シュウが遂に京都での10日間ヴィパッサナー瞑想合宿に参加してきた
っていうことで収録しましたが、収録出来ていない現状を踏まえて
今回の収録で「くうねるはなす」の番組としては終了の運びとなりました
コニタンの人生中毒:https://creators.spotify.com/pod/show/u30b3u30cbu30bfu30f
収録日:1月15日
大泉こぐま治療室:https://x.com/kogumasensei1
シュウの放すラジオ:https://creators.spotify.com/pod/show/sakashushu
ご意見、ご感想、ご質問等、お気軽にどうぞ
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2個録音します。1個目がクレイグ君で、2個目が保健のガイアーク。あれ?逆だった。最初がガイアーク君で、今のがクレイグ君。
まあどっちでもいいんですけど。
くうねるはなす、お久しぶりの収録になります。収録日は11月15日です。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今、これ聞いてくださった方はわかると思うんですけど、前にもゲストに来てくださったこにたんが、今日は来てくださってます。
こんばんは、こんにちは。よろしくお願いします。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
どうしたらいいかな。最初に言っちゃった方がいいかなと思って。今回収録としては、今回で一旦くうねるはなす終了って言っといた方がいいかなと思ったんですけど。
そして。
撮り始める前にコグマちゃん聞いておけばよかった。ごめんなさい。
全然大丈夫でしょ。
大丈夫?
大丈夫、大丈夫。
ちょっとね、僕が旅に出過ぎちゃってなかなか収録が成り立たず、今回もめちゃくちゃ久しぶりになっちゃったっていうのもあって。
あとはまあ、僕はそんなになんていうのか。
終了みたいなのを言っても言わなくてもみたいな気分だったけど、コグマちゃんからそれをちゃんと言いたい的な。
そこはちょっと僕の表現だと間違うかもしれないんで、コグマちゃん。そこの感覚をお伝えしてもらってもいいですか。
はいはい。結構面白い番組でも、これもうやってないのとか、最終回かどうかわからないけどだいぶ長い間収録ないなっていう番組があるので。
なんかそういうのって、もし次楽しみだと思ってる人には生殺しになるので、ちゃんと追われる人に憧れてて。
今回喧嘩別れで最終回ですみたいなのとかも聞いたことがあって、それでもちゃんとおしまいですって言ってるのいいなと思ってて。
なるほどなるほど。
なのでちゃんと宣言して、今後何があるかわかりませんが、今回一旦締めということで、一応の最終回だというのをちゃんと言っておきたいなと思ったので。
なるほどです。
いやーぶっちゃけちょっと前にLINEでそのメッセージ読んだ時は、まあぶっちゃけちょっとへこんなんですけど。
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ぶっちゃけて言うとちょっとだけへこんなんですけど。
いやーそれもまたわかるなーっていう思う部分もあって、一旦区切りにさせてもらおうかなっていうのに。
僕が嫌だとか言うつもりはそもそもないんですけど、今まで本当にお付き合いいただいてありがとうございましたっていうコグマちゃんには感謝しかないんですけど。
たぶんだいぶ間を空ける前の収録で、その瞑想合宿に行ったら聞かせてねっていうふうにコグマちゃんが言ってくれてて、
今回コニータンも交えて、前回コニータン来てくれた時も瞑想の話をしたんで、この3人で瞑想の話をして一旦終了ということで、その話だけ今日は目一杯させていただきたいなというふうに思ってます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
とにかくもうこの辺りでは瞑想といえば、瞑想の発祥のうちコニータンのことを思っているので。
間違いないですね。
しゅんさんお疲れ様でした。
いやいやいや、めちゃくちゃ面白かったです、本当に。
ちょっとその前に、何年の何月何日から参加したとか教えてもらっていいですか?
