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044.科学者『キャリー・マリス』:Part.12~PCR自動化の夜明け
2025-10-13 30:47

044.科学者『キャリー・マリス』:Part.12~PCR自動化の夜明け

前回に引き続き、PCRの発明者キャリー・マリスをご紹介していきます。

熱に弱いクレノ酵素を使う手作業PCRの限界に直面したキャリーは、熱に強い酵素のアイデアを閃きます。しかし、怠惰な彼に代わり、チームが3週間かけて耐熱性のTaqポリメラーゼを単離することに成功しました。これによりPCRは劇的に効率化され、自動化への道を歩み始めました。世紀の発見の裏側に迫ります。

感想

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00:06
生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
ナレーターの金澤秀明です。
アシスタントの忍原です。
前回は、二重螺旋構造ですよね、DNAを発見したワトソンさんから、
ホモサピニスの分子生物学という、すごい広い大きなテーマで、シンポジウムで話してくれということを頼まれたということで、
私みたいな研究者からしたら、すごい名誉なことだなって思ってしまうようなことがあったわけですけど、今回はどういったお話になるでしょうか。
はい、PCR、児童科への道というところに話を進めていくんですけれども、
マリスはですね、一生懸命クレノを何回も加えるということをして実験をしてまして、PCRチームのテクニシャンたちも同じようにそういった実験を頑張ってたわけですけれども、
この熱でコースが壊れてしまうというところが問題だというところで、このクレノじゃなくて、熱に耐久性のあるようなDNAポリメラーゼがあれば、
この問題は解決するよね、最初に1回入れるだけで済むんじゃないかというようなところをキャリー・マリスは考えつきます。
ちょうどですね、これをキャリー・マリスが思いついてですね、社内で提案したのが、時期としては1985年の春頃ですね、
PCRを発表しようということで、アメリカ人類遺伝学でPCRを発表しようというふうな議論をしているぐらいの時期になります。
じゃあ、そんなですね、熱に耐えれるような耐熱性のDNAポリメラーゼが世の中にあるのかというところなんですけれども、
こちらですね、先行研究がありまして、まず1960年代ですね、アメリカのイエロンストーン国立公園というですね、温泉がいっぱい湧いているような公園があるんですけれども、
ここにある温泉からですね、微生物学者のトーマス・ブロックという博士がですね、温泉水の中から耐熱性細菌ですね、テルムス・アクアティクスという細菌を発見します。
テルムスだから、サーモスみたいな感じですかね、熱みたいな意味ですかね、のラテン語だと思うんですけども、テルムス・アクアティクスという耐熱性細菌を発見します。
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ちなみにですね、その後、後にですね、タックポリメラーゼですね、TAQポリメラーゼというふうに、耐熱性のポリメラーゼ、PCRに使われる酵素のことをそういうふうに言いますけれども、このタックのTAQはですね、このテルムス・アクアティクスのですね、
テルムスのTとアクアのですね、AQですね、頭文字を取ってTAQっていうふうに言ってます。で、この当時ですね、熱い温泉水の中なんかにはですね、生物はいないっていうふうに考えられてたので、この発見はですね、大きな驚きを持って迎えられます。
でですね、生物なんで、生命科学をしてるはずでしょうっていうところで、この発見からですね、16年後です。16年後、1960年代に見つけたっていうところなので、何年後かちょっとわからないですが、1976年ですね、シンシナティ大学の研究者のアリス・キエンというですね、女性研究者ですね、この方がですね、この細菌の中からDNAポリメラーゼを単位することに成功します。
そしてですね、これが70度でもですね、DNAを合成してくれるような高い活性を維持してって、95度の加熱にも耐えられますよというようなですね、驚くべき耐熱性をはじめて、世間に公表をしております。
