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043.科学者『キャリー・マリス』:Part.11~わがまま天才と会社の戦術
2025-10-06 32:43

043.科学者『キャリー・マリス』:Part.11~わがまま天才と会社の戦術

前回に引き続き、PCRの発明者キャリー・マリスをご紹介していきます。

他社に先を越されまいと急ぎ特許申請したシータス社は、PCRを学会発表する計画を立てます。しかし、キャリー「PCRは、商売上の秘密にすべき」と反発するんです。
そんなキャリーがとった、わがままな行動とは??そして、PCRの論文は発表されたのか・・・?

感想

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生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
ナレーターの金澤秀明です。
アシスタントの千奈美春です。
前回は、ちょっと凶暴かもしれない会社が出てきたということで、急遽急いで特許申請をするというところまでお話を聞かせていただきました。
はい、その後ですね、ちょっと初期のPCRがどんなんだったとかっていうようなですね、ちょっと話で盛り上がってしまったんですけれども、
ちょうどですね、よその会社でですね、DNAを増やせる技術持ってんだよみたいな話をしたら、
他の会社の研究者がですね、PCRのアイデアらしきものをですね、しゃべってきたので、これはやばいということでですね、特許申請をして、
これをどんどん、もうこういった技術を持っているっていうことをですね、支持者としては世に公表していこうという話になります。
で、ノーマンハイムはですね、アメリカ人類遺伝学会で、これを発表しようという形で会社に提案しまして、
15分間のですね、短い発表だったので、ここに向けてですね、発表するというところでストーリーを作っていきます。
会社はですね、どのような計画を決めたのかと言いますとですね、
まずですね、キャリーが行っていましたPBR322プラスミドでですね、得たデータを使ってPCRの基本的な概念を説明する
基礎編のですね、論文をキャリーがまず出します。
続きまして、βグロブリンの点変異を遺伝子診断できるということをPCRとですね、
あとサザンブロッティングを使って証明をするという応用編の論文を出すという形ですね。
これはですね、人類遺伝学会の発表後にこれを続けざまにやっていくというふうな作戦を立てます。
これはですね、PCRのアイデアを思いついてくれたマリスに対するですね、経緯ですね。
一番手はお前が行けっていうことで、マリスに対してもこういった形で行くからなというふうに言いますが、マリスはこれにですね、また反発します。
本当にあのちょっとマリスが嫌いになってしまうんですけれども、彼はですね、どういうふうに主張したかというとですね、PCRは商売上の秘密としてですね、
もう一切秘密にしておけと。秘密の溶液だけを発売してですね、その中にDNAだけを入れて、温度を上げたり下げたりしたらですね、
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遺伝子診断ができてしまうと。そういうようなものとして発売をしろっていうふうに主張をしたんですね。
ただですね、もうちょっとやばいというところですね、特許を提出してしまってましたので、この特許が通ったらですね、この技術はバレてしまいます。
またですね、全部を秘密にしたとしてもですね、その発売した試薬の中に何が入っているのかっていうのをですね、他のライバル企業が分析してしまえばですね、
逆に秘密がバレてしまってですね、良くないかもしれないということでですね、結局のところマリスは折れてですね、学会での発表を行うということに同意します。
ただ、何か下せないものがあったのか、なかなかですね、自分が担当するはずのですね、基礎編の論文には手をつけなかったというか、いろいろな言い訳をして仕上げなかったみたいなんですね。
ちょっと本当にマリスの何て言うんですかね、いこじなところが出てしまったのかなと思います。
やっぱりこの特許を取ってとかもそうですし、学会で発表してとか論文を発表してとかっていうのは、今だとこういう順番で、このタイミングでこの内容を発表してっていうのも全部決まっていて、自分で選べるものではないというイメージがありますね。
