1. Leave a Voice 明日へのでんぱ
  2. “存在価値と機能価値”シンイチ..
“存在価値と機能価値”シンイチ的考察【Voice-36】(2026.9.4配信)
2026-09-04 28:04

“存在価値と機能価値”シンイチ的考察【Voice-36】(2026.9.4配信)

spotify

前回の訂正・補足的な話しをした後、巷?で話題になっている?“存在価値と機能価値”について、僕なりに考えてみました。

 

――――――――――――――――
『子育てのラジオ「Teacher Teacher」』
「 "普通の進路" を歩まない子ども...」注目するのは機能価値か、存在価値か。 #50
「存在価値を認める」≠「子どもの行動を全肯定する」 #51

 

福田 遼,秋山 仁志(著)『先生、どうする!? 子どものお悩み110番 子育てのラジオ「Teacher Teacher」が納得するまで考えます』PHP研究所
 

――――――――――――――――

『考える朴念仁と分析する理屈屋』
#11-3 自他一如?
 

『新型オトナウィルス』
#331 存在価値あります

 

――――――――――――――――
お便りフォームつくりました!
https://forms.gle/hR9nF7eHYm7GTAV38

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回の配信では、前回の貨幣システムに関する補足説明から始まり、最近話題の「存在価値と機能価値」についてシンイチ氏が考察を展開します。子育てラジオ「Teacher Teacher」のエピソードを起点に、子どもの存在価値を認めることの重要性や、大人における機能価値と存在価値の関係性の違いについて掘り下げます。また、存在価値を測ることの難しさや、機能価値との相互作用、そして最終的に「考えても仕方ない」という結論に至るまでの思考プロセスを語ります。

