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074.なぜ赤ちゃんに必要?知っておきたい“ハンコ注射”BCGの秘密と、結核のホント
2026-05-11 42:30

074.なぜ赤ちゃんに必要?知っておきたい“ハンコ注射”BCGの秘密と、結核のホント

「小学校の時、クラスのみんなで打った記憶がある…」そんなパパ・ママも多いはず。

実は今のBCG、一生に一度だけなんです! 今回は、かつての「不治の病」結核から赤ちゃんを守るBCGを徹底解説。

日本が世界に誇るワクチンの歴史や、パパ・ママ世代とのルールの違いなど、分かりやすく紐解きます。

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生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
プレゼンターのあきです。
アシスタントのとみーです。
このシリーズは、妊婦と子供の予防接種をテーマにしています。
今回はハンコ注射と言われるBCGについてです。
で、BCGについてですね、とみちゃん何か思い出ありますか?
小学校の低学年の時に打った気はするんですけど、
後がずっと残っている子が大人になってもずっと残っている子がいるなっていう記憶と、
あと私専門学校に入ったんですよ。
で、専門学校でもなんかもう1回打たされてる人いた。
え、専門学校で?
うん、確か。私は打たなかった気がする。
16、7、8とか?
え、もうそんな年に?
2013年。
へー、なんでだろう。
っていう記憶がある。
えっと、そうね。
なんかちょっとそれは、その専門学校で打たされたのはよくわかんないけど、
あのー、小学校に入ったぐらいの時に、
学校で注射打たれて、それがあのツベルクリンハンノーっていうやつで、
で、BCGを赤ちゃんの時に1回打ってるんだけれども、
あのー、ハンコ注射ね。赤ちゃんの時に打ってるんだけれども、
それでちゃんと免疫がついてるかどうかっていうのを、
そのツベルクリンハンノーっていうので確かめて、
で、1回打ったやつをその後1週間後ぐらいに、
ノギスでお医者さんが測って、その赤いぷくって膨れるんだけど、
で、それが1センチ以上膨れてると免疫がついてないっていうことで、
もう1回BCG打たれるっていうのをかつてはやってました。
で、今は1歳までに1回打って、
で、それ以降はもうツベルクリンハンノーをしないことになっているそうです。
なんかそういや、最近どうなのかなと思って、今回調べてみて、
で、もう2回打ったりとかしないんだっていう。
なんか僕は小学校の時にはツベルクリンハンノーをして、
で、ラッキーなことにそこがちっちゃかったから、
ハンコ注射打たれずに済んだ側だって、
で、別室に連れて行かれた子は腕にハンコ注射の後、
あの田んぼのターンじゃないけど、
なんかあれが2つ打たれて血流しながら帰ってきてるのを見て、
03:03
ああよかったって思った覚えがありますけれども。
今はですね、もうツベルクリンハンノーはもうやらないで、
最終、なんかそれはですね、ちょっと先に話しちゃうと、
再接種をしても追加の効果がほとんどないっていうことが分かったらしいんですね。
まあ免疫がつかない子は免疫がつかないっていうことなのかなと思うんですけども、
なので現在は入児期の1回のみで終わりということになっているそうです。
ちょっと先にそういう話を。
今時の子はハンコ注射打ったことないってことですか?
赤ちゃんの時に打つ。
記憶のある。
記憶のある時には打たないっていう感じかな。
というところでですね、このBCGについてお話をしていきたいと思います。
BCGが防げる病なんですけれども、これは血核になります。
なんか血核って過去の病気かなっていうことを思う方もいらっしゃるかなと思うんですけども、
今でも結構いらっしゃいます。
たまに流行るよね。
たまに流行ったりもするかな。
ニュースで見る気がする?
特に老人の方に血核がバーッと出ることがあって、
それはもともと血核のキャリアで、
それが抑え込めてたんだけれども、
それが老人になって免疫が衰えていった時に、
また血核が出てくるみたいな。
そういったことは結構あるみたいですね。
あと世界では未だに血核は3大感染症のうちの一つで、
エイズとマラリアと並んで非常に患者さんが多い病気でもあります。
そうなんか。
日本ではもうあんまり多くないけど、
ワールドワイドだと?
