家事への意識の変化
こんにちは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨てて、ライフコーチとして独立した私のリアルをお届けしていきます。
外で収録をしていまして、有楽町の駅前の交通会館というところのテラスなんですよ。
本当に目の前で新幹線とか山手線とかがひっきりなしに通るみたいなところなので、ちょっと外の音が入るかもしれないんですが、よろしくお願いします。
今日はちょっと集まりがあって、この後有楽町の東京イノベーションベースというところに行きます。
今日の本題なんですけど、今日はですね、長年敵対視していた家事というものに、今は救われているという話をしたいと思います。
何て言うんですかね、状況が変わると、環境が変わると捉え方も変わるなと思った話なんですが、
家事ってやりたくないじゃないですか、好きな人もいると思うんですけど、基本的にはやらなくて済むならやりたくないよなっていう人がほとんどなのかなと思いますし、
私もずっと基本的に家事は好きじゃなかったんで、一人暮らしとか、結婚してからも含めてね、
ずっといかに家事を減らせるか楽にするか、やらなくて済むかみたいなことを研究しているぐらいの20年だったかなと思うんですけど、
最近逆に家事があってよかったというか、これのバランスを保つ上ですごい大事だなと、必要だなと思ったんですよ。
というのも、自動家電とかね、直線機、ドラム式洗濯機、ホットクック、ヘルシー用ロボット掃除機あたり、使えるものは基本的に使っていますし、夫とも分担してたりとか、娘にお願いできるところも増えてきたので、
私たぶん世間的に見ても、家事使ってる時間はかなり短い方だとは思うんですけど、機械化できるところ、外注できるところはした上で、家事代行とかは使ってないですけどね、ほとんど。
外注できるものをした上で、最後に人の手でやるところはやるよね、みたいなことだけをやっているわけなんですが、
家事がもたらす効果
もし仮にそれすらやらなくなったりとか、もう完全に外注しちゃうみたいな形になってくると、私、体全然動かさないかもしれないって思ったんですよ。
今、YouTubeの編集とか、セミナー作りとかイベントとかで、パソコンに向かっている時間が長いので、本当に暇さえあれば、かじりついちゃうっていう感じになるので、
姿勢もどうしても悪くなったりとか、座りっぱなしになっちゃったりとかして、切りがないというか、ここまでやったらOKみたいなものはなかなかないので、本当に気づいたら時間が何時間でも経ってしまうっていう状況なんですけど、
そういう時に、そろそろご飯炊こうとか、このタイミングでこのかじりをやっといてもいいよなというものが発生してくれることで、一旦ここでこれにしようっていう区切りをつけて立ち上がってやるっていう理由ですよね、きっかけができるんですよ。
これなかったら私何時間やってたんだろうみたいな感じで、結構なっちゃったりとかして、さらに残しているかじですよね、最低限これは人がやるというかじなので、やっぱり体を動かしたりとか、手先を動かしたり体を動かしたり、洗濯の歩数とかね、ドラマ式使ってますけど、これはちょっと乾燥機かけたくないよねみたいなものは部屋干しをしていまして、
料理も野菜ぐらいは切ったりとかしますし、そうやって多少手足、体を動かすという瞬間って、そんなに一応作業のことを考えてはいるから、あんまり能動的にビジネスってことを考えている時間ではなかったりするんですよね。
バックグラウンド的には考えているとは思うんですが、考えながらやることってあんまりなくて、どちらかというと半ば無心で作業をするみたいなことだと思うんですけど、これってその前野鳥観察のときにも話したと思うんですけど、アクティブ瞑想的な効果があるのかなと思うんですよ。
洗い物とかって水というか、ちょっと温かめのお湯を使うからリラックス効果があるみたいな話ですけど、単純作業に没頭することで、一回無になれるみたいな感覚があるので、なんかこれリフレッシュになるなと思ったんですよ、最近。
家事による救済とバランス