前回の補足と今日のテーマ紹介
みなさま、いかがお過ごしいでしょうか?
Leave a Voice 明日へのでんぱ
僕、シンイチの声や思いを今に残しておく。
それらがでんぱに乗って、明日の誰かにでんぱし、
役立ってくれたらいいなーって思い出始めた、
ポッドキャストです。
収録している今日は、
2026年9月3日、木曜日、36回目の配信です。
前回の明日へのでんぱではですね、
ティーチャーティーチャーと僕の学び後編ということで、
貨幣システムやお金の仕組みについて学んでます。
その学びの内容っていうのは、
こういったものですよっていうのをですね、
不十分だったり不正確だったりもするんですけども、
話してみました。
とはいっても、これはなんだろう、
すごい分かりにくいなっていうところというんですかね。
自分で配信したものを聞いて、
少しだけこういうふうに、
考えた方が、言った方がいいかなっていうことがあったので、
ちょっとだけ補足をしてみたいと思います。
前回、お金の仕組みを車に例えた話の中で、
エンジンだったりタイヤだったりとか言ってたんですけど、
タイヤというより車輪ですね。
車輪の方が伝わるかなって思います。
エンジンからシャーシを伝わって、
その動力が車輪に伝えられて、
実際車輪が回るっていうことですね。
アクセルを踏んで、その動力が車輪に伝わって、
車が動くとか、ブレーキのシステムとかを動く、
車が動くシステムと、それを止めるシステム、
そういうシステム、機構に例えられるものが、
預金とか国債とか言ったんですけども、
確かにそういうことも言えそうなんですけど、
それよりもっと分かりやすく、
財政支出がアクセルを踏んで車が動くシステム、
金融政策がブレーキを踏んだら車が止まる、
車が減速するっていうようなシステム、
そう例えた方が分かりやすいですよね。
前回は中途半端に難しいことを話そうとして失敗した感がありましたので、
訂正というか補足なのかな、話してみました。
今日のメインテーマとしては、
ここ何ヶ月最近かで、
僕が聞いているポッドキャスト界隈で、
ちらほら話題になっているキーワード、
存在価値と機能価値について、
僕なりに思ったことを話してみます。
「Teacher Teacher」のエピソードと子どもの進路相談
この言葉追概念っていうんですかね。
起点になったのは、前々回の
明日への電波でも取り扱った
子育てのラジオティーチャーティーチャーのエピソードですね。
シャープ50。
シャープでいいんでしたっけ?
シャープ50、2024年4月23日の配信分と、
あとはシャープ51、2024年5月14日配信。
このシャープ51の方の配信は、
シャープ50で配信したエピソードについての
リスナーさんの感想についてのアンサーというような形でですね、
2人がお話をされた回です。
成績が良かった中学3年生の息子さんが
通信高校に行くからということで、
勉強をしなくなった。
将来、ハンドメイドルアーのお店をやりたいということで、
勉強をするよりも自由な時間を確保して、
経験を積んだり、
あとはお店をやりたいということで、
経営について本を読んだりして勉強するというような考えをですね、
お母さんに言っていて、
それに対してお母さんは落ちていく息子を見ていると、
どうしてもいろいろと言ってしまいという、
そういったですね、相談でした。
その相談にお二人がお答えしている、
ハルカ先生がお答えしているというのがシャープ50。
僕が受け取ったざっくりとした結論めいたところとしては、
家族の役割としては、
存在価値を認めていくのが一番大きくていいというようなですね、
お話になっていたかなと思います。
この回、この存在価値と機能価値の話については、
エピソードについては、
子どものお悩み100等番という、
ティーチャーティーチャー番組初の書籍って言っていいんでしょうかね。
その本の中でも取り上げられてまして、
この本はポッドキャストと同じように、
Q&A方式で一つのテーマが設けられてて、
進路で衝突、子どもの意思を尊重すべき?というお悩み相談に対して、
子どもの存在を認める、
親の愛情が伝わることが先といった、
結論的なものですかね、
になっていたかなと思います。
まずはということで、
その上で子どもの進路を具体的に話し合ってみよう。
どういう進路がいいのか、
そのお子さんの選択に根拠があるのか、
目標のために妥当な選択なのかということ、
機能価値について、
存在価値をベースにして話していきましょうということなのかなって思います。
ティーチャーティーチャーのこの機能価値と存在価値の回ではですね、
存在価値を重視しながらも、
機能価値の方もその両者のバランスっていうのが大切だっていうことは、
特にそのシャープ51の方でですね、言っていたかなって思います。
大人と子供における存在価値の捉え方の違い
それであとポイントかなと思うのは、
ここではその親御さんが子どもに対してどう接するかという文脈での存在価値を認めてあげようということなので、
これどうなんでしょう。
いわゆる大人でも全く同じように当てはまるわけではない気がしてます。
ティーチャーティーチャーでも触れられていたし、
僕考える僕年人と分析する理屈屋の中で山村達也さんがおっしゃっていたように、
機能価値が存在価値を作るという面っていうのは、
大人で何かちょっと違う気がするんですよね。
子供の方が存在価値を認められると、それをより確固たるものにすることができる。
乾いた砂に水を吸収させる、水を与えてどんどん染み、吸い取っていく。
存在価値を認められることで、誰かに認められることで、自分でもその存在価値があるんだというふうに認める。
素直に認めやすいって言ったらいいんですかね。
それに対して、これはあくまでざっくりとした話ではありますけど、
それに対して大人だとその存在価値を認められても、それを素直に受け取れないって言っちゃっていいんですかね。
