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#17 まちに学校をつくる|「魚は捌けるけど、捌き方を教えたことはない」
2026-09-10 38:33

#17 まちに学校をつくる|「魚は捌けるけど、捌き方を教えたことはない」

今回は和佳さんがお休みで、事務局長の原田佳南子さんに来てもらいました。


暮らしの大学がどう始まったのか、最初の企画書が書かれた2021年の夏まで遡ります。

第1案は、いまのキャンパスではありませんでした。


地域の人が講師になる——その設計が最初はうまくいかなかった理由も出てきます。


次回の後編では、暮らしの大学のこれからを聞きます。


出演:境(放送部顧問)/原田佳南子(暮らしの大学 事務局長/瀬戸内ワークス代表)

感想

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サマリー

今回の放送では、暮らしの大学事務局長の原田佳南子さんをゲストに迎え、暮らしの大学がどのようにして始まったのか、その経緯を詳しく振り返りました。原田さんは元々東京出身で、瀬戸内とは縁もゆかりもありませんでしたが、2018年に三戸町でうどんハウスの立ち上げに関わったことがきっかけで、地域での事業に携わるようになりました。その後、浦島ビレッジやゲートといった宿泊施設の立ち上げを経て、地域に必要な教育のピースとして暮らしの大学の構想が生まれました。 暮らしの大学の最初のキャンパス案は、現在の場所ではなく、2021年8月に書かれた企画書では秩父ヶ浜の近くが想定されていました。この構想は、地域に足りない「楽しいこと」や、企業の人材育成を横断的に行うという目的、そして移住者層の子育て世代にとっての教育の必要性といった複数の要素が絡み合って生まれました。立ち上げ当初は、産後間もない原田さんにとって非常に大変な時期でしたが、構想からわずか半年で会社設立、プレスリリースまで漕ぎ着けました。 2022年4月のプレスリリース後、7月から本格指導が始まりましたが、当初はキャンパスが完成しておらず、うどんハウスなど様々な場所でクラスが開催されました。オープンキャンパスでは、けん玉、ローカルスタートアップ、バーベキューマイスター、DIY、Eバイクガイド、キッズダンス、釣りなど、多様な無料体験クラスが提供されました。しかし、地域住民が講師となることの難しさや、外部講師に頼らざるを得ない状況から、料金設定の課題や集客の厳しさに直面しました。この課題を克服するため、2年目には月額定額制サービスを導入し、3年目には都度会員制も復活させるハイブリッド型へと移行しました。クラス作りも徐々に安定し、人気クラスの固定化や講師育成が進み、カリキュラム整備も始まり、現在の形へと繋がっています。

暮らしの大学設立の経緯と原田さんの自己紹介
これより、校内放送を始めます。
瀬戸内暮らしの大学校内放送。
暮らしの大学校内放送、放送部顧問の坂井です。
本日は、若ちゃんお休みでゲストを迎えております。
暮らしの大学事務局長原田こと、原田花子さんです。
お願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
ゲストって言うほど、ゲストなのかっていう話はありますけど。
いや、これ放送部なんで。
放送部的にゲストでいいですかね。
立て付け的には暮らしの大学外の活動なので。
OKです。
公式っぽくやってますけどね。
完全に非公式なので。
分かりました。
本日ゲストで。
お願いします。
瀬戸内ワークスの原田と申します。
よろしくお願いします。
お願いします。
というわけで、早速なんですが。
暮らしの大学について、ちょっと聞いていただいたかもしれないですけど。
若ちゃんとこれまで何度か。
頑張ってましたね。
そうですね。
今日の段階で12回分、配信が完了してるんですけど。
2人とも暮らしの大学の一番最初知らない。
僕も覚えてないというか。
僕、アサインされたのが、キャンパスに機材が導入されるときに、
っていうとこからなので。
選んでから始まった感じですかね。
プロジェクトの起こりとしては、僕は藤岡くんから、うちのボスからまとめて聞いてた程度なので。
暮らしの大学のできる前、どうして作ろうってなったのかみたいなところと、