ワールドワイドではまだまだ大変な病気ですね。
患者さんもいっぱいいらっしゃるという形です。
血核の原因となるのは血核菌という細菌になりまして、
過去には日本でも富士の病だったので、
多くの有名人が亡くなっています。
歴史を勉強される方だったら、
いろんな方が血核で亡くなったのをご存知かと思いますけれども、
僕が大好きな幕末の英雄の高杉晋作さんは27歳で亡くなっていますし、
新選組の県の達人で美男子として有名な沖田壮志も20代半ばで亡くなっています。
明治時代に入っても、作家とか家人とか多くの方が亡くなっています。
例えば、旧御前作で有名だった樋口一葉ですね。
彼女は24歳で、日露戦争に従軍したりとか、
野球に熱中した家人の正岡敷は34歳、石川拓博も26歳。
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それで文豪で陸軍軍医で北雑と芝サブロのライバルだった森鴎外も血核で亡くなっています。
若い人が亡くなる病気なんですか?
割と若くに亡くなる人もいるし、年をとってから出てきて亡くなった方もいらっしゃいますし、
年を問わず怖い病気だったんですね。
海外だと音楽家のショパンとか、小説家のカフカが亡くなっています。
この方結構殺菌じゃないかなと思ったんですけど、
女優で風と共に去りぬっていう映画がありますけれども、
アメリカの南部を舞台にした映画ですね。
それのヒロインのビビアン・リーさんも血核で亡くなっています。
彼女は50何歳かですけれどもね。
と言ってもまだ若いかなという感じですけれども。
血核が治療できるようになったのは1943年に
抗生物質のストレプトマイシンというのが発見されまして、
それが血核に使えるというところで、
血核が治る病気になっていきましたけれども、
それまではサナトリウムですね、いわゆる療養所に入って
きれいな空気を吸って日光に当たって栄養を取るとかいう、
それぐらいの対処療法しかなかったというような病気になります。
血核にかかったら徐々に死んでいくのをなるべく遅らせるぐらいしか
やりようがなかったのかなという感じですね。
血核は長らくどうして病気になるのかというのが謎だったんですけれども、
1882年にロベルトコッホが血核菌を発見します。
血核菌というのは普通の細菌と違って、
なかなか油でコーティングされているような感じなんですね。
染色ができなかったので、
病態の人の倦怠を観察しても顕微鏡で菌が発見できなかったんですね。
なので長らく菌が見つからずに菌なのか何なのかみたいな論争があったんですけれども、
コッホは新しい染色方法を開発して血核菌を顕微鏡で見れるようにしまして、
それで血核菌を発見いたします。
コッホはこの発見で、
20年後に1905年に血核菌の発見ということで、
ロベル賞を受賞されております。
これを日本で血核が広がらないようにということで、
コッホの弟子の北里柴桜は血核の治療とか感染症、
09:00
血核の治療に取り組みまして、
感染症ということで治すのは難しいけれども広げるのは止めようということで、
それを教育するというような形で広く国民に広報したりとか、
いろいろな地方の保健所の人たちに教育したりとかという形で、
そういったことで非常に力を入れられていたそうです。
このあたりの話は以前北里柴桜会でお話をしていますので、
ぜひその回も聞いていただければなと思います。
血核菌の特徴なんですけれども、
非常に頑丈で分裂スピードが他の細菌に比べてとても遅いという性質があります。
分裂スピードがどれぐらい遅いかというと、
大腸菌とか一般的な菌は条件が整えば栄養がしっかりあって、