ああそうですね。
えっと、2025年の10月14日から25日まで。
受付日、夕方に受付をするのが10月14日で、最後終わって朝にみんなが出発するのが25日なんで、
その間の15日から24日が実質10日間っていう、丸々10日間という感じですね。
それ、京都のリファサナ瞑想センターの合宿に参加してきました。
素晴らしい。お疲れ様でした。
本当に面白かったですね。
すごいあの、僕はずっとしゅうさん出発して、
瞑想合宿今どの状態なんだろうなっていうのをちょっと気にしながらですね、
いたんですけど、感想してきて、よかったですね、よかったかなと思って。
そうですね、ちょっとその前の旅の時に6月に本当は受ける予定が、
直前に高熱を出してキャンセルしてしまうっていうのをやらかしてたんで、
まあその1回の旅と旅の間としては今回ちょっと間隔短かったんですけど、
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もう寒くなる前に受けてしまいたいなというのがあって、
ちょっと無理矢理感あったんですけど、今回もう1回旅に出て、
それの最後に瞑想合宿持ってきたっていう、そんな感じでしたね。
いやー、素晴らしい。
本当寒いですからね、冬はね。
10月14日からのもう、ちょうど酸化し始めてから急激に寒くなった時期と重なって、
結構焦ってましたね、その面に関しては。
そんなに寒がりなんですか?
いやー寒がりですし、もうちょっとね、なんていうか抜けてるんで、
出発したのがまだ9月前半だったんですね。
めちゃくちゃ暑かったから、
まあ帰りが11月になるだろうとは思ったけど、真冬の装備は持って行ってなかったんですよね。
で、とはいえ、上着重ね着とかすればいいやっていう、
上着とかズボンも重ねて履けばいいやみたいにして持って行ってたんですけど、
今回出発直前と、
その瞑想合宿への出発直前と、合宿が終わった直後に、
バドさんの生態所、西宮のバドさんっていう方の生態所にご約会になるっていうのが決まってたんで、
ある程度荷物を置かしてもらってたんですよね。
で、瞑想合宿に必要なものだけ見つくろって持って車で行ってたんですけど、
その重ね着用の服を持って行くのを忘れるという、
効果をやらかしてまして、
だから一人でちょっと焦ってたっていうのがありました。
現地に着いて第一印象どうでした?
第一印象どうかな、第一印象は思ったより広くないと思ったかな、敷地が。
そうですよね。
っていうのと、その敷地とか場所の印象もそうですけど、やっぱり
何をどう最初に受付してもらえるかとか、車がどこに置けるかとか全然わからない不安みたいなのがあって、
ロータリーみたいなところに一旦入れて、本当にわかりやすい駐車場がなかったんで、
ちょっと予想してたけど全然わかりにくいなと思って、
男性受付はこちらっていうところに行ったんですけど、
そこでもうすでにいろんな人が受付してて、一人でそれを対応されてたんですよね、ボランティアの方が。
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なるほど、そうなんですね。
その人に話しかけるのもちょっと一旦、一人の会話が終わってからじゃないとはばかられるなとか思っちゃって、
ちょっと待って、で話しかけたら、ちょっと違う奥の場所に止めてくださいみたいなこと言われて、
行って止めて、でまた戻ってきて受付するけど、やっぱり何をどうしていいかわかんないまんま、
手探りで向かうみたいな、そういう、なんていうか、一般の企業のサービスを受けなれてるから、
やっぱ最初はすげえ不親切に感じちゃいましたよね、ぶっちゃけ。
そう、わかります。わかりづらいですもんね。
わかりづらかったですね。
まあこれも含めて修行なのかなみたいなことを思いながら。
そうですね、おっしゃる通りそうだと思います。
そんな心持ちでいたから。
まだその段階では人と喋っていい段階じゃないですか。
そうですね。
誰かとお話とかされました?
あ、しなかったですね。周りが誰一人、他の誰とも喋ってなかったからやっぱり、
寄与されちゃって、話しかけられなかったですね。
どうですか。
なんかもう始まったら喋っちゃいけないっていうのも聞いてたから、
事前のやつもあんまりそんなに喋っちゃいけないのかなみたいに勝手に思っちゃったところもあるのかな。
そのボランティアの人とは喋っていいんだろうけど、
参加者同士は今後10日間喋らないみたいなのもメインのテーマみたいなものなのかなと思って、
喋れなかったですね。
そうなんですね。
誰かとお話されてないかなと思いながら。
コニーさんは喋ったりしました?最初に。
僕ほとんど喋ってないですね、人とは。
人とは?
