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010.科学者『カタリン・カリコ』:Part.10~最初の重要な1歩
2025-02-17 25:46

010.科学者『カタリン・カリコ』:Part.10~最初の重要な1歩

今回も、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.10”では、mRNAワクチン開発の苦難と挑戦についてお話していきます。

彼女がペンシルベニア大学で研究を続けるために奮闘した日々、資金不足、学界の冷遇、そして家族との離れ離れの時間など、彼女の知られざる苦悩と挑戦に迫ります。
遺伝子治療が注目を集める中でmRNAの可能性を信じ続けた情熱、その軌跡をたどります。

シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は

世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書

ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社

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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
MCの金澤秀明ことあきです。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回の話題ですが、ペンシルベニア大学での働き始めというところから、リポソーム研究をエリオット先生と一緒に始めたというところから続きですね。
エリオットがやりたいことに対して、カタリン先生のメッセンジャーRNAを使ってはどうかという、今後のメッセンジャーRNAワクチン開発に入っていくようなアイディアの最初のところを始めたというところになりますけれども、
この時、ペンシルベニア大学が大変革が起こる時代だったようでして、まず医学部のトップが変わったらしいんですね。
医学のトップがビル・ケリーというお医者さんで、ビル・ケリーはカタリンがハンガリーにいる頃から知っていた非常に有名なお医者さんで研究者だったみたいですね。
ケリーは烈種内反症候群という非常に珍しい遺伝子疾患の原因原症を特定したんですね。これが特定の酵素が欠損しているということを発見したわけです。
そのことによって、特定の酵素が欠損すると症状としては、患者さんは指を噛んだりとか、頭をぶつけたりとか、そういうような自傷行為をするということが起こります。
カタリンは、ハンガリー時代に遺伝子の疾患によって自傷行動を起こすということから、逆に自傷行動を起こしている患者さんから血液を採取して、その酵素の量がどうなっているのかを測るという担当をしたことがあるらしいんですね。
カタリンからすると、ビル・ケリーが同じ大学に来るというのは非常に大喜びというか、憧れの研究者が自分たちの大ボスになるという形で大喜びだったみたいです。
ケリーは、元いたデューク大学のチームを引き連れてやってきたらしいんですね。
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彼らは、そういうミスがある、病気の原因となるDNAを修復して治療する、DNAの遺伝子治療を確立しようということを目的としておりました。
そして、医学部と分子工学と細胞工学の学科を新設して、ケリーの同僚だったジム・ウィルソンという方を就任させました。
ペンシルベニア大学は、遺伝子治療の最先端研究の大学に生まれ変わったんですね。
こんなのが、読んでなかったですよね。
そうですね、読んでなかったですね。読んでなく、カタリンはここにまさに採用されたわけですね、この時代に。
すごい、導かれた感じがしますね。
なんかワクワクしますよね。
1990年代の初頭ですね、インターネットバブルが起こる少し前ですね、遺伝子治療はバイオ業界でめちゃめちゃ流行ったんですね。
で、もう遺伝子治療を目指すぞっていう風になるとですね、政府の後押しも良くてですね、研究資金も潤沢に取れたようです。
なるほど。
この時代のちょっと僕、ちょうどこの頃に、学生から卒業して最初は研究補助員で僕、研究室で就職をしたんですけれども、