やっぱりそこで少しでも何か歯車が一つでも違うと、自分たちがその特許の部分だったり、商売上で負けてしまうというような印象なので、やっぱりそこでうーんって言ってやっぱりできるっていうのはすごいなって思ってしまいますね。
正直何も考えてないわがままとしか、本当に僕は思わなかったんですけど、このわがままさっていうのは何なんだろうなと思って、本当にこの辺りを調べながらつくづくマリスのことが嫌いになってしまったんですけれども。
やっぱりちょっと自己中に感じちゃいますよね。
いやーこれ相当な自己中ですよね、本当に。
でですね、マリスはですね、この当時何をしてたのかというとですね、トムホワイトの記憶によるとですね、彼はですね、この当時ハマってたですね、ブラクタル図形っていうもののですね、一種のですね、マンデルブロ集合図形っていうのにハマっていたみたいで、これはパソコンでですね、ある数式を書くとですね、
そこから面白いですね、複雑回帰な綺麗な図形がですね、描き出されるらしいんですけれども、その図形をプリントアウトするっていうのに夢中になってたらしいんですね。
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トトとPCRの実験データをまとめて論文にしろよっていう感じなんですけれども。
で、彼がですね、会社に対して言ってた言い訳の中にはですね、とてつもない金を生むかもしれないPCRのアイデアを会社に提供したんだから、俺のことはほっといてくれよと、何も管理せずに自由に遊ばせろっていうようなですね、呆れたことも言ってたらしいです。
まさしくわがままですね。
本当わがままですね。こんなことが許されるのかっていう感じですけれども。
でもなんでこうなっちゃったのかなっていうぐらい、なんかそれまでもそうだったのか、ちょっとなんか年を重ねてそうなったのかっていうのもちょっと気になるところですけど。
そうですね、まあちょっと本当彼の人間性なんだろうなと思うんですけれどもね。
本性が出たというところですかね。
ちょっとこうね、自分のアイデアがものになりそうだっていうところでもう浮かれてですね、俺だったら何を言っても許されるだろうっていうところでもやりたい放題やってたのかなっていう気がしますね。
で、ノーマンアンハイムはですね、学会発表とですね、応用編の論文データを集めるためにですね、ロボットのように正確な実験をこなせるですね、
PCR チームのテクニシャンとして引き抜きましたランディ・サイキですね。
ちなみにこれランディ・サイキはですね、調べてみたらですね、日経の名前かなと思ったらやはり日経人の方だったんですけれども、この方をですね、PCR チームの専任テクニシャンにしてこの仕事に集中させます。
彼はですね、その正確な腕でですね、実験を繰り返してですね、データを積み上げていくということをしてくれたそうです。
何かちょっとこうね、温度を上げてコースを足してということですね、何回も何回も繰り返しやらないといけないようなところなので、何となくこうそういう繰り返しの作業っていうのはですね、日本人が得意とするところなのかなという気はしますね。
そうですね、なんか日本人の方は特にこう手先が器用だとか、やっぱりこう性格性が高いみたいな形で評価いただけていることが海外では多いみたいですね。
前回取り上げましたですね、北里柴桜もですね、ドイツ留学中にですね、非常に精密な実験をして、それでハシオ風菌をですね、発見するということをするわけですけれども、徹底してですね、繰り返し精密な実験をするっていうのは、なんか日本人は結構海外の人に比べてですね、どうも得意みたいですね。
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ちなみにですね、こういうチーム、PCRチームをですね、組み上げたですね、ノーマンアーハイムなんですけれども、8月になってですね、死達者を去ることにします。
そしてですね、南カルフォルニア大学のですね、生物学科長というですね、非常にいい立場でアカデミアに戻っていかれます。
特にですね、キャリーに嫌気がさせたというわけではなかったそうですね。何か実用的なものが開発できないかっていう形で企業に来て、死達者に来てですね、いろいろとやったわけですけれども、それが十分に経験できたというふうに考えたみたいなんですね。
その後もですね、死達者の相談役という形でですね、相談に乗り続けたそうです。
あとですね、彼の業績の一つとしてですけれども、PCRをですね、発展させていきまして、たった一つの細胞からですね、ゲノムDNAをPCRで増やすことができるという、そういう技術を確立します。