そのあたりのストーリーじゃないですけど、何があったのかを聞きたくてですね。
なるほど。
今回お呼びした次第でございます。
踏み込みますね。
というわけで、一番最初から行こうと思います。
軽く知らない人のために、はなかさん、自己紹介、これまでの経緯、
一緒に来た経緯とかを含めてお願いします。
分かりました。
暮らしの大学の事務局をしています、瀬戸内ワークスの原田と申しまして、
瀬戸内ワークスという会社は、2018年から。
もうそんなんだろう。
はい、そうなんですよ。
私、もともと東京出身なんですけれども、神奈川県三戸市で、
最初はですね、うどんに特化した宿を作ろうという、
今、豊中町にありますうどんハウスの立ち上げからスタートしたわけなんですけれども、
それがちょうど2018年ですかね。
最初は本当に三戸でうどんハウスをしようからスタートしているので、
まさかこんな暮らしの大学とか、他の授業をやることになるとは思ってもいなかったんです、当時は。
むしろ、私にとってこの三戸市は縁もゆかりもないというか、
そうですよね。来たこともなかったんですよね。
来たことはありましたけど、
2年くらい通いで仕事で携わっていたというところではあったんですけど、
親戚がいるわけでもないし、生まれ故郷でもないしというところで、
そんな当時でご縁をいただいて、うどんハウスをやろうというところからでございまして、
私その前は会社員だったので、自分にとっては初めての授業ということで、
授業の立ち上げが何なのか、そもそも授業が何なのかみたいなこともわからぬままみたいな感じだったんですけど、
とりあえず経験値を増やしたいなというか、
貯めたいなという気持ちで、やる気だけ持ってきたという感じ。
ただ、その経験を積んだら、次どこ行こうかなぐらいの気持ちでですね、
すごい浅はかなところからスタートしてたんですけど、
立ち上げてみたら、授業ってこんなにも大変かということで、
そんな1年でどっか行くなんてありえないというか。
そうこうしているうちに、この地域の仲間とすごくいろいろ出会うきっかけがあって、
そんな中から、たくま町大浜にあります浦島ビレッジの立ち上げの話が出てきたりとか、
あと自分自身でも今、仁王町でゲートという関係人口向けの宿泊施設をやってたりしますけども、
立ち上げたりとか、そんな流れで、
気がついたら1年に1本ずついろんな新しい事業を立ち上げてて、
その4本目ぐらいに当たるのが、くらしの大学というような形で、
ご紹介もこれまでのポッドキャストにもありましたけど、22社。
始まりは18社が正しいんですよ。
あの後知らないです。
みたいなことで、くらしの大学が始まったと。
ちょっと自己紹介なので、一旦ここで私の自己紹介として。
本当にたまたま三戸町にきっかけがあったから来て。
そうですね、なんなら前職辞めた時は、私は和歌山県で起業しますと言って辞めてます。
全然違った。
和歌山でやろうと思って、
それで言うと、三戸町で生まれたわけでもないって話しましたけど、
生まれたのは兵庫県で、育ったのは札幌で、両親は東京なんで、
特定のこの地域に思い入れみたいな、そういうタイプではなくてですね。
アイデンティティが分散しているタイプですね。
だから正直どこでもよかったと言えばどこでもよくて、
前職でお世話になったのが和歌山県で大好きな土地だったので、
じゃあ和歌山で起業しようかなって言って始めたんですけど、
何やるか決まってなくて、何やりたいかも分からなくて。
とりあえずやりたい。
そう、やりたい。30代前半、やりたい。
マジやる気だけで。
そんな時に、うどんハウスという、
クラション大学のこの話でもよくいっぱい出てきます、
古田姫さんと前職の時に出会ってて、
この水戸吉でうどんハウスっていう、
うどんに特化した宿を作ろうと思うんだよって、姫さんのアイディアで。
そうだったんですね。
そうです。香川といえばうどんなんで、すごい分かりやすいけど、
別に私特別うどんがめちゃくちゃ好きだったわけでもなくて、
東京にいる時、うどんよりそばの方が食べる機会が多いかなみたいな感じだったんですけど、
で、うどんハウスやろうかなみたいな。
のが本当に最初のきっかけですね。
そこからクラションの大学にということで、
まずよくある水戸用企業あるあるだと思うんですけど、
飯田しっぺとやってる人違う問題あるじゃないですか。
たまに。
飯田しっぺクラションの大学誰だったんですか?