この頃の遺伝子治療に対するバイオ業界の期待値っていうのは、バイオ業界に入って初めて風を浴びたわけですけれども、本当にすごいものがありました。
またですね、カタリンはですね、この時は思ってたんですね、DNAを改変するとですね、それは永遠に体の中に残っちゃうじゃないかと。
細胞のゲノムを変えるわけですから、細胞の核の中に大事に大事に置いておかれてるですね、DNAを変える。
これを変えてしまうとですね、その後その細胞が死んでしまっても、死ぬ前に細胞分裂して増えたりとかしますんで、体の中に永遠にそのDNAが残っちゃうよねと。
だけど、私がやってるメッセンジャーRNAはタンパク質を作った後ですぐに分解されると。
一回こっきりのものになりますので、もう永遠にそのDNAを改変する場合と、場合によってはメッセンジャーRNAで一時的に何か酵素を作らせたりとか何かをした後で、
そのRNAがなくなってくれる場合の方がいいということも病気によってあるんじゃないかと。
病気によって使い分けた方がいいよねっていうことを考えてました。
ただですね、新しい研究所長のウィルソンはですね、メッセンジャーRNAとかカタリンたちの研究には全く興味を示さなかったみたいなんですね。
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遺伝子資料ですね、DNAを書き換える研究がまずは、これだけが重要なんだという形で、どっちかというとカタリンがいい環境になったと思いきや、悪い状態に置かれてしまいました。
おお、そうなんだ。
ただですね、カタリンはボスのエリオットに教えてもらいながらですね、多くの研究助成金のプロジェクトに応募したわけですね。
慣れない英語をエリオットに見てもらいながらですね、月に一度ぐらいはですね、助成金に応募し続けたみたいなんですけれども、
DNA治療こそが正義みたいなんですね。それをやるんだっていう世間の風がすごくてですね、
メッセンジャーRNAを使って病気を治療するっていうのはですね、全然誰にも理解が得られずに対応が続きまくったみたいなんですね。
そうなのか。
助成金はちょっとこれ無理だと諦めてですね、投資会社とかにもプレゼンして資金を募り始めたらしいんですね。
ペンシルベニア大学でですね、働き始めて5年経ったんですね。5年も経ったんですけども、1994年ですね。
やっとある投資会社がですね、7万ドル提供してくれるって約束をしてくれたらしいんです。
ただ、いつまでも振り込みがなかってですね、電話してもメールしても無視され続けてたみたいですね。
ひどい。
結局なんか、最初話聞いた時にはこれいいんじゃないって思ったけど、結局上からストップがかかったとか、そんなことなんだと思うんですけれどもね。
つらいですね。なかなかDNAの方ばっかりフューチャーされちゃったんですね。
そうですね。DNAばっかりフューチャーされちゃって、彼女自身もね、そこでDNAにじゃあちょっとそっち側もやってみるかとかっていうことはせずにですね、
本当メッセンジャーRNA一筋だったんですね。
なので、メッセンジャーRNA研究プロジェクトはですね、1円の資金も得られなかったみたいなんですね。
つらいな。
研究資金が得られないっていうことはですね、そのプロジェクト自体が大学でも評価されないでですね、
ボスのエリオットが所属する心臓学科はですね、大幅な人員刷新が行われてしまいました。
そっか。でもエリオット、直続の上司だけは評価してくれてたってことですね。
そうですね。直続のエリオットだけは、カタリンこれメッセンジャーRNA頑張ろうよっていう感じで、一緒にやってたわけですよね。
で、なんとかエリオットはですね、残れたので、カタリンもその後、その研究室でですね、仕事を続けることはできたそうです。
09:08
で、こういう悪い時に悪いことは重なるもんでですね、1995年なんですけれども、彼女の胸にですね、2つのしこりが見つかったみたいなんですね。
乳がんの疑いってやつですよね。で、それで手術をすぐに受けてですね、幸いなことにこちらは両性だったということなんですけれども、
もう一つですね、ちょっとだけいいことがあったんですけど、夫のベイラーにですね、グリーンカードが出るということになったんですね。
グリーンカード?