まさにですね、今非常に話題となっているですね、バイオ界はこればっかりになってますけれども、シングルセル解析のですね、ゲノム分野ですけれども、パイオニアになられます。
このPCRチームですね、どんどんどんどん、この再起を中心にですね、実験データを積み上げてきまして、9月20日にはですね、応用編の論文がサイエンスに投稿されます。
そしてですね、10月の学会での発表に向けてですね、順調に進んでいきます。ただですね、対してですね、基礎編を書けと言われているですね、キャリーの論文はですね、一向に出来上がる気配がなかったようですね。
でですね、このホワイトはキャリーにですね、11月1日までに基礎編の論文を投稿するようにという形で最後通告をします。PCRが世間に発表されるということになるんですけれども、それがですね、10月末にですね、行われたアメリカ人類遺伝学年次大会ですね。
で、カマガタ石鹸貧血の診断のために、βグロブリン配列の酵素的増幅と制限酵素分解析というような内容のタイトルでですね、ここの発表者としてはですね、ランディ・サイキティがですね、テクニシャの立場でありながらですね、登壇することになりまして発表を行います。
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一応ですね、この発表の強調者としてですね、キャリーも名前を連ねます。
そしてですね、この発表が終わったですね、11月15日投稿してた論文ですね、ランディ・サイキの投稿した応用編の論文がですね、サイエンスという雑誌で受理されて12月20日号に掲載されることになります。
その題名がですね、カマジオ石鹸貧血診断のためのβグロブリン配列の酵素増幅と制限酵素分解析というような形になります。
ちょっとどういったような内容だったのかっていうのをですね、簡単にご紹介をしておきますと、簡単にというか簡単じゃないかな、頑張って理解してもらえれば嬉しいんですけれども、
まずですね、診断したいですね、人間ですね、カマジオ石鹸症を持っているかもしれないという人間とか、もしくはですね、そのお子さんですね、生まれてくる前のですね、妊娠している状態の時の胎児のですね、
腰椎ですね、腰椎にはお子さんのですね、DNAが含まれてますので、そこからDNAを抽出するというような形で、これを胃型としてPCRを行いまして、βグロブリン遺伝子のですね、変異量域を含む部分のDNAを増やしてやるということをまずします。
でですね、制限酵素っていうですね、ある特定の配列を認識すると、カットしてくれる酵素っていうのがあるんですけれども、制限した部分をカットしてくれる酵素なので、制限酵素っていう名前がついてますけれども、これのですね、D-Deli-1っていうですね、種類の酵素を使って、
PCRで増やしたDNAを処理してやるということをします。で、これ何をしてるのかといいますと、D-Deli-1っていうのがですね、ちょうど、D-Deli-1じゃないですね、D-DE-1ですね、D-DE-1という制限酵素なんですけれども、これはですね、消化させるわけですけれども、これ何をしてるのかといいますと、
正常型の遺伝子の場合にはですね、この制限酵素でその配列部分が認識されてですね、カットされてしまいます。で、異常型の場合はカットされないということが起こります。
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普通だとですね、シーケンスっていう手法を使って配列を読むっていうことを考えるんですけれども、この当時はですね、配列を読むのが非常に手間だったんですけれども、たまたまこの配列部分をですね、認識してくれる制限酵素っていうのが存在してたので、これによって見分けることができるよねっていうような形でこれを使います。
で、実際ですね、正常型ホモの場合ですね、人間の遺伝子は一対ですね、一対二つですね、遺伝子がありますので、このパタガワ、正常ホモって言いますけれども、この一対ですね、両方ともが正常な場合はですね、
2つの遺伝子それぞれがDNAで消化されまして、これPCRで増やしてるわけですけれども、増やした遺伝子が両方とも制限酵素で消化されまして、制限酵素で消化されるので1本のDNAが2本に分かれます。
ですので、連携度をしてやるとですね、短いDNAのバンドが2つ出るということになります。で、異常型のホモの場合ですね、父親側から受け継いだ遺伝子も母親から受け継いだ遺伝子もですね、カマジョウ石鹸球の異常型の場合ですね、これの場合はですね、
