1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/08/25【幸せの形】
2025-08-25 1:13:50

2025/08/25【幸せの形】

幸せは近くにある

サマリー

このエピソードでは、弟の引きこもり問題に関する心の台本や、舞台に上がることと降りることについて考察しています。心の健康を保つためには、感情を観察し、演じる役割から一歩引いて物事を見つめる視点が重要であることが強調されます。弟の心の苦悩や彼が抱える難病、自信の喪失について議論が展開されています。また、心理的な台本や自己認識についても触れ、非常に複雑な感情と向き合う様子が描かれています。 エピソードでは、精神疾患の治療において患者の心理的、社会的背景を考慮する重要性が語られています。特に、男女間の暴力や貧困といった社会的要因が精神的健康に与える影響について議論し、医療従事者と患者が共有する仲間意識の大切さが強調されます。 家族内の葛藤や母娘関係の複雑さも描かれ、特に母親と娘の間に見られる暴力的な相互作用について語られています。また、精神的な安定を得るために、外的な状況を理解し、内面的な思考を整理する重要性についても触れられています。 精神科医が幸せに対する理解と、バイオソーシャル、サイコー、スピリチュアルの4つの側面からアプローチする重要性を探求する内容です。また、コミュニティの解体がスピリチュアルペインに及ぼす影響についても考察されています。幸せの形についての考察が展開され、トイレの中での発見や、心の結びつきが幸福感に与える影響が語られています。

疲労と内省
それでは放送を始めます。
進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年8月25日、月曜日22時2分、当直室から生配信です。
私です、どうも。いちごうさんどうもです。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
僕はなんか今日やたらと疲れたんで眠いんですけど、
何かね、30分でもちょっとアウトプットしてから寝たいなって感じ。
本当にただただ患者さんとか看護師さん達の話を聞き、周りの先生方の話を聞き、
あんまり自分のアウトプットをせずに今日終わっちゃったんですよね。
自分の本音を語らずに終了ですよ。
こんばんは、どうも。
いちごうさんどうも、お疲れ様です。ありがとうございます。
あんまり語りすぎないのもね、ちょっとインアウトバランスが崩れると、
あとあと体調崩す原因になっちゃうんでね。
こんばんは、どうもです。
なのでまあ30分サクッと話して終わりますかね。
月曜日はいつも疲れるんだよね。
あと最近その弟のね、その引きこもり問題っていうものについて、
ずっと頭の片隅にずっとそれがあってさ、
なんかそれを早く取りたくてなんか結構難しめの本を読んだりとか、
最近その学会のオンデマンドのビデオ講座を見て、
それでまたいろいろ思い悩んだりとか、なんか疲れましたね。
心の台本の理解
難しく語ろうと思えばいくらでも語れるんでしょうけど。
まあなんかもう疲れた。
こんばんは、お疲れ様、どうもです。
まあ引きこもりの弟に対してどう接するかっていうかね、
まあ結局他人を、まあそれが例え兄弟だったとしても、
他者を直接的に操ることはできないからね。
脳みそをいじくらないと。
でもそんなことはできないんで。
問われているのは僕自身の行動とか言動ですね。
何を言うか弟に対して。
どう働きかけるか弟に対して。
それしか僕は管理できないので、
まあ最近それについて考えてます。
そして盗職と。
まあすっごくありがたいことに今病棟も結構落ち着いてるんですよね。
少し前までね、何人か既得状態の方がいて、
なんかずっと心がもやもやしてたんですけども。
まあ良くも悪くも全員お見送りできて。
まあ今なんか急にちょっと落ち着いちゃったって感じ。
弟さんはどうですか?
いやどうでしょうね。
相変わらずです。
でも弟さん認知行動両方にご興味を持たれたのはとても良い感じです。
そういう傾向ですよねと。
ただこの間の心の台本の比喩を使ってちょっと話したことなんですけども、
人生というのはある意味舞台演劇みたいなもので、
私たちは幼少期の頃に書き込まれた、
自分以外の何者かによって書き込まれた台本を心の中に携えて生きていて、
自分でその台本を直接読み取る術はないんですけれども、
でもその台本に従って私たちは知らず知らずのうちに対人関係を築いてしまっていると。
だから対人場面でよくトラブルを起こす人とかね、
人間関係つらいですっていう人はその台本に何か自分にとってまずいことが書かれてるんじゃないか。
不都合なことが書かれちゃってるんじゃないか。
筋として。
例えば必ず相手に尽くさなければならないみたいな筋書きが書いてあったりするとすごく辛くなりますよね。
そういった劇的な視点から最近ちょっとね、
人の心について語ることが最近増えてまして。
詳しくはね、YouTubeのアーカイブに全部載ってますんで、
そこを見て復習していただきたいんですが。
で、そこの中でちょっとね、比喩として出てきた、
その舞台に上がることと舞台に降りることっていうのが結構今は僕の中ですごく一番強い関心があるところなんですよね。
舞台を上がる、舞台を上がることっていうのは、
まあその弟の悲劇の台本を演じるっていうことですよね。
引きずり上げられるみたいな。
弟側が何か私に何らかの役柄を押し付けてきて、
それをなんか私が知らず知らずのうちに演じているみたいな。
それが舞台に上がること。
だとすると舞台降りることっていうのは、その演劇をまさに観客席から眺めるような、
そういう第三者的な視点とか上視点を獲得することなんですよね。
これは非常に精神的な健康を表していると思います。
自分自身の病んでいる部分とか病んでいる台本をね、
病んでいる演劇を外から見る観客の自分というのはすごく健康度の高い心ですよね。
もしそういう視点が持てるとしたら。
だから舞台降りるっていうのは、ちょっと響きはあんまり降りるだから良くないんだけど、
実はすごく健康的な証だと思うんです。
みんなその心の健康を獲得するにはやっぱり舞台を降りる自分っていうのも、
やっぱり持っておきたいねっていう話なんだけど。
舞台を降りるようなことが弟にはできてないんだなっていうのが、
自己愛と現実逃避
最近の一番の関心事ですね。
なぜ弟は舞台を降りることができないんだろう。