じゃあだいたい雰囲気わかってたんじゃないですか。
もともと僕そんなに人を積極的に話すタイプじゃないから。
僕もそこまでそうですよ。仲良くなったら喋るけど、最初は人見知りがちですよ。
そうなんですね。
いざとの始まってみて、
ごめんなさい、どうぞ。
一言も喋ってないので、不安になって喋ろうとしてしまいました。
何人くらいの参加者なのかなと思って。
男性が22人っていうのは把握できてたんですけど、
女性側は一切の情報が得られなかったんで、
同じくらいいるなーって迷走ホールの反対サイドを見ながら思ってたぐらいですね。
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女性とは一切喋れないから、そこはちゃんとわかってないですけど、
まあ多分同じぐらいじゃないかなと思ってました。
多分施設に入ったら、部屋に通されるじゃないですか。
おそらく3人部屋かなんかだったと思うんですけど、しゅうじさん今回。
いや2人部屋ですね。
本当ですか。
なんか僕の把握では、その泊まれる建物の1階が新しい生徒メインで、
2人部屋は僕が入った1箇所だけで、
他は6人部屋とか10人部屋しかなかった記憶なんですけど。
そうなんですか。
で2階が古い生徒?みたいな、ざっくりそんなわけだったのかなーと思ったんですけど。
なるほど。
京都は。
メイスホールは2階でしたよね。
2階でした、はいはい。
ほらこの状態か。
木造のなんかね、学校みたいな感じですね。
言われてみればそうですね、体育館みたいな。
めっちゃちっちゃい学校みたいな。
そうですね、ちっちゃい体育館みたいな気分でしたね、メイスホールは。
実際始まってみてどうでした?最初そのみんなホールに集められて、なんかいろいろ話を聞くじゃないですか。
初日は最初、女性の食べる場所?食堂?
で男女、男性も女性も集められてビデオを見たと思うんですよね。
そうなんですね。
毎回それ違うのかな。
僕のとき、だいぶ結構変わったと思うんですよね、しばらくしたから。
そうなんですね。
だから僕はビデオ見なかったんですけど、音だけだったんですけど。
いやでもそこの記憶がね、なんかちょっと自信なくなっちゃって、
僕終わったその日に車で馬の産地に向かいながら、週の話すラジオを興奮しながら収録してって、
その時はその合宿初日というか受付をした次の日、
瞑想を始めたその日の夜の講話で聞いた内容で衝撃を受けたと思い込んでそうやって喋ってたんですけど、
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古い生徒は講話全部聞けるじゃないですか。
あ、そうですね。
それで聞き直してみたら、初日に僕が衝撃を受けた内容出てこなくて、
あれ初日じゃなかったかな、2日目かなとか思って2日目聞いても出てこなくて、
4日目か5日目に出てきたんですけど、
確かにでもその講話でも4日目か5日目に僕が衝撃を受けた内容がもう1回出てきたなっていう記憶だったから、
多分初日に見たビデオか、
ビデオを見た後にさらに夜寝る前に瞑想ホールに集まってもう1回瞑想なり、講話を聞くなりしたのか、
ちょっとどっちか分かんなくなっちゃって。
そうですよね。
これはあれですよね、ビパサナイ瞑想を一旦終了した人は特別なサイトに招待されて、
講話を普通に聞けたりするサイトに行けるんですけど、
その中に入っている講話と現地で流されている講話の内容が若干違うんですよ。
え?
おそらく若干違うんですよね。
あら、その差は分かってないですね。
微妙ですけどね、確か内容が微妙に違った気がするんですよ。
そうか。
でもその根幹となるものは変わらないから、
まあまあそんなに大差ないんですけど、
しゅうさんがすごいむちゃくちゃ影響を受けたっておっしゃってるロジックって言ってるものって何なのかなっていうのは
もうちょっと深く知りたいんですけど。
そうですね、これはでもね、なんていうか、僕の中での最後のピースがハマったみたいな感覚なんで、
まああの、しゅうの話すラジオで興奮しながら喋ってる回とか、
その翌日かな、翌翌日かな、にスルメさんに聞いていただいて補足した回ぐらいがほぼ全てではあるんですけど、
まあこの番組しか聞いてない方もいるかもしれないから、
かいつまんで話したいとこですけど、
かいつまむとマジでわかんないんだよなと思いながら、
えっとですね、まあ2500年前にゴータマシッダルタさん、
ブッダさんっていう風に言われてるゴータマブッダさんってこれから略しますけど、
ゴータマブッダさんがビパッサナ瞑想を作ったっていうところで、
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その悟りを開くための修行として瞑想を繰り返していく中で、
自分の心と体をひたすら観察して、
でざっくり体と心に2つに分かれるみたいな感じ?