例えば大腸菌だと37度とか36度とかというような非常に良い温度条件であれば、
20分に1回分裂します。
なので一晩経ったら、
培養液いっぱいいっぱいに菌が増え切っているみたいな感じになりますけれども、
なので培養液が、
培養の実験なんかで大腸菌をよく使うんですけれども、
その時には培養液が黄色い色をしているんですけれども、
透明な黄色い色をしているのが、
次の日になると白く濁っています。
菌が増えても増え絶えしているのね。
そんな感じになっていますね。
という感じになるんですけれども、
血核菌は1日に1回か2回ぐらいしか分裂しない。
それぐらいゆっくりなんですね。
なので分裂が非常に遅いということで、
血核にかかった場合は症状が非常にゆっくりと、
10年も20年もかけてゆっくりと進行していくというようなことになります。
治療も半年以上かかるという感じですね。
薬が効いて殺せても、
まだまだ眠っている子たちがいるみたいな感じですよね。
なので治療もしかかってしまった場合には、
半年以上薬を飲まないといけないということになります。
あと酸素を必要とする抗寄生菌という菌なので、
酸素が豊富に入る肺の上部に救うという感じになります。
ただ酸素がなくても死ぬわけではないんですね。
活動を停止して休眠状態に入るという形なので、
酸素がない場所に入ってしまっても、
じーっと代謝を抑えて、活動を抑えて、
眠っているような状態で条件が整うまでじっと待つというような、
12:04
そういう厄介な菌になります。
どのように感染するかなんですけれども、
血核は空気感染という感染方法をとります。
これは飛沫感染よりも厄介で、
空気中の塵のような状態になって、
それで人間の肺の中に入り込むという形ですね。
血核患者さんの咳とかくしゃみから菌を含んだ飛沫が飛び散ります。
コロナウイルスとかインフルエンザウイルスの場合、
飛沫を吸い込んで病気にかかるという形になりますけれども、
血核菌の場合は飛沫が一旦どこかに落ちていたりとか、
空気中でもいいんですけれども、そのまま乾燥すると、
血核菌の粒子状になるんですね。
この粒子がふわふわ空気中を漂っていまして、
同じ空間にいる人間がその空気を吸い込んでしまうと、
菌が肺に到達して感染をするということになります。
なので血核患者さんがいる家族の家の中には、
血核菌を含んだ空気が漂っていることになりますので、
その家族も血核にまたかかってしまうという悲劇が起こってしまいやすいんですね。
なのでかつては血核は遺伝だというふうに言われたこともあります。
割と近しい人たちでどんどん感染が広がってしまうということですね。
発症までのステップをご紹介すると、
そのような形で吸い込まれた菌が肺にまず定着します。
この時に免疫細胞、一般的にはマクロファージ、
ハッケッキューさんが菌を食べて胎児をしてくれるのですが、
菌を食べて胎児をしようと取り込まれた血核菌は、
今度マクロファージの体内で、
血核菌自体がマクロファージの胃袋みたいな細胞内小器官になるのですが、
そういう膜にまず囲まれます。
膜に囲まれてその中で消化液を出されて、
殺される、消化されるということになるのですが、
まずこの膜に覆われるところを、膜に覆われないように頑張ります。
対抗手段を持っています。
万が一そこに失敗して、膜に覆われてしまっても、
さらに膜の中で出てくる消化液を中和してしまうようなことをします。
という形で2段階で防御することができるので、
血核菌を胎児してくれたはずのマクロファージは、
15:00
その後血核菌を守るシェルターみたいな役割になってしまうんですね。
逆に?
