそうです。
で、選考委員のメンバーなんですけれども、これがですね、さすがアメリカっていう感じなんですけれども、
生物系のですね、ノーベル賞受賞者たちが関わってたそうでですね、選考にですね。
で、おそらく一般的な研究者のレベルの人だったらですね、
そんなまだサプレッサーT細胞探してんの?みたいな感じで坂口先生選ばれなかったかもしれないんですけれども、
こういったトップレベル、本当にトップのトップレベルの研究者たちですよね。
面白い視点で受賞研究者を決めようというような目的があったそうでですね、まず流行を見ないと。
流行りの研究をやってるんじゃなくて、その理論は正しいかとか、その問いは生物学的に重要かというような研究テーマをやってる人間を見てたと。
ということですね。で、それから人物としては過去の業績のリストよりも、面談ですね。
面談をする際とかに目の前の研究者がどれだけ深く物事を考えているのかとか、それを追い続けるだけの執念がありそうかというような形を評価してたんじゃないかというふうに言われてます。
坂口先生もですね、この面接の様子について少し語っておられまして、
細かい実験データの上げ足取りではなくて、君の考える免疫学の根本的な問いは何かといったような本質的な議論を求められたというようなことで、
そういった形で、実験の細かいところでこんなデータ出てるけど実はこうなんじゃないかとか、
そういったような嫌なところをつつくような、そういう面接ではなかったんだよということはおっしゃられてました。
それでですね、見事にこの奨学金に採用されてですね、アメリカ人じゃなくても受かるんだなというのもなかなか面白いなと思うんですけれども、
これでですね、8年間ですね、研究費とそれから給料をこの奨学金から出してもらえるということになりまして、
アメリカで研究を2年後の留学からですね、プラス8年間アメリカで続けていけるということになります。
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で、奨学金にはですね、条件が付けられてたそうで、8年のうちの最初の2年間は別のところに行って勉強することというような条件だったそうなので、
だったらちょっと西海岸に行ってみようというふうに思われたそうで、カルフォルニア州のですね、スタンフォード大学の客員研究員となりましたということですね。
それでですね、その2年間過ぎた後にですね、次はどこに行こうかというところで、英語でですね、講義をできるというような自信が、語学力にそこまで自信がなかったそうなので、
なのでちょっと先生みたいなのを兼任するような研究職はちょっと厳しいなというふうに考えて、授業などをしないでよいですね、研究職の席を求めて、
次はですね、サンディエゴの方にあるスクリプス研究所の免疫学部の助教授として採用されることになりました。
この期間にですね、いろいろな研究をしてですね、1年に1本ぐらいはですね、論文を書くというような形のことはずっと続けてられたそうなんですけれども、
結構いいペースですよね。
いいペースですね、はい。もう研究者としては非常に真面目にずっとデータを出し続けて、解釈をし続けてられる方なのかなというところになりますけれども、
いろんなもちろん研究をしている中でですね、目的のですね、制御性T細胞、後に制御性T細胞、Tレグですね、
というふうに見え見えすることになる、CD4ポジでCD5ハイのですね、より確実なマーカー探しをするということに打ち込まれます。
これはですね、日本にいてるとできなかったなというふうに後に本では回想されてたんですけれども、
アメリカにいてですね、何が良かったのかというとですね、前回もご紹介したそのモノクローナル抗体ですね、
この技術を使っていろいろなターゲットに対してのモノクローナル抗体っていうのが作られるようになってたそうなんですね。
最初の頃はですね、CD1とかCD2とかCD3とかっていうような形で、CD5ぐらいまであったのかなと思うんですけど、
それがですね、最終的にはこの時にはCD25っていうのを使うことになるんですけれども、
いろんなモノクローナル抗体が多種多様に売られてて、もしくは研究者が作ってて、というような形で世の中に存在し始めてたと。
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日本だとそれ輸入して買うっていうことになるので非常に高価だったそうなんですけれども、
アメリカは高価は高価だけど、そこまでではなかったと。
あと買うことができたと。
いろんな免疫学者がいろいろなターゲットに対して研究をしてたので、お互いに融通し合うことができたらしいんですね。
全種類一人で買おうとしたら、アメリカといえどもとんでもないお金がかかってしまって、
さすがに坂口先生もそこまでお金が持てなかった、そこまでの研究がなかったらしいんですけれども、
この制御性T細胞をターゲットとしているマーカーかもしれないと。
だからちょっとそのお前が持っている抗体、ちょっとだけ分けてくれないっていうふうにお願いしたら、いいよっていうような感じで。
割と抗体を融通してくれる人たちがいっぱいいたみたいで。
いっぱいいろんな抗体を試されたんだと思うんですけれども、そういった実験をしていく中で最終的にCD25という抗体が
どうも免疫を制御するT細胞のマーカーになりそうというようなところまで絞り込めてきましたよという形になります。
そんなこんなしている間に8年の月日はどんどんどんどん経っていきまして、
そして次のポジションというところで日本に帰ることにいたしますという形になります。
今回は先生がアメリカに留学してた時代にどういった奨学金をもらったよとか、
そういったアメリカの研究文化、抗体を融通し合ってたんだよとか、
それからどんどんポジションって変わっていくんだなとか、そういったところをお伝えしたくて、お伝えできればいいかなというような回となりました。
この融通し合えるモノクローナル抗体をお互いに融通し合えるとか、その研究が盛んでみたいなのが、
今日の最初の特許取りませんでした話のおかげってことですよね。
特許取りませんでした話のおかげですね。
なので本当にこれもし特許取ってモノクローナル抗体ができるたんびに、そこからロイヤリティが発生してとかってなると、
多分研究にもものすごい、
もっと高額なお金がかかっちゃうってことですよね。
そうですね、もっと高額なお金がかかるでしょうし、
あとモノクローナル抗体を作るっていうことだけでもロイヤリティをとられるかもしれないので、
それは特許のかけ方によりますけど、
24:02
なので本当にこれは科学研究というか、特に免疫学の発展においてありがたい限りだなという感じですね。
未来変わってますよね。
変わってますね、本当に。
という形で、特許を取らないという選択肢も。
以前ですね、北里柴三郎のところでもですね、
彼は血清に対して特許を取らなかったんですよね。
なので血清の作成の技術とかそのあたりは全部オープンにして、
医学の発展のためにっていうふうにされてましたけれども、
本当そのおかげで助かる命もありますし、
特許を取らないっていう選択肢はすごいもったいないなとは思うんですけれども。
お金はね、ご本人が儲かる儲からないとかと業界全体の発展。
ね、本当にもう名誉ですよね。
人間力試されますね。
人間力、俺だったら絶対取るよなと思っちゃうね。
という形ですね。
そしていよいよですね、このCD25っていうところまで絞り込めたというところになりまして、
ここからですね、いよいよ日本に帰ってきますよというところになります。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
26:00

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