僕もできなかった。20代ぐらいまではね。
今も知らず知らずのうちに自分の意図しないところで舞台が始まっちゃって、
すぐに降りれないっていうこともあるけれども。
でもなんかそうやって演劇に巻き込まれながらも、
ちゃんとそこから降りて見ているもう一人の自分っていうのがいるんですよね。
割とその交互な、演者の自分と観客の自分の交互の入れ替えみたいなのが
結構配信上で起きているなって。
それを見て面白いって言ってくれる人がいるのかなと。
さすが言語家がすごいですねとかさ、さすが精神科医ですねみたいに。
たまに褒めてくれる人っていうのは多分そこの変わり身の部分。
こっちの役もやってあっちの役もやって二刀流すごいですねみたいな大谷じゃないけどさ。
先生二刀流できるんですねって。
きっとそこを見てくださって褒めてくださっているのかなっていうふうに思うんですけど。
こういうものを結構僕は知らず知らずのうちに弟に求めがちなのかもしれないね。
俺にできたんだからお前もできるだろうっていうノリで話すと全くできないことに結構驚くというか。
ビビりますね。
マジかと。
だいたい同じぐらいのIQで同じ家庭で座っているのに
ここまで人生の理解というか心の理解っていうものが全然違うものなんだっていうことに
改めてちょっとね衝撃を受けているって感じかな。
舞台を降りるイコール観客として見ているというか
人生というものを演劇として捉えた場合に
人生のど真ん中を生きることは舞台の上に上がることで台本を演じ続けることなんですけれども
そこから降りて一旦台本から逸脱するというか
その世界の外側に出る。
だからお笑い芸人で言うとこのコントを一旦降りるっていう状態で
つまり客席に座っている客と一緒に笑っちゃっているわけですよ。
まあそれが面白いっていう瞬間もあるかもしれないけど
基本的には芸人はちゃんとコントを降りるなよっていう話だよね。
笑えなくなっちゃうんで、客が。
だからコントを一旦降りるという状態で
コントを一旦降りるという状態で
コントを一旦降りるという状態で
コントを降りるなよっていう話だよね。
笑えなくなっちゃうんで、客が。
まあそういう舞台構造ってあると思うんですけど
人生もそういうものなのかなと思うんですよね。
基本的にそれに気づけた人がコントを降りたりすることができるんだけど
降りられない人っていうのがそのコントの世界で
奇妙な世界に巻き込まれていって病んでいるっていう
病み続けるコントから降りられない。
今日だからずっとグロックと
舞台降りられないことについてね
ずっとなんか議論してた。
そしたら今日疲れちゃった。
さすがに仕事の合間にはできないので
最初朝9時くらいいつも書類仕事してるんですけど
そのついでにね、今日早く書類が終わったんで
グロックにバババって一通り全部長文で
僕の今思っていることと
昨日の配信の内容とね
昨日までの今までの配信内容も全部
グロックに全文解析させて
僕の配信の文字起こし原稿ですね。
それを全部グロックに読み込ませて
で、今こういうことになってるんだけど
じゃあこの弟にとって
舞台を降りるってことはどういう意味なんですか?
みたいなことを
今日精神分析的にずっと議論してた。
最初そのくじ台にバンと問いを投げると
答えが出るまでに5分とか6分かかるんで
めちゃめちゃ考えてくれて
その間に病棟を回ってきたりとか
他の仕事をして
で、またパソコン見て
結構ここまで進んでるけど
ここの意味がよくわかんないから
またカチャカチャって打って
ポンってエンター押して
またしばらく放置してみたいな
仕事の合間合間に問いを投げて
僕が作業をしてる間
他の仕事をしてる間
診察してる間
とりあえずグロックに考えさせるみたいな
なんか今日そうやって回ってました
議論が
だから専門的に語ろうとすれば
グロックから専門的な答えが返ってくるんですよ
弟さんというのはおそらく
妄想分裂ポジションから
欲打つポジションへの移行の間にあるような
神的退避っていう
ジョン・シュタイナーっていう精神分析家が
提出した概念があるんですけど
そのある種の退避という
中間にあるポジションに
はまり込んでしまってるんじゃないですかね
みたいな
だからすごく自己愛的にね
お前に何が分かるんだよ
っていうふうに言うことによって
ある種ちょっとマゾフィスティックに
自分自身は優れてるんだみたいな
そう髭しながらも
こんなに苦しんでるのを
結局お前には分からないだろうね
みたいな
謎の実践的な
自信心も立ち上がったり
プライドが立ち上がるっていう
そう到底おそらく
この世界で俺しか分からないだろう
みたいな
そういうナルシスティックな部分も
あるんだと思うんですよね
60年代とか70年代に
ハーバート・ローゼンフェルドっていう
精神分析家が
自己愛ギャングとか
心の要塞っていうふうに
呼んだ状態ですね
あまりにも
自分とかあるいは他人に対して
罪悪感を抱くっていうことが
もう辛すぎる場合
人は自己愛の中に
引きこもってしまう
つまり
俺をこういう目に合わせた
お前たちが悪いんだって
お前らがバカなんだよと
俺は間違ってないんだっていう
あのそういう
お城の中にこもって
でひたすら徹底抗戦してしまう
っていうね老上して
周りのやつ全員敵だって
いうポジションに入っちゃう
うん
なんかこれがもしかして
その舞台を下りられない状態なのかなって
もう完全に退却して
現実との接触面を失っていて
僕は何か手伝ったりね
まあこの間ね
ちょっと昼飯に誘ったんだけど
まあなんか
飯でも食いながらちょっとね
前向きに頑張ってこうよみたいに
こっちはね
こう良かれと思ってやることが
あの全部裏目に出ちゃう
つまり兄貴は金があるから
そうやって人に奢ることができるんだろうと
でそれに引き換え
俺には何もないわけだから
ふざけんじゃねえよみたいな
お前に何がわかるんだよみたいに
全部そのお前に何がわかるんだよっていう
あのナルシスティックな文脈に
全部回収されちゃって
こちらが何をやっても
弟の心の苦悩
全部そういう文脈で解釈されて
もう手がつけられないみたいな
本人はその舞台から降りないんですよね
舞台から降りることは
すごく鬱になったり
自分自身が天才ではなくて
やっぱりただの落ちこぼれだったっていう
惨めな自分を見なくちゃいけなくなるんで
それを直視できないっていうことなのかもしれない
だから死んでもその舞台から
降りないんじゃないかなって
今ちょっと心配になってますね
最終的に生活保護になっても
いや俺の方が正しいんだよっていうことを