姫さんですよ。
それは。
それは姫さんです。
もともと姫さんが丸の内浅大学っていうのを東京でずっとやってきていて、
それのローカル版できたらいいんじゃないかなみたいな話だったりとか、
あと私たちとしてもうどんハウス宿泊施設で、
ゲートも宿泊施設で、
浦島ビレッジも宿泊施設で、
基本的にやってるサービスが地域外の人、外貨を稼ぐというか、
地域外の方をお客さんにするサービスみたいな感じで、
かといって別に観光地を作ってるわけではなくて、
そうですね。
ホテルってどっちかというと観光地みたいな文脈。
観光地ありきの来た人が泊まれるところですからね。
秩父ヶ浜の盛り上がりみたいなのも含めて、
ある種観光地づくりみたいな見え方もあるのかもしれないんですけど、
私たちは全然その意識なくて、
どっちかというと、地域の日常づくりみたいな方にフォーカスしてっていうふうに言うと、
だから移住とか、
ゲートなんかは関係人口づくりみたいな感じで、
この町に関わってくれる人を増やしていこうみたいな動きでしたけども、
そうですよね。
泊まりに来るというよりかは仮移住。
そうですね。
プレイジューみたいなところですね。
お節介付きの宿って言ってて、来ると、
この町で何かしたいの?みたいな。
何しに来たの?とかめっちゃ聞かれるっていう。
観光しに来ましたって言わせないというか、
そういう人は他の宿行ってくださいみたいな感じの宿なわけなんですけど、
そんな形で、
または言え外の人向けだったんですけど、
やっぱり移住とか本当にこの町に住むみたいなことを考えたときに、
次に必要なピースって教育かなっていう話をしていて、
移住するときに移住者が気になることの一つが、
仕事であり、教育でありみたいな。
割とトップで出てくる話だと思うんですけど、
仕事に関しては、
そこもずっとトライアンドエラーをしてきてますけども、
今、日本に移住してくる子たちって、
割とベーシックインフラハウスみたいな、若ちゃんみたいな感じで、
仕事は割と農業しながら、
町で次から次へと新しいプロジェクトが立ち上がっていくから、
そこに借り出されて、みたいな感じで出てくると思うんですけど、
その層とは違う子育て層であったりとか、
にとっては、やっぱり子どもの教育みたいな話って絶対出てくるので、
そういった意味では、
次、新たな試みとして、
地元の人だったりとか、
移住にしても子育て層とかも含めて、
教育っていうピースはすごく必要だよね、みたいな話があったり。
で、始まりましたと。
最初のキャンパス案と設立の背景
今、始まりを教えてほしいって言われたんで、
フォルダ見てたんですけど、
昔の。
秩父ヶ浜キャンパス案っていうのが。
何それ。
ここね、拠点としては、2案目なんですよ。
第1案が実は他であった。
ここプランBだったんですか。
知らなかった。
これ結構あるあるっていうか、
うどんハウスもシリーズとしては、
香川でうどんハウス、
新潟で酒ハウス、
大阪でお好み焼きハウスとか、
そういう流れだったんですよ。
なんなら、新潟で酒ハウスのアイディアが
ひまさんの中には先にあって、
その発想から香川の時に、
香川だったらうどんハウスじゃないっていう、
その第2案が先に世に出たっていう、
そういう感じ。
ひまさんの構想としては、
酒作らないと泊まれない宿だったわけね。
そういうのがあったわけなんですけど、
あるあるなんだけど、
実はこのニオキャンパスは、
同じニオですけど、
最初はちちぶか浜の近くの
とある場所でやろうっていうところの
企画書を書いたのが、
2021年の8月とかですね。
そんな前か。
そんな前かとも思うし、
そんな最近なんだとも思うんですけど。
教育もそうだし、
円溜め?
