今回も、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.8”では、アメリカでの研究と家族の奮闘についてお話していきます。
カリコ先生は、ハンガリーでの研究所閉鎖により職を失い、家族とともにアメリカへ。
しかし、研究環境は厳しく、生活も決して楽ではありませんでした。限られた資金の中で研究を続け、数々の困難を乗り越えながらも成果を上げていく彼女の奮闘をお届けします。
シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は
世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書
ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社
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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
MCの金澤秀明ことあきです。
アシンスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
いよいよ、カタリン・カリコ先生がアメリカに渡るところからですね。
そうですね、やっとですね、アメリカに渡るという話に入っていきます。
ちょっと前回のおさらいなんですけれども、研究所が閉鎖になって、
クビになってしまうということになってしまいまして、
アメリカの方に渡るっていうのをカタリン先生が考えてですね、
旦那さんに相談して、それからですね、いろんなところに雇ってくれという形で
アメリカの研究者に連絡を取るというところでですね。
まず最初、彼女の頭に浮かんだのがですね、アメリカのですね、
ヌクレオシド類似体研究者ですね。
ロバート・ハロール・ニック博士、ロバート・スハルドニックス博士ですね。
スハルドニックス博士ですね。
ちょっとややこしいですね、すいません。
手紙を書きましたというところなんですけど、ヌクレオシド類似体っていうのが、
要はDNAとかRNAとほとんど構造が似てるけれども、
ちょっとだけ何か違うっていう価格収縮がついてたりとかして、
何かちょっと違うっていうようなものになります。
アメリカのヌクレオシド類似体研究者、ロバート・スハルドニックス博士へ
手紙を書きましたっていうところなんですけれども、
このヌクレオシド類似体ですね。
ヌクレオシドっていうのは、DNAとかRNAとかそういったものを
ヌクレオシドって言いますけれども、これの類似体っていう形で
ちょっと似てるものをですね、ちょっと似てるものだけども、
価格的に何か収縮がついてたりとかして、
若干違うっていうようなものになります。
DNAとかRNAに似てるので、体に対してですね、
これDNAだとかRNAだという形で、間違って使わせることができるので、
それによって薬になるっていうのがあります。
体を騙すってことですよね。
体を騙すって感じですね。
例えば、HIVウイルスとかなんかはですね、
感染したら体の中で、彼らはRNAウイルスっていう形で、
RNAで増えていきますので、そこでですね、体内にこのRNAに
03:00
よく似たヌクレオシド類似体を入れておくと、
それを使ってですね、彼らは自分のコピーを作ると、
RNAのコピーを作るってことをします。
ただそれは類似体なのでですね、実際にちゃんとRNAとしては
ワークしないので、要は増えることができなくなって、
HIVウイルスを減らすことができるとか。
あと、ガンなんかもですね、ガンはどんどんどんどん、
分裂してしまうということをして、
腫瘍が大きくなって体上に転移して、
亡くなってしまうということが起こるわけですけれども、
この腫瘍が大きくなるところに対してですね、
DNAのヌクレオシド類似体っていうのを入れてやります。
そうするとですね、ガン細胞が自分のコピーを増やすときに、
そいつを使ってですね、自分のDNAを複製するということを
するんですけれども、これがやっぱりちゃんとワークしないDNAになりますので、
ガン自体が増えないというような作用が起こります。
なので抗ガン剤なんかにも利用されてたりします。
そうですね。先までの研究ですもんね。
そうですね。そういうような使い方をされてますよっていうところなんですけど、
当時そういうようなところでですね、使えるんじゃないかっていうので、
研究してた第一人者のロバート・スファクトミックス博学生のところで雇ってくださいという
手紙を書いてみましたというところですね。
カタリン先生はですね、2-5を合成してですね、
評価分析できるっていうことをですね、証明するですね、論文、
これ私がやりましたっていう論文をですね、彼に送ったわけですね。
そうしたところですね、その結果でですね、年報を1万7千ドルでですね、
1年間ポスドクという立場で研究室で働けるよっていうことになりました。
これってこの価格的にはその当時で言うと良い方なんですかね?
