舞台芸術学院https://www.bugei.ac.jp/
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サマリー
このエピソードでは、舞台芸術学院(舞芸)の卒業生である船原さんと中井さんが、母校について熱く語り合います。1948年創立という長い歴史を持つ舞芸は、市村正親さんやもたいまさこさんなど、数多くの著名な俳優や演出家を輩出してきました。特に、地方から上京して演劇を学びたい若者たちにとって、舞芸は貴重な学びの場であったことが語られます。船原さんは、実践的な専門学校を求めて舞芸を選び、体験入学を経て直感で入学を決めた経緯を明かします。中井さんは、2年間の徹底した基礎訓練が、卒業後に他の流派と合流した際に大きな強みとなったと語り、基礎の大切さを実感したと振り返ります。また、共に切磋琢磨した同期や先輩、後輩との絆が、卒業後も自身の情熱を支え続けていると述べ、舞芸で培われた「パッション」こそが、自身の演劇人生の礎となっていることを強調します。礼儀やマナー、舞台制作の過程を学ぶ機会も多く、健全な環境で演劇を学べたことへの感謝が語られ、舞芸がなくなってしまうことへの寂しさも滲ませつつ、その魂は卒業生の中に受け継がれていくと締めくくります。最後に、船原さんと中井さんの今後の出演情報も告知されます。
舞台芸術学院(舞芸)とは?卒業生が語る母校の魅力
アートの片隅でこじらせシアター番外編です。
ということで、今回は船原さんと私が卒業して、小松さんも見に来てくださった舞台芸術学院について語ろうという。
ありがとうございます。
小松さんがね、舞台芸術学院について語ってくれませんか?という、ありがとうございます。
平行ということになってしまったんだけども、やっぱりこういろんな方、現在有名な方がね、関わって卒業されている人もいるし、関わっている方がいらっしゃるし。
今回のね、卒業講演には渡邉美理子さんがいらっしゃって、Xでポストしてたりとかもあるんで、やっぱりね、みんなすごく思い入れがある場所だったので、せっかくだからこれは語っていただこうと思っているわけですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
中井ちゃんはね、まだ卒業して3年目?
4年目になるんですかね。
もうすぐ4年になるのか。
俺なんてもう相当昔だから、25年ぐらいもう経ちますからね。
そっかそっかそっか。
えーと、今回が17期?
そうですね、最後がステージアーティスト科17期っていう期で、舞台芸術学院は、今はステージアーティスト科っていう一科しかないんですけど、その船原さんが通っていた時期は、演劇本科というのと、ミュージカル科というのと、あと別科。
演劇科別科とミュージカル科の別科があったんですよね。
だから、1、2、3、4クラスってことかな、うちらの時は。
の、2学年。
で、夜間の別科は、1.5年とかだったんですね。
なるほど。
春入学、秋入学っていうのが確かあったはず。
いっぱいいたんでね、うちらの頃は。
そうですね。
すごい人が。
だから、夜と昼との入れ替わりとかもあったりとか。
あって、そうそうそう、5時ぐらいにはみんなちょっと変わるよみたいな。
お邪魔する、お邪魔するって、ロッカーとかめちゃくちゃ狭かった。
うん、そうですよね。
結構こじんまりとした学校なんで、ビルみたいなね。
そう、あれもでもね、3回ぐらい経って直ってるんでしょ?