なんかひたすら言い続けて
周りの助けてくれる人とかね
援助者の行為を
全部裏切っていくような気もして
まあなかなか難しいところに
はまり込んじゃってるんだろうなって
思いますね
っていうことをなんか今日グロックと
ずっと議論していくうちに
だんだん僕の中で
なんか言語化できるようになってきた
あと今まで読んでなかった本とかもさ
解析させてついでに
今回の弟の心理状態について
何か関連している箇所はないですか
とか言って
その弟関連で
なんか今まで読んでなかった本
読んじゃって
なんか今まで読んでなかった本
読んだりとか
またAIに解析させたりとか
そういう形で僕自身
内的世界はより豊かになっていくし
向こう側の苦悩みたいなのも
見えてきたので
まあとりあえず良かったかなと
まあ体験としてはね
ポジティブなものに
今僕自身の個人としては
変えられてるかなと思うんですけれども
あんまりね弟の悪口を言って
ネガティブな方で
処理しちゃしょうがないんで
なるべく僕自身にできることは
勉強することとか
弟の気持ちになって
その気持ちを一旦
味わうことかなと思ってね
そうすると自然に
こっちも元気がなくなるんですけどね
弟はむしろピンピンしてて
僕の方が元気なくなってからね
難病と自己認識
まあなんか今そんな状態で
割とね体の調子は良くて
弟生活も随分進んでまして
ここ最近の中ではかなり
体調はいい方だと思いますね
血圧もおかげさまで落ち着いてきて
体重もだいぶ落ちまして
まあ体重落ちるとやっぱ
血圧もだいぶ落ちるね
このままいけばフルマラソンとかも
チャレンジできるかもなと思いながら
まあとりあえずちょっと
ハーフマラソンとかそういう方から
やっていこうかなと思うんですけど
そうだから体の方はいいんだけど
メンタルの方はいいんだけど
でもね
そうだから体の方はいいんだけど
メンタルの方の調子がいまいちなのは
まあその弟側の
心の台本に今
引きずり上げられてるからだろうな
と思いますね
彼の世界では
傍若無人な迫害者と
それを理解できない無能な人
っていう役がね
役柄があって
二者関係があって
で僕の方にその
役柄が来ちゃったんだなっていう
弟の方がむしろ有弁でね
何か偉そうで
なんか世界の真理を掴んだようなことを
言うんですけども
なんか心を食った蚊のようなね
ことを言ってくるんですけど
まあそれがね
猿芝居というか
その三門芝居に
どこまで付き合いつつ
どこからその舞台降りるかね
そこの塩梅が難しいなと思う
今日この頃です
ちょっと難しい話になっちゃったね
なんか難しい本読むと
口からついて出てくるのも
なんか小賢しいね
難しいことばっかですね
そんなことを配信で話しても
しょうがないんだよね
すごい難しいね
何言ってんだろうってね
お話しくださいって
いずれちゃんとあの口に馴染んできて
もう少し僕の言葉でね
ひらがな言葉で
もう少し話せるようになると思う
僕の中では分かってるんだけど
でもそれは
僕の中のね
なんかこう
メモが気にすぎないですよね
まだちゃんと人に伝えるための言葉には
まだなってないんだと思う
こんなお兄様がいて
弟様は幸せ者で
いやただね
弟の世界
弟の主観の中では
やっぱりすごく辛いんだと思うね
素晴らしい父親とか
素晴らしい母親とか
素晴らしい兄貴を持つということがね
本人の中では
その眩しさっていうのが
本人の体を貫くぐらいに
感じられてるんじゃないですかね
もはや痛みを伴うというか
だからその
自分を突き刺すような
眩い光を放つ者からさ
身を隠すように今
引きこもってるんですよね
自分の
自分のことを
全肯定してくれるネットの誰かにすがって
引きこもってってしまうんですよね
逆に弟さんが今
この現状であるべき状態って
どんな姿なんだろう
っていうふうに思った
難しいよね
現実逃避をして
今具体的にはね
何かボイストレーニングみたいなこと
やってるんですよ
一時期歌手になりたい
っていうふうに言ってたんですよね
そんな大昔じゃないです
本当数ヶ月前とか半年前ぐらいまで
いやでももう30半ばで
それはないんじゃないかな
っていうふうに思いつつね
本人にその事実を伝えることは
なんか虐待みたいになっちゃうわけじゃん
この舞台の上では
いやだから難しいなと思うんだよね
すごく
本人はその舞台から降りてこないからね
まだ自分がその物語の主人公で
僕とかね
母親とか親っていうのは
その主人公をけなす敵だよね
サクセスストーリーに出てくる
敵みたいなもんですよね
これが妄想分裂ポジションなんですけど
そういうふうに世界を劇的に
敵と味方で捉えるね
白黒はっきりした世界っていうのが
妄想分裂ポジションなんですけど
今その
それを辞で言ってるような状態ですね
だからこのまま頑張れば
歌手になれるかもしれない人生を
なんで邪魔すんだよっていうような
態度なんで
なかなかこの舞台やばいっすよ
こんばんはどうもこんばんはです
7号さんどうも
ある意味だからね
どんなにお歌が好きで
歌手になりたいと思っても
どっかでみんな
その舞台降りるじゃないですか
まあまあ夢を目指していくという劇もあるけど
でもそろそろ現実見なきゃなっていうふうに
舞台降りてくと思うんですよ
あるいはもう追い出されちゃうと思うんです
舞台から
それがね現実を知るとか
自分自身に出会うとか
あるいは他人に対する感謝の気持ちを持つ
っていうことだと思うんですけど
今まだその次元にはないってことですね
弟は
まあねあの
歌手には慣れないと思うんです
僕も弟の声を聞いたことあるんだけど
あの
本人が言うほどそんなに
すごいのかなって
まあ僕もほぼほぼ同じ声を持ってるからさ
まあ確かにね
こう正規分布で取ったら
まあちょっと個性的な
いい声に入るのかもしんないけど
残念ながらその程度の声なんだよね
弟さんは難病から救われてよかったですね
あの
6号さん
そうなんですが
ただ難病によって
奪っていったものも
きっとたくさんあるんだと思うんです
だから母親だけの関係ではなくて
母親が自分の人生から
様々なものを奪ったっていうだけじゃなくて
うちの弟の場合は
その難病になってしまった
手足が動かない
で自分の腕で
車椅子さえ動かすこともできない
だからもう人から
後ろから押してもらうしかなかったわけですね
なんかそれ
その難病っていうものも
その内的世界の
迫害者みたいになってるのかな
迫害者っていうのは
つまり自分を痛ぶるもの
世界をより過酷に
してしまったんじゃないかな
だから難病っていうものを患ったことが
