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生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
MCの金澤秀明です。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回、陸軍海軍のところから、なかなかこう、受け入れられずに対立した問題とかね、話をしてたと思うんですけども、
いよいよ北里さんがドイツに渡って、神業的なものを披露していくっていう段階になるんですかね。
そうですね。神業的なですね、本当彼の実験技術にですね、ドイツ人たちも驚愕したんですけれども、
それがどんな実験だったのかっていうのをですね、ちょっと最初ご紹介をしていきたいと思います。
はい、お願いします。
はい、えーとですね、まず北里が国保研究所に入ってですね、で、コレラ菌の乾燥とかですね、乾燥ですね、ドライの乾燥ですね、
に対して、どの程度耐性があるのかとか、そういったような、コレラ菌がどういう環境中が好きなのか、
もしくは逆にどういう環境だと死滅できるのかっていうところを、たぶん探らせるための研究だったんじゃないかなと思うんですけれども、
そのテーマについてですね、研究してたときの実験のですね、紹介の文章をちょっと見つけたんですね。
というかまあ、おそらくその実験だったんじゃないかという紹介の文章を見つけたので、ちょっとそれを紹介したいなと思うんですけど、
これがもう本当すごすぎるんですね。前も紹介したと思うんですけれども、
田岳はですね、まずあの実験をする際に首都にですね、実験器具を用意して、それを徹底的に洗浄したという話をさせていただいた。
もう菌が混ざらないようにっていうところですね。これは非常に重要なところになります。
で、それでですね、テストをするために菌家具をですね、15種類まず用意したそうなんですね。
たぶんこれN数を増やすっていうことだと思うんですけれども、
で、まあ普通3種類とか4種類でいいんじゃないかなと思うんですけど、15種類。
これちょっと個々の指示だったのか、北里芯がそうしたのかちょっとわかんないですけれどもね。
まず15種類の菌家具を用意したというところですね。
で、この15種類をですね、ここら辺もちょっとわからなかったんですけど、当時の実験手法だと思うんですけども、
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絹糸とですね、ガラスに塗ったみたいなんですね。
ちょっとこれが想像つかないんですけど、何のためなのかですね。
服と壁とかについたときの。
そうですね、だから、そっか、絹糸って糸じゃなくてあれですね、絹の布ですね、きっと。
なんか丸い布を円形にギュッと張ったやつなのかな。
で、それでシャーレの上にスタンプしていくようなことをしたんじゃないかな。
なるほど。
おそらくですけどね。で、絹とガラスに塗り分けるっていうことをしたので、15種類がまずこれ2倍に増えて30種類になります。
で、それをですね、肉汁の売地と寒天の売地にそれぞれまた植えると。
またこれが2種で増えるので60種類になります。
どの栄養がいいかとかっていうのも、ちょっといまいちわかってなかったのかな、どうなのかなと思うんですけれども、
これらがですね、肉汁と寒天とでは、肉汁売地っていうのでおそらくゼラチンだと思うんですよね。
ゼラチンの売地と寒天の売地っていう形で、栄養が違うですね、ゼリーのようなところに対して2種類で分けたっていうことで、
これでまたさらに2種類かける2になるので、15が30、それが60種類出てくるということですね。
すごい量ですけどね。
すごい数ですね、これだけで。
これをですね、普通のシャーで湿温で乾かすほうと、あと硫酸乾燥機ですね。
すりかげるみたいな乾燥剤が入ったところの環境だと思うんですけれども、乾かす。
あと、湿気のあるガーゼで覆うっていう3種類の置き方をするという形で、これが60種類が今度かける3になるので、180種類、180枚のシャーレが置かれるということになります。