ポスドクっていう立場の研究費というか年報ですね、
研究者としての年報は最初ポスドクっていうのからプロ研究者になっていくんですけど、
というわけですけれども、それの中ではもうほんと駆け出しも駆け出しの給料という形にはなりますね。
スタートってことですね。
ほんとスタートっていう感じですね。
で、あと雇ってくれるですね、研究室があるテンプル大学がですね、
補償してくれたおかげでアメリカのJ1ビザっていうのを取得できたということですね。
無事に帰りたいでしょうってことですね。
そうですね、無事アメリカに行けますよっていう形。
ビザもちゃんと出てたので無事アメリカに行けるっていう形で、
彼女自身はですね、1年間アメリカで働きながら学んでですね、
それからハンガリーにまた職を見つけて帰ってくると、そういうつもりだったみたいです。
06:01
で、ハンガリーでですね、まず持ってた車を売ってですね、1200ドルを作りましたというところですね。
なんですけれども、私、昔自分の父親からも聞いたことがあるんですけれども、
弱い国ってですね、外資が外貨をあまり持ってないんですね。
なので、自国の通貨を外貨に変えてしまうと、変えてその自国民にあげてしまうとですね、
自分たちが持ってる外貨が減ってしまうので、貿易とかで使えなくなるっていうので、
外貨にですね、なかなか変えてくれないとかですね、
外貨に変えて国外に持っていかせないようにするっていう、そういうことをよく規制をするんですけれども、
当時のハンガリー、やはりその状態だったらしくてですね、
外貨の持ち出し規制があってですね、持ち出せるのが50ドルだけっていう感じですね。
50ドルって、すごい少ない。
すごい少ないですね。
ちなみにうちの父親も大学生の時にアメリカに行こうとしてですね、
外貨で持ち出せるのが500ドルだったって言ってましたね。
で、当時はドル円が360円、1ドル360円時代。
なので、うちの父親は他に日本円をですね、
服に縫い付けて、向こうでドルに変えたって言ってました。
ハンガリーの場合はですね、あとプラスアルファ、外貨が少なくなるっていう以上にですね、
個人にそんだけのお金を持たせてしまうと亡命してしまうということで、亡命防止のためっていうところもあったみたいですね。
そういう時代だったってことですよね。
はい、そういう時代だったってことですね。
ただね、アメリカに着いて50ドルだけだったらですね、もう多分何にもできないんで。
一日過ごせるかどうかも怪しい。
一日過ごせるかどうか、家族3人が一日過ごせないですよね、きっとね。
なのでですね、アメリカに移住する時にですね、娘のスーザンですね、まだ小さな子供です。
のですね、大好きなテディベアですね。
これのですね、背中の縫い目を解いて、その中にですね、1200ドルをですね、忍び込ませて、で、詰めてまた縫い直して。
大事なお金、これを詰めてですね。
そしてそれをですね、何も知らない娘に持たせて出国したらしいです。
娘さんは知らないと。
娘さん知らないですね。だからあの、ドルの密輸出は娘さんが正確にはやったということになります。
運び屋になってる。
運び屋ですね。
09:01
で、アメリカのヒュラデルフィア空港ですね、こちらに着きまして、で、その雇ってくれたですね、スハードルニク博士が出迎えてくれました。
で、彼らがですね、住むアパートもですね、もう既に用意しといてくれてまして、空港からですね、車でそこまで連れて行ってくれたそうです。
で、アパートについてですね、非常にびっくりしたらしいんですけれども、ハンガリーのアパートよりもですね、アメリカのアパートはすごい不便だったんですね。
へー、そうなんだ。
まあ、なんせあの、彼女たちが住んでたですね、アパート、ハンガリーでのアパートにはですね、測線機があったっていう話をしましたけれども、測線機はなかったみたいですね。
ただ、あの、もう、彼女からしたらですね、まあ本当に天国に思えたみたいです。
で、見つけたってのもそうですよね。