ちょっと表現がいろいろ間違えてるとは思うんですけど、
でまあ体はこの物質としての素粒子の集まった肉体としての体、
で心はその中でさらに4つに分かれて、
意識、認識、感覚、反応っていう風に分けることができて、
意識と認識のところは僕は全然響かなかったというか、
まあなんとなくそうだよねーぐらいな感じで聞いてたんですけど、
その感覚と反応がくっきり分かれていて、
そこの動きをめちゃくちゃロジカルに説明されてたのが響いちゃったっていう感じだったんですけど、
僕も今までずっとこう問題意識というか、世の中に対して疑問だったり違和感だったり、
こうした方がいいんじゃないかみたいな思いをずっと抱いて生きてきたタイプの人間だったもんで、
なんか自分と向き合う必要があるんだろうなとか、
それが一番世の中に対して外部を変えるんじゃなくて自分を変えるの方が早いんだろうなとか、
ふわっとしたものは感覚的に思っていたというか、
感覚を持ってたんですけど、
それがざっくり言っちゃうと、その感覚と反応が一緒くたになっちゃってたんですね、僕の中では。
感情であったり心であったり気持ちみたいな風な表現は、
それの総合体みたいな感じでそこに明確な区分けが僕の中にはなかったんですよ。
そこででもなんとなくこんな感じだよねみたいなのを一生懸命言語化しようとするけど、
言語化したところで捉え方によってどっちにも捉えられてしまったり、
人にもなかなか伝わらなかったりみたいなので、
でもまあそうやってやっていくしかないよねみたいに思いながら、
それをポッドキャストで配信して生きていこうって決めていた人間だったんですけど、
そこをあんなにクリアーに明確に、ある意味ちゃんと聞こうとして聞けば誰にでも伝わる言語化で
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ロジカルに説明されたっていうのが衝撃で、
ざっくり言ってしまうと感覚は感覚で、いろんな感覚がすべての感覚器官で受信したものは全部感じられるけど、
それはまあ感じられては消えてっていう風に、ただ生まれては消えてっていう風にしていくものだけど、
それに対する反応がいい感覚を得た時にはそのいい感覚をもっと得続けたいっていう
渇望が出てきてしまって、それがひどくなると執着になってとか、
悪い感覚の方は嫌悪感の嫌悪になって、もっとひどくなると憎悪になってっていう、
どっちにしても苦しみのもとになるみたいなところで言うと、その反応の方が個人個人それぞれバラバラであって、
そこをひたすらこの微発作の瞑想っていう修行法で修行することで、
ひたすら観察することで言ってしまえば心の浄化みたいな表現でしたけど、
その反応の方を消していくことができる、まだ体験としては僕は本当に消えたなみたいなのは全然今のところまだ体験はできてないんですけど、
その話を聞いた時にでもそうだって思っちゃったんですよ、そうですやみたいに思っちゃったんですよね。
今まで瞑想も勝手に本読んで個人的にやってみたりしていたし、いろんな人からも話を聞いたり、
こんじたんはじめいろんな人からも聞いていた中で、ふわーっとそういうふうなものなんだろうなみたいなのは、
方向性としてぼんやり霧がかかったような状態で、なんとなくそっちを向いてたつもりではいたけど、
今回いきなり根っこの根元のところをロジカルにクリアに理由としてはっきりいきなりしょっぱな説明されちゃったみたいな感覚だったんですよ。
で今までの霧が一気にうんさんむしょうしたっていうか、ここがスタート地点だったのかっていう僕としてはそんな感覚で、
今まではどっちかというと周りの霧の方から徐々に徐々に中心に近づいていく作業みたいな感じで瞑想を捉えてたんですよ。
でも今回それが逆転して、2500年前にゴータマブッダさんが見つけたその法則を言語化されたもの、
それにたどり着くための修行法としてビバッサマ瞑想があるっていう原点を聞かされたことで、そっから始めるんであればじゃあもう、
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まあわかんないけどやってみないと本当はわかんないけど、やってみる価値はあるのに2500年に受け継がれてここまで伝わってきたんだから、