でですね、アリスはですね、この先行研究を知ってたのかなと思うんですけれども、このコースをですね、使おうというふうにですね、会議で提案をいたします。
で、構想学者の立場からですね、デイビット・ゲルファンドという方もですね、金曜日に毎週開催される会議ですね、ここに出てたみたいなんですね。
で、そしてですね、キャリーのですね、このアイデアは非常に有用だということで、強く指示をしてくれます。
で、キャリーとですね、あとトム・ホワイトですね、はですね、社内でこの構想をですね、管理してくれる人間を探します。
というのがですね、プレノーポリメラーゼは、もう既に商業化されてですね、販売されてたんですね。
対してですね、このタック・プリメラーゼですね、これはですね、まだ商業化されてませんでした。
というか、使い道がなかったんでしょうね。商業化しようとする、ビジネスにしようとするメーカーもなかったみたいです。
でですね、一生懸命探すわけなんですけれども、会社のですね、ボードメンバーの一人であるですね、ロバート・フィルズはですね、PCRの将来性は全然考えてませんでした。
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で、治療法とかを開発してるんだ、うちの会社はと。
なのに、それと全然関係のないようなプロジェクトにですね、社内の労力を削くことはダメだっていうふうに、強固に反対しておりまして、
そういった社内の雰囲気もあってですね、受け負ってくれるタンパク質科学者は現れなかったみたいですね。
ただですね、こういったコースの単位実験っていうのはですね、有機化学が得意なキャリーがですね、まさにやるべき仕事というか、
キャリー自身が得意とする分野なんですね。
ゼルフアンドはですね、キャリーにですね、自分のチームが持っている実験機材は自由に使わせてあげるから、自分でやってみろっていうふうにキャリーを焚きつけます。
ただですね、キャリーはですね、先にも言った通りで、一向にですね、怠け者なもんでですね、タッグの生成には手を出さなかったみたいなんですね。
ゼルフアンドはですね、待ちきれずにですね、自分たちのチームでこの生成に取り掛かることにします。
バイオバンクからですね、このサーモス、テリムスアクアティクスをですね、バイオバンクのほうから取り寄せてですね、
それを培養してDNAポリメラーゼを生成するということを始めます。
3週間ぐらいかかってですね、見事にそれを成し遂げるということになります。
これをですね、PCRに使ってみるとですね、驚くべきことが起きます。
βグロブリン遺伝子がですね、見事に増えます。
もちろん、1回、溶液に加えるだけで、もうそれで大丈夫というところですね。
で、もう一つがですね、プレノを使った場合よりもですね、増幅量が非常に多かったみたいなんですね。
そして、変なDNAを増やすようなことも非常に少なかったみたいですね。
得意性も高かったということになります。
これらですね、今までよくわかんないところで失敗しまくってたところがですね、タックを使うことによって立ちどころに解消したみたいですね。
プレノはですね、大腸器の中で働いている3種類のDNA、3種類じゃないや、5種類ぐらいあるのかな。
DNAポリメラーゼのうちの1種類で商業化されたものだったから使ってたわけですけれども、PCRには全然適してないコースだったっていうのがこの時点でようやく明らかになったようです。
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本当に最初はもうやっぱりそこにあるものを使うしかなくて、そこから最適化していくっていうことにはなりますけれども、
やっぱり今だったら考えられないですよね、本当にポリメラーゼを毎回毎回入れるなんていうことは。
思いますし、その中でもう開発できてしまったっていうのがやっぱりキャリーの開発するぞっていう気持ちとか、周りの方のサポートとかがあってこそなのかなっていうのはやっぱり思いますね。
本当そうですよね。
ちなみにコースを1回1サイクルごとに加え続けるっていうようなロボットのような、ランディ・サイキーがまさにやってた実験ですけれども、こういうロボットのような正確な実験をしてくれる人のことを当時社内ではミスターサイクルって呼んでたらしいですね。
まさしくですよね。