DD1でですね、認識されませんので、切れないと、DNAが切れないということになります。なので、いついついですね、2つともが切れませんので、消化されずに長いDNA、PCR断片の長さのままのものがバンドとして現れます。
で、一番見分けたいところはこのヘテロですね、いついは異常で、いついは正常型っていう場合ですね、この場合、病気を持っている人なのかどうなのかっていうのが、なかなかわかりづらいのでですね、ここを遺伝子診断したわけですけれども、そのそういった方の場合はですね、いついは消化される。で、もう片方は消化されないということになりますので、
いついは長いままですね、これは異常型の場合は認識されないので、いついは長いDNAが出まして、あともう片方は消化されるので、こちらはですね、2本に分かれますので、あとは2本の短いDNAがバンドとして出てくる。トータル3つバンドが出てくるっていうような形になります。
こういった形でですね、制限構想処理をした後、電気エイドをして、それでサザンブロッティングをして、出てきているバンドをXMフィルムに焼き付けて確認をするということをしました。
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で、こういったことをすると、遺伝子診断ですね、カマジョセッケッキューの正常型の方に対してですね、病気を持っている方なのか、持ってない方なのか、持っている場合にはホモなのか、ペテロなのかっていうのを見分けることができるようになりました。
これはですね、非常にインパクトのあるですね、論文となりまして、DNAが増やせる、そしてその増やしたDNAによってですね、診断ができるというですね、一つの応用例として紹介されまして、こんなことができるんだなっていうのが、世のですね、生物活動を行っている研究者たちに衝撃を与えることになります。
その研究技術が開発されて、それがすぐに社会に還元されるってなかなかないので、やっぱりこうそういうのを聞くと、自分がやっているこの技術も社会に還元されるものなのかな、みたいなところですごいやっぱり衝撃だったのかなというのは思いますね。
そうですね。本当に普通はこういったことができるよっていうのが実験技術としてですね、出てくるだけなのかなと思うんですけど、これが本当に診断までできちゃった、遺伝子診断までできちゃったっていうところがすごかった感じですね。
あんまりPCRってですね、還元になると思われてなかったみたいですね。こういうような診断技術として使えるのであればいけるけど、うまいこと制限構想なかったらダメだよねとかですね、だから他の病気だったらなかなか難しいんじゃないとか、そんなのもあったみたいです。
もう普通にただの実験手法としてPCRをですね、一般的に使われるっていうのは、この時にはですね、あんまり想像されてなかったみたいですね。キャリーはですね、この応用編の方がどんどん先に進んでいるわけですけれども、分担として受け持ったですね、基礎編の方ですね、これをですね、12月になってようやく仕上げてですね、サイエンスに投稿します。
ですがですね、ランディ・サイキがですね、もう応用編の論文を投稿してますので、これに対してどう違うのかっていうのを説明したですね、手紙を同封しろよっていうふうに言われてたのに、それをですね、面倒くさがってですね、やらなかったみたいなんですね。
で、サイエンス側はですね、当然ながらですね、この論文はオリジナルではないっていうふうに判断しまして、却下されてしまいます。
で、トム・ホワイトとかですね、PCRに関与したシータスの全員はですね、呆然となってしまったそうなんですね。
まさか、そんなところを手抜くとはっていうふうに思ったみたいですね。で、トムはですね、慌ててですね、キャリーと一緒に事情説明をした手紙を書いて、サイエンスに再度基礎編のですね、論文を投稿しますが、再度ですね、受領を拒否されてしまいます。
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でですね、ここがまたマリスのすごいところなんですけれども、マリスはですね、こんなことになったのは会社のせいだっていうふうに逆恨みするらしいんですね。
自分の手柄はですね、ランディ・サイキラに盗まれてしまったっていう形で怒り出したらしいです。
そしてですね、まさかそんなことになるのかということで、焦ったですね、シータス社の研究部門の部門長の幹部たちはですね、キャリーの論文をですね、とにかくすぐにでも掲載してくれそうな雑誌を探し回ることになります。
