京都新聞Podcast【しんどくならないニュース】。 この番組は、しんどくならない気持ちを大切に、リスナーの皆さんと京都新聞のニュースをつなぐPodcastです。
ニュース編集部の広瀬さと子です。 経営企画局の安部秀俊です。 報道部の国沢ひとしです。
突然ですが、この京都新聞Podcastを聞いてくださる方、この番組にたどり着いてくださる方って、どんな方だと思いますか、2人は。
どういうきっかけでたどり着くのかもわからないし。 わからないですよ。
年代的にもどういう方が聞いてくれてるのかと思うし。
現状ちょっと私たちはまだリスナーの皆さんのアナリティクスみたいなものは、まだちょっと手元にない状態なんですが、
京都のことをどれくらい皆さんが知って、これを聞いてくださってるのかなみたいな話は、実は前回の収録の時にもうちょっとしましたよね。
それで、2本ぐらい京都の話をすでに撮ってるわけなんですけれども、街の話をしますよね、どうしても。
その時に京都の街の通りが十字に重なってる、縦横、基本は5番の目のようにまっすぐ重なっているっていうのが、基本京都の中心部の街並みっていうのはみんな最低限。
多分そういうイメージはあって、なんとなくなんとか通りとなんとか通りのとかって普通に話してしまうけれど、
そもそも京都のそういう5番の目の通りのイメージっていうのが聞いてる人にどれぐらいあるのかなっていうのは、ちょっと心配かなという。
みんなどれぐらいイメージしてくださってるのかなっていうのはずっと気になっていて、
そんな中で、皆さんに京都の通りなんかもう知ってるよっていうクロートの方にも街を思い浮かべながらちょっと聞いてもらえるような企画がないかなと。
で、あんまりまだ京都何回かしか行ったことないな、よくわかんないなぐらいの人にもへーと思ってもらえるような企画をと思いまして、
ちょっと今日の本題に入ってまいりたいんですが。
最適な記事が見つかりましたか?
あのー、最高の記事が。すいません。では、そうなんです。今回のテーマは、
京都最強の通りは市城通り。市城からすま。市城河原町。いつも交差点で優先。千年の謎ルールに迫る。
です。こちらは国貞さんが2024年に書かれたアーカイブ記事です。
番組の概要欄に記事のリンクを貼っておりますので、読んでみたい方は是非有料登録をお願いいたします。
では国貞さんから記事の紹介をお願いします。
はい、国貞です。さっきタイトルをひろしさんが読んでくれましたけど、
多分京都外に住んでらっしゃる方でも、多分市城通りとか河原町通り、市城河原町とかね、
市城からすまっていうのは多分なんとなく地名としてとかで聞いたことあると思うんですよね。
京都の場合はその中心部においてはですね、さっきもあった5番の目、縦と横、南北、東西が十字にクロスするような待ちわりになっているので、
通り名を組み合わせて交差点を表記をしたり、市民の人がそれを普段使っているというのが原則としてあります。
その中で、さっきも言ったメジャーな市城通りとか河原町通り、河原町通り、
ふと社内でですね、同僚と市城からすまとか市城河原町というふうに呼び名が、市城大宮というのもありますけど、
必ず市城が前に来るよねっていう話があって、その優先される市城通りっていうのは、
市城が一番強いんちゃうかみたいな雑談からこの記事のとっかかりがありましてですね。
京都市内の主要な通りのそれぞれ交差点になっているところを調べて、
本当に強いのはどこなんだみたいな、どこが先に呼ばれているのかというようなことをですね、
ああでもない、こうでもないというような感じで、京都の地名研究会の方にも話を聞きながらですね、探っていったという、そんなような記事なんです。
これ本当に住んでいる人からすると確かにそうだなというか。
市城からすまって言うけど、からすま市城とは言わないっていうのが、なぜでしょうっていうのが出発点にあって。
そうそうそうそうそうです。
これって両方いうのはなかったのかな、どっちもありは?
あの、堀川通りというのがあってですね、縦の南北を走っている通りで、からすま通りの一本、大きい通りというか西側にある大きな通りですけど、
ここは取材した2024年の段階では、実は交差点の標識名って出てますよね、信号の横っちょら辺に。
市城堀川っていうのと堀川市城っていうのが当時はこれ2つ混在してた。
混在してた。
で、僕もこの辺をうろうろ歩き回って、なんやこれはと思ってですね。
で、取材をすると基本的には市城堀川なんだっていうのが、これ管轄国なんですけど、国交省は市城堀川であるっていうようなことだったんですけど、
じゃあなんで堀川市城ってあるんですか?みたいなのが、そういう取材がありまして。
それは、結論は?