で、しかも多分当時は一発でそんな飛べなかったと思うので、何回か乗り換えされたと思うのでですね、疲れ切って着いたというところですよね。
まあ、天国に思えたみたいです。
で、リビングでですね、夫婦で窓の外を眺めたらですね、そこはがらんとした土地が広がってたらしいんですけれども、あの無数に黄色い点が点滅してたらしいんですね。
あの、ハンガリーにはホタルがいないみたいで、ホタルを初めて見たそうです。
へー。
非常に感動したみたいですね。
で、寝て起きてですね、もう休みなしに、もう次の日から働き始めたそうです。
すごいな。さすが。
さすがですね。で、ラボマネージャーのですね、男子がですね、家に迎えに来てくれて、実験室に向かいましたと。
でですね、研究室がですね、非常に小規模でですね、スタッフはですね、博士と、それからそのラボマネージャーの男子、そして大学院生が2人。
で、そこに片人が加わったという形になります。
で、実験室の設備がですね、ハンガリーよりもですね、かなり貧相だったというのも、これも驚いたんですね。
そうなんだ。
で、実験室自体がですね、汚くてぼったらかしにされていたみたいです。
で、カタリン自身ですね、そのRNAを研究するために来てましたので、RNAは前回も言いましたけれども、あの素葉や汗、そういったものがですね、混ざってしまうと、速やかに分解されてしまいます。
非常に実験材料として扱うのに慎重を着さないといけないんですけれども、それを汚い実験室で扱う、使うということはできませんので、まず彼女はですね、実験室の掃除から始めたそうです。
もう初日掃除から。
初日は掃除ですね。
で、あとですね、親と思ったことがあったらしくて、研究室にですね、謎のルールがあったみたいなんですね。
12:03
それはですね、学術論文を就業時間中に読むのはダメというルールがあったらしいですね。
ボスのですね、スハドルニック博士はですね、そういうのは家でやれと。
就業時間中は働きなさいと言ってきたらしいんですね。
ただ、彼女の頭の中には、論文を調べたりとかするっていうのは仕事じゃないのと。
自分自身の実験をより良いものにする方法を探しているのに、なんでそんなわけわかんないルールがあるんだろうと思ったらしいです。
なかなかやっぱ違うルールなんですね、ハンガリーと。
そうですね、ハンガリーと違うルールっていうところですね。
で、旦那さんのペイラーの方ですね、もう早速働き始めたみたいで、
彼自身は何でも修理できるっていうところでですね、
誰もがお手上げになってしまったような故障した車もですね、直せてしまうことができたみたいです。
なので、ハンガリー出身の自動車整備士だったみたいなんですけれども、そこの仕事を手伝うようになったそうです。
良かったですね、なんか順調に仕事も。
そうですね、順調に仕事が見つかってですね、本当手に職持ってるって強いなと思いますね。
言葉が通じなくても全然なんとかなるんだなと。
で、スーザンはですね、保育園に通い始めたそうです。
で、スーザンはもう保育園に行ったみたいですね。
で、スーザンはもうほんと小さかったんであっという間に英語を覚えたそうですね。
子供は早いですもんね。
早いですよね、本当に。
こっちは英語を覚えるのに宿泊するのにって感じですね。
ね、本当に。小学校が始めてもみんな身にならない。
身にならないですよね、本当。
悲しい。
悲しい、ほんと悲しい。
で、アパートの近所にですね、教養のプールがあったらしいんですね。
アパートの人たちが使える。
ただ、そこに入るにはですね、年会費を払わないといけないらしかったんですね。
で、1万7千ドルしか年望がなかった。
感覚的に言うと年収170万円っていう感じですかね。
ちょっと時代が違うんでね、あれですけれども、
170から300万はないかな、ぐらいな感じだと思うんですよね。
なので本当、3人での生活がやっとっていう感じだったので。
そうですね。
高かったんかな。
高かったんですかね。
