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2025-08-08 13:03

#277 金次郎?尊徳?二つ名のナゾに迫る。

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本日は「金曜日の金次郎」をお送りします!

誰もが知る「二宮金次郎」ですが、なぜ「二宮尊徳」という名前もあるのでしょうか?

実は「尊徳」という名前は、金次郎が57歳の時に、幕府の役人として国家的なプロジェクトを任されたことを機に名乗り始めた、今でいう「ビジネスネーム」のようなものだったのです 。

さらに、その「尊徳」の本当の読み方は「そんとく」ではなかった…!?

現場の実践者としての「金次郎」と、国を動かす思想家としての「尊徳」。二つの名前に隠された金次郎の人生の物語を、お寺ならではの視点で紐解きます 。

放送の最後には、8月24日(日)にお寺で開催する怪談ワークショップ「百鬼夜行」のお知らせもあります 。

#二宮金次郎 #二宮尊徳 #歴史 #豆知識 #偉人 #ビジネスネーム #蓮城院 #栃木県 #真岡市 #お寺 #スタエフ #音声配信
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サマリー

このエピソードでは、二宮金次郎と彼のビジネスネームである二宮尊徳の歴史について語られています。金次郎の人生の苦労や、尊徳として名乗るようになった背景が詳しく述べられています。

