前回に引き続き、日本の細菌学の父・北里柴三郎をご紹介していきます。
今回のエピソードでは、国の威信をかけて決死の覚悟で香港で発生したパンデミックの調査に向かった北里柴三郎と帝国大学教授の青山胤通や医師団。危険なこの調査では医師団からも罹患者が出てしまいます。香港で北里柴三郎が顕微鏡で捉えた未知の細菌とは?
シーズン2
「ノーベル賞に最も近づいた最初の日本人、北里柴三郎」
の参考図書は
ドンネルの男・北里柴三郎
山崎光夫
東洋経済新報者
北里柴三郎 感染症と戦い続けた男
上山明博
青土社
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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者へ
MCの金澤秀明です。
アシスタントの山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回は、香港へ出発っていうところで
そうですね。
パンデミックを起こしたところに派遣されていくわけなんですけども
いよいよそれに対しての研究を進めていくっていうところですね。
はい、そうですね。
派閥争いをしている
帝国大学の青山教授とですね
北里がワンチームとしてですね
頑張っていくというところになりますけれども
北里はですね
どういう道具を用意したのかっていうところでですね
テストの原因菌をですね、発見するためにですね
ドイツで留学してたときに
愛用してたですね
カルツアイス製の顕微鏡をですね
これドイツの留学先から日本に持ってきてたみたいですね
で、それをまた持って行ったみたいです。
そして試験館とかシャーレ
それとですね、売地などですね
菌の培養に必要なものを準備していったそうですね。
そっか、現地にあるとは限らないですもんね。
限らないですね。
で、多分買い集めることもできないと思いますので。
はい。
で、香港についてですね
2日目の6月14日なんですけれども
いきなりですね
解剖する機会を得たそうです。
まずですね
これは
おそらく遺族にですね
バレないようにっていう配慮だと思うんですけども
遺体が入った看護犬をですね
まず
解剖室に持ち込みまして
解剖室も解剖室ってわからないようにしてたと思うんですけども
で、そこのですね
看護犬のフタを解剖台代わりにしてですね
青山先生が疾走を行います。
で、リンパ節、肺、脾臓、肝臓などをサンプリングいたします。
で、北里はですね
これを詳しく観察して
顕微鏡を観察したんですけども
いきなりですね
サンプルから老いたらしい数の細菌を確認することができました。
全長がわずか2ミクロ
2マイクロメーターですね
の微生物ですね
これがテスト菌である可能性が高いなというふうに思います。
ただですね
この遺体はですね
死亡してから11時間経ってたんですね。
なので
死んでしまってからそれだけ経ってると
他の雑菌も増えてしまってる可能性が否定できないなということで
03:03
北里は慎重に判断をいたしまして
まずこの菌をですね
培地で培養いたします。
それとですね
並行してですね
個々の3原則は培地で培養して
純粋培養できたやつを動物に打って
それが同じ病気になるかっていうところなんですけれども
ちょっとそれを突っ飛ばすためにですね
肝臓の一部をですね
マウスにいきなり摂取して観察もします。
そしてですね
3日目ですね
今度はですね
40.5度の高熱を出している患者さんですね
まだ生存されている患者さんを診察する機会に恵まれます。
北里はですね
この患者さんの指先からですね
採血をして
この血液をですね
顕微鏡で観察したところ
昨日を見たものとですね
形や構造が同じ細菌を発見します。
これ間違いなくペスの原因菌
ペスト菌だなというふうに確信を持ちます。
その後の日々もですね
次々とですね
解剖する機会に恵まれまして
青山先生はですね
解剖室でもう遺体解剖を従事し続けます。
北里はですね
そこからサンプリングされたものを
顕微鏡で観察したり
もしくは培養したりというような形でですね
精力的に活動いたします。
なおせですね