心の台本を非常に
ハードモードにしてしまったんじゃないかな
悲劇の中でも
かなり解決不能なぐらい
追い込まれた演劇っていうものを
になっちゃったんじゃないかな
台本になっちゃったんじゃないかな
統計と心の治療
そこがもしかしたら
僕と弟の大きな違いなのかもしれないよね
ある種のこう
PTSDに近いのかな
とも思いますね
爆撃されて空爆で
体の一部を失ったりとか
あるいはご両親を失ったりとか
あるいはそういう風に空爆する運転士だったりね
爆弾落とす側の心の傷だったり
あとはレイプですよね
普通に生活しているときに男性に襲われて
レイプされて子どもを下ろしたりとか
そういう人生を揺るがす
被害体験ってあると思うんですけど
外傷体験
トラウマ体験ってあると思うんですけど
割と弟の難病はそれにほぼほぼ
同列
匹敵するような
かなりきつい体験だったんだろうな
と思いますね
客観的に見ても
100万人に1人しか発症しない難病なんですよね
だから
当然日本に
自分と同い年で
自分の病気の人がいないんですよね
一世代今100万人以下なので
この間
生まれた数が
70万人でしたとか
80万人でしたってあるじゃないですか
100万人に1人の病気ってことは
自分と同学年に1人もいないんですよね
同じ病気の人が
そのぐらいかなりレアな疾患になってしまって
自分の病気を
自分の病気を
そのぐらいかなりレアな疾患になってしまって
救いもないっていう状態が
人生のある時期
中学校1年生からの
3年間あったので
それは確かになって感じだよね
ただ単に
余ったれてんじゃねーよとかね
その打たれ弱いやつだな
っていう話でもない
厳に傷ついてしまったんだと思うんですよね
自分じゃ全く無力で
努力で何も解決できないって
自分が
自分じゃ全く無力で
努力で何も解決できないっていう
事態に結構
人生の最初期に出会ってしまった
それはすごく不運なことだったなと思いますね
誰のせいでもないんだけど
何をやっても
無力
無能
そういう人生が
最初の3年間あったんでしょうね
中学校の
私は長い間精神科にかかっていますが
結局何年かかっても
誰も治っていないですよね
過度な一般化かなと思いますけど
あなたが治ってないから
治ってない人が
すごく目につくんだと思います
そういう時は
主観ではなくて
客観的な統計的なデータを使うしかない
主観的に考えると
結構ワクチンとかも
効いてないんじゃないか
っていう人出てきますからね
だから統計が必要なんだよね
30過ぎて
実になって
精神的健康と医学的治療
実になってなかったら
それが
そうなんだよね
でもその普通っていうのが
なかなか通用しない
そうは言っても
最近はやっぱり歌手になれないかもな
っていう風には
なってきてるみたいですけど
でもなんかね
そうは口先では言うんだけど
まだワンチャンあるんじゃないか
っていう可能性を
捨てられないんですよね
こんばんはどうも
初めましてどうも
さしみ先生と呼んでもよろしいでしょうか
私もうつ病持ちです
どうもです
さしみ先生でも
先生だけでもいいです
ここに来る配信の人は
みんな僕のこと先生って言いますけどね
別に強制じゃないです
主でもいいです
とりあえず児童園長で
なんと精神科患者で
治ってる人がいるんですねと
ここで言う治るっていうのを
どういう風に八郷さんが捉えてるのか
わからないけれどもね
その感慨といって
薬である程度コントロールが
うまくついている方も
僕らの感覚ではもう治ってる人だし
そういう方が定期的に
薬だけ取りに来るんですよね
最近どうですか
いやーぼちぼちですね
そっかーじゃあまた
3ヶ月後に来てくださいねって
一瞬で終わっちゃう外来とか
そういうのも結構コントロールついてる
って意味では治ってる
社会的要因の影響
あとは本当にもう
適応障害の人たちとか
普通に来る必要ないと思うね
ある時期は支えが必要でね
補助輪をつけるみたいに
必要だと思うんですけど
ある時補助輪外して
勝手に自分で治ってっちゃいますね
あとはパニック障害とか
恐怖症とかも結構
治っちゃったらもう来ないですよね
薬も飲まないし
人生つらいししんどいです
しんどいし救いがないこともありますよね
僕やっぱりこの
田舎の精神科病院に来て
結構闇が深いなと思うのは
男尊女卑ですね
結構女性のうつ病の患者さん
60代とか70代の方で
やっぱり旦那さんから暴力を受けていたり
あと人格否定ですよね
もうお前はダメだとか
だからダメなんだよって
人前で怒鳴られたりとか
それでなんかブルブル震えてる患者さん
いるんですよね
こういう方はやっぱりなかなか
SSRIとか交付剤とかで調整しても
いかないですよね
すごくそういう社会的文化的な
ところの歪みで
結構やられちゃってる人もいます
それはやっぱりなかなか良くならないね
解決不能な問題の一つだと思う
精神科医だけでの解決は不可能ですね
社会全体の何か構造的な変化が
必要なのかもしれない
なのでネガティブケイパビリティっていって
結局解決不能な問題に対する
ある種の耐性
ストレス耐性っていうのが
精神科医と患者さん
ずっと治んないで
通院してるじゃないか
だから精神科医の腕が悪いんだっていう人
いるかもしれないけど
今みたいな断層除皮みたいなパターンも
結構あるので
だから治らないかもしれないけど
ある種の希望として
同じ苦悩を分かち合ってくれる仲間が
ちゃんといるっていう状態が
大事なんじゃないかなと思うんですよね
こういう解決不能な問題に対しては
だからそういう人は
安易に治ってないんだから
精神科医は意味ないんだっていう人っていうのは
多分そこら辺の力度というか
裏側があんまりよく分かってない人なんだ
と思うんですよね
解決不能な問題が世の中にあるんだ
っていうことが
本当は知ってるんだろうけど
無視しがちな人だと思うんですよね
あえて
見て見ぬふりをして
避けてる人だと思うんですよね
そういう
共に絶望する仲間としての主治医
先生またうまくいかないか
いかないんですよね
いや大変ですよねみたいな
何の解決にもならん話を
ずっとできる相手っていうのも
ある種の救いなんじゃないかな
と思うんですけどね
絶望をちゃんと絶望として受け止めてくれる人
あんまり下手にプラスに
添加しないですからね
精神科医って
いやでもあなたね
これ逆にチャンスかもしれませんよ
っていう人はやっぱ詐欺師だと思うんだよな
いやそれ旦那さんからのDV受けてるっていうのは
逆にある種の資産だと思いますよみたいなさ
