1. 木崎蓮土のPodcast
  2. 【配信】2023-04-01
2023-04-01 58:51

【配信】2023-04-01

医者になってみて。頭痛。

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00:09
さて、それでは放送を始めます。
進行は私、Sashimi-chanです。どうもよろしくお願いします。
おはようございます、1号さん、2号さん、どうも。おはよう。
おはようございます、3号さん、どうも。
早いね、本当に。
早起きは三文の徳です。
待ってました。
24時間いつでも来るみたいな感じだね、勢い的に。
素晴らしい。
今、シャワー浴びてすっきりしたところですね。
本当はね、今日休みというか、午前中休みの予定だったんですが、
昨日の先生が急遽都合がつかなくなって、僕は代わりに当直と日勤に入ることになって、
なので、もともと僕は土曜の当直で日曜の日勤に入る予定だったので、
つまり、金曜日の朝から日曜日の夕方まで、
ぶっ通しで病院にいることになりまして、
金曜日の朝から日曜日の夕方までだね。
ずっと当直室に缶詰です。
おいしいバイトですか?おいしいバイトではあると思いますね。
基本は寝当直だし、隔離拘束記載、熱が出れば発熱時の指示とか。
なので、俺としてはむしろありがたいんで、大変は大変だけどね。
ずっと同じ場所に缶詰っていうのも疲れちゃうけど、
4月から結構困窮するので、僕としては仕事をいただけてありがたい。
もうありがとうございますっていう感じで。
先生あざすっていう感じですね。
かわいそう。
でもありがたいですよ。4月はあんまり仕事入らなかったから。
昨日はもう疲れちゃってさ。
ここ最近の疲れが半端なくて、この2日間ぐらいずっと頭痛が取れなくて、
昨日7時ぐらいに寝たんですよね。もう疲れちゃって。
7時に寝て、さっき6時ぐらいに起きました。
だから11時間ぐらい寝たのかな。
そしたらこの寝すぎで頭痛いですね。
03:01
でも頭の中はすっきりした。
睡眠って偉大だなっていうのを感じましたね。
ここ最近5時間とか、6時間寝れば十分っていう説もあるけど、
なんかでも6時間だと足りないんですよね。
やっぱ8時間以上寝ないと本当のすっきり感は来ない。
久々のすっきりですね。
すっきりして4月1日を迎えました。
すっきりしてよかったですね。
やっぱ睡眠取らないとね。
4月は割と休養に当てようと思ってて、
体作りと休養ですね。
ジムに通って日中は。
夜は早めに寝ようかなって思いますね。
夜長々と起きてるとまた余計なことを考えちゃいそうだしね。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
土曜日だよね。
土曜の朝。
ジムは何時間くらいするんですか?
最近は全然行けてなかったけど、
だいたいでも1時間くらいじゃないですかね、1日。
週2日か3日くらいでしたね、通ってるときでも。
全然通えないときは週1か週0ですね。
基本的にはパーツごとに。
あんまり僕は有酸素運動よりかは無酸素運動をするようにしてて、
今日は胸のあたりを鍛えようとか肩を鍛えようとか背中。
そうやってパーツごとに分ければ、
1週間を通じてジム通えができるので。
医者と一晩中喋ってました。
おお、そうなんだ。知り合いのお医者さんか何かですか?
06:12
精神科医の三流医者です。
でも精神科医は精神科医なんじゃん。
僕はもう精神科医ですらないからね。
何か医って聞かれると最近グサってもう刺さるね。
何か何かなんですかと勝手にワクチン会場とかで看護師さんに言われるとグサって。
何か医でもないんです。
そっから刺して看護師さんはもう一言も声かけてこなくなる。
30日に精神科の丹佳病院に見学しに行ったんですよね。
いろいろご縁があって。
でも行ってみたんだけど、もう全然自分には無理だなって思った。
ナースステーションに入った瞬間に、
何かね、もう体が拒絶反応してさ、
心臓がバクバクなって。そっからずっと頭痛いんですよね。
めちゃくちゃ体調悪くてさ。
あんまり自分も考えないようにしてたんだけど、
多分ナースステーションで何かこう、
思い出したくもない何かPTSD的なさ、
ある状況に陥った瞬間にも何か
フラッシュバックして頭が働かなくなってっていう。
雰囲気は全然いいんですよね。めちゃめちゃいいし、
この病院はめちゃめちゃいい病院だなって思ったんですよ。
病院によってめちゃめちゃカラーがあってさ。
本当になんかずさんな管理をしてる精神科の病院も山ほどあるからね。
何これ、半世紀近く前の病院みたいな。
めっちゃ綺麗なところだったんだけどね。
そう、初期研修の頃思い出しましたね。
なんか使えねえ医者が来たぜみたいな感じの雰囲気を思い出した。
あいつに言っても何も変わらないから上野先生に言おうみたいに。
09:02
看護師さんからのいじめじゃないけれども、
こいつ役に立たないからっていう顔がね、すごいよく覚えてるんですよね。
僕は看護師嫌いっていうことで有名じゃないですか。
あんまり言うとこの放送聞いてる方にはナースの方もいるから