2回も却下された論文だったんですけれども、Methods in Enzymologyというですね、そういう雑誌が掲載を引き受けてくれるということになります。
やっぱりこのエディターさん次第みたいなところとかになる部分もあるのかなと思いますし、やっぱり出版社の方は皆さん人間なので、その相性っていうのもあるのかなと思いますね。
そうですね、出版社の人間の相性もあると思うんですけども、まあそもそもお前の方が先論文出せって言われてたのに、ヌロヌロヌロヌロ全然ですね、フラクタル図形をですね、パソコンで書かせてみたりとかして遊んでたキャリーが最も悪いのかなっていう気がするんですけれども。
そうですね、ちょっと自業自得かなっていうところもありますね。ただやっぱり捨てる神あれば拾う神ありというところで、これはあれですかね、Methods in Enzymologyですかね。
構想学の方法ですかね、日本語訳が。構想に関する論文だったからこそ、結構そういうニッチな論文雑誌というか、あまり掲載がたくさん集まらないようなものだと、ぜひ掲載してくださいみたいな感じでね、お願いしたりもするわけなんですけど、出版社側が先生の方に。
そういったタイミングとかもあってのことだったかもしれないですね。
そうですね、これもですね、かなりお願いにしてですね、ようやく載せてくれるという話になったみたいなんですけれども、逆に。
でもそのタイミングというか、それでも引き受けてくれるっていう人がいたってことはやはり良かったって言わざるを得ないですね、この状況は。
本当にキャリーの尻拭いを会社が一生懸命してくれたっていう感じなんですけれども。
この雑誌にですね、1986年の早い時期に出版されるっていうような話だったんですけれども、なんだかんだですね、遅れに遅れてですね、この論文が出版されたのはですね、1987年だったみたいなんですね。
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もうこの頃にはですね、PCR自体はもう広く知られた技術となっておりました。
で、キャリー・マリスがですね、世間からPCRを発明した人とですね、認知される最初のきっかけを作ってくれたのはですね、
シータス社の分子生物学部門のですね、ディレクターのフランク・マコーミックという方らしいんですけれども、
彼はですね、当時フォールド・スプリング・ハーバー研究所のですね、ジェームス・ワトソンですね、ワトソン・クリックのワトソンですね、
DNAの二重螺旋構造を解明した研究者のうちの一人になりますけれども、
ワトソンとクリックっていうですね、2人の研究者がそれを見つけたわけで、
いつかそれもですね、このシリーズの中でやりたいなと思っている研究者の一人ですけれども、
このジェームス・ワトソンが運営してたですね、研究所に連絡を取ってくれてですね、
1986年5月にこの研究所で行われるですね、ホモ・サピエンスの分子生物学というテーマのですね、
シンポジウムでキャリーにPCRの発表をさせるべきだと、こういうふうに強く要請をしてくれます。
この時期だともうあれですよね、ヒトゲノム計画とかの話も始まってたのかな、まだ先ですよね。
そうですね、その話も後から言おうと思ってたんですけれども、確かですね、もうこの時にはですね、
ヒトゲノム計画は始動してますね。
なんかホモ・サピエンスの分子生物学とかも、その時はキラキラというか、これからの時代だ、みたいな例明記で
だったのかなと思うんですけど、かなり大きな題材ですよね。
そうですね、もうすごい大きな題材ですよね。もうなんか分野がめちゃめちゃ広いなっていう感じがします。
そうですね、本当に広い話ですけど、でもそれの中心がPCRだろうというところで、おそらく呼ばれたのかなと思うんですけれども、
実際にもう今となってはそうなので、やっぱそこは先見の意味というか、やっぱワトソンさんのすごさかなって思ってしまいますね。
そうですね、本当にワトソンさんも白紙ですね、よくこれを見出してくれたなっていうようなところなんですけれども、
逆になんかホモ・サピエンスの分子生物学でPCRっていうのがなんか逆に全然ピンとこないというか、そうなんかなという気もしなくはないんですけど、
いろんな分野で使える実験手法となるよっていうところを見出してくれたのかなと思いますね。
この発表のおかげでキャリー・マリスは科学の大舞台で初めてPCRのキャリー・マリスとして認知されるようになります。