建物自体は建て直ってて、焼けちゃったりとかしてね。
燃えちゃったりとかしてます。
あ、そうなんだ。
そうなんですよ。
割とね、77年ですかね。
77年。
すごいですよ、77年って。
戦後、まもなく演劇を志す人をね、育ててくるってね。
知らない方に、ウィキペディア情報的なことで言うと、主な卒業生として、
市村雅近さん、薬師小路さん、もたいまさこさん、さっきも出たけど渡辺英さん、伊藤あさこさん。
笑っちゃダメだよ、何言ってるの。
笑ってないです。
大倉康二さん、平岩上さん、丸若二さん。
演出家では、今の校長、宇山ひとひさんと、山田陽二さんなどを、もうキリがないぐらいいらっしゃるんですよね。
伊丹柔三さんとかね。
ミュージカル界だと浜田恵美さんとか。
そうですよ、浜田恵美さん。
柿沢さんとかもね。
そうですね。
これは概要というか、遠隔としては1949年開校ですか。
創立は1948年。
すごいね。
すごいですね。
歴史のある学校。
なくなっちゃいましたね。
どうでしたか。
僕のイメージだと、やっぱりこう、特に我々世代ですかね。
ふなちゃんのぐらいまではネットとか携帯がなかったので。
僕は東京にいたけれども、いわゆる地方からお芝居がしたいとか、芸術を学びたいと思って東京に来る人が、
じゃあどこに行くんだと。
何を取っ掛かりにして学ぶんだって言ったときに、情報が雑誌ぐらいしかなかった。
そうですね。
ところにやっぱり載ってるのが、こういうところ、舞台芸術学院だったりするんだよね。
他もあるけれども、あとは養成所とかね、いろいろあるんだけども、
やっぱりちゃんと学校として、きちんと歴史があって学べるのが確かそうだと。
そうですね。
数少ない機関というイメージだったんですよね。
だからやっぱりみんな、渡辺弁理さんもおっしゃってたけども、
Xにポストがあったけども、山形から上京して最初にお世話になった思い出の場所ですっていうふうにね、上がっていたので。
やっぱり最初は取っ掛かり。
そうですね。
地方に来て、地方にいる人がどこを目指して学びに来るかって言ったら、ここがいいんじゃないかってみんな思ってきたってことですよね。
自分も、福岡の劇団にいたんですけど、高校生の頃。
それで、本田劇場でやったことがあったんですよ。
初舞台のときに。
そのときに1日だけオフがあって、そのときのダンスリーダーの人と、じゃあお前、東京に出たいんだろうと。
ちょっといろいろ、じゃあ俺も調べてきたから、いろんなとこも1日あるから回ろうって言って、6校ぐらいいろいろ回らせてもらって。
素敵ですね。
西口のほうにあったミュージカル学院ってところとか、
写田前先生の事務所とか、
あと、いま亡くなった学校とか、いろんなところ一緒に回ってくれて、先生たち、教務の人とかとしゃべらせてくれて、
で、ドトールに最終的に入って、どこが一番いいんですかねって聞いたときに、
たぶんカリキュラムとしてしっかりしてるのは舞台芸術学院じゃない?って言ってくださって、
じゃあ、自分はそこに行きますって言っても。
そっから。
知らなかったですね。
なるほどね。
自分のときのカリキュラムって、2年間なんですけど、
実践的な学びと徹底した基礎訓練の価値
毎日がっちり入ってたんですよ。朝9時ぐらい。
から、夕方の4時ぐらいまでは。
がっちり4科目、毎日あったんで、
で、土日は休みだけど、開講はしてますよみたいな。
で、好きに使ってくださいみたいな。
ずっとあったんで、
で、夜学校終わって、ダンススタジオに行くみたいな。
タップだったり、歩弾バレーだったり、
その先生の学校、スクールに行くっていう、教室に行くっていうのが結構みんなやってて、
歌習いに行ったりとか。
そっから自分の個人の目指す方向性に向けてトレーニングを。
トレーニングしていく。
歌うまい人はもう、でも先生とかが言われるんですよね。
もうちょっと歌がんばればいいのにみたいな。
じゃあちょっと習わせてくださいみたいな。
で、ちょっと安くしてもらったりとか、
自分も本当もう、親から足送りもらってたんですよ。
バイトも一切せず2年間。
で、毎月12万円もらってて、そっから家賃とかからずっとやりくりしてたんですよ。
で、でも12万円だけだとスタジオには行けなかったんです。
その先生のレッスン費が。
で、でも受けたかったんで、
その先生はいつでもいい。
出世払いでいいから来いって言って行かせてもらってたんですよ。
一切払ってないんですけど、
それを同期の女の子とかにするとめちゃくちゃ怒られるんですよ。
私たちはしっかり払ってたもんね。
それはそうだよね。
でもやっぱ男性ダンサーも少なかったんで、
多分先生としては育てたかったっていうか、
男性のダンサー増やしたかったんでしょうね。
クラスのプラスにはなるから特別。
そうですね。
だからもう奥さんとか、奥さんもダンサーさんなんですけど、
やっぱ影で、あんたちゃんともらわなきゃダメよみたいな。
いやいやでもそれはもらえない。
もうなんかちょっと入ってきたりとかして。
余裕があるときにちょっとお払いさせてもらったりとかして。
お豆みたいなね。
もうそんなのずっとやってましたね。
はるさんはどうやって舞台芸術学院に入ろうと思ったんですか?
