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001.科学者『カタリン・カリコ』:Part.1~生い立ち
2024-12-16 29:44

001.科学者『カタリン・カリコ』:Part.1~生い立ち

記念すべき第1回目は、メッセンジャーRNAワクチン技術のパイオニアとして世界中で注目され、2023年にノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者カタリン・カリコ教授です。

”Part.1”では、彼女の生い立ちや科学の道に進むきっかけなどをお話していきます。

シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は

世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書

ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社

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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ。
アシスタントを務めます山崎彩子です。MCの
MCの金澤秀明こと、あきです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
この番組では、生命科学における画期的なブレイクスルーを成し遂げた偉大な研究者たちの人生と、その背後にあるドラマをお届けいたします。
彼らがどのように挑戦を乗り越え、時には逆風に立ち向かいながら、科学の限界を押し広げてきたのか。
その時代半径と社会情勢とともに、彼らの歩んだ道のりを一緒に探っていきましょう。
科学者たちの熱意と革新の瞬間を、ぜひお楽しみください。
さて、記念すべき第1回目は、メッセンジャーRNAワクチンの技術のパイオニアとして世界中で注目され、
2023年にノーベル生理学医学賞を受賞した科学者、カリンコ・カリコ教授についてご紹介いたします。
カリコ教授は、1955年、ハンガリの小さな町に生まれ、幼少期から科学への強い好奇心を抱きました。
大学では生物学と生化学を学び、1982年に生化学の博士号を取得しましたが、
当時のハンガリではRNA研究に必要なリソースが限られており、カリコはより自由に研究を進めるために、1985年にアメリカへ移住することを決意します。
たった1200ドルを娘のテディ・ビアに隠して逃避したという話は、彼女の決意と挑戦心を物語っています。
アメリカでの困難にも屈せず、カリコ教授はRNA研究に人生を捧げ、最終的にはメッセンジャーRNA技術を医療に応用する道を切り開きました。
この革新的な技術は、COVID-19ワクチンの開発を通じて何百万人もの命を救うことにつながり、彼女の功績は世界中で称賛されています。
【佐藤】はい、すいません。愛子さん、長い説明ありがとうございます。
私、第0回の方で一つ間違ってしまったことがあるんですけれども、
カタリン・カリコ教授は、アメリカに亡命したって言ってたんですけど、ちゃんとビザを取ってですね、移動されております。
それで逃避されております。ちょっと亡命ということは訂正させてください。
03:01
【愛子】はい、正式なルートで渡ったってことですね。
【佐藤】はい、正式なルートで渡ったということになります。
では、彼女の幼少時代からですね、お話をさせていただきたいと思います。
【愛子】はい、お願いします。
【佐藤】カリコですね、カタリン・カリコ。カタリンが名前で、カリコが苗字ですね。
なんですけど、ハンガリーはカリコ・カタリン、やっぱり日本と同じように苗字から始まって名前でいくみたいです。
ですが、一応アメリカ式にですね、カタリン・カリコ先生とさせていただきます。
彼女はですね、第二次世界大戦終了後のハンガリーですね。
キシュウイ・サラーシュというですね、したかみそうな名前の町で生まれております。
お肉屋さんですね、お父さんはお肉屋さんをやってられたみたいで、
彼女はですね、お父さんが飼ってた豚を殺してですね、解体するその内臓とかですね、
そういうのを出すのを、しっかり小さい時、よちよち歩きのまんま漁師して見てたそうです。
で、お姉さんの方はですね、そういうのが怖くて、
お姉さん、ジュジャン、愛称ジョーカーって呼ばれてるじゃないですか。
なんでジョーカーなのかわかんないですけど。
って呼ばれてるみたいでですね、
そのお姉さん、とても見てられなかったそうなんですけれども、カリコはですね、
カリコっていうと姓名なんで、名前の方ですね。