あんまり僕は言わないようにはしてるんだけど、
マッチングアプリとかでも必ず看護師さん全員ブロックしてるんですよね。
もうトラウマなんですよね。
だからね、なんか女性に囲まれてなんかいい環境ですねとか言われるんだけど、
いや僕にとってはちょっと結構過酷な環境で。
女性ってなんかムラがるじゃん。ムラがるというか、
トトを組んで何かを押し出かすじゃないですか。
あれがすごく苦手で。
僕だって頑張ろうと思ったんだけどね。
でもなんかその頑張りとかいらないんだよ。
私たちの仕事の邪魔なんだよみたいな感じで。
すごいそういうはぶられ感みたいなのを感じましたね。
なんかね、たぶんそれが何か1個はきっかけってわけではなく、
もうそういうのを2年間やってきて、本当に病棟が嫌だし、
看護師って嫌だなっていう雰囲気が固まったんですよね。
僕の中のもうなんか潜入感というか。
その初期研修、まあ医者っていうのは医学部を最短で6年間で卒業できるんですね。
つまり最短はっていうのはだいたい留年したりする人が学年に何人もいるので、
僕は8年かけて医学部卒業したんですけど。
医学部卒業したらみんな医者になれるわけじゃなくて、
卒業前の2月上旬にだいたい医師国家試験っていうのがあるわけですよ。
今年もありましたけど。
それに合格すると3月の下旬ぐらいに厚労省から合格通知が来るんですね。
正確に言うとその点数が開示されて、合格不合格っていうのが出ると。
でもその前に僕らも自己採点してるので、
もうだいたい受けた当日には回答速報が出ていて、
自分が落ちたか受かったかがほぼわかると。
医師国家試験に合格すると晴れて医者になれるんですね。
で、だいたい僕ら6年生の夏頃とか秋頃にはもうその就活っていうのが終わっていて、
だいたいどの病院に行くかっていうのが話がついてるんです。
だから自己採点したらすぐに内定してる病院に連絡して、
受かりましたとか落ちましたとか。
落ちた場合は病院側は定員が空いちゃうから、
二次選考しなくちゃいけないっていうことで、
すぐにまた募集するんですよね。
まだうち募集してますって。
二次選考、三次選考。
二次募集か。二次募集、三次募集みたいな感じで。
病院側も定員を埋めたいから。
12:02
で、それで初期研修の研修先っていうのが決まるわけです。
で、その4月から。
晴れて医者になると。
で、僕その医者になった4月から一番最初、
何かに行くかっていうの結構大事じゃない?
みんな均等にいきなりね、
全員が内科とかで始まっちゃうと内科パンクしちゃうんで、
みんなばらけるようになってるわけです。
だから外科始まりの人もいればいきなり麻酔科から始まる人もいるし、
内科から、できれば内科を見てから他の科に行った方がさ。
医学の基本って内科だから。
できれば内科スタートがいいなと思ったんだけど、
僕は内科スタートじゃなくて、
救急科スタートになったんですよね。
救急から始めるっていう。
で、これがめちゃめちゃハードで、
で、看護師さんからもこいつ使えない感がすごい出て、
そうそう、病棟のナースステーションというよりかも
救急外のあの雰囲気、
こいつ何やってんの、なんかさっさと動けよ、みたいなさ。
はいはいはい、動いて動いて動いて、みたいな。
あの感じすごい、すごかったんですよね。
ハイパー病院で。
僕はもうなんか、戦場に来てしまったっていう、
もう軽い、もうすでに初日から軽く打つ状態になって、
でもとりあえず頑張んなきゃと思って、
なんか過緊張みたいな状態で、ずっと毎日働いて。
で、救急科のちょっと恐ろしいところというか、
辛いところは、夜勤に入ることもあるんですよね。
当直っていうよりかはもう、
なんなら3日に1回ぐらい夜勤が来たりするんで、
その夕方の6時から翌朝の8時までみたいなさ、
なんかあるんですよ。
で、もうハイパー病院なんでほぼ一睡もできないと。
だいたい5分おきぐらいに救急車来たりするし、
一晩になんか20台ぐらい来たりするんですよね。
そんなのも普通あり得ないんだけど。
超ハイパー病院で。
で、まあなんかそういう感じで、3日に1回ぐらい夜勤が来て、
なんかもう寝れなくなっちゃって。
1日中寝れなくなって、
で、日中も意識がボーッと網路落としている中、
そのハイパー病院にぶち込まれ、
で、なんか周りの看護師からこいつ使えねえなっていうふうに、
もう陰口とかじゃないです。
もうなんか言われたり、直接言われたりする。
お前はもう使えないから、
もうなんか除菌でもしとけみたいな感じで言われて。
いや、それでなんかもう研修員ウェルカムっていう感じでもなく、
即戦力として扱われて、
もう当然医学部卒業したての頃って、
まあ素人にちょっと毛が生えた程度ですから何もできないんですよね。
15:00
で、大体6月ぐらいで僕も寝れないですっていうふうに、
その当時の救急科の医長の先生に伝えて、
僕も寝れなくなっちゃったんです。
で、結構もう今しんどいですって言ったら、
うん、もう来なくていいよって言われて。
なんか給食届けみたいなの出させられて、
給食させられたんですよね。
うん、もう来なくていいからっていう。
君はうつ病の今発症リスクが高いから、
うん、もう来なくていいよって言われて。