私は…
なんかインタビューみたいだけど。
私もいろいろ見たんですよ、学校。
で、私はもう勉強がしたくなかった、机に向かって。
大学を視野に入れてなかったんですよ、演劇の大学を。
いろいろあるじゃないですか。
芸大とかね。
あるけど、専門学校がよかった。
とにかく実践的に言えるところがあって。
ていうので、日本工学院とかいろいろなところに行って。
で、プレスクールっていう制度があるんですね。
舞台芸術学院って私のときはあって。
それは、いろいろ授業があるんですけど、その授業一コマ受けられるっていう。
体験入学。
体験入学みたいなことができる学校だったので、それに行って。
で、先生とか先輩が一緒に教えてくれるんですよ、そのときに。
もうがっつり入ってる。
そう、がっつり一緒にやってくれるんですけど。
で、それを体験して、その後に学校説明会みたいなのをやってたので、
それに行ったら、そのとき教務にいた中さんっていう方が、
2年間で立派な舞台人に育て上げますって言ってたんですよ、中さんが。
それで、ここだと思いました。直感。
そうなんだ。
ほんと直感で私動いちゃうので。
もう肌にも馴染んだし。
そっかそっか。
私はここが性に合うキットっていうので、
で、その前々から結構私バイプレイヤーになりたいっていう夢を持ってるので、
その平岩上さんとか大倉康二さん好きで、
で、その方たちが出てる学校っていうのももともとあったので、
自分が行って良かった。自分の肌に馴染んでると思ったので、
武芸に入りました。
これで入ってみてどうでした?やっぱ馴染みました?
いや、ほんとにね。
ほんとに良かったんですよ、武芸で。
そのときはやっぱり必死だったんですけど、
毎日必死に食らいついて行ってたので、
そのときはあんまり感じられなかったかなと思うんですけど、
卒業してからやっぱり武芸を出てるというだけで、
先輩とかが、
そうね、絆がね、やっぱあるよね。
すごくそれで、それでもさらにこの学校出て良かったなっていうのを、
卒業してからも感じることができるっていうのって、
すごいありがたいことだなって。
で、この間ジェシカさんが来たときなんかもね、
あの武芸出身ですって、
武芸の人なんですね、この間武芸出身のこの方とこの方にお世話になりました、
みたいな話をしてたから、
そこの繋がり強って思って。
そうですね、意外と。
狭いからこそのあるかもしれないですね。
日芸とか今広いじゃないですか。
ってなると、ちょっとっていうのはあるかもしれないですけど。
俺これをね、やっぱ聞いてて思うのが、
毎日、舞台とか演劇に触れるっていうことがいかに大事かっていうのをね、
僕は改めて感じましたね。
やっぱりこう養成所とか、僕は養成所がスタートだったけど、
それで週1とか、週2とか、
週、それもしかも3時間とか。
で、課題を与えられてみたいなことだったけど、
やっぱりこう、毎日休みなくバイトもせず、
修練に明け暮れる日々がいかに大事かみたいなことって、
なんかそっちにちょっと憧れがあるんだよね。
そういう環境って本当に、例えば文学座の養成機関とか、
園とか、ああいうところの、しかも上に行かないと毎日やんないじゃん。
そうですね。
なんかワークショップ的なことに話してなくて、
徹底的に、徹底的にっていう言葉。
これがね、いいよね。
徹底的でしょうね。
かつこの舞芸はね、すごい人たちがいろんなことを教えてくれるじゃない。
そうですね。
歌、踊り、踊りも各種。
縦、古典芸能、もちろんストレートプレイ、でしょ?