逆にマクロファージの中にすくってしまうということになります。
マクロファージは他の免疫から守ってくれますし当たり前ですけど、
かつ栄養たっぷりですので、血核菌はその中でぬくぬくと過ごすことになります。
なかなか本当に厄介ですね。
その後、なかなか人間の体も大したもので、
人間の免疫は血核菌がいるなというふうになると、
そこの菌を殺せないということで、
肉下種というような硬い繊維の組織を作って、
血核菌を含むエリアを固めてしまいます。
肉下種は生肉の肉に目が出る目に主要な種ですね。
そうですね。ありがとうございます。
言ったら血核を外に生かさないようにするために、
塀で覆っちゃうみたいなことをします。
そうすると肉下種に囲まれた菌は活動できないので、
そこで休眠状態に入ります。
もうちょっとチャンスが来るまで待つかみたいな感じで、
寝てしまうということになります。
90%ぐらいの方はこのまま一生発症せずに終わるという形になります。
自覚なく補菌している人がいるんだ。
という形ですね。
かつては本当にこれでキャリアの人たちがすごくいっぱいいたということになります。
この状態でずっと続いていけばいいんですけれども、
体調不良とかで免疫が落ちたりとか、
さっき言っていたような老人になって免疫力が落ちてくると、
菌が糖尿から冷めて増殖を始めるという形で、
肺の組織を壊し始めるということになります。
初期症状が風邪に似たような症状ですね。
咳とか痰とか微熱が出たりとかというような形になります。
どんどん進行していきまして、
肺に穴が開いたりとか、
さらに多くの菌が咳とともに体外に排出されるようになるという形で、
このあたりから血管をはいたりとか、
そういったことが出てくるのかなという形ですね。
そうは言っても、今の時代では薬がありますよというところで、
血核の治療は先に挙げた抗生物質、ストレプトマイシンが出てきてから治るようになったんですけれども、
18:03
ただ厄介なのはすぐに耐性菌ができてしまうと、
抗生物質に対して抵抗性を持った菌が出てきてしまうという問題があります。
最初に挙げた抗生物質以外にも、
何種類かの対抗できる薬が出ていますので、
それを組み合わせて飲むということをします。
菌の量が減ったからといって、
患者の方で勝手に薬を飲むのをやめちゃったりとかすると、
耐性菌ができてしまって、また一気に菌が盛り返すということが行われますので、
これが非常に厄介ということですね。
すべての薬に抵抗性を持ってしまう多剤耐性結核に進化してしまうことがあると、
手の内容がなくなるということになりますので、
今はこれを防ぐために、
医療従事者とか保健所の職員の目の前で患者が薬を飲むというのを徹底するというのが今やられています。
ちょっと話がそれるんですけど、
結核じゃなくても何かしらのご病気で、
抗生物質を医師から出されたときに、
途中で治ってきたからやめたというのは、
マジでやめたほうがいいです。
そうですね。これはもうちゃんと決められた要領を、
しっかりその期間ちゃんと飲んでいただく必要があります。
もちろん、本当に必要な抗生物質だったかどうかみたいな話は議論の余地がある時もあるんですけど、
そうは言っても、他のロキソニズ通薬とかの話と抗生物質は全然違うので、
今の結核のその薬に耐性を持ってしまって、
より強い菌として残ってしまうみたいなことが、
抗生物質が適用になっている他の病気でも起きるので、
抗生物質はちゃんと飲みましょう。
飲み始めたら絶対に飲み続けてくださいという感じですね。
医者がやめていいよって言うまで飲んでください。
すみません、挟みました。
本当に多剤耐性結核以外にも、
他にもいろいろな多剤耐性の菌というのが出てきてしまってまして、
抗生物質の乱用によって非常に治らない感染症というのが増えていますので、
これはきちっと守るということは重々やってくださいという感じですね。
それの感染性が強かったら、
強くなった菌をまたばらまいて他の人に移しちゃうみたいなこともあるからね。
本当に院内感染とかでもよく問題になっていますけれども、
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本当に困るのでしっかり薬を飲みましょうという形で、
それを防ぐために結核の場合は、
薬を医療従事者の前で飲むということを徹底するという形になっています。
それぐらい大事な病気だし大事な薬ということだね。
そういうことですね。
現在の結核患者の統計数なんですけれども、
日本では毎年1万人ほどの新規感染者が出ていますという形ですが、
そのほとんどがご老人ですね。
潜伏状態だったのが年をとって免疫が落ちて発症するケースが多いという形になります。
WHOの統計では東南アジアとかアフリカ、西太平洋地域で今結核患者さんが非常に多くて、
かつ問題になっているのが多剤体制結核が増えてきているということで、
その地域で非常に問題になっているようという形になります。
BCGについての歴史をご紹介したいと思います。
BCGはフランスのパスツール研究所の研究者のアルバート・カルメットという方と、
カミール・ゲランという方によって開発されました。
BCGはバシル・カミール・ゲランという形の略になっています。
この作られたカルメットさんとゲランさんのお名前をとって、バシルが菌という意味なので、
彼らの菌というような意味になります。
どのように開発されたのかというと、
いろいろなワクチンの種類があるという中で、
弱度空間部があるという話を前にしたかと思うんですけれども、
これは弱毒株になります。
開発期間が1908年から1921年というかなり長い期間、
13年もの歳月をかけて開発されました。
彼らは人間には感染しないウシ型結核菌という、
また結核に近い兄弟というか、
親戚筋みたいな結核菌があるんですけれども、
これは最初のワクチンの天然と牛とみたいな?