なんかいないわけだから
あなたはむしろ恵まれてるんですみたいな人って
やっぱりちょっと嘘つきだよね
なんか無理にポジティブに
添加しようとする人って
なんか人を騙す人だと思うんで
医者はそういう小賢しいことしない
まあなかなかうまくいかないですよね
って言って終わりだね
出口がないところをお互い
抱えていく
それも大事な職業だと思うんだよね
非常に格好悪いし
あのね
誰もテレビの取材とか
受けることはないと思いますけど
そういう何も解決できない
精神科医に対して
あんまり情熱大陸とかね
なんか取材の密着とかが入る
イメージはつかないですよね
実際全然キラキラしてないし
目覚ましい成果もあげないんだけど
でも世の中に絶対に必要不可欠な
職業だと思うんですよね
こういう闇を取り扱うというか
どうしようもない問題は勝ち合う人たち
なんか認知行動療法とかやると
全部解決できるんじゃないかって
パーッとね
こう華やかなイメージを抱くんだけど
実際断損除皮の問題に対して
やっぱりかなり限界はあるよね
ヤンナよりかはやってみるのもありだけど
でもそれで何か断損除皮の
その状況が治るんだっていうのは
ちょっと古代妄想かなと思うね
認知行動療法だろうと
何療法だろうと
やっぱなかなかうまくいかない
なのでそういう患者さんと
今ずっと外来でつながってるんです
けど話は暗いよね
でもたまにちょっと
大谷の話したりとか
ちょっとだけ気が紛れる話をして
終わるんだけど最後
でも基本は辛いですよね
なかなかうまくいかないですよね
っていう話を淡々と聞く
私の場合は
十五さんの場合は
一時期感慨していましたが悪化しました
主治医が合わなかったのが大きいです
委員長が変わってから
馬の合う先生に変更
失礼のない程度に
話して先生とコミュニケーションが
できています
結果良かったですね
雨降って字固まるで
教祖みたいな言い回しで
そうなんですよね
良くなりますよっていう
あいな補償は僕もすべきじゃないなと思いますね
実際精神科が扱う
ある種の症状
なんていうんだろうな
治療と仲間意識
精神科医が
落ち込んでる人とか
病んでる人を見たときに
まず三つの側面で
治療的に
生物学的 医学的な側面と
心理的な側面と
社会的な側面
それにプラス
スピリチュアル的な側面
実存とか
そういう四つで切り分ける先生も
いるかもしれないけど
まず初手としては
三つぐらいかなと思いますね
この人を精神病理学的に見て
どういうふうに治療できるだろうか
あるいは精神薬理的に見て
やっぱり脳の前頭腰の機能が
落ちているのかな
とかっていう
そういうバイオロジカルな理解ですよね
まず切り分け方一
でもなかなか脳とか
神経伝達物質とかだけでは
うまくいかないのが
社会的な問題
男尊女卑とか
あとDVを受けているとか
虐待を受けているとか
会社の上司から毎日
苦毒と説教を受けるとかね
あとは単純に貧困の問題
金がなくて
なかなか飲み会も出るのが
出れないと
友達と休日遊びに行く金もない
親に仕送りもできない
みたいな社会的な問題
もう一つが心理学的な問題
ずっと僕が今話してきた
幼少期の頃の心の台本の問題だね
ざっくりといっても
この三つぐらい
もっと分けると
多分100とか200ぐらいあるのかもしれないけど
そうなってくると
医者ってなかなか
少しベンゾージアゼピン系
を増やしてみようかなとか
できるんだけど
社会的な方
旦那さんとうまくいかないんです
みたいな問題はやっぱり
ちょっと手回らないし
ましてや会社で
嫌な人がいるんですって話は聞けるけれども
精神科医が何か
その人をぶちのめすことできないですからね
何やってんだこの野郎みたいなさ
うちの患者に手出してんじゃね
この野郎みたいに
殴り込むことはできないんで
精神科医の出る膜じゃないというか
精神科医以外の何か
PSWとかね
ソーシャルワーカーを使って
何か介入することを考えないといけない
他の職種の人たちと連携しないと
解決しない問題
心理学的な
心の台本的な話も
1回展開するとすっごく長くなるしね
だから通常の今の日本の精神科臨床の
5分10分臨床じゃ
使えないので
実質この3分の2
実質この3分の1の領域しか
使えない
だからその3分の1しか
使えないことを
精神科医は自覚してるんだけど
世の中は自覚してないんだよね
病んでる人を精神科医が
全部治してくれるものだと思ってるんで
そこら辺の認識のずれが
無知っていうかね
無理解っていうのが結構
精神科医に対する
無理解というか
批判につながってるのかなと思うね
無知ゆえに
あるいは課題な期待を
抱いてるがゆえに
精神科医を叩くっていう
方向に行ってるのかなと思いますね
叩くのも別にいいですけど
普通に精神科医ですと言って
フワッチで配信してるだけでは
なんか叩かれますからね
なんかすごい世界だなと思うね
よっぽどストレスたまってんだろうなって
僕なんかを叩いてね
解決するんだったら
別に叩いていただいて結構ですけど
そういう形じゃなんか
解決しなさそうだし
やっぱり無理解から来るんだったら
その理解を深めることが
大事なんじゃないかと思うんですけど
5食代の宿泊学習までに痩せたい
何ですか5食代って
40キログラムくらいが目標です
体重ね
ごめんなさいなんか飛ばしたな
奥さんを人前でも
罵倒している爺さん見たことがあって
びっくりしました
あと僕もこの間
何日か前にスーパーで
買い物してたら
ちょっと夜遅かったんです
もう10時過ぎてたと思うんですけど
そのなんか
母親と娘
娘も多分もう4,50代
40代ぐらいかな後半ぐらいで
で母親が
何歳なんだろう
70後半ぐらいなのかな
家庭の葛藤
がもう娘がどなっちゃって
お母さんもなんか背中丸めて
ちっちゃくなっちゃって
はいはいはいとかって言って
あれ見てるとね
うちのおばとおばあちゃん思い出しましたね
おばっていうのは
僕の母親の妹なんですけど
おばがすごい人だったんだよね
もう本当にわーってどなって
でおばあちゃんももうシュンと鳴るみたいな
背中も曲がっちゃってね
駒くやぶれるんじゃないかなっていうぐらい
普通にどなるんですよね
あれを思い出しましたね
まあね
だからよく
いろいろ
周りを見渡してみると
うちみたいな悲劇が起きてることって
結構あるんじゃないかなって
思いました
五式大という山
気の弱そうなお母さんだった
疲弊してる感じの顔だったね
周りの人が見てるからもうやめてよ
みたいな
って言うんだけど
娘はもう容赦なく
どなり散らしてましたね