この街に足りない。
円溜めね。
円溜めみたいな話も出たし、
アミューズさんが1枚噛んでいただいてるのは、
円溜めですね。
まさにそうですね。
都会に行かないと楽しいことってないんだっていう、
そういう価値観を覆すための、
ローカルでも十分自分たちで楽しいものを作れるっていう、
そういうことへのチャレンジでもあったし、
あともう1個すごい大事なのは、
どちらかというと、
企業の人材育成を横断して行えないかっていう話があって、
それは僕も知ってるんですけど、
中小企業だと教育がね、
新人のOJTだけでも結構な大変さがあるので、
まとめていろんな会社のやつができるといいよね。
私、新卒はもう社員1万人みたいな会社だったんで、
大企業。超大企業。
同期が167人いたんです。
手厚く2ヶ月間新卒社員研修を全員一緒に、
すげー。
もう新卒だけでマナー研修から何から全部。
全部最初にやってくれるんですね。
全部やって、その後配属でオン・ザ・ジョブみたいな形で、
その後1年後フォローアップとか2年後なんちゃらとか、
マネージャー研修とか、
それこそそういうのが定期的にあるっていうような会社に行って、
それが当たり前だと思ってたというか。
そんな会社入ったことない。
ローカルに来てみたときに、
当然やっぱりそういう手厚いものっていうのは、
会社の規模が小さくなればやりにくくなるもので、
事実、自分も会社を立ち上げて、
本当にもう片手で数えられるような。
新人毎年入ってくるわけでもないっていうのがね。
全くそんなんじゃないじゃないですか。
っていう中で、
でもメンバーが入ってきたときに、
何を教えてあげられるんだって言ったときに、
自分が教わってきたものの一つも何も次世代に返せてないな、
みたいな感覚もあって、
申し訳ないというか。
教わったのに教えられてないっていうところで。
自分だって別に何かがいろいろできるようになって、
社会人になったわけじゃなくて。
社会人になってから身につけた。
でも忘れちゃってるじゃないですか、
そういう感覚を。
本当にオタクにも若い方いらっしゃいますけど、
ここから教えなきゃダメ?みたいなことを思ってしまう瞬間とかもあって。
そのときにハッとするわけですよ。
私も電話の出方一つでこうやって言うんだよとか教えてもらったな、みたいな。
そういう記憶があるんで。
そういった機会、チャンスというか、
そういった機会がローカルにいるというだけで、
そういった都会の大企業にいるよりも、
圧倒的に少ないっていうのが事実だなと思って。
でもじゃあやれますかって言われたときに、
本当に申し訳ないけど申し訳ございませんっていう、
即戦力みたいな。
求む即戦力みたいなのが現状じゃないですか。
じゃあ諦めるのかと。
じゃあ新卒はやっぱり東京に大企業に行かなきゃダメなのかっていうところのときに、
そうではない第三の選択肢として、
街に一つこういった教育機関があれば、
FISMの新入社員も、瀬戸内ワークスの新入社員も、
菅組さんの新入社員もみんなが一緒になって、
会社には一人しかいない、同期のいない新卒も、
街を見渡してみたら10人、20人。
今年入った新人はいるよっていう話ですからね。
そういう横のつながりとかもできたらいいよねみたいな、
そういう話とかもあって、
いろんな要素が交わって、
大学っぽいしね。
暮らしの大学じゃないみたいな、そういう話になりましたね。
立ち上げの苦労と産後の状況
なるほど。
最初株主集めるっていう段になったと思うんですけど、
うちも出資させていただいてるあれですけど、
どうでした?株主集め。
いや、あのね。
大変だったんですか?
実はね、あんまり記憶がないね。
ちょっとごめん。
言い訳を一つさせてもらいたいのが、
今この目の前にある一番最初に書いた企画書の日付が2021年8月30日なんですけど、
私2021年の3月に出産してるんですよね。
産後。
半年経ってない。
そう。だからね、あんまり覚えてない何も。
いや、そうですね。
許してもらえる?
