今回も、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.9”では、彼女の挑戦と執念についてお話していきます。
アメリカでの研究を続けるためにカリコ博士は数々の妨害や困難を乗り越えてきます。
ウイルス学者ポーラ・ピタ=ロウ博士や心臓学者エリオット・バーナサンとの出会い、新天地を求めた転職活動などを深堀していきます。また、mRNAを使った革新的な研究をスタートさせるまでの知られざる奮闘をお届けします。
シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は
世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書
ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社
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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
MCの金澤秀明ことあきです。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
はい、前回ね、
コースのちょっと感触持ちというのか。
そんなところから、
カタリン先生がちょっとおかしいなと思い始めたところからですね。
はい、そうですね。
あのー、というところで終わったわけですけれども。
でですね、当時ですね、
あの著名なウイルス学者ですね、
ポーラ・ピタロウ博士というのがですね、
カタリン先生が働いているテンプル大学に来てですね、
講演してくれたらしいんですね。
はい。
で、ポーラ・ピタロウ博士、
彼女自身はですね、東側のチェコ国の出身でですね、
東ヨーロッパのですね、
ハンガリー出身のカタリン先生はですね、
自己紹介するとすぐ仲良くなったらしいんですね。
まあ立場が似てたんでしょうね。
そうですね。
で、ポーラ先生はですね、
ジョン・ホップキンス大学の教授でですね、
彼女をですね、
ご自宅があるボルチモアまでですね、
招待してくれまして、
研究室のメンバーも紹介してくれたりとかしてくれたみたいです。
でですね、さらにですね、この研究室に来ないかっていうふうに
誘ってくれたらしいんですね。
すごいですね。
素敵な出会いですね、本当に。
ポーラ先生がですね、
女性研究者の支援にも力を入れていてくれたらしくてですね、
彼女自身がやっぱりいろいろと苦労されたんだと思うんですよね。
女性同士ってことですもんね。
はい、そうですね。
同じような立場のカタリン先生にも非常に優しく寛大でですね。
しかも、先ほどカタリンがですね、
見つけた、反応を引き起こすことを見つけたですね、
インターフェロンですね。
ウイルスに対する我々の体が持っている対抗措置ですけれども、
この分野ではですね、革新的な研究をされていた先生らしくてですね。
で、ポーラ先生の研究室に所属することはですね、
カタリンにとっても本当に願ったり叶ったり、理想的なお話だったと。
ということで、1988年にですね、
その申し出を受けて転職をしようという形で動き始めたそうです。
で、現在の雇い主ですね、スハドル・ミク博士はですね、
それをどっかで駆けつけちゃったんですね。
そして怒り狂ったみたいです。
03:01
バレちゃった。やっぱ怒るんだ。
怒りまくったみたいですね。
で、彼の力のおかげでですね、J1ビザが取れてましたので、
カタリンはですね、そこで2つの選択肢を突きつけられたらしいですね。
1つは、このまま彼の研究室に残って働き続ける。
もう1つは、ビザを取り上げられて国外退去する。
わー、逮捕されちゃう。
逮捕されちゃうかもですね。
で、カタリン先生ですね、もう鉄の石ですよね。
彼女は手段を探しました。
で、アメリカではですね、新しい職を得るためにはですね、
同僚とか上司の推薦状が必要なんですね。
僕も外資系の会社でですね、転職してるんで、
アメリカの会社に入るときには、前の職場とか知り合いから
推薦状を3人分集めてくれと言われるわけですけれど。
そういうのあるんだ。
大変なんですよ、日本の場合だと。
まず、推薦状を書いてくれる人がですね、