じゃあ私にこんなこと言わせないでよ
みたいな
すごいな
一応僕もここにいるんだけどな
みたいなさ
僕という他者がいることによって
何か抑止力になるかなと思って
ちょっと立ってたんだけどね
何か商品物色する体で
でも何の抑止力にもならなかった
人がいるってこと
気にしないで
気にしないんだね
ああいう人は
いつもそうなのかもしれないですね
だからあれが悲劇だよね
心の安定の重要性
家族っていうのを見るとやっぱり
地獄ですね
男尊女卑の問題と
意外と母娘密着問題ね
結構40代になって
50になっても
未婚の
ずっと実家にパラサイトしている
娘と
母親の
いさかい問題
あれもだからある意味で
舞台降りれない状態ですよね
2人のどちらも
その舞台から降りていない
降り方さえ知らない
何か言うと
じゃあお前がやれば
あんたがやれば
逆切れしてくるみたいな
降り方さえ知らない
あんたに何が分かるの
お前に何が分かるの
部外者のくせにみたいに
食ってかかる感じはね
結構どこも共通しているのかな
うちの配信では
全く取り扱えないです
正直あんまり興味ないです
すいません
もう1回体重書いたら
あなたブロックします
9号
これ最終通告ですね
珍しい
大体何も言わずに
僕いつもブロックするんだけど
これを優しさだと思ってください
あんまりブロックしたくないんで
何度も言わせないでください
出ていくか
その2つから選んでください
喧嘩に負けて病んだ人が
精神科を受診すると
薬出ますよね
喧嘩に負けて
まあまあそうだね
上司にボロッカスにされたり
ハラスメントを受けて
ボロボロにされた人は来ますよね
舞台から降りる方法のコツって
あるんだろうかと
舞台降りるっていうのは
比喩ですけれども
少なくとも
降りる本人にとって
何かしらの精神的に
くつろげる
安心できる何か空間とか
時間が必要なんじゃないかな
信頼できる相手とか
そういう安心できる条件が
まず整っていることじゃないかな
でもそれでも降りてこない
思考の整理
うちの弟みたいな人がいるんで
相当
相当病理が根深いんだろうな
と思うんですけど
あとはやっぱすごく
単純にまず知識をつけることって
大事だと思いますね
増田祐介先生
早稲田メンタルクリニックの
あの先生の言っていることとか
本とか見ると
主観2.0を獲得しましょうって
書いてあるんですよね
つまり今までの主観っていうものから
またちょっとバージョンアップした
一個上から見下ろせる
メタな視点というか
そういう主観2.0を獲得するには
ちゃんと精神科医が言っていることを
聞くとか
メモして
一回頭に入れてみるとか
宗教じゃないんですよね
フィクションを使うんだけれども
結構現実に設置した
上手いフィクションなんですよね
精神科医が使っているフィクションって
悪魔がついているんで
ちゃんとお金払いなさいとか
そういう人を揺さぶって
金を巻き上げるみたいな
やり方ではないんです
基本的に
知識を得たからといって
害になることはない
基本的に
騙そうとしている人に
教わったらあれですけど
信頼できる精神科医の先生に出会ったり
その本を見つけたら
その先生の本を読むっていうのは
結構いいと思いますね
一冊だけではなくて
何人かの著者に当たってみて
乱読する
とりあえず手当たり次第読んでみようと
そうするとおぼろげに
何かなってくるんですよ
おぼろげに
自分の心っていうものはこういうもんなんだな
とかさ
あるいは人間の心っていうのは
一つじゃないんだなとかね
僕が皆さんの前にいるとき
僕は配信者ですよね
でも弟と一緒に話しているとき
僕は兄貴ですよね
病院に行くと僕は先生ですよね
みたいに結構
その場その場で
何か自分というものを引き出して
その全てが
借り物ではなくて
何かよくペルソナみたいに言う人いるけど
僕はちょっとそのイメージじゃなくて
全てが本物の自分なんですよね
配信者として話している僕も
僕ももう完全に
本音で話しているので
間違いなく本物の自分ですね
でもそういう本物の自分というものを
複数みんな買っているというか
持っているんですよね
風船みたいなもので
いくつも同時に持つことができるんです
赤い風船も
紐づけて持つことができるし
緑も持てるしみたいな
でもその風船をたまねている
自分というものもいるんですけどね
それを全て握っている自分
そうやって器用に
場面場面に応じて
使い分けるということが
多分心の機能なんだと思うんですけど
こんばんはどうも
っていう何かね
単純に本当の自分と
偽物の自分がいるんですみたいなさ
人間の心は二面性があるんですって言うと
何か二面しかないような気がするけど
そうじゃなくて
健康服みたいに
今日はこの服着ようかなとか
明日はこの服着ようかなみたいな
でもその全てが本物じゃないですか
みたいに人の心もそうなっているんですよね
だから健康な心っていうのは
一つしかない顔ではなくて
例えるならば
衣装室みたいな感じ
いろんな服があって
さあ今日はどの服を着ようかなっていう風に
選べる人っていうのが
多分一番健康的な人なんだよね
その場にふさわしい自分というものを
引き出せる人
あるいは相手に合わせて
どの服着てほしいですかって言って
選んでいいですよみたいにさ
服を人にこう
いくつも見せることができる人というか
何か僕はそういうふうにね
人間の本音っていうものを捉えてるんですよね
とか心っていうものを捉えていて
医療保護入院とか強制入院とか
非自発的入院になっちゃうような患者さんが
統合失調症の患者さんっていうのは
顔が一つしかないなって思いますね
本当にかわいそうなくらい
一つしかないなって
全然その車場で
病院の外で歩いてる人と
顔の数が違うね
服の数が違う
持っている絵の具の色の数も違う
それが病んでるってことなんじゃないかな
と思うんですよ
舞台から降りる方法っていうのも
そういう何かちょっとした比喩というかね
心のモデルみたいな
たくさん持つことなのかなって
二面性ではなくて多面性とか
あと考えと
現実は違うんだとかね
これはよく認知行動療法でも言いますし
対照関係論とかでもね
内的世界と外的世界を分けてるし
フロイトもその物的世界と
心的世界っていうものを分けてるしね
そうやって心の内側とか
私たちの頭の中で起きている世界とか
そういうものを分けて
そういうものを分けて
そういうものを分けて
実は私たちの頭の中で起きている世界と
頭の外で起きている世界っていうものが
実は違っていて微妙に
それが普段重なって見えるんでね
