どういう問題意識を持っていることとこの本で書かれていることとの距離がどうであったかとか、
単純にこういうこと話してみたいみたいなことをわらわらと1時間2時間やっていきたいなという感じですね。
じゃあ先に本作どう思ったかどうこの本を読んだかみたいなことそれぞれ2人に聞いてみたいなと思うんですけれども、
本田くんからどんな感じだったかなと思って聞きたいんですが。
この本をまずシャークさんが紹介されていたんで、なるほどなるほどと思って購入して読んだんですよね。
読んでこれはいいと思ったので、ぜひ感想を喋る配信参加させてくださいとお願いさせてもらって今回参加させてもらったんですけど、
それぐらいとにかくこれは良きものであるみたいなことがまず単純にあって、
それが何でかというと自分の前回の過去の回でも喋っていると思うんですが、僕はちょっとやたら勉強勉強うるさい部分があるんですけど、
その中でいくといわゆる戦後史ですよね。明治から入ってますけど、明治の若者から始まり戦後の学生運動とか東西冷戦とか、
そういった話があってそれを若者という目線で切り取っていくっていう通し本みたいになっているんですけども、
そういうのって本当僕は結構必要だよなって思ってるんですよね。
しかも戦後史って学校で意外と全然やらないんですよ。
本当に学生運動とか東西冷戦とか名前だけ知ってるけど、結局何が起きてるのかわからない同世代とか下の世代の人たちって結構多いんじゃないかなと思っていて、
それをじゃあ勉強しなさい勉強しなさいって言うとまたちょっとまた説教臭くなっちゃうんだけど、
いやなんか若者史っていう形で見てみないみたいな、しかも結構サブカル的な文脈もかなり入っている本なので、
非常に読みやすい上で現代史の流れが入ってくるっていう意味ではめちゃめちゃいい本だなと思ったのが個人的には単純な印象という感じです。
うーん、なるほど確かにね。
僕も改めて読んですごく思ったのが、戦後史っていうところでこういう風に言ったらサブカルみたいな知識から、
まあ本当に割とカッチリとした青年の誕生みたいなところから始まってそういうところにたどり着いていくみたいな。
パンスさんが一緒にコメカさんとやられてるTVODっていうテキストユニットがあるんだけど、
そこの登場っていうのは多分それはパンスさんの意識もコメカさんの意識もどっちもあったんだけど、
そういうことをやろうとしてくれてるっていうところが僕はすごく馴染みがあったし、歓迎してるところだったなっていうところをすごく思っていて。
だからそれでパンスさんの今回はタンチョっていうところで、いい本がやっぱり出たなっていうところが嬉しいと思ってるところかな。
パンスさんはパンスさんのことをご存知ですかね?
実はパンスさんはDJとしても活動してて、K-POPとかアジアの音楽とかをかけられたりしてて、
だから普通に遊びに行ってるクラブとかでDJをされてて、だから酔っ払って絡んだこととかめっちゃあるっていう。
なるほど。
そうそう、こないだ初めてちゃんと顔を合わせて喋ったんだけど、認識はしてくれてて、
でも顔は知ってるもんねみたいな感じのリアクションでした、パンスさんも。
酒飲んで絡んだよねみたいな感じ?