なんか恐れて、いや、そんなの書きたくないっていう人がいたりとか、
あと、そうですね、同じ業界の中でこっそり転職したいのに、
誰かにバレたら、誰かにまたバレるかもしれない。
そこから回り回って、自分の今所属してる会社にバレるかもしれないじゃないですか。
そういうのもあるので、これ推薦状を書いてくれる人探すの大変なんですけれども、
当たりの場合は、なぜ上司がですね、スハドルニック博士で反対してますから、
書いてくれるわけないですよね。
で、他にもですね、彼女が外に出ないようにするためにですね、
スハドルニック博士、ボスはですね、さまざまな嫌がらせをしたみたいですね。
で、例えばですね、過去の高校論文ですね、からですね、
彼女の名前を消すとかですね。
論文を。
論文から名前を消すですね。
それとかですね、新しく雇ってくれるって言ってるですね、ポーラ博士の方にですね、
所属するジョン・ホップキンス大学にですね、
カタリンは亡命者だっていうですね、嘘の連絡をして、
入国管理局にもそういう連絡をしたみたいですね。
ちょっとスハドルニック博士が悪者に見えてきた。
これもうどう考えても悪者ですね。
受け入れてくれたのはありがたいけども。
アメリカのチャンスくれたのはありがたいけれども、本当にこんなことするんだっていう感じですね。
彼女はですね、ただ推薦書を取るためにとにかく頑張ったんですね。
スハドルニック博士が書いてくれるわけないんで、
06:01
ただですね、彼とトラブルになったことがある研究者っていうのはかなり多かったみたいなんですね。
やっぱ多かったんだ。
で、事情を説明するとですね、いろんな人が同情してくれてですね、
ポーラ先生のところに入ることは無理だったんですけれども、
米国軍のですね、保健大学にですね、研究員として雇用してもらえることになったんですね。
で、そのおかげでですね、H1ビザっていうですね、ビザを取得できて、
アメリカに留まれることができました。
いやー良かった。
これでですね、晴れてスハドルニック博士の研究室、
彼のパワハラから逃れることができるようになったわけなんですけれども、
問題は一つ出てきたんですね。
それはですね、彼女はフィラベルフィアに住んでいてですね、
その大学はワシントンD.C郊外のベセスダっていうところにあるんですね。
ちょっとあの、あいこさんには地図を見せてますけれどもですね。
2時間半距離。
そうですね、僕ちなみに若い時にここをですね、自転車で走り抜けたことがあるんです。
自転車で?
カナダからコスタリカまで行ったんでですね、
フィラベルフィアからワシントンD.Cの距離はですね、
自転車ではなんとなく分かるんですけど、
確か自転車でですね、3日ぐらいかけて行った気がしますね。
自転車で行くのも無謀する距離な気もします。
139マイル。
そうですね、120キロですね。
で、この距離ですね、彼女はですね、どうしたかっていうとですね、
アメリカの運転免許を持ってなかったので、
まず運転免許を取りました。
取ったんだ。
取りました。
で、それでですね、月曜日の朝3時に家を出ます。
で、220キロを走ってですね、
パンガライージの同僚のアパートに泊めてもらうことにしました。
で、いつもですね、リビングルームにですね、
夜中入ってきて寝袋を広げて寝て、
朝起きて片付けをして研究室に出勤する。
もう本当にその同僚の家には寝るだけに帰るっていう感じですね。
もう後のほとんどすべて研究室で過ごして研究をするという、そういう生活ですね。
すごいな。
で、
いつ帰るって感じですかね。
そうですね、はい。
で、たまにはですね、アパートに泊まらず、
研究室に寝袋を広げてそのまま寝るということもあったみたいですね。
で、実験の準備しながらですね、ベイラと娘のスーザンのことを考えてですね、
09:01
よく思ってたみたいです。
一体私はここで何してるんだろうと。
ちょっとふと目が覚めた。
ですね、ただもう研究好きだったんですよね、きっとね、ほんと。
で、早朝ですね、息抜きでですね、キャンプを走ったらしいんですね。
キャンパスを走りながらですね、ジョギングしながら、
一体私はここで何してるんだろうってやっぱり思ったんですよね。
やっぱり思うんだ。
で、金曜日の午後にですね、車で自宅に帰るということですね。