なんかすごいトリアージされて、
オーバートリアージされて、
別にうつ病ってわけでもなかったんだけど、
ちょっとね、疲れました、休ませてくださいぐらいのつもりで
直談判したら、
いやもうそれうつ病だからもう来ないほうがいいよって言われて。
で、なんか2ヶ月間ぐらい、
あ、1ヶ月間か。
給食して、
で、当然もう救急科はもうアウト。
うん、もう来なくていいですって言われて。
まあそれがまず最初のトラウマ体験ですよね。
そこでなんかすごい頑張って、
救急科は僕のほかにあと2人回ってたんですけど、
その2人の子はもう一生懸命頑張って、
まあ辛いし、やっぱ同じように省られたりはするんだけど、
それでもなんか頑張ってたんだけど。
そこで大きな挫折感というか、
あ、俺はやっぱり医者になるべき人間ではなかったんだっていう、
落院をなんかね、
まあ押されたし自分でも押してしまったんですよね。
ずっとさ、ちっちゃい頃からエリートで頭がいいと。
ずっと振動みたいな感じで来て、
まあもちろん挫折も味わって、
自分よりも頭がいい人が医学部にたくさんいて、
それなりに挫折を味わいつつも、
そこそこ頑張って何とか医者になろうっていう風に、
頑張ってきた学徒だったわけです。
けれども、
なんで俺は医者になってしまったんだっていうことを
毎日悔やむ日々がそっから始まるんですよね。
だって別に弁護士になろうと思えばなれたわけじゃないですか。
まあはっきり言えば。
でもなれたってことはベクトルの向きを変えればさ、
弁護士にもなれただろうし、
公認会計士にもなれただろうし、
別に受からない試験は多分なかったと思うんですよ。
でもよりによってなんで医者を選んでしまったんだろうかと。
体育会計ど真ん中みたいな世界に来てしまって。
思い返せば僕なんか体育会計で大成した記憶がないんですよね。
中学校も途中で部活辞めちゃったし、
あ、違う、高校か。
高校も部活辞めちゃったし、
大学もなんか部活入ったんだけどすぐ辞めちゃったしね。
もうなんか大学入って医学部入って体育会計ってなんか辛いなと思って。
ナイスポチ。
ありがとうございます。
なんかそう、そういう感じでまた復職したんだが、
そのもう僕の中ではナースっていうとそうやって怖い。
お前なんか向こう行ってろよとかさ、
上野先生早く呼んでこいよみたいな。
っていうすごく口も悪いし態度も悪いし、
まあ学もないじゃないですか。
僕はなんか看護師さんをちょっとバカにするのはバカにされたからっていう
18:04
負の側面がありますね。
そう、なんで医者は苦労しないと慣れないのに
なんで看護師は額がないやつが慣れるんだよみたいなさ。
別に勉強しなくても慣れるじゃないですか。
頑張れば。
なんでなんだよみたいな。
軽くこうディスるのは、
その時のなんかすごく嫌味な看護師さん。
多分他のいい看護師さんもたくさんいたはずなのに、
なんかやっぱね、
自分を応援してくれる人よりも
自分を非難する人の方が記憶に残っちゃうじゃない。
だから看護師っていうとなんかすごく嫌だっていう
もうすり込みがそこでできちゃってるんですよね。
これは論理とか理屈ではなく、
なんだろう、なんか残像としてもう網膜に焼き付いているものなのかもしれないね。
すごく意識して、
お前何もできねえじゃんと。
採血もできないの。
貸してみたいな。
血媒も取れないのみたいな。
なんとか僕2年間で初期研修終了したんですが、
結構もう障害児ですよね。
なるべく病棟にはいかないようにしよう。
なるべく一人でパソコンの前で静かに過ごそうみたいな。
前も言ったかもしれないけど、
僕の同期が自殺してるんですよね、研修医が。
で、そういうのもあって、
病院側ももうあんまり研修医に対して
強く言うなっていうおふれが出ていて、
その病院長とかから。
周りのスタッフももう研修医が来ても
もう声かけないんですよね。
それは悪い意味で。
本当は研修って多少厳しいことを言ってもさ、
ありがたい話ってあったりするんで、
育てようっていう意気込みのある病院であればあるほど、
まあ厳しくなる側面もあるんです。
軍隊である必要はないと思うんだけど、
熱が入る場面って必要だと思うんだけど、
そういうのも一切なく、
スルーッと僕が行っても誰も声かけないし、
ここも何か患者さんのカルテ書いて終わりみたいな。
看護師さんと一言も喋らず終了。
ろくでもない初期研修でしたね。
そんな感じで、
医者としての基本的な技能が身につかず、
とりあえず症例報告みたいなのだけして、
何か足りてるのか足りてないのかよく分かんないけど
厚労省に出して、
それで何とか初期研修終了してさ。
やっぱりその時、
医者としての最低限の技能とか身につかなかったんで、
精神科医になってもさ、
結局採血する場面とか、
何かしなくちゃいけない場面ってあるんですよね。
精神科の単科病院って内科の先生、
21:01
常勤してなかったりするので、
普通に病棟で精神科医がCV入れたりするんですよね。
でも当然CVとかも、
僕も5、6回ぐらいは補助ありで入れたことはあるけれども、
自分一人で入れる自信はなかったし、
そういうのやってよって言われても、
