結構前、多分3ヶ月前だと思うんですけど、
アマゾンオーディブルのキャンペーンで、普段月1500円かかるところが、月99円を3ヶ月でできるよ、聞けるよということで契約してみた。
契約してアマゾンオーディブルを聞き始めましたっていう話をしてたと思います。
あの時から3ヶ月、昨日で経ちまして、その前の日8月10日にですね、きっちり3ヶ月で解約をしました。
3ヶ月前にアマゾンオーディブルでZ世代のネオホームレスを聞きましたっていうような話をして、その感想も、確か1話使ってですね、してます。
僕がポッドキャストを日常的にたくさん聞くようになったり、こうやってポッドキャストを配信するようになった大きなきっかけを与えてくれた方の一人である
樋口清則さんの相方の青柳孝也さんが書かれた本で、著者自らがナレーターを務めているZ世代のネオホームレスのアマゾンオーディブル版。
その感想については、ぜひですね、僕が話している回を聞いていただければなというふうに思っているんですけど、
このZ世代のネオホームレスを皮切りにいくつかのアマゾンオーディブルの作品を聞きました。
それをちょっとですね、残しておきたいなって思います。
一つ目は、Z世代のネオホームレスの次にミヒャエル・エンデのモモを聞いて、それもですね、感想とか思ったことについては、
この明日への電波の中で一つの回でやってますね。話してます。
その次が、愛坂東真。結構有名な作家さんなのかなとは思います。
愛坂東真の同志少女よ、敵を撃て。
第2次世界大戦中のソ連の女性狙撃兵部隊に所属してた若い女性と、
その同じ女性狙撃兵部隊のメンバーと、それを出来事とかですね、人物とかを描いている作品です。
これもいろいろ考えさせられるというか、いくつかの思いが湧き上がった作品だったかなって思います。
これも機会があれば本で買って読んでみたいなという風に思うんですけども。
ちなみにこの同志少女よ、敵を撃ては、やっぱり毎週聞いているこれはAMラジオですけど、NHKの高橋源一郎のトブ教室の中で紹介されていた本で、
作者の相坂東雄さんはゲストにも来てたりして、そこをきっかけにですね、いつか読みたいなと思っていた作品だったんですけども、
その次に聞いたのがサピエンス全史ですね。ユバルノア・ハラリーでいいのかな?
これもちょっとこの明日への電波の中でチラリと言っていたと思います。
サピエンス全史は番組6月26日の配信でタイトルにもしてありますね。
短いエピソードでしたけど、そこで話してますね。
で、順番的にはその前に脳の大統一理論、井上俊夫さんですかね。
坂口豊さんという方との協調になってますね。
ポッドキャスト番組アースコープの中で井上俊夫さんがゲストに出られて、この脳の大統一理論の中で展開されている自由エネルギー原理についてお話をされてましたね。
で、その次がどっちが先だったか、うろ覚えなんですけど、一つはローマ帝国の誕生、宮崎浅子さん。
これは今まだ終わってないかなと思うんですけど、コテンラジオの帝政ローマ編の参考文献で扱っています。
共和制ローマの成り立ちから帝政ローマが生まれてきたところまでだったと思うんですけども、そしてビジネスシーンを生き抜くための仏教思考。
これは松並龍弦さんですね。
クロニクル、野村孝文さんがやってるクロニクルで制作してるのかな?
