これより、校内放送を始めます。
瀬戸内暮らしの大学校内放送。
暮らしの大学校内放送、放送部顧問の坂井です。
本日は、若ちゃんお休みでゲストを迎えております。
暮らしの大学事務局長原田こと、原田花子さんです。
お願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
ゲストって言うほど、ゲストなのかっていう話はありますけど。
いや、これ放送部なんで。
放送部的にゲストでいいですかね。
立て付け的には暮らしの大学外の活動なので。
OKです。
公式っぽくやってますけどね。
完全に非公式なので。
分かりました。
本日ゲストで。
お願いします。
瀬戸内ワークスの原田と申します。
よろしくお願いします。
お願いします。
というわけで、早速なんですが。
暮らしの大学について、ちょっと聞いていただいたかもしれないですけど。
若ちゃんとこれまで何度か。
頑張ってましたね。
そうですね。
今日の段階で12回分、配信が完了してるんですけど。
2人とも暮らしの大学の一番最初知らない。
僕も覚えてないというか。
僕、アサインされたのが、キャンパスに機材が導入されるときに、
っていうとこからなので。
選んでから始まった感じですかね。
プロジェクトの起こりとしては、僕は藤岡くんから、うちのボスからまとめて聞いてた程度なので。
暮らしの大学のできる前、どうして作ろうってなったのかみたいなところと、
そのあたりのストーリーじゃないですけど、何があったのかを聞きたくてですね。
なるほど。
今回お呼びした次第でございます。
踏み込みますね。
というわけで、一番最初から行こうと思います。
軽く知らない人のために、はなかさん、自己紹介、これまでの経緯、
一緒に来た経緯とかを含めてお願いします。
分かりました。
暮らしの大学の事務局をしています、瀬戸内ワークスの原田と申しまして、
瀬戸内ワークスという会社は、2018年から。
もうそんなんだろう。
はい、そうなんですよ。
私、もともと東京出身なんですけれども、神奈川県三戸市で、
最初はですね、うどんに特化した宿を作ろうという、
今、豊中町にありますうどんハウスの立ち上げからスタートしたわけなんですけれども、
それがちょうど2018年ですかね。
最初は本当に三戸でうどんハウスをしようからスタートしているので、
まさかこんな暮らしの大学とか、他の授業をやることになるとは思ってもいなかったんです、当時は。
むしろ、私にとってこの三戸市は縁もゆかりもないというか、
そうですよね。来たこともなかったんですよね。
来たことはありましたけど、
2年くらい通いで仕事で携わっていたというところではあったんですけど、
親戚がいるわけでもないし、生まれ故郷でもないしというところで、
そんな当時でご縁をいただいて、うどんハウスをやろうというところからでございまして、
私その前は会社員だったので、自分にとっては初めての授業ということで、
授業の立ち上げが何なのか、そもそも授業が何なのかみたいなこともわからぬままみたいな感じだったんですけど、
とりあえず経験値を増やしたいなというか、
貯めたいなという気持ちで、やる気だけ持ってきたという感じ。
ただ、その経験を積んだら、次どこ行こうかなぐらいの気持ちでですね、
すごい浅はかなところからスタートしてたんですけど、
立ち上げてみたら、授業ってこんなにも大変かということで、
そんな1年でどっか行くなんてありえないというか。
そうこうしているうちに、この地域の仲間とすごくいろいろ出会うきっかけがあって、
そんな中から、たくま町大浜にあります浦島ビレッジの立ち上げの話が出てきたりとか、
あと自分自身でも今、仁王町でゲートという関係人口向けの宿泊施設をやってたりしますけども、
立ち上げたりとか、そんな流れで、
気がついたら1年に1本ずついろんな新しい事業を立ち上げてて、
その4本目ぐらいに当たるのが、くらしの大学というような形で、
ご紹介もこれまでのポッドキャストにもありましたけど、22社。
始まりは18社が正しいんですよ。
あの後知らないです。
みたいなことで、くらしの大学が始まったと。
ちょっと自己紹介なので、一旦ここで私の自己紹介として。
本当にたまたま三戸町にきっかけがあったから来て。
そうですね、なんなら前職辞めた時は、私は和歌山県で起業しますと言って辞めてます。
全然違った。
和歌山でやろうと思って、
それで言うと、三戸町で生まれたわけでもないって話しましたけど、
生まれたのは兵庫県で、育ったのは札幌で、両親は東京なんで、
特定のこの地域に思い入れみたいな、そういうタイプではなくてですね。
アイデンティティが分散しているタイプですね。
だから正直どこでもよかったと言えばどこでもよくて、
前職でお世話になったのが和歌山県で大好きな土地だったので、
じゃあ和歌山で起業しようかなって言って始めたんですけど、
何やるか決まってなくて、何やりたいかも分からなくて。
とりあえずやりたい。
そう、やりたい。30代前半、やりたい。
マジやる気だけで。
そんな時に、うどんハウスという、
クラション大学のこの話でもよくいっぱい出てきます、
古田姫さんと前職の時に出会ってて、
この水戸吉でうどんハウスっていう、
うどんに特化した宿を作ろうと思うんだよって、姫さんのアイディアで。
そうだったんですね。
そうです。香川といえばうどんなんで、すごい分かりやすいけど、
別に私特別うどんがめちゃくちゃ好きだったわけでもなくて、
東京にいる時、うどんよりそばの方が食べる機会が多いかなみたいな感じだったんですけど、
で、うどんハウスやろうかなみたいな。
のが本当に最初のきっかけですね。
そこからクラションの大学にということで、
まずよくある水戸用企業あるあるだと思うんですけど、
飯田しっぺとやってる人違う問題あるじゃないですか。
たまに。
飯田しっぺクラションの大学誰だったんですか?