うちの奥さんも産後のことあんま覚えてないですね。
本当に覚えてないですね。
で、なんか、なんだろうな。
それまでは私自身が割ともう本当に仕事人間だったんで、
余ってる時間も全て仕事に費やすみたいな、
もう自分のためだけに生きてる人生だったものが、
もう本当に180度。
そうですね。
180度なのか360度なのかわかんないけど、
生活が変わるわけじゃないですか。
で、会った時に、物理的にすごい無理みたいな状態になって、
アップアップしてたことは覚えてる。
ただただ産後って大変なだけですからね。
そうですね。
そうですよね。
え、なんかどうしろっていうの?っていうそういう気分だったのは覚えていて、
でも容赦なく企画は降りてくるわけで、
なんか半分聞いてて半分聞いてないような感じだった。
これ株主の方聞いてるかもしれない。
はーいって思って、はーいって感じで。
大変だったんだよと。
うん、そう。
個人的にね、すごい個人的な話ですけど。
いや、全然全然。
だったんで。
で、もう一個すごい思うのは、
これ2021年8月30日の企画書じゃないですか。
2022年の4月にプレスリリース出してるんですよ。
クラクション大学始まりますって言って。
なんで、とはいえこの半年で、
秩父が浜キャンパス案から川畑拓司日本営業者案に変わり、
そこから18社集め、会社を立ち上げ、
リリースを出すっていうことはやってはいるんです。
半年でできるってことですかね。
そう、構想から半年。
どんなスケジューリングですかね。
4月にキャンパスはできてたの?
できてないです。
まだだよね。
12月にできてそう。
だから、なんでそれで言うと、
さっきの株主集めの話は、
私は直接的には株主集めてなくて、
飯田しっぺのひまさんが株主集めるところまでは整えて、
座組を整えて、
あらかたさんは運営責任を担ったんですよね。
運営責任と経営責任、取締役なんで、
経営責任を担わせていただいて、
やるよねって言われて、
やりますよね、きっとねって言って、
家の中ぐちゃぐちゃなんだけど、
多分やると思いますって言いながら。
勘だけじゃないですか。
って言って始まった。
ここだけの話を電波に乗せていいかわからないけど、
ここだけの話、個人的に始まりは結構しんどかったです。
誰が聞いてもしんどかったです。
あまり前向きな感じじゃなくて、
やるんだよね、私って泣きながら始まった感じだった。
大変よね。
でも、自分が産後で大変なだけで、
街にとってこの機能があった方がいいとか、
自分たちの会社にとってとか、
そういうところに対しての疑いは一切なかったから、
ただただ大変だった。
今私やるんだよねみたいなそういう気持ちだった。
このタイミングかみたいなところですね。
ただただタイミングだけがね。
一応、うどんハウスを始めるときとは違って、
事業の立ち上げがどんなものかっていうのは学んでるんで、
経験値が一応あるんで、
いかほどに大変かっていうのを知った上で、
そこに挑まなくちゃいけないっていう苦しさも含めて、
ありましたけど。
構想からリリースまでのスピードとオープンキャンパス
初めての時のノリと勢いじゃないやつが。
知ってるから。
それもう浦島ビレッジとかでも経験してるから、
ひまさん企画書作ってきたっていうことはこういうこと。
もうビクビクしてたその頃は本当に。
やばいまた企画書作ってるみたいな。
本当にやるんだこれ。
それから生徒を集めというか、
でも実際は最初は株主さんの社員さんとか中心に始まったっていう記憶だったんですけど。
2022年の4月に、
これもすごいよく覚えてるんですけど、
こんな個人的な話で大丈夫?
全然いいです。
3月末に保育園。
保育園1歳。
保育園1歳。
もう保育園行ってるのかな。
お子さん1歳ぐらいですよね。
1歳になって保育園入れたのか。
そうだね。
じゃあ違うね。
違うかい。
最初のリリースが2022年4月27日なんですよ。
これが初めてクラシオン大学を世に出したタイミングで、
この時に出した内容は、
7月から本格指導。
6月にオープンキャンパスをしますよっていう内容で出してまして、
まずはクラシオン大学って言われても、
今までこの町になかった価値を出そうとしてるんで、
よくわかんないクラスがたくさん並ぶわけじゃないですか。
そうですね。
まずはみんな無料で、
大学もオープンキャンパスやるじゃないですか。
そういうノリで、
いくつかクラスを並べて、
こういうことやってみようと思ってるよっていう、
10個出したのかな。
っていう無料体験クラスみたいなのをやって、
そこから7月スタートみたいな、
そんな感じで始まりましたね。
ちなみにその10個って何だったんですか?