まさしくですね。
アメリカらしいというか。
なんか面白い名付けをするなっていう感じですね。
でもそれだけできる人が重宝されたという感じですかね。
そうですね。
やっぱり適当にやったら全然うまくいかないらしいので、1回でもちょっと中途半端だったりするとダメらしいので、そう思うとそういうのが大事だったのかもしれないですね。貴重な人材ですね。
貴重な人材ですよね、本当に。
でもやっぱり人に依存してしまうってなるとやっぱり研究としては広まりませんし、やっぱりそういう意味でタックの発明というか発見というのは大きかったのかなと思いますね。
今、本当に人に依存する分野としてはバイオインフォマティクスのインフォマティシャンといって、出てきたデータを、今はですね、もう本当に大量に情報が出てきてしまうので、1回の実験でですね、大量に情報が出てくるので、
それをですね、いろんなコンピューターのプログラムを使ってですね、データ解析をできる人間というのが非常に重要なんですけれども、これもですね、日本はそれほどバイオインフォマティシャンを育成してこなかったので全然足りてなくてですね、
データを出した先生たちがバイオインフォマティシャンに解析してほしくて、列を並んでいるというようなですね、そういう状態に今なってますね。これもちょっと人間に依存しちゃってる状態が今起こってるなという感じですけれども。
確かに。本当にね、それがいいのか悪いのかっていうと、やっぱり技術の発展という意味では、そこはやっぱり望ましいことではないのかなって思いますね。
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本当そうですね。
すいません、ちょっとまた脇道に逸れてしまったんですけれども、話を戻します。
こうやってですね、タックポリメラーゼですね、マリスのアイディアから是非やろうということになって、デルファンドがですね、それをですね、開発というか単輪に成功してくれてですね、PCRが非常に簡単にできるようになったという形になりました。
PCRのアイディアをですね、会社に提供したというところでですね、1986年の春ですね、マリスはですね、シータス社の社内の人間として初めてですね、ボーナスを受け取ります。
ボーナスの金額はですね、1万ドルだったそうですね。
1万ドルですね、ちょうどこの時期ですね、どんな、1万ドルってどれぐらいの金額だったのかなって日本円で調べてみたところですね。
この時にアメリカドルがですね、非常に強すぎたので弱くしようっていうですね、プラザ合意っていうですね、合意があったみたいで、で、どんどん円が高くなっていってた時期らしいんですけれども、
だいたい、その前の年はですね、ドル円が240円とか250円とかそれぐらいの値段だったらしいんですけれども、それがですね、ドル円が180円とか170円という形で円がすごく強くなってきた時だったので、
1万ドルですので、160万とか170万とかそれぐらいの金額になります。
ボーナスって日本では一般的ですけど、海外ではほぼほぼないというか、どちらかというとインセンティブみたいなイメージが強いのかなっていう成功報酬というか。
なので、インセンティブですね、これはおそらくですね。
ちなみに、もう本当にMr.サイクルのですね、他の人間はですね、PCR一生懸命、キャリマリスがやらないもんだからですね、頑張って開発していった、
最近ですね、とかはですね、扱った、それのおかげでですね、もらった金額っていうのは1ドルだったらしいですね。
なんかいいことをやると1ドルしかもらえなかったらしいです。
それじゃあ、観光費いっぱい買ったら終わりじゃないですかって思っちゃいますけど。
でも、気持ちが大事ということなんですかね。
そうですね、なんかまぁちょっとけちいなって思いましたけど。
でですね、先に挙げた通りですね、論文発表に対してですね、大丈夫を働いたマリスだったんですけれどもですね、
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この後ですね、社内で自分の費用をですね、一切認めずにですね、
それどころからですね、会社は俺の手柄を奪ったなっていうところで、
いろいろとですね、無茶な要求をし始めます。
それのですね、要求の一つがですね、今後シータス社から発表される論文のPCRに関する論文のですね、