カリコはしっかりそういうのを見て、すごい興味深く見てたということですね。
すごいですね。なかなかちょっとね、私も見てられないんですけどね。
たぶんほとんどの人見てられないと思うんですけど。
興味があったってことですよね。
そうですね、なんかそういうことにすごい興味があったみたいです。
本人もちろんそのちっちゃな時のことは全然覚えてないみたいなんですけれども。
彼女が育った地ですね、ハンガリー中央部なんですけれども、
人口1万人ぐらいの農業を中心とした草原の町だったそうですね。
第2次世界大戦後っていうところで、
割とそうは言っても80年も前じゃないか、70年ぐらいですかね。
前になると思うんですけど。
面白いなと思ったのが、その当時のハンガリーですね。
家は粘土と藁で固めた日干しレンガですね。
当時で。
はい、当時そんな感じだったみたいなんですね。
それを漆喰で固めたようなもの。
で、その上はですね、分厚いかやぶき屋根のお家だったそうなんですね。
なかなか。
なかなかですよね。
日本の田舎かなみたいな。
ほんとですね、中心部で。
ハンガリーかなり寒くてですね、1年の大変寒すぎてですね。
06:00
家はそれなりに部屋とかあったらしいんですけれども、
一つの部屋に集まって暮らしてたそうです。
部屋の隅にですね、おがくずストーブっていうのがあって、
どういう仕掛けかはよくわかんないんですけど、
おがくずで燃やすストーブなんでですね。
燃料のおがくずは、近所の木のおもちゃを作ってる工場でもらってきて、
それでですね、自動車とかなかったみたいで、馬で家まで運んだっていうことですね。
馬で行って、たぶんおがくずを入れて、また家まで持って帰ってくるっていう。
そういう感じで燃料を運んでたそうです。
なんかおもちゃ屋さん、おもちゃ工場がおがくずくれたんだろうなっていう感じですね。
ほんとですね。
あと動物結構、周りにいっぱいいそうですね。
そうですね。豚も飼ってたし、馬とかも飼ってたし、みたいな形の記載がありました。
あとですね、おがくずストーブを燃料に入れるっていうのが、
お姉さんと彼女の子供の仕事だったみたいなんですけど、
結構重労働だったっていうのが入ってました。
お父さんですね、戦時中は陸軍の兵士だったみたいで、
最前線で兵士の食料を作る係だったというところで、
食事を家族に配るというのはお父さんの役目だったということですね。
あと庭ではですね、いろんな野菜を育てたみたいで、
あと町の外にですね、トウモロコシ畑があって、
種をまいて育てたりとか、トウモロコシの実はですね、
家畜の餌にして、芯は燃料になるという形ですね。
燃やせるものは何でも燃料にしたっていうところ。
何でも活用していたわけですね。
そうですね。
これはそうなんだろうなと思うんですけど、
プラスチックが生活に入ってきたっていうのはずっと後だったので、
何でもかんでも役に立たないものになったものはですね、
もう燃やすっていう形ですね。
燃やせないものがあるとか、ゴミを捨てるっていう概念が、
そもそもなかったみたいです。
すごい、何でも再利用していた生活をしてたみたいですね。
サスティナブルな世界だったんだろうな。
たぶん世界中そういう世界だったんだろうなと思うんですけども。
それがまだ、つい最近の話だと、
つい最近というか、
おばあさん世代は十分そういう生活を子供の頃してたんだなっていうのは、
すごい驚きました。
あとですね、ご飯ですね。
牛乳は近くに牛を飼ってる家があったんで、
09:02
空き瓶持ってって姉妹で牛乳もらいに行ったりとかしてた。
牛乳入れてるですね、瓶ですね。
それを飲んだ後洗いますけれども、
その白い水は豚にあげると。
そこまで利用してたみたいですね。
すごい、何でも活用してる。
何でも活用するって感じですね。
ハンガリーの文化は知ってほしいなっていうところで調べたところなんですけれども、
ハンガリーは…
っていうのがあるらしいんですね。
名前に誕生日があるらしくて、
タカセはですね、カタリンの日。
カタリンっていう名前なので、
11月25日がですね、
彼女の名前の誕生日になるみたいなんですけれども。
面白いですね。
面白いですね。
なので、友達の誕生日は覚えてないけど、
ラジオで毎朝アナウンサーがですね、
今日はペトラっていう、
例えば10月2日この日はペトラの日ですと。
そんな感じでですね、
なんでその日がペトラの日なのかっていうのをですね、
説明、毎朝してくれるみたいなので、
学校に行って、その日にはペトラちゃんのところに行って、
名前の誕生日おめでとうってみんなで言うらしい。
面白いですね。
面白いですね。
生まれた日じゃなくて、名前の誕生日を言うという。
じゃあ同じ誕生日の日は名前が一緒の可能性もあるってことですかね?