オープンキャンパス、僕アーカイブがまだなかった頃の時代なんで、
全然知らないですけど。
アーカイブはなかったけど、
なんか2日酔いのオタクのボスが写真撮りには来てくれたような記憶がありますけどね。
あるあるです。
えっとね、けん玉クラス。
あ、けん玉か。
ローカルスタートアップクラス。
はいはいはいはい。
バーベキューマイスタークラス。
あ、バーベキューマイスターあったんですね。
ありましたね、オープンキャンパス。
あとね、DIYもあったし、
あとEバイク、
Eバイクガイドになろうというクラスを作ったりとか、
あとキッズダンスクラス。
これアミューズさんの主催でしたね。
あと釣り。
こんな初期に釣りあったんですか?
はい、甲子を内場で固めてるっていう、
うちの夫です。
夫さんね。
が、津田島に何人か呼んで釣りをするっていうクラスをやりましたね。
あれどっかのタイミングで、
むたさん、釣りクラスまたやらないのって言われてた。
パラゼンクラスか多分。
一緒に受けた時に言われてた。
そうそうそうそう。
経営者たちがゴルフやってる感覚で釣りにっていうやつですね。
そう、暮らしの大学のコンセプトの一つに、
瀬戸内での暮らしが豊かになる、
より一層豊かになるっていうのも掲げていて、
ビジネスだけじゃなくて、
どっちかというと企業でいうところの福利構成みたいな、
休日を豊かに過ごすみたいな、
そういうラインナップも並べてる中で、
魚捌きクラスの前に、
捌く魚、自分で釣ってこれたら良くない目の前海なんだから、
みたいなそういうのがあって、
なるほど。
釣りとか、
最初にやってたんだ。
やってましたね。
その辺のアイディアを、
当時事務局5人ぐらいいて、
はい。え?え?え?
いた、もう6人ぐらいいたのかな。
そんなにいたんですか?
はい。
で、みんなでアイディアを出し合えて、
あれいいんじゃないこれ、こんなのできるんじゃないっていう、
こういうクラスあったらいいよねと、
具体的にそれをやれる講師が見えるかどうかと、
実現性みたいなところを重ね合わせて、
10個クラスが出てきたのがこの辺。
あとあれですね、
けん玉と一緒に、
けん玉のこだまさんが、
ボードゲームのクラスを、
ボードゲームクラスあったんですね。
やってくれたりとかしてて、
10個ぐらいあって、
で、それを本格指導の7月から、
クラスにしていったという感じでしたね。
そっか。
講師育成の課題と集客の厳しさ
一番最初にプレゼンクラス入ってないのが、
でもね、やったと思う。
入ってない、そこに入ってない。
やってないかな。
でも私プレゼンクラスの誕生は知ってますよ。
ちょっとそれ聞きたい。
僕アーカイブしだして、
1期目はアーカイブで、
2期目受けたんですよ。
どうだったかな、ちょっとごめんなさい。
僕も記憶が曖昧なんですけど、
ひょっとしたら2期目からアーカイブしだしたのかな。
そんな感じだったんですよ。
だったから最初のプレゼンクラスは、
ここ校舎なかったんで、
じゃあ違うわ、2期目からだ。
別の場所でやってます。
最後プレゼンは、
あそこでやったんじゃないかな。
これは関のビリヤード場。
ビリヤード場で。
とかで発表やってるんじゃないかな。
私それ知らないわ。
これは私堺出の商店街をひまさんと歩きながら、
ちょっと堺出のプロジェクトに関わってた時期があったんですけど、
俺プレゼンクラスやろうかなって言い始めたんですよ。
堺出の街歩きながら。
東京とかだったら絶対こういうスキルアップ系とかやらないけど、
ローカルではこれやる価値あるかもって言って、
そこで企画が生まれて、
第1弾になったと。
多分僕それ第2期からアーカイブ始めて、
アーカイブに行くのに当初いろいろと動作チェックもあったんで、
現場に行ってたんですよね。
なぜか多分2回目あたりから僕もプレゼンさせられてたんですよ。
そうでしたよね。
本来参加者じゃなかった。
なかったのに、そうだったそうだった。
記憶ありますあります。
あれってない?