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キャリーはここで発表できたっていうのをこの後ずっと誇りにしていきます。
ただですね、ここまでの話で何回も話した通りですね、この時点ではPCRはクレノを、熱に弱いDNAポリメイラー酸を使ってPCRを行うという形だったので、
もう1サイクルごとにですね、このクレノを足してやらないといけないっていう形でですね、非常に大変な実験でした。
このPCRがですね、世に知られるようになってからもですね、PCRの論文というのはたった一本しか出てなかったみたいなんですね。
というのが、やはり温度を上げたり下げたりする度にですね、酵素を足してやるっていうところで、
あとクレノの性能もですね、そんなにDNAポリメイラー酸として高くなかったんでですね、なかなか成功しなかったんだと思うんですけれども、
結局のところ一歩しか出なくてですね、なかなか一般化はされなかったみたいですね。
確かにすごい人力で職人技みたいなイメージがあるというか、先生方から最初の方はそんな感じでとても大変だったらしいということで、
日本に入ってきた時にはもうすでにその改良された形で入ってきてたようなので、
自分の手でやるとかっていうところはあまり日本で経験されている先生はいらっしゃらないんですけど、
実際最先端でやられた先生とか、またアメリカに留学に行かれてた先生はそういったことを経験したということでお話を聞いたことありますね。
そうなんですね。面白い。僕もサーマルサイクラーを売ってた側の人間だし、
学生とか最初にユクニシャンで入って研究所ではPCRのサーマルサイクラーを使って実験してたんでですね、
そんな人力でコースを足すっていうのを何回も繰り返すなんてことはやらなかったんですけれども、
そんなのをやってた経験者の方とお知り合いっていうのはすごいですね。
そうですね。本当に湯浴、水浴につけてましたっていう話は聞きましたね。
95度のお湯につけて、また30何度の水につけて、お湯かな、ぬるま湯につけてっていうのを手作業でやってましたっていう話は聞きました。
面白いですね。なかなかそんなことをやられてる先生と、もう結構お年ですよね、そうなってくると。
そうですね。でも定年間近ではあるんですけど、ぐらいのお年ですけど。
僕が50歳で、僕よりも本当5年とか10年上ぐらいの年の方だとやってたかもしれないですね、確かに。
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そうですね。機械がやっと手に入った、留学帰りの先生が壊れた機械を持ってきてくれたから、
それをパーツを直すために買いに行ったりとか、機械をばらしてみて中身を調べてとかやってたっていう話も聞かせていただいたことがあります。
なるほどですね。
なかなか今だと新規販売ってなると世界的にグローバルに販売するのがかなり一般的にはなってますけど、
当時はやっぱりドメスティックなというか、国内で販売して、次に販路拡大みたいなところだと思いますので、なかなかタイムラグというか、あったとは思うんですが。
そうですね。本当、さっき言ってた最初のPCRですね、パーキン・エルマーの機関になりますけど、
これ日本の宝種蔵というところがですね、今そこの培養部門が独立して宝培養という会社になってるんですけれども、宝種蔵という会社がこれのライセンスを受けてですね、
パーキン・エルマーから日本の総代理店としてそれを輸入して販売するということをしてたらしいんですけれども、
その時にですね、僕の営業マンの先輩から聞いた話は1台300万円したらしいんですね。
当時の価格でですもんね。
当時の価格でですね、PCR、ただ温度をサンバルサイクラーですね、温度を上げて下げてするだけの機械なんですけれども、300万円したらしいので、なかなか大変な機械だったんだなぁって言うんですね。
という形でですね、何せをこの自動化を今後していけないとですね、いつまでたっても人間の手を使ってやっていかないといけないということになりますので、この自動化をですね、どういうふうに自動化への道が行けたのかというところをですね、次回お話をしていきたいと思います。
それでは今回はですね、ここまでとさせていただきまして、次回自動化への道をお話しします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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