いや、同じ誕生日の日は名前が一緒っていうわけじゃなくて、
生まれた日のせいでその名前になるわけではなくて、
つけた名前の、そのお名前の誕生日っていうのがあるんですよ。
へー、そうなんですね。
だから愛子さんが例えば5月5日に生まれてても、
3月2日が愛子の日っていうのがあるっていう、
そういう感じですね。
ハンガリーならではなんですかね。
ならではなんですかね。
だからちょっと調べてみたんですけど、
365個しか名前ないのかなとかと思ったら、
そういうわけではないっていうことだったんですけども。
そういう語りの名前の日はですね、
1週間前からですね、ソーセージを仕込んだりとかしてですね、
親戚を呼んで大騒ぎっていうんですかね、
パーティーをするみたいですね、なんですけれども。
だから名前の日をお祝いするっていう、
そういう風習があったり。
12:00
あと彼女ですね、10歳になるまでは、
トイレが家の外にしかなかったみたいなんですね。
で、ハンガリーの冬はとにかく寒いので、
夜ですね、基本的に夜を足すのはオマルで足すという形ですね。
それはヨーロッパの話でよく聞くようなところではありますけれども、
家にオマルがあって、冬の夜はオマルで夜を足したというところですね。
あと生活に使う水ですね。
こちら、家には井戸があるんですけど、
井戸の水は硬すぎる、香水ですね。
香水すぎて使えないみたいなんですね。
使えないっていうのは、洗い物とかには使えないみたいなんです。
石鹸の泡が立たない、泡立たない。
それなので、お父さんが共同給水場まで定期的に行っては、
バケツで毎日水を汲んでいくと。
毎日。
毎日ですね。
もう相当、やっぱり昔の人って力持ちだったんだろうなと思いますね。
子供もついて行って、小さな容器に水を入れて運んでたというようなことみたいですね。
もちろんラジオはあるんですけど、
いろいろな決まり事ですね。
街に馬に乗った人が来るらしいんですけど、
太鼓を叩いて、お知らせだよ、お知らせだよ、みたいな形で太鼓を叩くんだと思うんですけど、
それで政府が決めたことっていうんですかね。
そういうのを発表するという形で。
昔話で出てきそうな内容ですけど、そういう時代があったってことですもんね。
そうですね。
で、あと聞けなかった人とかはですね、
もう本当、井戸にお母さんたち集まって多分洗濯したりとか、
いろいろ皿洗ったりとかしてるんだと思うんですけど、
そこで井戸綿会議でそういった内容を知ったっていうことですね。
すごい生活だな。
今じゃちょっと想像できないですけどね。
想像できないですね、本当に。
で、例えばそのニュースってどんなんだったんだって言ったらですね、
例えば次の日の火曜日、鳥の予防接種をするぞっていう形で言うらしくて、
各家に鳥飼ってるみたいなんですよね。
鶏を飼ってると。
で、その日になるとですね、獣医学生がですね、家に来るらしいんですね。
で、子供たちはですね、鳥小屋から鳥を1羽ずつ捕まえて獣医学生に渡すと。
で、それでワクチンを受けさせるという形だったみたいです。
15:02
何のワクチンなのか期待がなかったんですけれども。
ほんとですね。
これがですね、カリコ博士がですね、世界を救うことになるコロナウイルスワクチンを開発した
カリコ博士のワクチン初体験ということのようです。
家畜なんですね、自分ではなくて。
そうですね、家畜ですね、自分のワクチンではなくて。
なんか彼女自身ですね、やっぱり小さい時から科学にすごい興味があったみたいで、
身の回り至るところが科学の勉強ができたというふうに書いています。
これ僕もよくやってたんですけど、木に登ってですね、鳥の巣の中を覗いたりとかですね。
卵がかえってヒナが生まれて羽が生えて巣立つとかっていうのをですね、観察したりとかしてたみたいです。
なるほど。
あと面白いなって思ったのが、お父さんがですね、ウインナー作るんですよね。
で、その燻製小屋では豚の油が床に落ちるというところで、
これ子供たちがですね、その油をスプーンを持って拾って壺に溜めるらしいんですね。
で、この油をですね、夏になるとお母さんがおばあさんを呼ぶらしいんですけども、
そのおばあさんがですね、なんかいろんな指示をするらしいんですね。
で、なんかおばあさんの頭の中にだけあるレシピがあるみたいで、
その油に炭酸ナトリウムを混ぜてですね、
で、混ぜて木箱に流し込んで固めるみたいなんですけれども、
そうするとですね、石鹸が出来上がるみたいなんですね。
なるほど。
この石鹸で皿洗ったりとか服洗ったりとかしてたそうです。