すいませんちょっとできませんみたいなさ。
え、なんでできないの先生みたいな。
肩身の狭い思いをし、
結局技能が身につかず、
何か適応できず、
元々のトラウマ、
ナースに対するトラウマ的なものも抱えながらで、
結局病棟に適応できずに、
精神科医になった後も終わっちゃったんですよね。
当然後輩に教えることも何もできずさ。
何もできないまま何もできない医者だよね。
何もできない医者なんです実際。
それで終わってって、
何で医者になっちゃったんだろうなっていうのを
日々後悔しながら生きてるっていう感じですよね。
そんな中で病院辞めた頃ぐらいが
2021年の5月とかだったんですけど、
そこから日本のワクチン事業が始まって、
コロナワクチンの1回目と2回目の
ファイザーかモデルナを打ち始める時期になってくるんですよね。
そこで僕はワクチンの仕事を始めて、
今に至るという感じですね。
ワクチンだったら別にナースコールみたいなものもないし、
最初はワクチン会場の大規模接種会場の
救急担当医募集みたいなので、
救急課で入ったんですよね。
予診は都立病院の先生がやるってなって、
救急課だけ民間から募集しますってなって、
僕が応募したら受かって、
まだ若いし体も動くしっていうことで、
年寄りの先生よりかは若い先生の方がいいっていうことで
選ばれたんですよね。
まぁ所詮初期対応だから。
救急車呼ぶまでの間の対応をお願いしますって言われて。
でも実際行ってみると、
呼吸困難で倒れてとか心肺停止なんてのは当然ないわけですよね。
僕も今まで多分10万人以上見てるけど、
だから10万人どころじゃない。
もっと見てるけどアナフィラキシーショックとか見たことがないしさ。
アナフィラキシーですらないですね。
前足発作みたいな人は数十人見たことあるけれども、
死んだなんて人は当然見たこともないし、死ぬ予兆もない。
死ぬ人は初めからその日死ぬんじゃないかっていうさ。
ワクチン打つ打たないに関わらず。
そういう感じのもともと基礎疾患ありありの人ですよね。
基本的にはほぼ心音反応ですね、9割型。
心音反応ってのはストレス。
ワクチン打ったら死ぬ。
24:00
ワクチン打ったら2年以内にみんな死にますよっていうのを本気で信じてる人がいて、
それによるノセボ効果って言ってプラセボ効果の反対で、
悪いことが起こるよっていうのはあらかじめ予見された上で打つと
だいたい悪いことが起こるんですよね。
それは心の作用によって。
思い込みの力によってだいたい症状が捏造されるっていう。
だから極端な話、左腕に打ったのに右腕が痺れだしたり、
右腕が重くなって本当に心配になる人がいるんですよね。
これはもう間違いなく心音反応なんですよね。
解剖学的にありえないので。
そういう感じで精神科で培った力が不思議と救急担当で使えたんですよね。
心音反応っていうことは要するにストレスなので、
それを計上してあげたり精神療法によって取り除くことができたんです。
だから下手な内科医とか救急科医が見るよりかは、精神科医だった僕が見た方が
右腕の痺れとか右腕の重さが取れたんですよね。
待機時間の30分間の間に。
それでこの先生すごいってなって、
じゃあ次の会場も今度先生にお願いしますねっていう感じで
話が繋がって今に至るんですよね。
だから自分が精神科で研修してたことがここに活かされたっていう体験が
ワクチン会場であったんですよね。
それで僕もようやくちょっと役に立てるかもって思って
身を乗り出してさ、ちょっとこれだったら頑張れるかもと思って
飛びついたのがワクチン事業だったんですよね。
別に金が欲しくてっていうよりかは、それもあったんですけどね。
上金先がなくなったんでかなり貧困を覚悟してたんだけどさ、
貯金を切り崩しながら何年持つだろうかみたいな思ってたら
ワクチン事業が始まり、結構いいお金も入ってきて。
なおかつ自分が培った相手の不安を取り除く力とか
患者さんの不安に傾聴する力みたいなのがここでもろ生かされて
すごく充実した日々だったんですよね。
それが終わろうとしていると。
今月4月1日から僕もほぼシフトが入らなくなって
自分が活躍する場がなくなったんですよね。
また落ちこぼれの劣等生に戻るのかと思うと
頭痛がしてくるんですよね。
身内が春から医学部に通うので、すごく感慨させられる配信でした。
貴重なご体験をお聞かせいただき、
いえいえ、その身内さんが直接来ていただければ
僕は直接指導しますんで。
僕はいろんな後悔があるんです。
学生時代にあれやったけよかったなとか、
あと初期研修の時の病院選びをもっとこうすればよかったなとか、
いろんな後悔があるので、僕学生さんとか
医学生の方がいたらめちゃめちゃ熱心に教えたいですね。
27:03
まあその通りにしろとは言わないけど、
僕はいかに失敗したかっていうね、しくじり先生として
後輩を育てたいんで。
僕今考えてるのはもう一回一から勉強し直して
医学生向けの予備校の講師になろうかなってちょっと思ってるんですよね。
あるいはそういう塾を立ち上げようかなって。
もともと学生時代成績がよかったんですよ。
一国家試験も上位20%の合格点だったんですよね。
受験者の中で上位20%だったんです。