そんな関係ですね。
このウシ型結核菌を特殊な配置ですね。
ウシの単獣を加えたような、そういう配置を作って、
231回、13年もの歳月をかけて植え継ぎを繰り返して、
菌の毒性が抜けて、かつ人間に対して感染はするけれども、
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病気を起こさないで免疫を弱気させるという、
理想的なワクチン株というのを開発しました。
13年もかかったんですね。
とにかく結核菌は分裂スピードが遅いので、
培養に時間がかかるんですね。
なので、植え継ぎがするまでにすごく時間がかかるということで、
じーっと増えてくるのを待ってはまた植え継いで、
性質がちょっと毒性が抜けたかなどうかなというのを試して、
というのを何回も何回も231回繰り返したわけですね。
という非常に大変な努力と期間を経て、
出来上がったのがこのBCGになります。
1921年、パリの病院で結核患者のお母さんから生まれた新生児に、
初めて蛍光投尿でBCGを与えるということがなされました。
本当に当時は結核患者さんがたくさんいらっしゃって、
結核患者さんから生まれた子どもは結核になりやすいんですよね。
だって空気で感染するからね。
出てきて育てている間に感染しているよね。
という風になっちゃうので、
それで早く免疫をつけようということで、
こういう風なことが試みられたということになります。
1930年、この最初の実験で非常に効果があるということが分かりまして、
どんどんBCGが世界に広まっていきます。
1930年にBCGが世界に広まり始めた矢先に、
ドイツのリューベックというところでBCGを接種した新生児250人のうち、
251人のうち70人以上が結核で亡くなるという大惨事が発生してしまいます。
大惨事どころじゃないよね。
これはひどい事故になってしまったんだけれども、
これを調査した結果、ワクチンの菌そのものが
先祖外裂を起こして毒性を取り戻したわけではなかったんですね。
病院内の研究所で本物の結核菌が誤って混入してしまったということが判明しまして、
ワクチンの製造管理の重要性が世界中で厳しく管理されるようになりましたということなんですけれども、
前もこんな事件をご紹介しましたけれども、
こういうことが過去にあるからワクチンが怖いという話になっちゃうのかなと思いますね。
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何度も何度も人類はこういう事故を繰り返しながら学んできているんだなということになるのかなと思います。
本当に70人以上が赤ちゃんで亡くなってしまうという痛ましい事故があったわけですけれども、
その教訓はちゃんと今受け継がれていますよということですね。
この当時のBCGは蛍光灯を口から飲ませるタイプだったんですけれども、
この場合は胃なので結核菌が消化されてしまって、
免疫反応を覚える腸に届くまでに菌がある程度死んでしまうだろうということで、
かなり大量に飲ませるということをしていたみたいなんですね。
なので、この時に腸で免疫をつけるというやり方と、
この大量に飲ませるというところが事故を引き起こした一つの原因でもあるだろうということで、
少量できちんと免疫がつけれないかなという形で、
いろいろな方法を考えられまして、
結果少量でいけるだろうという形で、
避難注射に切り替わります。
これがハンコ注射の元になるという形ですね。
避難注射というのは、皮下注射よりもさらに薄い皮膚の中に注射をするというような形になります。
なので、本当は針をチョンと刺したところに液を入れるみたいな感じですね。
薄皮一枚を下に打つという感じになるんですけれども、
これが結構ケロイドが残ります。
実は日本はハンコ注射をしていますし、
日本からBCGの技術が渡っていった国、台湾とか韓国なんかはハンコ注射らしいんですけれども、
それ以外の世界では、いまだにこの避難注射が一般的です。
なので、外国人の方でたまに肩にケロイドのような跡を持っている方を見かけることが
もしかしたら皆さんあるんじゃないかなと思うんですけれども、
それはBCGの跡だと思います。
結構BCGでケロイドとかで画像検索すると結構でっかくケロイドが残っちゃっている人とかいるので、
