#396 戒名とお金
2026-08-20 13:22

#396 戒名とお金

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お寺がいちばん語りたがらない、お金の話をしました。戒名は本来、生きているうちに授かるもの。戒を授かり、仏弟子として入門した証です。では、なぜお葬式で授かることが多いのか。そして、信士・居士といった位号——いわゆる「ランク」によって、なぜお布施の額が変わるのか。

お布施は対価ではなく、自分の持てる力の一部を分け与えるもの。位号は本来、日頃どれだけお寺や仏教のために力を尽くしてくれたかに対する位でした。その貢献の形が、現代では金額という指標になって残ってしまった——という実情を、副住職の立場から正直にお話ししています。ご意見・ご指摘も歓迎します。

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#副住職 #蓮城院 #禅 #AI活用
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感想

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00:05
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、 福住職をしております。
今日はですね、なかなかお話ししにくいことについてのことを テーマにしようかなと思っております。
お金に関わることをですね、仏教とお金、 お寺とお伏せ、そっちの方がいいかな。
言い方はいろいろあると思うんですが、 なかなかこれは声を台にして言えないことなんですよね。
というのは、やっぱりね、あの仏教というもの、 その教えの性質上をむさぼり、
これは今占めているというところでございます。
なので、お金が絡むと、どうしてもそのむさぼりという方向に 意識というか考え方が向いてしまう。
だから、お寺としてはあまり語りたくないというところですよね。
だって、むさぼるのは届いているのにむさぼっている。 そのように聞こえちゃいますから。とはいえですよ。
お金なしで生活できるほど甘くはありません。 お寺を維持できるほど甘くはありません。
仏教も守ることはできないですね。 だからこそお金というのはとても大事なことなんです。
長い前置きでしたが、どういうことをお話しをしようかというと、 いわゆる皆妙とお金についてですね。
これはね、もしかしたら同じ業界の人が聞いていたら、 なんてことを言うんだというふうになるかもしれません。
なので最初に謝っておきます。
同じ業界の方、お寺業界の方、余計なことを言うかもしれません。
その時は何なりとご指摘していただいて、 万が一これはどうしようもないことを公文は言っているという場合は、
必ず意見をください。
そんな重いことなのかというとね、 これ聞いている人にとっては身構えちゃうかもしれませんが、
そうではなくて、皆妙というものには、 いろんな金額に応じた位、いわゆるランクというものがある。
実情としてあるという、そういうお話ですね。
03:03
これを聞いている方、あまり仏教に関わったことのない方、 お寺と関わったことのない方、あまりピンとこない話かもしれませんが、
いわゆる仏教では、戒名というものがあるんですね。
戒名、戒めの名と書いて戒名ですね。
これは何かと言いますと、
例えばお葬式の中で戒を授けるという儀式をするんですね。
戒というのは戒めですね。
その戒めって何なのかというと、
いわゆる自分が人生において苦しみというものを少しでも少なくして楽に生きるための心得、これを戒と言うんですね。
つまり、その戒を授かるによって仏としての生き方を実践しますよということですね。
そうやって歩んでいくことによって自分の人生をより安らかなものにする。
そういう誓いを立てた、その人に授けるものが戒名ですね。
戒を授けたから戒名というのが授かれるんだと。
戒というものを受け入れたからか、そういうものなんです。
つまり仏弟子になるということですよね。
仏教に正式に入門するといってもいいかもしれませんね。
その入門した証としての戒名ですね。
ところがですね、これを今聞けばわかるんですけども、本来生きている人のためのもの。
自分の人生をより良くするわけですから、生きているうちに授かるもの。
これが戒名なんですが、なかなか現代だとそのタイミングを逃してしまう方数多くおりますね。
これはもしかしたらお寺側の責任かもしれません。
積極的にそういった仏弟子になりましょうというようなことを言ってこなかった。
だから知らなかったという人もかなり多いかと思います。
そういう意味ではお寺の責任であると、そんなふうにも言えると思うんですが。
そういう今まで仏教に関わることがなく人生を全うした人。
そういう人に最後せめて仏になっていただきたい。
だからまずは入門していただく。