過剰しながら、ちょっとこういう時間も必要だなみたいな感じに思うことが結構ありまして、こういう時間がなかったとしたらと考えたときにですね、私たぶんその会社員時代ですよね、マネージャー時代とか、家事があるから何とか本当に仕事づけにならなくて済んでたところがあるなと思っていて、
当時でも1日12時間くらいパソコンに抜かれてたと思うんですけど、家事がなかったらもう15時間くらいやっちゃってるわけですよ。
ってなったら、なんかその仕事から強制的に引き剥がしてもらっていたんだなと思って、なんかその全体的なキャパ的にもうオーバーしてるから、もう家事なんてなんでこんなのでやらなきゃいけないんだよ、やらなきゃすんだったら私休めるのにとか思うんですけど、
逆に家事すらなかったらどうせ休まなかったと思うんですよ、私たぶん。仕事をその分しちゃってたと思うので、そう考えるとまだ家事があってよかった、それこそ夫が何でもかんでもやってくれちゃう人だったらというか、そもそもいないから私がやるしかなかったみたいなところもあるんですけど、
全部夫がやってくれて私は仕事に集中できるみたいな状況だったら、やばいワーカホリックになってたと思うんですよね。本当に仕事づけみたいな感じだったと思うんで、逆によかったって思いました。
結局バランスなんですよね。仕事もパンパンで家事もその隙間に詰め詰めでやって、もう全体がキャパオーバーして破綻してるからつらいわけですよ。家事がつらいわけなんですけど、今みたいに全体的な生活に時間にある程度ゆとりとか、自分でコントロールできるところが多いと、このタイミングで仕事はしよう、このタイミングで仕事はしよう、
このタイミングで家事はしようっていうふうに自分で組み立ててできるので、そうすると一つのアクティビティというか切り替えですよね。っていう気分転換みたいな感じかな、として味わえるようになってるなっていう感じがするので、別に家事が嫌なわけじゃないんだなって初めて思いました。
家事がもたらす新たな利点
なんならですよ、最近は娘からおママごとしてくれとか、私の気が乗らない遊びに誘われたときの言い訳として、今これをやらなきゃいけないから、後でとか、ちょっと今日は時間がないからとかっていう言い訳に使ってる。
家事がなかったら、暇すぎて、ずっと娘の遊びに付き合えてしまうというですね、断り文句がなくなってしまうので、私結構家事に守られてるかもしれない。
言い訳が、言い訳カードとして家事が使えるって、あれ結構いい都合なんじゃないかなって思ってきたんですよ。
問題の本質と生活設計
面白いなと思います。特に家はないんですけど、なんか思ったのは、やっぱりそのもの自体が、これは仕事でも何でもそうなんですけど、家事でも何でもそうなんですけど、そのこと自体が嫌だなというよりは、それをやることすらきつくなってしまうような、
生活設計と言うんですかね、全体、暮らしが破綻していると、一つ一つのことは本当にそんなに嫌なことじゃないんだけど、それをきつく感じてしまうっていう、負荷として感じてしまうっていうことなんじゃないかなと思いました。
しかし、どんなに時間に譲りができても、お孫子とは耐えられません。これは好きになれない。どんなに暇でも好きになれないということもありますけどね。
実は自分があんまり好きじゃないと思っていることも、それはそれ自体の問題ではなく、そうさせている生活そのものに、そう思わせている生活そのものに何か原因があるんじゃないかなと。
だいたいそうですよね。例えば、イライラするとか、家族に当たってしまうみたいなことも別に家族が嫌いとか、そういうことではなくて、寝不足とか、そう思ってしまう、感じてしまう、イライラしちゃう、怒っちゃう、その原因がだいたいベースがあったりするわけですから、そのこと自体が問題じゃなかったりするんですよね、結構。
まとめと今後の予定
今日はこの後集まりがあるので、この辺で終わりにしたいと思います。最後まで聞いていただいた方は、いいねとまた聞きたい方はフォローお願いします。本日も聞いていただきましてありがとうございました。