00:05
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
金次郎と尊徳の関係
今日はですね、金曜日ですので、金曜日の金次郎をお送りしたいと思います。
この金曜日の金次郎というのは、二宮金次郎さんのことを皆様にわかりやすくお伝えするというものでございます。
なんでお坊さんがそんなことをやっているの?というと、私のお寺、蓮城院には、実はですね、二宮金次郎さんのお墓があるんです。
というのは、蓮城院のある場所、栃木県の毛河市というところなんですけど、その毛河市には金次郎さんが初めて活躍した場所なんですね。
初めてではないかな。金次郎さんがものすごく活躍したというところで有名なところなんですね。
なのでそういったご縁がありまして、私のお寺にお墓があるということなんです。
なのでこの放送を通じて、もしかして金次郎さんのことを興味を持った、親しみを持ったという方がいつかお墓参りしたいなという時に私のお寺に来てくれれば嬉しいなというような目論みで行っております。
というわけで、今日はどんなテーマでお送りするかというと、
二宮金次郎さんって、孫徳という名前もあるんですよ。二宮孫徳。その孫徳という名前についてですね。
孫徳はビジネスネームだった金次郎という名前に隠された本当の物語、そういうテーマでお送りしたいと思います。
二宮金次郎さん、二宮孫徳という名前もあるんですよね。
これね、どっちが本当の名前なのかなって思えません?
私なんか小さい頃、金次郎さんなのに、一般的には孫徳、二宮孫徳って言ってるんだけど、親しみを込めていろんなところでは金次郎さん、金次郎さんって言ってて。
なんで二つあるんだろうなって小さい頃は思ってたんですよね。
今までは、一応孫徳という名前はある程度の年をいってから名乗ったんだよというのは知ってたんですけども、そもそもなんでなのかなという部分。
そこを今日はいろいろと調べたんです。
その結果、分かったんですけども、あの孫徳という名前、今で言うビジネスネームみたいなものなんですよね。
愛称とはちょっと違うんですけども、例えば堀江門って言いますよね。本名は堀江孝文さんですけども、堀江門としていろいろ活動してますよね。
あれは一種のビジネスネームだと思うんですよ。
愛称とかというふうにも言えると思うんですけども、同時にビジネスネームですよね。堀江門という名前でいろいろ活動してますから。
それにちょっと近いのかなというところが調べた結果、分かってきたんですよね。
もしかしたらちょっとニュアンスは違うかもしれないんですけども、金次郎さんが孫徳という名前、それを正式に名乗り始めたのは57歳の時なんですよね。
それまでの人生のほとんどは私たちにおなじみの金次郎として生きてきたんです。
なので今日はその名前の謎の部分を深掘りして、金次郎さんの人生の物語というものを紐解いていきたいというふうに思っております。
金次郎の出身と苦労
まず金次郎さんについてどんな方だったかというところを振り返っていきたいと思います。
金次郎さん、二宮金次郎さんは相模国桃江山。桃江山でいいと思うんだけど、ちょっとごめんなさい。漢字が読めない。私のダメなところがすごく出てるんですけど。
おそらく桃江山でいいと思います。紀変に百と書いて山、桃江山かな。間違ったらすみませんでした。
現在の神奈川県小田原市なんですね。そこが出身です。そこの農家の方なんですよね。農家の生まれなんですよね。
幼いころに洪水にあって、そして金次郎さん、二宮家の田畑というのは全部なくなっちゃって。
さらに14歳になったころにお父さん、16歳になったころにお母さんを亡くすという、とても大変な苦労を経験した人なんですよね。
その苦しい時代を生き抜いたのが若き日の金次郎ということなんですよね。
金次郎さんがその才能を発揮して、金次郎さんの住んでいる地域の尾狭村遺産のところにお手伝いをしていたんです。
家計を立て直したりとか、あとはその後の活躍で、私の住んでいる土地にお手伝いをしていた。
旧下助の国ですね。そちらに小田原藩の土地がありまして、そこを桜町と言うんですけど、
その桜町の復興を任されて、大事業を任されたという時も、名前はまだ金次郎さんのままだったんですよね。
つまり金次郎さんが数々の村を救うための独自のメソッド、尾独司法を確立して、そして地域再生のプロフェッショナルとしての名を馳せた、
その輝かしい実績でしょうかね。そのほとんどは二宮金次郎として成し遂げられたものなんですよね。
金次郎さんが正式に尊徳、これ実は尊徳って言ってるんですけど、本当の読み方はたかのりなんですよね。尊徳の尊はたかって言うんですね。
徳っていう字はのり、これはよく使う方多いですけど、たかのりって言うんですね。だけど尊徳とも読めるから尊徳の方が広まっちゃったんですね。
ちょっと脱俗ですけど。そのたかのりとして名乗りを担ったのは、西暦で言うと1943年なんですよね。
尊徳としての転換点
この年は金次郎さんが57歳の時、まさに人生のベテランキーですよね。その年に何があったかというと、
実はこの1943年という年は金次郎さんの人生にとって非常に大きな転換点、ターニングポイントって言ったほうがいいかな。変な日本語をかっこつけようと思って失敗したパターンですね。
すみません。彼の評判は幕府までに届いて、今までは地方公務員みたいなものですから、幕府といえば国家公務員的なものですけど。
要は評判がすごく大活躍したから、評判が国のほうまで届いたよということですよね。
1942年に幕府に召し掛かえられて、不審役閣って読むのかな。漢字がまた読めないところに出ちゃったんですけど。不審役閣という役職に就いたんですよね。
読み方が違ったらどうしよう。まあいいや。続けます。そして解明をしたのは1843年ですね。
その年は日光、栃木県に日光という有名な土地がありますけど、日光同省部で有名ですよね。その日光のエリアの、日光地域の司法、復興事業ですね。
そういった国家的なプロジェクトを任されることになったんですよね。つまり、一地方の再建受け入り人、そういった金城さんが幕府の役人としてより公的だ、全国的な立場で仕事を始める。
そのタイミングで名乗ったのが孫徳、高成、どっちでもいいんですけど、そういう名前だったんですよね。つまり、自分の思想や哲学を日本全体へと広げていく、その意思表明として自らの徳を尊ぶという意味の孫徳。
という名を公的なビジネスネームとして名乗るようになったというふうに考えるとわかりやすいのかなと思います。
金城さんという名前は、苦労の中から立ち上がって現場で知恵と行動力を発揮した、いわば人間味あふれる実践者の名前。そこが金城ですね。
一方で孫徳というものは、その経験を哲学へと消化させて、国を動かすような思想家、あるいは指導者としての名前ということなんですね。
どちらも金城さん、孫徳さんの素晴らしい人生の一面を表しているということなんですよね。
私は実はこの番組でずっと金城さん、金城さんと呼んでおります。
それは金城さんが人生の大部分を金城として過ごして、そしてかつかつの困難を乗り越えてきた、その原点ともいえる名前だからなんですよね。
ちょっと今かっこつけていますけれども、要するに孫徳先生みたいな、そんなふうな呼び方をすると、ちょっと距離感を感じますよね。
やっぱり金城さんというと、なんだか彼の体温とか息遣いというものが身近に感じられるような、そんな気がするということなんですよね。
これからもそんな人間金城さんの魅力というものを、この番組でお伝えしていきたいなというふうに思っております。
今日のお話、いかがだったでしょうか。少しでも、えーっとかね、なるほどって思っていただけたら、ぜひともいいねで教えていただきたいと思います。
それとですね、ちょっとお知らせをいたします。
今度の8月の24日、日曜日ですね、私の寺蓮城院にてとあるイベントが行われます。
どういうイベントかというと、ワークショップイベントですね。
その名も百鬼夜行といいます。
百鬼夜行という名前が示す通り、怪談ですね、怖いお話のワークショップ&怪談話を聞くという、そういうイベントです。
夜のイベントなんですけれども、ぜひ興味のある方は概要欄の方に申し込み用のランディングページ、そちらのリンクを貼っておきますので、
そちらからご覧になっていただいて、もしご興味を持ったのであれば、ぜひとも参加していただきたいなというふうに思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
はい、というわけで今日はここで終わりたいと思います。
蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
13:03

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