開示された点数見たら。
余裕で頭良かったんだよね。
座学は結構得意なんですよ。
なのでもう一回ちょっとだいぶ抜けてるんで一から勉強して、
そういう将来に悩んでる医学生に向けて何か言えないかなって。
だいたい医者にさ、僕が学生だった頃お医者さんとかに
今何やったほうがいいですかとか聞いても
いや遊んだらいいんだよとか言われるんですよ。
今思うとそれです。めちゃめちゃ適当なアドバイスなんですよね。
要するにもう仕事が忙しいんであんまめんどくさいこと聞いてくんなっていう
邪剣に扱われてたんです。
もう学生なんだから遊んじゃいなよ。今しか遊べないよみたいな
めっちゃ適当なアドバイスを言われて、それがすごく嫌だったんですよね。
僕が今医者になって思うのは絶対遊んでちゃダメなんですよ。
これやっといたほうがいい、あれやっといたほうがいいとか結構思うんです。
遊んだほうがいいのもあるけど。
あと1分分かってます。見えてます。
海外旅行をやっといたほうがいいよとか分かるんだけどね。
でもそれ以外にやっといたほうがいいことっていうのがあるので
それを情報発信していきたいですね。
ということでごめん、全くコメ読めませんでしたが
ちょっと次枠いきます。
どうもお疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。失礼いたします。
ということで2枠目ですね。
前枠は、すいませんちょっとあんまりコメ読めなかったな。
おかえり、どうも、ただいま、どうも。
おかえりでもあり、ただいまでもあり。
みんなが帰ってくる場所ですね。
医学部はね、一言で言うと体育会系です。
なので部活動を頑張っている方はすごく生き生きと
30:04
多分その部活のノリで
高校時代多分勉強も頑張ってたけど部活も頑張ってたっていう人は
そのノリが一生続くと思ってください。
勉強しつつ部活しつつみたいな。上下関係に厳しい。
でもそれが幸せみたいな。
みんなで何かを成し遂げていることを楽しい。
幸せ達成感あるって思える人は多分転職かもしれないですね。
その高校時代の文武両道のノリが死ぬまで続くと思ってください。
それが医者の世界だね。
なんか初対面の先生とかに必ず聞かれるのが
部活何やってたっていう質問ですね。
あんまりそういう業界ってないかもしれないですね。
医者同士の会話で天気の次に大体部活聞かれますね。
先生部活何やってたのとか先生大学どこだったのとかさ。
もうそれ自体が体育界ですよね。
前枠はいろいろトラウマ的な話と
なぜ頭痛が起きたのかっていう伏線回収ですね。
4月が憂鬱でたまらないんだよね。
仕事をしないと抜け殻みたいになっちゃうじゃない。
自分の能力が活かされるところがほぼない。
ちょっと病院見学行ってみたけれども
やっぱり何も変わってなかったね。
よく精神科の世界とか心理学の世界で言われてるのが
心の世界には時間は流れていないっていう。
だからちっちゃい頃嫌いだったものは
大人になってもやっぱり嫌いなんですよね。
苦手だったものは大人になってからも苦手だし。
ずっと永久凍土みたいにさ。
凍結保存されてるんですよね心って。
部活されてたんですか?
あんまりイメージわからない。
おはようございます。
どうもおはよう。
部活はしてたんだけど結局続かなかったんですよね。
やっぱり上の先生とか先輩とかが何か言ってくる。
それに対して最初は過剰適応みたいな感じで
33:00
一生懸命頑張るんだけど。
当然だが自分の心の中にも自然現象的なもの。
自分の意に沿わないようなものがたくさんあってさ。
外からのプレッシャーと自分の心からのプレッシャーに
板挟みになってだいたい消水して終わるっていう。
部活で起きていたことは結局社会人になっても起きたし。
サッカーと柔道と。
ちっちゃい頃ね。
なんかチームプレーが難しくて
じゃあ個人プレーでいけるんじゃないかと思ったけどさ。
個人プレーって言ったって上には先輩がいて
結局チームプレーなんだよね。
だからスポーツっていうもの自体がチームプレーなんですよね。
それは柔道であろうと陸上であろうと
一見すると個人プレーに見えるものが
結局全てチームプレーなんですよね。
同じ釜の飯食って
同じ運動場とかで練習場とかで練習してるわけだから
チームプレーなんですよね。
僕なんかこの間ワールドカップとか
あるいはサムライジャパンでもいいんですけど
ああいう日本代表のスポーツ選手の中に
同一化できる人が一人もいないってことに気づいたんですよね。
つまり感情移入できる人が一人もいない。
自分みたいな、自分らしい選手だなって思う人が
一人も選ばれてない。
なんかそういう世界なんだなってことを改めて思いましたね。
日本すごいねとかおめでたいねって気持ちがある反面
そこに自分はいないんだよなってことをすごく感じるんですよね。
誰も、どの選手にも感情移入できない。
はじめまして。どうもはじめまして。
サシミと申します。
一応この4月1日をもって
これで医者6年目なのかな。
卒業6年目ですね。
もう全く数えてないけどね。
数える意味もないし
何にも技能は高まっていかないしね。
36:21
医者がなぜ不安中?