そんな大した額じゃないかもしれないですけど、もう出せなかったんでしょうね。
なので夏、家族でですね、プールに入っている人たちをですね、
鏡越しに娘さんと汗をかきながら眺めたりしてたみたいですね。
いいなーって感じでしょうね。
そうですね。
アメリカに来れば光り輝く生活があると思ってたらしいんですけれども、
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アメリカっていうのはちゃんとヒエラグピーというかレベルがある。
私たちはプールに入れないんだっていうことを思い知ったみたいですね。
差別みたいなのはなかったのかな、その辺はあんまり。
そうですね、差別の話はあんまり出てこないですね。
単純に経済的な格差があるんだなっていうのを痛感したみたいです。
で、それはですね、研究室にもヒエラルキーが非常に強かったみたいで、
その研究主催者ですね、スハードルミク博士ですね、
研究者と研究チームを管理、担督してですね、
それから資金を調達するっていう、そういう役割ですよね。
まさにボスっていう役割なんですけれども。
で、その下に研究員とか大学院生がいて、
さらにラボマネージャーの男子がいるというような形で、
このヒエラルキーは絶対だったみたいですね。
なるほど。
ハンガリーの場合は、もちろんそういうお金を集めてくる人とかはいたけれども、
かなり緩やかなチームっていう感じだったみたいなんですけれども。
そこはちょっと違うんでしょうね。
そうですね。非常に緩やかだったけど、
アメリカではヒエラルキーを押し付けてくる人がいるという形で、
で、スハードルミク博士自体はですね、自分のことをですね、ボスと呼ばせていたらしいです。
で、もう文字通りボスだったらしいですね。
いつもみんな励ましてくれて、仕事もできたそうなんですけれども、
上下関係をいい加減にすることだけは絶対に許さなかったですね。
あと、たまにですね、研究室に飛び込んできてですね、
メンバーの一人をどなり散らすこともあったみたいなんですね。
ボスが。
ボスがですね。
ただですね、カタリン自身はですね、優秀だったからなのかですね、
非常によく褒められたし、どなられたこともなかったんですね。
ただ、みんなをですね、どなるやり方っていうのはちょっと理解できなかった。
で、これがアメリカのやり方なのかなっていうのを本当に非常に疑問を持ったというふうな形ですね。
厳しかったんだろうな。
そうですね、なんかいろいろ厳しかったんだろうなとか思いますね。
で、ベイラですね、はですね、他にもですね、カタリンの家族が住んでるですね、
巨大な集合住宅の業務員としてですね、また働き始めたみたいで、
彼自身本当に何でも直せるからですね、設備の補修技術者という立場になったみたいです。
で、雪かき器具からですね、電線の配線、それからボイラーの修理まで本当に何でも、
何でもできる。
何でも直すみたいな感じですね。
生活力が、頼りがありますね。
18:00
本当なんかこんな男になりたいなって思いますよね。
本当ですね。
カタリンはですね、そうですね、本当何でもですね、本当に。
で、カタリンもやっぱり彼に頼ったみたいでですね、
実験器具が壊れた時にはですね、研究室の装置を家に持って帰ったみたいです。
それも直しちゃったと。
そうですね、そしたらベイラは原因追求してですね、すぐ直してくれたみたいですね。
頼りがあるなあ。
頼りがありますね、本当。
家も作る、家も作るというかね、本当何でもできますよね。
で、カタリンの研究はですね、非常にうまくいっていまして、
バイオキミストリーというですね、有名な科学雑誌ですね、
同じ号に同時に3本の論文を掲載されるというような、
こういう会見も達成したことがあるらしいです。
で、そのうちの一つですね、ちょっと紹介すると、
特にうまくいった研究ですね、
日本砂RNAですね、これ英語でダブルストランドRNA、
略してDSRNAと言いますけれども、そちらの研究なんですけれども、