これをですね、タイムコースをとっていきます。1時間、2時間、3時間、4時間後にサンプリングを行っていきます。
そしてさらにですね、15時間後、24時間後、35時間後にサンプリングを行います。
これですね、180種類をですね、1時間でサンプリングを行わせるというふうに考えるとですね、1分間に3つサンプリングをしないといけないみたいなんですね。
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すごいな、確かに。
で、これをですね、この時間、タイムコースでやっていくとするとですね、10時間目ぐらいまでは休めないみたいです。
1分間に3つのシャーレをサンプリングをこなしていって、それで10時間目までずっとそれを手を動かし続けると。
すごいな、身の回るような。
身の回るような形ですし、この時にもちろん、他の空気中の菌がですね、混ざり込んでしまったり、実験がずれてしまうので、菌的にですね、その辺りもやっていくんだと思うんですけど。
時間だとは正直ですね、正確な動作の力もあったんだと思うんですけど、とにかく体力があったんだと思うんですよね。
そうでしょうね。10時間って、同じ集中力でやっていくわけですもんね。
そうですね。
俺どうも一人でやってたみたいなんですよね。だからこの間飯も食わずにトイレにも行ってないんじゃないかなと思うんですけど。
もうちょっと時間ずらしてやってたのかもしれないですけど、まあ普通に計算するとこういうような計算になるそうなんですね。
その実験を見てたドイツ人の研究者たちはですね、ヨーロッパの中でドイツってすごい真面目で手先が器用でと言われるし、ドイツ人自身もそういうふうに自分たちのことを評価してますけれども、
そのドイツ人がですね、こんな実験我々はできないというふうな形で、ひたずらと尊敬したみたいなんですね。
そうですね。それもじゃないですけど。
これをしようと思う、計画段階でも無謀さがにじみ出てますけど。
いや本当無謀ですよね。これできると思ったのかっていう感じですかね。
そうですよね。180種類あるから。
それこそね、タイムロスしたらちょっとずつ増えていきますもんね。
ちょっとずつ増えていきますね。そうするとどうしたんでしょうね。やり直したのか。やり直しはさすがにすごいですよね。
ということで、頑張ってたそうで。こういった実験姿勢がですね、個々にも伝わって、彼の信頼を勝ち取ることになっていったのかなというふうに思います。
確かに。
こんな実験をこなしながらですね、時間はどんどん過ぎていきまして、1888年になります。
北里の3年間の留学期間が終わろうとしてたんですね。
彼はですね、まだ全然研究が道半ばだと。
そういった国庫から与えられたテーマに対して結論もまだ出せてないというところでですね。
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この他にもいろんな実験をやってるんですけれども、いろんなテーマを話してるんですけれども、いろいろと結論が出てないというところでですね。
留学の期間をですね、延長できないかというところでですね、国に手紙を書きます。
国庫自身もですね、非常に優秀な弟子だというところで、彼がいなくなると困るというところで、彼もですね、日本政府に対して手紙を書いてくれたみたいなんですね。
心強い。
はい、心強いですね。世界的な研究者の国庫がですね、北里をとにかく留めおいてくれというふうに書いてくれたそうです。
で、しばらく待つとですね、内務省ですね、上司の永谷先生から手紙が届いてですね、さらに2年間留学を延期していいよということで許可が出まして、
1891年、明治24年の1月までですね、国庫研究所のもとで研究できることになります。
よかった、認められて。
よかったですね。ただね、トラちゃん、若いお嫁さんのトラちゃん、3年放置されてさらに2年放置されるってちょっとかわいそうだなと。
なかなかですよね。
なかなかですね。
確かに。
どうですか?