国は1ヶ月しか期限をくれませんでしたので
調査期間ですね
厳しい
1ヶ月で2700円だったかな
ぐらいしかの予算
2700万円の予算だったので
とにかくその間に
結果を出さないといけないということですね。
2週間経ったですね
6月28日なんですけれども
青山が微熱を出します。
おーちょっと嫌な予感がしますね
ちょっと嫌な予感がしますね
で
翌29日にですね
このテストの調査で便宜を図ってくれた
病院のラウソン副院長をはじめとした
香港政調の要人たちにですね
研究の場を与えてくれたということの感謝を伝えるために
中川領事がですね
晩餐会を開いてくれたんですね
その席でですね
青山北里がですね
それぞれ感謝を述べるようなことをしたらしいんですけれども
その席中に青山が倒れます
いやー
体温がですね
39.3度の高熱でですね
左脇下のですね
痛みも訴えたそうなんですね
続いてですね
原生病研究所の助手としてですね
北里が連れて行っていた石上亮ですね
06:02
も高熱を出してうずくまります
なんで行っちゃったんでしょうね
晩餐会に
晩餐会行っちゃダメですよね
行っちゃダメですよね
微熱というか調子が悪いんであればですね
行っちゃったのか
行っちゃったですね
で
ラウソン副院長はですね
すぐにですね
青山と石上をですね
治療するべくですね
指示を出してくれまして
本校にですね
病院線をつけてたらしいんですけれども
その病院線のハイゼア号に緊急入院させます
左脇下が腫れてるですね
腺ペストですね
腺が腫れるペストという形で診断されます
彼らの体をですね
観察したところですね
指先に小さな切り傷があったそうなんですね
怪我があったみたいなんですね
そっから入っちゃったのか
そっから入っちゃったみたいですね
2人とも会合に携わってましたので
で
9月30日にですね
北里はこの青山と石上両氏のですね
メンバーがテストにかかってしまったということで
内務省の方に電報を打っております
あとですね
もう一人ですね
本校に在住していた日本人医師でですね
この研究に加わりたいっていう風な形で
現地でチームに入ってきて
中原という医師もですね
発病をしてしまいます
3人ですね
ペストにかかってしまったという形ですね
青山の既得はですね
すぐにですね
森鴎外森林太郎を通じて
青山の奥さんに伝えられたそうです
この際ですね
青山夫人はですね
主人は出発の際に
今度は生きて帰られるのかもしれないが
研究だけは立派になし遂げる
との決意で出かけましたと
私も最悪のことがあると思っております
彼が十分な研究ができているのか
これが気がかりです
という風に非常に答えたそうです
はい
まあなかなかね
すごいな気が気じゃないだろうな
気が気じゃないけど
駆けつけられないし
よく答えたんでしょうね
いや本当奥さん立派だと思いますね
福沢はですね
もう福沢諭吉はですね
焦っちゃってですね
自分が北里に行ってこい
という風に言って
よさまで取ってきたわけですけれども
いや北里死んじゃったら困ると
いうことで
至急帰ってこいという風にですね
帰国命令を出せという風に
政府に迫ったそうなんですね
で
青山と石上ですね
09:02
そして中原の3人はですね
英国人のドクターとナースが
手厚く担当して
看病してくれます
で
日本人のチームもですね
同行して
注意は問わずにですね
献身的に突き沿ったんですけれども
とはいえですね
当時治療法は全然ないわけですね
はい
で
直接ですね
痛みの原因になるですね
肥大したリンパをですね
切除することぐらいしか
やることはなかったみたいで
結果的にそれを切除して
で
あとはですね
これ治療になってるのかと思うんですけど
ウイスキーをですね
付け薬として与えるとかですね
殺菌してるんでしょうね
なんなんでしょうねこれ
それとか水で
高熱を抑えるくらい
本当に
水の手拭いを
おでこに乗せるとか
それぐらいしかないのかなと
思いますけれども
ただかなり手厚く
看護してもらったおかげでですね
1ヶ月後
約1ヶ月後ですけども
青山と石上
両方とも
回復することができます
おー
すごい
ただですね
残念ながら
現地で