同じものだって勝手に勘違いしてるだけで
実は違うんだよと
っていう話も
ある程度知識がないと
難しいと思うんですよね
そういう理解って
だからあなたは傷ついているとか
あなたは誰かに傷つけられていると思っても
実はその頭の中で起きてることなんですよ
だからあなたは傷ついているとか
あなたはね
自分の頭の中で起きてるんですよって
もちろん現実にセクハラパワハラ
あるかもしれないんだけど
でも大抵普通に社会で暮らしているときの
傷つきっていうのは
大体自分の頭の中で起きてるんですよね
同時に起きているときもあるけどね
本当に侮辱的なことを
言ってくる人もいるんだけど
でも侮辱的なことを言われたんで
自分は死ぬしかないんだ
っていうふうになっちゃったとき
それは心の中に何か
心の中の世界で
何か行き過ぎた自己否定が
人から侮辱されたり
誹謗中傷されただけで
基本的には
誹謗中傷する人がいるんだな
っていうふうになって
終わりなはずなんですよね
でもそれが何か自己価値を下げたりとか
やっぱり死ぬしかないんじゃないかな
っていう思考は
やっぱり頭の中で起きている
異常な思考だと思うんですよね
そうやって現実と思考っていうものを
一旦切り分けて
思考の方に何か歪みとか
ちょっと行き過ぎた偏りがないかな
っていうふうに
取り出してみるみたいな発想も
普通に生きていると
そんなことしないじゃない
でも知識があるとできるんですよ
実際そういうのを実践している人は
すごく心が安定していると思うんですよね
だからシンプルに
主観2.0とも言えるし
ちょっとメタ的なね
増田先生とかはメタ的なっていって
見下ろすイメージかもしれないけど
僕は逆に舞台から降りるイメージですね
独即から一旦見てみる
その視点が大事なんじゃないかな
と思うんですよね
精神医療と幸せ
精神科医の木村先生って
僕ちょっとごめんなさい
全然知らなくて
こんばんはどうも
本名なのかねそれは
増田先生時々拝見してます
とても勉強になります
僕もたまに切り抜きとか見てます
増田先生と自分が言っていることが
大体いつも同じなんで
ちょっとほっとしますね
そんなに丸っきり真逆のことを言っているな
って感じたことは一回もないね
大体ほぼ精神科医って
割と似通った考え方になるんだなって
しかもあの人も
今もそうなのかもしれないけど
精神分析科の訓練生の人ですよね
精神分析の訓練
教育分析を受けている先生なんで
今もどうなんだろうね
目指しているのか分かんないけど
だからおのぞとは
発想が対象関係論とかになってくるんだと思う
頭の中の脳を使って
よくホワイトボードで説明されているけど
あれをそのまま内的世界とか
いうふうに
いいとか無意識的空想とかファンタジー
っていうふうに
精神分析の言葉に置き換えても
いいと思うんですよね
そういう結構似たようなOSを持っている先生
なんじゃないかなって
勝手に親近感を覚えています
たまにテレビに出て
たまにテレビに出てたりする
木村先生
おのおのね
なんかこう
この先生と相性が良さそうだなとかね
なんか言葉がスッと入ってくるな
っていう先生を一人見つけて
その先生のいろんなものを吸収するっていうので
いいんじゃないかな
そうするといろいろ自分の人生に
気づきが生まれてくると思うんです
なんかずっとこれが正しいと思ってたけど
どうなんだろうみたいな
思い出が出てきて
どうなんだろうみたいな
果たしてこれは正しいのかみたいに
自分の中に一つ問いが立つんですよね
一回ちょっと考え直してみるかみたいな
ずっとなんかね
この資格を取ることがとか
ここでこの競争に勝ち抜くことが
幸せだって信じてたけど
本当にそれ幸せなのかなみたいに
一旦問いを立ててみる
精神科は相性が大事ですね
スピリチュアルの問い
本当にそうだね
とりあえずなんかこのまま
自動延長して
ちょっと話したら終わるか
今日はスマホからなんで
チュール菩薩様もいませんし
4コマ漫画もなし
もしよければ
ナイスボタンも押してってください
寝る前に
寝たり気絶する前にですね
それだけ押してくれれば
別にミュートにしていただいても結構です
こっちとしてはもう十分ですね
精神科の先生は
幸せの基本を医学的に
どう捉えているのでしょうか
難しい質問だね
割とすごくバイオロジカルな部分で
病んでる人っていうのは
その薬を使うことっていうのが
多分幸せに近づくことかなと思いますね
さっきの3つに分けるとね
バイオソーシャル最高
サイコロジーの最高
3つに分けると
バイオに関しては結構
薬を入れると
幸せに近づくんじゃないかな
って素朴に思っている
でもバイオである程度
やってるんだけど
うまくいかない人
つまり薬を入れてるんだけど
何か思ったより効果が出ないなっていう人は
サイコロジカルだったり
ソーシャルの問題
あともう一つさっき
チラッと触れたの
スピリチュアルの問題ですね
そもそも人生って何なんだろうとか
その一番スピリチュアルな意味が問われるの
スピリチュアルの問題が立ち上がるときっていうのは
死ぬときなんですよね
ガンの死亡宣告を受けたときに
これからまだあと20年あると思ったのに
もう自分はあと半年で死ぬんだ
ってなったときを想像してほしいんだけど
そうすると
今まで自分は何のために来てきたんだろう
っていうのを一回問うじゃないですか
これがスピリチュアルペインなんですよね
自分という人生を捉え直したときに
果たして自分は
競争とか勝ち抜きとか
出世を勝ちだと思ってたけど
その行動規範とか勝ち基準って
果たして正しかったのだろうか
って一回問い直すじゃないですか
結構迷い始めるでしょ
これがスピリチュアルの問題なんですよね
決してオーラの泉みたいな
守護霊の話ではなくて
人生の意味とか目的っていうものを
自分はもしかして
大きく捉え損なっていたのではないか
って思って
自分は自分の中で
自分の中で
大きく捉え損なっていたのではないか
だとしたら
自分の人生の意味っていうものは
どこら辺にあったんだろうか
っていうのがスピリチュアルの問題
で結構
うつ病の方の治療で
見落とされがちなのが
このスピリチュアルな問題
うつも残念ながら
ずっと再発を繰り返して
ずっと薬が手放せないし
ずっと給食と復食を繰り返す人って
やっぱ残念ながらいるんですよね
なかなか社会に適応できなくて
自分のこのスピリチュアルペイン
人生の目的とか
意味とかね
何を一番の
価値の一番最上位に置くかっていう
その価値基準とか優先順位
それをね
本当は考えてあげたほうが
いいのかもしれない