えーと、ポッドキャスト番組の「愉快な知性」っていうシリーズの仏教編の書籍化されたもののオーディブル版ですね。
タイトルにビジネスシーンとかっていうふうに書いてはあるんですけども、特にいわゆるビジネスパーソンをやってらっしゃらないような方でも、僕もそうですけど、
なんていうのかな、違和感はそんなになく読んだりできるんじゃないのかなっていうふうに思います。
今日はその感想っていうのはですね、正直そこまでメモとか取ったりはしてなくて、まとめなんていうのかな、思い出し思い出しで話せなくもないとは思うんですけども、オーディブルで聞いた分っていうのはこんな感じだったよっていう話でした。
今日は本当はなんて言うんだろう、ここからが本題でですね。ただちょっと割と時間かかってしまったので、本題にしようかなと思っていたこともそんなに長くは喋らないつもりで話し始めてみますね。
3日4日前ぐらいですかね、Amazonプライムでグリーンブックという映画を見ました。
これも古典ラジオの林間編の中で、いくつかこのアメリカの映画っていうのを見るといいよ、この歴史を知っている、学んだ人だとすごくこのアメリカの、アメリカだけじゃないでしょうけどね、映画を楽しめる、
より深く楽しめることが、楽しむことができる、これは歴史を学んだ人の特権だよっていうようなことをですね、深井さんが言ってまして、それで何回一本ぐらいは見たいなっていうふうに思ってて、グリーンブックっていうのを見てみました。
1962年だったかなと思うんですけど、この映画の舞台がですね、北部の自由黒人と言ってもカーネギーホールの上に住んでいるような、2階だったかな?に住んでいるような、かなり上流って言っていいんですかね、上流階級の黒人の人が、
ピアニストなんですけども、その人がですね、南部に、しかもディープサウスって言われるような、キングボクシーの公民権運動のまさに真っ最中の時期ってことだと思うんですけどね、
その時期にあえて、当時はまだまだ、まだまだというか、黒人差別自体が合法化されている状態で、もちろん民衆というか国民、特にその地方の各州の人々にはしっかりと、
生活のベースとして、その黒人差別の状態っていうのが、まさにベースとして当たり前の状況であってっていうところに、
音楽、そのピアノの発表のコンサートですかね、コンサートで巡っていく街を、南部の方の街々を巡っていく。
で、その黒人と、白人と言って、イタリア系の白人っていうことで、白人なんですけども、その白人の人をドライバーとして雇って、南部各地を回る。
で、黒人のクライアントがドライバーを雇って移動するっていう、南部ではありえない光景だったとは思うんですよね。
で、メンカ畑かなと思うんですけど、そこで働く黒人、南部のですね、黒人がピアニストと白人ドライバーの様子を見て、なんていうんだろうな、ゼンとしてるというか、みんなその作業の手を止めて見てる。
で、そのピアニストの方もですね、メンカを積んでる彼らのことを見る。
で、そこがですね、やっぱり印象的なシーンの一つで、どういう気持ちだったんだろうなっていうのは、確かこれもこのシーンのことをまさに古典ラジオの林間編で言ってたかな?どうだったかな?
ちょっとうろ覚えですけども、バックボーンっていうんですかね、この時代の背景を知っていることで、やっぱりこう、味わえるものっていうのが違ってくるんだなっていうのを感じました。
あとはですね、南部の比較的、そのプロのピアニストを招いてコンサートをしてもらう、演奏をしてもらうっていうような、招く側の人は当然南部の白人なんですけども、
その演奏会会場の支配人とか、街の実力者とかなのかな?やっぱりこう、少なくとも表向きはというかですね、招待をしてピアノを弾きに来てもらっているので、
ちゃんとプロのミュージシャンとして招き入れて、さあどうぞどうぞという感じでですね、本当にプロの演奏家としてかの有名な誰々ですっていうような感じでですね、紹介しているんですけども、
その控室が物置だったり、トイレ使わせてもらうトイレが庭にあるですね、外にある本当に粗末なトイレ小屋っていうんですかね、そういったもの。
つまり、あくまで黒人としての扱いをする、そういう状況をですね、よく描いているんだろうなっていうのが感じ取れる映画でした。
古典ラジオの林間編とですね、スポティファイオリジナルの、古典ラジオのスポティファイオリジナルの方のキング牧師の回とかですね、聞いてグリーンブックとかそういったような黒人差別の歴史を扱った映画をですね、