合流したですね
中原医師は
亡くなってしまったそうですね
そうなんですね
で
彼ら2人
倒れたんですけれども
北里はですね
彼らを見舞いながらですね
研究をしております
で
感染者からですね
採血を行って
顕微鏡観察を繰り返すということで
やっていくわけですけれども
動物実験でですね
候補の条件をクリアすることができまして
初めてですね
1ヶ月ちょうどぐらいの時にですね
最初に見つけた膀胱の細菌を
ペスト菌として特定して
発表いたします
北里はですね
これをですね
ドイツ語と日本語で論文に書き上げまして
雑誌に投稿いたします
その投稿をですね
ラウソン副委員長ですね
がですね
素早く英語に英訳してくれてですね
英語の論文雑誌のランセットにも
投稿してくれたんですね
すごい素早いですね
この時ですね
北里はドイツに留学してましたし
ドイツ語非常に堪能だったんですけど
英語は苦手というか
英語はそんなによく知らなかったみたいなんですね
なのでこのランセット
ラウソンがですね
素早く英訳してくれて
ランセットに載せてくれたということを
12:00
非常に感謝しております
北里はですね
予定の滞在日数30日をですね
8日間オーバーして
ペスト菌の菌株をですね
抱えて7月20日に
本校に立ちですね
7月30日に日本にたどり着きます
この起伏の際にはですね
医学界の従事員たちが
出迎えてくれたほかですね
新聞報道でですね
新罰刑期に帰着予定というふうに知った
多くの国民がですね
自発的に集まってくれてですね
数千人の一大歓声で
出迎えられたそうです
すごい初めの帰国の時と大違いですね
そうですね
ドイツの帰国とは大違いで
本当にペスト発見したっていうのでですね
英雄って感じですよね
ちなみにこの帰国したですね
2日後の8月1日にですね
日本は深刻に戦線布告をしてます
そんな時なんですね
日清戦争が始まるちょっと前だったんですね
危なかったね
帰ってこれなくなっちゃう
ちなみにもう始まった後にですね
青山と石上がですね
帰国してますので
じゃあ大丈夫なんだ
そうです日清戦争って言いながら
香港はイギリス領だったので
そうですね
そこは大丈夫だったのかなと思うんですけれども
でもギリギリのラインというか
そんな時代背景の時にですね
ペストが突然香港で湧き上がったっていうところですね
北里はですね
帰国後にですね
ペスト菌の感染経路の研究に取り組みます
香港でですね
ペストの調査に当たった時に
患者さんの家のあちこちですね
ネズミの死骸が転がってるのを目にしてました
あとですね
14世紀のヨーロッパで
あったペストのパンデミックの時にはですね
ネズミの群れが現れたというようなですね
そういう記述も思い出したそうで
そこでですね
香港に行った時にですね
一匹の瀕死のネズミを捕獲して
研究室に持ち帰ってですね
解剖して顕微鏡で観察してたみたいなんですけれども
やはりそのネズミからもペスト菌を確認してました
で北里はですね
人間より先にネズミがペストに感染して
それが人間にうつる
人獣共通感染症ではないかとの仮説を立てます
北里はですね
まずペストを断つには
ネズミが駆除する必要があるということを提唱いたします
この提案はですね
世界中を駆け巡りまして
この当時ですね
国際貿易都市だった香港からですね
貨物船に紛れ込んでですね
15:02
そのネズミが貨物船に紛れ込んだネズミが
世界中にペストをばら撒く可能性があったんですけれども
結局のところですね
死者数はですね
この時は約1000万人ぐらいで止まったみたいなんですね
それはこのネズミに気をつけろっていうのが
非常に効いたんじゃないかというふうに言われております
14世紀のパンデミックの時には
1億人ぐらい死んだの
世界人口の4分の1死んだっていうところだったので
だいぶ少なく
1000万人大変な数ですけどもね
だいぶ少なく済んだのかなというところです
ここでですね
一つ問題が湧き上がります
ペスト菌をですね
誰が最初に発見したかというところなんですけれども
ちょっと今
北里側からの目線でしかちょっと話してなかったんですけれども
当時ですね
ベトナムはですね
フランス寮ですね