結論はね、この時の記事には何も、結局、回答はね、その国のほうからの、京都市か、京都市のほうからの回答は修正しようと思います、みたいなですね、堀川市城。
それは何か取材をきっかけに修正することにやった。
で、これからね、半年ぐらいしたらかな、堀川市城の看板が消えてました。
だから今はもう、みなさん見に行かれたら、市城堀川というものしか、実は残ってなくて、
まあ、どっちでもええやんかってね、
いや、本当に、この話、どっちでもいい話で。
どっちでもいいんですけど、なんか京都に住んでると、ちょっと気になってしまったりする瞬間もなくはない。
見見慣れてるものと逆に言われると、すごい違和感があって、
堀川市城って言われると、え、どこっていうか。
そうですね、なんか旅行に気張った人の言い方かなって、一瞬思ってしまうんですよ。
嫌な京都人の言い方。
なんかその、自然。
よそさん。
よそさんやね。
なんていうんですか、鳥丸お池的な読み方、間違いと同じで、
住んでる人の感覚とか会話の中で自然な言葉の順番とか漢字の読み方とかですかね。
そう、やっぱり語呂とかがあるけれど、ただこれ、くみさだくん、理由を探っていったら、
あんまり深い理由というか、きれいな回答はないってことだね、どっちが先っていうのは。
そうそうそうそうそう。
ちょっと話せば、たぶんすごい長くなるし、
学術的な話とかになってくると、ちょっともう僕も、なかなかそこまで踏み込めないというか、
踏み込んでないんですけど。
雑談レベルで言うと、
雑談レベルでね。
どういう、なんかぼんやりとした法則みたいなのか。
ただ取材をしてて思うのは、
それこそね、もともと常謀性であると、平安権もね、常謀性であって、
昔は要は横を優先してたとか、そういうようなくだりも記事にはいてるんですけど、
僕の試験なんですけどね、
呼びやすさとか言いやすさっていうのも一定あるのかな、
通りのやっぱりどっちが大きい小っちゃいっていうのはあると思うんですけど、
でも同じぐらいのやっぱり広さとか、メジャードの通りっておそらくあって、
その時に、何でしょうね、
やっぱり昔から京都の人が呼びやすかったとか、
語呂の問題もあるかもしれないし、
もともとのその、通りの歴史、さっきこっちができてるからみたいなので、
そういうふうに呼んでるのかわからないけど、
やっぱり基本的には京都の民衆が、
言いやすかった、言いやすかったっていうふうなものになっていて、
定着していって、
っていう感じがね。
あまりルールに厳密さがあるようでない感じが、
やっぱりみんなの、住んでる方の暮らしの中で、
呼ばれ方決まっていったみたいな感じなのかなって、
印象を受けますね。
あ、そうですね。
東いる西いるを、
ちょっと説明。
リスナーの方が分かってる人もいるだろうし、
分かってない人もいるから。
ちょっと簡単に解説すると、
京都では、北に行くことを上がるという風に言います。
南に行くことを下がると言って、
東は東いる。
西に行くことを西いると言います。
一般にルーはカタカナで書くんやな。
そうですね。
上がる上がるは上下の上って書いて、
カタカナのルーと。
郵便物とか送るときに住所の町名の前ですかね。
そうそう。
町名の前。
空の後かな。
京都市中城区。
その後通り名を二つ並べて、
上がる下がるとか、東いる西いるとかが入った後に、
町名が来てパンチが来てという風な使い方をするんですが、
この上がる下がるとかっていうのは、
私たちが日常的に、
ほらあそこ、あの通り上がったとこ、
あの通り下がったとことかっていう使い方も結構しますね。
というのが、方向音痴だった私には大変ありがたかったという感じです。
ありがたいというか、
方向音痴だったらこの表記って難しくないの?
それを告白するためのってこと?
どこに行っても方角さえわかれば、
一生懸命方角がどこやってこと考えなくても、
たぶん基本道はどこかで交わってるからっていうことを頭に入れると、
あんまり地図に対する苦手意識みたいなものが取り払われた感じがあって。
これって京都新聞に入って、市民版とか京都市内の取材をし始めたときに、
書き方って教わらへんかった?