グリーンカードっていうのは、アメリカに暮らすことができるっていうですね、そういうカードになります。
国籍ではないんですけれども、もうあなたはずっと住んでていいよっていう、そういう状態ですね。
永久に。で、これを取得すると、選挙権はないけれども、アメリカへの出入りが自由になります。
働くこともできます。で、税金も取られますっていう、そういう感じになります。
で、そのグリーンカードが出るっていうことになってですね、ただそれは一回ハンガリーに一時帰国しないといけないっていうことになったんですね。
アメリカ国内にいるまんまグリーンカード出ないよと、だからその手続しに一回ハンガリーに帰ってくださいっていうことになったんですね。
ところがですね、ベイラーはですね、その手続きのために出国したらですね、手続き自体がなかなか時間がかかって、
ブタペストに足止めになってですね、帰ってこれなくなっちゃったみたいなんですね。
そんなときにですね、カタリン先生ですね、雇用期間が終わるということが、エリオットから告げられちゃいます。
女性金もですね、民間投資も何も得ることができなかった。
えー。
だから。
カタリンは残るんだ。
そうですね。だけどカタリンはダメだということですね。
5年間頑張っても女性金も資金も得られない研究者は、それはいらないよっていう、そういう大学側の判断ですね、になっちゃいました。
で、その立場はですね、準教授っていう立場なんですけれども、もうすぐ終わってしまうというところなんですが、カタリンはですね、諦めなかったんですね。
ペンシルベニア大学の研究は道半ばだったので、準教授っていう立場がなくなるにしても、何か別の立場で生き残れるんじゃないかっていう道を探ったんですね。
普通ここの期間でダメだっていう風になったら、その人は研究を諦めてですね、研究職という道を去るか、もしくは普通だったら別のところで雇ってくれるとこ探すかっていう形を取るわけですけれども、
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彼女はもうとにかくペンシルベニア大学に残るんだというところで、そこでの立場を何とか取ろうとしたんですね。
探した結果ですね、上級研究調査員という立場があるということがわかりました。
その立場になったわけですけれども、合格したわけですね。
お、合格できた。
残ることはできたんですけれども、立場としては合格ですね、になっちゃったということになります。
なのでおそらく給料も下がったと思うんです。
ペンシルベニア大学でもですね、上級研究調査員っていうのは初めての肩書きだったそうですね。
そういう人今までいなかったみたいなんですね。
それはありがたい。
ありがたいんですけどね。
残れて。
残れてよかったと思いますね。
ベイラーがハンガリーから去ってですね、1ヶ月経ったぐらいの頃だったらしいんですけれども、
国際電話でですね、そのことを話したらですね、ベイラーはですね、
お、すごいじゃん、初めての肩書きなんだって、つって。
君、歴史を作ったね、つってこう。
なんてポジティブ素敵だな。
笑わせてくれたらしいです。
へー。
で、ベイラーはですね、2ヶ月経っても戻ってこなかったみたいな。
そこからさらに1ヶ月経っても戻ってこなかったみたいな感じで、
で、もう寂しくてですね、当時のプリントン大統領とかですね、
ヒラリー夫人にもですね、何度も何度も手紙を書いたそうです。
あと、ハンガリーのアメリカ大使館とかですね、移民局とか、
弁護士にも手紙を書いたみたいなんですけれども、
全然帰ってこれなかったみたいで、
で、ベイラーのですね、35歳の誕生日ですね、
3月18日にですね、もう何とかしたいと思って、
娘のスーザンとですね、カタリンはワシントンDCに出かけまして、
ホワイトハウスの前でプラカードを持って抗議活動したらしいです。
うん、すごいな。
ちゃんと当局の許可を取ってたらしいんですけど、
2人でデモしたって感じですよね。
2人でデモ。
法理官邸の前に母親と娘で行って、
お父さんを返せっていうのをやったらしいです。
で、スーザンはですね、ホワイトハウスの前でですね、
当時、学校でジャズバンドを頑張ってたらしい。
で、そのサックスを取り出してですね、曲を演奏したりとか。