キーボードについてプレゼンした。
そうそうそう。
撮ってるだけとかいいからさ、自分も喋んなよみたいなそんな感じでね。
次作ってくんでしょみたいな。
自己紹介みたいな。
そうでしたね。
7月指導だけど12月までキャンパスなかったんで、
それこそローカルスタートアップクラスとかは
うどんハウスでやってましたし、
各所でやってたって感じですね。
もともと、なんていうキャッチコピーでしたっけ?
地元がキャンパス、みんなが先生。
一応校舎は構えてはいるけど、
別にここで完結する必要は全然なくて、
街のいろんなところであるときは海がキャンパスだし、
あるときは秋葉原がキャンパスだしみたいな。
僕も学校を携わってて思うんですけど、
アートバンクとか美術室的なっぽくなってますし。
確かに。
ちゃんと広がりを見せてて本当に良かったですね。
僕最初どうなることかと思ってました。
何をご本人前にして言うのもあれなんですけど。
でも本当にそれで言うと右を曲折はありまして、
なんせ構想から半年で立ち上がってるんで、
めっちゃかっこいい言葉で言えばアジャイル式に。
とりあえずリリースしてしまう。
そういう感じで。
始めたら続けるしかないので、
常に締め切りに追われる編集者のように、
次のクラスを考え続けなくてはいけないっていう話が事務局にはあって、
初年度のクラス作るの、初年度2年目ぐらい、3年目。
3年目ぐらいでようやく落ち着いてきたかなっていうぐらい、
クラス作りがかなり難しかったですよね。
出してみたものの思いのほか反応が良くない。
浦島ビリッジは地元11社で、
クラスチャー大学は18社で始まっていて、
考え方としてはお金を出して配当を目的にするっていう株主は嫌よっていう。
お金を出して事業に一緒に関わって、
一緒に作っていくっていう株主のスタンスで、
いつも私たちやるじゃないですか。
ってなった時に浦島ビリッジは、
結構持ちは持ち屋の考え方がうまくはまったんですよ。
そうですよね。食事はスーパーとか。
普段からスーパーのお惣菜を作っているお母さんたちに、
浦島ビリッジのお食事も作ってね。
だから料理を作るっていうスキルはあんまり変わらず、
メニューの開発とかはするけどみたいな話で、
だいたい全部がそういう感じで関われて、
クラスチャー大学もそのつもりでスタートしたんですけど、
魚は捌けるけど、魚を捌くことを教えたことはないよっていう、
そこにすごく大きなハードルがあることに、
やってみて気づいたっていう。
僕もカメラを教えるのすごくしんどかったです。
そうなんですよ。写真はいくらでも撮れって言ったら撮れるから、
それをクラスにしてってこっちは言うわけじゃないですか。
得意分野でって言って、本業でとかって言って、
じゃあ写真クラスとかって言うんだけど。
これを教えるってわかるかなってなりますからね。
全く別のスキルだってことに気づいて、
あ、違うんだみたいな。
本当に大変でした。
そうなんですよ。
あと香川の方みなさんシャイというか、
あんまり自分が前に前にみたいな感じじゃないから、
控えめというか、
こんなオタクの商品でとか、このサービスを形にとかって言うんですけど、
喋り慣れてないみたいな方もすごく多くて、
それいまだに抱えている問題で、
例のファシリテーター問題ですけど、
振られれば答えられるけど、
自分からこれだって、
これを知りたいんでしょっていう感じで話がしていけないみたいなところは、
結局バカ図なんだと思うんですけど、
っていうのがあるので、
そういった意味では、初年度は講師業、
いわゆる暮らしの大学じゃなくて、
別のところでも人に教えるということをやっている
講師の人を引っ張ってくるっていうところが、
どうしても多くなっちゃったんですよね。
フラワーアレンジメントのクラスとか、
そういったものになってしまって、
そうすると強行するわけですよね。
すでにあるものをここでもやってるってだけの話なんで、
それを私たち民間で立ち上がってるんで、
行政の補助が入ってとかではないので、