そうそうそう、音楽の現場でよく見る若者ですよ、それこそ。
僕はまだ20代、コロナ前とかにパンスさんももっとDJを今よりもっとされてたんで。
なるほど。
ちょっとそれで繋がったというか、今回の私が戦後史みたいなことを言った時に、
基本なんか戦後史ってやっぱり日本ってちょっと語られないがちなので、
どっちかというとさっきも言った通り東西冷戦とかね、やっぱり中東情勢とかも含めて、
やっぱり日本の外のっていろいろなことが起こっていて、もちろんそれも知らなきゃいけないと思うんだけど、
今回の本ってどちらかというとしっかりちゃんと日本に向き合って、
日本の中で何が起きていて、それが若者にどういう影響を与えたのか、
そしてどんなカルチャーが起こっていったのかっていうところを丁寧に説明してくださってるんで、
それってやっぱり中のところにちゃんと興味があって、
さっきDJで音楽でとか、そういったものに興味がある方じゃないと書けないので、
だから他にないんだろうなって今思いました。
たしかにな。そういう意味ですげえ話の通じる兄ちゃんが書いてくれた本みたいな感覚で、
思ってるところがあるよな。
だからそういう、なんか僕はよくそういうちょっとした兄貴不在みたいなことをすごい嘆いたり、
問題意識として言ったりするんだけど、そういったところに答えてくれるのって、
パンさんだったりなんかなみたいな、この辺の世代の人の話もっと聞きたいなって思ったり、
っていうこともすごい思ったかな。
はい、そんなところで柿内君はどんな感じで思ったかなみたいな話とか聞きたいんですけれども、どうでしょうか。
そうですね、僕もまずはパンさんの初の誕生なので、やっぱりTVODのお仕事だったり、
100万年賞も書いてたよね、ポストサブカル焼き跡派に痺れていたものとして、
強調ではない形でのパンさんが何書くのかなっていう時に、やっぱりこういう年表的なものというか、
数字的なものを出してきたんだっていうところで、まずすごい楽しみに待っていた一冊ではあったんだけれど、
この本は「いまどきの若者」の150年史っていうタイトルだと、もしかしたらミスリードされる人もいるかもしれないんだが、
若者史じゃないんだよね。
確かにそうだね。
若者論史なんだよね。
その当時の若者はどんな人たちだったのかっていう話ではなくて、
その当時の今時の若いもんはっていう形で、若者はどう語られていたかについての歴史であるっていう、
このたてつけが非常によくできているというか、めちゃくちゃ効いているなと思って。
要するに、ある種当時者不在なところでなされていく、今新しく出てきたこの世代、
若い奴らの考え方がよくわからないという戸惑いだったり、
っていうところが割と腰に据えられているというか、
実はその当時の若者が何を考えてどうでっていうことを語っているんじゃなくて、
その当時の出てきた自分より下の世代に戸惑っている人たちの話を実はいろいろ書いているっていうところが、
結構この本の、特にその前半部の特徴かなというふうに感じており、
そこがね、とても良かった。
やっぱ新書っていうね、今回ちょっと紹介忘れてたんですけど、
ちくま書房から、ちくまプリマー新書から出てるんですけど、
新書って言ったらタイトルで売らなあかんところがあるから、そういうタイトルだけども、
今かきがえくんが話してくれたような、若者論、今時の若者はっていうものについての話っていうことで、
だから僕はそれこそコメカさんとかパンツさんがやってたポストサブカル焼き跡派みたいな、
もっとこう歴史寄りというか通しっぽいものが来ると思っていたが、
そしたら中身はこの若者論みたいな方の方で来てたから、
これはこれですげえ面白いなって思いながら、
期待してたものとはちょっと違う角度だったんだけど、
僕もそれがよりいいなって、この角度がまずめっちゃいいよねってすごく思った。
前書きの中でこれは若者の語られ方の歴史なんだというようなことも明治的に書いてるんだけど、
それこそ明治から語り起こされていく間は、本当にどう語られてきたかの歴史で、