姫さんですよ。
それは。
それは姫さんです。
もともと姫さんが丸の内浅大学っていうのを東京でずっとやってきていて、
それのローカル版できたらいいんじゃないかなみたいな話だったりとか、
あと私たちとしてもうどんハウス宿泊施設で、
ゲートも宿泊施設で、
浦島ビレッジも宿泊施設で、
基本的にやってるサービスが地域外の人、外貨を稼ぐというか、
地域外の方をお客さんにするサービスみたいな感じで、
かといって別に観光地を作ってるわけではなくて、
そうですね。
ホテルってどっちかというと観光地みたいな文脈。
観光地ありきの来た人が泊まれるところですからね。
秩父ヶ浜の盛り上がりみたいなのも含めて、
ある種観光地づくりみたいな見え方もあるのかもしれないんですけど、
私たちは全然その意識なくて、
どっちかというと、地域の日常づくりみたいな方にフォーカスしてっていうふうに言うと、
だから移住とか、
ゲートなんかは関係人口づくりみたいな感じで、
この町に関わってくれる人を増やしていこうみたいな動きでしたけども、
そうですよね。
泊まりに来るというよりかは仮移住。
そうですね。
プレイジューみたいなところですね。
お節介付きの宿って言ってて、来ると、
この町で何かしたいの?みたいな。
何しに来たの?とかめっちゃ聞かれるっていう。
観光しに来ましたって言わせないというか、
そういう人は他の宿行ってくださいみたいな感じの宿なわけなんですけど、
そんな形で、
または言え外の人向けだったんですけど、
やっぱり移住とか本当にこの町に住むみたいなことを考えたときに、
次に必要なピースって教育かなっていう話をしていて、
移住するときに移住者が気になることの一つが、
仕事であり、教育でありみたいな。
割とトップで出てくる話だと思うんですけど、
仕事に関しては、
そこもずっとトライアンドエラーをしてきてますけども、
今、日本に移住してくる子たちって、
割とベーシックインフラハウスみたいな、若ちゃんみたいな感じで、
仕事は割と農業しながら、
町で次から次へと新しいプロジェクトが立ち上がっていくから、
そこに借り出されて、みたいな感じで出てくると思うんですけど、
その層とは違う子育て層であったりとか、
にとっては、やっぱり子どもの教育みたいな話って絶対出てくるので、
そういった意味では、
次、新たな試みとして、
地元の人だったりとか、
移住にしても子育て層とかも含めて、
教育っていうピースはすごく必要だよね、みたいな話があったり。
で、始まりましたと。
一番最初にプレゼンクラス入ってないのが、
でもね、やったと思う。
入ってない、そこに入ってない。
やってないかな。
でも私プレゼンクラスの誕生は知ってますよ。
ちょっとそれ聞きたい。
僕アーカイブしだして、
1期目はアーカイブで、
2期目受けたんですよ。
どうだったかな、ちょっとごめんなさい。
僕も記憶が曖昧なんですけど、
ひょっとしたら2期目からアーカイブしだしたのかな。
そんな感じだったんですよ。
だったから最初のプレゼンクラスは、
ここ校舎なかったんで、
じゃあ違うわ、2期目からだ。
別の場所でやってます。
最後プレゼンは、
あそこでやったんじゃないかな。
これは関のビリヤード場。
ビリヤード場で。
とかで発表やってるんじゃないかな。
私それ知らないわ。
これは私堺出の商店街をひまさんと歩きながら、
ちょっと堺出のプロジェクトに関わってた時期があったんですけど、
俺プレゼンクラスやろうかなって言い始めたんですよ。
堺出の街歩きながら。
東京とかだったら絶対こういうスキルアップ系とかやらないけど、
ローカルではこれやる価値あるかもって言って、
そこで企画が生まれて、
第1弾になったと。
多分僕それ第2期からアーカイブ始めて、
アーカイブに行くのに当初いろいろと動作チェックもあったんで、
現場に行ってたんですよね。
なぜか多分2回目あたりから僕もプレゼンさせられてたんですよ。
そうでしたよね。
本来参加者じゃなかった。
なかったのに、そうだったそうだった。
記憶ありますあります。
あれってない?