ほんと月曜日の早朝から金曜日の夜中、午後まで、
とにかく研究しまくって、それから週末家に帰るという生活を繰り返してたみたい。
この生活してる間もですね、さらにちゃんと雇ってくれそうな人がいないかっていうのをですね、
手紙を書きまくったみたいなんですね。
で、それをですね、リスト化して応募してから2週間後にですね、
必ず電話をかけるようにしたんですね。
すごい、もう執念ですね。
ほんと執念ですね。
で、ペンシルベニア大学に電話をかけた時にですね、
研究室の秘書が言ったらしいんですけれども、
確かに募集してたけれども、適正者がいなかったので再募集をしますということで、
カタリンはですね、そこで粘ったんですね。
念のために確認してもらえませんか。
私はカタリン・カリコですって言ってですね、
その応募の書類をですね、再確認してもらったらしいんですね。
そしたらですね、30分後に折り返しの電話があって、
心臓学者のですね、エリオット・バーナさんですね。
こちらはカタリンと同じですね、当時34歳だったんですけれども、
新しい研究室を立ち上げようとしてまして、面接をしてもらうことになったという形ですね。
秘書が言ってたのはちょっと本当だったんでしょうけど、
そこで粘ったおかげでですね、あ、なんかこいつ改めて見直してみると面白いなってなったんだと思うんですよね。
で、面接にこぎつけるということになりました。
で、彼の面接に行った時にですね、実験ノートを見せてもらえないかって言われたらしいんですけれども、
そのノートを見せたエリオットは注意深くですね、そのノートをめくってですね、あるページで票を止めたんですね。
そして、それはX線フィルムの写真だったらしいんですけれども、
ここでですね、ノーザンブロッティングっていう手法がありまして、
これは目的のRNAを見つけるための実験なんですけれども、これを見てですね、彼は感心したみたいなんですね。
これ君がやったのって聞いたらしいです。
で、カタリンはうなずいたんですね。
はい、これを私がやりました。今からでもできますよっていう形。
12:00
お、これはお役割だ。
そしてすぐに採用通知が届いたらしいですね。
よかった。
ちなみにこのノーザンブロッティングっていうですね、実験をちょっと説明しますと、
まず目的のサンプルですね、細胞だったりとか、もしくは動物実験から取り出してきた臓器だったりとか、
そういったものをすりつぶしてですね、細胞をすりつぶすとですね、主に3つの成分が出てきます。
DNAとRNAとカタリンですね。
それから油とか細胞膜とかがあるんで、あとゴミが出てきますけれども、
この中からですね、RNAをまず取り出します。
いろんなバッファーといわれる、いろんな溶液ですね、
加えたり温浸したりとかしながらですね、
DNAとかタンパク質とかその他ゴミを取り除いていってRNAだけにするわけですけれども、
この時にですね、やっぱりRNA、細胞の中にもRNAaseっていうRNAを壊してしまうものがたくさん生まれてますので、
すりつぶした時にRNAase出ちゃうんですよね、当たり前ですけれども。
なので、これを使用させないようにしながらRNAだけを取り出してこないといけないっていうので、
まずそこがすごい難しいです。
で、今はね、もうRNAを取るためのキットっていうのが売っててですね、
RNAase止めながら実験できるようなものっていうのが出てるんで、
だいぶ楽になりましたけれども、この当時は本当に相当大変な実験になります。
で、これを電気営導っていう手法を使ってですね、
RNAっていうのはマイナスの電化、確かマイナスの電化が、DNAもRNAもマイナスの電化があったんですけれども、
これをですね、ゲルっていう寒天、皆さんよく食べられる寒天ですね、寒天はアガロスゲルっていう風な、
ゲル状のぷるぷるした塊になりますけれども、これをですね、分子的に見ると、
これゲルっていうのはですね、古い、小さな古い、もう本当に分子古いって言うんですけれども、日本語で言うと、
になってまして、で、障害物競争なんかでですね、はしごレースを思い出してほしいんですけれども、
もう例えばですね、10メーター間隔ではしごを10個並べておきますっていう風にしまして、
で、よう挑んで走るとですね、ちっちゃな子はどんどんどんどんはしごをくぐり抜けて一番最初にゴールします。