最初の研修とか。
なんとなく上がる下がるか、西いる東いるか、どっちかしか使わないや。
これがまずわからへんかった、最初は。
確かに。
つまり、市場通りとからすま通りの交差点があって、
その市場通りの北、だからからすま通りを北のほうに行ったところにある住所は、
からすま市場上がるっていう表現する。
面してるところを。
面してるところの通りを最初に言って、
基準になる横の通り、南北の通りが面してるところだったら、
基準にする横の通りから上なのか下なのか、上がるのか下がるのか。
だから逆に言うと、東西の通りに面してる場合には、
東西の通り名を先に言って、市場通りからすま西いるとか東いるとか。
このルールが意外に書くときにわからなかった記憶がある。
理屈さえわかれば、当てはめるだけなんでね、あとは。
住民票でもきちんと通り名2つ並べて、
上がる下がるか、西いる東いるかっていうのが、
町名より前につくから。
でも微妙なのがあるんだよね、
通りとさ、通りの間のちょうど中間ぐらいにあるお店とか紹介するときに、
どっちを基準にしようかな。
上がる下がる、どっち上がる、どっち下がるのかなんとかね。
それは結構、しかもこれ適当なんやな、実は。
お店屋さんによっても、そこ結構適当なんだよね。
なんとなく上がるの方が印象がいいから。
商売やってる方は上がるを使いながらっていうのは。
なんとか下がるよりは上がる。
これもまあいい加減なこと言ってるかもしれないけれど。
いやでもそれ古いから京都に住んでる人にも聞いたことあるし、
まあ一定多分、そんなこと考えながら、
特にお商売してる人はね、
やっぱ商売が上向くか下向くかっていうこともあるやろうし。
あと今出してもらってるけど、上がる下がるの上がるは、
北が上がるやけど、
御所を基準に、大理を基準にそっちに行くことは上がるって言って、
御所より北のところから見たら逆になるから、
上がる下がる表記が実はおかしいんじゃないかみたいなこともあるけれど、
実際にはもう北が上がるで統一するから、
北王子とかでもそれより北に行ったら上がるって言うけど、
もともと御県は御所というか大理を基準にしてたという説もあると。
御所が一つ落中落外の基準やっていう人もいるしね。
御所の南側が丸田町通りやけど、
あそこまでは落中、そこから上は落外っていう人もいるし、
今出川じゃなくて?
実際あそこが中行区と上行区の間で、
丸田町通りって横の通りがあたりがだいたい分水型になっていることが多いので、
確かに上がる下がるルールはなかなか京都ならではかもしれないけど。
覚えて使えると便利。
便利、分かりやすいよね。
落中どこまでか論争っていうのもね、京都に住んでいる人には。
みんなの心の中にあるみたいな気持ちですよね。
一般的には上中下文字じゃないんですかね。
どういう考え方?
そこはそうだね、多分文句は出ないような気はするけど、
でもね、難しいけど、
祇園祭りの山穂町の町中心地の方は、
神業は御所から神に行くと認められへん人もいるかもしれんし。
そうです、祇園祭りの山穂あるところの方々はここだっていう意識すごく持ってらっしゃるイメージはありますね。
東西はある程度解決してるの?
どういうこと?
その落中の範囲って。
やっぱり神奈川より東は落中とはあんまりイメージはないけどね。
東は河原町通りもね、河原っていう名前がついてるぐらいだから。
落外。
新京国ってね、修学旅行、専門旅行、商店街。
新京国じゃなくて京の果てっていう局やからね、北極南極の局なんで。
もともと寺町通りが京国通りで一番東の端やったよね。
そこから新しい京国通りで新京国ってしたんじゃなかったっけ。
出吉の時。
今の京都の地理からすると
東の方は結構、なんていうの、めっちゃ繁華街とかぐらいのところも京の果てやというふうに思われたってことだね。
今は中心地というか。
一番高地、地価が高いところはあの辺だけど。
西を話したら。
西がね。
西京国っていうからそこが一応あるのかな。
でもなんか西京国ってだいぶ距離ある名刺です。
平安京の時代の話をするとだいぶまた。
またちょっとそうだね。
その代理の場所が違うから。
専門通りがね、静岡王子であるとか、確かにどの辺なんだろうね。
住んでるエリアにもよるのかな。
その辺のどの辺までが落中でみたいな。
落中落外っていうのは別として、街の雰囲気が結構変わるなと思うのは、
西の方に行ったらやっぱり堀川通りより東か西かっていうのが結構別れ目になる。
自分の印象としてもそうだし、何か人と取材しててもやっぱり堀川より西っていうのは
生活空間みたいな感じがあって、堀川より東は繁華街であったりオフィス街であったりっていう
何かそういうイメージってない?