娘も頑張るな、すごい。
カタリンはですね、やっぱりハンガリ育ちだったんで、
そういう政治活動ができない子供時代、青春時代を過ごしたわけなので、
15:06
娘にですね、アメリカでは抗議活動っていうのが合法的にできるんだよってことを
教えたかったっていう側面もあったそうです。
すごいな、これも教育の一環だったわけですね。
そうですね、教育の一環でもあり、本当に彼らの望みを叶えるための、
実際ながらも、やらないではいれない抗議活動だったんだと思うんですね。
で、半年過ぎた夏にですね、やっとベイラが帰ってきましたよという感じです。
帰ってこれたんですね、でも半年か。
半年ね、別れ別れは寂しいですよね。
寂しいですよね、娘さんも嫌だっただろうな。
当時ね、LINEのビデオ通話とかもないんで、
ないですもんね、国際電話しかない。
毎日できるわけでもないですしね。
本当寂しかったと思いますね。
僕もそんな時代、インターネットはちょっとあったけど、
そんな音声通話とかできる時代じゃない頃に、
さっき言ってた自転車で、
カナダからポスカタリカまで走ってたんで、
たまに安い国際電話カード買って、
家族に電話して、すごいこう、
ホームシックを抑えてたのを思い出しますね。
娘も生きてるっていう状態ですね。
かっこいいなって。
そんな感じでしたけど。
で、えーとですね、
この頃、エリオットが帰ってきてですね、
1996年12月ですね、
ベラが帰ってきましたよって話ですけれども、
同時並行的なところでやってた話なんですけれども、
1996年の12月ですね、
ボスのエリオットとカタリン、
そして実験助手のアリスの3人でですね、
プリンター外学生をですね、
実験してたわけですけれども、
プリンター外学生、カタツオを飲んで見守っていたんですけれども、
この時、もうすでにペンシルベニア大学に来て7年が経ってました。
で、彼女はずっとエリオットの研究テーマですね、
ウロキナーゼ重要体の設計図ですね、
これを載せたメッセンジャーRNAを細胞に送り込んでですね、
その細胞が、実際そのウロキナーゼ重要体を作るのかどうか、
っていうのをですね、繰り返してたわけですけれども、
まずどういうふうにするかというと、
実験の手順としてはですね、
ウロキナーゼ重要体を作る細胞、
もともと作らない細胞ですね、
もともと作らない細胞をまず準備します。
で、それにですね、ウロキナーゼの設計図を載せたメッセンジャーを
振りかける側と対象としてですね、
ウロキナーゼの設計図を載せてないメッセンジャーRNAを
振りかける、2つの実験をやるわけですね。
18:04
で、それで細胞にそのメッセンジャーRNAが届いて、
メッセンジャーRNAが正しくワークすればウロキナーゼを片方は作る。
で、もう片方はウロキナーゼを作らないっていうことが起こるはずなんですけれども、
それでですね、このウロキナーゼ重要体がですね、
当たり前ですけどタンパク質なんでとても小さくて顕微鏡で見えないんで、
実際作ってくれてもそれが本当に作られているかどうかわからないので、
やっぱりあのプローブですね、を使ってウロキナーゼ重要体というものにですね、
結合するものですね、
放射線でラベルしておいて、で、
細胞にそれを振りかけてやります。で、細胞を洗ってやって、
まあそのひっつくものがですね、細胞にひっついたままでいれば、
それはウロキナーゼが出来上がってて、そこに結合しているものが残っているってことになるので、
これはウロキナーゼが作れたと。それで、
それが全然放射線が検出されなかったら、
それはもう全部プローブが洗い流されてしまっている状態、つまりは、
ウロキナーゼがないという状態という風になりますので、
それはウロキナーゼが作れなかった、つまりメッセンジャーRNAが
作用しにくいということになります。で、
これでですね、実際その何回も洗ったですね、細胞を
計測器にかけて放射線を測るということをいたします。
で、そうしたところですね、
ウロキナーゼを作るメッセンジャーRNAを振りかけた方の細胞群だけですね、
放射線が検出されたんですね。
なので、つまりは、実験は成功したということ。
作れたということですね。はい、作れたということですね。いよいよですね、
最初の研究をするぞって言ってからですね、