その論を検証していくみたいな形で続いていくんだけど、
ファンスさんが生まれ年をまたいだあたりから語られる客体にもなっていくし、
自分もその若者論の主体にもなっていくみたいなところで、
ただ単純に客観的に距離を取って歴史化できるところだけじゃなくて、
そこを経た上で、じゃあ今の自分たちってどういうふうに位置づけるんだっけみたいなところにまで入り込んでいくっていう構成がね、
いろいろ語りたくなるというか、客観的に記述するっていうことだけをやるんじゃなくて、
歴史交渉だけじゃなくて、当事者としての語りっていうものも思い切ってちゃんと入ってるっていうのが、
新書のフォーマットだとどうしてもクールに距離を取って、
こんなことになってるんですみたいな形の書き方。
そっちのほうがメインな感じはするよね、昨今ね。
フォーマットとしては全然あり得るのにね、
そうじゃなくて結構思いっきり自分のリストを乗っけてくるっていう、
この前半と後半との対照みたいなのもかなり面白く読みました。
そうね、だから僕もやっぱり第三章あたり、73年以降のものとか、
そのあたりからパンスさんの話とか、パンスさんの親世代の話だったりみたいなのが出てくるところあたりから、
おもしれえなっていう感覚がすごいあるのと、
あと単純にちょっと中身の話を僕の中にすると、
私の興味として戦前、45年以前の歴史になると急にめちゃめちゃ弱くなるというか、自分自身が。
あんまり興味がちょっと薄れていくみたいな。
それは多分僕の持ってるベースの通志とか、
僕の持ってるベースの年表みたいなものが音楽とかにあるんで、
どうしても50何年ぐらいのロックンロール誕生ぐらいからスタートしてるみたいな感じなんで、
その前の戦前のジャズとかなんかいろいろ興味ないことはないけど、
あんまりアクセスしてないからすごい興味を失うところがあるんだなってことはなんとなく分かりつつも、
やっぱこの1章の1853年からって言われると、
なんか全然俺の頭のね年表からこの人は始めるんだなみたいな。
でもパンスさんの中ではそっから始める意義があって、
そういうふうにつながってるってことはこっから始めたんだなっていうところにしびれつつ、
正直ちょっとこうしんどい部分。
読んでるところに興味ねえなって半分思いながら読んでしまう部分みたいなのもあり。
これちょっとホンダ君に聞きたいのが、
多分ホンダ君はNHKが好きなんで、
本田受信料と名乗っている通りNHKの大河ドラマやNHKのドラマなどで、
結構昔の歴史だったりというものにすぐ触れているだろうし、興味がある部分。
だからここは完全にホンダ君と僕が割れる部分なんで、その辺ちょっと聞きたいなって思うんですけど。
今びっくりしました。僕と真逆なこと言ってて本当に真逆なんだなって今すごくはっきり思ったんですけど。
僕は明確に自分のメモにも書いてるんですけど、
80年代から嫌悪感がすごいんですよ。
書いてる内容として。
別に書かれてる内容とかではなくて、
覆っている世界とかそこで表出されているものに対してすごく嫌悪感が出てきていて、
ただその後半の方がお二人も言ってた通り、
パンサーの個人の話になる部分はもちろんライドするし、
これがやっぱ真相の面白い部分ですよね。
一応表装上は何かそういう通信みたいなのを見せなきゃいけないし、
マーケティング論的にも何かそういうのが求められてはいるが、
中でどうしても表出させたい事故みたいなのは、
結構明らかに後半の部分に乗ってはいるじゃないですか。
そこは非常にわかるんだけれども、
僕のその個人の興味とか自分の解像度としては、
戦前の明治の起こりの部分から、
ああそうそうみたいな、
くねくね系男子のルーツみたいなところから出てきていて、
そこが本当にここに触れてくれてありがたいみたいなことを思いながら、
結構見ていたので、全然違うなっていうのはあるんですけど。
これまさに今シャークさんが指摘してもらった通りで、
NHK好きで見てるんですけど、
映像の正規っていう結構有名な番組があるんですよね。
つまりその映像というものができてからの、