地元の公民館だったら1000円とか500円とかでやれるような、
お花のクラスみたいなやつが、
暮らし人の大学に行くと5000円かかるみたいな、
そういう見え方してしまって、
違うよね、かにばってるよねっていう話と、
ユーザーはちゃんと見てるしシビアだよねっていう、
選ばれないねっていうので、
集客がすごく厳しいみたいなところがあって、
2年目に全会員サブスクっていうのに踏み切ったんですよ。
サービス形態の変遷とクラス作りの安定化
それが1歳の子どもを保育園に預けてて、
年度変わりで、3月の終わりって、
できたら休んでほしいなって保育園に言われるんですね。
言われる、めっちゃ言われる。
だったらどうせ休みなんだったら、
たまには旅行でも行くって言って、
私、家族で沖縄に旅行することにしてたんですけど、
結局旅行先の沖縄でずっとプレスリリース書いてるっていう、
全く行かなくてよかったよねっていうぐらい、
1人で宿にこもって書いたプレスリリースが、
この2023年4月3日に出た、
暮らしの大学が月額定額サービスを開始っていう、
プレスリリースなんですけど。
むださんは沖縄でお子さんと遊んで。
釣りしてました。
っていう、これがちょうど2年目ですね。
なるほど。
これは今でも同じなんですけど、月額12,000円で、
全てのクラスが学び放題という定額を導入してみたんです。
結局なんか口コミというか、
最初にコアなファンをどれだけ作れるか、
その人たちに友達1人ずつどれだけ連れてきてもらえるかっていう、
そういうことだと思ったんで、
月額12,000円を倍々にしていくっていうような、
授業計画書を書いてたんですけど、
2年目が終わった時に思うように行かなくて、
思うように行かなくて。
3年目にハイブリッド型。
都度会員。
都度会員というのを復活。
ある趣旨、復活ですよね。
そうさせて、このクラスだけ受けたいっていう人向けも作って、
それでようやく会員に関しては一旦固まったかなみたいな。
ハイブリッドで行こうっていう感じになって、
その頃にようやくクラス作りもなんとなく安定してきて。
人気のクラスは固定でっていう、
必ず毎年2回やるクラスみたいなのもその頃からできてる。
そうですね。
クラスって本当にやったことない人からすると、
作るのが大変だけど、
1回型を作ってしまえば、
それはあとは本当バカ図なんで、
2回、3回とやっていくっていうのは、
そこの労力の方が小さくいけるわけじゃないですか。
コストがようやく上がり始めるっていうことで、
初回のね。
1回だけやるのはすごく、
もう言ったら赤字で。
もうやりたくないって感じ。
2回、3回繰り返しやるクラスを作っていこうみたいな感じになったりとか、
あとはひまさんファシリテーションに入りながら、
講師を育てていくみたいな、
そういうのをやっていくことで、
少しずつ人気クラスみたいなのが増えていって、
ようやくその3年目くらいから、
カリキュラムっていうのを作り始めまして。
本来やったら最初からやるべきものなんですよ。
アジャイル式なんで。
とはいえやろって思うんですよ。
今も大したカリキュラムはあってないような感じなんですけど、
それは年間会員とか、月学会員とかいらっしゃるんで、
こういうクラスが受け放題だよっていうのを分かるように、
情報を出していくっていうところが、
ちょっと落ち着いてきたかなみたいな感じですね。
で、今につながってると。
まとめと次回予告
ちょっと今までの話を、
一旦ここまでで時間が来たので、
次回はクラシノ大学のこれからについて、
ちょっと伺っていきたいと思います。
かしこまりました。
というわけで、原川さんの紹介と、
クラシノ大学の始まりについてです。
僕も知らない事実がちょこちょこあって楽しかったです。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
38:33

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