話すと長いんだが
医者になる前からもう配信してるんですよね。
12年前とか13年前くらいから配信してるんですよね。
で、その時の流れのままですね。
医者になるタイミングで配信者も卒業するかどうかって悩んだんだけど
一回卒業しますわって言って卒業を試みたこともあったんだけど
結局さっき言ったように
医者になった後結構壮絶な救急課での研修が始まり
一気にメンタルが崩れてさ
たまらずすぐに配信つけたんですよね。
医者になろうと思ったきっかけはあるんですよね。
そうだね。いろいろあるよ。
公式見解的なものから非公式なものまでね。
一応公式見解的なものとしては
弟が100万人に1人の難病になったっていうところですね。
僕が高校生だった時、彼は中学1年生だったんですが
難病になって
体がほぼ動かなくなって寝たきりみたいになっちゃったんですよね。
CIDPっていう
あんまり医者でも知らない人結構多いんですけど
神経内科の専門医とかじゃないと多分知らないかな。
一応国誌の範囲ではあるんですけど
ギランバレーとかの類因疾患の中にCIDPっていうのが出てくるんですけど
慢性炎症性多発性神経炎
慢性炎症性多発性神経炎みたいな感じだったと思います。
ちょっとうる覚えなんだけど。
それで弟が入院生活になっちゃって
ただの病院では見れないと。
普通の市中病院ではそんな難病見れないので
国指定の国立の精神神経センターっていうのが小平市にあるんですけど
その国指定の病院で見てもらってたんですよね。
そこで僕は高校生だったんですが
もう部活辞めて
学校が終わるたんびにその病院に
国立精神神経センターに毎日通ってたんですよね。
1年間ぐらい。
そこで見た光景っていうのが今でも忘れられなくて
要するに普通の病院じゃないんです。
もう国指定の難病の人しか入らない病院なので
39:01
難病の人ってどういうことかっていうと
もう死ぬ人ですね、はっきり言うと。
難病っていうのは要するに
治療法が確立されていない病気のことを言うので
基本的には死を待つだけの
死のカウントダウンが始まっている病院なんですよね。
ほとんど植物みたいに動かない子どもたちとか
管だらけで一切目も開けられないみたいな子どもたちが
ずっとダーッと寝ていると。
すべての病棟はそういう感じで。
その隣にお母さんらしき女性の人がいて
ただひたすら手を握りしめながら
じーっとしているみたいな
異様な病院だったんですよね。
そこに行って僕は結構ショックを受けて
なんて医学は無力なんだって。
いろいろ医者に対する怒りみたいなのもあったんですよね。
最初弟が難病になった時すぐ難病になりましたっていうのは
当然わからないんです。
手足が痺れて動かないとかって言って
それで近くのクリニックに行ったら
ストレスですねって言われたんですよ。
ストレスか?みたいなさ。
それが日々進行していくんですよね。
最終的にはフォークで突き刺しても
痛み感じないっていうところになって
これはストレスか?ってなって
ちょっと近くのクリニックとかではなくて
ちゃんとした赤十字病院に
大宮赤十字病院っていうところに行ったんですよね。
その大宮赤十字の東大卒業した
頭のいい研修医の方が最初対応してくれて
その東大の研修医の子が見てくれて
これは何かおかしいってことで上級医に診言し
そこでその日に診断がついたんですよね。
その日に神経の検査ですね。
筋電図とか
腕に電気を流してそれを測るみたいなさ
神経伝達速度を測るみたいな検査
神経系の検査があるんですけど
普通はやらないんだけど
そういうのをやって
これは作業でもないし
ストレス性でもないっていう
これは何らかの神経疾患だっていうことが
その時明らかになって
それで検査目的に入院になって
そこから2年間退院できなくなっちゃったんですよね。
その大宮赤十字病院の先生が診断をつけてくださって
そこからさっき言った国立の病院に転院になって
っていう経緯がありましたね。
で、やっぱ最初ストレスだろうっていう風に言った
先生への恨みとか
僕は医者に対するすごいっていう体験というよりかは
なんて適当な人たちなんだって
だからあのままストレスのせいですよ
っていう風に信じたことによって
弟は死んでたかもしれないと
なんとか一命を取り留めて今も生きてるんですけど
あの時のクソ医者に対する怒り
42:01
とか医者ってなんか信用ならんなっていう不信感が
自分が医者になろうと思ったきっかけかもしれないね。
医者が言うことをただうどみにするのが
馬鹿な患者じゃないですか。
僕は当時頭が良かったんで
そんな馬鹿な患者になりたくないなと思って
自分が医者になろうと思ったんですよ最初。
どっちかというとネガティブ発信だったかもしれないですね。
お医者さんすごいみたいな憧れよりかは
なんかカス医者いるぞみたいな
クソ医者いいんじゃねみたいな
医者への不信感で
じゃあ自分が医師免許を取ればいいんじゃないかと。
最初はそういう発想だったと思います。
これは公式見解ではないですね。
そんなのは医学部の面談とかで言えないからさ
そんなことは言わないんです。
いや医者って素晴らしいと思い
私も医者になりたいと思いました
っていうふうに言うのが模範回答なんだが
本当は違う。
医者に騙されないために
僕は自分が医者になろうと思ったんですよね。
まあ医者になる理由はたくさんあります。
なりたかった理由はあとね
ちっちゃい頃ブラックジャックっていう
手塚治虫の漫画を読んで
なんか医者っていうものへ憧れたりね。