本当にここにあるような150年ぐらいの歴史について、
映像のアーカイブをドキュメンタリーで出していくっていう、
有名な番組があるんですけど、
どうだろう。
なぜ旗のほう、宮城加保の仕事の仕方は、
それこそやっぱり文学プロパーの人の書き方だなというか、
本の、あれは読者の話をしているけれども、
出版だったり、やっぱりそういうものが流通していくタイミングってどこなんだっけっていうときに、
明治から始めるのがインフラの状況だったり、書き手の状況だったり、
読者の関係の変説だったりっていうところからすると、
ちょうどよかったんだろうなっていうのと、
あとそれこそ労働者みたいなね、近代の労働者みたいなのが出来上がっていくっていうところから言っても、
明治から語り出そうみたいな構成に関しては、
確かに近似性はある感じはするけれども、
全然違う味わい。
そう、僕も始め方とか流れとかは似てるけど、全然違う味わい。
それこそ三宅香帆は同世代と大きく打ってそうだと思うんだけど、
その辺の歴史とかそういったものから自分の問題意識みたいなのをつなげるときに、
結構アプローチが違うっていうのが比べてみて面白いなっていう。
これとかどう思ったかなみたいなことが気になったから聞いてみたって感じなんだけど。
そうだね。
たぶん着眼点というか力点の置き方が、なぜ旗の方はなんだかんだ言って、
それぞれの当時の時代時代におけるおじさんたちの話というか、
その時働き盛りの人たちが何読んでたか、何読んでなかったかみたいな話として出されているけれど、
ファンスターの「いまどきの若者」の150年史に関しては、どちらかというと働き盛りの人から見て、
それより後から来た人たち、若い子たちっていうのがどういうふうに見えてたかっていうところに、
参照個が2個あるというか、目線が2つあるみたいなところが結構違いそうかなっていうのと、
あともう一個なぜ旗の方はなんだかんだ言って、
教養主義というか、本読んだら何かいいことあるかも、社会的に何か偉くなれるかもみたいな幻想が、
いつ頃まであったけどそれが失効してたから誰も本読まなくなったんですよみたいなことが大枠としてあるとして、
「いまどきの若者」の150年史の方は、そういう歴史に出世みたいなものがある時期がはっきりとあって、
それがなくなっていってみたいな書き方は実はあまりされてない感じがするというか、
それぞれの世代において自明のものとして前提にしている社会状況っていうものが、
着眼点がずれていることによって、報道の指針みたいなものも当然変わってくるよねみたいな形になっているかな。
参照する点の数とか、そこでどっちの話もするというか、
当事者としてはそっちの方が合理性があるけど、先行世代からするとそれが不合理なものに見えるみたいな、
両方のズレを当時に置いたピンに置いて捉えようとしているみたいなところで、
かなりアプローチは違う感じがしたかな。
なんかその辺が面白いのかなっていうのが、
俺の感覚としてドラマとかNHKとか、やたらみんな明治から始めるっていうのがベースなんだなみたいなところもすごい気になってるところであるのよ。
まさしく今始まった朝ドラも明治からスタートしてますからね。
その辺気になってるんだよな。
それはなんで明治からやねんってこと?
そうそう。今話2人から聞いておくけど、そうせざるを得ないっていうところとか、
今まで持ってこようと思うとそこになるっていうことは理解できてるんだけど、気になってるところではあるみたいな感じ。
かきなえさんがおっしゃっていた、若者を需要する側の大人の論点に力点が置かれてるっていうのがやっぱりこの本のミソだなと思っていて、
数字とか時代が羅列されるんで、ちょっと一瞬勘違いする部分あるんですけど、
例えばその明治第一章で明治で始まるじゃないですか。
でもあれって明治生まれの子供たちではなくて、直前に生まれた、要は幕末とか明治直後ぐらいに生まれた子が育って20歳ぐらいになったものを、
本当に江戸バリバリで幕末を完全に青春期を過ごした大人たちがどう受け止めたかっていうこの二軸があることで、