いや、無理だな。
旦那さん結婚いきなり5年間いないみたいな。
結婚後でしょ、しかも。
結婚後すぐですよ。
結婚してなかったのかなって、ちょっと疑い持ちそうですね。
そうですね、疑いそうですよね。
ただ、愛用な奥様で。
はい、いやほんとね、当時そういうことが多かったこともあると思うんですけども、よく待ってくれたなとは思いますよね。
そうですね。
16歳で結婚してるんでね、ほんと。
確かに。
えーとですね。
手紙、はいどうぞ。
いや手紙とかやり取りはしてたのかなと思いながら。
そうですね、手紙はやり取りはしてたでしょうね。
なんか近況を知らせたりとかしてたと思うんですけれども。
なんかあんまりちょっと、その辺のやり取りがどう行われてたとかっていうようなちょっと、僕も疑問に思ってちょっと調べてみたんですけど、あんまり発見することができなかったので。
なかったですね。
わかりました。
愛してるよとか書いてくれてたと信じます。
えーとですね。
止まっちゃったかな。
ちょっと止まりましたね。
はい。
多分手紙でですね、愛してるよとか書いてたんじゃないかなというふうに信じますけれども。
はい、信じましょうか。
で、いよいよですかね、次。
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そうですね、新たなテーマですね。
えーと、個々の研究所で、研究室ではですね、週末の午後にですね、セミナー形式で、論文の消毒会とかっていうのがですね、これ、わりとどこの研究室でも今でもやってるようなことですけれども、そういうのが行われてたそうなんですね。
で、ここではですね、個々の一流の研究所ですので。
スター研究者、将来のスター研究者が揃ってたんですね。
例えばですね、炭素菌とか血核菌、ホレラ菌をですね、相次いで発見した個々ですので、そこをしたってですね、ジフテリア菌ですね、ジフテリア菌を発見したフリード・リヒ・レフラーですね。
で、最初に北里が手紙を渡して、ここに取り継いでくれとオルトに言ったレフラーです。
それとかですね、超致腐菌の純水培養に成功したですね、デオルグ・ガフキーですね。
そして後にですね、北里と一緒にですね、血清療法をですね、研究論文で発表して、初代のですね、第1回のノーベル生理学医学賞を受賞するエミール・ベーリングですね。
彼はベーリングっていう製薬会社って聞いたことありますかね、ドイツの製薬会社ですけれども。
ベーリンガーじゃないですか。
ベーリンガーかな。
たぶんですね、この製薬会社の最初を作った人になりますね。
やっぱり、名前が似てる。
そうそうたらレンバーがもう同じ研究所にいたってことですね。
あとさらにですね、ノーベル生理学医学賞をまた別で受賞するですね、科学療法を最初に作ったですね、パウル・エール・リヒっていうですね、そういうスター研究者がいて、
その消毒会ではですね、研究学の議論を伺わせてたそうなんですね。
で、その当時ですね、ちょっと一つ医学会でどうしてもできないことがありました。
最近学会でですね、できないことがありました。
それはですね、破傷風菌ですね。
破傷風菌、裸足でですね、地面歩いてて足怪我すると破傷風になるよとかっていうのがあったんですけれども、
これの菌がですね、おそらく土の中にいるというのはわかってましたけれども、これはどう頑張っても純粋培養ができなかったんですね。
で、ゲッティンゲンのですね、フリッケ博士っていうですね、
この人も最近学者として当時大変に有名な先生だったみたいですけれども、
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その先生がですね、純粋培養は、破傷風菌はですね、どうしても純粋培養できないっていうですね、そういう説を唱えてたそうなんですね。
で、すべてのですね、このスター研究者たちはですね、この説を支持したみたいなんですけれども、
ひたざとだけはちょっと納得できなかったみたいでですね、反論します。
他の菌は純粋培養できるのに、破傷風菌だけができないということは絶対にないというふうに言ったんですね。
で、そしたらですね、さすがの国保先生がですね、さすがだなと思うんですけども、
じゃあ君がやってみるかいっていうふうにですね、新たな北里のテーマとしてそれを言ったそうなんですね。
チャンスが来た。
チャンスですね。で、北里はですね、個々に研究テーマが承認されたと思ってですね、非常に胸が熱くなったそうなんですね。
で、この期待に応えようとですね、もう次の日から、今までにも増してですね、研究に打ち込むことになります。
ちょっと当時の時代背景を言っておくとですね、1870年からですね、71年にかけてプロイセン王国ですね、
ドイツの前身となる国ですけれども、そこでですね、プロイセン王国を率いるのはですね、鉄の最小と言われたビスマルクですね、