だって仕事で
トップに立つこととかね
あるいは偏差値で一番高い大学に入ること
みたいなのが
もし価値基準のトップになってたらね
やっぱり不幸せが
その基準で
そこを理想として目標にすると
やっぱうつの人ってどうしても
偏差値は上がらないと思うんです
だって気分に波があるからね
岡田斗司夫が3ヶ月に1回
病んでるとかって言ってたけど
ああいうふうに定期的に病んじゃうと
やっぱりかなり仕事の成果を
コンスタントに出してくって
難しいと思うんですよね
よっぽど頭が良くないと
ってなると
偏差値こそ正義だとか
年収何千万が幸せなんだっていう
価値の方を
ちょっといじってあげるというか
何か別のものに置き換えてあげることが
意外と幸せに近づくかもしれないですよね
それがスピリチュアルな問題に対する
アプローチなんですよ
これはセロトニンとかノルアドレナリンとか
脳内伝達物質は関係ないね
意外と精神科医は
それをやってないんじゃないか
っていう説があって
この間の精神神経学会の
オンデマンドの
カンバ・シゲノブ先生の
パーソナルリカバリーの話とか
ヤスパースの
限界状況に対する
精神科医ができること
みたいな話の中に出てくるんだけど
意外とこのスピリチュアルな問題を
ちゃんと取り扱うことも
大事なんじゃないか
本当は多分横の繋がりですね
何か家族とか
あれ斜めの関係
そのおじさんとかね
おばさんとか
あるいは近所の
何かおじさんとか
おばさんとか
本当はそういうコミュニティの中で
話し合われて
人生の意味を何回も問い直して
反数して
やっぱり自分にとっての幸せっていうのは
みんなが言ってる幸せとは
ちょっと違うんだなっていうふうに
気づいたりとか
本当はそういう地域コミュニティとか
共同体が多分今まで
そういうのになってたんだと思うんだけど
今スマホの登場とか
あとその都市部
都市部にどんどん
労働人口が流入してるみたいな問題で
コミュニティが完全に崩壊して
共同体が完全に解体されて
多分そういう
スピリチュアルペインを担う
分かち合う相手とか
システムが
かなり弱くなっちゃってるんだと思うんですよね
昔みたいに
自分の将来の夢とかを
語り合う仲間がいないとか
友達がいないとかさ
友達って言うと
人生のお互いの夢の話は
しませんみたいなさ
友達が担う機能も
多分時代ごとに変わってきて
誰もスピリチュアルな話は
あんまりしなくなってきてるのかもしれないし
だからかつての精神科医は
そんなことまでやる必要はなかったんだけど
今時代が変わってきて
共同体が解体していくと
精神科医にもそういうスピリチュアルな機能が
もしかしたら
求められてくるのかなっていう風に
最近ちょっとおぼろげにですけど
コミュニティの重要性
思います
ナイスありがとうございます
9つもいただきました
これで今日はぐっすり寝れますね
なのでその幸せを
4つの側面からね
バイオソーシャルサイコー
あとスピリチュアル
そういったところから考えてます
そのバランスじゃないかな
さて難しいということが分かりました
なんかお金持ちになれば
幸せになれるだとかね
医学部にさえ受かれば
人生バラ色なんだみたいな
たった一つの物差しで
測りがちなんですが
人生はそんなに単純ではないし
幸福っていうのはかなり多義的なんですよね
多様なんですよね
医者になって金持ちになって
綺麗な奥さんとね
結婚できても
子どもがぐれちゃったり
あるいは子どもが障害者だったり
殺人でね
殺しちゃったりとかさ
この間なんかお医者さんが
精神科医が
実の息子に刺されて死んじゃいました
けどそういう生産な事件もあるみたいに
意外と幸せかどうかなんていうのは
よく分からないんですよね
岡田斗司夫は
結婚することは
人生の難易度を上げることです
ってすごく簡潔に述べていて
笑っちゃいましたね
確かになって
僕は結婚したくないとか
結婚に消極的なのは
もうすでに人生がハードモードだから
なんだろうなと思いますね
これ以上難易度を上げたらまずい
やばい
人生を勝手にするのはなかなか大変
僕最近なんかすごくシンプルに
なんか
お豆腐を食べて
結構いい形のうんちを出すことが
幸せなんじゃないかって
結構本気で考えてますね
最近すっごい弁通がいいんですよ
お豆腐を取ったり
あとなんかあの
トマトスープで結構色々ね
茄子とかキャベツとかさ
玉ねぎとかグツグツやって
幸せの形の探求
たまにそこになんかハンバーグも入れたりして
トマトハンバーグ煮込みみたいにして
食べるとすごくおいしいし
弁通もいいんですよ
食物繊維に取ると
本当になんかあの
アナコンダみたいなうんこが出た時に
やっぱ幸せなんですよね
すごいな
腸がそのまま出てきたんじゃないかっていうぐらい
立派なうんこが出た時に
すごい幸せだなと思う
意外と金かからないんじゃないかっていう
そんななんかあの
マチュピチとかさ
ナスカの地上へとか
そんな世界中飛び回らなくても
トイレの中にあるんじゃないか
一番身近にあったっていう
そういう発見があります
それも幸せの形ですね
うんこの形が
意外と幸せの形なんじゃないか
という説もあります
人間関係の可能性
先生に対する強力な女性の理解者と出会ったら
ビビッと来たらどうなるかわからないかもね
そうね
ちょうどいい感じのね
ちょっとぽっちゃりした体型のね
その可能性は常にあると思いますけど
この人とだったら
人生さらに難易度が上がってもいいかなって
思える相手がね
見つかればわからないですよね
そういうことでじゃあ
ちょっとそろそろ終わります
明日は直明けの火曜は結構体調も崩れるし
メンタルも結構ね
落ちてることがあるんで
明日は多分ね配信はしない
次は水曜日の18時からかな
それは一応やろうと思います
まあ夕方なんでね
ちょっと来づらいかもしれないですけど
もし僕のことを見かけたら
ぜひコメントしてください
挨拶だけでも嬉しいですし
ナイスボタンもらえたらもっと嬉しい
はい
というわけで
盗職ご苦労様ありがとう
次回楽しみにしてます
配信の告知とまとめ
どうもです
今日ちょっと色々
いい話したんじゃないですか
有料級です
この後YouTubeの方にね
アーカイブ転載しますんで
YouTubeの方のフォローもお願いします
神回でしたね
先生おやすみなさい
どうもお疲れ様でした
お送りしましたのは
さしみちゃんでした
どうもお疲れ様です
01:13:50

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