ブラックジャックのあの孤独なあり方ですね。
組織に属さず医師会にも属さずさ。
そもそも免許持ってない。
ああいう孤独なんだけれども
腕一本で食っていくみたいな
孤独ななんか一匹狼的なあり方が
なんか当時の僕の心に響いたんですよね。
僕当時からなんか自分は最終的に
一匹狼になるんだろうなっていう予感があって
だって組織に馴染めないし
みんなで仲良くやって
政治ゲームみたいなさ
勝ち馬に乗って最後生き残るみたいな
政治ゲームが自分は苦手だと思ってたので
なんかブラックジャックみたいな生き方をしたいな
っていう漠然とした憧れがあって
だったら医者になればいいのかなとかさ
ちっちゃい頃は漫然とそういう風に思ってましたね。
高校時代になって
弟の難病がある程度よくなってきて
治療が相当し
車椅子生活からちゃんと今度自立した
自分の独歩で歩けるようになってきて
ADLが上がってきて
その矢先に今度僕はうつ病になっちゃうんですよね
僕はうつ病になって
僕は死にたいっていう状態になっちゃったりして
そこでいろいろカウンセラーの先生
スクールカウンセリングの先生とかにお世話になって
それで自分自身は漫然と
医者になりたいと思っていたんですが
精神科に行きたいな
精神科医になりたいなと思ったのが
高校生の時ですね
そうやって徐々に進路が固まっていき
そこそこ頭も良かったので
一応現役で医学部に合格して
医者になったっていう感じです
植物状態になった夫を見送りした過去があった
あらま
いろいろと思うところがあるよね
45:00
医療ってなんて無力なんだ
僕は単純に医療批判をしてる人っていうのは
結構軽蔑してるんですよね
ワクチンとかで
医者の言ってることがどうだこうだ
医療クラスターが
医者クラスターがマウント取り上がって
とか言うじゃないですか
そうやって
脊髄反射的に批判するんじゃなくて
じゃあお前が医者になれよって
僕は思うんですよね
そうやって日々のストレスを
誰かにぶつけて発散してんじゃねえよ
って思うんですよね
てめえが医者になれって思うんです
そんなにムカつくんだったら
なってみろよって
なれないんだったら黙れって思うんですよね
僕はそれを言われるのが嫌だから
自分が医者になったんですよね
だからなれよって思うんですよ
医療従事者に向けて
批判するやつはいるんだったら
だって学力があればさ
誰だって日本で医者になることができるわけだから
なれよって思うんですけどね
なれねえんだったら黙ってろって思います
えっと白米
白米って何
ずっと思ってたんだけど
白米イベントなんですか今
尊厳死
白米ありがとうございます
あんまり分かんない嬉しいのかよく分かんないけど
ご丁寧にお話いただきありがとう
いやいや
感情の爆発だね
感情の爆発です
まあそれで悔しくて医者になり
でも医者になってみると
じゃあ目の前にCIDPの患者が来たら
僕は診断できるかっていうと
結構難しいですね
だから
ストレスのせいにしちゃった先生の気持ちが
今僕すごくよく分かるっていう
なんとも皮肉な結果になったんですけど
そう
そんなクソ医者なんてふざけんなと思って
医者になってみたら
意外とクソ医者じゃないっていうね
普通の人は多分
普通に平均的な医者はCIDPって診断できねえ
っていうことに気づきまして
まあそういう
医療従事者に対する批判っていうものが
自分の中でちょっとずつ
溶けてなくなったって感じですね
意外と医療って難しいんだなって
医者になってみて初めて分かった
まあそういう分かることもいろいろありますから
悔しかったら
医者になればいいんじゃないでしょうか
48:09
なんかコメント飛ばしてたかな
すいません前の枠だと
枠の方で
なんか最後のコメントの方とかちゃんと読めてなかったな
イケボですね
ありがとうございます
イケボでやらせてもらってます
残り10分か
何が悔しかったの
悔しかったって
途中から来たのかな
まあ詳しくは
アーカイブを見てほしいんだけど
弟の病気を誤診されたことが
悔しかったですね
しかもそれをストレスのせいだ
ストレスが原因だ
っていう風に割と断定的に言われたことが
悔しかったですね
あこれはストレスが原因なんだっていう
母も
母と弟が言ったんですけど
母はそれに逆にショックを受けたと思うし
当時から夫婦仲は悪かったしね
自分のせいなんじゃないかみたいに
受け取ったんだと思うんですよね
だから母の
この間エッセイにもちょろっと書いたんですけど
ライフチャートを書かせたことがあるんですよね
僕が書かせたんじゃなくて
弟が書かせたみたいなんだけど
お母さんの人生を
折れ線グラフで示してみてと
原点を0とした時に
プラスかマイナスか
でこう
折れ線グラフで書いてみてって言ったら
母の人生はずっとマイナスで
未だにマイナスなんですけど
生まれた直後からずっとマイナス
でもそのマイナスの
折れ線グラフを見ると
やっぱね弟が
難病発症した時に
人生最悪になってるんですよね
母のライフチャートの一番
下限を見ると
弟が難病発症した時
なんですよねそこが人生
どん底の時
なんかやっぱり母なりに
51:09
いろいろ責任を
感じてたりとか
自分の息子が死ぬんじゃないかっていう恐怖とか
いろんなものが
あったんだと思うんですけどね
母は未だに弟に対して
甘いんですよね
あんたは生きてくれてるだけでいいよっていう感じで
まあ
全然今もニートみたいになってるんですけど
うちの弟は
大学も中退して
何もやってないんだけど