豚の油で作るんだっていうのがね、面白いですね。
すごい。
で、あとですね、ジャガイモがですね、害虫にやられると、
なんかいっぱい葉っぱが食われてるぞっていうので、
お父さんからですね、お前はその対策係をしろと任命されて、
何をやるかっていうと、壺を持ってですね、葉っぱを裏返しては虫を捕まえて、
その壺の中に入れてまわるというような形ですね。
で、捕まえた虫は鶏にあげると。
ここら辺もサスケナブルですね。
すごいですね、なんか。
そのおかげで自分たちの食料となる鳥はですね、
虫で生きてんだなと。
自分という人間も食物連鎖の輪の中の一つなんだなというのを学んだよ、
18:02
というようなことが書いてありました。
あと、おばあさんですね。
母方のおばあさんはですね、
ちょっと遠いところですね、歩いて30分ぐらいのところに住んでらっしゃったみたいなんですけれども、
そこにですね、週2回歩いて行ってはですね、
おばあさん、お花を育てたみたいなんですけど、
そこの花を摘んで、それをですね、市場に売りに行く手伝いをしてたみたいです。
そのおかげでですね、すごい植物に詳しくなったみたいで、
それがその後、いろいろ役に立つ形になります。
すごいですね、植物に昆虫に動物にと、本当にいろいろ様々な環境下に育ったってことですね。
もうなんかそういうのがたぶんすごい身近にあるんで、
もうまさにそこら辺をですね、学びの場にしてたのかなと思います。
家にはですね、ちょっとだけ電気が来てたみたいで、
レコードとかラジオを聞くことができたと。
お父さんはすごい音楽の才能があってですね、
歌が上手で、バイオリンとか、あとチターっていう楽器をですね、
弾くことができたらしいですね。
お父さん確か陸軍のお父様でしたよね。
料理もして。
料理もして、音楽も上手。
あとにも書いてあったんですけど、踊りもなんか、ダンスもなんか得意だったみたいですね。
で、姉妹にですね、一生懸命音楽を教えてくれたらしいんですけれども、
姉妹はもう全然音楽の才能がなくてですね、
お父さんに諦めちゃったみたいです。
そうなんですね。
あとお父さん小学校でなんですけど、
2桁の掛け算ができたらしいですね、暗算で。
すごい、頭も良かったんだお父さん。
頭も良かったみたいですね。
まあ、教育は受けれなかったけれども、頭はすごい良かったみたいですね。
9歳の時にですね、両親は中古の家を買ってですね、
それがもう崩れた泥レンガの家だったらしいんですけれども、
お父さんとですね、その姉妹でですね、一生懸命その家を直して、
全部自分で作ったみたいですね。
すごい。
粘土と藁と混ぜてってさっきのあれですよね、漆喰と。
そうですね、漆喰と混ぜて、頑張って壁の穴を直したりとかですね、
屋根を直したりとかして、
子どもたちは身軽なんで高いところに登らされたみたいなんですけれども、
21:02
それで一生懸命直したよっていうようなことが書いてありました。
ちょっとお父さんの人生をご紹介したいと思います。
1920年生まれですね。
出生時として生まれたみたいなんですけれども、
肉のさばき方を知っていればですね、一生食べるのに困らないわよっていうふうにお母さんに言われたみたいで、
それで12歳のときですね。12歳だから小学校6年生ぐらいですよね。
のときにデッチに行ってですね、肉屋のみらない修行をして菩薩の方法を学んだみたいです。
ヨーロッパだとですね、当時第一次大戦の後みたいでですね、
第一次大戦ではハンガリーを敗戦国になってしまいまして、
ハンガリー全土が、ハンガリーと言わずヨーロッパ全土がですね、飢餓状態だったみたいですね。
とにかく食料がなかったみたいです。
それでですね、そんな状態だったんですけれども、肉屋に入ったおかげでですね、お父さんはあんまりそういう
お食事に困ることはなかったみたいですね。
仕事をある程度覚えてですね、さらに豚ペストに出てですね、修行して、
それで町に戻ってきてからですね、誠実な生育典で働き始めたというところで、
ここでかなりいろいろ、お肉の切り方とか、料理の仕方とかいろんなことを学んで、
腕のいい肉屋になったそうなんですけれども、
そうこうしてるうちにですね、1940年、第二次世界大戦が勃発してしまいます。
で、ハンガリーの王立陸軍に入隊ということになるんですけど、
その後ですね、ここら辺ちょっと面白いなと思ったんで、紹介しようかなと思ったんですけども、
第一次大戦終わってですね、第二次大戦に入って、
ここではですね、ハンガリー王立陸軍というふうになってるんですね。
この後第二次大戦で終わってからですね、1947年ですね、