筆頭発表者の名前はですね、全部キャリマリスにしろっていうふうに要求を始めます。
で、そんなことできるわけねえだろうみたいな形でですね、
トム・ホワイトがですね、突っ返すとですね、俺のPCRは盗まれたんだとかっていう形でですね、
いろいろグチグチグチグチ言ってたみたいなんですね。
で、もうこういった形でですね、社内の人間とも仲良くなろうとしないし、
本当にトム・ホワイトは嫌気がさしたみたいでですね、
マリスにですね、最後中勝敗を突きつけます。
そんなに言うのだったら会社を辞めたいんだろう、辞めたいんだったら5ヶ月分の給料をやるよというふうに彼に告げます。
そうするとですね、キャリは売り言葉に買い言葉だったのか、
それは俺が欲しいものだ、ありがとうっていうふうに言ってですね、
5ヶ月分の給料を先にもらうことで会社を去ることにします。
これがですね、1986年のことだったそうですね。
ちなみにこの1986年って年ですね、どんな年かっていうとですね、
チェルノブイリ原子力発電所がですね、爆発したりとか、
あとスペースシャトルのチャレンジャー号が爆発したりとか、
そしてですね、さっき言ってたやつですね、バイオの分野でヒトゲノム計画が開始された年にも。
ヒトゲノム計画は本当にDNAとかって考えると大きなプロジェクトだったので、
日本も大きく参画して貢献したというふうには聞いてますけれども、
やっぱりこう、そういったことがあるような時にキャリは、
もう退職金のようなものをその時も珍しく受け取って会社を去るという選択をしたということですね。
なんかキャリさんぐらいだったらヒトゲノム計画に参画してもよかったのかなって思いますけれども。
いや本当そうですよね。そういったのに参加したりするようなレベルの人間になっていってたかもしれないなと思うんですけれども、
彼自身は本当にもう社内でですね、いざこざを起こすだけ起こして、
で去っていった。金だけ掴んでですね、去っていったっていうような形になりますね。
ただこのヒトゲノム計画も当然PCRの技術がなかったらですね、
なかなか完成はしてなかったでしょうから、キャリのおかげといえば、
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キャリのおかげのものがこの年にスタートしたんだなっていう感じですね。
ちなみになんですけれども、1991年にですね、
シータス社はオフマンロシュっていう会社にですね、PCRのライセンスを売ります。
その時の金額はですね、3億ドルです。
なのでキャリはですね、そのまま会社に残ってればですね、おそらく、
まあこんだけの金額で売れたからっていうので、もっとお金もらえたんじゃないかなと思うんですよね。
キャリはですね、その後ずっとこの件に関してはですね、あの金は俺のものだというような形でですね、
ぐちぐちぐちぐち言ってたみたいです。
さすがに残っててもらえたかどうかって言われると、
なんかちょっと社内の状況的には難しかったかもしれないですけれども、
そう言いたくなる気持ちもわからなくはないですね。
そうですね。ただ本当にこのPCRをものにしたのはですね、
あのPCRチームのおかげかなと思いますので、
キャリはですね、アイディアは提供したけどその後続かなかったので、
まあアイディア出すっていうのはすごい大事だと思うんですけれども、
なんだかなっていうですね、ちょっとなんかやるせない思いはありますね。
まあでも日本でもそうですけれども、やっぱり後から大きく成功すると、
どうしてもそれは自分のものだみたいな話で、権利の取り合いになってしまうということで訴訟が起こることもよくありますけれども、
やっぱりあらかじめ決めておいてやるってことが大切だなというところはそうですね。
キャリさんがでもそれでやっぱちょっとぐらいくれって訴訟を起こさなかったのは、
面倒くさかったからかもしれないですけど、
アメリカという背景考えたら訴訟を起こしてもよかったのかなっていう気がしますね。
そうですね。確かにそう言われればそうですね。
資材出してますし。
うんうん、ですね。確かにそう言われればそうですね。
それこそね、青色発光ダイオードとかもだいぶ争いましたもんね。
はい。
あと、音症タスク先生も争ってましたよね。
そうですね。だいぶやってましたね。