この多角的に、フォーカス的に学べるっていうのはすごいいいだろうな。
そうですね。
うちらはだから、スタッフワークのほうの科目はないんですよ。
なるほど。
もう本当表現者、役者としての学校なんで、
その、照明家とか、演出家とか、そういうのはないんですよね。
多少なんか、音楽論とか、そういうのはあるんですけど、
どういうふうにして作曲って成り立ってんのかとか、
あと、ミュージカル論とか、座学もあるんですけど、
それでなんか、スタッフってこういうもんなんだなとか、
あとは発表会で、スタッフの本職の人に、舞台監督さんについて大道具作ったりとか、
助手みたいなのはするんですけど、きっちり学ぶっていうのはないんですよね。
でも、学校にもう舞台があるってだけで、それだけでわかるからね。
そうですね。
何をやってるかっていうのが、それを見ないでさ、学ぶことも多いわけじゃない?
その養成期間で、悪く言うつもりじゃないけど、つもりはないが、
やっぱり教室で学ぶだけ、みたいなことになっちゃうよりはね、
全然経験値が違うだろうし。
そうなんですよね。
どうですか?なんかこう、一番これ、学んでよかったなって思うようなことってありますか?
俺も、武芸に入ってるときのダンスの授業って、ひたすら基礎ばっかりなんですよ。
おー、なるほど。
例えば何基礎って?
バーレッスン。バレーだったらバーレッスンして、クロスローバーのちょっとクルクルッとピルレットをクルクルッと回って、
ちょっとなんかステップをやるぐらいなんですよ。
もうずっとそれやるんです。
で、ジャズダンスもひたすら柔軟。
おー、なるほど。
ずっと。
で、それでちょっとなんか振り付けやる、楽しくないんですよ。
でしょうね。
タップもずっとひたすらやるみたいな、ステップもずっとひたすらやるみたいな、同じことをずっとやるんですよ。
で、ディズニーに行ったときに、知らない振り付けがいっぱいあるんですよ。
なにそのターンみたいな、弾いたことないそれみたいな。
で、そこでたまたま浮かって、それも舞芸のつながりで浮かったんですけど、それでそこのダンサーさんがいっぱいいたんですよ。
例えばその日芸を卒業したダンサーとか、大阪芸大から来た人、お茶の水の舞踊家から来た人とか、いろんなスペシャリストがいっぱいいて、踊りもうまいわけですよ。
で、それで思ったのが、2年間ってやっぱ少なかったなって思ったんです、最初。
4年大学行ってるやつらって、もちろん2校上のやつらが同期なんですけど、振り付けを作る段階でめちゃくちゃ考えるし、
それも素敵だなって思って、なんで俺舞芸に行ったんだろう、4年大学行けばよかったって思ってたんですよ。
ただ、ディズニーも辞めて、今も踊りも軽くやってんすけど、基礎を2年間みっちりやったから、そんな踊りを毎日やってなくても、体に染み込んでる感はあって、
何年後だろう、もう20年はなんないけど、卒業して15年後ぐらいに、俺やっぱ舞芸でよかったんだって気づき始めたんですよね。
なるほどね。他の留派と合流した時にテクニカル的な情報を仕入れさせてくれよっていう感じだけど、実は基本がもうできてたから。
やっぱ基礎って大事なんだなって気づいた時に、舞芸でよかったんだなって、基礎ばっかり教えてくれた先生で、なんでだよって応用は?みたいな感じだったんですよ、当時。
応用は卒業してから自分で学べばいいのかって気づかせてくれた先生方に感謝はしてますよね。