フランスといえばですね
パッスール研究所
パッスールのが最近学としては権威があるところですけれども
パッスル研究所はベトナムに研究所を出してました
つまりですね
当時のそういう最近を研究できるような研究施設っていうのは
日本の北里の伝染病研究所と
それからですね
ベトナムのパッスル研究所との2カ所が
アジアには存在したということになります
なのでペストがですね
らしき病気が起こっているという風になったらですね
寮研究所から人が派遣されたわけですね
ここはもうなので
ペスト菌のですね
誰が一番に発見したのかっていう国際競争にもなったわけです
6月14日にですね
北里が香港でペスト患者の解剖を開始して
6月18日ですね
患者とネズミから同一に細菌を検出して
6月19日にペストの病原を発見せりという風に
日本政府に打電しております
それとあんまり日付が変わらないですね
6月20日ですね
こちらですね
エルさんですね
こちらパッスル研究所の研究員ですけれども
エルさんという研究者が
ペスト菌をやはり確認をしておりまして
その論文をパリに送付しております
両者のですね論文はそれぞれですね
8月に北里の論文がランセットに載っておりまして
エルさんの論文は9月にパッスル研究所起用というですね
パッスル研究所が出している雑誌に掲載されたという形になります
18:01
若干北里の方が発表が早かったというところで
北里エルさん菌という風に名付けられたみたいです
すごいこの菌差ってすごいね
この菌差すごいですね
国際的にも多分いろんなところで研究されてたと思うんですけど
ここにこの本校に駆けつけられたのはですね
この2グループしかなかったんですね
ああそういうことか
その時に感染してたからってことですね
それまではペストは伝説上の病気っていうか
っていうような状態だったんですね
1994年から1996年にかけてですね
グラム染色論争っていうのが起こります
エルさんはですね論文で
菌を染色する染色処方法の中で
グラム染色っていうのがあるんですけれども
ペスト菌はグラム陰性っていう風に明記したんですね
対して北里はですね
染色液を携帯してなかったんじゃないかっていう風に言われます
で日本に帰ってきてから
染色して発表したんじゃないかとも言われてるんですけれども
どうもちょっとこの時染色をミスったのか
グラム陽性という風に主張してます
でこれ後々ですね
グラム陰性ということになるんですけど
北里は結構グラム陽性だっていうのを
結構頑固に主張したみたいなんですよね
そうだったんだ
途中でですね撤回して
グラム陰性でしたっていう風な形に撤回してます
なのでですね
お前が最初に発見したのは
グラム陽性菌の別の菌じゃねえのかっていうのが
とも思われちゃう
言われてしまったんですね
ただですね北里を抜かれなかったというか
個々にですね
自分が発見した菌の培養したものをですね
個々研究所に送ってたんですね
なので
どっちの菌がペストなのかというのをですね
再度ちゃんと調べようということで
個々研究所が業者の取ってきた菌をですね
調べることになります
そして両方の菌がですね
それぞれちゃんとペスト菌であるということが
証明されまして
そうすると論文先に出した北里の方が
優位になるということになります
よかった
1897年ですね
菌の同一性が証明されたということでですね
万国衛生会議で
共同発見者として認定をされるということになります
ただですね20世紀以降ですね
21:03
またグラム染色のミスをですね
追及されてですね
北里もなくなっている時代の話なんですけれども
1976年ですね
アメリカの第三者機関が北里の研究を再検証してですね
菌発見の事実は間違いないよというところになったんですけれども
その前にですね
Lさんがちょっといろいろ主張したのがですね
通ってしまって
北里L3菌っていうのからですね
L3菌だけに名称変更されちゃってたんですね
いやー悲しい
前もありましたよねそういうこと
そういうことありましたね
ノーベル賞がダメだったっていうのもありますけれども
というところで評価としてはですね