明治って言っても結構江戸の観念みたいのが入り込んでたりとか、
そういうののずれが、この現代になるまでずっとちょいずれのまま来てるんで、
その第何章何年って書かれているものと、実際にそれを需要している大人たちが本当に喰らってたものとか、
ずれてるっていうのが結構ここの面白さであり、ぱっと見ではちょっと誤解する部分だと思うんですよね。
そうなった時になんで明治なんやっていう、
シャークさんの話っていうところでいくと、
単純に言えば、スクラップ&ビルドで立心出世で、階級とか関係なく力さえ出せば役人になれたりとかね、
そういう自己実現みたいなものができますよっていうのが明治から始まったっていうところがあるし、
それを江戸時代みたいなもの、幕末みたいなものを知ってる人ほど、
明治ってものが輝かしく見えて、立心出世のロマンみたいなことになっていくんで、
それを現実どうだったかは別として、今の現代の私たちが、
すごい明治に対して憧れを抱いてるんですよ。
社会が完全に変わって立心出世になって、そこからゼロから始められる。
今の私たちはこの150年史を読んでる通り、すごい詰め重ねがあって、
こんなスクラップ&ビルドできないわけじゃないですか。
だからそこにすごくロマンを感じてるっていうのがあって、朝ドラとか大河の舞台にもなりやすいし、
しかもその後に戦争があることによって、次は昭和やけの原ノスタルジーですよね。
本当にゴジラマイナス1からマイナスゼロへっていうのと全く一緒で、
一回また戦争になって、スクラップ&ビルドになることによって、
またそこから立心出世が始められるっていうところがあるから、
明治と昭和ってそこにすごい強い憧れっていうのが、
現代の私たちはあるっていうのは多分朝ドラを長年見てると間違いないなと。
なるほどな。いやすごい面白いわ。すごい納得がいきました。
その辺もやっぱり本田君は捉えてるところがすげえなと思います。
でも今の話めっちゃ、もしこれ脇道にそれすぎたら修正するけれども、
どうぞ、いきましょう。
僕は明治がすごい嫌いなんですよ。
明治に対するロマンチシズムみたいなものに対して、嫌悪感を強く抱く。
あまり簡単に話すと、基本的に明治維新によって、
身分の、それまで首脳交渉で武士が一番偉くてみたいなものが取っ払われて、
みんながみんな自由に階級を移動して、
それぞれ身分の差もなく実力だけでのし上がっていく立心出世の社会システムができあがって万歳みたいな。
それってかなり嘘だなっていうのは、勉強していくとすぐにわかってくる。
「いまどきの若者」の150年史のいいところは、江戸時期から明治維新を経るところをリアルタイムで経験している世代と、
その後の世代との意識の差みたいな。
それこそ立心出世に対しての意識の差みたいなところが出てくるときに、
維新の最中っていうのは、もしかしたらこれで本当に社会変わるかもしれない。
もっと本当に平等で実力でみんなが評価されるようないい社会ができあがるかもしれないみたいな、
その希望はそれぞれ託されていたかもしれない。
これ自体が結構僕は疑わしいと思ってるんだけど、
それはともかくとしてあるかもしれないっていうのがありつつ、
もうすでに明治元年以降生まれの人とか江戸時代末期に生まれた人たちからすると、
自分がその青年期になる頃にはそんなのちゃんちゃら嘘だったじゃんっていうか、
結局その社会におけるリーダーシップを取る人たちっていうのは、
その維新の時にゴネてたゴロツキみたいな奴らだけで、
結局その人のコネとか生まれとかによって、
ほぼほぼすべて、階級上昇のできるできないみたいなところってほぼほぼ決まっちゃってるじゃんみたいな、
そこの白気っていうのは結構すぐ来る。
これは多分今もそうなんだけど、やっぱりその20年30年の違いで、
割と当時夢描いてたものって結局ただのおためごかしでした。
実は何も変わってませんでしたみたいな。
次の世代って当たり前にその失望から始めるみたいな。
それがずっと繰り返されてる感じ。
変わるかもしれない、いや変わるわけないじゃんっていう往復が、