で、大きな人はいろんなはしごにつっかえつっかえながらですね、やっとゴールできるっていう形になるので、
RNAもですね、同じ形で電気で流してやるとですね、
大きいのから小さいものまで、順番に下に小さなRNA、上に大きなRNAが残るって形で順番に流れていく、そういう風な形で分かれていきます。
15:02
で、ここに対して、ある特定のRNAにかけつくプローブっていうものをですね、今度作用させてやって、
で、そのプローブにはですね、Riですね、放射線でラベルをしておきます。
放射線で目印をつけた、赤色で色をつけるみたいな、そんな感じになりますけれども、
それでですね、そのプローブをまず作用させてやるんですね、ゲルみたいに。
ゲルというか、ゲルをまたメンブレンっていうのに移しとって、ちょっとまた作業が入るんですけど、ちょっとそこら辺は端折りますけれども。
それでですね、プローブを作用させてやって、で、ひっついてないプローブはですね、ちょっと洗い流してやると、RNAにひっついたプローブだけがその場に残ります。
で、それをXMフィルムを上にかざしてやってですね、どの位置で目的のRNAがあったのかっていうのを見ることができるっていう、そういう実験手法になります。
この辺りちょっと図を使って説明した方が分かりやすいんですけれども。
実験1回した結果したかな、めっちゃ難しいんですよね。すりつぶして液体付けして遠心分離して。
そうですね、遠心分離して抽出して。
で、その電気営業でこうね、小さなのがこう下がっていって、大きいものが、その数値がどうのこうので、これはきっとこれだろうみたいな。
これが南米スペアだから、目的のやつなのかな、どうかな、みたいな。
マーカー付けてて。
今はもっと簡単にですね、もうDNAとかRNAとかもシーケンサーっていうのにかけちゃって、もう配列から見てしまって、あったねとかって言えるんで、今めちゃめちゃ楽なんですけど、
それとか、リアルタイムPCRっていう手法で、PCRで増やしてやって、コロナウイルスの検出でも使われた手法ですけれども、それで見るっていうこともできるんですけど、
当時はもうそういうのがなかったんですね。ノーザンブロッティングやるしかないんですよね。めちゃめちゃこれ本当に、今口で説明しただけでも多分全然分かんないと思うんですけど。
とにかく複雑です。
何をしてるんだって思うかもしれない。
工程がめっちゃ長いです。その長い工程の中でRNAが壊れないようにしないといけないわけですよね。
なので、このXMフィルムを見た瞬間に、この実験できる人だっていうふうになるのは、もう本当至極当然というか素晴らしいわけですよね、この技術は。
ペリオットっていう学者さんも、それがパッと分かったっていうのがいいポイントですね。
本当、実験ノート持って行っててよかったなって思いますよね。
そしてついに採用されるというところですね。
何を伝えたかったかというと、RNA実験っていうのはとにかく難しいんだよということですね。
18:03
で、ペンシルベニア大学にいよいよ職を見つけてですね。
ペンシルベニアにまず移動しないといけないというところでですね。
引っ越し先をベーラと2人で探します。ペンシルベニアの郊外にですね、ある家を目につけたみたいなんですね。
郊外の静かな通りどりでですね、2階建てでですね。
ツーザンが遊べそうなですね、なだらかな坂のある広い芝生がある、そういうようなお庭があったという形で。
これいいねというふうになりました。
で、こちらですね、彼らの安月給でも手が出る価格だったんですね。
ただし、家の中はボロボロだったみたいなんですね。
でもですね、カタリンは思ったそうです。
大丈夫、私の夫は何でも直せると。
本当だ。
で、ペンシルベニア大学で働き始めた日にですね、住宅購入の契約書にサインをしたそうですね。
彼女はちっちゃい時にお父さんと一緒に家を作ってですね。
そうでしたね。
そして今度はですね、夫と一緒に家を作るというような、そんな感じになるわけですね。
また新しい生活がスタートですね。
そうですね、新しい生活がスタートします。
で、メッセンジャーアレネ研究を始めます。
この新しいボスのエリオットなんですけれども、プラスミノーゲンというものをですね、研究テーマにしてたんですね。
血栓。
はい、そうですね、血栓ですね。
ご存知ですか?