映画とかいろいろですね、見たり聞いたりするとよりいいんじゃないかな、深まるんじゃないかなっていうふうに、黒人差別に代表されるような演習に関することって言えばいいんですかね。
ちょっと隣の地区には言葉もわからないし、全然生活習慣も違うような人とかその人々の集まりがある、コミュニティーがあるとかっていうような状況っていうのはですね、
日本で生まれ育った人にはなかなかわかりにくい状況、感覚なんだろうなっていうふうに思います。
今まさにその外国人の主に仕事をしに来たり、あとは学生として日本に来たりっていう人が多いのかなって思うんですけども、
でも、ちゃんと統計とか見てないですけども、非常に今はかつてない感じで増えている状況ですよね。
出入国在留管理庁のホームページでは、令和7年末の中長期在留者数が385万人ということで、
この人数だけ見ると人によって感覚はそれぞれあると思うんですけども、もっと多いんじゃないかなとか僕なんか思ったりもしますけど、
まあそれは短期の在留者っていうんですかね、の人とかもいるでしょうから、そういう感じに思えるのかな。
でもその程度、400万人程度っていう、そのぐらいってことですね。
このグリーンブックに出てくるような、いわゆる白人と黒人では同じ英語を話すので、しゃべる言葉は一緒でしょうけども、
ただ、その両者には厳然たる壁というか差がある。
特に南部ではよりそれが強かった方ですよね。
どうしてそんなに強くなってしまったか、その辺の考察というか、古典ラジオで喋ってる以上の考察で多分僕にはできない気も今のところはしたりはしてますけど、
その辺りは少なくとも今は話さないでおこうかなっていう、結構収録してる時間も長くなってきたので、その辺も今日は置いときます。
こういう世界中、そして人類の歴史全てに渡って、というか要は人類がしてしまう、いわゆる差別というものってどうして生じてしまうんだろう?
そういう差別の意識が生まれてしまうんだろう。
そういうのはたまに考えちゃいますよね。
大文社国語辞典でちょっと差別っていうのを引いてみると、
一つ目、差をつけて区別すること。
二つ目、偏見などによって他と区別し不平等な扱いをすること。
大体が差別という言葉は、この二つ目のネガティブな意図、意味を持つ偏見などによって他と区別し不平等な扱いをすることっていう地になるのかなと思うんですけど、
このグリーンブックなどにおける都白人が黒人をどのように見ていたかというのは、
やっぱりよく言われるのは、人間は自分より、いろんな意味があると思うんですけど、自分より下の人がいると安心するっていうような、
まあよく言われる、ただ言われるけど、そういうこともそういうのってあるんだろうなっていうふうなんですけども、
自分より下の人がいると安心するっていう感覚をですね、少なくとも今現在はピンとこないんですよね。
むしろ、この下って言ってるのがどういう意味なのかがわからないんですけども、
例えば自分より身体的機能が劣ってるとか、走るとか歩くのがより遅いとか、
いわゆる知性とか知能とか、そんなに深く考えることをしないとかできないとか、
そういったのが下っていう意味の具体的な内容にあたるんですかね。
高校生ぐらいまでの間、特に高校生とか学生とかの時は自分も、
いわゆる偏差値で高い低いとか、下の人がいれば安心するっていうのはあったのかもしれないので
単一の指標だけで考えたらば、下の人がいた方が安心するっていうのは、
自分が一番下であるよりは安心するっていうのは、
そうですね。あったしあるんだろうなっていうふうに言います。
でもこれの方がわかりやすいですね。今言った。
自分が一番下ではないと思えると安心する。
つまり自分が一番下だと不安になる。
それはよりわかる感覚かな?そうですね。
最初に言ったのは、人は自分より下の人がいると安心するということ。
僕はちょっとそれは今はそんなピンとこないなっていうこと。
今二つ目というか、つい今しがた言ったことが、
人は自分が一番下ではないと思えると安心する。
これの方がまだちょっとわかる。少しわかるっていう感覚。
この辺りは一つ、人類が持ってしまう差別感情とか、
差別的な行動、それは意識的なものはもちろんなんですけど、
無意識的なものを考える上でも何か取っ掛かりというか、
ヒントになりそうな感じのことかな?
毎回なことですけど、話せば話すだけわからなくなってくるような感覚もありますね。
この辺りで結構収録も長めにしてしまったので、終わりにしていこうかなって思います。
皆様、今回もお聞きくださりありがとうございました。
この辺りで。