そうです。何か急に。
街の温度感が変わるような気がする。
民家マンションが増えるイメージですかね。
まあそうだね。大宮通り、堀川通りね。
もう一本西が大きな通りでいうと。
あの辺ぐらいかな。
堀川か大宮とかその辺かなっていう気は確かに。
自分が住んでるからやけど、俺は千本ぐらいまで含めて欲しい気もするけれど。
実際には多分堀川、大宮あたりから少し街の雰囲気が変わるような気がするし。
西大寺ぐらいまで行くともう何かちょっと違う街と言ったら大げさだけど、
京都のその繁華街とは違う雰囲気になるかな。
道幅もね。堀川通りも大きいけど、西大寺とか外周道路みたいな京都の街からすると。
そのイメージで言ったら北はどこになるのかな。
楽中。
あるいは今の生活空間としての京都を考えたら何か少し雰囲気が変わるのって。
でもやっぱり氏名通りあたりからですかね。
氏名通りがなかなか間に合うかな。
私もうちょっと北の方なので思うんですけど、
今で川があって道下大学があって、
その北やね。氏名通りって。
そのもっと北のこうちょっと曲線のこの横の通りぐらいから、
北大寺駅周辺は栄えてはいますけど、
何て言うんでしょうね、中心部的なというよりは学生会の感じと生活圏の雰囲気が入り混じるようなエリアで。
そうなんですね。
これ北山通りまで行くとちょっとこう、
昔ちょっとファッションで流行ってた名残が若干ある、
東洋亭さんもある、ファインさんもある、コンサートホールもある、
ちょっと文化の香りがしつつ、
でもちょっとまた上がると急に田んぼとか畑とかまだ残ってるようなエリアが出たりして。
北山通りのさらに北に行くとちょっと確かに。
そうですね。
住宅地もあれば畑とかも少しあって、都市のイメージではなくなるかな。
なんとか通りみたいな形である程度知り渡ってるのは多分北山通りか北源ぐらいじゃないですか。
まあ宝川池通りとかね、国際外貨もあるけど、通り名としては存在してるけど。
でもそれこそ上がる下がるは使わへん、目も。
使わないですね。
十字に交わってくれない道も増えてきますよね。
確かにね。北山通りってでもそれこそ80年代、90年代ぐらいに再開発が進んだのか。
そうそうそう。
で、さっき広すぎた。
もうちょっと前から広げたのは。
広げたの。
60年代か70年代。
おしゃれなというかファッションとか文化ゾーン的な感じでイメージってなかった?
あった。
今も。
今もね。
それはあるけれど。
昔アマチュアリーにビームスがあったって知ってるじゃないですか。
あ、ビームスあった。
ラジオ局がある。
そうそう、アルファステーション。
カルチャーな雰囲気が。
そういうイメージだった。
メイクとかアベスコンは今アラフィフ世代ですけど、我々世代はもう学生時代。
高校生とか大学生ぐらいの時は。
もうそうね。
ちょっと町の雰囲気変わったのかな。
今ってどういう場所なんやろ。
その若者の。
昔からその寺町新京国はいいとして、そういうエリアってある?
北山周辺ですか。
北山周辺というか若者が集まる道路というか道は。
難しいですね。
集まる。
寺町とか山城とかあの辺りって、ちょっとおしゃれなアパレルのお店とか古着のお店とかがいっぱい、
あの辺りに転在してるイメージなので、
あの辺りに昔いた人はそっちで買い物してる。
でもなんか自分が大学生の頃10年以上もう前ですけど、
思い返すとみんなここで服買ってるとか、
そういうなんかここみたいなのは別に。
あ、あんまり。
だけど2000年代から90年代ぐらいから、
その寺町からだんだん西にそういうそのファッション関係のお店とかが、
たとえば五孔町とか、
広がっていって境町とか、
あの辺りがやっぱりその若い人が行く店で、
そのファッションとかカフェとかが増えていって、
なんかそれと同時にやっぱり北山が少しそういう店が減っていったのかなと思ったんやけど、
そんなことないかな。
そうかもしれない。
だから町に回帰してるというか、中心部に行ったのかな。
確かに時代的にはね、なんかその辺シンクロしてる感じがするよね。
あれかな、もうこの間しまった富士大丸にもビームスさん入ってましたよね。
とか、
北山、私が大学に入った15年前は、
もうすでにそういうファッションの町ではなかったですね。
あーそう。
なんか私が学生の時オーケストラやってたので、
京都コンサートホールには何回もしょっちゅう来てたんですけど、
買い物したことは多分ほとんどなくて、
それこそ井上さん、北山に井上さんあるんですけど、
あそこで差し入れを買うとか、
ちょっとカフェはね、何軒か、今もいっぱいありますけど、
お茶するとか、
あと東洋亭さんはいつもこう賑わってるとかそういうイメージですよね。
マールブランシもあれ、本店ってあそこじゃない?
あ、そうですね。
もうクリスマスは行列じゃないな。
もう予約でいっぱいでみたいな。
そうですね。
まあ昔…
やっぱ人通りはもうちょっと多かった記憶がある。
そんな気はするな。
今の北山通りよりは。
逆にね、今静かで広々しててっていう意味では、
ある程度年代をとった僕たちが行っても気持ちよく過ごせるような。
大人の街になったような気がするな。
成熟したっていうかね、そんな気はする。
もう田んぼとか畑とかがどんどん、
賃貸マンションとか文庁も何軒かこの10年ぐらいたぶん経ってるんですけど、
結構住む場所としての人気もどんどん上がってきてるようなイメージですね。
ちょっとだけ話戻っていい?