入門してから仏になるんだというような導き方をしますから。
お葬式の際に戒を授ける。
そして戒名を授けるというふうな流れとなるわけでございます。
なのでお葬式の時に亡くなったら戒名を授けるというのはそういうところから来ているわけなんですよね。
そして皆さんが聞きたいところはこの先ですよね。
06:04
じゃあなんでそこにお金が絡むんですか?
当てないふうになりますよね。
お伏せの額が変わってしまう。
そんなふうに思う方も多いでしょう。
実際その通りです。
これは現状としてありますね。
戒名には戒名と言われるところ以外に異号と言われるね。
いわゆるこの人はどのような位なのかというのを表現した部分がありますね。
分かりやすく言うと4文字戒名と呼ばれるものにプラス2文字で合計6文字。
最後に真字とか小字とかつくもの。
これが異号と言いましてこれがいわゆる位、いわゆるランクと呼ばれるようなものです。
そしてそのランクですから階層がどうしてもあるというふうに受け止められてしまいますね。
その階層に応じてお伏せの額がかかるんだとそんなふうに認識していただいている。
実際は実際にそういうことも多いです。
じゃあなんでそういうものがあるのかという部分なんですが。
まずそもそも戒名を授けるというよりかはお葬儀の際にお坊さんが葬儀を行う取り行う。
それだけで何十万高いなって思う方も多いでしょう。
それには理由があるんですね。
まずお伏せというものこれは対価ではないんですね。
たてつけとしましてはね。
一つはそのお伏せを払う人、お伏せをする人ですね。
その人が持てる力の一部を譲渡する。
自分の力を分け与える。
これがお伏せなんですね。
その額についてなんですが。
これはまずお寺というものは維持するのに非常にお金がかかりますね。
それはそうですよね。建物大きいですから。
その収税費、維持管理費かなりのお金がかかります。
そこにプラス僧侶の生活費もかかってきますから。
それがどうしても額とすると大きくなる。
なぜなら普段から関わり合いがある方であれば。
09:02
言ってみれば普段から世話をしているのであればその必要はないんですよ。
しかしながら最後、自分の人生の、自分のじゃないな。
身内の人生の最後、その時だけかかる。
どうしても一括払いという言い方は良くないですが、
まとめてという形になるんですね。
結局のところお寺とその信者の方、
僧侶を挙げてもらう方の関わり合いの中で
どうしてもそういったお伏せという形は取っていますが、
金額というものが決まってしまうというところなんです。
さらに言うと、いわゆる異号、ランクによって額が違う。
なぜかと言いますと、それだけお寺あるいは仏法に対して
貢献をしたと言うとちょっと表現があまり良くないかもしれませんが、
どれだけ思いがあるのかという部分。
それがどうしても現代だと金額という指標になってしまう
というところなんですよね。
昔であれば、たとえば普段からお寺と仏教に対して
信仰心が厚くてよくお寺に関わっていた。
お寺の行事に参加して、お寺の運営に対して
いろんな手助けをしてくれた。
お寺の建物を作る際に、がらんを修繕する際に
率先して手伝ってくれた。
そういう人に対してそれくらい様々な力を尽くしてくれたんだ。
そういう人たちに対して本来つけるべき異号、ランクというもの。
それが最終的に金額という形で最後にそういう形で残ってしまう。
だから金額というものは高いというより高いというか
多い、そんな風になってしまうという行動なんですよね。
これはお寺側の責任も持ちはありますよ。
そういうかかり合いの機会というのが
格段に昔よりも少なくなっている。
それはなぜかというと、僧侶自体がもっと積極的に
不況に対しての活動をしてこなかった。
いろんな人に声をかけることが少なくなった。
そういった部分はあるかと思います。
そういう意味ではお寺の責任もありますが、
12:02
同時に関わろうとしなかったというのもまた事実であり、
そして関わる必要もなかったというのも事実ですね。
これは社会的な構造の変化というのが一番大きかったと思います。
そういった諸々の事情により最後に残ってしまったのが
お金という部分、金額の差という部分というわけでございます。
なのでどうしてもそのいわゆるランクによって
異号によって変わってしまったというところでございます。
でもこの考え方は私の個人の考え方というのは
非常に強いところがあるので
みんながみんなそういう考えであるとは言うわけではないんです。
ただこれを聞いている方が少しでも参考になれば
そんなことを思ってお話をさせていただきました。
最初に言いましたけれども全然納得がいかないという方があれば
和尚の考え方は間違っている。
そういった考え方があるのであれば
ぜひともご指摘いただければとそんなふうに思います。
というわけで年常院副住職の幸文でした。
ではまたね。
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