ですけれども、それとですね、フランス帝国ですね、当時はですね、皇帝ナポレオン三世ですね、有名なナポレオン一世のですね、
老いんになりますけれども、その間でですね、行われた不服戦争というのがありまして、両国での死者がですね、25万人にも上ったんですね。
戦死者の内訳なんですけれども、大砲とか弾で当たって亡くなった以外にですね、残豪戦で、当時大砲とか、残豪戦が繰り広げられるようになったわけなんですけれども、
その残豪戦でですね、傷口から侵入した破晶風菌で死亡したというケースがですね、8万人にも上ったんですね。
8万人。
両国の死者が25万人に対して8万人なので。
本当ですね。3分の1がそれで死んじゃったってことですね。
そうなんですよね、はい。
なので破晶風菌、破晶風はですね、研究テーマとして非常に世界から求められてたというような、そういう状況でもあります。
破晶風の症状なんですけれども、最初にですね、むずむずした不快感とかですね、頭痛が起こりまして、口の周りがこわばり、言葉がもつれてしまってですね、水を飲むのが困難になる。
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で、口角が横に広がってですね、口を閉じることができなくなるっていう形で、
破晶風眼相っていうようなですね、
名前で呼ばれる引きつった、笑ったような表情になってしまうみたいなんですね。
これは神経が侵されて筋肉が硬直することで、そのような症状になるみたいなんですけれども。
で、その後ですね、呼吸筋の硬直で呼吸困難になったりとか、
あと、全身の痙攣発作が繰り返し発生して死亡するというような形で、神経がやられてそういうことが起こっていくのかなというところですね。
で、破晶風にかかってしまうとですね、死亡率は80%という形でですね、非常に大変な不治の病だったわけですね。
破晶風の原因菌が発見されたのは1884年ですね。
ドイツのゲッティンゲン大学を卒業して間もないユダヤ人内科医のアルトゥール・ニコライヤさんですね。
この方がですね、土壌を溶かした溶液を注射してですね、人工的に破晶風にかからせて、ネズミの可能した傷口からですね、
太鼓の鉢のような形の細菌を発見するんですね。
ちょっとこれどんな形かっていうとこんな形です。本当になんか棒状でですね、丸っとついてまして。
太鼓の鉢っていうより、松棒みたいな感じですね。
こんな、すいません、ちょっと音声で聞いてる人はぜひ調べてみてください。松棒みたいな感じの細菌になりますけれども。
あれはですね、これをですね、その後純粋培養しようとするんですけれども、どうしてもできなかったんですね。
その後ですね、様々な細菌学者がですね、これをですね、純粋培養しようとしますが失敗します。
で、先ほど紹介したですね、ゲッティン大学のカール・フリッケ教授もですね、挑戦していたんですけれども、
どうしてもですね、いつも他の多くの菌と一緒に培養されてしまうということで、破晶風菌だけを増やすということはできなかった。
ということで、彼はですね、考えます。
破晶風菌っていうのはですね、多分菌と共生することによってのみ生息することができる特殊な菌なんじゃないかと。
これ、なんかありそうな感じしますね。
破晶風菌共生培養説っていうのを発表いたしました。
しかし、これに北里は噛みついたわけですね。
それに対してですね、同僚の研究者たちはですね、大科のカール・フリッケ教授の説に異を唱えるとは大した度胸だなというふうにですね、争ったみたいですね。
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なるほど、すごい北里さんらしいというか。
そうですね。
彼の研究の強さがここでも出たって感じですね。
出てますね。
で、北里がですね、実験のためにですね、まずベルリンのですね、陸軍病院に行きまして、そこで入院していた破晶風患者さんからですね、
ウミをもらって、それを顕微鏡で観察します。
で、顕微鏡で観察してですね、さっきの太鼓のバチというか、マッチ棒みたいな形の菌を確認してからですね、
その菌をまずネズミに植え付けてですね、破晶風になることを確認いたします。
そしてですね、そのネズミから破晶風菌を取り出してですね、
それをシャーレンの場位置に植えて蓋を閉じて、20度から25度で培養いたしました。
しかしですね、やっぱりですね、他の研究者の実験と同じようにですね、シャーレンの中はですね、雑多な菌であふれかえってしまったんですね。
で、何度繰り返してもですね、1ヶ月過ぎても純粋培養は成功しませんでした。
なるほど。
まあ、破晶風菌の強制培養説というのはですね、どうも正しいような感じに思われてしまったわけですね。
そうですね。