それはやってみない手はないでしょうっていうワクワクしか残ってなかったんですよ、聞き終わったときに。
へー、すごい。
そんな感じ?なんとなく、周の話すラジオで言ったときよりは伝わりますかね。
いや、わかりやすかったです。結構今、周さんがおっしゃってることは、
ビバッサマ瞑想で一番大事なところを多分話してあるんですよね。
ああ、そうですか。
そこが本当にもう肝ですよね、ビバッサマのね。感覚を観察してそれに対して良い悪いっていう二言論的な反応をしないっていうことですよね。
で、それをすることによって自分の心の癖みたいなのが浄化されていくっていうことなんですよね。
だから、そこは本当にビバッサマの根幹となるところなので、きちんと理解されてるなっていうのはすごい感じました。
頭でっていう感じですけどね、完全に頭での理解を最初にしたというか、させられたというようなぐらいの感覚だったんですけど。
逆に頭で理解するっていうのもすごいなって思うんですけど、
その感覚も一緒になってないと結構わかりづらかったんですよね、正直。
その感覚がその反応、感覚を観察して反応を見るみたいなところっていうので、それが浄化につながるみたいなのがちょっと僕はよくわからなかったんです。
なんで浄化につながっていくのかが、ちょっといまだに言語化できないけど、確かにそういう感覚はあるよねっていうのはすごいあって。
例えば、熱いものに触れたときに、熱いじゃないですか。
結構熱くて、手が勝手に反応して引っ込んだりするけど、またジンジンして痛みがある。
その痛みを観察してると、確かに痛いし、今焦ったし、みたいなのを観察しますよね。
それに対して良いとか悪いとか考えずに観察し続けて、熱いからちょっとこの指先を冷静に冷やそうとか、冷やしていくみたいな感じで。
確かにそうすることによって、そこでわーとかあーとかなって、熱い、なんでこんなになるんや、みたいになると、
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反応で周りにもちょっと影響があるし、周りに人がいたら、反応したことによって、
他にも物をぶつけたりとか、体が物にぶつかったりとかして、他の物がバーンと壊れていったりとか、
みたいな連鎖反応っていうのが起こり、それに対してまた自分の怒りが重なっていくみたいな。
ここっていうのは確かに負の連鎖みたいなのが絶対起こり得るから、反応して観察して浄化していくっていうのはすごい効果としてあるし、
それをどんどん繰り返していくと、毎日続けていくと、以前だったら過剰に反応していたことが全然反応しなくなったみたいなタイミングが来るんですよね。
積み重ねだったりするのかもしれないですけど、確かに僕は身体的な、割と経験値的な理解があったな。
僕はその意味で言うと、身体的な経験はまだほぼないですね。ないって言うと言い過ぎかな。ほんのちょっと、
ほんのちょっとこういうことか?みたいに思わなくもないみたいなぐらい、その参加者の中でも鈍欠な鈍さで、身体の感覚に対して僕めちゃくちゃ鈍かったんですよ。
すいません、質問していいですか。
分かり合っている2人がずっと喋ってて、全然口を挟む気がないのですが。
ごめんごめん。
参加者の中でも鈍欠って感じるのは、他の皆さんの反応とかで、この人は何かを感じているなとかっていうのがわかるってことなんですか?
最終日にね、めっちゃ喋ったんですよ、みんなで。
それと、あとは指導者の人に質問に出たりする人の話から聞こえてきたりとかして、こんな感覚があるんですけどみたいなのを聞いて、えーとか思ったりしてたんですよね。
痛みが消えただったりとか。
質問ではそれ系かな。ちょっと具体的なのもだいぶ忘れてきちゃったんですけど。
30:00
最終日というか最終日前日ですけど、10日目に会話が解禁されてみんなで喋った時は、もうなんか涙が出てきて今までの自分の苦しみが癒された気がしたとか。
うーん、何て言ってたかな、痛みが消えたのも他の人からも聞いたり。
身体の中で流れが良い部分と悪い部分があって。
次回に続きます。
30:47
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