それに対して割と母はそれでいいんじゃないの
生きてくれてるだけでいいんだしみたいな
僕も割とそういう
感情になっちゃって
なんか働かなくていいんじゃないって
お前はもう生き残ったっていう
偉業を成し遂げたわけだから
だって3分の2が死ぬ
とかって言われたんですよね
3分の1の人が生き残るけど
3分の2の人は死にますっていうICUを受けたんですよね
当時
僕高校生だったんですけど
え?みたいな
じゃあそれもう死ぬじゃないですかみたいな
母はもうボロ泣きしたし
僕も結構衝撃を受けましたね
あ死ぬんだっていう
ドラマでしか見たことないけど
あガチで死ぬんだみたいな
結構衝撃的でしたね
でもその運よく3分の1に入り
ステロイドパルス療法って言って
高濃度の高容量の
ステロイドを
断続的に投与するっていう方法で
自己免疫性疾患だったんですが
なんとか
それが走行して
自分の神経系を
免疫系が攻撃してしまう
っていう病気だったんですが
その攻撃が緩まって
手足の痺れの原因とか動かない
最終的に痺れどころか
運動神経の方もやられてきて
ほぼ動かないっていう状態だったんですが
それが
免疫系が
良くなって
リハビリの成果もあって今はもう普通に
自立して
生活してるんですけどね
あと8移動も
通知取らせていただきますと
弟はもう
そうですね身体障害者手帳を
持ってたんですがその手帳も変脳して
今は健常者として暮らしてますね
どっちかというと今は
精神障害者というか
もう鬱病10年
先週ですね
鬱病発症して
薬も10年以上飲み続けてますね
どっちかというと今
精神の方が
辛そうな感じですね
でも精神と身体って
すごく切り離せなくて
僕は弟の鬱の原因というか
根本はやっぱその時の
壮絶な体験にあるんじゃないかな
と思ってるんですけどね
54:03
結局中学生の頃せっかく入学したのに
入院生活で2年間とかでさ
だから戻ったのが
中二の途中とかなんですよ
でもその時にはもうさ
クラスでみんな輪ができていて
なんか謎の転校生みたいな扱いを
受けるわけじゃない
弟は中高一環だったので
そのまま誰とも打ち解けられないまま
高校生になり
本当に趣味はパソコンみたいな
孤独な人なんですよね
ほとんどいない
だから自作のパソコンみたいなのを
組み上げて
プログラミングの勉強してみたいな
いわゆる機械オタクみたいな感じですね
弟は
すごく
人間関係に乏しいというか
感情もあんま起伏がなくて
僕と結構大違いで
僕は感情がカーッてなるとさ
ガーッと胸ぐらつかむみたいな直情的な人間なんだけど
弟は割と
無風というか
なんか風も吹かない
イライラすることもあんまないんだよな
みたいな
なんか静かな人間ですね
どっちかというと
普通の障害者年金とかで
うまく暮らせないんですかね
どうなんだろうね
3級とかは
余裕で取れると思うんだけど
2級とかだよね確かね
生活に関わってくるのって
でもそれが
本人のプライド的にあんまりそういう障害者として
暮らしたくないらしいんですよね
それはそうだよね身体障害者になりたくなかったわけだし
じゃあ精神障害者で
っていう風になりたくもない
幸い
父がそこそこな資産家というか
頭はいいしエリートで
そこそこ資産はあるので
今父が全部弟の面倒を見てくれてるんですよね
生活費も全部出して
そこそこ裕福な生活を
弟は今してるので
それで今なんとかバランスが保たれてる
っていう感じです
家族のこう家族内の力学がね
なんとかそれで保たれてるっていう
その代わり
父は母には一銭も金は渡さない
みたいな感じで
最低限の生活費しか出してない
よく普通まで回復したな
かなり低い確率かな
代償も大きかったですね
だからそういう
精神科の教科書とか開けばたぶん
弟が出てくると思いますね
日本にそんなにいない症例ですから
100万人に1人っていうことは
年代に1人しかいない病気なんですよね
だいたい一世代
1学年100万人くらいじゃない
日本人って
だいたい自分の学年には
自分しかいないって病気なので
そういう難病だからね
よく生き残ったな
57:01
弟さんも優秀なんですね
そうなんだよね
弟も優秀で
高校時代に同じくらいの成績だった子が
東大理産に行ったんですよね
でも弟は理産とかに行きたくないと
医学部に行きたくない
って言って自分で蹴ったんですよね
行けばいいのに
お兄ちゃんも医者になるんだから
弟も医者になればいいじゃないみたいなさ
みんなに言われてたんだけど
弟はそういう体験をしていて
逆に医者になりたくなかったみたいなんですよね
あんなに
嫌な思いはしたくないみたいな感じで
それで弟は
法律とか弁護士とか
そっちの方に行こうってなったんですけど
声素敵です
時間があっという間だね
ちょっと僕今病院にいるんです
話を現実に戻すと
最後1分で
昨日の晩から
僕は代わりの先生の代わりで
今当直に入っていて
これからちょっと兼職で
飯食いに行かなくちゃいけないので
そろそろ終わります
病棟も見に行かないといけないし
というね
当直室からの配信でした
現実に
話を戻すと
僕は今医者なんです
ということでどうもお疲れ様でした
フォローさせていただきます
どうもまたぜひお越しください
お送りしましたのは
さしみちゃんでした
アーカイブにも残してますので
詳しくはプロフィールの方をご覧ください
失礼いたします
58:51

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