大きいね。それこそ毎日やる意味と意義があるって感じよね。ここでやる意味が。
情熱と絆が生み出す「舞芸魂」
ダンスの後の昼飯食って、午後が座学とかってなると、みんな寝てるんですよね。
やっぱ寝るんだ。
だって、俺がダンスの別口でレッスンを受けようと思ったら、やっぱり教える側としては応用を教えないわけにいかないじゃないですか。
フリをちょっと入れないとずっと、基本も徹底的にやらせてもらうけど、それは週1でさ。
じゃあちょっと楽しい部分も、餌をちらつかせないと続かないじゃない。ダンスが楽しいと思って、クラスに続けてきてくれないと商業的にあれだから。
じゃあ基礎が大事だから、この後8回は基礎だけですって言われるとさ、いかないじゃん。
いかないですもんね。
ちょっとフリでかっこいいところをやりたいじゃないですか。
じゃあこれを撮ろうねみたいな感じでやらないとさ、餌をちらつかせないとモチベーションが続かないじゃん。
モチベーション?舞台への情熱です。
それだけですからね。
あとは基礎みたいな。
基礎、基礎、基礎、基礎。
しょうがねえかってならないじゃない。学校に毎日行くって、みんなが行くってなるとね。
はるさんどうですか?舞芸で一番学んでよかったなって思ったこと。
私はパッションですね。
あーパッション。
でもさそれって確かにさ、周りと比べないと火がどれだけ大きい火かわからないってのあるよね。
俺の情熱こんだけあるんだぜってさ、一人で思っててもさ、
あーもっと燃焼率高いやついるとか、燃焼してるように見えないけど青い炎ですげえ温度高えみたいなやつがいるって、
あーもっと燃やさなきゃ、もっと出るじゃん俺みたいなことって比べないとね。
そして相乗効果で燃え上がっていかないんだよね、情熱ってね。
そうなんですよね。パッションはいいよね。みんなさ、切磋琢磨していくじゃん。
もちろんなんか挫折してやめていくやつもいたけど、みんなでなんかさ、あーだこーだ言いながらさ、たまには陰口叩いたりさ、やっていって、
でも発表会をさ終えて、なんかまたちょっとひとつやりきった感、あのエモさはよかったよね。
やっぱ外出てからというか、卒業してから技術的なことはたくさん見て学べるけど、
自分の心持ちとか演劇に対する思いとかは、やっぱりその武芸で確立されたなって私は思ってて、
それはもう教えてくれた先生とかもそうだし、もちろんそうだし、一緒に頑張った同期とか先輩とか後輩とかから、なんか学んだというか、
っていうところが大きいなっていうか、そこにぶれないものがあるから私は。
だから続けられるし、戻ってこれる、いつでも。
そう、そこね。
なんか、嬉しそうになったときに、戻ってこれるっていう場所があるっていうだけで、すごく…って感じです。
エモ。
エモいですか?
エモいよ今のは。
今のはエモいよ。
エモラーでしたね。
ネイティブエモ。
エモいネイティブ。
発動してたよ。
エモいネイティブでしたよ。
でもそれなんだよな。
なんかね、俺とふなちゃんは40代後半だけどもさ、一応ずっと芝居をやってきてる身としては、
若いときに、俺これが好きなんだっていうことを固定化させることの難しさって、意外と自分は固定化できたから、
あんまり難しさを感じないんだけども、やっぱり同じように入ってても辞めていく人とか、
まあ事情があって辞める人もいるからあれだけど、
あんま好きじゃなかったかもみたいな感じで辞めていく人もいるわけじゃない?