これですね、細胞がですね、免疫応答を引き起こせるという形。
日本砂のRNAっていうのは、ウイルスRNAも日本砂のRNAなんですね。
なので、ウイルス感染してしまった人にですね、
このダブルストランドRNA、人工的に合成した日本砂のRNAをですね、
注入してやるとインターフェロン反応が起こる。
免疫反応の一種ですね。で、ウイルスを退治するような
体の仕組みが発動するわけですね。
で、これがですね、インターフェロンが分泌できるというところが
非常に評価として高かったみたいで、実際これを応用してですね、
RNAウイルスの一つであるHIVを治すことができるんじゃないか
という形で、それもトライしてみたみたいです。
ただ、残念ながらですね、HIVには効果はなかったというところですね。
ただ、このダブルストランドRNAですね、DSRNAが
インターフェロン分泌を、免疫応答を引き起こせるというの、
トリガーになるというのは、非常に大きな発見だった。
この当時、非常に大きな発見だったということになります。
で、ボスですね、この人は相変わらず、相変わらずというか、
ずっと感触持ちでですね、そっちは研究室で誰かを罵ってたらしいですね。
そうなんだ。
で、その原因の一つがですね、ロナンド・ロー・レーガン。
当時、レーガン大統領ですね、僕が企画にあるアメリカの大統領、
一番最初はレーガン大統領なんですけれども、
21:00
彼がですね、科学分野への資金を絞っていったらしいんですね、この時代。
なんか文科省の予算を削るみたいな、そんな感じですよね。
なので、科学者にとって非常に浮遊の時代でですね、
ボスの復帰源はそこから来てたみたいなんですね。
その辺も政治が絡んでくるんだ。
そうですね。
1987年がですね、アメリカ大統領選挙の年だったらしいんですけれども、
レーガンに対抗する民主党の有力候補のゲイリー・ハートですね。
こちらはレーガンを追い落とせるかもっていうふうな形で期待されてたらしいんですけれども、
女性問題が発覚してですね、逆しちゃったみたいなんですよ。
変わらないな。
もう今も昔もなんか変わんないですね、本当。
本当ね。
日本もね、いろんな芸能人がこれでいなくなっていってますけど。
いなくなっていってますね。
アメリカでは当時やっぱり同じことが起こってたみたいですね。
で、もうこの時にはですね、ボスはもうこのニュースに激怒してですね、
研究室でもう当たり散らしで怒鳴りまくってたらしいです。
気持ちもわからなくもない。
ただ語り自身はわかり始めたみたいでですね、
全てのアメリカ人のボスがこういうもんではないなと。
この研究室がおかしいんだなということがわかり始めたみたいなんですね。
ちょっとボスが困ったちゃんですよ、というところをですね、
まずちょっと今回は最後締めにして、こんな締めでいいのかな。
締めにしてですね、この会話ちょっと終わらせてもらいたいと思います。
先生さんがちゃんとしっかりアメリカに渡れたよっていうところと、
TDBIが1200ドルを忍ばせて。
そうなんですよね、無事に。
旦那さんはなんて頼りがいのあるなっていう。
本当ベイラがすごすぎるんですよね。
すごいな。
ありがたいですよね。
それに関してボスはっていうところですけども。
そうですね、ボス自身も最初本当にいろいろアパートも用意してくれたりとか、
もちろん雇ってくれるわけだし、ビザの申請とかも、
筆書さんとかがやったのかもしれないですけれども、
そういった形で非常に優しくしてくれたみたいなんですけれども、
ちょっと変な人だった。
だいぶというか、変な人で。
本当ですね。
この先、片井先生がどのように動いていくのかというところは、
次回またお届けすると思います。
おつかれさまでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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