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2021-04-22 12:40

【お迎え時間まで】日本の教育が変わる?どうやって学ぼうLIVE

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皆さんこんにちは、こんのゆるラジチアプップへようこそ。この時間ということは、ストックがあまりなくあるんですけども、ちょっと明日のためにとっておきたいというところもあり、なおかつお迎え時間前ということで、サクッとお話をしたいと思います。
今回のLIVEのお話は、ちょっとこれはまだ解決してないというか結果が出てない。まあおそらくこれはすぐに結論が出ないお話だと思います。
日本の教育ってどうなるんだろう。言ってしまえば、義務教育、学校行く?行かない?っていうお話です。
これね、昔だったら、なんなら私の子供時代とかでしたら、学校行かないっていう選択はだいぶ来てたわけですね。そんなのありえんというところだったんですよ。
だって学校行かないって、学校は行かなきゃいけないものであって、行かないなんて選択肢はなかったわけですよ。
まあ私、あの、と言っても私休んだこと何度かあるんですけど、実を言うと。しかも具合悪いとかじゃなくて、あの当時ね、書写っていうね、1,2年生、小学1,2年生の時に書写っていうのがあるんですよ。
書道じゃなくて、あの書道ってあれですね、毛筆。出てこない。書道、あってるか?
習字、そうそう習字です。習字じゃなくて、鉱筆の方です。鉛筆で書いて学ぶ、あの消しゴム使っちゃいけないやつですね。
あれの、あれがね月に1回ぐらいあるんですよ。授業が。その時の教科書、月に1回しかないんで、どっかやっちゃうわけですよ。私は。
で、なくして、それがないって言いに行くのが嫌で、学校休むってことが、まあ何度か私はあった記憶があります。
1,2年、小1,2ぐらいの時だから、まあ多分年に1回ぐらいだったと信じたいんですけどね。
まあそんなこともあり、けど基本的に学校は休むものじゃないと、具合が悪くなった時じゃないと休むものじゃないと思っていたし、そういう、今でもそういう風潮はあると思います。
けど、昨今ですね、YouTube、動画ですね、とか音声配信も今そうですけど、無料でもっと楽に勉強ができるツールができてきましたよね。
で、オンライン授業というものもできてきました。まあそれによって、え、学校行かなくても自分で学べねっていう環境になってきたわけですよ。
これはちょっと私も調べがついていないんですけども、小学校レベルとか中学校レベルであるかどうかは、ごめんなさいこちらはまだ調べきれてないんですが、
もしそういうね授業の内容が、まあ要は中田のあっちゃん、織田寺中田のあっちゃんがね、あっちゃんがやってるような感じで、
本当にエンターテインメントみたいな感じで、小学校の授業1年分とか、中学校の授業1年分、理科1年分、算数1年分みたいになっていたら、
学校行く必要なくなっちゃうんですよね。そうなんです。じゃあそっちを見て、しかも自分でさ、あの巻き戻ししてもう一回聞き直したりできるわけじゃないですか。
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それをやってた方がよっぽど自分の都合でやれるっていうことになってしまうんですよ。となると学校の必要性って何かって話になってきちゃうんですよね。
極論塾が、私塾ですね、結構塾がわーって出てきた時も、学校じゃなくて塾の宿題優先させてくださいとか、
やっぱ塾の方が知識を得られるのでそっちに行かせてくださいっていうようなね、保護者の方も中にはいらっしゃったという話をね、ちらっとこれは噂だったのかもしれませんが、
都市伝説かもしれませんが、いらしたってことを聞いたことがあります。学校よりも塾の方が知識が入るし、効率もいいし、
ちゃんとお金も払ってるしっていうところで学びがあるっていう、まあそれだからこそ優先されるっていうところもあったこと思います。
ただ、それも一理あると思うんですよ私。無料でyoutubeとか、もしくは動画教材とかで勉強するっていうところもそうですし、
あとは塾でね学ぶっていうところももちろん一つだと思います。 ただ学校の意味ってそれだけじゃないっていうところがあって、
その授業云々もそうですけど、結局集団生活というか、もう社会教育っていろんな子たち、自分と同じ学年もしくは上下ですね、
の人たちと出会う場っていうのが、まあそこ以外にももちろんね、SNSとかあるのであることはあるけど、オンライン、オンラインじゃない、オフライン上リアルでリアルで会える場の一つとしてやっぱり捉えられているわけですよ。
それが幼馴染みとかでずっと昔から一緒だったこと一緒ってこともあるし、違う幼稚園とか違う小学校とかから絡んでね、
あ、なんか違うんだなって、いろんな人がいるんだなってことを感じるための一つの場としても重要な意味をもたらしていると思っているんです。
要は勉強だけじゃない、知識をつけるところというだけじゃなくて、集団生活とかコミュニケーションとか、あとはもう課外活動ですよね、部活動もそうですし、
学校行事で文化祭とかそういったことの経験もやっぱり大事なわけです。大事なんですよ。だから一概に学校行かなくていいっていうわけではない。
ただ、またそれもひっくり返すと、じゃあその文化祭とかね、課外活動、臨間学校でも何でもいいんですけども、じゃあ他の場でもいいじゃないって話になってしまう。
小学校とか中学校とか高校とかじゃなくても、例えばオンラインでスクールとかを受けたりして、時間が余った時間で自分でサークルに行くとかでもいいですし、
SNS上で知り合った自分の同年代の人たちの集まりの場に行くとか、そういった形でもあるわけですよね。
だから本当にこの学校じゃなきゃいけないっていう価値観っていうのがちょっと崩れつつあると感じたんですよ。結構。
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というのも、私はちょっと娘とか息子にどうやって伝えていこうかなと考えて、結果として夫と話したんですけども、結論は出てないんですよ。
ちょっとバタバタしてて、ちょっとこの話後でってなっちゃったってところもあるんですが、それは夫は夫で、やっぱり学校はどんなに辛くても行くべきってところが彼の考え方としてあると。
それは頭硬いとかじゃなくて、ちゃんとちょっと別の意味の括弧たる意味がある。そこをちょっと聞き切れてないんですがあるんですよ。
私は私で、いやもう行きたくなかったら行かないっていうのも一つの手だと思うってことは言ってる。
でも、要はそれに対してね、学校で学んだ方が効率が良い時もあるし、自分で学んだ方がよっぽどきつい時ももちろんあるので、やっぱり自己責任になってしまうんですよ。子供にとっての。
でも、そんな小学生とかで自分の意思はあるとは思いますが、そんな判断じゃできるか?