ハンガリーは共産党が権力を掌握してしまうので、
ハンガリー王立からですね、ハンガリー共和国、共産党の国になっちゃうんですよね。
だから東、東側国になってしまうということになります。
で、なのでここら辺からいろんなことがガラッと変わります。
工業、金融、交通、教育などがですね、全部国有化されてしまいます。
で、あの裕福な家ですね、家取り上げられて財産も奪われるというようなことになります。
24:05
で、せっかく父親、お父さんですね、が働いてた背肉店もですね、取り上げられてしまうということになります。
で、そんな感じでですね、非常にいろいろ厳しい時代、
特に最初はですね、共産党がですね、力を見せつけるためにいろいろなことをやったみたいなんですけども、
例えば秘密警察使ってですね、国民を監視したりとか、
あと国民に密告を奨励してですね、
で、あいつは政府の悪口をかけて言ってたよとかっていうような形で、
市民同士を争わせるようなことをやったりとか、
あと、性的をですね、処刑したりとかですね、
10万人以上のですね、市民が投獄されて、
さらに多くの人がですね、強制収容所に移送されるというような、そういう悲惨な時代があったようですね。
で、ここでお父さんですね、
仕事を奪われてしまいます。
生肉店がまず奪われましたけれども、
肉をですね、作ることも禁止されてしまうんですね。
家畜は全部、特有の食料を生産場に行ってしまって、
それでですね、お父さんの仕事はなくなってしまうということになります。
ただ、なかなか食料が厳しい時代なので、みんな隠れて家畜を飼ってたみたいなんですね。
で、お父さんはですね、それを盗撮する闇仕事をしているということですね。
で、夜ですね、暗い中で家に呼ばれてですね、
そこから盗撮をするわけですけど、
その際にですね、人に見つからないようにするために、
子どもたちは道を見張ってですね、
人が来ると知らせる係をしていったということのようです。
そんなことをしてたんだ。大変な。
カリコさんもですね、お姉さんもそれをやってたみたいですね。
すごい、いろんな環境下にやっぱりそういう時代背景を入ると、
結構複雑な生活をしていたってことですね。
そうですね。
そしてですね、お母さんの方に行きますと、
ちょっとこれもかなり不幸な掛け入れになったんですね。
27:02
ひいひいじいちゃんとひいひいばあちゃんまで遡っちゃうんですけど、
どうも殺されたみたいでですね、
世間に掘り出されてしまったんですね。
子どもたちの一人がひいじいちゃんだったということですね。
そのひいじいちゃんはですね、第一次世界大戦で兵士として戦ったみたいです。
それでですね、戦死してしまうということで、
妻はですね、子どもたちがいたわけですけれども、
戦死したと言って絶望して自殺しちゃうんですね。
で、子どもたちだけが残ってしまう。
ところがですね、戦争が終わったらですね、帰ってきたんですね。
戦死は嘘だったみたいで。
えー。
まあなんかいい加減な世の中だったんだなと思うんですけど。
で、まあそういったことがあってですね、あったんですけれども、
おばあちゃん、ひいばあちゃんですね、
農場を経営してガチョウを育ててですね、
女で一人で三人の娘を育てたということですね。
で、その三人の娘のうちの二番目の娘がカリコのお母さんのジュジャンナということになります。
ちなみにですね、カリコのお姉さんもですね、いとこもですね、ジュジャンナでですね、
カリコの周りにはジュジャンナっていう女の人がいっぱいいっぱいいたみたいで、
もうわけわかんなかったみたいですね。
なので、さっきのお姉さんもジョーカーってあだ名ついてたみたいですけど、
ヨーロッパありがちですけど、同じ名前いっぱいあるんでですね、
なんかいろんなあだ名があるんだなっていうような感じですね。
なるほど。
その時はやったのかな?
そうですね。
ちょっとよくわかんないですけども。
ちょっとね、もう一つ続きを聞きたいところですけど、
そろそろお時間のところもあって、
ここの回では第1回目ということで、カリコ教授のその時代背景、
生まれ育った幼少期のこととお父さんと、
ちょっと過酷な環境下のお母様のお話というところはまだ途中ですけども、
また次回も続いて聞いていただけたら嬉しいです。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
29:44

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