結構跡が残るものなんだなというのがびっくりするんですけれども、
ハンコ注射、さっき大人になっても跡が残っている人いるよねみたいな話を
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富ちゃんがしてくれましたけれども、
それから比べるとハンコ注射はかなりマシ、跡はかなりマシかなと思います。
これはやっぱりケロイドに残るのを防ごうということで、
日本の方で開発された方法になりまして、非常に薄く1回に9カ所を2カ所打っていると思うんですけれども、
それをハンコ注射はほんのちょっとだけしか刺さらないような形になっていまして、
かつ刺す場所を広く薄くすることによってしっかり免疫を届けると、
免疫をつくように必要量をちょっとずつ何カ所にも入れるというやり方で開発された方法になります。
これは世界でなんでそんなにハンコ注射が一般化されていないかというと、
やっぱり専用器具が必要になるので、なかなか発展途上国だと数打たないといけないので、
お金がかかるというところでなかなかまだ作用には至っていないみたいですね。
未だに世界は非内注射が多いですよということになります。
日本のBCGの歴史をちょっとお話ししたいんですけれども、
そんな感じでハンコ注射が開発されたわけですが、
一番最初の頃は1924年、セキュリティの発見者として有名なシガキヨシ博士がフランスでBCGを開発したカルメット博士から直接金株を譲り受けます。
そして日本に持ち帰るという形ですね。
シガキヨシは北里柴桜の弟子で、彼のセキュリティ発見のエピソードは北里柴桜会で紹介していますので、
よかったら聞いてもらえたらと思うんですけれども、
セキュリティを発見したシガキヨシでしたので、非常に世界的に有名な最近学者、感染症の学者さんということで、
カルメットからも一目を置かれていた存在だったんですね。
なので、あなたならきちんと持ち帰れるでしょうということでBCGを託されます。
当然この時代は飛行機とかがありませんので、シガキヨシは受け取った金が最適な状態で温度管理をしっかりして、
それで船でスウェズ運河を越えてインド洋を越えて日本まで持ち運ぶということをします。
途中でもちろん売地の栄養が足りなくなりますので植え継ぎをしないといけないという形で、
船の中で植え継ぎをしながら慎重に運んだそうですね。
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特に船の中なんかその培養装置とか、多分なかなかいいものは持ち入れられなかったと思いますし、
あと電源なんかもどうしたのか分からないですけれども、しっかり温度管理しないといけないですし、
今度逆にこんなインド洋とかですね、とてつもない温度に、高い温度になっちゃったらまたそれはそれで金に良くないので、
どういうふうにやられたのかっていうのをちょっと読みたいなと思ってですね、
シガキヨシさんの電気を書かれているそうなので、それに書かれているということなのでちょっと探したんですけれども、
残念ながらもう絶版になっててですね、手に入らなかったのでちょっとこのあたりは今後調べてみたいなと思っています。
このシガがですね、きちんと管理して持ち帰ってくれた金はですね、金株は日本の中でずっと大事に大事に植え継ぎをされていきます。
ちなみに太平洋戦争中にですね、空襲が起こった時にもですね、研究者がこの金株を持って防空壕に持って行ってですね、守ったそうなんですね。
というような形で、しっかりとこのBCGは金株を植え継ぎながら日本の子どもたちにですね、撃たれていって、どんどん結核にかからない人たちが出てきたという形になります。
その後ですね、乾燥凍結技術が出てきてですね、この金株は保存できるようになります。
それまでですね、172回植え継がれたそうなんですね。
この植え継がれた金株ですね、東京172っていう風な名前が付けられまして、
これはですね、世界的に見ても非常に品質が安定しているという風にWHOからも評価されております。
WHOからですね、国際標準品という形で指定を受けているということですね。
これは初代のですね、カルメットとゲランが開発した最初の株とほとんど性質が変わっていないという形で評価されているそうです。
それってどれくらいすごいの?