キーボードについてプレゼンした。
そうそうそう。
撮ってるだけとかいいからさ、自分も喋んなよみたいなそんな感じでね。
次作ってくんでしょみたいな。
自己紹介みたいな。
そうでしたね。
7月指導だけど12月までキャンパスなかったんで、
それこそローカルスタートアップクラスとかは
うどんハウスでやってましたし、
各所でやってたって感じですね。
もともと、なんていうキャッチコピーでしたっけ?
地元がキャンパス、みんなが先生。
一応校舎は構えてはいるけど、
別にここで完結する必要は全然なくて、
街のいろんなところであるときは海がキャンパスだし、
あるときは秋葉原がキャンパスだしみたいな。
僕も学校を携わってて思うんですけど、
アートバンクとか美術室的なっぽくなってますし。
確かに。
ちゃんと広がりを見せてて本当に良かったですね。
僕最初どうなることかと思ってました。
何をご本人前にして言うのもあれなんですけど。
でも本当にそれで言うと右を曲折はありまして、
なんせ構想から半年で立ち上がってるんで、
めっちゃかっこいい言葉で言えばアジャイル式に。
とりあえずリリースしてしまう。
そういう感じで。
始めたら続けるしかないので、
常に締め切りに追われる編集者のように、
次のクラスを考え続けなくてはいけないっていう話が事務局にはあって、
初年度のクラス作るの、初年度2年目ぐらい、3年目。
3年目ぐらいでようやく落ち着いてきたかなっていうぐらい、
クラス作りがかなり難しかったですよね。
出してみたものの思いのほか反応が良くない。
浦島ビリッジは地元11社で、
クラスチャー大学は18社で始まっていて、
考え方としてはお金を出して配当を目的にするっていう株主は嫌よっていう。
お金を出して事業に一緒に関わって、
一緒に作っていくっていう株主のスタンスで、
いつも私たちやるじゃないですか。
ってなった時に浦島ビリッジは、
結構持ちは持ち屋の考え方がうまくはまったんですよ。
そうですよね。食事はスーパーとか。
普段からスーパーのお惣菜を作っているお母さんたちに、
浦島ビリッジのお食事も作ってね。
だから料理を作るっていうスキルはあんまり変わらず、
メニューの開発とかはするけどみたいな話で、
だいたい全部がそういう感じで関われて、
クラスチャー大学もそのつもりでスタートしたんですけど、
魚は捌けるけど、魚を捌くことを教えたことはないよっていう、
そこにすごく大きなハードルがあることに、
やってみて気づいたっていう。
僕もカメラを教えるのすごくしんどかったです。
そうなんですよ。写真はいくらでも撮れって言ったら撮れるから、
それをクラスにしてってこっちは言うわけじゃないですか。
得意分野でって言って、本業でとかって言って、
じゃあ写真クラスとかって言うんだけど。
これを教えるってわかるかなってなりますからね。
全く別のスキルだってことに気づいて、
あ、違うんだみたいな。
本当に大変でした。
そうなんですよ。
あと香川の方みなさんシャイというか、
あんまり自分が前に前にみたいな感じじゃないから、
控えめというか、
こんなオタクの商品でとか、このサービスを形にとかって言うんですけど、
喋り慣れてないみたいな方もすごく多くて、
それいまだに抱えている問題で、
例のファシリテーター問題ですけど、
振られれば答えられるけど、
自分からこれだって、
これを知りたいんでしょっていう感じで話がしていけないみたいなところは、
結局バカ図なんだと思うんですけど、
っていうのがあるので、
そういった意味では、初年度は講師業、
いわゆる暮らしの大学じゃなくて、
別のところでも人に教えるということをやっている
講師の人を引っ張ってくるっていうところが、
どうしても多くなっちゃったんですよね。
フラワーアレンジメントのクラスとか、
そういったものになってしまって、
そうすると強行するわけですよね。
すでにあるものをここでもやってるってだけの話なんで、
それを私たち民間で立ち上がってるんで、
行政の補助が入ってとかではないので、
地元の公民館だったら1000円とか500円とかでやれるような、
お花のクラスみたいなやつが、
暮らし人の大学に行くと5000円かかるみたいな、
そういう見え方してしまって、
違うよね、かにばってるよねっていう話と、
ユーザーはちゃんと見てるしシビアだよねっていう、
選ばれないねっていうので、
集客がすごく厳しいみたいなところがあって、
2年目に全会員サブスクっていうのに踏み切ったんですよ。