失敗したとして、例えば、やっぱり学校に行けばよかったってなった時に、学校にまた行けるのか?とかそういったことを考えると、どうしたものかな?って思ってしまうこともあるわけですよ。
ただ、何度でも私はやり直せると思うので、やり直すというか、いろんなチャレンジをしてもいいと思うので、行きづらいと思ったら違うところに行くとかでもいいし、
ちょっと留学してみるとかもね、お金に余裕があったら、その時までにちゃんと稼げてたら、やれるのかな?とも思いますし、
なんか一つではない、場所は、選択肢は一つではないってことは伝えていきたいと、そう思ってます。
ただ、私、小学校6年の時に、他人の先生から言われた言葉が結構今でもずっと重みを持って胸の中に残っているんですが、
自由、あるじゃないですか。自由って言葉が。自由じゃないですよ。自由ですね。フリーダムの自由。自由の裏には責任があるっていう言葉だったんですよ。
その頃は、意味はわかっていたんですけども、あんまりなんか、ふーんみたいな、すげーこと言ってんだ、すげーな先生みたいなぐらいですか、思っていなかったんですが、
やっぱり、自由をした分のツケっていうのはあるんだと。もうそのことをわかった上で、やっぱりやらなきゃいけない。
自由を選ぶなら、何かを選択する時は必ず責任が伴う。でも子供って、最悪、保護者というか親がいるわけで、あんまり自分のことに対して責任?
どうしようって思うことはあっても、助け舟があるっていう、その後ろにね、なんて言うんですか、壁じゃなくて、私の後ろ盾か、後ろ盾があるっていうところで、若干その選択に対して甘い選択をする可能性があるんじゃないかと思う。
というか、実際私がそうだったんですよ。なんか結構考え甘かったな。これで私も自由というか、自由気ままにね、やっていたら
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今頃どうなっていたかなとかね。自分がやっていた、大学時代なんて特に自由気ままにやりすぎてて、バイトに明け暮れすぎて、そっちの方はスキルとしては高まったかもしれないけど、
自分が実際やりたかった、もう卒業したぐらいからやっときゃよかったって思う、もうちょっとね専門的な心理学科だったんですけども、そちらの勉強はしとけばよかったなってちょっと後悔しているところはあります。
それはいずれやれるかなと思っているのでいいんですけど、そんな形で、教育ですね。日本の教育今後どうやっていくか、これきっと何度も何度も話題に上がって私もお話しすると思うんですけども、
一つ、要は学校だけが教育の場ではなくなったこと。以前からそうだったけども、もっと選択肢が増えたこと。
ただ、選ぶには必ず何かしら付属品というかその結果が待っていること。そうじゃなければ出る結果があること。影響は絶対あると。
あとは、どんな決断においても、子供がどんな選択決断をしたとしても、親としてその決断を後押しできるようになることっていうのがやっぱり一番大事かなと思っております。
そのための情報とか知識は、やっぱりこちらは常にアップデートして得るようにしていって、これはこうだよ、これはこうだよ、じゃあやってみなって。とりあえずやってみなっていうことは、でんって構えてね、どーんと構えて伝えられたらいいかなと、そういうふうに感じている。今日この頃でした。
というのは、今回ボイシーで、チキニンさんのボイシーですね。今日の回かな。ちょっと教育の話をされていたんですね。理科と算数が難しすぎるって話だったんですけども。
私もやっぱりご多分に漏れず、わからない科目が出てきた時に、つっぷして寝ていたんですよ。本当に意味ない。何しに学校来たんだって感じなんですけど。寝ていたくらいで、本当に興味がなかったんですね。つらかったんですよ、その授業。寝てればいいんだけど。
だいたい絵描いてるか寝てるかしてたんですが、考えてみたら、それもある意味選択、自分の選択だったんですけども。そこで得た知識っていうのは、やっぱりもうちょっと持っておけば後が楽だったよなとかね、いろいろ思うところがあるわけです。
だから自分が選んだ選択に対して、選ばなかった未来がどうなっていたかというところも、やっぱり考えつつね、そこで軌道修正を図るのか、そのまま突き進むのか、そういったことも交えながら、いろんな経験を子供にはしてほしいと、そう感じたのでしたという雑談でございます。
はい、そろそろお迎えに行かなきゃですね。ちょっと息子を起こして、息子を抱っこして、娘を迎えに行っていきたいと思います。
こんにちは、すいません、キーパー王さんですね。こんにちは、よろしくお願いしますと言いながら、もうちょっとそろそろおしまいになってしまうので、締めさせていただきます。アーカイブは残しますね。
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ということで、日本の教育、これからどうなっていくのか。逆にね、楽しみでもあるわけなので、娘2歳だから5年後ぐらいに、どんなふうにね、小学校とか学校がなってて、
できれば先生たちの労働環境が少しでも良くなるようにと祈っているばかりでございます。
はい、それでは今日もお聞きくださりありがとうございました。コンでした。ではまた。
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