実際にそのメッセンジャーRNAが
細胞の中に取り込まれてタンパク質を作らせるというところまでですね、
いけたわけです。これはもうとんでもないブレイクスルーというかですね、
実験が成功したというのはもう大変な成功だったんですけれども、
やっと成功してよっしゃっていう感じ。
なんですがですね、また危機がやってまいりまして、
この研究室のボスのエリオットですね、
ケンシルベニア大学を去ってしまって、
セントコア社という製薬企業に転職することになってしまいました。
つまりボスがいなくなってしまったんですね。
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ボスも上に行きたかったのかな、なんだろうな。
別のチャンスが来ちゃったって感じですよね。
そういう薬の研究になっていったわけだ。
そうですね。取り残されちゃったですね、カタリンはですね、
ただ別のケンシルベニア大学の研究者に救われることになります。
エリオットの研究室に特別研究員として来てたデイビットという研究者がいたんですけれども、
彼はですね、エリオットの研究室にいてるときに、
カタリンがですね、RNA実験の手ほどきをしたわけですね。
デイビットのRNA実験の師匠はカタリンということになります。
デイビット自身はですね、非常にカタリンのことを尊敬していたみたいで、
こんな難しいRNA実験をできる、しかもきちんと自分に教えてくれたということで非常に尊敬してたみたいなんですね。
彼自身はですね、その後ですね、
医学博士号を取ってですね、臨床研究を1年間やって、
ペンシルベニア大学のですね、神経外科の研修医になってたんですね。
彼はですね、臨床研究の仕事とですね、基礎研究を両方やりたいという野望を持っていたみたいで、
要は自分の研究チームを組みたいと思ってたわけですよね。
彼女のメッセンジャーRNAを作る技術を使って自分の分野の治療に使えるようにしたいということで、
カタリンを引っ張ってくれたみたいなんです。
彼は早速ですね、プロジェクトを立ち上げて、
2万5千ドルの資金を獲得してくれたということですね。
すごい!
なので、捨てる神あれば拾う神、
別にエリオットもですね、カタリンを手放したかったわけではないけれども、
新たなチャンスが来たので、そちらの方に行ったわけですけれども、
それでチューブラリーになったカタリンはですね、もともと自分の弟子がですね、
スター研究者になって、資金まで獲得して、
今度は師匠を雇う形で誘ってくれるということが起こったわけですね。
はい。
というところで、今回は終わりまして、
次ですね、デイビッドのプロジェクトをですね、
彼女がどう手伝っていくのかというところをご紹介していきたいと思います。
すごい!
またちょっとね、いろいろ波のある人生模様というのか。
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もう、帰ってこなくなっちゃったりとか。
帰ってこなくなっちゃうし、上司は変わっちゃうし。
でもね、一つ小さな実験の成功もあったりとか。
そうですね、この実験が成功したっていうのが本当に、
その後ですね、大きなブレイクスルーにつながっていますので、
本当、何て言うんですかね、このブレイクスルーっていうのは、
突然起こったようなことではなくてですね、
こういう小さな一歩一歩の積み重ねが最終的な大きな成果につながるんだなと。
なんせ、これ初めてから7年経ってますからね。
7年かー!
7年経って、息子さんが小学校から中1になって、中2になってぐらいな時間かけて、
やっとメッセンジャーアレネから、
細胞にタンパク質を作らせることができるようになったということになります。
いやー、いよいよというか、とりあえず最初の一歩。
そうですね、最初の重要な一歩をいけたということになります。
デイビッドが資金を獲得してくれてってところからまたちょっとずつ進むんですかね。
次回またね、楽しんでいただきたいと思います。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
失礼いたします。
失礼します。
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