なんかすごい嫌だったから なんか多分その辺と多分自分が期待してたなんかそのもの
僕の師匠たちが美しいと思っていたグループサウンズとかそういう60年代とかのシーンみたいなのが描かれるその時の生活が描かれるみたいな時に
なんかちゃうなーみたいな なんか嫌やなーって思ったっていうのは多分そこがルーツにあったと本当に思うね
でもやっぱりその本当にその時代に僕ら世代で見たものとしては クレヨンしんちゃんの
モールス大人帝国の逆襲 これってやっぱそのいわゆるその昭和やケノハラノスタルジーを一応仮想的にしてるじゃないですか
ロマンチックにやりつつ多分なんかしんちゃんの映画の中では歴代的としてはかなりなんかロマンチックなキャラではあるが
とはいえそのいわゆるその平成の野原一家っていうのが立ち向かう相手との仮想的として昭和やケノハラノスタルジーを使ってるっていうのは
非常になんかいいなっていうかよくやってくれたなって僕は結構思いがある
そこが同時代にしんちゃんがやってくれたっていうのは結構僕は感謝してるんですよ
確かに大人帝国とあとあのあれ 山崎隆がさその後の戦国のやつは自分で撮り直すっていうこれがまた皮肉なもので
ありましたね あっぱれ戦国があの2つ
あの大人帝国っていうのは俺らを子供の時に喰らってるやん
それが結構やっぱでかいと思うんだよね だから俺やっぱ20世紀少年嫌だったのってなんかさ大人帝国で見た話をなんか
なんかちょっと貴重い感じで知らんおじさんがやってるみたいな感じすげえ嫌だったんだよね 20世紀少年が
面白そういう感覚あったと思うんだよなぁ それは10代の若いから一回見たことあるものをいや俺これ見たことあるよみたいなそれなんで
なかなかやってんだよみたいな感じが20世紀少年とかに対してはなんか若かりし尖り みたいな感じで攻撃したいものみたいな感じであるっていうのはあったんだけど
そういう気持ちはあったなあってことも思うねその辺のノスタルジー えっと僕らが若者としてターゲッティングされて楽しんで読んでほしいと思われている若者なのに
嫌だと思うみたいなこと そういうことも思い出しながらこの本の読書体験というのはそういうものを思い出しながらするもん
で面白かったね うーん
なんか一方で気持ちわかるっていうか実際のその世代で子供だった人の話聞いてみるとやっぱり なんか結局ストリート魂みたいなものへのプライドなんですよね
なんか自分はストリートで育ったみたいなところのまぁ実際はみんな言いたがるねストリート なんかどうかわかんないけどそこに何か一つプライドがあるんだろうなっていうところは
20世紀少年とか見てても思うし 結局それってでも結構続いてて僕はもうなんか本当に漫画とかの話ばっかりになっちゃうんだけど
その辺は僕ら3人共通してそのロマンすぎるもんへの暗示感みたいな ここが我々の世代のなんかあれなのか何なのかというところはまだ後半でも話せたら
なぁと思いますけども じゃあ何か他もうちょっとそれこそ僕が言ってたような3章4章5章とか
まあ70年代から現代に至るまでとかでいろいろ喋ってみたいところとかって書きたい 軍はあったりしますかね
そうね僕が おもろいなぁと思ったのはそれこそパンさんが84年
84年生まれでっていうふうに書かれていてでその世代っていうのはその子 実は
世代の名前がついてないんだって話 あったねされるんだよねまあされないと言いつつなんか当時は何かいろいろなんかプレッシャー世代
とかいろいろこう言われていたけれどもあんまり定着してなかった 話がされている時にこのパンさんの世代がその最終的に定着するような
世代の名前がついていなかったにもかかわらず その若者本若者論の前世紀でもあったっていう指摘よね
第4章でされていてこれはね非常に面白いなって思ったの 180ページぐらいのところの指摘なんだけど
その世代ドン・ピシャに対しての名前がつけられないまま若者論としてはめちゃくちゃ 流行っている
でこのめちゃくちゃ流行っていた若者論のこの時期っていうのがだいたいその1990年代の 後半から2000年代ぐらいだったんだという指摘がなされていて