まあ、あの、いずれね、やっぱ企業としては和解する方向で進めたいってなりますので、
ビタ一問っていうわけには、どんな会社もなりませんから、
少しでもって思うな、そういう方法もあったでしょうけれども、
やっぱりこう、面倒くさかったのかな。
まあ、それよりも自分のやりたいことが他にあったのかなっていうのは、
思いますね。
ほんとですね。
で、ですね。
正直ですね、この後のキャリー・マリスの人生っていうのはですね、
非常にグダグダですけれども、
グダグダながらもですね、
21:01
まあ、ほんと、何て言うんですかね。
PCRが彼の思いついたところが輝かしい栄光でですね、
この後はなんか、それをただただ消費していくような人生になっていきますが、
ちょっと輝かしいところをご紹介していきたいと思います。
1992年のですね、12月なんですけれども、
キャリーの元にですね、一通の手紙が届いてたそうで、
宛先は日本の国際科学技術財団からだったんですね。
で、内容はですね、日本国際賞ですね、ジャパンプライズに
キャリーさん、あなたが選ばれましたよという、そういう知らせだったようです。
で、この手紙をですね、キャリーが見たのはですね、
真夜中だったそうでですね、
そこにはですね、日本円での賞金が書かれてたそうなんですけれども、
なんかゼロがいっぱいあるぞというのだけはわかったけれども、
キャリーはですね、日本円とドルのレートを知らなかったので、
一体これはいくらになるんだというのでですね、
一晩悶々と過ごしたそうなんですね。
賞金はですね、5000万円だったそうです。
ちょっと日本国際賞って全然知らなかったんですけれども、
割と世界では権威のある科学賞みたいですね。
いやそうなんですね。私もなんかもしかしたら初めてかなと思って見てましたが、
聞いたことある気もするんですけど、これはでも海外の方が受賞されるものであれば、
私は知らないかもしれないんです。
日本人も結構受賞してます。
そうなんです。
日本も海外の関係なしに出してるみたいですね。
僕が知ってるこういうのってですね、
あとはガイドナー賞ぐらいですかね。
そうですね。結構有名かなと思いますね。
それ取ったらもうノーベル賞候補団みたいなところで。
ありますよね。
その日本国際賞もですね、この後ノーベル賞を取る人っていうのが結構いるみたいで、
全商戦みたいに言われることもあるみたいですね。
それでですね、海外では知られてるかもしれない賞なんですけど、
日本では全然報道されてない気がするんですよね。
これもうちょっと報道した方がいいような気がするんですけれども。
この受賞式ではですね、
日本の元天皇陛下になりますね。
現上皇陛下と上皇陛下ですね。
秋人天皇陛下とですね、美智子皇后陛下とキャリー・マリスは会うことができたそうでですね。
なかなかキャリー・マリスらしいなと思うんですけれども、
美智子皇后陛下のことをですね、スイキーっていうふうに呼びかけたそうですね。
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スイキー、かわい子ちゃんみたいなイメージですよね。
で、美智子皇后陛下ですね、皆さんご存じの通りなかなか、
ウィットに飛んだというか、かわいらしい女性なんじゃないかなとは、
もちろんお会いしたことはないんですけれども、
キャリーに対してもですね、本当に親しみを込めていろいろ話しかけてくれたみたいですね。
キャリーは非常にその時の会話を楽しんだそうです。
皇后陛下の生活はどういった楽しみがありますか。
買い物とか映画観賞とかに行かれることはありますか、なんていうふうな質問をしたみたいなんですけれども、
皇后陛下は正直に答えてくれたみたいでですね、生活のすべてはスケジュール管理されていてですね、
すべてはあらかじめ予定されているものをこなすだけですと。
皇后陛下自身がですね、何かをしたいっていうことはほとんどできないんですよっていうふうにおっしゃったそうですね。
ではですね、自分の時間に本を読むのはどうですかっていう形でですね、
キャリーが彼が面白いと思った本をですね、何個かあげてみたらしいんですけれども、
皇后陛下はですね、それをですね、自分で手に入れて読むことはできないんだっていうふうにおっしゃったそうなんですね。
なので、だったらですね、私が皇后陛下宛てに直接本を郵送しますよっていうふうに伝えたそうなんですけれども、