それが存在価値があるよって言われても、
それを自分でもそうだと思って、自分の存在価値が高いとかあるっていうふうに思いにくいって言うんですかね。
そういう傾向はありそうな気がします。
存在価値と機能価値の定義と測定可能性
もう一つ、僕の感じたこととして、存在価値という言葉ですね。
存在っていう言葉の意味は、現にそこにあるとかそこにいるっていうことで、
価値っていう言葉はどれだけ役に立つか重要であるか、その度合いってことかな。
現にそこにいることでどれくらい役に立つか、それを測ること。
あるかないかとか、高いとか低いとかというふうに測定すること自体ができるんだろうか。
あるいはナンセンスなのではっていうふうに言ったりもする。
機能価値っていう言葉の方は、機能、ファンクションっていうのはそのものに備わる働きとか働くこと。
価値っていうのはその役に立つ度合い、どのくらい役に立つか重要かっていうことなので、
その機能がどのくらい役に立つかっていうふうに、そこは測れそう。
なんとなく測れそうかなっていうふうには思うんですけど、
だから機能価値と存在価値を並列に比べる対象として置けるのかなという視点もですね、
僕はなんとなく思っちゃったんですけど、どうなんでしょうかね。
僕は自分を振り返ると、自分の働きがどれだけ重要か、重要なものになりたい、役に立ちたいというか、
自己評価と存在価値の認識
評価されてお金を稼ぐとかも含めてですね、機能価値を発揮させたい、機能価値を意識するっていうようなことは過去にしてきたと思いますし、
もちろん今でもそれはあるんですけど、結構少なくなったかな、質が変わったのかなという感じではあるんですが、
ただその存在価値についてを、価値について測ること、存在価値があるかないかとか、高い低いとかっていうふうに多分考えてこなかった。
やっぱりそういう対象ではない、存在するというのはあるでもない、どちらでもない、そうですね、なんて言うんですかね。
だから自分の力ではどうしようもないものですね。
この話はどこかで知ってましたね。
そうですね、自分で自分の存在価値を決めることはできない。
上げたり下げたりが自分ではできないっていうようなことは、多分新型オトナウイルスかなって言っていたと思います。
他人から、他人がその人を見て、存在価値を感じる。
この人は存在価値があるなというふうに思うかどうかなんだというような、すみませんちょっとニュアンス違う可能性結構ありますけど、そんな話をですね。
山村達也さんからのお便りを受けて、樋口さんと小葉さんが話されてた気がします。
存在価値と機能価値の相互作用と起点
この存在価値を測る、存在の価値を測ること自体ができるのかどうかっていうのはあるとして、僕の中ではあるとして。
存在価値と機能価値っていうのが、両者の関係性として、その起点が存在価値の方だよ、誰かがその存在価値を認めてあげること。
分かりやすいというか効果が高いのは、親が子供の存在価値を認めるっていうところが、なんだこれ、レバレッジが効くって言っちゃっていいんですかね。
効果が高いというざっくりティーチャーティーチャーで話されていた考え方と、機能価値の方が起点になって、自らが機能価値を上げようとすることによって存在価値が高まる。
まずはこの存在価値と機能価値っていうのは、相互に影響しあって、スパイラルで高まっていくこともあるし、機能価値が存在価値にいい影響を与え、存在価値が機能価値にいい影響を与えて、
両者がお互いに影響を与えあって両方良くなっていくっていうのと、その逆もしかり、存在価値、どっちが起点かっていうのは一旦置いといてですね。
存在価値が下がったと考えたことが機能価値に影響して、機能価値もないって思って、機能価値がないって感じたことが、さらに存在価値の低下を招くという影響のしあい方。
スパイラルアップとスパイラルダウンでいいのかな。
そういうのが相互にインタラクティブに、インタラクティブな相互影響の関係にあるっていうのは、
これはあるとして、そういう状況だとして、どっちがスタート、起点になるかっていうところですかね。
結論と考察の限界
あんまりこれ、どうなんだろう。
人によって違う。
なんていう。
一つの着地っていうのもありそうなんですけど、その人や状況によって違う。
これも新型オトナウイルスの中で、存在価値っていう言葉の定義かな。
どこまでをその領域とするかによって、話も変わってきそうだし、
僕がさっき言ってた存在の価値を測ること自体ができるのかから、これはどうなんだろう。
存在価値の領域というのを一番小さく…
なんて言えばいいんだろう。
ちょっと違うかな。
存在価値はこう。
そうですね。
もう一つの着地としては、存在価値は考えない方がいい。
そうですね。
存在の価値を測ること自体ができるのか。
存在価値があるとか、存在価値がないとかっていうのを評価する。
あるなしを評価することはできない。
できないから考えてもしょうがない。
ただ、存在価値がないとか、極端に下がってしまっているとかいう状況の人に対しては、
何らかの形で存在価値を自分で認めるという状況にするために、
他人からの存在価値の承認、認めるとか、
自分が機能価値を発揮したと認める、自認するとかで、
その2つの方法どっちかで、
存在価値がないっていう状態からあるっていう状態でいった方がいいのかな。
さっきの存在価値あるなしを評価することはしてもしょうがないっていうような、
評価できないっていうことと、勝ち合う、バッティングするような感じもするんですけども。
でもこれ、やっぱりキリがないことですね。
考えてもしょうがないとまでは言わないんですけどもね。
当然結論は出ないし、あれこれ考えることができる哲学的なテーマ。
そうですね。難しいですね。
皆様、今回もお聞きくださりありがとうございました。
今日はこのあたりで。ではまた。
28:04

コメント

スクロール