で、何回試してもダメなんでですね、来た後はかなり落ち込んでたみたいなんですけれども、
それをですね、励まそうと思ってですね、同僚のエルタがですね、ホームパーティーに誘ってくれたみたいなんですね。
なんか、ちょっと俺の彼女がなんかちょっと飯作ってくれるから、お前も食いに来んでいいみたいな形でですね。
いいね。
で、まあ落ち込んでる、来た後励まそうと思ってくれたみたいです。
で、そのガールフレンドがですね、アイアーシュティッヒっていうですね、食べ物を作ってくれたみたいなんですけど、
ちょっとこれ、なんか画像みたいなと思って調べたんですけど出てこなかったんですけれども、
ドイツの家庭料理でですね、茶碗蒸しに似た卵と生クリームの蒸し物らしくてですね。
で、彼女はこれをですね、蒸し器の中に入れて、それでですね、蒸した後にきちんと中まで火が通ってるかっていうのをですね、
串を刺して確かめてたみたいなんですね。
で、その姿を見てですね、来た時はひらめいたみたいなんです。
やっぱりこうね、外に出るもんだなと思うんですけれども、煮詰まった時には。
彼はですね、子供の頃に釘を踏んでですね、軽い破晶風にかかったことがあったんですね。
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で、その時によく観察してたんだと思うんですけれども、
軽い破晶風だったんで、傷はすぐに治ったみたいなんです、幸いなことにですね。
で、ただ炎症が起こってまして、炎症はですね、傷の表面ではなくて皮膚の奥で進行してたことを思い出したんですね。
おー、すごいね。
で、もしかしたら破晶風菌はですね、皮膚の奥のような空気の少ない環境を好むのではないかというふうな仮説を立てます。
おー、すごいね。料理を見てそんなことを考えついたんだね。
料理を見て考えついて、かつ子供の頃に釘を踏んだ時に、そんだけしっかりどういう風に傷が治っていくのかっていうのを記憶してた。
よく見てたんだなーっていうのもすごいですよね。
その経験とこの様子を指すという行為からですね、それを思いつきます。
でですね、この当時ですね、既にルイ・パススールがですね、ワインとかビールの発酵の研究をしていまして、
酸素がない環境で酵母は生存しているということでですね、検気成菌っていうものがいるよということを発表してました。
この時にそれの存在が発表になるんだ。
この前にもう既に発表されてたんですね。なので北里は検気成菌の知識はあったわけですね。
なので発酵風菌もおそらく検気成菌だろうというふうに考えてですね、針の先に発酵風菌をつけてですね、流れのゼラチンに差し込むということをしてみました。
そしたらですね、しばらく培養したら顕微鏡で観察すると、バイチ表面に発酵風菌はですね、存在しなくて、
差し込んだ奥でのみ増殖するということが見られたんですね。
で、これはということでですね、純粋バイオに酸素が邪魔なんだろうというふうに推測いたします。
で、シャーレの中でですね、人工的に酸素の少ない状態を作り出そうというふうに考えます。
北里はですね、シャーレの中の機体の酸素が含まれない状態を作り出すにはどうすればよいだろうかというふうに考えてですね、酸素以外の機体をシャーレの中に満たせばいいでしょうというふうに考えます。
でですね、オランダの科学者、ペトルス・キャップっていうですね、方がですね、キャップの装置っていうものをすでに考案しておりまして、実験室の中で機体を発生させるのに、それはよく使われてたみたいなんですね。
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で、北里はこの装置を使ってですね、水素を発生させて、それをシャーレに満たして酸素を押し出そうというふうに考えます。
で、これキャップの装置は説明するとちょっと大変なことになるんですけど、音声ではちょっと説明できないんでですね、これはぜひちょっとYouTubeか何かネットで調べてみていただければと思いますけれども、熱をかけたりせずにですね、水素を発生させることができる装置ということになります。
でですね、じゃあここまでにしておこうかな。
わかりました。
今回はここまでにして、このキャップの装置とかですね、他に様々な工夫を凝らしてですね、酸素を押し出した培養装置というのを開発します。
それはちょっと次回に説明させていただきたいと思います。
今回は北沢さんがドイツでの実験のすごさとか。
そうですね。
あとどういった破晶風の切り抜け方というところで、いよいよ次回破晶風機について解明していくというところですね。
そうですね。その培養方法についてご説明をしていきたいと思います。
ありがとうございます。ぜひまた次回もお聞きください。ありがとうございました。
ありがとうございました。