はい、いますね。
そういうのを考えると、その後、商業的にとか社会的に成功するかどうかは別として、
自分が好きなものはこれなんだ、自分が一番エネルギーを出せるものはこれなんだっていうことを明確にできることが、
一つ素晴らしいこととしてあるな、というのがあるんですよね。
劇団とか養成所とかだと、ちょっと社会性が弱いんだよね。
うちに向いてる劇団での価値観とか、養成所は逆に価値観が薄すぎて。
頑張ってる、さっき言ったみたいにね、週1回とかしか集まんねえから。
まあ発表会とかでね、やったりすることはあるんだけれども、
学校、ほぼ学校と言っていいわけじゃないですか、組織としてはね、機関としては。
そういうところで、24時間365日ほぼ舞台のこととか表現のことを考えている、
クラスメイト、同期といる、居続けることの強さよ、という感じがするんだよね。
それはものすごく自分の中に固定化されたパッションになるだろうなと。
自分はこれが好きなんだ、そして間違っていないんだ、そういう人が他にもいているんだ。
そして前にも後にも、そういうパッションを持ってくれる人がいるっていうことが強いよね。
そうですね。
だって高校生まで、舞台役者になりたいっていう周りには一人もいなかったわけで、
舞芸に入ったらさ、40人ぐらい一クラスいて、同い年と、ちょっと年上のやつともいたけど、
こんな、一緒の夢?みたいな。
そうなんだ、劇団式と入りたいの、いやそうだよね、みたいな。
っていう出会いはすごく嬉しかったですね。
ミュージカルな話とかしても、通じる人たちとか、もっと、それ見たんだとか、
いいな、東京でそれ見れたんだとかっていうのが、すごく嬉しかったですよね。
そうだよね。
こうやって他で仕事をしたりしても、そういうところまで話すことってないからね。
そうですね。
もちろん芝居何が好きなのとか、パーソナルな部分を会話を見ることはあるんだけど、
心がしを同じにしてるっていうことほど、心強いものはない。
ないですよね。
あれ嬉しかったな。
こいつら全然喋ったことないけど、入学中の時に、
こいつらマジ一緒のあれってことか、みたいな。
え、すげえ、こんなみんなやりたいんだ、みたいな。
オーディションで集まると、敵児しかしないのにさ、
絶対こいつらより上だ、みたいな感じだけど、
それがね、こいつらとうまくなっていくし、こいつらには負けないっていうのが入り混じるわけじゃないですか。
そういう感覚っていうのはね。
そうですね。
なかなか今の時代もそうだし、昔もあんまり得られなかっただろうしな、
チョイスの幅が狭くて。
絶対にあせないですね。
2年間過ごした同期との思い出とか、日々とかっていうのは、
本当に色あせることなく、私の背中を押し続けてくれて。
そうよ。
本当に。
やっぱ健全だよね、その組織として。
そうですね。
機関として。
うちらの時代は女の子たちはいじめがあったりしたんですけど、
でもみんな青春して卒業していってるんで、本当健全な感じではありましたね。
やや時代性があって、当然暴力もあっただろうしさ、時代によってはね。
それは時代によるので、それにしたって、
じゃあ金を騙しろみたいなことにはならないわけじゃん。
そこはなかったよね。
商業主義というか。
ちょっと能力ないけど、もう1年クラス上げて、
いかに養成所に通う期間を長引かせるかみたいな、
意図みたいなのはないわけじゃないよね、世の中には。
本当だから、正当資本で考えてくれてたと思うんですけど。
舞台制作の経験と健全な学びの環境
ただ、うちらの中井ちゃんの時はあれがあったんだよね。
あおたがいじゃないけどさ、事務所の人が見に来てくれるあれがあったんですけど、
うちらの時代はそういうのもなかったんで、
卒業したら自分でやってくださいみたいな。
ただでも本当、中井ちゃんが言ってたね、2年間でちゃんとした役者さんに育てますんで、
っていう自信はあったみたいですね。
あと、礼儀とマナーが学べるのも大きいよね。
上下関係で、厳しいというよりは、
最低限の社会人としてのマナーみたいなのもあるわけじゃない。
そういうOB、OGが期待して、
卒業講演に参加するっていうことにはさ、
ここには心よく参加できる礼儀とマナーがあるってことは明確なわけだからさ。
舞台を作る過程を知ることができるっていうのも結構大きいなと思って、
自分たちで係りとかも分担して、裏のこととかも基本的に自分たちで、
卒業講演以外はやってたので、
当たり前の話ですけど、この期間までにこれは用意しとかなきゃいけないとか、
仮のものを用意するとか、そういった細かい部分も学べたなっていう。
結構分かってない人もいるなって結構外に出てから。