これちょっとね後半の話もつながるかもしれないんだけど この90年代後半からゼロ年代ってちょうど我々の人格形成期なんだ
年齢一桁パーソンからだんだんTになっていくぐらいの時期に僕らの周りにはその 蘇生乱造の若者論があふれていたんだ
実はこれって世代的な特殊条件だったんだってことに僕は結構初めて思い立った
確かになぁ
みんながみんな今時の若者はって言って若者論をやにやにやってるもんだと思うんだけど
なんかもしかしたら僕らは若者の手前の時期にちょうどそういうものを浴びすぎるほど浴びすぎてしまっていたのかもっていうことに
改めてここで気づいたのがね結構個人的には面白かった
それはすごい思うなぁ
確かに私たちはゆとり世代っていうところに完全に位置するもうゆとり世代のエリートみたいな91年生まれなわけですけども
ど真ん中だから
そこはやっぱめっちゃ思うかもな
でなんかファンスさんのその84年生まれの名前のついてない世代みたいなことっていうのをなんかその世代の人と喋ると結構みんなその意識がすごいあるみたいな
あのこないだかきなえ君とTBSラジオのライフに出た時にもちゅーひちょるさんともその前後で雑談とかしてたんだけど
ひちょるさんもその話すごいしてて
でひちょるさんも85年生まれだったと思うんだよね
だからまあ完全にパスさんと同世代なんだけどやっぱりその世代の人たちが今それこそ語り出した
それこそ本がいろいろみんな出だしたみたいなところで
なんか多分その辺の感覚も変わってくるんだろうなみたいな期待もありながら
なんかそういうことに影響を僕らも受けながら今回のエピソードも
じゃあ我々の世代も我々の世代の話をしなければならないよなということをすごく思っているっていう
なんかそういうエネルギーを感じる後半だったかな
特に90年代から最終章に至るまでっていうのは
これなんか僕もそれお話を聞いてて結構疑問に思うことがあったのが
名前がついてない世代の人たちが
なぜそんなに若者論がその時ことしやかにいっぱいロフされてたのかっていうときに
それってやっぱ普通にやっぱ明らかに時代が違うとか
若者とこんなにギャップがあるっていうことによって盛んなっていくわけじゃないですか
果たしてそうなった時にこの名前のついていないこの世代の人たちって
何を持って他の世代と違ってたのかっていうのが
僕もあまりちょっとしっくりこないというかこの本読んだだけでも
何だったんだろうっていうのが結構疑問点としてあって
逆に僕らは多分それってやっぱ大きいのはネットじゃないですか
ネットネイティブで育ったかどうかによって
大人はやっぱりすごくうわ違うって感じるっていうのは
なんかすごく理解できるなと思ったけど
それが出たのが90年代日本で普及したのが90年代後半だったとしたときに
やっぱりこのファンさんたちの世代が受けたネット以外の
明らかに他の大人たちと違ったものって何だったんだろうっていうのはすごい気になります
たしかにその辺もっと話してほしいし語ってほしいところだよね
それこそそういう語り出した80年半ば前半から半ばぐらいの先輩たちがいろいろいるから
そういう人たちで何かそういう話もっとしてくれたらいいのになぁみたいな感じは
僕たちのご提案としてはありますがどうでしょうかみたいな
なんかそれこそファンさんの時期の空気を平坦な線上
90年代の岡崎京子のね
なぞしているけれども結構このあたりが
我々ゆとり世代って何かって教育制度が変わりましたというか
登校日が減って演習率が3になりましたみたいな世代なわけじゃないですか
だから我々は明らかにそういう社会制度における何かによって
その生活するスタイルだったりっていうのが変化をきたしている
それはその先行世代とは違った制度の中で育ってきたっていうような形でパキッと分かれるし
その前のその段階ジュニアとかも戦後からの人口の増加率とかベビーブームとか
そういうのを経た上でのあれこれみたいなところで
割とその社会における社会秩序だって社会状況の変化に応じて