皇后陛下はですね、郵便物っていうのは私の元に直接届くわけではないからですね、
すべてのものは然るべき手続きを通過しないといけないっていう形で答えられたそうです。
皇后陛下ってですね、本を読むのもですね、お付きの人がまず一回それを読んで、
渡してもいいかどうかっていう判断をしてから手元に届くとかっていうようなそういう仕組みがあるらしくてですね、
なかなか自分で読みたいものも読めないというようなですね、なかなか大変な立場なんだなっていうことを思いました。
またですね、皇后陛下はですね、キャリーが息子を連れてきてたそうなので、キャリーの息子のことについて訪ねてくれたそうなんですね。
息子さんはですね、天皇陛下、皇后陛下、それからキャリーが座っている場所とは広間の反対側の辺りに行けですね。
その間にはですね、警備の人間もたくさんいたそうで、なかなか直接触れられないような感じだったらしいんですね。
キャリーはですね、自分の息子のことを皇后陛下に紹介します。彼は日本語知ってますよと。
クリストファーはですね、中西アメリカ大使が全く日本語を話せないということに驚いてましたよっていうふうに紹介したらしいんですね。
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皇后陛下は日本語話せるんだあなたの息子はっていうので非常に喜んでくれたそうです。
キャリーはですね、皇后陛下に言います。どうでしょうか、私の息子ともお話をしてみませんかっていうふうに言ったそうなんですね。
ただですね、テーブルが離れているので、でもここに連れてこれないわよねみたいな感じで皇后陛下がおっしゃったそうなんですけれども、
あなたは皇后陛下ですよねと。皇后陛下なら何でもお出来になるはずですと。
ちょっと指先で合図して息子をこちらに連れてくるように警備の人間に指示できませんかっていうふうに言ったらしいんですね。
皇后陛下はですね、笑ってですね、実際に指で合図をしてくれたそうなんですけれども、そうしたらですね、警備の人間がですね、すっとんできたみたいなんですね。
おそらくですね、皇后陛下は自分の意思を示すためにですね、こういったことをやったのは初めてだったんじゃないかなっていうふうにはキャリーは話しています。
本でですね、書いてました。
高校生の息子のクリストファーが警備の人間に連れてこられて、好奇心に満ちた目でですね、あたりをキョロキョロ見ながらですね、近づいてきたと。
で、その時にですね、彼はですね、日本語で自己紹介を行ったそうなんですね。
で、その途端にですね、天皇陛下のお顔がパッと明るく輝いてですね、非常にキャリーにとっても息子さんにとってもいい思い出になったというようなことが、本の中で語られています。
【佐藤】皇后陛下ってなかなか、天皇陛下も皇后陛下もなかなか大変な職業って言ったら良くないのかもしれないですけど、なかなか大変な立場だなと思いますね。本当に自由がないんだなっていうのが、このキャリーの話の中からもよく分かりました。
【佐藤】そうですね。私たちが直接お話しすることもほとんどないですし、やっぱりこういったキャリーがですね、経験ができたっていうのはすごく貴重なことだったんだろうなって思いますし。
本当、天皇上の人に対してですね、推揮って呼びかけちゃうキャリーも、なかなかのやつだなっていうふうに思うんですけれども。
【佐藤】確かにそうですね。そこは文化の違いっていうところもあるのかなって思いますし、キャリー自身のパーソナリティーっていうところも相まったのかなっていう気がしますね。
【佐藤】そうですね。というところでですね、ちょっとなかなか知られてなかったですね、日本国際賞ですね、ジャパンプライズについてですね、キャリーを通じてご紹介をさせていただきました。
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というところでですね、今回は終わりにさせていただきまして、次回ですね、ノーベル科学賞を受賞するよという話をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
【佐藤】ありがとうございました。
30:47

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