確かにそんなことは教えられはしないじゃないですか。
見て学ぶっていうのが大きいので。
だから見て学ぶを2年間でできた。
先輩の講演とかも手伝えとかしたので、
そういうので、とにかく見て学ぶ機会が2年間でも多かったっていうのは、
結構財産になってるかなって。
4回講演があるんですよ。
1年生のときの本当終わりぐらいに1回と、
夏と秋と卒業講演。
結構2年生になったら忙しいんですよね。
とにかく見てもらう機会が多いっていうのも良かったですね。
私コロナ明けぐらいだったので、
最初は友達と家族ぐらいしか呼べなかったんですけど、
どんどんいっぱい呼んできたりするようになって、
自分が呼んだお客さんに見てもらって、
っていう機会がやっぱり、2年間で4回あるっていうのは結構。
いいよね。
劇団入ったらさ、ちょっとしか出ないようにさ、
何十枚売れ!とかになってくるもん。
そうか、そうですよね。
舞台を年に何回かやって、チケット乗るみたいなのがあって。
それに比べればかなり健全。比べちゃいかんけど。
健全っちゃ健全ですね。
健全だと思うよ。
健全な芸術の学び方があって、
僕は当然関わっていないんだけど、
そういうところがなくなってしまうってことにはすごく悲しい。
残念だなという気持ちはありますね。
有名な先輩たちもね。
俺の1個上の先輩に平岩上さんいらっしゃって。
そうなんだ。
でも今思えば、すごいやっぱ存在感ありましたね。
ミステリアスな感じでした。
お芝居も上手だったし。
この人大人計画入ったかって思ってた。
すごかったですね。
なんだかちょっとセンシティブな気持ちに。
センシティブ。
それがなくなっちゃったからね。
受け継がれる舞芸の魂と今後の展望
これは同じような組織を春さんが立ち上げる未来が見えますね。
あの時のパッションは私に受け継がれてます。
本当の舞台人を育てたいっていうパッション。
分かんないからね、それは本当に。
きっと卒業生の中からそういうことを思ってる人は
できるかどうかは分からないけども
そういうことをしたいっていうふうに思ってらっしゃるし。
田辺玲司さんだって自分のとこで私塾を作って
後進を育ててるから、そういう気持ちがあってのことだからね。
やっぱそういうことはどっかで
受け継がれていくんじゃないかなというふうに
我々学院卒業生は思うわけであります。
実は。
あれ?
嘘だけどね。
紛れ込んでる人。
偉そうに卒業生に
紛れ込むことはできそうな気がする。
こんな感じ。
はい、ということで
私たちの母校舞台芸術学院について
ちょっとお話をしたりなんかして
ちょっと寂しくもあり、懐かしい気持ちにもなる。
でもね、その
魂というかね、パッションが受け継がれていきますでしょうし。
そうですね、これからも舞芸魂を持って
舞芸が消えないのでね、それは。
そうよ、心の中に残ってるから。
生きていきたいと思います。
ということで
ということで今回の番外編はこのあたりで
おしまいという形になります。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
出演情報告知
はい、こちらの皆様こんにちは。
船原貴道です。
この度、ワルウッドボリューム8舞台
花嫁は誰なもの?に出演いたします。
場所は信濃町にあるカレー屋さんのラッキーベース
というところで上映いたします。
期間は4月の24日から5月の3日
結婚式の真っ最中に停電と同時に
花嫁が消えた。
愛か秘密か、それとも裏切りか
次々と明らかになる本音と関係性。
2チーム編成でお届けします。
私はバタフライチームで出演しております。
ナイトウェディングミステリーとなっております。
演出はワハハ本邦のわれぜんどうくん
監修には映画監督の木村ひささんでお送りします。
あなたはこの結末を見抜けるか
是非とも劇場でお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
こちらの皆さんこんにちは。
私中井はるこが次回出演する舞台が決まりましたので
お知らせさせていただきます。
劇団ルートボーイズ第2回公演
ザ・ネクストパーソンズに出演することが決まりました。
日程は5月6日から10日
全7ステージを予定しております。
場所はパフォーミング&カフェエソラ箱というところでやります。
詳細などは私の中井はるこのXなどを見ていただければありがたいです。
精一杯頑張りますので応援していただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
37:09
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