北里とLさんとほぼ同時期に見つけたというところなんですけど
菌の名前はL3菌になってしまっております
なるほど
悔しい
悔しいですね
これに対してですね東大バスがですね
また嫉妬の日を吹き荒らすんですけれども
また?仲良くなったと思ったのに
仲良く一緒に行ったと思ったんですけど
青山は初期の段階で病気になってしまって
研究のチームから脱退してしまったので
発見の手柄は北里一人になってしまったわけですよね
これはもう青山すごい悔しかったと思います
東大バスの尾形雅則がですね
陰性をグラム養成っていうようなのはあり得ないというところで
あいつが発見したやつは違う菌だったんだっていう論をですね
日本の中で展開しまくります
怖いな
同じ日本人なのに
本当ですよね
個々の研究所で一緒に学問した仲なのに
こうなっちゃうかなっていうのはちょっと悲しいですね
悲しいですね
素直に褒めたたえたらいいのにって思っちゃうんですけど
個々研究所が国際的に北里の菌も間違いじゃないよというところを
証明した後でもその論を展開してたみたいですね
また森鴎外ですね森凛太郎もかなり
同じような主張を繰り返してですね
北里を攻撃してたみたいです
森鴎外も
彼はですねカッケ菌の実験をですね
24:02
ドイツ留学時代に否定されているので
その恨み骨髄でですね
みんなねちっこいな
ねちっこいですね本当
学術的な発見を否定されるというですね
ちょっとどんな奴らだと思ってですね
ちょっと顔を僕はネットで調べてみたんですけれども
森鴎外もですねあと尾形もですね
青山種道ですね
ここら辺はもう北里に嫉妬した
3人ですけれども
なかなかみんな男前なんですよね
そうですね今写真見させてもらってますけど
結構いい男なんですよね
ピシッピシッピシッとしてますね
この髭生やすのは流行ったのかな
流行ってたけどね
それに対して北里ってどう見ても
ジャガイモみたいな顔してたですね
確かに
男前なのにそんな
何だろうなもうちょっと余裕持てよって
ちょっと思っちゃいますけどね
いや本当ですね
ちなみにですね北里の周りのチームですね
福沢雄吉とか
あと
衆議院議員の長谷川大ですね
それから永代先生
この辺り結構ちょっとなんか
抜けた面してるんですよね
福沢雄吉はシュッとした
そうですねキリッとしてますけど
なんか永代先生と
こういう感じですね
なんか
おひげがすごい長いですね
風才で
なんかちょっと
いまいち男前じゃないグループなんですけど
こういうスタイルもきっと流行ってたんでしょうという
感じですかね
ちょっと余談になりますけれども
ちょっとそんな話を挟みながらですね
1995年明治28年ですね
1月12日に長男が生まれております
2人目ですね
2人目ですね
この時はもう日本に帰ってきてるところですけれども
非常に忙しくしてた北里ですけれども
研究所でその報告を受けてですね
もう仕事ほったらかしてバッと飛んで帰ったみたいなんですね
で子供の顔を見てですね
寅ちゃんに頑張ったなってねぎらって
すぐ研究所に戻ったみたいなんですね
顔を見に帰ったんですね
そうですね
でその後ですね
子育てが大変になるからと
長女もいますし
実家の方からですね
両親を東京に呼び寄せ出すんです
そこは今ちゃんと考えて実験されたんですね
ですね
といったところでちょっと今回は終わりにしたいと思います
27:00
いやーすごいですね
次回はコレラの方に行くのかな
そうですね
コレラのですね免疫療法とかそういったところを
お話ししたいと思います
今回はペストの大発見というところをお伝えさせていただきました
はいありがとうございます
ペストを発見っていうところで
そこからもまたね発見者論争に巻き込まれ
また北里の名前が消えてしまうって
ちょっと悲しいところもありましたけども
そうですね
そんな中も長男の誕生という
嬉しいニュースもありつつっていうところで
次回またお聞きいただければと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
27:58
コメント
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