はい。
僕ちょっと今回この単語初めて聞きました。
いろいろ調べたんですけれども、血液の凝固の調整をするためのですね、重要な物質ということで、
プラスミノーゲンがですね、活性な全球体で必要に応じて活性型のプラスミンというのに変換されるという形ですね。
プラスミンはですね、フィブリンを分解する酵素ですね。
で、これがですね、血栓を溶解してくれるわけですね。
なので、血栓ができちゃうといろいろ、血栓が脳に飛んで死んじゃったりとかですね、
あと心臓に飛んじゃって心筋梗塞になっちゃったりとかいうことが起こりますので、血栓をコントロールするというのは非常に重要なんですけれども、
それをですね、溶かしてくれる非常に重要な要素がプラスミノーゲンになります。
手術を受けるとですね、血栓というのは非常にできやすくなっちゃうんですけれども、
21:06
手術を受けた後の血栓発症リスクを減らしてやることができないかというのがエリオットの研究テーマですね。
彼はですね、術後の部位にですね、このプラスミノーゲンを活性化させるためのタンパク質を作るために、
その部分にプラスミノーゲンを活性化させるタンパク質を作るDNAを送り込もうとしてたんですね。
いわゆるDNA治療の一種になります。
これをですね、カタリンはですね、DNAじゃなくてRNAを送り込んではどうかということで提案をいたします。
カタリンはですね、もうRNAを送り込むっていうのはハンガリーの時代からやってたことですので、
できんじゃないかというふうに思っていたという形ですね。
この当時ですね、1978年のイリノイ大学の研究者たちがですね、メッセンジャーRNAをリポストームに包んで、
マウスや人間の細胞に届けてタンパク質を作らせるというような実験にもう既に成功してたみたいなので、
前例もあるしできるでしょうという形で頑張ったんですね。
まずアイデア出しをしたっていうことですね。
1989年にリポストームよりもですね、はるかに効率的に遺伝子を届けるリポフェクチンですね。
前リポストームのお話ししたときにカタリンたちはそれが手に入らなかったから、
牛の脳みそからいろいろ頑張ってリポストームを作ったという話をさせていただきましたけれども、
それよりもですね、もっと簡単に、しかも効率よくですね、
DNAとかRNAを届けることができるリポフェクチンというものが既に開発されていました。
これは脂質混合物質なんですけれども、それをですね、
意図したタンパク質を作るためのメッセンジャーをRNAをですね、作るための技術というのもできていましたので、
その2つを組み合わせてですね、あとPCRも既に開発されていたということで、
DNAを自由に作ることができるという形だったんですね。
以前よりずっと手軽にですね、簡単にメッセンジャーRNAの研究に着手できるような環境が整っていたというところで、
それならできそうなんじゃないという形でエリオットはですね、
彼女のアイデアに興味を持ってくれたという形で、彼らがそのプロジェクトをスタートさせるということになります。
ペンシルペニア大学でですね、カタリンが働き始めたところですね、ちょっと環境が変わってしまうということが起こってですね、
24:11
ここから先はもう次回に回そうかな。ちょっと長くなりそうな。回します。
今回はですね、エリオットのですね、研究テーマであるプラスミノーゲン。
これをですね、カタリンのアイデアでメッセンジャーRNAを送り込んでですね、
それで、シューズ部位にそれを発生させて決戦が起こらないようにすることができないかっていうですね、
プロジェクトをやり始めようとした、まずスタートラインに立ったというところですね、お伝えさせていただきました。
すごい、もういろいろと転職、転職ですけど、でもちょっとなんかね、こうやってカタリン先生を評価してくれる方に出会えるのは素晴らしいですよね。
そうですね、やっとなんかすごい良い方に出会ってですね、落ち着いた研究環境になったのかなと思いますね。
ね、お家はきっと旦那さんが。
そうですね、旦那さんが何とかしてくれるし。
はい、じゃあまた次回はそっちのペンシルベニア大学での話を続くということですね。
はい、すいません。
はい、ありがとうございました。
はい、時間を楽しみにしていてください。
はい、失礼します。
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