やっぱり遺伝子変異でだんだん形が変わってくるので、
なので当時は顕微鏡で形態観察したりとか、あと動物実験で毒性が出てないか。
今度逆に毒性が減る、毒性というか弱すぎても免疫がつかないから困るので、
そのあたりがですね、どうなっているかというのを植え継ぐ、植え継ぐ菌株もいっぱい出ているコロニーの中から多分次はこの株を次に残そうという形でやっていくんだと思うんだけれども、
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その時にどの菌株がいいのかっていうのを顕微鏡で見たりとか動物実験をしてみたりとかして、
それでこれが最適な株だっていうのを毎回毎回選んでたと思うんだよね。
ちょっとずつ変異してないオリジナルの形とか性質を残せるようにずっと研究者が見極めながら株を保存してたと。
ここで誰か手抜いてる人がいたらもしかしたら先祖代わりしちゃったりとか、逆に免疫がつかないようなものが残っちゃったりとかする可能性があったので、
本当にしっかり品質管理をしてたんだろうなと思います。
今だったらこれはどのコロニーがいいのかっていうのは簡単に全遺伝子見ちゃって、変異が入ってないのはこれでいいやってできるんだけれども、
この当時はそんなDNAを見るとかできないんで、顕微鏡観察とかでやったんだろうなと思うんですけれども、すごいですよね。
イニシエの技術はすごいなという感じですね。
1967年に先ほど申し上げた通りで、9本の針がついたスタンプのハンコ注射が開発されましたという形になります。
BCGの予防接種についてなんですけれども、定期接種スケジュールでは、生後5ヶ月から8ヶ月になるまでに受けてくださいねと、
最低1歳に至るまでに打ってくださいということになっております。
なぜ1歳までに打つのかということなんですけれども、
大人の血核は肺に症状が出ることが多いんですけれども、免疫が未熟な乳幼児の場合は、一気に全身に広がってしまって命にかかわるということが起こります。
なので、この乳幼児器官を血核から守るということが非常に重要ということで、1歳までに打ちましょうということになっています。
症状としては、続流血核と言いまして、血核菌が血液に乗って全身に乳幼児の場合は広がってしまって、
肺、肝臓、脾臓などに小さなブツブツができるような状態になりまして、
それから重い呼吸器不全とか多臓器不全を起こしてしまって、最終的には死に至るというような非常に怖いことになってしまいます。
また、血核性髄膜炎というのも発症することが知られておりまして、
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髄膜、菌が脳を包む膜、髄膜にまで到達してしまって炎症を起こすということで、神経系に入っていってしまうので、
治ったとしても麻痺とか知的障害とか重い異常が残るということになりますので、これを防ぎましょうということになります。
だいたい一度打てばその効果は一生というわけではなくて、10年から15年ほど持続するというふうには考えられていますよという形になります。
なのでこの大事な乳幼児期を守るためにBCGを打つんだよということを知っていただければと思います。
日本では今はほとんど若者の血核はあまり効かないみたいな話だったじゃないですか。
1万人ぐらい年間で罹患されるけど多くが高齢者だとしたら、それだけ聞くと打つ必要あるのって思っちゃうんだけど。
日本は東南アジアに近いからね、今東南アジアから来る人も多いし、
人の流入が多いから。
東南アジアとかインドとかもそうだし、太平洋地域、インドネシアとかあのあたりなんかも非常にまだまだ血核患者さん多いので、
日本人集団で守っておくっていうのはやっぱり今でも重要かなと思うんですよね。
あと高齢者の方と一緒におじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる赤ちゃんとか、
よくおじいちゃんおばあちゃんに会いに行くような赤ちゃんは是非打っておいてほしいなと思います。
それこそさ、里帰り出産とかさ、だともうジージバーバの家で生後間もなく生活するじゃん?
とかもう、産んですぐの祖父母がそんなに年老いてるかわかんないけどね。
そもそも日本これからすさまじい速度で進んでるから、そう考えると。
近くにおじいちゃんおばあちゃんがいる方は、もしかしたらかくれ血核かもしれないので、
症状が出始めてるけど、まだ風邪かな?みたいな感じのときに移しちゃうみたいなことがありえる。
ありえるかもしれないので、そこは是非予防してあげてほしいなと思います。
はい。ということで、今回はこれで終わりにしたいと思いますけれども、
次回から1歳以降で打つワクチンについて、マシンとかですね、今流行りのハシカですね。
42:02
ハシカ流行ってますけれども、ハシカとか風神とかそのあたりのお話をしていきたいと思います。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
42:30

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